お厚いのがお好き?


三谷幸喜のありふれた生活・三谷幸喜(朝日新聞社)

 人気脚本家・三谷幸喜が朝日新聞紙上に連載中のエッセイをまとめたもの。彼の日常が書かれているため、「あ、あの番組の裏ではこんなことがあったのか」という楽しみ方もできる。時期としては、香取慎吾・役所広司が主演だったドラマ「合い言葉は勇気」が放送され、真田広之・松たか子主演のミュージカル「オケピ!」が上演され、映画「みんなのいえ」がクランクインした頃にあたる。うわ、こうやって並べて書くと、めちゃくちゃ忙しいじゃん。この3つが同時進行だったのか。その上、エッセイまで書いてるし。
 合いも変わらず飄々とした芸風が「クスッ」と笑わせてくれるが、すっかり有名人になって殆ど公人化してしまったせいか、
「オンリー・ミー 〜私だけを〜」に比べると、無難な話が多くなって残念。三谷氏本来の「おかしみ」を味わうというよりも、あの映画・あのドラマの裏話が聞ける、あの芸能人やあの有名人の意外な一面が出てくる、というほうがメイン。う〜ん、それはそれで面白いんだけど(川平慈英がダンサーだったなんて初めて知ったわよ)、やっぱそれだけじゃあね。新聞連載ということで、マニア受けより一般受けを優先させたということかな。もちろん、話題の切り取り方も見せ方も文章も上手なので、そんじょそこらの《芸能裏話的コラム》に比べると格段に面白いのは確かなんだけどね。
 そんな中でもあたしが好きな話は、愛犬の教育について書いた【気持ち入れて「とび、伏せ!」】。奥さんが「伏せ!」と命令するくだりの描写が最高。《芸能裏話》として面白かったのは、キムタクと共演したパソコンのCMのことを書いた【CM出演で俳優の苦労実感】。試し撮りした他のバージョンが面白そうで見てみたい。
 それにつけても、すごいのはイラストの和田誠氏だよなあ。いつも思うんだが、こんなシンプルな線で、ここまで似てる顔が描けるんだもの。杉浦直樹や久米宏、山寺宏一のイラストなんて「うわっ、似てるぅ!」と叫んでしまった。逆に、キムタクや香取慎吾みたいな「かっこいいお兄ちゃん」の方が難しそう。 (02.6.30)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

紅茶を注文する方法・土屋賢二(文藝春秋)

 ご存知、哲学の教授・土屋センセイのお笑いエッセイ集。この人の書くエッセイ集は結局のところ、どれをとっても全部一緒だ、一冊読めばことたりる──と思いながらも、いつの間にか既刊は全部読んでしまってるし、新刊が出ればこうしてイソイソとページをめくってるんだよなあ。そのあたりが「魅力」なんだろう。
 いいかげん、何度も読んだぞこのアナロジーは、と思いながらもやはり「うわははは、バカだねえ」と笑ってしまう。大学のセンセイに向かって「バカだねえ」というのもヘンなんだが、そういうふうに著者が演出してるんだから仕方ない。
 今回、特に印象に残ったのは「計算が合わない」だ。
 千円分のスクラッチ宝くじを買ったら、600円当たった。この600円に更に400円出資して、再度、千円分のスクラッチ宝くじを買ったら、今度は一枚も当たらなかった。さて、この場合
 (1) 最初に千円、次に400円使って1円も入らなかったのだから、1400円の損。
 (2) 最初に400円損して、更に400円損したのだから、合計800円の損。
 (3) 最初に600円儲けて、次に400円損したのだから、差引200円の儲け。
 さてどれでしょう? ちなみにあたしの答は、土屋センセイと同じでしたのよ。
 その他、「不可解な命令」「自分を説得する方法」「意外な結果」「卒業生に贈ることば」などが、土屋センセイらしさ爆裂で好き。でも「卒業生に贈ることば」なんて、既刊の全部に収録されてるんじゃないかってくらい、同じ様なネタを何度も使ってませんかコレ。いや、何度読んでも面白いからいいんだけどさ。
 しかし、このコラムの連載中にあの同時多発テロがあったわけで、その頃と思しき回でも例によってフザケ倒しているあたり、極めている。 (02.7.5)
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絶対零度・本岡類(講談社)

 覚醒剤常用者による殺人事件が起こった。弁護を依頼されたのは橘法律事務所のイソ弁・山岡。彼が被疑者に接見して話を聞くと、クスリをやったあとに「オヤジ殺しゲーム」なるものをやったという。そのゲームで彼は「オヤジに殺されて」しまい、それがトラウマとなって、「殺される前に殺せ」とばかりに殺人に走ったというのだ。それが本当なら、そんなゲームこそ糾弾されるべきだが、果たして実在するのか? ヤク中の妄想だと周囲が笑う中、山岡は調査に乗り出す……。
 PTSD、トラウマがテーマとなった一作。被疑者の青年は人為的に作られたトラウマにより殺人に導かれるわけだが、この物語に登場する人々は、誰もが心にトラウマを抱えている。主人公である山岡自身も、息子がイジメに遭っているのに気づいてやれず、みすみす息子を自殺させてしまった過去を持つ。そのショックからいまだ立ち直れずにいるのだ。そんな主人公が、調査の途中で出会った『容疑者』もまた、ひきこもり経験があったり、摂食障害の過去を持っていたりする。
 病んでいる、と一言で片付けるのは簡単だし、この手の「病んでいる」人々が多く登場する小説も、正直言って辟易するくらい出ている。普段なら、実社会が病んでるのだから、小説世界くらいは病んでないのを読ませてくれよという気がするのだけれど、この物語のように、その「病み」を真正面から描いて闘おうとしているものには好感を持つ。陳腐と言わば言え、病んだまま終わる話なんて、身近にゴロゴロしてるんだもの。
 自らのトラウマと闘う人々。その戦い方はそれぞれ異なるが、互いに痛みを持っている人間同士だと言うのに、分かり合えないのは読んでいて辛い。そんなジレンマの中、次第に明らかになっていく「オヤジ殺しゲーム」の実態。そして、それが大詰めに差し掛かった時、状況は一変する。
 うーん、なんか最後に来て、いきなり芸風が変わったような違和感があるんだよなあ。いや、確かに「クライマックス」とも呼べるんだけれど、こういう終わらせ方をしますか、とつっこみたくなるような。トラウマを抱えたモノ同士が分かり合えないのは辛い、と書いたけども、こういう方向に果たして心理が向くものなのか。リアリティを持って読んでいただけに、このラスト近くでの「容疑者」や千鶴の心理状態には少々着いていけず、結果として戸惑いが残ったのだった。 (02.7.6)
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鏡の中は日曜日・殊能将之(講談社ノベルス)

 鎌倉に建つ梵貝荘は、法螺貝を意味する館である。そこに住むのはフランス文学の権威・瑞門。学生や教授、評論家、弁護士、俳優、そして名探偵がそこに集ったある夜、惨劇が起きた──。
 というのは、作中作のお話。無論、その「梵貝荘事件」の謎解きもあるのだけれど、やはりメインは、その前後の章建てである。まず、「ぼく」の視点から描かれる、なんとも不可解な章が登場。不可解といっても、そこに描かれている話はどういうものなのかは良くわかる。ただ、これがこのあとどうなるのか、これがどんな意味を持ってくるのかが不可解なのだ。おまけに、合間合間には何だか意味深な太文字で、別の話が挿入されてたりするし。ちょっと長めのプロローグとも言えるし、これだけで短編になってるとも言える。
 そして第2章でこの「梵貝荘事件」が登場し、現実と入れ子になって紹介される。この「梵貝荘事件」という物語は、作家・鮎井郁介描くところの名探偵・水城優臣シリーズ最終作と言われているのだが、連載が中断されたまま上梓される気配がない。ファンである石動戯作は連載再開を楽しみにしていたところ、この「梵貝荘事件」は実は現実にあった事件であり、作中の名探偵の推理は間違っているという話が飛び込んできた。真相を探ることになった石動は……という話。
 そして、それが3章で「ええっ」というアクロバティックな着地を見せるわけで、ああ、これは面白いっ。贅沢っ。そして何より、巧いぜっ。
 なんかねえ、何をとってもネタバレになりそうで何も言えないのだけれど……ひとつひとつは小ネタなのに、それが物語全体を構築する上でのバランスが絶妙、とでも言う感じなのかなあ。そのネタが本来持っているインパクトや意外性を、何十倍にも何百倍にも感じさせる構成のテクニックを持っているという感じなのだ。
 無論、この作家の作品ってのは、表面的なところだけを読んでああだこうだ言うのみならず、綾辻行人作品へのオマージュだとか、本格ミステリが内包している問題点だとか、はたまたコレがアレのメタファだとか、そういう要素は多分にあるのだろうけれど、個人的には「難しいことはさておき、これだけ面白いんだからいいじゃん」という考えである。実際、唸りますよ、この構成の妙には。テクニシャンだなあ。 (02.7.8)
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樒/榁・殊能将之(講談社ノベルス)

 薄っ!──しかし、中身はシャープにして切れ味ばっちり。2編の短編が収録されてるけれど、両方で一作品と見なすべきかも。どっちも密室ネタなのだけれど、いやあ、いいなあ。収録されているのは、【樒】【榁】の2編。肝心の密室トリックは、シンプルにして秀逸。新味はないけれど、見せ方なのよね、要は。こういうシンプルなものは、妙な枝葉をつけてダラダラ膨らませるよりも、このあたりの長さで切れ味良く出してくれた方が格段にいい。
 【樒】では、作家・鮎井郁介と名探偵・水城優臣が四国の温泉に行くところから物語は始まる。天狗伝説の残る田舎町。その温泉旅館で起きる密室事件。天狗を見た、という宮司に、ゴルフ場建設を企画する不動産業者などなど、道具建ても妖しさ満点。
 【榁】は、同じ旅館を舞台に名探偵・石動戯作が登場。ただし、時代はそれから二十年が経過している。このあたりの趣向が巧いのよねえ。こちらも密室トリックそれ自体は極めてシンプルなんだけども、全体のバランスがすごく良くて、ホントに「鮮やか!」「シャープ!」という読後感。綾子ちゃんの変化に驚きつつも(笑)、細かいお遊びまで堪能できる。読後感も爽やかだし。
 いろいろと手を替え品を替えの新趣向がかびすましい本格ミステリ界だけど、こういう真っ向勝負で「読ませる」ものってのは、やっぱいいのよ。真っ向勝負だけなら、他にもたくさん作品はあるけれど、やはり「真っ向勝負」で「パズラー」だと、今や「読ませる」のは、なかなか難しくなってきてる。そんな中、この連作の趣向は実に秀逸。
 ああ、それにしても──
「鏡の中は日曜日」を先に読んでおいてよかったあ。これ、未読の人は順番に気をつけて下さいね。こっちを先に読んでしまうと、「鏡の中は日曜日」の面白味が半減しますよ。
(02.7.8)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

未熟の獣・黒崎緑(小学館)

 早朝の公園で女児の死体が見つかった。発見者はジョギング中の男性と散歩中の主婦。女児は手に「1+1=」と書かれた紙を握っていた。そしてまた数日後、別の女児がいなくなり……。被害にあった女児の共通点は? え? 苗字が難しくて読めないって、それが共通点なの?
 うわあ、黒崎緑、久々の長編ミステリだあ。わくわく。
 独身の女性作家・桂木まゆみの視線で語られる章が中心だが、合間合間に、「公園デビュー」をしたがっている主婦・貴子や、犯人らしい人物など、他の登場人物の目線も混じる。それがまた、まゆみには知り得ない情報を読者に提示するとともに、緊迫感を盛り上げていて効果的。
 独身の女性作家、その恋人、隣りに住むオタク、すっかり母親になってしまった旧友、公園に集うお母さんたちひとりひとり、被害に遭った子供、人気の子供タレント、そのマネージャーなどなど、主人公も脇役もひとりも疎かにせず、きちんと書き込まれている。さすがだ。それで一気に厚みが出ている。先に母親になってしまった旧友の変化なんて、すっごくリアルだし。それに何と言っても、3番目の事件についての犯人の独白(←すごく気を使って表現してます(笑))なんて、怖いぞ〜〜〜。メチャクチャ怖いぞ〜〜〜。
 とにかく展開がスピーディ。次から次へと新しい情報は出てくるし、その度に状況は変わるし怪しい人物も変わるし。「あ、これって伏線だったんだ!」という驚きや、「くぅ、これ、怪しいと思ったんだよなあ。こういうことかあ」とノタウチ回る悔しさなど、本格ミステリの醍醐味は充分だ。道具建ても、ダイイングメッセージに手首のない死体、ミッシングリンク。またその、ひとつひとつがすごく良く練られてて。こんなネタ、ひとつの話の中で全部使っちゃうの、もったいない。
 その「もったいなさ」が、問題なのかもなあ。色々な要素がたくさん入っているのに展開がスピーディなため、じっくり味わうというよりも「うわ、うわ」と驚いているうちに話が進んでしまうのだ。細かい要素ひとつひとつがすっごく考えられてて、ちゃんと伏線もあって、キレイに騙してくれてるにも関わらず、全体の印象が散漫になってしまう。驚きは大きいけどカタルシスが少ないのだ。個々のパーツはすごく面白くて、のめり込んだり感心したりしながら読んだのだが、最後まで読み通した時に、「読んでる最中以上の満足感」が出てこない。各章、各場面を読んでるときが一番面白かった。そこがちょっと残念かな。ホントに驚いたんだけどなあ。 (02.7.9)
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聖の青春・大崎善生(講談社文庫)

 広島生まれの村山聖(さとし)は、5才のときに腎ネフローゼを患う。以来、入退院を繰り返す日々。そんな中で彼が出会ったのは将棋だった。ベッドの上で、独学でめきめき力をつけ、小学校6年生で既に県内には敵無し。その頃、将棋界には谷川浩司という天才が現れ、聖は「いつか谷川を倒す」と決心するのだ。中学に入り、森信雄との運命的とも言える師弟関係のもとに、奨励会入会。順調に昇級、昇段するも、27才で膀胱癌を発症。羽生善治・谷川浩司らとの、歴史に残る対局を披露し、29才で夭折。
 単行本出版と同時にベストセラーとなり、ドラマ化、漫画化もされた有名なノンフィクションが、ついに文庫化された。
 もう、後半は泣きっぱなし。タイトルはダサいし、章タイトルもなんだか大上段に過ぎるし、よくよく考えたらかなりハタ迷惑な彼の性格も「病気と闘っているが故の、命に対する優しさ」みたいに書いてあったりして、こういう浪花節的ヒーロー扱いって鼻につくのよねえと思いながらもボロボロ泣いてるんだから、何をか言わんや、だ。ええ、泣きましたとも。
 とにかく凄絶なのだ。将棋しか見ない、将棋しか考えない。30万円もの対局料が入った封筒を床の上に投げ出してるかと思えば、友人にタクシー代を貸すのを嫌がる、かと思うと阪神大震災の時には破格の義援金を出す。具合が悪くなったと言って広島から大阪、東京まで母親を呼び出し、2日もすれば「邪魔だから帰れ」という。髪も爪も切らず、風呂にも入らない。一種、奇形とも言えるような性格、行動だ。しかし、その軸にあるのは将棋で、すべては「名人」になるためなのである。
 疲れすぎると、もう体が動かなくなる。トイレに立つ体力すらも温存するために、ペットボトルに用を足す。自分が死んでいないということを確認するため、水道から水滴を落としてその音を聞き続ける。両親の献身的な愛、弟子のパンツを洗う師匠。アパートを出たところで倒れてしまうことが多いため、近所のおじさんが毎朝見に来て、倒れた聖を車に乗せて、将棋会館まで連れていく。このおじさんが、聖の没後にそのアパートに住んだ弟弟子に向かって「ここにすごい棋士が住んでたんだぞ」というシーンなんて、もう泣けて泣けて……。
 彼のいた大阪の福島駅から大淀界隈は、あたしも住んだことのある場所だ。もう一度、あの町を歩いてみたくなった。 (02.7.10)
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猫と魚、あたしと恋・柴田よしき(イーストプレス)

 女性を主人公に据えた、ノンシリーズの短編集。あとがきに「この作品集の中の女性は、みんな少しずつ壊れています」とあって、「う〜ん、いっちゃったオンナのサイコな話なのかな? ちょっと苦手だなあ」と思ったのだが、あにはからんや、リアルで等身大。壊れ方もリアルだ。やはり女性を書かせると、巧い。
【トム・ソーヤの夏】小学校の頃の友だちが殺された。葬儀に出るために久しぶりに実家に戻ったら──。小屋の中で抱きしめられても、「男の子と女の子」だから何もない、という場面が秀逸。
【やすらぎの瞬間】万引が止まらない女。何故彼女は盗みを繰り返すのか? ラストがたまらない。ハッピィエンドにして欲しかったのに。でも、この結末以外あり得ないよね。
【深海魚】あたしと勝久は愛し合う運命なのだ。なのに勝久は間違った道を選ぼうとしている。あたしたちが愛し合うのは義務なのに──うわあ、出た(笑)。この手の壊れた女の独白はホントに怖いよなあ。
【どろぼう猫】久しぶりに再会した友人はバツイチ。ところが彼女の家で──。淡々と進む女同士の物語かと思いきや、最後のひっくり返しがトリッキー。
【花のゆりかご】近くに住む、花作り名人のおばあさん。彼女に教わって私も花を植えてみたが──。本格ミステリと言ってもいいような一編。
【誰かに似た人】ミル子の恋人が他の女性と一緒の写真を持っていた。それも、ミル子にそっくりの顔で──。当然想像できる結末のはずなのに、考えつかなかった。誘導が巧いってことだ。
【切り取られた笑顔】
「1998ザ・ベストミステリーズ」所収。インターネット絡みで起こる悲劇だけど、原因を作ったあの人物、こうなる前に一度くらい話す機会はなかったのか。
【化粧】「蜜の眠り」所収。女は死ぬまで女、というのがテーマなんだろうけど、そんなテーマなんかぶっとばすくらい、ラストが切ない。
【CHAIN LOVING】睡眠障害の私。眠るためには「片想い」が必要で──。印象に残ったフレーズ。「最初に岩倉、という名前がわかり、それが岩倉けんじになって、最後にやっと岩倉健二になった。そうやってその青年のことが少しずつ『自分のものに』なった気がしてうれしくて、うれしい、と思った途端に片想いを始めていたのだ」──巧い表現だなあ。
(02.7.11)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

君の夢 僕の思考・森博嗣(PHP研究所)

 これまでの森作品の中から、印象的なフレーズを抜き出し、それに著者撮影の写真と簡単なメッセージをつけた企画モノ。いわば、語録、ですね。
 ああ、これはいいなあ。森作品のファンの中には、そのトリックや物語やキャラクターのファンの他に、あの透明感溢れる文章、独特のメタファ、新鮮な視点、無機質に見えて優しい文体などなど、要は表現手法のファンという人々が確固として存在する。あたしもそのひとりで、トリックやキャラの名前は忘れても(おいおい)、どの話にも「忘れ得ぬフレーズ」というのがあったりするのだ。だから、物語やキャラクターという修飾をはぎとって、ただ文章だけを味わうことのできるこの企画は、すごく嬉しい。
 小説の中に同じフレーズが登場したときは、誰それのセリフだったり、前後の情景などがあったりして、そのフレーズの意味というのは良くも悪くも限定されてしまう。それを言ったのが萌絵なのか犀川なのか練無なのかでも、印象は左右される。殺人事件の最中で言ったのか、研究室での雑談なのかでも意味は変わってくる。でも、そういう前後の文脈や誰が言ったかなどをとっぱらって、ただ文章だけを提示されれば。読者は自分で咀嚼し、アレンジできる幅があるんだよね。この手の本は、そこに意味があるのだ。「摩擦」なんて、いい言葉だよなあ。「嫌い」なんて、痛みを伴いながら滲みて来るよ。
 ただ、唯一の不満と言えば。某作品に出てくる、あたしが最も好きなフレーズが、ここに収録されてないんだよね(笑)。ただ、そういう感想を持ったのって、あたしだけじゃないと思う。つまるところ、こういう「語録」ってのは、読者一人一人が自分で作ってみるのが一番面白いのではなかろうか。別に森作品に限らず、自分の読んだ様々なものから、好きなフレーズを集めてみる──そういうのって、結構、あとで効いてくるよ。実は、あたしも高校時代にその手のノートを作ったクチで(笑)、いまだにそのノートは宝物だもの。 (02.7.12)
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聯愁殺・西澤保彦(原書房)

 OL、梢絵はある日、帰宅するなり暴漢に襲われる。反撃して何とか一命をとりとめたものの、犯人は逃走。しかし、犯人が残していった手帳には、巷を騒がせた連続殺人事件の被害者の名前が書かれていた。一見、何の共通性も見られない4人の被害者──医者・小学生・老人・OL。彼らが選ばれた理由は何なのか? そして犯人は今、どこに? 推理集団『恋謎会』の推理合戦が始まる!
 タック&タカチシリーズを彷彿とさせるような、推理合戦である。ストーリーは?と聞かれると困ってしまうくらい、「ただ、みんなが順番に推理を披露し合う」という、著者お得意のパターン。それだけに、ずっと目先が変わらず、読者を引っ張っていくのはなかなか難しいと思うんだけど、そのあたりはサスガに飽きさせない筆力である。
 梢絵は、「どうして自分が狙われたのかを知りたい」という理由で『恋謎会』に話を持ち込んだわけだが、話は当然ミッシング・リンクが中心になる。この被害者4人に何か共通点はあったのか、一見、何の関係もない4人だけれど──という話なのだが。おいおいおい、ちょっと待てよ!
 被害者の名前は最初の方で出てくるのでここに書くが、架谷耕次郎・矢頭倉美郷・寸八寸義文・一礼比梢絵──これを見て、どうして「共通点は何だ?」と悩む必要があるのだ。苗字が珍しい、というあからさまな共通点があるじゃないかああ!──ぜえぜえ。なんで誰もそれに触れないんだよお。おまけに犯人も珍しい苗字で、だったら名前に何かトラウマがあるのでは、くらいの想像はするだろう普通。
 実際の所は、西澤作品の登場人物は珍名さんばかり、というのはお約束なので仕方ないのだけれど……でも、なぁ?
 それはさておき(おきたくないけど)、実際の推理の方は。少々無理矢理な気もするし、キレイに腑に落ちるといわけではないけれど、別にこんな理由で警察が起訴に踏み切るというわけではなく、ただ素人が想像で推理を披露してるだけなんだから、オッケーか。しかし、このエンディングはなぁ……。論理パズラーという体裁がずっと続いてきた最後で趣向が変わった気がして、ちょっと読後の印象がふらついてしまうのだけれど。おまけに伏線もけっこう分かりやすく書いてあるし。最後まで論理で攻めて欲しかったところ。ま、個人的な好みの問題ですが。 (02.7.12)
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