夏希は高校のバスケ部員。ある日の練習中、チームメイトの幸の足を踏んだはずみで、転倒してしまう。踏まれた方の幸が痛みが取れないということで、翌日、夏希と幸は、いっしょに靭矢(うつぼや)スポーツクリニックへ出かけていった。が、医者の靭矢は、幸ではなく夏希の方を気にしているようで──。
ルピナス探偵団の当惑・津原泰水(原書房)
1、2作目は、講談社X文庫でヤングアダルト向けに書かれたものを、書き直した由。3作目は書き下ろし。ルピナス学園の高校生で、刑事の姉を持つ彩子。彩子の想い人・祀島。彩子の友人、キリエと摩耶。この4人が謎に挑む。
探偵大杉栄の正月・典厩五郎(早川書房)
時は、大逆事件の判決が下ろうとしていた明治44年正月。出獄したばかりのアナーキスト・大杉栄は、暮らしに窮していた。そこに、同郷の警官が、失踪した大富豪夫人の捜索をやってくれないかと持ちかけてきた。その頃、何者かが東京各所にペスト菌をばら撒くという事件が勃発。陸軍は秘密裏にこれを処理していたが──。
時代は明治。若くして湖で水死した友人の父親が、隠居するにあたって私に家守りを頼んできた。庭・池・電灯付二階屋。文明の進歩とやらに棹さしかねている私は、二つ返事でそこに住むようになったのだが──その家と庭では、日々、不思議な出来事が起こるのだった。
ワニ 〜ジャングルの憂鬱 草原の無関心〜・梨木香歩(理論社)
画家・出久根育とタッグを組んだ絵本。
あかりは、海外ロマンス小説の翻訳家。28歳。恋人の神名と半同棲中だ。ところが、その神名がいきなり会社を辞めてきた。その計画性のなさに腹を立てたあかりだったが、神名はそれにも気づかぬ様子。それだけでなく、居酒屋でよく会う女の子がどうも神名に近づいているようで──あかりは、溜まりまくる鬱憤を、ロマンス小説の翻訳にぶつけた! 小説は原作からどんどん離れていって……どうなっちゃうの?
真夏の島の夢・竹内真(角川春樹事務所)
コント劇団コカペプシの若き男性メンバー4人が、瀬戸内海に浮かぶ鹿爪島にやってきた。ここでバイト兼合宿の夏を過ごすのだ。そして日程の最後には、この鹿爪島で行われるアートフェスティバルに劇団として参加する予定。彼らが島に渡った同じ日、小説家の香織が缶詰となるため、秘書で従妹の律子・担当編集者の川端と一緒に鹿爪島にやってきた。若い4人の男性を見て、自ら執筆する官能小説のモデルにしようと思い立った香織は彼らに近づく。芝居に熱中するコカペプシの面々だったが、香織の接近、そして島のゴミ問題にまで巻き込まれ──。
にほんご観察ノート・井上ひさし(中公文庫)
いろんなメディアから「日本語」に関する記述・発言を抜き取り、そこから発展させて日本語に関する筆者の考えを綴ったエッセイ。堅苦しさはまったくなく、流行語からダジャレまでをライトに扱っている。「言葉の貯金が何より楽しみ」という筆者ならではの幅広さである。
白い兎が逃げる・有栖川有栖(カッパノベルス)
火村シリーズの短編集。既にアンソロジーなどで読んだものも入ってた。
橋本治が百人一首を現代語訳。それもただ歌の意味を述べるのではなく、ちゃんと現代語で五・七・五・七・七に直してあるのだ。例えば喜撰法師の歌「わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と ひとはいふなり」は、こうなる。
俺の家 都の東南 住んでます 名前はしかし ウジ山だってさ
わははは。何が良いって、ウザったい解釈が歌の中に入らず、過不足無く現代語訳されてるところだ。不足の無い訳は多いが、過足のない訳は珍しい。「俺は都の東南に庵をかまえて、こんなふうにちゃんと暮らしてるんだけど、それでも人はここのことを、世を憂える《憂じ山》なんて呼ぶんだよなあ、ふっ」というのがこの歌の解釈なのだけれど、歌の中でこんなふうに《説明》するのはヤボってもんだ。そのあたり、やっぱ橋本治は巧いなあ。あ、もちろん、こういう解説もちゃんと載ってますよ。このあたり「桃尻語訳 枕草子」と同じだね。
ミラクルな 神代にもない 竜田川 こんな真っ赤に 水を染めるか!
(04.4.29)《この本の詳細情報&注文画面へ》
スポーツドクター・松樹剛史(集英社)
おお、これは面白い! 硬い床でバスケのトレーニングをしていた女子高生が陥った故障、肘を壊してしまったリトルリーグの少年、トップレベルの競泳選手のドーピング疑惑など、「アスリートのケガとドーピング」をテーマに綴られた連作集だ。最初が女子高生、2章がリトルリーグってことで、文字どおり「女子供」から話が始まるため、スポーツに疎い読者でもすんなり入っていける。
なぜドクターは、痛みを訴える幸よりも、「なんともない」という夏希を心配したのか。リトルリーグの子供が、肘の故障をおしてまで投げなくてはならない理由は何か。女性スイマーから漂う、甘い香りは何なのか。ドーピングが疑われているスイマーを、なんとか助ける方法はないのか。そんなミステリ的醍醐味も味わえる。何より、連作の体裁をとりながら、ラストに向かってひとつのテーマに滑り込んでいく過程の盛り上がりが、なんともドキドキさせてくれるのだ。スポーツの世界の闇を覗きながらも、キャラクターの魅力で和ませ、綿密な取材で説得力を持たせ、その上、感動的に仕上げるってんだから、まったく文句無し!
キャラという点でいえば、看護師の英子が最高! もう大笑いしちゃった。第1章で靭矢に診て貰った夏希がそのまま靭矢スポーツクリニックでアルバイトをはじめ、受付の一枝も十代。英子はただひとりの三十代で、やたらと「若くないから」「もうトシだから」と僻みモードに入るのである。これの僻み方がもう、おかしくっておかしくって、お腹が捩れそうになるくらい笑っちゃったわよ。マンガほど極端でなく、リアルなんだけど笑えるキャラクタの最高峰だな。ところが、単に笑わせの僻みキャラかと思ったら、その僻みモードを利用して活躍する箇所があったりもするから侮れない。また、後半で出てくるスポーツライターの江(コウ)も、実に魅力的。うん、男性作家で、ここまで女性を「女性が読んで魅力的」に書ける人って珍しいんじゃないかな。これはお薦め。笑えて、考えさせれて、スポーツ業界の知られざる情報に感心して、読後はスカっとするよ。
(04.4.20)《この本の詳細情報&注文画面へ》
パズラーとして、謎がどれも最高に魅力的。WHOではなく、WHY、または、HOWに焦点が当たってるのも実に好みだ。物語のテンポも良く、キャラの役割もはっきりしてるので、若年層の読者には特にお薦めだな。
ただ、個人的には、彩子の姉で刑事の不二子のキャラクタに、どうにも腹が立つっ。ライトなエンターテインメントには良くあるタイプのキャラなんだけど、自分の仕事上の思惑のために妹の恋心を利用するなんて(それもあんな方法で!)どうにも赦せない。読みながらもう、頭に来て頭に来て。あまりに自分勝手過ぎる。しかし、考えてみれば、人を殺すという究極の罪を犯している登場人物もいるのに、殺人犯より「妹の気持ちを弄んだ姉」の方に腹を立てるってのはなんでだ。
【冷えたピザはいかが】犯人は殺人を犯したあと、ピザを食べてから逃走した。何のために?──犯行の様子も、犯人の名前も、冒頭で提示される。なので物語は、「この人が犯人と断定できる根拠」と「なぜピザを食べたのか」の2点だ。この最初の点については文句無し。なるほど、これは盲点だ。ただ、ピザの点については……確かに「ピザがそこにあってはいけない理由」としては素晴らしくロジカルで感心したんだけど、別に無理に食べなくてもいいよなあ。持ち出せばいいんだもの。或いはトイレに流すとかさ。他のモノは持ち出してるんだから、持ち出せない理由があったわけじゃないし。そこが気にかかって仕方ない。ピザをなぜ食べたのかという謎がとても魅力的だっただけに、「食べなくちゃいけない」理由が弱かった(なかった)のは残念。
【ようこそ雪の館へ】おお、雪の山荘だ。おまけに雪には足跡とダイイングメッセージ! これでもかってくらい、本格のコードが目白押し。途中で示された解決案には思わず膝を打った。更にそこからひっくり返すとは。
【大女優の右手 】舞台の途中で病死した大女優。ところがその遺体が消え、発見されたときには右手が切断されていた──。これ、イチオシ! エピソードの組立が抜群だ。とてつもなくドラマチックで濃密な一編。
(04.4.21)《この本の詳細情報&注文画面へ》
まず、主人公兼探偵役が、大杉栄というところに惹かれた。この作中での栄は26歳である。ところが読み進むうちに、どうもなんとなく脳内でイメージしていた大杉栄とズレが出てくる。なんともまあ、行き当たりばったりの、若気の至りだけで生きてきたような人物に描かれているのだ。なんとなく、アナーキストというのだけ、血気盛んにして報われない悲劇のヒーローのようなイメージを抱いていたのだが、大違い。考えてみれば、こういう時代に「思想に走る」というのは、それこそ(全共闘世代の例もあるように)熱くなりやすい若者の流行みたいなものだったのかもしれないなあ。
大富豪夫人の失踪と、ペスト菌ばらまき事件、この二つが別のところで起こりつつ、その両方に巻き込まれる大杉栄。それが次第に……という、その話の流れはさすがだし自然だし、おまけに夫人の失踪の方はなかなかにトリッキー。しかし、全体の印象は、そういうミステリ部分を目立たせない。最初に来るのは、やはり時代描写。そして何といっても、大河ドラマかと見紛うような、豪華な登場人物陣。なんせ、首相桂太郎、寺内正毅陸相、山縣有朋、乃木希典、東条英機、大熊重信、伊藤博文、幸徳秋水、荒畑寒村、松井須磨子、黒岩涙香、石川啄木、竹久夢二、尾上松之助、北里柴三郎……それだけではなく、大杉栄がかくまった中国人の若者が、後にあの有名な政治家になったりするのだ。若き日の東条英機が、エリートだけど油断のならない風情だったり、竹久夢二がなんともヘラヘラした偽悪的な若者だったり、そういう人物をニアミスさせたりするあたりなんざあ、ただただ、(フィクションであっても)情景を想像してわくわくしてしまう。
あまりの豪華出演陣に、ストーリーやプロットが押されてしまった観あり。役人や軍人の描写も、いかにも明治末期という感じで、雰囲気満点のレトロ。もったいないな、ミステリ部分もストーリーも落ち着いて考えれば魅力的なのに。ホントは物語も面白いのに、アイドルや人気俳優を贅沢に使いすぎて話題がそっちに流れてしまった映画みたいになっちゃった。
(04.4.22)《この本の詳細情報&注文画面へ》
家守奇譚・梨木香歩(新潮社)
短編というより、連作掌編集といった感じか。日々の様子が、短い物語で縷々綴られる。これがまた、いいんだなあ。名付けて「明治の自然が産む、和風ファンタジー」だ。サルスベリの木に惚れられたり、白木蓮の木がタツノオトシゴを身ごもったり、散り際の桜が挨拶に来たり。庭の木々、床の間の掛け軸、疎水や竹薮……それらが、ひんやりとした、しかし濃厚な緑の香りを運んでくれる。その香りが鼻孔をくすぐったとき、既に読者は梨木ワールドに捉えられているのだ。犬のゴローと隣のおばさんが、そのゆったりとして空気に暖かみを加えてくれる。なんかさあ……「和」って、いいよなあ、と溜息をついてしまうような世界。
幽霊も出てくるし、河童やタヌキも出てくる。が、全然怖くない。すべての不思議が、「そこにあるもの」として、ゆっくりと、自然に語られる。あくせくしないのが、いい。激しくないのが、いい。手に汗握るサスペンスも面白いけど、こういう静かな水面のような物語は、本当に心が澄んでいく。「私」と、亡き友人の高堂。犬のゴロー。隣のおばさん。薬売りや、寺の和尚。彼らがおりなす、ゆったりとした物語。時にはおかしみがあり、時には鋭く、そして時にはしっとりと心に染み通る。100年前が舞台というより、皆が急ぎ足の現代社会で、ふと立ち止まってそこにある襖を開けたら、その向こうにこんな世界があるんじゃないかと思わせてくれるような、そんなファンタジー。これはいい。お薦めだ。静かな夜に、一編ずつ読んで欲しい。
私見ながら、こういう物語は、若干値段が高くなったとしても、もっと凝りに凝った装丁で出して欲しいな。いや、今の装丁もシンプルで和のイメージでとても良いのだけど、なんというか、『愛蔵版』みたいな、字体や、ページの紙質にまで神経を届かせたような、そんな本でページをめくりたくなる。そんな「贅沢が許される」だけの奥行きのある世界を持った物語集だ。
庭のある、古い日本家屋で暮らしてみたくなった。
(04.4.23)《この本の詳細情報&注文画面へ》
ジャングルに棲むワニは、自由気ままに生きていた。周囲の動物を脅して糧を得、それが脅しになっているという自覚はなく、ただ好き勝手に生きていた。そんな自己チューなワニにも、憧れはある。その憧れの対象はライオン。あのライオンだけは、俺と同列にいる唯一の動物だ──。そんなある日、ワニはカメレオンから「自分たちは、同じハチュウルイの仲間だ」と聞く。「ライオンはホニュウルイで、仲間じゃない」と。そんなバカな、俺とライオンが同じ仲間じゃないなんて! そんなこと、ありえない!
絵本といっても漢字はびしばし出てくるし、寓話といってもテーマはなかなかに奥深く形而上的だし、せいぜい小学校高学年以上でなければ読めないだろうと思われる。大人の絵本といった方がいいかもしれない。
ワニはライオンに憧れて、それ以外の動物に意志や人生があるなんて考えてみたこともない。この世はただ「自分」と「自分じゃないもの」に分かれるだけ。こんな斬新で先進的な考えを理解できるのは、俺以外にはあのライオンくらいしかいないだろう。──なんか、こういう人、いない? もしかして、自分の中に、こういう部分がない? 自己チューこの上ないワニが辿った末路は、「ほーら、やっぱりこういう目に遭うんだよ」というものだったけれど、そこに漂う一抹の寂しさと虚しさは、いわゆる勧善懲悪モノの童話とは一線を画する。それは、ワニが極めて人間的だからだ。誰もが持っている「自分の中のワニ的な部分」を自覚させられるからだ。
自分の悪事を悪事だとも思わず、周囲に迷惑をかけ、自分が間違っていたとはついぞ気づかぬままに生涯を終える。その滑稽さ。そして、そんなワニ一匹いなくなったって、今日もジャングルは生い茂り、草原には風が渡る。斬新で最先端だったはずのワニは、何も残せず、ただ忘れられていくのだ。
(04.4.23)《この本の詳細情報&注文画面へ》
ロマンス小説の七日間・三浦しをん(角川文庫)
ページを開くと、いきなり「中世ヨーロッパ」みたいな舞台で、騎士だの領主だの婚礼だのという話が出てくる。なんだこれは、こういうジャンルの物語にはあたしゃ馴染みがないぞ……と首を傾げながら読んでいくと、25ページ目でいきなり、「その物語を翻訳していた主人公・あかり」の視点に変わる。なるほど、ここまでの話は、あかりが訳したロマンス小説だったのね。
以降、小説と現実が交互に語られるという体裁なのだが、鬱憤の溜まったあかりがロマンス小説をどんどん「創作」しちゃうようになると、おかしいやら悲しいやら。何か大事件が起きるわけではなく(いや、ちょっとしたものはあるけど)、恋人たちのよくあるすれ違い。よくあるとはいえ、当人にとっては大問題。うんうん、そうだよね。あかりの腹立ちはすごくわかるし、それをぶつけられないのも分かるよ。あかりに共感しまくる読者はあかりと共に、ありがちなハッピーエンドで終わるはずだったロマンス小説を「変えていく」ことで、あかりの将来を摸索し始めるのだ。実に巧みな構成である。なんてテクニシャンなんだ三浦しをん。
あたしはもともと三浦しをんのエッセイのファンで、エッセイに比べると小説は「きれいなんだけど、でもエッセイの方が面白いや」という印象が強かった。しかし本編は、エッセイで見せていた「引きの強い文体」を上手に駆使して、読者を巧みに引っ張りこめるようになった。つまるところ、読んでいて「楽しい」のである。おかしくて悲しくて暖かくて、そして読んでて楽しい。28歳で仕事を持っている女の「恋愛」。中世の姫君の恋物語と、現代の28歳女性の恋物語。恋のドラマは、時も場所も選ばない。あなたがいれば、そこに恋愛小説は生まれるのである。
(04.4.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》
全編コメディタッチで書かれているので、サクサクと読める。といってもライトなだけではなく、良く見ればなかなかに構造は複雑でよく練られているのだ。それなのに、「練りました!」という自己顕示欲がないのがグッド。複雑で練られた物語を、いかに読みやすく楽しく読者に提供するかというところに重点を置いているのがわかる。
この物語では、コカペプシの芝居の練習、ゴミ問題、香織の官能小説の進捗という3つの事象が、コカペプシの4人の中心に絡み合う。ラブ・アフェアの様子は香織の小説に取り込まれ、ゴミ問題はコカペプシの芝居にヒントをくれる。それが一つの流れを作っており、ともすれば散漫な印象を与えかねないと思うが、そこをすれすれで巧く組み立てており、読んでてとても楽しい。
また、コカペプシの面々が作り上げる芝居のストーリーが、これまた立派な作中作になっている。いやあ、正直言って本編より、このコカペプシの芝居の方が面白いんじゃないかってくらいだ。<それは誉めてるのか? このコカペプシの台本、完成版を通しで読ませて貰えないかなあ。いや、それより舞台で見る方が面白いか。とまれ、こういうお笑い芸人のネタが小説に登場するときって、「これ、笑えるのかな」と思うことが多いんだが、これはホントに面白そう。あ、そうか、この著者って、「粗忽拳銃」でデビューしたんだっけ。もともとお笑いには詳しいヒトなのだった。
惜しむらくは、エピソードが多岐に渡って、やや消化不良の観あり。複雑を複雑に見せずに読みやすくしてるってのは美点なんだけど、もうちょっと個々のエピソードをたっぷり堪能させて欲しいなあ。すらすら流れすぎるとでも言おうか。もちっと「炸裂」する部分があっても良かったかな。
(04.4.27)《この本の詳細情報&注文画面へ》
もともと、どうも内容を見るに、1998〜2000年くらいに書かれたエッセイを集めたもののようで、既に懐かしい話題もチラホラ。小渕首相(当時)の言葉があったり、ポケモン現象の話題があったり。読んでて楽しい理由は、よくある「この日本語は間違っとる!」とヒステリックに叫ぶ類の本ではない、ということだ。巷間使われている言葉を俎上に上げつつ、そこから更に一歩踏み込んで持論を展開してくれる。
たとえば、信州大学理学部生物学科の入試で出された小論文のテーマについて。なんとこのテーマが「この試験の終了後、自由時間(十二時間)と自転車を与えられたら、どこを訪ねたいか。場所と理由を述べよ」というものだったそうだ。なぜ生物学科でこの問題なのか、という理由に触れたあと、「他にもこんな面白い小論文のテーマがあったよ」と教えてくれる。読んでて、実に楽しい。
その他、流行の名前の考察、語呂合わせの価値、筆者独特のダジャレ作りの方法など、実はかなり専門的な国語学の内容を、そうとは知らせず(?)平易な文章で語りかけてくれるワザはさすがだ。その分、大事なことが書かれてるのにサラっと読み流してしまうことも多々あるんだけどね。かと思えば、プロ野球の選手名鑑を見て、個々の選手の「座右の銘」からあれこれ想像したりする回もある。巨人の橋本投手の座右の銘が「ガチョーン」だと紹介して笑ったりして。
嬉しかったのは、あたしの好きな宮沢章夫のエッセイ集「青空の方法」から引用されてたこと。「どんな文章でも『人生いろいろである』とつければ、終わってしまう」というくだりだ。例えば「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。人生いろいろである」←ね、終わってるでしょう?(笑) これを読んだ井上ひさし氏が、同じ手法でいろんな名文を終わらせて遊ぶわけだが、何でもこれで終わるというわけではない。この必殺フレーズをもってしても、終わらせられないものもある。その違いがどこにあるのかという話には、膝を打った。
(04.4.28)《この本の詳細情報&注文画面へ》
こうしてみると、このシリーズって、実にシンプルなパズラーなんだよなあ。だけど構成が巧みで、読まされてしまう。事件が起こって、火村がでかけて、事情聴取して、はいわかりました──こういう単純な見せ方をしないのだ。例えば、目撃者の視点から描く。例えば、巻き込まれた被害者の視点から描く。そのため、事件そのものが厚みを持つ。臨場感が出る。つまるところ、「机上のお遊びパズル」とは一線を画したドラマになる。と同時に、あまりにシンプルな真相に、「してやられた」感も味わえるという寸法だ。
【不在の証明】「本格ミステリ02」所収。ひったくりの犯人が逃げ込んだ工事現場のビル。そこから彼が目撃したものは──。人間関係がチトややこしい気はするが、「何気ないひとこま」が伏線になっていた快感。
【地下室の処刑】テロリストの集団を追っていた刑事が拉致された。彼は集団内の「処刑」に立ち会うハメになり──。これもホントに、ある箇所に気づくかどうかだけの話なんだよなあ。それなのに読まされてしまう。動機に感心。
【比類のない神々しいような瞬間】「本格ミステリ03」所収。被害者の残したダイイングメッセージは、犯人にとって恐れるに足りなかった。ところが意外なところで──。ワンアイディアものとして実に秀逸で、好きな作品。
【白い兎が逃げる】中編。劇団の女優である清水玲奈は、ストーカーに悩まされていた。彼女を救うため、劇団の仲間は一計を巡らす。ところが、そのストーカーが死体で発見され──。そもそもアリバイ崩しというジャンルは、容疑者(或いは犯人)が絞れていて初めて成立する。ところがこの話は、途中まで犯人を絞れないのだ。で、フーダニットのつもりで読んでたのが、いきなり話の途中で「犯人はこいつってことで」みたいな展開になり、そこからはその人物が犯人だった場合のアリバイ崩しになっていく。どうにもスッキリしないなあ。このアリバイトリックも、その場所を知らないせいかインパクトに欠けるし……。なぜストーカーが殺されなければならなかったのか、の方が興味深かったんだけど、アリバイに話が収束しちゃったのが残念。もっと短くても良かったんじゃない?
(04.4.29)《この本の詳細情報&注文画面へ》
桃尻語訳 百人一首・橋本治(海竜社)
この本には、本来の百人一首の読み札・取り札と、現代語訳された百人一首の読み札・取り札がついてます。ってゆ〜か、そっちがメイン。橋本治の解説は、一首につき半ページという簡潔さだ。本の大半は厚紙製の読み札・取り札なのよ。その分お高くなってるんだけど、これが素晴らしい。現代語版の読み札の絵なんか、めちゃくちゃ可愛いのさあ(はぁと)。保存用と、実際に切り取って使う用と、ふたつ欲しくなるよ。
おまけに、古典というだけで鹿爪らしい印象がまとわりつく短歌も、現代語になおすとすっごく身近になるのだ。例えば、これの本歌はわかりますか?
隠しても 顔に出ちゃった 僕の恋 「何かあるの?」と 人が聞くもの
あの人が 好きだとみんなに ばれちゃった 誰にも内緒で 恋してたのに
セックスが この世になければ 絶対に こんなにイライラしないだろうさ!
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