お厚いのがお好き?


笑うニューヨークDANGER・竹内玲子(講談社文庫)

 「笑うニューヨークDELUXE」「笑うニューヨーク DYNAMITES」に続く、お笑いNYガイド&エッセイ第3弾。普通こういうのって次第にマンネリになるんだけど、このシリーズに限っては全然勢いは衰えない。いや、むしろ尻上がりに面白くなっているよ。
 今回の白眉は、なんといってもリンコさんの緊急入院! あのドラマ「ER」を世界を、モロにリンコさんが体験してるよ。夜中にいきなり腹部の違和感と強烈な貧血に見舞われたリンコさん。たまたま電話してきたフンフンにそのことを告げ、救急車を呼んで貰ったのだが──。いやもう、命に関わるようなこと(だってICUに入ってるのよ!)なのに、ここまで笑わせてくれるってアンタ。ときどき我に返って「これ、笑い事なのか?」と自問するが、その2秒後には「あははは」と笑ってしまうテイタラク。それにしてもフンフンかっこい〜。頼りになるぅ。リース医師萌えの大矢だったが、今回で一気にフンフンのファンに。
 ブラインド・デートの項も面白かったなあ。こんな出会い系サイトみたいなイベント、危険じゃないのかと心配になるが、それが大丈夫なんだから不思議だ。日本じゃできないな。で、そこで知り合ったいろんな人とのデートの話なんだが、中でも「悲惨なデートの経験なら世界一」のパオロが最高! 彼に連れてってもらったストリップ・バーの話もすごい。
 学校の話は「へええええ」と感心するし、ヤンキースタジアムは羨ましいし、タクシーやバスの運転手相手にキレまくるリンコさんってば何て男らしいの!(うっとり)<女です。そしてラストには、あの──9.11のことが出てくる。3巻目にして、初めてだ。読んでいて、いきなり背筋が伸びた。あの日、ニューヨークに住んでいた邦人の文章をちゃんと読んだのって、もしかしたらこれが初めてかもしれない。爆笑エッセイから一転、9.11。その格差が、いっそうあの日の「異常性」を際だたせている。そしてブラックアウト(NY大停電)。この二つの項は、そんじょそこらの報道なんかより、よほどストレートで臨場感がある。これは読む価値ありだ。
 とまあ、文句無しの1冊だったんだが──ただ、すごく気になることがひとつ。9.11についての記述のみならず、過去の2巻になかったあることがもうひとつ、今回は最後に書かれている。それは謝辞。担当編集者と、本を出すきっかけを作ってくれた島田荘司氏への謝辞が書かれ、日付とともに挨拶で締め括られているのだ。えええええ、これまではもっと調子こいたエンディングだったのに、どうしてこんな、いきなり真面目なの? これってまるで、シリーズ終結みたいじゃないか。慌てて、カバーだの帯だのひっくり返して確認するが、特に「完結編」みたいなことは書かれてない。まだ続くんだよね? ね? 続くって言ってくれよリンコさん!  (04.5.16)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

マンボウ阪神狂時代・北杜夫(新潮社)

 ひたすら阪神タイガースを愛する、ドクトルマンボウ北杜夫のエッセイ集。2003年の阪神優勝に際して出版されたものだけど、収録されているのは、なんと1962年からいろんなメディアに書いた阪神エッセイの総集編だ! その前後に、2003年の優勝に関するエッセイが納められているという構成。
 1962年といえば40年以上前ってことで、だけどそれはもちろん物書きとして仕事をし始めてから書いたエッセイである。ってことは、阪神ファン歴はそれより長いわけだ。でも当人は言う。「自分が阪神ファンになったのは戦後だから……」うわあ。戦後にファンになったってのは、彼の中では「遅い」のである。なんかもう、箔が違う。レベルが違う。
 しかし何に笑ったって、ファンならではの名言(迷言?)がいろいろと飛び出すのだ。曰く、
 「阪神の優勝は忘れたころにやってくる」
 「ちょっとうまく行きすぎじゃないかと、勝てば勝つほど不安になる」
 「優勝は公然と予言すると絶対ダメなので、予言しないでココロの中にしまっておく」
 「(マジック1になったとき)まだ優勝できるかどうかわかりません」
 「阪神は必死に声援すると却って負ける。(中略)これは確信めいたなんて生やさしいものではなく、哲学の領域に入っている」

 うわはははは。よく阪神ファンは自虐的だなんていうけれど、それは単に「勝てないのに応援する」という現象面のことだけではなく、こういうメンタリティを言うんだなあと深く納得した次第。だってあたしの周囲でも、優勝時のにわかファンではなく、長年ずっと阪神を応援してる連中はまったく同じことを言ってたもの。マジック1になっても「まだわからん、阪神だから」って。
 1962年当時の阪神エッセイから時系列でずっと掲載されてるので、古くからの阪神ファンは、懐かしさ全開なんじゃなかろうか。資料性も高い。他チームのファンとしては、物足りなさもあるんだけど、それは仕方ないね。ひたすら阪神、そしてアンチ巨人の文章がテンコモリ。それを精神科医にして自らも躁鬱病患者であるドクトルマンボウが、そのときの気分のままに綴っている。
 でも、一番羨ましいのは、優勝したことよりも、こういうエッセイが大手出版社から全国規模で商業出版されるってことだ。中日じゃあ、在京出版社は動いてくれないもんな。  (04.5.17)
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まあ、そこへお坐り・山藤章二(岩波書店)

 イラストレーター・山藤章二氏がラジオで放送していた「ラジオコラム」を再構成したエッセイ集。話にして2分程度の短いエッセイで、テーマは「俺、世の中とずれてきたなあ」ってな感じで、今の世の中のおかしいことを斬っていくというシロモノだ。
 あたしは山藤氏のエッセイが好きで、とくに「忘月忘日」」なんて全巻何度も繰り返し読んだほどだ。で、今回も楽しみに読み始めたのだが──あれ? どうにも違和感が。なんだこれ。
 数編読んで気がついた。活字だからだ! 山藤氏の「アタクシ絵日記」や「ブラックアングル」で馴染んでいる、あの書き文字じゃないからだ! うわあ、対談本は別にして、もしかして活字で氏のエッセイを読んだのって初めてなのでは? 違和感の正体はこれだ。で、活字にしてみると──う〜ん、正直なところ魅力が激減するなあ、ってのが第一印象だった。特に内容が、「最近の日本は」「最近の若者は」「最近の××は」と年寄りが批評するというものなので、既に聞きあきてるテーマもたくさんあるのだ。
 しかーし! ただ、それもはじめのうちだけ。これは放送順に収録したのか、それとも順番も再構成してるのかわからないが、後半にいくにつれて、「くすっ」と笑ったり「おお」と感心したりする箇所が次第に増えてくる。これは著者が次第にノッてきたのか、それともこっちが「活字」に馴染んだのか──さてどっちだろう。しまいには「やっぱヤマフジ画伯」さすがだね!と思ってしまうのである。
 特に、今の芸人を批判するくだり(「笑いの質の話」」)には、合意しまくり。成人式で傍若無人な振る舞いをする若者がいる理由(「バリアの話」」)には膝を打った。「情けなくって屁も出ねえ!」という江戸っ子の捨て台詞(「捨て台詞の話」」)には思わず溜飲が下がった。
 個人的に嬉しいのは、ヤマフジ画伯の語彙だな。「食事どき」ではなく「時分どき」と書いてるのをみて、なんかニコニコしちゃった。こんな語彙、向田邦子も山本夏彦も亡き今、久世光彦くらいしか書かないかと思ってた。  (04.5.19)
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ちゃれんじ?・東野圭吾(実業之日本社)

 最近になってスノーボードを始めた東野氏。これが面白くて楽しくて仕方ない。あっと言う間にスノーボードの虜になり、おっさんスノーボーダーとしての日々を綴ったエッセイ集。とはいえ、スノボとはあまり関係のないテーマの回も、中には含まれている。他のスポーツの話とか、映画「レイクサイド」の現場に行った話とか。ただ大半は、スノーボードの話だ。
 スノーボードかあ……というのが読む前の印象。なんせ、雪に無縁の南国・大分生まれの大矢である。スキー、スノーボードとも勿論無縁である。そういうスポーツもしくはレジャーが存在することは、知識としては知ってますという程度である。そんなあたしでも、はたしてこのエッセイを楽しめるものなのか? もしかして、意味がわからないんじゃないのか? そう懸念しながら本を開いた。
 ……というふうに書くと、「ところが素人にも楽しめたのだ!」という結論になると思うでしょ。ふふふ。それがあなた、やっぱり分かりませんでした。あははは。<笑って済ませる気か。
 あ、いやいや、そこは勿論、東野圭吾だもの。ちゃんと読者にわかるように、未経験の読者でもエッセイそのものは楽しめるように、ちゃんと読者ありきで書いてくれてる。そこはサスガよ、やっぱ。収録されているエッセイの中でも、たとえば「カーリング初体験」なんていう項はとても興味深く、面白く読めたもん。ただ、あたしという個人は、スキー、スノボ、ゲレンデなどについて、東野氏が想像する「素人」より100万倍無知なんだよな。例えば文章の中に、「エッジで頭を切る」とか「ワックスをかける」なんて言葉が出てくるんだけど、全然意味がわからない。この言葉がスノーボードの何を意味してるのか、どう関係するのか、全然わかんないんだもの。これはやっぱり、書き手じゃなく読み手の問題だよなあ。読者として分を弁えろ、ってことですね(しゅん)。
 でも、東野氏が随分熱中してることは伝わってくるし、書き方に工夫が凝らされてるので飽きないし、競技自体とは関係のない周辺のエピソードなど、そのあたりは十二分に堪能できました。あ、これってつまり「スノボに興味がなくても楽しめた」ってことになるのか!
 巻末に「おっさんスノーボーダー殺人事件」という書き下ろし短編が入ってます。これは……やはり無知な未経験者には分からなかったのであった(泣)。  (04.5.20)
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さよなら妖精・米澤穂信(東京創元社)

 1991年4月、雨の日。高校3年生の守屋路行と太刀洗万智は、雨宿りをしている白人の少女と知り合った。マーヤと名乗ったその少女は、17歳で、ユーゴスラビアから来たという。ホームステイする予定の家人が亡くなっており、途方に暮れているマーヤに、守屋と万智は旅館の娘・いずるに助けを求めた。マーヤはいずるの家に身を寄せながら、2ヶ月間、日本のことを学ぶというのだが──。
 いい。これは、いい。
 ミステリを評価する際には、トリックがどうだとか仕掛けがどうだとかってな話になることが多いが、これはもう、そんな「ミステリとしてどうこう」なんて、どうでもいい。ただ熱中してページを繰った。謎? 真相? そんなもの、ただストーリーを構成してる一要素に過ぎないじゃないか。ミステリだろうがミステリじゃなかろうが、いい話は、いい。面白い小説とは、魅力的な小説とは、読んでる最中にジャンルがどうこうなんて考える暇を与えない。ただ物語の世界に入り込むだけだ。
 読み始めて最初に抱いた疑問は、なぜ1991年なのか、だった。それにどんな意味があるんだろう、と訝った。が、その疑問は、マーヤがユーゴスラビアから来たという箇所を読み、序章のワンシーンを思い出した途端に氷解した。そうか、それで1991年なのか! それに思い至ったとき、話の方向が──或いは、マーヤの未来が──見えた。そして、見えたと思った瞬間、戦慄した。
 日本の文化や生活を学ぼうとするマーヤ。彼女と付き合いながら、いろいろ教えていく4人の高校生。その会話の中には、確かに「日常の謎」と「謎解き」も存在する。物語り後半には、解かなければならないもっと重要な謎も出てくる。個性的なキャラクターの魅力もある。異文化コミュニケーションの刺戟的な話もたくさん出てくる。頬が緩むような、高校生たちのほのぼのした日々。しかし、読者は一足先に知っている。このあと、何が起こるかを。これは素晴らしく劇的な効果を上げている。それは「予想した通り」に物語が進んでも、いっこうに評価を下げるものではない。むしろ逆に切なさがこみ上げる。そして、「知りたかったこと」を知ったとき──胸が詰まった。予想通りなのに、それでも胸が詰まった。その事実のみならず、それを受けとめなくてはならない彼らに、胸が詰まった。
 事実に対して4人の仲間のとる態度が異なるのもいい。リアルだというだけではなく、それはひとつの問題に対するアプローチはひとつではないということを示している。4人の誰が正しいわけでも、誰が間違っているわけでもないのだ。彼らは結局のところ傍観者に過ぎないが、傍観者だからこそ幾通りもの選択肢を持つことが可能なのである。
 坂口尚の漫画「石の花」を思い出した。あたしは本書を年間ベスト級だと思う。ミステリとしてではなく、小説として。……今ふと思ったが、米澤穂信って
「氷菓」にしろこれにしろ、青春小説の皮をかぶった社会派なんじゃないか?  (04.5.21)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

シンセミア(上下巻)・阿部和重(朝日新聞社)

 山形県にある小さな町、神町。そこでは終戦直後から、2軒の家の人間が表になり裏になりしながら、町を仕切ってきた。そして今。神町で妙な事件が相次ぐ。教師の鉄道自殺、整備工の自動車事故死、そして老人の行方不明。それぞれ自殺、事故、家出と判断されたが、そのときすでに、神町は少しずつカタストロフィへと向かい始めていた──。
 まず、見開きに小さな文字でビッチリ並んだ「登場人物」に目眩。げえ、こんなに出てくるのお? 戦々恐々としながら読み始める。町の歴史から話が始まり、それがまた説明調なのでちょっととっかかりが悪かった。しかし現代に舞台が移ってからは、一気呵成だ。複数の事件が相次いで起き、それらに絡む人々の人間模様が微に入り細を穿って描かれる。その濃密なことといったら!
 もともと著者は純文学の人。本書はエンターテインメントで、ノワール・ミステリ的色合いが濃いが、そのミステリ部分よりも、「神町」の人々にひたすら圧倒される。バカ息子たちが集って作った盗撮サークル。夫に事故死された若い妻へのストーキング。ロリコンの警官。一見平和そうな夫婦だが、実は秘密を抱える妻。ひっそりと起こる殺人。殺人者が落とした拳銃を、たまたま拾った子供──。もう、テンコモリ。何かの事件を描くのではなく、事件というモチーフを通して神町の人々を、そして神町というコミュニティを描くのが目的の作品。
 特に下巻に入ってからは、もうページをめくる指が止まらなかった。「怒涛」という言葉が、これほど似つかわしい展開は他にないよ! これだけ大人数の登場人物がいて、同時多発的にこれだけの事件がおきて、それなのにそれぞれがちゃんと把握できるよう丁寧に描き込まれて、それでいて迫力は全然削がれない。すごいすごい。最後なんてもう、それらが全部集まって「どっかーん!」って感じです。(どんなんや)
 ここまで誉めて、なぜお薦めマークがついてないかというと。面白いのよ。すごく面白いんだけど
 出てくるのが、イヤなヤツばっかりなんだよお!
 人間、誰にも醜い部分を持っている。秘め事もあるし、腹に一物あるのは当然。でもね、そういうところだけをピックアップして書かれてるような人達ばかりなのさ。まともな良い人がひとりもいないよ(泣)。だからもう、読んでて腹立つし不快だしイライラするし……でも話は面白いし……だけど読んでる最中の気分はサイテーなのさ。しくしく。
 ってことで、「イヤなヤツばっかり出てくる」話が苦手じゃない人には、これはお薦めです。なんと「神町」三部作になる予定なんだとか。  (04.5.22)
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探偵伯爵と僕・森博嗣(講談社)

 新太が公園で出逢った謎の人物。黒いスーツ姿で、自らを探偵伯爵と名乗るその男に新太は興味津々。そんなある日、新太の級友・ハリィが行方不明に! 消息を絶つ直前に新太と会っていたこともあり、新太は探偵伯爵とともにハリィの捜索に乗り出すが──。
 こんな誉め言葉はちょっとヘンな気もするんだけど、「森博嗣作品にしては、これ、普通に面白い」のだ。探偵伯爵と新太のおしゃべりは、いつもの森エッセイを彷彿とさせる面白さ・興味深さだし、その合間にちょこちょこ出される推理クイズも楽しい。同級生が失踪するという筋立ても、それを追いかける様も、「夏休みの冒険」としては典型的なサスペンス。そしてこれがいつもの森ミステリィなら、更に何か捻ってたり、或いはわざとスカしてみたりカワしてみたり、ってのがあるんだけど、子供向けってのを意識してなのかどうなのか、今回はズドンと直球で来た。それが「普通に面白い」要因かもしれない。
 ところが、単なる直球じゃない。インコース低めぎりぎり。バットを出したら真下に叩いて自打球になる。そんな直球。
 ある程度結末が出たところで、子供向けなのに(このシリーズが本当に子供向けなのかどうかは、ちょっと疑問もあるんだけど)ビターな作りにするなあと思いつつ、最後のページをめくる。そしてその最後に書かれていた、ある事実に愕然となる。これが「真相」なのか。だとしたら──ビターなんてもんじゃない。とんでもない真相を「子供向け」に書いたもんだ。──と考えたとき、ふと思考にブレーキがかかった。「子供向け」だからこそ、じゃないのか? だってこれ、子供が直面してる事件だもの。子供が巻き込まれている問題だもの。そういう子供の事件を、子供向けの本で扱うのって、当たり前じゃん!
 そう思いつくと、話に背骨が通る。例えば、チャフラフスカ(笑ったあたしは新太の両親世代なのか……)が話してくれた彼女の体験は、実際に起こったある事件ととても似通っている。個人的には、実際の事件を想起させるような記述は好みじゃない。関係者が読んだらどう感じるだろう、と思ってしまうからだ。しかし、今回に限っては──「目を逸らすな」という強いメッセージがそこに込められている気がするのだ。
 この事件を想起させるシーンも、それからあまりにビターに思える「真相」も、どっちも事件の主人公は子供だ。これは、大人が解決すべき問題であると同時に、彼ら子供が戦うべき問題である。「子供向けだから」と忌避する方がおかしいのだ。  (04.5.22)
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ららら科學の子・矢作俊彦(文藝春秋)

 学生運動に身を投じ、革命に憧れた1人の学生。彼は殺人未遂を犯し、中国へと逃亡した。そして30年後。彼は帰ってきた。蛇頭による密航という手段で。30年ぶりの日本は、彼にとって何もかも新しい。とりあえず旧友を頼って、とあるビジネスホテルに身を寄せる。彼には気にかかっていることがあった。それは30年前、出奔の日に別れたままの妹のことだった──。
 表紙がいきなり鉄腕アトムである。それも吹き出しの中が中国語だ。そしてこのタイトル。中国の山村から30年ぶりに日本に帰ってきた男の話で、タイトルがこれだ。きゃあ、メルヘンチック。きゃあ、牧歌的。
 ──と思ったら大間違い。メルヘンチックでも牧歌的でもありゃしない。なんせ日本に帰ってきた手段が蛇頭よ蛇頭。帰ってきて頼った昔のトモダチは、なんだかやたらと羽振りのいい「組織」の頭になっていて、数百万の金をポンと出してくれたり、アメリカ系ベトナム人の世話役・傑クンをつけてくれたりするのだ。アトムのメルヘンなイメージはあっと言う間に吹っ飛び、いきなり裏社会だヤクザだノワールだ。どきどき。
 正直なところ、旧友がこんな頼りになるやつだったってところは「巧く行きすぎじゃないのか」と興ざめしないでもない。世話役の傑クンなんて、クールでかっこいいし、初対面なのにボスの命令ってだけでしっかり彼を守ってくれるし、妹探しまで手伝ってくれる。よくよく考えたら、主人公自身は何ひとつ自分ではやってないのだ。ぜーんぶ旧友の一派がやってくれるのである。そんな都合のいい話があるかいっ!
 ──と思いながらも。読まされてしまうんだよなあ。浦島太郎さながらの主人公。彼の目を通して見た現代の東京は戸惑うことが多い。自分からはあまり能動的に動かない主人公、なぜなら彼は「いきなり未来世界にやってきた過客」だから。ここが自分の世界ではないから。まだ眠っているから。だから、過去を見つめる彼は、ちょっと切ない。幼かった妹を思いだし、実家のあった場所の近くを散策する彼は、ちょっと切ない。そして入る中国での回想シーン。
 彼が出逢った女子高生は、ビールを飲んでいた。「エンコーじゃないよ」と言われて、意味がわからない主人公。そんな主人公に懐いていく女子高生。女子高生は彼にとって、アリスを穴に連れていった兎の役割だ。女子高生に導かれ、傑クンに守られ、彼は次第に自分の足場を見つけていく。
 30年前、彼は──否、当時の若者は「♪ららら科学の子」とアトムを歌いながら未来を夢見た。その夢見た「未来」に突然やってきた主人公は、何を決断したか。それは主人公が最後に選んだ「道」に表れているのである。  (04.5.23)
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殺意は青列車(ブルートレイン)が乗せて〜天才・龍之介がゆく!・柄刀一(ノンノベル)

 天才・龍之介シリーズ。5作収録されている連作短編集だ。
 このシリーズって、「良い子の科学教室」的なネタとか、いかにも「推理クイズ」的なネタとかが中心で、それはそういう「パズラー」なんだと割り切ってしまえば楽しめる。まあ、龍之介の夢だとか、光章と一美の恋の行方だとか、そういうストーリーはあるにはるんだけど──まあ、短編を読む分には、そこらの事情は知らなくても良いかな、って程度。
 ただこれって、光章の一人称視点で書かれているものばかりなので、トリックは面白くても、続けて読むとだんだんマンネリになってくるんだよなあ。事件の事情は殆ど全部関係者が「口に出して、光章に説明する」ことによって提示されるわけで、結局「データ出し」と「推理」という構成がパターン化しちゃうのだ。だから、読んでてレギュラーメンバー以外の顔も性格も全然見えてこない。ま、パズラーの短編だから駒なのは仕方ないけどさ。それでも例えば事件関係者の視点で描くだけで、ずいぶんドラマチックになるし、事件のバックグラウンドにも奥行きが出る気がするんだけどなあ。それじゃダメなのかな。
 そういう意味では、表題作(ってワケじゃないか)の【どうする卿、謎の青列車と消える】が図抜けて良かった。イチオシです。一美視点の章と、光章視点の章があって、ストーリーにテンポがある。おまけにサスペンスフルだし、この「真相」と来たら! 線路を走るブルートレインが忽然と姿を消すんだからアナタ。ああ、こういう「大ワザ」は大好きさ。もう、この短編だけ単独でお薦めマークをあげたい!
 その他【龍之介、黄色い部屋に入ってしまう】は、「いや、何もそこまで厳密に下準備せんでも、他のもので代用できるだろ」という印象が抜けず。【光章、白銀に埋まる】はロジカルでキレイ。【一美、黒い火の玉を目撃す】も「おお!」と膝を打つカタルシスがある。【龍之介、悪意の赤い手紙に息を呑む】は、暗号クイズとしては面白いんだけど、なんでわざわざこんな暗号にしなくちゃなんなかったのかが疑問。
 あ、この章タイトルって全部「色」なんだ。今気づいた。<遅!  (04.5.24)
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イニシエーション・ラブ・乾くるみ(原書房)

  ネタバレがあります。背景色で書いてますが、ご注意下さい。

 合コンの人数合わせに呼び出された鈴木。そこで彼は、繭子と出逢う。繭子に惹かれる鈴木、そして二人は次第に親しくなっていった。ただ、大学4年生の鈴木は、東京への就職が内定しており──。
 えっとね、実はこれ、かなり早い段階のある箇所で(ネタバレにつき反転させます)「あ、この繭子って女、タックという名前の男と二股かけてるか、あるいはその名前のモト彼がいるぞ」(ここまで)ってことに気づくと思うのね。もしかしたら著者はそこまで見抜かれるのは想定してたんじゃないかってくらい、あからさまに描いてくれてるもの。だから逆にそれがトリックに関わってくるほど大事な箇所だとはまったく思ってなくて、最後の最後で真相がわかったときには「えっ、これがこう来るのか!」と素直にビックリしちゃった。ただ、反転部分が分かっていたため、「再読のときは違った物語が見えてくる」とはならなかったのが実に残念。そこさえ騙してくれればなあ……。
 でも、その他の仕掛けについては、言われてみれば、あ、ここも伏線か、ここもそうか、というところがワサワサと沸いて来る。「伏線を確認する楽しみ」に於いては文句ナシだね。すべての伏線を誰かリストにしてくれ、っていう感じ。いやお見事。
 ただ手放しで「お薦め!」とは言えないのが辛い。最後まで読まなくてはこの驚きは味わえないわけで、じゃあその最後に至る道のりはどうかというと──これがあたしには少々退屈だったのさ(もちろん、好みの問題ですよ)。まあ、仕掛けの性質上、あまり心理描写や人物描写に力を入れるわけにはいかないだろうから、仕方ないんだけどね。あるカップルの「ありきたりのヌル〜い恋愛」が延々描かれて、エピソードもディーテイルも、とってもチープなのよ。その中でも最大にチープで「ありきたり」なのが、上の反転部分なわけだ。つまり恋愛小説部分に、深く感情移入できるような演出がないの。わざとなんだろうけど。
 でも、これを読もうっていう読者は、恋愛小説なんて期待してないわけで、そういう《読者の要望》にはズバリ応えてるんだよね。そういう意味では、かなり読者を限定する作品。その限定されたエリア内では、文句なしのお薦めなのだ。
 ところで、これを読んだ友人が(反転させます)「女は怖い」という感想を漏らしていたけど、そんな大袈裟なことじゃないと思うんだよなあ。恋人と疎遠になってる時に、たまたま合コンで好みの異性と出逢ったら、とりあえず恋人のことは伏せておくってのはよくある話でしょ。第一、B面では主人公の男だって全く同じことやってるわけだし、同じミスまでしてる(名前を呼び間違うとこね)じゃん。だったら同じことやってる男だって「怖い」ってことになるんじゃないの? こういうとき、同じことをしてても怖いと言われるのは決まって「女」なのよね。(ここまで)なんでかしらね。ぷんぷん。(04.5.24)

【後日付記】

 その後、数人でこの点について議論したところ、以下のような意見が出ました。
 (反転させます)繭子の行動が「怖い」か否かについて、
 ▼ホントに怖い女というのは、自分から遠ざかりつつある恋人(B面のたっくん)に対して、失いたくないあまり歪んだ執着を示すタイプだ。例えば、彼や彼の新しい恋人に危害を加えようとするような。
 ▼しかるに繭子は、B面のたっくんと遠距離になった時点で、彼に執着することなく、次の男を引っかけようとしている。これは非常に前向き、ポジティヴな行動である。
 ▼「初体験のふりをした」「中絶を便秘だといってごまかした」というのも、A面のたっくんが繭子に対して抱いている子供っぽい幻想を目の当たりしてしまうと、繭子の立場としては「あら、あたしは初めてじゃないのよ」「ごめんねー、今度の金曜は中絶手術があるからデートできないの〜」とは、言えないのが当たり前だ。どんな恋人同士にも、秘密のひとつふたつはあって当然。
 ▼結果として、この物語の登場人物は皆、幸せになっている。繭子が一途にB面のたっくんに執着していたら、この2組の幸せなカップルは成立していない。
 ▼つまり、繭子というのは、恋愛を修羅場に化すことなく上手に気持ちを切り替えることのできる、前向きで良い子なのだ。
(ここまで)
 まさかこんな結論になるとは、さすがのあたしも予想しなかったわよ。わははは。(04.6.6)
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