お厚いのがお好き?


支那そば館の謎〜裏京都ミステリー・北森鴻(光文社)

 有馬次郎は元スゴ腕の窃盗犯。しかし今は足を洗い、京都は大悲閣千光寺で寺男として修行中である。ところが色々な事件が持ち込まれ、次郎は、みやこ新聞の自称エース記者・折原けいや、鋭い観察眼を持つ住職らと、事件に挑むことになる──。京都の風情を舞台にした、軽妙且つ味わい深い連作ミステリー。
 新世紀謎倶楽部によるリレー小説
「堕天使殺人事件」の、北森鴻氏担当部分でお目見えしたキャラクターが、独立したシリーズとして再登場。待ってました! 足を洗ったと言いながら、毎回毎回「裏稼業」の頃の手腕を発揮するさまは、怪盗モノを読んでいるかのようなワクワク感がある。
 京都の描写も見どころのひとつ。副題の「裏京都ミステリー」には「マイナーきょうと」とルビが振られている。毎回のように登場する居酒屋・十兵衛のシーンは、さすが、料理の描写は天下一品の北森氏である。東の香菜里屋、西の十兵衛ってとこかな。ただ、十兵衛の主人は謎解きには無関係ですが。
【不動明王の憂鬱】次郎が窃盗を生業としていた頃に使っていた秘道具と寸分違わぬものが、事件現場で押収された。既に足を洗っていた次郎は、その出所を探るうちに──。
【異教徒の晩餐】急逝した版画家の遺体の側には、切り裂かれた馬連と鯖の棒寿司が3本。これは何を意味するのか?──ああ、この謎は面白い。細かいネタだけどキレイにまとまる心地よさ。
【鮎踊る夜に】千光寺にやってきた女性観光客が、翌日他殺体で発見された。残された手帳には──。謎解きそのものよりも、クライマックスの捕り物シーンが迫力。
【不如意の人】学園祭の講演に呼ばれたミステリ作家・水森堅は、実はトンでもないやつで……。うわあ、北森作品にこんなバカキャラが出てくるなんて。ところでどうして、水森堅の名前は悉く苗字と名前の間に一文字スペースがあいてるんだろう。何か意味があるのかな?
【支那そば館の謎】水森堅(または水森 堅)が持ち込んだ事件。「支那そば館」に住むという外国人を探していたら──。「支那そば館」の解釈はやや強引な気も。
【居酒屋 十兵衛】十兵衛の主人が、「兄弟弟子だった仲間の店の様子がおかしい」と次郎に調査を依頼。出かけてみると──。
(03.8.17)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

笑うニューヨークDELUXE・竹内玲子(講談社文庫)

 著者はニューヨークに住んで13年になるグラフィック・デザイナー。彼女が案内してくれるニューヨークは、住んでいる人ならではの面白い話がテンコモリ。元気でパワフルなニューヨーク、美味しいニューヨーク(美味しくないニューヨークも(笑))、面白いニューヨーク。観光ガイドにもなるけれど、それより、ニューヨークに住んで13年という日本人の、「お笑い異邦人エッセイ」と捉えた方がいいかも。笑って、感心して、笑って、日本と比べて、笑って、驚いて、笑って。この繰り返し。ま、全体の8割近くは笑いです。
 章建ては、グルメ・交通機関・ショッピング・観光・エンターテインメント・防犯。う〜ん、こう書くとホントに「観光ガイド」みたいなんだけど、実際は「それを体験した日本人のお笑いエッセイ」である。いや、店の情報も実際にたくさん載ってるし、それはガイドブックなどには載ってないホントの「地元の穴場」だったりするので、観光ガイドとしてもサイコーだと思う。でも、ニューヨークに行く用事がなくても、読んで楽しいエッセイ集なのだ。
 正体不明のマンゴ寿司やみかん寿司(げえっ)。買い物にいくたびにプロポーズしてくるデリカテッセンのおじさん。フライドポテトの注文の仕方(ソースをかけるかかけないか、なんていう具体的な情報はまさに観光ガイド的お役立ちメモだ)。
 交通機関の章では笑いっぱなしである。まだニューヨークに来たばかりで、英語も得手でない著者が、ひとりでバスや地下鉄を使って友人との待ち合わせ場所まで行く話が書かれているのだけれど、これがもう涙(笑い過ぎで)なしでは読めない大スペクタクル巨編! バスのお金の投入口が分からず、降車ブザーが分からず、その度に周囲を巻き込んで大騒ぎ。人に道を聞くのも大騒動。死ぬような思いをして、待ち合わせのレストランに行ったら──まあ、ここは本を読んでくれ。
 とまあ、こんな感じでとにかく笑わせる観光ガイドなのである。何かに似てると思ったら──そうか、
「うまひゃひゃさぬきうどん」とか「沖縄やぎ地獄」みたいな、「観光ガイドとお笑いエッセイの融合版」なのね。とにかく笑えてパワフルで、なおかつ異文化コミュニケーションのお勉強までできちゃう。お薦め。 (03.8.17)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

分岐点・古処誠二(双葉社)

 太平洋戦争末期。焼夷弾に町が焼かれる中、智は同級生の成瀬に命を助けられる。そして、わずか14歳の智たちも、軍の命令でクラスごと「抵抗陣地造成」の作業に従事することになり、監督の少尉や伍長たちとともに現場へ向かう。そして、少年達を指導と称して殴っていた、とある伍長が消息を絶った──。終戦間際、敗戦が濃厚となった時代の少年達、そして彼らを取りまく現場の軍人達の、短い夏を描いた物語。
 お国のために少年といえども懸命に働くことが当然とされた時代。それを真正面から受け入れ、軍人のようになっていく少年と、それについて行けずに弱音を吐く少年。戦時下という特異な状況が描かれているが、「非国民と呼ばれることを恐れ」たり、「皇軍は勝つ」と真正面から信じて「弱音を吐く同級生を罵倒する」といったような世界というのは、例えば今でも、企業の中だとか、体育会系の部活動だとかで、容易に目にすることのできるメンタリティである。特に若ければ若いほど、一途になる。その恐ろしさ。一途な思いは、それが裏切られたときにどうなるか。その恐ろしさ。
 智と成瀬。或いは片桐少尉と臼居伍長。対照的とも言える彼らの分岐点は、「日本は負ける」ことを受け入れるか否かにある。それは換言すれば、これまでの自分の信念や価値観を捨てることを受け入れるか否かでもあるのだ。読み進むにつれて、成瀬が痛々しくなる。どう考えても、彼のとっている行動は「悪役・仇役」のそれなのに、それでも痛々しく思えて仕方ない。
 エピローグを読んだときには、胸が詰まった。しかし、ここで「彼」が吐露している真情は、そのまま今の私たちにぶつけられてしかるべき訴えである。戦時下を舞台にして、少年を描き、そして社会を描く。お涙頂戴に流れず、しかし直截に心に突き刺さる感動がある。その感動は決して爽やかなものではなく、鋭い痛みと、鈍い重さを持った感動だ。いったい、誰が「彼」を責めることができるだろう。
 著者は1970年生まれだそうだ。戦後生まれどころか、すでに戦後ではなくなり飽食の時代に突入してから生まれた世代である。「語り継ぐ」ためには、新しい世代がこの分野に入ってくることは不可欠だ。それは冒頭に引用された、「蛍の光」の三番に現れている。今、教科書からも歌集からも、この三番は削除されている。しかし、削除=なかったことでないのだ。削除された事実は語り継がねばならないのである。 (03.8.18)
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赫い月照・谺健二(講談社)

 舞台は神戸。酒鬼薔薇事件の遥か以前、中学生を犯人とする連続殺人事件が起こった。そしてそれから時が経ち、酒鬼薔薇事件が起こり、そして終息する。しかし、人々は酒鬼薔薇事件を忘れてはいなかった。みたび神戸ではシリアルキラーが登場し、不可解な連続殺人が始まったのである──。
 現実の酒鬼薔薇事件を間に挟み、過去と現在の「フィクション」の事件が語られ、その謎が解かれる。その道具建てや構成は本格ミステリに相違ないが、テーマの発するところは酒鬼薔薇事件にあると言っていいだろう。あの事件はいったい何だったのか──作者自身がその大きすぎる謎に挑んだ意欲作。
 過去の作品もそうなんだけど、あたしはこの著者の、《社会派的テーマ》と《ガチガチの本格》が融合した作風が好きだ。読者に訴求する強いテーマ性と、本格ミステリのパズル性は両立する(両立して欲しい)というのがあたしの理想で、それを体現してくれているのが、例えば島田荘司氏の吉敷シリーズであり、この著者の雪御所圭子シリーズなのである。今回も期待に違わず、酒鬼薔薇事件や「てるくはのる」事件をモチーフに、猟奇的犯罪とそれを喧伝するかのような行動をとる犯人像に深く分け入っている。と同時に、ラストの謎解きではびっくりするような《真相》が次々とあかされ、本格ミステリとしてのサプライズもカタルシスも充分だ。
 正直、酒鬼薔薇事件がテーマだというのを聞いたとき、ちょっと不安はあった。過去の事件ではないのだ。被害者の遺族も、加害者の家族も、そして加害者自身も今なお市井で生活をしている。彼ら自身や彼らに近い人が、これを読んだときにどう感じるか──それを思うと、ミステリという「娯楽小説」で扱っていい問題なのかどうか、抵抗がある。しかし、ノンフィクション部分に頼らず、架空の事件を作り上げて、それを解くことにより現実の事件に近づこうとしたこの作品は、酒鬼薔薇事件への真摯な姿勢を感じさせると共に、事件を巡る問題を提起するに充分である。
 惜しむらくは──こりゃあちょっと、詰め込み過ぎじゃないのかなあ。パズル部分に関しては、密室あり暗号あり作中作あり、アレもあればコレもある、とにかく色々な要素がテンコモリなのだ。その上、登場人物同士の関わりや成長、心のドラマなども多くのページを割いて描かれ、そしてもちろん全編を通じて社会派テーマが根底にあるわけで──あまりに色々なものを詰め込み過ぎて、結果として話が拡散してしまった無念さがある。もうちょっとストレートでもよかったんじゃないのかな。 (03.8.22)
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祖国とは国語・藤原正彦(講談社)

 著者は数学者にしてエッセイスト。父は新田次郎、母は藤原ていという、錚々たる血筋である。著作の中では「若き数学者のアメリカ」が有名かな。そんな著者の、エッセイ集である。
 内容は三部構成。ただ、この三部が、それぞれ驚くほどテーマが違うのだ。これほどテーマの違うエッセイを、なんで一冊にまとめたのか不思議なくらいである。編集者は何がしたかったんだろうかと首を傾げてしまうほどだ。
 最初の章は、ごく短めの身辺雑記。特に家族の話が多い。なるほど数学者らしいや、と思わせるような子どもとの触れ合いの仕方や、なぜ円周率が3ではいけないか、など。これはもうホントに、ごく短い話ばかりなので、さくさく読める。子どもが幼かったとき、彼らの発した素朴な疑問について家族で議論しあうくだりは「おお、学者の家庭ってのはやっぱ違うなあ」と素直に感心してしまった。この章で読みごたえがあったのは、「いじわるにも程がある」というタイトルの、山本夏彦翁の話。そういえば山本翁の著書に、この藤原氏の話が出てきてたなあ。おそらくこの文は、追悼文として書かれたものであろう。なかなかの「山本夏彦論」である。
 2章は「国語教育絶対論」である。これは現代の教育問題について論じたもの。ゆとり教育だの、英語公用語化だのを俎上にあげ「国語をもっときちんと学ばせろ!」という話である。数学者がこういう意見を述べてくれるというのは実に心強いのだけれど、内容自体は色々な場所で指摘されていることとさほど変わらない。あたしが感心したのは国語問題ではなく、そこから派生した愛国心のくだりだ。ナショナリズムとペイトリオリズムを混同したがゆえに、日本はおかしなことになっている。ナショナリズムは危険な側面が大きいが、ペイトリオリズム──祖国愛──は家族愛や郷土愛に連なる不可欠の心情である、という話。いろいろと考えさせられた。賛成する箇所、賛成しかねる箇所、双方あるけれど、本のタイトルにもなっているシオランの言葉「祖国とは国語」には、諸手をあげて賛成する。
 3章は、満州再訪記。著者は満州で生まれ、2歳のときに母に連れられ、引き揚げてきたという。母が元気なうちに再訪問して、生まれた場所を見ておきたい、という思いから家族総出で満州を訪れた旅行記である。
 こうして章別にまとめてみると──ホントに、どうしてここまで毛色の違うテーマのエッセイを一冊にまとめたのか、つくづく不思議だ。どの章もそれなりに面白かったけれど、「祖国とは国語」というシオランの言葉に引かれてこの本を手にとった身としては、どうも肩すかしを食らった気分である。 (03.8.27)
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セカンド・サイト・中野順一(文藝春秋)

 キャバクラのボーイ、タクトは、最近店に入った女の子の花梨が気にかかっていた。躓いてこけそうになった花梨を咄嗟に支えたとき、なぜか彼女が「あ、おめでとうございます」と口走ったのである。そしてその翌日、タクトは自分がサッカーくじに当たっていたことを知る。花梨には予知能力があるのか?──そんな折、キャバクラ嬢を狙った連続通り魔事件が起きる。また同時に、店ナンバーワンのエリカがストーカーに襲われて……。サントリーミステリー大賞受賞作。
 おお、これは面白い。新宿のキャバクラ嬢とボーイという人物設定や、その周辺の中国マフィアなども絡めながらも、風俗小説という色合いは薄い。じゃあ何かと問われれば、良質のミステリというしかないのだけれど。風俗めいた舞台を設定しながら風俗小説には流れていないという点では、妙な例かもしれないが、「池袋ウエストゲートパーク」(ドラマじゃなくて原作の方よ)に似た風合いを感じた。
 のっけから起こるストーカー事件と、それに対応するタクトのくだりで、まず魅力溢れるキャラクターに気付かされる。タクトはもちろん、アキラがいい。キャバクラの女の子たちも主要所にはちゃんと肉付けがしてある。新宿でキャバクラなのに、斜に構えたりはせず、登場人物がちゃんと真正面から動くのも魅力だ。そこにキャバクラならではの出来事が混じり合って──う〜ん、巧いなあ。
 ストーリー展開もテンポが良くて飽きさせない。ストーカー事件、それを追いかけるうちに他のものが見えてくる、ってのはおきまりのパターンだけれど、そこに「未来が見える女」という要素が関わって来るわけだ。これ、かなり難しいところだと思うのよね。ストーカーも通り魔も殺人もものすごく現実的なところで起こった話なのに、そこに「未来が見える女」なんていう要素がひとつ入ることによって、一歩間違えれば「超能力ヒーローもの」「なんでもあり」って感じになりかねないもの。でも、ここでは花梨の「超能力」に頼らず、ただ「小道具」として使っている。あくまで話の中心は人間にとって可能な現実的対応なのだ。これも巧い。
 読み出したら一気読みだ。スピーディな展開、魅力的な登場人物、よくできた構成、意外な真相、そしてタクト自身の物語。ちょっと荒っぽい部分はあるけれど、最初の一行から最後の一行まで、気を抜かせずに読者を引っ張る力はたいしたもの。おまけに、読後感もすごくいい。うん、これはシリーズ展開して欲しいぞ。 (03.8.29)
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コッペリア・加納朋子(講談社)

 了は、人形作家・如月まゆらの家の出窓から見えた人形に心を奪われた。譲って欲しいという了の申し出を、まゆらは一蹴し、了の目の前でその人形を壊してしまう。そんなある日、了はある女性と出逢った。アングラ劇団の女優である聖だ。彼女は、まゆらの作った人形に生き写しだった──。
 これまでの加納作品とは一線を画す、幻想風味のミステリである。話の進み具合やその表現手法から、手慣れた読者には「あの手のことがやりたいんだな」ということの見当はつくし、「このあたりがメチャクチャ怪しい」というのも分かるのだけれど、じゃあいざどういう真相かと言われるとなかなか見えて来ない。むしろ、そうなるようにヒントは積極的に出していると言ってもいいだろう。単なる幻想風味のサイコホラーではなく、ちゃんと仕掛けがありますよ〜と宣伝しながら読者を引っ張っていく。後半にはもう、違和感で膨れ上がっているので、だからこそ、最終章を読んで、「ああ、そうか」と腑に落ちる快感があるのだ。
 そのホラー部分も、あくまで「幻想風味」であって、幻想ではない。ちゃんと足が地に着いている。一人称主人公のモノローグ──それも冷静な状況描写ではなく、当人の心情説明が前面に出ているモノローグで構成されている割には、読者に親切に話が進むので物語にも入り込みやすい。このあたり、さすがに描写力に秀でた著者だけのことはある。
 ただ、せっかくの仕掛けも、やや説明過剰になってしまったキライがある。もっとこう、極論を言えば「1行ですべてが分かる」みたいな仕掛けの方がサプライズは大きいでしょ。いや、この話の場合、さすがに1行は無理なんですけどね。「実はこういうことでした」というのをかなりのページを割いて、順を追って親切に説明してくれているので、仕掛けのキレという点ではどうしてもヌルくなってしまう。結果、サプライズやカタルシスは、かなり薄い。
 でもそれは逆に、「単に驚かせて終わり」ではなく、謎解き部分から先もひとつの物語として成立させてしまう長所にもなっているわけだけどね。人形を中心に据えて、体半分世間からドロップアウトしたような人々がその周囲をとりまくロンドのような、冷ややかで湿り気のある、そういう雰囲気は十二分に味わえた。 (03.8.28)
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そのケータイはXX(エクスクロス)で・上甲宣之(宝島社)

 しよりは友人の愛子とともに、鄙びた温泉宿に到着した。ところが、宿の部屋にいると、押入の中から誰のものか分からない携帯電話が鳴り出した。しよりがその電話に出ると、いきなり「足を切り落とされるぞ!」という声が……。
 しよりの視点、愛子の視点、それぞれから描かれるサスペンス。正体不明の電話の相手の言葉を信じるなら、ここの村人はしよりを祭の生け贄にするために捉えようとしているらしい。彼女を追う村人から懸命に逃げるしより。しかし、電話の相手の言うことも、どこまで信じられるのか──。一方、愛子は愛子で、自分に恨みを持つ人物に温泉場まで追われ、トイレに逃げ込む。携帯電話を使ってしよりに助けを求めるが──。
 とにかく、次から次へとピンチが訪れ、(こういうジャンルを何っていうんだろう?)逃げて逃げて逃げまくる、というスリル溢れる物語。全編これ「前門の虎、後門の狼」もしくは「絶体絶命」という感じで、息をもつかせぬ展開である。とにかく、誰を信じればいいのか、誰が味方なのか、登場人物も分からないばかりでなく、読んでるこっちも分からないから、登場人物に感情移入しまくりでハラハラどきどき。スピード感溢れる、サイコパニックものの面白さがある。特に、クライマックスでしよりのとった行動が印象深い。ものすごく「わかる」気がするのよねえ。こういうことって、実際にもあるような。
 とまあ、話はかなりスリリングで面白かったのだけれど。う〜ん、これは完全に好みの問題であって、それが瑕疵というわけではないのだけれど、どうにもこの文章はあたしと相性が悪かった。そもそも、擬音をダイレクトに書く、ってのがあたしはダメなのだ。例えば、こんな箇所。
  (前略)ゴム手袋を、ドアの真上からそ〜っと差し出していった。
  ジャキン──!
  すかさず、ヤツが、ゴム手袋を切断した。
  じょぼッっビシャァァッ!
  ヤツの頭の上に、切断された四指の隙間から、バシャッと洗浄液がかかった。
  「キッキキィィィィぃぃぃぃ!」

 地の文の中に「〜」が入るのも気になるが、それ以上に、擬音の多さと、その擬音の中にカタカナとひらがなが混在してるのが気に障って仕方ない。それに加えて、
  ジャケットの首回りについたファー(毛)を揺らした
 (毛)って何よ(毛)って! おまけに若い女のセリフの最後に「キャハッ!」ってついたり、不気味な老婆は「ヒヒヒヒ〜」と笑ったり……。とにかく、こういう文字使いや言い回しが全編を通じて目立ってしまい、それにいちいちひっかかってしまったのだ。これってつまり「マンガ的」な文字使いなのかな。ひょっとしたら、奇をてらったわけじゃなく、この世代(著者は1975年生まれ)には自然なことなのかしら。 (03.8.29)
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密猟者たち・トム・フランクリン(創元推理文庫)

 舞台はアラバマ。森と沼に囲まれた、この米国深南部を舞台にした短編集。連作──と言っていいんだろなあ。各編に直接の関係はなく、全て独立した話なのだけれど(共通する登場人物はいる)、どれも《南部》という濃厚な空気で繋がっているのだ。
 これを読んで、あたしは稲見一良の作品群を思い出した。テーマや作風のみならず、冒険小説としての色や温度や──そして空気の密度のようなものが似ている気がするのよね。え? 単に「猟銃」だの「猟」だのからの連想だろうって? う、そうかも……。いや、でも、稲見一良の「セントメリーのリボン」に、アメリカ風な調味料をふりかけたらこうなりそうな気がするんだけどなあ……。
 序章がわりの【ハンティングシーズン】に続いて、【グリッド】【シュプータ】【トライアスロン】【青い馬】【デュアン・フレアスのバラード】【小さな過去】【ダイノソア】【衝動】【アラスカ】【密猟者たち】を収録。
 ストーリー展開が秀逸だったのは【グリッド】かな。映像が目に浮かんで来るかのような、裏社会のプチ犯罪の物語。ある意味、一番わかりやすい話。その他の話はいずれも、バックグランドに何か他の大きな物語があって、その一部を抽出して輪切りにした断面を描いた、という観がある。それは「アメリカ南部で生まれ育った者」ならではの、土着の何かなのではないだろうか。描かれた物語そのものを楽しむことは出来ても、そのバックグランドを共有できないのが悔しいなあ。ただ、想像しその中で楽しむだけの材料はたっぷりある。
 そして表題作【密猟者たち】は、アメリカ探偵作家クラブ最優秀短編賞受賞作。森の中で密猟をして暮らす三兄弟。彼らはある日、密猟を咎めた監視官を殺してしまう。殺された監視官の代わりに赴任が決まったのは、伝説の狩猟監視官として恐れられているフランク・デイヴィッドだった。そして、不可解な事件が三兄弟に降り懸かる──。ああ、これは面白い! 三兄弟を見守ってきた雑貨屋の老人、モラルなどなくただ本能で動く兄弟、目の前の現実に戸惑う保安官、そして最後まではっきりとした姿を見せない「伝説の狩猟監視官」。見えない何かによって、物語がどんどん引っ張られているスリル、迫力はもう最高だ。話が進むにつれてサスペンスの度合いも高まり、動悸が激しくなってきちゃうよ。ノワール、という言葉が適当かどうかは分からないが、重苦しい救いのないエンディングは衝撃的。最後まで手札を見せず、ただ結果だけを読者の前に放り出すのだ。読み終わってもズルズルと後を引くことこの上ない。
 それにしても、これは「そそられる翻訳」である。さぞかし、原文はカッコイイんだろうな……。原書で読んでみたい、と思わせる一冊。 (03.8.30)
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赤い鳥は館に帰る・有栖川有栖(講談社)

 有栖川有栖のエッセイ集。「ミステリ」「時事」「カンサイ」「日々の」4部構成になっている。
 【ミステリ】では、デビュー以来の自著の紹介文や他の人への推薦文、推理作家協会入会時の挨拶エッセイ、本格ミステリ作家クラブ準備会決起にあたっての文章など、実に雑多。特筆すべきは、今になって書いたものではなく、すべてその当時の文章であるということだ。なので、デビュー当時、書店員と二足のわらじを履いていた頃の文章もある。
 普通、こういうのって、デビュー当時の文章なんかを見ると「おお、若い! ピュア!」とか「うわあ、昔は文章がヘタだったのねえ」などと感動(?)したりするものだが、その手の「変化」があまり見られないのが著者の特徴かも。つまり、変わってない、のだ。初心を忘れてないというよりも、初手から確固としたものが出来上がっていたように思える。
 「なぜ本格なのか」について書かれた箇所が幾つかあったが、読んでいて気持ちがよかった。この話題を新本格作家が書くと、得てして「虐げられてきたジャンルとしての被害者意識を前面に出した感情的なオタク文章」になりがちなのだが、アリスの文章は実にスマートなのだ(だから、ジャンル間で喧嘩したがる過激派マニアには、物足りないかもしれない)。スマートでいて、説得力がある。「なぜ今、本格を書くのかって? 小鳥が赤いのは、赤い実を食べたから。それと同じ」──おお、かっこいいっ!
 尚、他の人の作品への文庫解説は
「迷宮逍遥」に収録されているので、こちらには無い。
 【時事】の章には、産経新聞大阪版に連載されていた「紙面批評」を中心に、社会問題を扱った文章が集められている。この章が一番面白かった。ミステリ作家・有栖川有栖がこれを書いたのかというより、ただ一人の論客の意見として読みごたえがあったのだ。オウムから酒鬼薔薇事件、アメリカでのテロ、池田小学校事件まで、どれも意外と(失礼)新味のある切り口で分かりやすく論理を展開してくれるのには素直に感心した。こういう社会問題のコメンテーターも充分できるくらいの情報と分析である。また、見過ごしてしまいそうな小さな記事だが、これが大事な問題だよ、と取り上げてくれる項もあったり。う〜ん、社会派を書かせなくなってきた。
 【カンサイ】は、その名の通り自分の住んでいる場所や日々の生活を描いたもの。昔からの文章が多いが、今書くと、阪神一色になるんだろうな(笑)。【日々】では、アリスらしいちょっとした仕掛けが楽しめる。 (03.8.31)《この本の詳細情報&注文画面へ》  


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