黒祠の島・小野不由美(NONノベル)
友人が帰省して以来、帰還予定日を過ぎても戻ってこない。何かあったのでは、と心配になった探偵・式部は、彼女の故郷である九州の夜叉島へ向かう。しかし、フェリーの乗り場では目撃されている彼女を、島民は誰一人として見ていないという。そして嵐の夜、島内の神社で女性の他殺死体が発見され……。
デッド・ディテクティブ・辻真先(講談社ノベルス)
新興宗教の教団である「ダイゴ」のメンバーが乗る船が、太平洋上で沈没した。その直前、船内では教団の実力者だった男が殺され、教祖である少女・レンゲがケガを負うという事件が起こっていた。事件の謎が解かれぬまま、船は沈没。死んでしまった乗組員たちは閻魔様の裁きを受けるが、嘘をつけない筈の閻魔様の調べをもってしても、誰も彼を殺した者がいない。果たして船内では何があったのか? 冥界にいた「生前は名探偵だった者」たちが、沈没した船を検証に出かける……
子供向けに編まれたアンソロジー。子供たちにいい短編を読ませたいが、昔の古い文庫本は字が小さくて読みにくい。大人でも手を出さないものを、子供が読むわけはない。せっかくいい話があるのに……という理由で、赤木かん子氏が「子供に読ませたい」という基準でセレクトした名作群である。いやあ、いいセレクトだわ。安楽椅子探偵というシバリで、これを持ってきますかやっぱり、という喜び。メジャーにして微妙にシブい選択である。こういうのがあれば、あたしも翻訳ミステリに免疫が出来てたのかなあ。
これも「安楽椅子の探偵たち」と同じ、赤木かん子編のアンソロジー。暗号というテーマだけあって、王道の2編が収録されてる。加えて、暗号に関する戸川安宣氏の子供向け解説も、なかなか面白い。
清水義範ができるまで・清水義範(大和書房)
清水義範氏がいろいろなメディアに書いたエッセイを集めたもの。ということで、他の著書とダブっているエッセイも多いんだよね。一応テーマ別に編まれているとは言うものの、作品間にそう確固としたつながりがあるわけではないので、「あ〜、これ読んだぁ」というのがあると、ちょっとガッカリ。
(問)次の五つの語で、他と異なるものはどれですか。
……わかんねえよ! 一段落だけが、一を「いち」と読ませるのかなあとも思ったけれど、「ひとだんらく」とも言うしねえ。ましてや
よもや まさか さっぱり きっぱり まるで
の中で、他と異なるを探せという問題に至っては、答が「きっぱり」だというのだけれど、どうしてそうなるのか誰か教えてくれッ!
気がついた時、私はそこにいた。名前はミキ。病院での介護ロボット。患者さんのデータは全てインプットされ、状況に応じた介護が全て可能なようにプログラムされている。会話もできる。いや、会話だけではない。考えることもできる。感情のようなものもある。そして記憶も……記憶? 私は本当にロボットなの? 私は、誰?
ハカセとサイバラのお勉強シリーズ第3弾(にして5冊目)。いやもう、理科・社会と続いてついに算数なのだが、これまでの中で一番おもしろいぞ! それはとりもなおさず、あたしが算数ができなかったという証左に他ならないんですけどね。
ソクラテスの口説き方・土屋賢二(文藝春秋)
相変わらずの同工異曲というか、同工同曲というかの土屋節である。笑わせのパターンは見えてる筈なのに、笑っちゃうんだよなあ。冷静に考えると、基本的には同じネタを、切り口を変えたりアプローチを変えたり見せ方を変えたりしてるだけなのに(笑)、それでもその度に新鮮な気持ちで笑ってしまうんだから悔しいじゃないか。
「あたし、方向オンチなのよねえ。こないだもさ、一度言ったことのある店にもう一度行こうと思ったら、全然知らない場所に出ちゃって。おまけに歩いてたら《ここより名古屋市》の看板があってさあ。あたし名古屋市内を歩いてるつもりだったのに、いったい何処にいたんだろう?」
いやあ、さすがに読ませるなあ。求心力があると言うか。ひとつの土着宗教を持った離島で《なかったこと》にされた事件を探偵が追うという設定。周りが全て敵という極限状況から、少しずつ味方に取り込み、少しずつ真実に近づいていく様子は、読んでいて手に汗を握ってしまう。また島民の描写が何とも言えず巧い。一様に統制が取れているわけではなく、進んで隠蔽に協力する者もいれば、島外の暮らしを知っているために土着宗教への帰依が低い人もいる。そういう島民を切り崩す様は圧巻だ。
それに、物語の中枢を担っている《黒祠》についての設定や説明も、非常に分かりやすく且つ魅力的。連綿と受け継がれた文化が、時を経て徒花を咲かせるという、日本ならではのおどろおどろしさが実に巧く表現されている。
だが、せっかく面白く読んでいたのに、真相はちょっと肩すかしを食らった感あり。そこまでに充分盛り上げてくれていたのだから、その盛り上がりを維持したまま「犯人はおまえだ!」とやってくれた方がカタルシスが大きいのではという気がする。それが(以下、ネタバレのため反転)犯人が分かった時には、すでに別の人物がその犯人に制裁を加えているという演出のため、なんだか「犯人のすり替え」が行われたような印象を持ってしまうのだ。そのためこれまでの事件の謎解きがおざなりにされて、新たな犯人の方に話の焦点が移ってしまうのである。そのため、どうにもラストは急ぎすぎたような印象を持ってしまうのだ。そこまでの盛り上がりが大きかっただけに、ちょっと残念。
(01.11.1) 《この本の詳細情報&注文画面へ》
とても面白い趣向。嘘をつけないという閻魔様の裁きを凌いだ理由がアレだったってのも、「え〜〜〜、そんなの詭弁だわ!」と叫んでしまいたくなるのだが(笑)、それはまあいいとして。どうやって閻魔様を騙したかという点に於いて、桃子が二重人格だったというのは、もうちょっと伏線が欲しかったかなあ。確かにエクボや利き手というのは出てきたけれど、カタルシスを得るには弱いよね。
それにしても楽屋落ちが多いなあ(笑)。いや、こういうのは好きなんですが。三人の「元・探偵」が、いずれも辻真先氏のシリーズキャラクターだというのはすぐに分かるし、挙げ句の果てにはだかの探偵が謎解きの功績を認められて転生を許され、犬として生まれ変わり迷犬ルパンになるに至っては……思わず「だはぁ」と脱力した笑いが漏れてしまう。
この話、これまでの辻作品をどれだけ読んでるかで、面白さが変わってきそうだな。
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あなたのための小さな物語〜安楽椅子の探偵たち・赤木かん子(編)(ポプラ社)
【十五人の殺人者たち】ベン・ヘクト:医学者たちの秘密会議が舞台。自分が「誤診」で殺してしまった患者たちの話をするのだ。そして今日の話題は……何の病気かを診断するのは確かに推理そのもの。そしてこの見事なオチ! ヒューマニズムから最も遠いところにあるような《秘密会議》が、こういう結末になるなんて。
【九マイルは遠すぎる】ハリィ・ケメルマン:安楽椅子探偵と言えばコレ、というくらいの超有名作品。実際には安楽椅子じゃなくて歩きながらの推理なんだけどさ(笑)。それにしても、冷静に考えれば「たまたま当たったからいいようなものの」だよなあ、これ。勿論、論理ゲームとしては史上最高の作品。
【登場人物を探す作者】フィリス・ベントリィ:このシリーズは寡聞にして知らなかった。何だか決め手が弱いような気がするんだけれど、伏線の妙は味わえる。
【多すぎる証人】天藤真:安楽椅子ならぬ車椅子探偵。「遠きに目ありて」に収録されている、シリーズ代表作。そうだよね、こういうのを子供に読ませたいよね。
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あなたのための小さな物語〜暗号と名探偵・赤木かん子(編)(ポプラ社)
しかし、いかんせん王道過ぎる気はするよなあ(笑)。【黄金虫】(ポー)と、【踊る人形の謎】(ドイル)だもの。今さら感想を書けと言われても。いや、今だからそう思うのであって、初めて探偵小説に接する子供としては、この2編というのはベストチョイスだとは思うのだけれど。それに、古めかしい訳しかなかった【黄金虫】を、新たに翻訳しなおしたというのも嬉しい。
尚、このシリーズはポプラ社から「あなたのための小さな物語」というシリーズタイトルで出されたもので、全8冊。探偵小説は「安楽椅子の探偵たち」とこれ、そして「花のお江戸のミステリー」という捕物帳のアンソロジーがあります。そちらでは、岡本綺堂の「お文の魂」や石ノ森章太郎の「おくり火」他が楽しめるよ。ミステリ以外のシリーズタイトルには、
「戦争」(ショローホフ「人の運命」、手塚治虫「紙の砦」他)
「ロマンティック・ストーリーズ」(O・ヘンリ「よみがえった改心」、坂田靖子「春の磯」他)
「マザー」(赤川次郎「ひとりぼっちの誕生日」、山岸涼子「コスモス」他)
「おいしい話」(チャベック「ソリマンのお姫さまの話」、池波正太郎「食べる」他)
「解放」(モンゴメリ「めいめい自分の言葉で」、ブラッドベリ「アンクル・エナー」他)
があります。どれも膝を打つセレクションだよ。タイトルをクリックすると、詳細情報に飛べるようにしてあります。
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ま、それはそれとして、初読のエッセイの中にはさすがと思うものも多い。印象に残ったのは【小説】と銘打たれた第一章。自著を書いた時の裏話を載せたもので、「尾張春風伝」や「みんな家族」を書くきっかけとなった思いが綴られている。
あと、すでに他の本に収録されている作品ではあるけれど、実際の入試の国語の試験問題を取り上げた【有名中学国語入試問題】は一読の価値有り。有名私立中学の国語の入試問題に実際にあったものだそうだが
一息 一休み 一通り 一回り 一段落
(後日付記:これは「きっぱり」だけが否定文を伴わない、ということのようです。まぁ、「お風呂にはいってさっぱりした」「まるでお姫さまのようだ」のような使い方もあるんだけど、ここは「さっぱり分からない」「まるで見当がつかない」という使い方の方に着目すべしということなんでしょう。──なんかヤな問題だなぁオイ)
(01.11.5) 《この本の詳細情報&注文画面へ》
アイ・アム(I am)・菅浩江(祥伝社文庫)
読み始めてすぐ、ミステリ好きなら、東野圭吾氏の「変身」を、SF好きなら新井素子氏の「今はもういないあたしへ……」を思い出すのではないだろうか。というくらい、初手から話の行き着く先は見当がつくのである。いや、もちろん細かいことは分からないのだが、ミキの正体に関しては、おそらくこんなところだろう、と予想できる。いや、予想できるように書かれている。
それがまた、思った通りの場所に着地するのである。普通なら「ほーら、やっぱり。見え見えじゃん」と鼻で笑うところだ。が。この本ばかりは。「ほーら、思った通りだ、見え見えだよ菅さん」と言いながらも、あたしは泣いていたのである。特にラストシーンの(ネタバレにつき反転)「裸眼で見たかったのよ──お父さんとお母さんの顔を」から先は、もう涙ポロポロである。こ、こんな見え透いた話で、どうして泣かされてるんだよあたしはッ!
それはひとえに、読者の取り込みの巧さにあるのだろう。ミキが勤務する三つの病棟──外科・小児科・ホスピス──で、ミキはそれぞれ違った命の形を目の当たりにする。それはミキの「記憶」を刺戟すると同時に、読者にもミキと同じ刺戟を与えているのだ。動けない患者の「外」を見る目。幼くして生命を閉ざされた子供を持つ親の気持ち。そして死を目前にして、タガがはずれてしまった老人。読者の胸に蓄積された痛みは、いつしかミキの痛みとシンクロする。その時には、ミキの正体が何なのかよりも、生命という大きなものへの慈しみと悲しみが勝っているのである。そこに明かされるミキの正体──それもまた、生命に対する慈しみと悲しみの所産であったことが分かった時、読者の胸の内では、累々と積み上げられてきた感情が行き場を見つけ、一気にそこへ向かってなだれ込むのである。
400円でこれだけ心を揺さぶられ、泣かされるのだ。なんてコストパフォーマンスのいい本なんだろう。
(01.11.6) 《この本の詳細情報&注文画面へ》
いやでも楽しめる算数・清水義範&西原理恵子(講談社)
円の面積、かけ算とたし算、ゼロの意味……とにかく、目から鱗のオンパレードである。何が嬉しいって、九九の言えないあたしはサイバラと全く同じ方法で買い物をしていたのだが(笑)、それが清水氏によって「素晴らしい方法です」と褒められたんだぞ。わーい。
実はこの本を読む前に、あたしはたまたま《円の面積を求める理屈》を森博嗣さんから、《分数の割り算とは、どういう意味か》を自転車友人K兄様から、《0が発見されたことによって、何が変わったか》をドラマ「3年B組金八先生」で聞いており、それぞれ「おおおお、そうだったのかあ! すげえぞ、感動したぞ!」と叫んだ経験があるのだ。これは大袈裟でも何でもなく、本当にその三つの時には「あああ!」と叫んだのである。これまで縦横無尽に絡まっていた糸が、一瞬にしてほどけ、形がはっきり見えるという快感を味わったのである。
あの快感を、同じように算数が苦手だった人に伝えたいなあ、と前から思っていた。そしたら、それがそっくりここに載っているのだ。これを薦めずしてどうする。円の面積がどうして半径×半径×3.14なのか、分数を分数で割るってどういう意味なのか、いまだに分からずに算数嫌いになった人。これは「買い」ですよ。
他にも、赤胴鈴之助問題の解き方や、一瞬にして暗算ができる裏ワザなどなど、面白楽しい算数知識がテンコモリです。こういうの、どうして小学校の頃じゃなくて、今読むとおもしろいんだろうなあ。
(01.11.7) 《この本の詳細情報&注文画面へ》
「日本の歌の危機」を読んでからしばらくは「♪いもむしごーろごろ、ひょうたんぽっくりこ」という歌が頭の中を駆けめぐって往生こいた。何だっけこの歌。「泣くな」で曰く、男が泣いていいのは一生のうちに5回だけだ。自分が生まれた時と母親が死んだ時。その他が3回だ、と。その他、という時点で既に妙なのだが、そこはまぁ無理矢理納得した。が、その次の「フランダースの犬を3回見たら終わりだ」の一言で、5分笑った。その一方で、「何が自分の望みか」では、ふざけた文章の中にも「ホームレスが羨ましい、ああいう暮らしをしてみたい、といいながら実際にはホームレスになろうとしない」人をチクリとやる。ああもう、さすがだなぁ。
あ、ただ、「プロ野球には失望した」の項は、自分の精神衛生上、頭の中で「巨人」を「中日」に変換して読んだ。これが書かれた年(1999年)は中日が優勝した年なので原文のままでいいのだが、今(2001年)読むと、やっぱ置き換えは必要だ……(泣)
一番驚いたのは、はっきりとは書いてないが、著者はどうやらNHKの「課外授業〜ようこそ先輩」に出たらしいということだ。うわあ、見たかったなあ。
(01.11.7) 《この本の詳細情報&注文画面へ》
方向オンチの科学・新垣紀子&野島久雄(講談社ブルーバックス)
などという話を、よくしていたのだ。この手の話なら枚挙に暇がない。よく知った道でも、「あの交差点を北に曲がって」と言われると分からない。左右で説明されなくては、どっちがどっちなんだかまったく分からないのである。同じ様な人、多いんじゃないかな。
一方、うちのダンナは異様に方向感覚が優れている。初めて行った土地なのに、すぐに東西南北を理解する。一度行った道は間違えない。何に驚いたって、大分のあたしの実家へ行くのに、別府のフェリー乗り場から30kmの道のりを、初めて通る道なのにも関わらず、ダンナの運転する車はナビ無しで最短距離であたしの実家に到着したのだ。ダンナがあたしの実家に行ったのはまだ2回め。それも初回とは全く違うルートなのに。ちなみに助手席のあたしは、いったい車がどこを通ってるのかサッパリ分からなかった。自分の実家へ向かっているというのに。
この違いは何なんだろう。それを科学的に分析したのが、この本である。複数の被験者に、あるルートを覚えさせる。覚えるにあたって、何を記憶するか、何に注意するか。成績上位群と下位群では、驚くべき傾向の違いが出るのである。また、実際に限られた情報の中で、目的地につけるかどうかの実験も行う。そこではまた違った結果が出る。
著者は言う。「方向オンチ」とは、運動オンチや歌が下手な音痴のように、能力の有無ではない、と。確かに、東西南北をすぐに判断するというような《空間認知能力》には個人差がある。しかし、実際に道に迷うか否かは、空間認知能力だけの問題ではない、と。空間認知能力は劣っていても、道に迷わずに済む方法はあるのである。
「あたし、方向音痴なのよねえ」と、まるで自慢のように話す人たち(あたしもだ)がいるが、それは「俺って、おっちょこちょいなんだよね」「僕って慌て者でさあ」というのと同じ、実害のない《言い訳》に過ぎないのだ。本当に重大な過失を犯してしまった時に「あたし、方向オンチだから」と言い訳する人はいないでしょ。ね?
(01.11.8) 《この本の詳細情報&注文画面へ》
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