四季 春・森博嗣(講談社ノベルス)
天才科学者、真賀田四季の少女時代。彼女は5才にして既に特別だった。周りには彼女の才能を利用しようとする人々が群がるが、彼女は孤高を保つ。僕にできるのは、そんな彼女に寄り添うこと。そんな彼女を僕なりの方法で守ること。そして、叔父、新藤清二の病院で密室殺人が起こる──。四部作第一幕。
四季 夏・森博嗣(講談社ノベルス)
米国から帰国した真賀田四季は13歳。すでに、人類の中で最も神に近い、真の天才として世に知られていた。比間賀島では、彼女を中心とした真賀田研究所の建設も進んでいる。ところが、叔父・新藤清二と行った閉園間近の遊園地で、四季は何者かに誘拐されてしまい──。ある意味、オールスターキャスト勢揃い(ちょっと欠けるか)とも言える、「すべてがFになる」前日譚。
「ほぼ日刊イトイ新聞」の人気コーナーが本になった。ジョージ、つねさん、ノリスケという3人のオカマさんが、ほがらかに高らかに色々なことを斬っていく対談本。カバーが笑えるんだが、それはまぁ実物を見て下さい。書影じゃわかりません。実物を見ないと。
真夜中のマーチ・奥田英朗(集英社)
主人公ヨコケンは詐欺まがいのパーティー屋。そこでひっかけたのが、三田物産の三田総一郎。ひょんなことから高ビーな美女&犬も加わって、この3人と1匹で10億円の強奪計画がスタートした! ところが、ヤクザは出るし中国マフィアは出るし、ターゲットも一筋縄では行かないし……このコン・ゲームの出口はどこだ?
邪馬台洞の研究・田中啓文(講談社ノベルス)
私立伝奇学園・民俗学研究会の諸星比夏留ちゃんシリーズ第2弾。「蓬莱洞の研究」を読んだ人ならご存知の通り、ミステリ仕立ての伝奇小説だが、その実態はダジャレである。だから普通は「ミステリのネタバレ」を避けるものなのだけれど、このシリーズ(この著者)に限っては「ダジャレのネタバレ」も御法度なのだ。だってそれが物語の根幹であり中枢でありオチであり──要は「すべて」なのだから。<そこまで言うか。
カナコは新宿に住む27才のコールガール。吉岡から電話を受け、指定されたホテルに向かうのが仕事だ。昔のカナコは堅気だった。ところが恋人が死んでから彼女の転落が始まったのだ。恋人の借金を返すためにコールガールになったのだが、今ではすっかり新宿の水に慣れてしまった。そんなカナコのアパートの隣の空き地に、最近妙な男が立っている。覗いているらしいが、侵入してくる気配はない。
1985年の奇跡・五十嵐貴久(双葉社)
1985年。それはおニャン子の時代。僕らの高校はワンマンな中川校長のおかげで、成績順のクラス分けに厳し過ぎる校則という、何の潤いもない高校になってしまった。僕はもちろん最低のF組だ。そんな僕らの弱小野球部にスゴイ奴がやってきた! 甲子園常連高校からの転校生。彼は肘を壊したために野球を辞め、学校も変わったらしいのだが──。練習よりも『夕やけニャンニャン』。国生さゆりと新田恵理のどちらが可愛いかでマジな喧嘩をしてしまうような、そんな僕らの青春グラフィティ。
真昼の星空・米原万里(中央公論新社)
米原万里の連載エッセイを一冊にまとめた本。何でも連載を始めるにあなって「シモの話とイデオロギーの話」は禁止されたそうで、え〜〜〜、米原万里はそれが一番面白いのになあ……とちょっと不満。
人生激場・三浦しをん(新潮社)
週刊新潮に連載されたエッセイに書き下ろしを加えた単行本。って、週刊新潮かよ! この著者のエッセイと言えば、「極め道」「妄想炸裂」「しをんのしおり」の3冊が上梓されているけれど、その面白さとは「オタクで」「ミーハーで」「男同士の恋愛にうっとり」という3つがシェイクされた「妄想」にあるのだ。でも、週刊新潮であの路線はマズいだろ。「妄想炸裂」に出てきたような「相撲部の部室で、ラグビー部員と野球部員がカラむ話」だの「大学駅伝部におけるスポ根系やおい妄想」だのは、さすがに週刊新潮では書けまい。──と思っていたら、やはりそっち方面の妄想炸裂系ネタは少なくなっていた。そういう意味では、やや無難なテーマ選びになっている。ちょっと残念。<つか、そういうのを期待されても著者も困るだろうけどさ。
中高生対象のクルージング・スクールの途中、船が難破。無人島に漂着したのは、冬馬・宗近・黒木・フライデー・カスミの5人だった。雨上がりの夜空を見て、フライデーが叫んだ。「北極星がない!」──ここは南半球。そして航路からもはずれているらしい。数日後、別の浜に漂着した小林と未知が合流。いつ助けがくるか分からない、ここで自活するしかない。少年5人と少女2人の、手探りのサバイバル生活が始まる。
密室殺人は出てくるけれど、それは刺身のツマ。ミステリ的趣向という点でいうなら他にあるが、これはもう、S&Mシリーズ未読の人の方が堪能できるだろう。既読の人が持っている前提条件(「すべてがFになる」では早々に明かされること)が、そのまんまネタになっているようなものだから。知らずに読めば「うわ、そうだったのかあ!」と思うことであろうよ。ただ、S&Mシリーズを知らずにこれを読んだ人の中には、もしかしたら後半に近づくにつれて混乱が深まった人もいるかもしれない。そういう人は(反転)各章の奇数項だけ・偶数項だけというふうに読み返すと、分かりやすいかも。
印象的なのは、ラスト間際──エピローグ前の章の最後だ。自己完結していたはずの四季が放った叫び。「行かないで」でも「消えないで」でもなく、「私を置いていかないで」である。これはまるで、自分が大人になるのを分かっていながら「大人になりたくない」と叫ぶ少女そのままではないか。そしてこの結果、好むと好まざるとに関わらず、彼女は一歩「大人」に向かうのである。
それはそれとして。天才──と表現されてはいるものの、まだ成長過程のアンバランスさが散見される。メモリとその処理速度に於いてものすごく優れてるのは分かるんだが、ヘタをしたら《超弩級に並外れてオベンキョーが出来るが故に商品価値が異様に高く、周囲が特別扱いした結果、性格が歪んでしまったヘンな子》というふうにも見えてしまう。だってさあ、ホントに四季が「頭が良い」のなら、もちょっと軋轢だの摩擦だのってあたりを上手にクリアしてもいいんじゃないか? つか、そもそもそんなものを生み出さないだろ。そういう方面の技術は持ってないわけで、なんか随分いびつな能力だよなあ(←無論、この「いびつ」というのは俗人・凡才のあたしが持っている基準で測っているに過ぎず、更にその上を行かれているってことなのだろうけど)。
と書いて気がついた。天才イコール万能というワケではないのだ。当たり前か。天才だからこそ生まれいずる歪みやいびつさというのは、一種のノーブレス・オブリージュなのかもな。だからこそ、「其志雄」が必要になるのだ。
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ミステリ的趣向は陰を潜め、事件の発端から発生までを時系列で描く形式。ただ、そこに敢えて謎を見つけるとしたら。「どうして四季はこんなことをしたのか」に尽きる。紅子が17〜18才で出産したというのを聞いて「その手もあるか」と考えたのかとも思ったのだが、叔父に対するアプローチはそのずっと前から始まってるわけだし。作中で、「忘れる」ことができない四季が、「忘れる」「思い出す」といった概念を何とか体感しようとするシーンがある。自分が自分でなくなる瞬間を会得しようとするのだ。その延長線上にあるものなのか? つまりは「実験」だったのだろうか。
つか、叔父に対する彼女の感情はいかなるものだったんだろう。それが最大の謎だ。自分や兄の出生を考えれば、似たような遺伝子が条件的に良いってことだけなのかな。
それにしても「四季 春」に比べると、四季ちゃんてばずいぶん丸くなっちゃって。そういう部分では確かにオトナになったのね。13才だけど。丸くなったオトナがあんなことをするかどうかはさておき。
「すべてがFになる」前日譚という位置づけではあるけれど、それとS&Mシリーズ、Vシリーズを繋ぐアジャスタにもなっている。なんつ〜か、プロローグにして総集編みたいなノリになってきたなあ。紅子も泥棒君(笑)も七夏も林も出るし、おまけに喜多と「犀川君」が四季とすれ違ったり紅子と会話したりするし。「四季 春」はS&Mシリーズ、Vシリーズを未読でも構わないけれど、それに比べるとこちらはそれらを未読だと、少々「思わせぶり」が過ぎるように感じられるかもしれない。
あと、これは「四季 春」の時から気になっていたのだけれど。俗で邪悪なオトナとしては、四季が美少女ではなくもっとこう──ハッキリと不細工だった場合、彼女の運命は変わっていたのかな。おほほ、イヤねえ、おばさんの考えることって。
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新宿二丁目のほがらかな人々・新宿二丁目のほがらかな人々(角川書店)
いやあ、これは面白かったなあ。オカマさん3人の対談ということで、最初は色物かと思って読み始めたのだが、読んでるうちに彼ら(彼女ら?)がオカマさんだということを忘れてしまったよ。とにかく視点が鋭い。恋愛の話、マナーの話、プレゼントの話、仕事の話、生活の話──別にオカマさんだからどうこうではなく、とてつもなくシャープでインテリジェントな《ものの見方・考え方》が展開される。おまけにそれが抽象論ではなく、極めて具体的。まるで「真にかっこよくなるためのハウツー本」と銘打ちたくなるくらいなのだ。カバーに「おしゃれとセンスはゲイに学べ」という糸井重里の言葉が書かれてるんだけど、まさにその通り。
ジョージさんのお仕事は実業家さんってことで、相当にリッチな方のようなのだが、そのジョージさんが、例えば「ブランド店でのマナー」とか「レストランのマナー」「パーティでのマナー」なんてのを教えてくれる。それがねえ、もう、目からウロコなのよ。「あたしブランドなんて買わないから関係ないもん」という人でも、その考え方や指針といった点は、絶対に参考になるし応用できる。それに加えて、「恋人への思いやり」や「仕事で頑張るということ」などについて語られた日には……ああ、人生ってのは、いくらでもステキにできるものなんだ、そして実際にこんなステキな人達がいるんだ、というのを実感させられてしまうのだ。
真にかっこいいとは、どういうことか。真に可愛いとは、ゴージャスとは、エレガントとはどういうことか。外見や仕草といった具体的なことに始まり、心の問題まで踏み込む。オカマさん特有の面白い喋り口調で「あはは」と笑わせながら、そういう心根の問題をスパっと斬ってみせる。実に爽快。そして感動。とにもかくにも刺戟的。三十代も残り少ないというこの年齢になって「よし、あたしももっともっとイイ女になってやろう!」と思わせてくれたのだ。
また、ラスト間際では、「あれ? この人ってゲイかな? ゲイかも」と思ったとき、言っていいこと・いけないことなんて話題も出てくる。こういうのって、ホントに分からないことだから、「ああ、そうなんだ」と感心してしまった。教えてもらってよかった、という感じ。
そう、この本はとにかく「教えてもらって良かった!」と思うことに満ち溢れているのだ。お薦め。
(03.11.9)《この本の詳細情報&注文画面へ》
登場人物だけ見ると、《東京の裏社会》ぽさもあるんだけれど、ところが軒並みトボけたところがある上に、物語そのものもコメディタッチなので、楽しくサクサク読める。つまりはドタバタ劇だ。だいそれたことをやろうとしてる割には、詰めも甘いし頭も悪い。ただ運だけで乗り切っていくのだけれど、そこがまた妙におかしみがある。
三田のキャラ──「過集中症」のため集中力は抜群だが視野が狭いためドジばかり、というのは良いのだけれど、複雑な数字を一目見ただけで覚えるなんていう特技は、最近ちょっとあまりに多すぎるので「またかよ」と思ってしまった。ヨコケンにしろクロチェにしろ、キャラクタとしてはステレオタイプ(話をハジけさせるために、わざとそう設定してる部分もあるのだろうけど)だし、何か大きな特徴があるわけではないのだけれど、とにかく展開が巧いんだな、これは。あっと言う間に読者を取り込んで、そのままトップギアのフルスピードで突っ走る、B級ならではの面白さ。
この手の痛快活劇だと、ラストはたいていワンパターンになってしまうものなのだけれど、この結末は意外に新鮮。ここまでドタバタの危ない目に遭わせて、でもこういうラストだと、なんか全部を笑い飛ばせてしまうような気がする。読後感がいい、ってヤツだ。
それにしても、このクロチェの弟のダメぶりは、もうほとんどコントだよなあ。いっそ、こいつが全ての黒幕だったらかなり驚くのに、と期待してしまった。
(03.11.18)《この本の詳細情報&注文画面へ》
だもんだから、普通のミステリなら「犯人は誰だ」「どういうトリックだ」ということを推理しながら読むところを、「どんなダジャレだ」「何にひっかけるんだ」という箇所を推理してしまう。そのダジャレがズバリ分かったときの快感といったら、もう! しかし、たいていの場合、こちらの想像の上を行くダジャレが用意されているので、「次回こそは!」と読者も燃えるのである。燃える場所が間違ってますかそうですか。
【邪馬台洞の研究】伝奇学園の敷地内に拡がる立入禁止の“常世の森”には、卑弥呼の財宝がある?──。後半のダジャレオンパレードに思わず脱力。だはあ。でも、最後の最後に出てきたネタには「もしや……」という妙なワクワク感がある──かなあ? その時代にローマ字って。
【死霊洞の研究】“常世の森”には、珍しい昆虫が棲息している。その昆虫を探しにいった小学生が行方不明になり……。く、く、く、くだらねえええええ。なんで蘇我氏が英語で暗号なんか作るんだよ!
【天岩屋戸の研究・序説(一)】これはちょっと気になる断章。次の巻を待つしかないのだけれど……。
【人食い洞の研究】民俗学研究会が合宿に選んだ村では、おりしもわんこ蕎麦の大食い大会が予定されていた。ところがその前日、村の子供たちが行方不明になる──。ドラマ「TRICK」の原作に推薦したいような作品。ホラーとしてもパニックものとしても充分な舞台設定なのに、なんなんだ、この無理無理の解決は! だはははは!
(03.11.19)《この本の詳細情報&注文画面へ》
殺し屋はバスに乗る・山本音也(講談社)
カナコを「守りたい」と追いかけてくる、そのストーカーまがいの青年・ガーシーは、他人とうまくコミュニケーションがとれない。時代劇の言葉でしか喋れないのだ。吉岡は、そんなガーシーを騙して、敵対するヤクザを殺させようとする。カナコがそれを望むのならと、刃物を持ってでかけるガーシー。そのヤクザとは、カナコの元恋人を殺した男でもあった──。松本清張賞受賞作家のクライムノベル。
とてもやりきれない物語が展開されるのだけれど、ちょっとしたエピソードや小道具の使い方が巧いので、巧い具合に物語世界に取り込んでくれる。特にこの凶器には感心。なるほどなあ、まだまだ世の中には「ヒトゴロシの道具」はたくさん溢れているのだ。
とにもかくにも、感心したのはラストだ。定年前に一花咲かせたい刑事、カナコを守りたいガーシー、生きなおすことを決めるカナコ。明かされる事実と、明かされない事実。とんでもない運命の偶然が彼らを結びつけているのに、それを当人たちには教えずに終わるなんて、なんてイケズな作者なの! きぃ! もう、読んでて「カナコ、カナコ、その刑事さんはあんたの恋人のね……」「田中さん田中さん、その女性はあんたの部下のね……」と、横から口を出したくてしかたなかったわよ。読者だけが知っている事実。読者だけが知っていて、登場人物たちは知らされないまま離れていく。きゃあ。でも、なんとなく再会の予感を残したまま終わるあたりが、もう、なんとも巧いやら小憎らしいやら。
明かされる事実の方も、なんとも切ない上に感動的。ガーシーのおいたちは目も当てられないほど悲惨だけれど、この過去と、暗示される未来に、とにかく救われる。贅沢を言えば、もちょっと伏線があると良かったんだけど……いや、充分か。本格ミステリじゃあるまいし。
新宿だの風俗だのヤクザだのというクライムノベル風な出だしの小説が、いつの間にか切ない感動路線に着地するなんて。なかなかの逸品じゃありませんか。
(03.11.22)《この本の詳細情報&注文画面へ》
う〜ん、たいがいの野球小説には、野球というだけで点が甘くなってしまうのだけれど、それにしたってこれは相当に「ありがち」の話だなあ。沢渡が野球を辞めた本当の理由というあたりが、ちょっと目立っていたくらいか。そこからは「弱小野球部が一念発起して悲願を成就させました」という、もう実に高校野球モノの王道だ。
面白くないわけではない。いや、むしろ、個々のキャラクターも、1985年という時代風俗も、校長との対決も、練習場の問題も、それぞれきちんと面白い。しかし、野球小説だと思って読み始めてしまったのに、試合描写も表面だけだし、練習の描写にしたってディーテイルに欠けるし──野球小説ではなくて青春学園小説だったんだなと気づいたときには物語が終わってた。
つまりは、リアルに行くかハジけるかの中間に放り出された戸惑いなのだ。「都立水商!」くらいハジけてくれれば、そういうものだという前提のもとに何が出てきても大笑いして楽しめる。逆に、赤瀬川隼や川上健一くらいリアルに書いてくれれば、手に汗握ってどきどきしながら読める。どっちつかずの曖昧さが、「なんだか良くあるタイプの青春ものだなあ」という感想になってしまう原因ではなかろうか。いや、話自体はホントに面白いのよ。文章も達者だし。野球小説だっていう先入観がいけなかったのかなあ。1985年の風俗と青春に注目すべきだったのかも。
あと、どうしても残念だったのは、クライマックスで白日のもとに曝される、ある仕込み。これはちょっと見え見え過ぎる。最初にこれが出てきたシーンで使い方の見当がつき、別のシーンで「あ、これだ」とすぐに分かってしまうもの。ここはもう少し上手に騙して欲しいところだったのだが。え、ミステリじゃないんだから、そういうのは関係ないんだって? ごもっとも。
(03.11.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》
そのせいか、なんだか無難な比較文化論に終始してしまった観がある。といっても、たとえありがちなテーマであっても、思いもかけぬところからアプローチしたり、例え話が秀逸だったりするので、充分楽しめることに変わりはないんだけどね。
印象的だったのは、スロバキアで育ち日本に帰ってきたときに、吉永小百合をブスとしか思えなかったというくだり。ところが日本に戻って2年もすると「キレイな人だなあ」と自然と思えたそうだ。国によって「美」というものがどれだけ違うか、よくわかる。
また、シベリア鉄道のツアー詐欺にひっかかった友人の話。シベリア鉄道に乗れるというツアーに申し込んだ20人と共に、雇われ通訳としてハバロフスク入りした筆者の友人。ところが、予定の時刻に出発する列車はない。旅行社に電話すると、既に雲隠れ。騙されたと気づいたときには遅く、結局、貨車に客車を繋げてもらって旅行はスタート。ところがもともと貨車なので、物売りは来ないし食堂車もないし──。でも、こんな中で、最初は怒っていたツアー客が次第に変わって来るあたりは、なんだか感動すら覚えてしまった。
感心したのはエチケットの項。日本の元首相がロシア要人とあったとき、相手方の奥様をさしおいて、まず自分がロシア要人と握手をしてしまう。これは重大なマナー違反なのだけれど(奥様同士の握手→男性と相手の奥様の握手→男性同士の握手の順がマナー)、場所が日本だったので、相手の要人も「郷に入っては」と従ってくれた。これは、日本人が外国のマナーを知らないという趣旨のエッセイではない。「自国に招くのなら、徹頭徹尾自国のマナーでやれば良いのに」という話である。最初から、女は三歩下がってというスタンスで挨拶すれば握手の順番など問題でなくなる。つか、握手の必要もない。ここで大事なのは「女は三歩下がって」とは、男尊女卑とイコールではない、と作者が言い切ってることだ。当初はそういう意図があったとしても、すでにオートマティックなものになっているではないか、と。詳細は本編を。
さすがに制約があった分、毒は少ないが、それでも充分に得るところの多いエッセイ集である。
(03.11.26)《この本の詳細情報&注文画面へ》
しかし、それでももともと文章巧者な人なので、どれもきっちり笑わせてくれる。ネタがやや無難になってるだけで、やはり面白いのである。ちょうど連載がサッカーのワールドカップの時期に当たっていたらしく、そのヘンの話が何度か続くのだけれど、ドイツのゴールキーパー、カーンの説明が「道行く人に彼の写真を見せて、『さあ、この人の好物はなんでしょう?』と質問したら、十人が十人『バナナ』と答えるであろう、猛きゲルマンおのこ」……10分笑ったわよ。
あたしの好きな「妄想系」も、ちょびっとある。例えば、高村薫(著者がファンらしい)の新刊「晴子情歌」が発売になったとき、どんなストーリーか勝手に想像する。この想像ってのが、本物より面白いんじゃないかってくらい。また、人気テレビドラマ「GOOD LUCK」の第2回までを見た時点で、最終回を予想する。あたしはこのドラマは見てなかったんだが、もういいや、見なくて。この想像ストーリーの方が絶対に面白いもん(笑)。
真面目に感心してしまったのは「名作に驚きの事実発覚」の項だ。二十歳そこそこの子が、ガンダムを全く知らなかったということに驚いた著者が、こういう提案をするのだ。「ガンダム浸透度がどれほどのものなのか(中略)国勢調査で家族構成を聞くついでに、こういうことも調べてくれればいいのに、と思う。(中略)ガンダムのストーリーを知る最高齢の人は、福島県の田所源造さん(九十八歳)って感じに」──なるほど! 趣味思考の年代別分布。これってマジでやればいいのに。総務省よ、是非御一考を!
(03.11.28)《この本の詳細情報&注文画面へ》
渚にて・久世光彦(集英社)
ジュール・ベルヌの15少年漂流記を思い出す。しかし、あれほど明るくはない。不安と恐怖に耐えかねて、錯乱する者も出る。マラリアと思しき病に罹る者も出る。狂いかける者も出る。しかし少年少女たちは、その問題のひとつひとつに、懸命に正面からぶつかっていく。
ベルヌと最も違う箇所は、彼らの性が描かれている点だろう。16才だ。当たり前だ。16才ってだけでも当たり前なのに、淋しいし極限状況だし着替えだって充分に無い状態なんだから。物語はサブ・リーダーの冬馬の視点で進むが、それぞれが胸の中にいろいろな思いを秘めながら、しかしそれを口にせず──口にしたら何かが壊れることを知っているかのように──危ういバランスを保って彼らの生活は続くのだ。そして、時折バランスを崩しそうになる事件が起きる。そんな中から、恋も生まれる。だけどまず、恋より、性より、生活だ。
とにかく、「言わない」ことの素晴らしさを認識させられる。「裏切り」ともとれる証拠物を発見したとき、皆、そのことに気づいていたのに、誰も口にしない。少女に変化があったときも、誰も指摘しない。「助けなんて、来ないのかもしれない」と思っても、それを口にするときはポジティブな表現に変える。「言わない」のは、波風を立てたくないという消極的な知恵かもしれない。しかし、それによってひとつの小さな社会が構成されていく様は、今の社会の基本形を見る思いがする。何より、スレスレの綱渡り生活の中でも懸命に思考する少年たちの気高さが心に迫る。
こういうサバイバルものになると、えてして話の流れは2パターンに分かれる。皆で協力し、前向きに事態に対処するケースと、裏切りや疑心で最後には殺し合ったりするケース。ミステリだと後者になるのだろうが、ただでさえ極限状況なんだから、ここはやっぱり前向きなものを読みたい。ということで、この本だ。思いきり前向きである。「こいつら、人間が出来すぎ」と思う箇所もあるが、それでも、こういう事態に放り出されれば、人間の矜持や知恵がプラス方向に発揮されると信じたい。これはその好例だ。彼らがこの無人島にどれくらいの期間暮らすことになるのか、彼らに変化はあるのか──そこは是非、本書を読んで確かめて欲しい。これはお薦め。
(03.11.30)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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