お厚いのがお好き?


フライ、ダディ、フライ・金城一紀(講談社)

 鈴木は妻・娘と三人家族。47歳の平凡なサラリーマンだ。ところがある日、娘がケガをしたと聞いて慌てて病院へ向かう。そこにいたのは、娘に乱暴を働いた男子高校生・石原と、彼を庇おうとする教師たちだった。怒り心頭に発した鈴木は石原への復讐を計画、彼の高校へ乗り込もうとするが、学校の場所を間違えて他の高校に行ってしまう。そこで彼が出逢ったのは──。
 娘のために立ち上がる中年男の《青春》物語。彼の復讐に協力するオチコボレ高校生に従って、少しずつ自己改革を進めるというあらすじ。ちょっとデキスギなのは否めないけれど、このリアリティのなさが逆にエンターテインメントとして痛快な出来になっている要因とも言える。ツッコミどころは満載だけれど、それでもやっぱり読んでる最中はとても楽しいのだ。
 ただ、どうしても主眼が鈴木本人に向いてしまうので仕方ないのだけれど、妻と娘にとってはこの話はどうなのよ、という気がずっとしていた。最後まで読めばそれなりに説明もつくのだけれど、でも、これってかなり深刻な事態だよね。そんなとき、一家の主がこういうことにかまけてて、病院にも顔を出さない、妻と話をする時間もとらないじゃあ、妻や娘はどうなるのよ。いや、そこんとこも物語の中ではきちんと説明されるんだけど──それで納得できるかなあ、妻は。このあたり、やはり「男の話」あるいは「男にとって都合のいい話」という印象が残る。話そのものはとても魅力的で爽快なんだけど、ときどき「妻と娘は大丈夫なのか?」と心配になってしまう。ま、エンターテインメントだから、いいんだけどね。
 尚、この作品は、ここに登場するオチコボレ高校生たちが主人公の
「レヴォリューションNo.3」と表裏一体を為す話、或いは番外編といった趣。直接の関係はないので未読でも大丈夫だけれど、読んでると更に楽しめる。「レヴォリューションNo.3」の中には、【ラン、ボーイズ、ラン】という短編もあるし。山下君はやっぱりヒキが弱くて笑えるわ。 (03.7.11)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

プレシャス・ライアー・菅浩江(カッパノベルス)

 最初に言い訳めいたことを書くけれど、このお薦めマークは、SFというものを殆ど読んだことがない──新井素子くらいしか読んだことがない大矢による評価です。なんでこんなことをわざわざ断るかというと、著者の言葉にこう書かれてるのね。「SFとしては手垢のついたバーチャル・リアリティものであります。下手をすると笑われる」と。でも、あたしゃ読んだことないから、そんなの知らないわけだ。どんなに手垢のついた設定でも(例えば雪の密室みたいな)初めて読む読者にとっては、それは新機軸。だからSFを読み慣れた人にとっては、あたしの感想ってのは、思いきり的をハズしている可能性があるわけで。「外から出入りできない部屋に他殺体があるって? そんなミステリアスな設定、初めて聞いたよ!」てなもんです。だからSFの人がこの感想を読むと「思いきり間違ってるよ」と思うかもしれない。すみません。
 さて。
 金森詳子は、次世代コンピュータの研究所を主宰しているイトコの禎一郎に頼まれ、バーチャル・リアリティの世界でオリジナリティを探すというバイトをしていた。AIは発達したものの、それは現実をなぞることしかできないのか。現実と見まごうようなVRもあるが、だったら現実で充分ではないか──そう思いながらVRの世界を彷徨していた詳子は、不思議な少女に出逢う──。
 パソコンの専門用語なんか分かりませんよーと戦々恐々としつつ読み始めたのだけれど、10ページから11ページにかけての、身に覚えのあるコミカルな「コンピュータの発達」のくだりで一気に緊張が解けた。そのあとは、ただただストーリーに翻弄されるばかり。
 最初は詳子とシュガー一味との戦い、RPGさながらの世界、というノリで話が進むのだが、次第にその中にはとてつもないテーマが隠されていることに気付く。
「アイ・アム(I am)」にも共通するテーマかも。ネタバレになってしまいそうなのでダイレクトには書けないのだが、キーワードになっている「オリジナリティ」は、VR・現実双方に於けるアイデンティティの問題に集約されるのではないか。そして本書では一歩進んで、そのアイデンティティを作り上げているものが何か、という問題。
 ラスト間際の《喫茶店のシーン以降》からはもう、怖くて怖くて。即物的な恐怖ではなく、自分の来し方を振り返ってしまうような怖さ。自分がいかに無自覚でいたかを思い知らされるような怖さ。畳み掛けるような展開に心を奪われる。そしてその後に控えている《真相》は、読者の立脚点をも揺るがせる。
 あたしにはSFは分からないが、ここで詳子が体験した恐怖はわかる。見当違いかもしれないが、それでもド素人のあたしにも伝わってくる問いかけがある。読み終わって残るものは、考えさせられている自分。それこそ術中ではないか。ここまで自分を見つめさせられるとは思わなかった。SFって、おそぎゃあもんだなあ。これはお薦め。 (03.7.13)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

本格ミステリ03・本格ミステリ作家クラブ(講談社ノベルス)

 本格ミステリ作家クラブによる年鑑も3冊目。ちょっと薄くなってホッとした(笑)。ただ、これがホントに《2002年を代表する本格ミステリの短編群》かと問われると──どうもなんだかマイナーな印象なのだけれど。去年発表された短編ミステリって、他に印象的なのなかったっけ?
【凱旋】北村薫:伯父の回想録を読んだときの印象が、あることをきっかけに180度変わる──。さすがに「巧い」と唸ってしまう。地味だが、こういう驚きやカタルシスこそが本格ミステリの根底を為すものだと思う。
【彼女がペイシェンスを殺すはずがない】大山誠一郎:
e-novelsの犯人当て企画として発表されたもの。本家を読んだことがないのでパスティーシュとしてどうかは判断できないが、物語は「これぞ」といった観のある古き良き本格。
【百万のマルコ】柳広司:ジェノアの牢に収監された老人は、マルコ・ポーロと名乗り、ジパングでの思い出話を始める──。設定こそ「およよ」という感じだけれど、骨格は純然たるワンアイディアのパズラー。
【目撃者は誰?】貫井徳郎:「被害者は誰?」所収の一作。トリッキーな仕掛けはさすがで、これは拍手モノ。ただ、個人的な好みの問題だが、この吉祥院先輩のエキセントリックなキャラクタがどうにも肌に合わなくて、彼の会話部分は読むのが辛かった。
【腕貫探偵】西澤保彦:飲んだ帰りに発見したパンツ1枚の死体。しかし警察を呼んだ後、その死体は忽然と消え失せて──。ロジカルに話が進む様はオミゴトだけれど、実際にはあれだけのヒントでこの真相が分かるか?
【GOTH リストカット事件】乙一:年鑑を作るのなら、これをハズすわけにはいかないでしょうという観のある、昨年の代表作。「GOTH〜リストカット事件」所収。
【比類のない神々しいような瞬間】有栖川有栖:火村シリーズ。なんてことのない、ほんとにワンアイディアなんだけど、それをここまで高めて見せるか、という好例。パズラとしてもサスペンスとしてもキレイ。
 その他、芦辺拓【曇斎先生事件帳】、鯨統一郎【ミステリアス学園】、霞流一【首切り監督】、青井夏海【別れてください】。評論は、千街晶之【論理の悪夢を視る者たち(日本編)】と笠井潔【ミステリに地殻変動は起きているか?】の2編。 (03.7.17)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

三谷幸喜のありふれた日々2〜怒濤の厄年・三谷幸喜(朝日新聞社)

 「三谷幸喜のありふれた生活」に続く、新聞連載のエッセイ本2冊め。でも感想は1冊目とほとんど同じだな。つまり「三谷氏本来の《おかしみ》を味わうというよりも、あの映画・あのドラマの裏話が聞ける、あの芸能人やあの有名人の意外な一面が出てくる、というほうがメイン。う〜ん、それはそれで面白いんだけど、やっぱそれだけじゃあね。新聞連載ということで、マニア受けより一般受けを優先させたということかな」という感想です。
 って、いくら同じ感想だからとはいえ、それだけで済ますのもあんまりだな。実は、個人的には1冊目よりもかなり興味を持って読めたんです。何故なら、ここに書かれている舞台「バッドニュース☆グッドタイミング」「Over The Top」「オケピ!」、ドラマの「HR」を見てるから。「バッドニュース☆グッドタイミング」を見ていたので「あ、あのシーンのことだ」「あ、八嶋智人のこういうアクション、確かにあったぞ!」と思い出すことができたし、「Over The Top」を見てるからこそ「へえ、曲は陽水だったんだ」とか「え、あの浅野和之って、代役だったの?」とかっていう裏話を面白く読めた次第。「オケピ!」の主役交代の話もそうだし。俎上にあげられた作品を見てると見てないとじゃあ、こんなに興味の持ち方が違うものなのか、とちょっと驚いたくらい。
 俳優・伊藤俊人氏の急逝についても、3回分を割いて触れられている。伊藤氏は、前々から夫婦そろって大好きな俳優さんだったので、あの急逝にはホントにびっくりしたのだけれど、そのことについて書かれた章は、お涙頂戴ではなく距離をとってあって、その距離のとりかたがまたリアルで、かえって胸が詰まってしまった。これは三谷氏が(数え年で)42歳の1年間を綴ったものなのだけれど、タイトルの《怒濤の厄年》というのが、実に良くわかる。
 その他は、ペットの犬だか猫だか(それも覚えてないのか!)の話とか、自分が俳優として立った舞台の話とか、家庭の話とか。きっと3冊目には、大河ドラマの準備の話や、俳優陣を入れ替えて再演になった「オケピ!」の話が出てくるんだろうな。それは今から楽しみ。 (03.7.18)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

追憶の猫〜探偵藤森涼子の事件簿・太田忠司(ジョイノベルス)

 「歪んだ素描」「暗闇への祈り」「遊戯の終わり」に続く、藤森涼子シリーズ第4弾。地味ではあるが、阿南シリーズが中断している今、これぞ太田忠司の真骨頂!と自信を持って勧められるシリーズである。
 体裁としては、連作短編集。【高台の家】【淡彩の庭】【追憶の猫】【天上の花】の4編。涼子が事件に巻き込まれ、あるいは依頼を受けて調査するうちに、当初の事件とは違った方向に物語が展開し、意外な真相が見えてくるというパターン。無論、それぞれの短編で扱われている事件はどれも「巧い!」というものばかりなのだけれど──今回の主眼は、そこではない、と断言してしまおう。
 このシリーズを読んできた読者にはお馴染みの、一宮探偵事務所。所長・一宮氏の人柄そのままに、暖かで誠実な事務所。ところが、所長が急病で入院してしまい、予後の心配もあって、今後の経営は所員の高見に任せるという。この高見ってのが、悪いヤツじゃないんだけど、涼子とはトコトンそりが合わなくて──結果として、「ええ、いきなり1話目で、こんな展開にしますか」とショックを受けてしまうのだ。
 そして、事件の渦中で再会した《昔、ある事件で顔を合わせたことがある》とある男性。その男性との再会をきかっけに、涼子の周辺は大きく変わっていく。この時、涼子は37才。二十代の頃に婚約破棄して以来、結婚はせず、探偵業に熱中してきたのだが──。
 つまり、今回の短編集は、ミステリとしては短編集でありながら、涼子の人生の岐路を描くという点では一編の長編になっているのである。三十代後半の、仕事が楽しくてしかたなかった女性に急に訪れた転機。それも望んだ転機ではなく、むしろ降って湧いたような災禍。三十代後半の女性ならではの「リアルな痛み」が全編からひしひしと染み渡ってくる。
 涼子という女性の魅力は、ひとえにそのリアリティにある。同世代の女性なら「あるある!」と拳を固めてしまうような体験、思考。どの職場にも一人はいるタイプ。でも、一般女性が体現できない「理想」を、彼女は体現してくれる。決してスーパーヒロインではなく、性格としては結構「狭い」ところもあるのだが、女として人間としての弱さや卑小さは、理想の体現と相いれないものではない、ということを教えてくれる。
 でもね、痛みだけじゃないの。最後はとてつもなく爽快! こうこなくっちゃ、と諸手を挙げて快哉を叫んでしまう、サイコーのエンディング。三十代の女性よ、このシリーズを読みたまえ。元気が出るよ。 (03.7.19)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

アンチ・ハウス・森博嗣+阿竹克人(中央公論新社)

 森邸の庭に新築された、ガレージ。ガレージといっても車をしまうためだけではなく、工作室でもあり、書斎でもあり、ミニチュア鉄道も走っている。形状がまたなんともユニークで、構造はそれ以上にユニーク。そんなガレージの発端から完成までを綴った本である。
 構成としては、「ガレージ作りたいんだけど、設計頼まれてくれる?」「うん、やるやる」から始まった、森氏と阿竹氏のメールの交換──つまりは書簡──が中心。無論、分かりやすいような加筆削除訂正はたくさんあったと思うし、補足説明もその都度なされてるんだけど、基本的には書簡だけで話が進むのである。それで分かるってあたりが。何かのプロジェクトに携わってるときのメールって、そのまんまレポートでもあり議事録でもあるのね。
 で、その書簡集の間に、森氏のサイト
「浮遊工作室」の中のコーナーである「ガレージ制作部」に載せられた写真や文章が挿入される。でも、この部分、横書きなのに右ページから左ページへという構成になってるので、読みにくい。本文もメールが主体だし、数字や記号がたくさん出てくるからオール横書きでもよかったのでは。
 実は読み始める前は、「かなり硬派の内容で、半分専門書かも」という著者の言葉もあって、「難しいんだろうなあ」と思っていたのだ。それが意に反して面白いのよ! びっくり。いや、勿論、建築系のワケのわかんない記述や単語はいっぱい出てくるし、数字ばっかりのメールもあるし、そういうところは雰囲気だけ掴んで読み進んでるわけだ。なので、真の面白さや凄さには気付けていないだろうからお薦めマークはつけなかったんだけど──いやでも、読み物として面白いのよ。シチュエーションコメディのように、次々と事件が起こるし(笑)<他人事だから笑える。
 例えば服部真澄氏の「ハットリ邸古民家新築プロジェクト〜骨董市で家を買う」や、赤瀬川源平氏の「吾輩は施主である」といったような、施主さんによる「おお、建築の最中にはこんなことが!」的エッセイに共通する「ギョーカイものの内幕」の面白さがあるのね。無論、森氏はこの道のプロフェッショナルなわけで、服部氏や赤瀬川氏が素人の目線で驚いたり戸惑ったりしてるのに対し、森氏はプロの視点で驚いたり戸惑ったりしている。それが素人目にも興味深い。
 本来ならガレージの構造だのなんだのに興味を持つべきなのだろうが、あたしが一番面白かったのは、風致地区の規制に関する一件。この攻防、どうせなら対決シーンが読みたかったと思うのは野次馬の悪趣味かな、やっぱり。
 このガレージは建築中も出来上がってからもお邪魔させて戴いたし、構造の何とかいう模型も見せて戴いたりしていたので、ディーテイルや「その後」が目に浮かんで、読んでる間とっても楽しゅうございました。 (03.7.20)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

ドスコイ警備保障・室積光(アーティストハウス)

 三十代後半で芸能事務所の社長をしている敦子は、高校時代の同級生3人組から呼び出された。伝説の横綱で、今は親方をしている南ノ峰に逢って欲しいというのだ。相撲には何の興味もない敦子は、仕事の話だというのでしぶしぶ赴いた。そこで南ノ峰から意外な申し出を聞くことに。引退した相撲取りで親方になれるのはホンの一握り。手に職もない学歴もない相撲取りは、廃業したあと苦労している。そんな彼らが就職できるように、元相撲取りだけの警備会社を作りたいという──。
 うわはははははは\(^o^)/。
 
「都立水商!」の時も思ったのだけれど、これはもう設定の勝利だ。この設定を思いついた時点で8割方勝利をモノにしているぞ。元相撲取りだけの警備会社。こいつぁ最強でしょ。空き部屋ばかりの会社の寮を借り受け、その中に事務所もおいて始まった新会社。制服を作った洋品店はあまりのサイズのでかさに、きっと寸法を間違ってしまったのだとクレーム覚悟で納品にきたり。逮捕術を教える先生も、10分で教えることがなくなる始末。そして相撲取りの中にひとりだけ混じってしまった「ただのデブ」。
 こういう細かいエピソードの積み重ねでストーリーを紡ぐ手法も「都立水商!」と同じだ。大きな流れはあるのだけれど、それよりも個々のエピソードの面白さの方が勝っている。そのため、構成が荒っぽくてぜんぜんこなれてないっていう印象を受けてしまうのよね。独立したエピソードが巧く集約されず、核になる部分が弱い。つまり、小説技法・テクニックという点では、これはもうはっきり言ってヘタなのよ。でも、そういうのは後になって気付くことで、読んでる最中は「うわははは」「けけけ」と笑わせてくれたり、しんみり、ほろりとさせてくれたり。個々のエピソードが持っている味やおかしみ、テーマといったものが実にいいのだ。とにかく、読者を楽しませようというサービス精神がみっちり詰まっている。いやあ、面白い!
 特にラスト近くのエピソードは、「浅田次郎か!」とツッコミたくなるような出来。ああ、これが言いたかったのか、と、思わず目頭が熱くなってしまった。こんなおバカな話なのに、泣かされてるあたしって何。
 とにかく愉快痛快。不器用さは拭えないけど、それを補ってあまりあるパワー。そして爽快な読後感! ああ、これも映像化して欲しいなあ。ところで、販促の非売品ポスターのキャラクターが舞の海と松村邦洋だった理由がようやく分かったわよ。 (03.7.21)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

流れ星と遊んだころ・連城三紀彦(双葉社)

 大物俳優花村陣四郎のマネージャーである北村梁一は、花村のわがままに疲れはてていた。もう辞めてやろうかと思いながらバーで一人で飲んでいたとき、彼の前に現れた女。新手の売春のような手管に北村が乗り、いざ車の中で事に及ぼうとした途端、女の連れと思しき男に引き出されて脅迫される。それが「俺たち」の出逢いであり、始まりだった──。
 うわあ、あらすじ書きにくいっ! あらすじが書きにくいということはどういうことかというと、つまりちょっとでもヘタなことを書くとネタバレになってしまう、めちゃくちゃトリッキーな話ということである。
 一人の男を「大スター」に育て上げようとするマネージャー。売り込みの作戦のために為された、いろいろな画策。ようやく大スターの看板をものにしたときに明かされた、過去という名前のとんでもない爆弾。二人の男と一人の女が、相手の夢を自分の夢に置き換えて、流れ星のように一瞬の煌めきを残して通り過ぎていく。
 時系列を前後させて話を進める手法は、ひっくり返しに継ぐひっくり返し。その中でも最大のひっくり返しが暴かれたときには「うわっ!」と声を上げてしまった。きゃあ、やられた。まさかそんな仕掛けがしてあったなんて。
 事件が起こって謎を解くというタイプの話ではないので、本格ミステリかと言われたら「違う」と答えざるを得ない。だが、この「騙し」のテクニックと、それによってもたらされるサプライズ、真相が見えた瞬間クルリと世界が反転するカタルシス、それらはまさしく、本格ミステリの醍醐味である。そうか、この手の仕掛けってのは、何も謎解きである必要はないのだよなあ。
 かといって、「騙し」や「おどかし」がこの物語の全てかと言えば、決してそうではないのだ。何をもって目的とするのかという精神的な問題や、コンゲームさながらの駆け引きの妙味、ドラマティックで予想を裏切る展開、個性的にして肉厚なキャラクター。業界物裏話的な面白さも、ハードボイルドっぽい「男の世界」も、どれもこれも堪能できてしまう。そしてお腹いっぱいに味わい、とてつもない「騙し」に酔い、すべて読み終わったあとには、なんともいえない切なさが……。ああ、このラスト。とてつもなく辛くて、とてつもなく切なくて、とてつもなく優しいこのラスト。
 うん、これはお薦め。騙しの妙味はパズラーだけにあらず。 (03.7.21)
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スイス時計の謎・有栖川有栖(講談社ノベルス)

 火村&アリスシリーズ。相変わらずこのシリーズは、「なんてことないワンアイディア」がベースになってるんだけど、その見せ方が実にエレガント。本格ミステリってのは奇をてらわなくても、充分面白いものが書けるという証明のような短編集。奇をてらわないということは、流れに無理がないということでもある。地味だし、データ出しの過程は冗漫な部分もあるんだけど、でも初心者にはこういうのを勧めたいよね。
【あるYの悲劇】ギターで殴られた死んだロック青年は、死の間際、バンド仲間にあるメッセージを託した。それは壁に書かれた「Y」の文字だったが──。
「『Y』の悲劇」所収。伏線が親切過ぎてネタが割れやすいのはご愛敬。瀕死のシーンでメッセージを残す様は、無理がなくてなかなかに胸に迫るものがある。
【女彫刻家の首】女彫刻家がアトリエで殺された。その死体には首がない。どうして切断し、隠す必要があったのか──。膝を叩くというよりも、犯人にとって「そうしなければならなかった」という皮肉な展開に思わず笑ってしまう。
【シャイロックの密室】恨み骨髄の金貸しを殺した後、俺はある工作をして現場を出た。見破られる筈はない──。ヒントと真相の関係がキレイ。しかしまさかあれが伏線になっていたとは!
【スイス時計の謎】殺された被害者には、高校時代から付き合っている4人の仲間がいた。彼らと2年ぶりに旧交を暖め合う予定だったその日に事件は起きる──。ええっ、こ、これって、なんか騙されてない? 思わず何度も何度も読み返してしまったぞ。詭弁じゃないよね? ちゃんとロジカルな話なのよね? 「頭の体操」みたいだぞ。いや、なんか、面白いわこれ。
(03.7.22)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

虚ろな感覚・北川歩実(実業之日本社)

 いやあ、巧いねえ。もう、捻る捻る。なんともトリッキーで、読者の1歩先を行く展開。二転三転する展開にはもう、驚きと喜びの嵐よ。《感覚の喪失》という同一テーマのもとに編まれた短編集という体裁だけれど、それに拘ることもないと思う。独立した話ばかり。どこから読んでも面白い一冊。長編だとときどき説明過剰なところが見受けられるんだけど、短編になるとそれが巧くシェイプアップされて鋭さを増している。無論、作品によって好悪はあるし、レベルの違いもあるんだけど、全般にストーリーの練り込みの巧さは文句無しだし、名手、ってかんじになってきたなあ。
【風の誘い】好きになった女性を振り向かせるために、男は何をしたか。ラストまで「裏切りっぱなし」で飽きさせない。
【幻の男】いきなり部屋に入ってきた見知らぬ女。「あなたが彼を殺したのね?」──なんだかあやふやな、サイコかそれとも記憶障害の話かと思っていたら、こう来たか!
【密の味】新しく家族になった子どもは肥満体。ダイエットを指導する咲子だったが──。状況が飲み込めたとき「え?」と思わず声を出してしまった一編。
【侵入者】塾の掲示板に悪質な書き込みが。IPから、その塾の講師のものだとわかったが──。むしろ「犯人」に感情移入してしまうような話(笑)。コミカルな展開を楽しんでると、最後にぞっとさせられる。
【僕はモモイロインコ】義母の事故現場を目撃したと思われる息子は眠り続け、代わりにインコが喋るようになった──? 謎解きとしてはとても面白いんだけど、ただ設定は不自然だよなあ。
【告白シュミレーション】著者の作品に、同じ前向性健忘症をテーマにした
「透明な一日」があるが、あれを別の方法で料理したのがこれ。本書のイチオシ。ひっくり返る快感も満点!
【完全な塑像】友人の元婚約者と久しぶりに再会。ところが彼の隣りにいたのは、その友人とうりふたつの顔をした女性だった──。これも「連続ひっくり返し」の妙技。
(03.7.23)《この本の詳細情報&注文画面へ》  


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