奥様はネットワーカ・森博嗣(メディアファクトリー)
舞台は某国立大学工学部。教授、助教授、助手、秘書、図書室司書、隣の学科の助教授という六人が登場。それぞれの思惑を胸に、それぞれの視点で物語は進む。おりしも、学内では傷害事件が起こっており、この六人の登場人物たちもまた……。
また、つかぬことをうかがいますが…・ニューサイエンティスト編集部(ハヤカワ文庫)
つかぬことをうかがいますが…に続くパート2。副題は「科学者も居留守を使う98の質問」である。どういう本かというと、パート1の感想で書いた説明をそのままコピーするけど、
《イギリスの雑誌「ニューサイエンティスト」の巻末頁に連載されたQAのコーナーをまとめたものだが、質問する方も素人なら答える方もさまざま。つまり、質問に対してメールで解答を寄せるという企画なのだ。従って、一つの質問に複数回答あり、食い違う回答あり、おふざけあり、間違いあり……(笑)。なるほどと感心したり、けけけと笑ったりしたあとで、「で、真の正解はなんなんだよぉぉぉ」と悶絶することしきり。ま、どうやら大部分の回答は「ほぼ正確」なようですが。》
というシロモノなのだ。
80年代、文壇でアイドルとなった8人の作家を取り上げ、彼らをアイドルにしたものは何だったのか、マスコミは彼らをどのように評したかを論じた《文学論》論、《作家論》論である。
詩歌の待ち伏せ(上)・北村薫(文藝春秋)
国語教師でもあった著者が、「詩歌とは、思わぬかたちで出会うもの」という詩歌との出会いを「詩歌の待ち伏せ」と題し、綴ったエッセイ集。確かに詩歌とは「待ち伏せ」されるものだ。小説を選ぶときのように、著者の名前やシリーズで1冊買って最初から読んでいく、というものではなく、何かの本の中で・教科書で・テレビドラマのセリフで・どこかで引用されて──そういう出会い方をするのが、詩歌なのである。だからこそ、印象に残る。この場面にはこの詩歌、というものが、人それぞれに生まれてくる。
母親が父親を刺し殺す現場を目撃した8才の少年。それを警察に証言したことがトラウマとなったまま、彼は成長して作家になる。そんなある日、彼のもとに、夫殺しの容疑者として裁判にかけられている女性から「冤罪を晴らして欲しい」という手紙を受け取った。曽我が、その女性の弁護士に連絡をとってみると──。
名探偵はもういない・霧舎巧(原書房)
昭和四十×年。旅行中の犯罪研究家・木岬研吾と、彼に心酔している義弟の敬二は、大雪の中で「すずかけ」というペンションに宿を取ることにした。そこにいたのは、客もスタッフも一癖ありそうな人物ばかり。そこで事件は起きる──。
氷の女王が死んだ・コリン・ホルト・ソーヤー著 中村有希訳(創元推理文庫)
高級老人ホーム《海の上のカムデン》にやってきた新入り・エイミーは何とも高ピーでイヤな女だった。人を顎で使うし偉そうだしワガママだし……あっと言う間に嫌われ者になってしまったエイミー。ところが、そのエイミーが死体で発見される。さあ、アンジェラとキャレドニアのおばあちゃん探偵コンビの出番だ!
事故係 生稲昇太の多感・首藤瓜於(講談社)
生稲昇太は交通課の事故係に勤務する若い警察官。上司である見目とコンビを組み、交通事故などの処理に今日も奔走する──。
ミスティー・レイン・柴田よしき(角川書店)
恋に破れ、会社をやめた茉莉緒は、偶然テレビドラマのロケ現場に遭遇。そこで、そのドラマに出演している若手俳優と出会う。後日、映画のエキストラのバイトに出かけた茉莉緒は、その俳優・雨森海と再会。しかし、その撮影現場で殺人事件が起こった──。
劫尽童女・恩田陸(光文社)
【ZOO】は、伊勢崎博士を追っていた。彼を捉えるために各地に【BUG】を放ち、博士の捜索をしていたのだ。そしてついに、長野の別荘地に博士がいることを突き止める。博士のもとには、子供が一人いるはずだ。【ZOO】のメンバーである【ハンドラー】は別荘に近づいた。彼は昔、博士の妻を拉致しようとして失敗した経験があったのだ。今度こそ失敗はしない。彼は作戦を練り、別荘の周囲から調べ始めた。ある操作により能力が格段にアップしたシェパード犬・アレキサンダーと共に……。
うわあ、とにかくこれは読んでて楽しい本。それぞれの視点で語られる章がどれも短くて、テンポよくクイクイ読めるというのもあるけれど、コジマケン氏によるイラストの力って、大きいなあ。登場人物紹介はもちろん、各人物の視点の章の頭に、それぞれイラストがついてるというサービスぶり。それがまたすっごく可愛いもんだから、傷害事件だのなんだの、物騒な話を読んでるような気がしない。むしろ、ファンタジーや童話を読んでる気分で、ワクワクしちゃうような作りなのよね。
物語の方は──正直、《トリック》に関しては、ある程度ミステリを読み込んでる人なら、かなり早い段階で見当がつくと思う。「あ、これはあのパターンだ!」と判断できる条件が、かなりハッキリ出てるから。あまりにも分かりやすいので、「いやいや、これはミスディレクションで、更に捻ってるかも……」と心配になるくらい。でも今日日、予想通りの犯人だったってのが一番「意外な犯人」かもしれんなぁ。
ただ、この物語の場合、《トリック》に見当がついても、それで面白さが損なわれるワケじゃないってのが良いところ。寧ろ、シンプルに徹したが故に、この物語が持ってる《世界》がはっきりしてきた効果がある。一人一人にちょっとずつ感情移入できるストラクチャと、それをさらに手助けするコジマケン氏のイラストと、森氏特有の飄々とした文章、そして叙情溢れる詩編、こういったものが相俟って、《●●ワールド》を作り上げてる感じ(●●の中には、スージィでもホリでも好きな言葉を入れよう)。実際、ネタが割れても、何度も何度も再読できるよこれは。
とにかく、これは森博嗣・コジマケンの合作と言ってしまってもいいくらい、不可分な作品。例えば、これが「すべてがFになる」の漫画を書いた浅田寅ヲ氏のイラストだったりすると、トリックのシンプルさが物足りなく思えると思う。いやいや、堪能させて戴きました。
(02.8.22)《この本の詳細情報&注文画面へ》
今回は、前に比べると「うわあ、これあたしも前から不思議だった!」「うわあ、そういうことを疑問に思うって凄いなあ」というのが少なかった。「良い子の科学Q&A」的になってきちゃったかな。だからと言ってつまらないという意味ではなく、「おっ」と思う質問はたくさんある。曰く「スカイダイビングをしながら、キャッチボールはできるか?」「ピーマンの隙間を満たしてる成分は何?」「羽虫が土砂降りの中でも雨に叩き落とされずに飛べるのはなぜ?」などなど。
あたし自身が体験して前々から不思議に思っていた現象が2つ、扱われてたのが嬉しい。ひとつは、「ボールは回転の方向によって球道を変化させられるけど、ビーチボールだと逆になるのはなぜ?」というもの。バレーボールで変化球サーブを打つときのテクニックが、ビーチボールでは通用しないのが前から不思議だったんだけど……実はこれを読んでも今イチ分からない(笑)。もうひとつは、ミネラルウォーターをレンジで温めると、レンジから出したあとで沸騰を始める理由。うん、勉強になったなあ。
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文壇アイドル論・斎藤美奈子(岩波書店)
俎上に乗せられているのは、文学バブルの象徴として村上春樹・俵万智・吉本ばなな。女の時代として、林真理子・上野千鶴子。そして「知のコンビニ」として立花隆明、村上龍、田中康夫。おおお、こうして書いてみると、まさに80年代だあ。80年代の文壇って、確かにこの8人で語ってしまえるような気がするぞ。
それぞれの評が、さすがに鋭い。80年代に学生時代を過ごした世代として、ここらの作家の作品ってのは黙ってても目に飛び込んできていたが、それぞれを読んだときの「引っかかり」「印象」を、20年たった今になって著者に明文化して貰えたような爽快感がある。或いは逆に、ずっと気になっていたことを、初めて「言ってくれる」人が出てきた、という嬉しさか。
中でも、吉本ばななとコバルト文庫の類似性については、快哉を叫んだ。そうよ、そうなのよ。コバルトは70年代終わり頃から「少女小説家」の作品が主流になり(それまでは富島健夫とか佐藤愛子が書いてたんだぞ!)、それを読んだ世代は吉本ばななを読んだときに「あっ、コバルトだ!」と思ったものなのよ。ああ、初めてそれを指摘してくれた評論家がいたぁ(感涙)。
村上春樹を喫茶店に例えた技も見事だし(その喫茶店は後に巨大ゲーセンへと変貌を遂げる)、俵万智がウケた理由として「スーパー・コンサヴァ娘」の需要を説く。「女の時代」に取り上げた2人の対称性、「知のコンビニ」の3人の変貌は、いずれも目からウロコだ。作家が、作家以外のものになっていく、その裏にあるもの。作家以外のものが作家になる、そこに生まれるもの。作家と社会の関わりは、ことほど左様にシビアなのだ。それでも「発信」し続ける作家たち。
実は、ここに登場した8人の作家のうち、ただ一人だけ、あたしが1冊も読んだことのない作家がいるのだ。林真理子である。作家としてよりも、論争だなんだでメディアに露出するのを見て、なんとなく「この人の小説を読みたい」とは思わなかったのだが、ここで論じられてる林真理子論を読むにつけ、「何はなくとも、《ミカドの淑女》だけは読まなくちゃ!」と思った次第。作家論・作品論というのは、何はともあれ読者をして「その本を読ましめる」ことができなければ、魅力も意味もない。そういう観点からも、斎藤美奈子の評論というのは、人を動かす力を持っているのである。
(02.8.23)《この本の詳細情報&注文画面へ》
印象に残ったのは、佐佐木幸綱の短歌《サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず》だ。北村薫は、「セロリ」という題材の効果や、これを「セロリを噛んでいる女性」の側から見たらどうか、という分析をしている。しかしあたしは、この短歌をたまたま、前の日「文壇アイドル論」で目にしていたのだ。俵万智の《この味がいいねと君が言ったから7月6日はサラダ記念日》は、《サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず》と同じ系譜ではないか、という文脈で。それを翌日また見たわけで、これぞ《詩歌の待ち伏せ》と言わずしてなんとしょう!
短歌だけではなく、芭蕉から石垣りんまでと実に幅広い。アロオクールの「別れの歌」があったかと思えば、小学生の書いた詩が紹介されたりもする。なるほど、これだけのものに出会うには、待ち伏せされるのを待つよりも、こういう手引き書代わりのエッセイがあると話が早い。
色々な詩歌の例を出すたびに、基礎知識を詳しく解説することをせず、「これくらいは当然の前知識として知ってて頂戴よ」という書き方は相変わらず。詩歌に興味のない人を引っぱり込む類の本ではなく、既に詩歌好きの人の「詩心をくすぐる」本と言える。
それにしてもこの手の本って、知らない詩歌に出会ったときよりも、知ってる詩歌が出てきた時の方が嬉しいのはどうしてなのかな。「おや、こんなところでお会いするとは」という気持ちになっちゃうのよね。
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目撃・深谷忠記(角川書店)
おおお、緊迫! パズラーとリーガルサスペンスのいいところが巧く融合している。冤罪を証明する過程で出てくる新事実に息を呑み、「ああ、そういうことだったのか」と膝を打つ快感。
細かいところをとってみれば、関口夏美が不倫相手の名前をどうしてあそこまで隠し通そうとしたのかとか、曽我の記憶に関してももう少し伏線が欲しかったなあとか(いや、あるんだけど)、ものすごく大事な手がかりが出てくるのが遅すぎないかとか、不満がないわけではないのだけれど、そういう細かいところは吹っ飛ばしてくれるドラマ性と、緻密なまでに構築された情報の強さがある。
現在進行中の《夫殺し》の裁判と、39年前の《夫殺し》をリンクさせて紡いだあたりの手法が見事。正直、過去の事件の方は、けっこう見当がつけやすくて「意外性」という点では弱いのだけれど、二つの事件を並行して描くことによって、対比がより一層クリアに浮かび上がるのだ。
真相はこうだった、というのが分かった時点で満足するのではなく、2つの事件の類似点と相違点をよくよく噛みしめたい。特に、現在の事件の方の「後味の悪さ」を噛みしめたいのだ。いや、事件そのものの後味の悪さということに関して言えばどっちもどっちなのだけれど、現在の事件の方には、過去の事件と比べて決定的な違いがある。それが何かを、敢えて登場人物には知らせないで物語は終わる。知っているのは、《当人》と読者のみ。
事実とは、いったい何なのか。事実を証明するとは、いったいどういうことなのか。事実と真実の違いとは何なのか。そういう事を考えさせられる力作。
(02.8.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》
もう、ケレン味たっぷり稚気たっぷり、という感じ。冒頭の《登場人物紹介》は罫線のみの空欄。「事情があって、ここに登場人物の名前を列記することができません」ときたもんだ。だったら最初から登場人物紹介欄なんか作らなきゃいいじゃん、なんて言ってはいけない。これが遊び心であり、盛り上げるための趣向なんだから。おまけに目次も、まぁ本格好きの心をくすぐってくれるような語彙があちこちに。この著者の作品は初体験なのだが、こういう遊び心満載のパズラーには、なんだか読んでてニコニコしてしまう。物語世界に入ってハラハラドキドキするよりも、なんだかパロディやメタ作品を読んでるような気分で読み進んだ。
一言で言えば、コードに乗っ取りながらも遊び心を散りばめた、といった作品か。細かい手がかりを前にしての推理シーンに、かなりのページが割かれている。どんぶりの数がどうしたとか、ハンガーの向きがどうしたとか、椅子の跡がどうしたとか(笑)、つまりはそういう、「いかにも!」というようなエピソードが続けざまに検証されるわけで、ここが楽しめるかどうかが、この物語を気にいるかどうかの境目になりそう。
示された事件の真相は、これもまた「いかにも」本格推理である。いや、それを言うなら作品の全てが「いかにも」本格推理で、「いかにも」過ぎてパロディみたいに見えるくらい。でも、ちゃんとサプライズがあって、絵に描いたような伏線の回収があって。一旦は裏切られたように思えた部分に、ちゃんと救いがあって。新味はないけれど、なんだか「古き良き」って感じがして──著者が楽しみながら「古き良き」を作り上げた気がして、うん、これはあたし、けっこう好きよ。
ただ、ラストにちょっと思わせぶりな文章が出てくるのだが、これは著者の他の作品と何かリンクしてるのかな? こればっかりは読んでないので分からない。それによって、この作品の真相が大きく変わってきたりしたら厄介なので《お薦めマーク》は保留するけれど、年季の入った本格好きなら、楽しんで読めるんじゃないかな。
(02.8.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》
ミステリという見地から見ると、シリーズ1作の「老人たちの生活と推理」より数段こなれているし、伏線もその収集もなかなかにキレイだし、エピソードにもムダがない。だけど、それが逆に、1作目の魅力を半減させちゃってる気もする。何より、探偵役のおばあちゃんが2人になっちゃったっていうのがなぁ……。
おばあちゃん探偵と言えば、何はなくともミス・マープルで、日本には(というか名古屋には)やっとかめ探偵団がいる。このアンジェラとキャレドニアは、間違ってもミス・マープルのタイプではなく、やっとかめ探偵団のそれなのだけれど、いかんせんおばあちゃん二人だけで、それも良く似たタイプの二人ということになれば、探偵役の魅力としてはパワー半減と言わざるをえないのである。やっとかめ探偵団みたいに、いろんな個性のおばあちゃんたちが、その個性を生かして情報収集し推理する、というパターンの方が読んでて面白かったのよね。これだと、他の探偵モノと差別化が図れないのだ。ただ、ちょっと体力がないってだけで。その上、お年寄り探偵ならではの、っていうのも薄くなっちゃったし。いや、そういう箇所もあるにはあるんだけど、推理のための材料としてしか使われてなくて、前作のような「老いることの切なさ」のようなものが消えちゃってるのだ。
もちろん、前作を知らずにこれを最初に読むなら、充分満足できるし、パワフルなおばあちゃん探偵を楽しめることは間違いない。「ああ、こんなところに伏線が!」という驚きや、「へえ、こりゃ一本とられたぜ」という快感も、ちゃんとある。いや、寧ろ前作よりもその度合いは強いくらい。双子のおばあちゃんのエピソードなんか、いかにも本格ミステリファンが好みそうなやつで……そういう意味では、シンプルにしてキレイなミステリなのよ。ただ……前作のおばあちゃんキャラが面白すぎたのが裏目に出ちゃったなあ。
(02.8.27)《この本の詳細情報&注文画面へ》
そんな昇太の出会った事故や事件が、5章に分けて書かれている。この中の2つは、これまでアンソロジーにも収録されている(日本推理作家協会(編)「ザ・ベストミステリーズ」の2001年版に【交通課事故係】、2002年版に【物証】)くらい独立性の高い物語で、連作短編集と言えなくもない。が、中には「話、終わってないじゃん」というような章もあり、どうにも構成が掴めない。
その最たるモノが第2章の【現行犯逮捕】と第3章の【新年会】だ。この2章は続いていて、まるで前後編のような作りなのである。でもって、最初に起こった事件はどうにも後味の悪い決着を見せ、それに対峙する昇太が次の章で描かれるのだけれど、それもどうも、本来の事件とは別のところで解決されちゃった感があり、どうにもスッキリしない──と書いて気が付いた。これは警察小説ではあるけれど、ミステリではないのだ。事件が起き、それを解決するという体裁から、あたりまえのようにミステリだと思ってしまうが、そもそも警察という職場はそれが日常の仕事なのであって、ことさら「謎解きだ!」「真相だ!」と張り切るようなものではないわけで。
ミステリーでなければ何だ、と問われれば、「昇太の成長物語」と言うしかないだろう。実際には、あまり成長してないんだけどね(笑)。思いこみで突っ走り、正義感に燃え、自分の信念以外は見えない。良く言えば熱い、正直に言えば考えの浅いはた迷惑な若造。そんな若造が、「デキる」先輩を目の当たりにしながら、怒り、走り、自分の浅さを思い知らされて落ち込み、でも次の日にはまた張り切る。そんな若くて半端な「交通課・事故係」の成長物語なのだ。
昇太自身がまだまだガキなのに対して、周囲のキャラがいい。アル中と噂される上司の隠れた姿、書類仕事ばかりとバカにしていた部署の先輩の思わぬ洞察、そういう「オトナ」に囲まれた若造が、自分をどう捉え、どう変わろうとするのか。そこにみどころがある。
(02.8.28)《この本の詳細情報&注文画面へ》
これまで何度か書いたけれど、あたしはこの著者の文章とは相性がいいのだと思う。とにかく、読まされてしまうのだ。ミステリとしての決着がどうかってのは最後まで読まないと分からないのだが、読んでる最中は実に気持ちがいい。話にスンナリ入れて、熱中してしまう。それはやはり、著者が得意とするリアルで等身大の女性たちの描写によるところが大きいのだろう。そして何より、話の流れにムダや無理がなく、しかしドラマやサスペンスは多分に含まれるという、その巧さだ。嘘臭さを感じさせない、リアルな物語。自分も体験しそうな──いや、こんな体験をしたいけど、実際にはなかなかできないような、そんな物語に、主人公と同性だの女性読者は惹かれるのである。
妙ないきさつで、カッコイイけどまだ売れてはいない俳優のマネージャーになってしまった茉莉緒。そして、その周囲で立て続けに起きる不穏な事件。またこの事件が、巧いタイミングで続き、その都度、マスコミを相手に煙幕を張ったり、新たな「引っかかり」が生まれたりして、読者を飽きさせない。テンポのいいドラマを見てるような感覚。加えてラストは、爽快にして見事。こういう決着しかないだろうと思ってはいたが、いざ、その通りに茉莉緒が行動するのを読むと、「うんうん、そうよね、偉かったね」と、なんだか友だちとして頭を撫でてやりたくなるくらいだ。すっかり作者の術中である。
ただ、残念なのは、はっきり言って、犯人が簡単に割れることかな。いや、動機だの何だのは推理のしようがないのだけれど、「だって、それを知ってるのってこの人だけじゃん」という、実にハッキリしたヒントが出ているのだ。おそらく、それは著者も承知の上なのだろう。それがバレたからと言って、話の面白さが大きく変わるわけではないし(そりゃバレない方が面白いけどさ)。その頃にはもう、読者の視点は「茉莉緒と海はどうなるのよぉ」という《恋愛小説モード》になってしまっているから。
(02.8.29)《この本の詳細情報&注文画面へ》
あまり書いてしまうとネタばれになるので、これ以上言えないのがツラい。とにかく、脳に対してある種の操作をされたために【超人】になってしまった子供がいて、【ZOO】ってのは、その子を追って抹殺・或いは捕獲しようとしてるわけだ。もう、これ以上はないってくらいの、《恩田SF》である。
恩田作品と言えば、以前、「六番目の小夜子」を読んだときに「これって、吉田秋生の「吉祥天女」どこかに似てる」と思ったものだが、今回も同じような印象を持った。「これって、吉田秋生の「YASHA」とどこかに似てる」──と。いや、決してパクリだとかそういう意味ではないので、そこんとこはくれぐれも誤解しないように。設定や話運びが、どこかこの2作に共通するものを感じるのよ。
閑話休題。
とにかく、その「子供」をめぐるドンパチがすさまじい。これは小説よりも映像にしたらすっごく盛り上がりそうなのだ。その「子供」は第2章では、どこぞのキリスト教系の施設に預けられるのだけれど、その施設は一見慈善団体のように見せながらも、ちゃんと伊勢崎博士の息がかかってるのね。【ZOO】が乗り込んできたとき、「子供」を庇ったのは、機関銃を持った××なのよ! うわあ、角川映画かよ!(笑)
とまれ、全編通して映像的であり、アクション満載。後半、舞台設定の面からも「子供」の能力の面からも、少々話がでかくなりすぎてしまって、展開が早すぎて大きすぎて、ちょっと乗り損ねてしまった感あり。外枠の変化に翻弄されて、肝心のこの子の内面が、上っ面だけで流れていくような勿体無さを覚えた。この倍くらいの長さを使って書いてくれてもよかったなあ。
(02.8.30)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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