玉子(たまこ)さんは、愛犬ジュペリと一緒に小さな星に住んでいます。おじいさんが造ってくれたロケットで、近くの星まで出かけるのが好きな玉子さん。今日はどんな星と出会えるのでしょうか……。
人間は考えるFになる・森博嗣・土屋賢二(講談社)
森博嗣&土屋賢二という、エッセイを書かせたら右に出る大学教官は他にいないという2人による対談本。この2人のエッセイって、方向性は違うんだけど手法が似通ってるから、こういうコラボレーションもありだよなあ。
あはははははは、くだらなくて大好き。主としてヤングアダルト向けの小説を書いている著者の、体験エッセイ集。でもその「体験」ってのが、「結婚するんだ!」というのを目標に、いろんな占いに行ったり願掛けをしたり見合い写真を撮ったりという体験をしてるのだ。なんかもう、修行みたいになってるし。で、もちろん(って失礼な!)結婚しないまま、修行モードだけが爆走して、第2章では結婚話はどこへやら、いろんな修行をする体験エッセイになってる。断食道場へ行ったり、滝にうたれたり。そんな厳しい修行をしても「健全な精神」は得られず(失礼な!)、「不健全な精神だって健全な肉体に宿りたい」という不健全エッセイが第3章。おお、なんか序破急にのっとった構成だよ!<いや、そんなことは。
ゴシップ的日本語論・丸谷才一(文藝春秋)
丸谷才一の講演や対談など、「しゃべったこと」をまとめた一冊。
小生物語・乙一(幻冬舎)
乙一が自分のサイトに書いていた日記をまとめたもの。が、しかし。読んでみると、これは日記というよりも、ショートショートじゃないかという印象が先に立つ。もちろん、普通の日記もあるんだけど、どこかが妙にズレているのだ。それが、本来なら冗談だと分かるように書いたり、自分でつっこんだりするんだけど、それがない。ただ淡々と、飄々と、「ありえない話」「だんだんズレていく話」を書く。最初は戸惑うこともあったが、作家のウェブ日記をまとめたというより、これは《小生》っていう人物の視点で描かれたフィクションなのよね。
「本棚探偵の冒険」に続く、シリーズエッセイ第2弾。ミステリと古本をテーマに喜国節が炸裂で、もう笑えること笑えること。この人は漫画家さんなんだから絵が巧けりゃ充分だろうに、なんでこんなに文章まで巧いのよ。
清水義範のほめ言葉大事典・清水義範(白泉社)
古今東西のさまざまな褒め言葉を集め、清水義範が解説やコメントを加えたもの。いやあ、褒め言葉って読んでて気持ちがいいねー。中には一世を風靡したフレーズもあって「あったあった!」と懐かしいものや、「うわあ、うまいこというなあ」と感心してしまうものがたくさん。
江戸三〇〇藩バカ殿と名君 〜うちの殿さまは偉かった?・八幡和郎(光文社新書)
江戸時代には、たくさんの藩が取りつぶされたりもしたけど、幕末時点で300藩あった。で、その300藩の「殿様の歴史」を紐解いて、この藩の殿様は名君だったのかバカ殿だったのかを論じた本。
死んでもいい 〜マニラ行きの男たち・浜なつ子(講談社文庫)
フィリピンという国に魅せられて、フィリピン女性に魅せられて、いつしかフィリピンに住み着いてしまった日本人ホストを追ったルポルタージュ。
僕(エイジ)は17歳。シングルマザーの母親と弟の3人家族。弟と僕の父親は違う人で、おまけに父親が誰なのか母親以外は誰も知らない。母親は仕事が忙しく、長い間家を留守にすることもしょっちゅう。そんなとき、家のことは僕がやる。けど、母親の留守中に弟が水疱瘡になり、ぼくはその日から修学旅行で──。
星の玉子さま・森博嗣(文芸春秋)
1ページにひとつ、星が紹介される。どれも小さな星で、ちょっと不思議な星。そこでちょっとした問題提起がなされるんだけど、科学クイズみたいな趣で、絵や文章を楽しむのと同時にパズルを解いてるような気分になる。でも、次第に読み進むと──。
繰り返し読んでいくうちに、「あたしごときがグダグダ言うより、とりあえず本編を読んでみてよ」という気持ちが強くなってきた。絵本なんだもの、メルヘンなんだもの、受け止め方・咀嚼の仕方はたくさんあるんだから。
この本が、これまでの著者の他の本と決定的に違うのは、解説がついていることだと思う。これまでの著者の小説は「みなまで言うな」というか、「ヒントは出しておいたよ、さて気付くかな? 気付くのは読者の2割くらいかな、ふっふっふ」という書き方だった。もっと言えば、「これが答ですよ」と提示して物語の決着はつくんだけど、実はその答の先にもっと別の絵があって、それに気づけるかどうかは読者次第──という作品を書いてきた作家さんなんだよね。
そんな作風の著者が、こうして巻末に解説をつけ、あまつさえ1ページごとに《問題の答》を示してくれている。これをどう考える? その先に、もっと別の絵がある──のかもしれない。そしてその絵は、作者が隠しているわけではなく、読者が自分で描かなくてはならない絵なんじゃないかな。
物語は1ページにひとつずつ、星が紹介されるというパターン。個人的には、ページを追うにつれて、PhysicsからEthicsへのグラデーションを見る気がしたんだけど、どうだろう。「吊り橋」と「建築家」の間に、ひとつのジャンプゾーンがあるような。まあ、これはあたしの読み方に過ぎません。読む人ごとに、いろんな読み方ができるので、こんな益体もない感想を読むよりは本編を読んでください。
つか、そんな理屈こねるより何より、「森林の星」の右ページの絵が異様にカワイイよ! チョーお気に入り。この部分だけ切り取って(いや、さすがに切れませんが)拡大して額に入れて部屋に飾りたいよ!
(04.11.6)《この本の詳細情報&注文画面へ》
ただ、ここで語られてることっていうのは、これまでの2人の単行本と重なる部分が大きいんだよね。その上、対談という形態上、土屋賢二のあの文章作法は使えないし、森博嗣のあのレトリックも影を潜めるわけで、当たり前なんだけど、ふたりのエッセイが好きな読者としては魅力の一つを奪われちゃった感は否めない。
しかし、その逆に、コラボだからこそ生まれる魅力ももちろんあるわけで、興味深く読んだのは、3章の「哲学の暗黒」の項。ごく短い項なんだけど、哲学の論文とはどのように書くのかという森センセイの問いに土屋センセイが答える。こういうのはそれぞれのエッセイには当然出てこない。こうしてみると、対談というのは違ったタイプ同士でやるから面白いんだけど、違いすぎると話が進まないわけで、相違6・類似4くらいのバランスが良いんじゃないかしら、なんて考えたり。
あと、特筆すべきは2人の短編小説かな。あはは、これ、どっちも好き。「見抜けなかった」のは土屋センセイの作品の方だったけど、それはまあ当然か。森センセイの方はこの対談本の読者層を考慮したのか、ごくごく真っ当な趣向で逆に驚いちゃった。
そして、こうしてみると、土屋センセイってのは実にサービス精神旺盛なんだな、ということがわかるよ。対談相手を(あるいは読者を)楽しませようとしてトークしてるのがはっきりわかるんだよね。それにたいして森センセイは普通に答えるから、結果として土屋センセイがボケ担当というか、土屋センセイばかりが「身を切ってギャグを言う」というパターンになってる。その上で、森センセイから話を引き出そうとするようインタビュア的なひっぱりをしていたり、それが空回りしたり(ああ、わかるわ……滂沱)。もちろん、原稿と実際の対談とはまったく同じではないにしろ、こういうとこにも性格や個性が出るなあと思ったのだった。
ところで、まあ煽り文句としては当然なのかもしれないけど、帯などでやたらと文系・理系ってのが取り沙汰されてるのが気になる。ここに現れてるのは文系・理系の特質ではなく、森博嗣・土屋賢二という個人の特質だと思うんだけど。
(04.11.7)《この本の詳細情報&注文画面へ》
不健全な精神だって健全な肉体に宿りたいのだ・菅野彰(イーストプレス)
5年に渡るエッセイなので、ちょっと古いところもあるんだけれど、それを凌駕する内容&文章の面白さ。「海馬が耳から駆けてゆく」シリーズで文章が面白いのはわかってるんだけど、あっちがダラダラと(重ね重ね失礼な!)日常を綴ったエッセイだったのに対して、こっちは毎回テーマがしっかり決まっている。それがテンポを作ってて、読んでて楽しいんだよね。「海馬が耳から駆けてゆく」シリーズの感想でも書いたけど、三浦しをんのエッセイが好きな人は、きっと気に入ると思う。
特に笑ったのは、結婚運を占って貰うたびに「今は、女性の生き方もいろいろあって、別に結婚しなくてもね」とか「別に結婚なさりたいわけでもないんでしょう」とか、占い師が言を左右にするところ。それが一人じゃないんだもんなあ。挙げ句の果てには、運命の人は外国にいる、それも中東だとか、突拍子もないことばかり言われるくだり。また、恐山のイタコに会いに行く章では、その事を話した家族から「東野英二郎に、今の水戸黄門をどう思うか聞いてくれ」と言われたところが妙にツボ(笑)。それは聞いて欲しかったなあ。
どのページを読んでも、くくくくくっと笑いが漏れてしまうお笑いエッセイなんだけど、占いとかイタコみたいな眉唾(ホントに失礼な!)な体験をしても、それに対してハスに構えてバカにするのではなく、また必要以上に持ち上げるのでもなく、こういうもの受け手次第でそれなりにちゃんと効果があるんだよ、というのをそっと語ってくれる。そうだよなあ、と頷ける箇所が多々あるのだ。どんな体験をしても、何かをバカにしたり見下したりせず、良いところは良いところとしてちゃんと伝えてくれるのが、読んでいて心地よい理由なのだろう。ま、そんなとこより、ただ素直に面白いってのが先なんだけどね。
(04.11.8)《この本の詳細情報&注文画面へ》
いやあ、困ったなあ……。講演会だから、テーマに沿った話をするわけで、それが「折口学的日本文学史の成立」だとか「泉鏡花の位置」だとかで、興味のない人にはちょっと勧めにくい。少々専門的なので敷居が高いのだ(「折口学入門」という縦書きの張り紙をみて喜んだら、「哲学入門」だったという話には笑ったけどな)。
じゃあ、専門的だからってんで捨て置くかといえば──いやいやとんでもない! 第一部の「日本語があぶない」「ゴシップ的日本語論」の2章はめちゃくちゃ興味深くて、文句なしにお勧めなのだ。講演集で、そのなかの2章だけにお勧めマークをつけるってのはありだろうか……。とまれ、この第一部だけでも読んでみることをお勧めするね。ってことで、そこに特化した感想を。
「日本語があぶない」の項では、話は多岐に渡るんだけど、特に蒙を啓かれたのは「明治初期に洋式活版印刷が入ったとき」と「太平洋戦争敗戦後」の2度に渡る大きな国語改革の話。それぞれに十数項目の「こう変わった」という変化を上げてくれるんだけど、これが実に分かりやすく説得力がある。例えば、戦後の国語の変化におけるテレビの罪について。「テレビを見てると文章の読解力が落ちる」というのは巷間指摘されることだけど、どうしてなのかをちゃんと説明してくれているのだ。曰く、テレビには言葉の他に人物の表情だの仕草だの、文脈を表す情報が多く詰まっている。言葉を取り損ねてもその他の情報から文意を得ることができるのみならず、言葉以外から得る方が楽になる。それに慣れてしまうと、言葉のみしかない新聞雑誌や本を読んだときに、文意を得る能力が足りなくなるというのだ。これは膝を打った。
「ゴシップ的日本語論」はホントに噂話ばかりなんだけど、「昭和天皇の教育係は大失敗をした」というくだりは実に興味深かった。何を言っても「あっ、そう」というのが昭和天皇の記号みたいに思われてたけど、あれは「言葉を構築し伝達する方法」を教育されてなかったという話。帝王学は学ばれても、言葉の伝達手段を学んでないので、何を話しかけられても答えられなかったというのだ。80へえ。
とまあ、ホントに刺戟的で啓蒙的な話が満載なので、この2章だけは是非読んで欲しいな。って、なんて中途半端な薦め方だろう。他の項だって、そのスジに興味を持ってる人にはすごく面白いのよ。専門的だから薦めにくいだけで。あ、そうそう、それと、瀬戸内寂聴との対談。これは丸谷才一の「輝く日の宮」を読んでる人に限り、お勧めします。寂聴さんの読み解き方が実に面白い。
(04.11.9)《この本の詳細情報&注文画面へ》
部屋のソファに座る、他人には見えないパジャマ姿の少年の話。真夜中に「サチー、どこにいるのー」と誰かを捜す声が聞こえた話(これはショートショートとして実に傑作! ラスト一文を読んだときにゾゾ気が来たよ)。このあたりは、短編小説などで接している乙一ワールドそのままだ。
その一方で、出版社の人と打ち合わせをした話や、引っ越しの話、実家の話など、普通の日記も見受けられる。と思ったら、普通の日記の中にもちょっとシュールな部分があったりして。笠井潔との対談が、いつの間にか自分の脳内妄想になっていたり、ファミレスで読者からのプレゼントを開けていた話が、爆弾が入っててテーブル周辺がコッパミジンになったり。あははは。シュールだなあ。また表現や語彙がなんとも魅力的。あ、今気付いたけど、そういう「爆発の惨状」を描くのに、爆発を正面から書かず、「店員さんに迷惑をかけた」というような、「そんな感想かよ!」とつっこみたくなるようなズレを提示するのが乙一流の文章なんだな。そのズレに読者は妙な居心地の良さと悪さを同時体験するんだ。うーん、これはもう、センスがいいとしか言いようがない。
とりあえず、これを読んでわかったことは、居住地の変遷だけだ。あとはどこまでホントなんだかわからない。サイン会とか対談とか打ち合わせとか「何があった」というのは事実だろが、「そこで何があった」という一歩踏み込んだところは全部嘘なんじゃなかろか。そしてその嘘の部分が面白いのさ。
これはもう、この手法に乗ってしまえるかどうか、という点のみに評価はかかってると思う。ちょっと読者を選ぶ向きもあるけれど、乗っちゃえば、日記というより一風変わったフィクションを楽しめるよ。
(04.11.14)《この本の詳細情報&注文画面へ》
本棚探偵の回想・喜国雅彦(双葉社)
個人的なお気に入りは【漂流学校】。これサイコー。熊さんがご隠居のところに芝居の脚本を頼みに来る。ご隠居は「漂流学校」とう自作の物語を話してきかせる──という落語の体裁のパロディ。スジは「漂流教室」そのまんまなんだけど、このパロディの中では「図書室」と「本」がキーワードになる。これが巧いんだよなあ。わはははと笑いながら読んでたんだけど、次第に笑うより「あ、巧い!」と膝を打つようになってしまった。笑うだけじゃおさまらず、著者のテクニックに唸ってしまうのよね。特にこのオチは! ……しんみり。いや、しんみりするとこじゃないんだけど。かなりテクニカルでハイレベルな、おまけに相当笑えるオチなんだけど。でもしんみり。
一番笑えたのは【「某殺人事件」事件】かな。著者が古本屋でたまたま見かけた、自費出版の推理(?)小説。素人さんの手によるもので、そのあらすじを紹介してるんだけど、これが爆裂的に面白い。素人の書く小説ってのはこんなレベルなのかというだけでも面白いのに、著者のツッコミがサイコーなのだ。この自費出版の小説は、それ単体では小説としてのていを為していない素人作品で、読んでもつまらないに決まってるんだけど、そこにプロがツッコミを入れることによってここまで面白く読むことができるのかという好例。著者の「ツッコミの巧さ」が、この駄作(失礼)を「読みたい」と思わせてくれるのだ。これは書評として至芸ではなかろうか。ぼろくそに貶しているのに、その本を読みたくなるんだから。
その他、【編まなきゃ死ねない】も印象的。「女性の足がセクシーに扱われている」というテーマのアンソロジーを著者が編むという趣向。これを読んでると、自分でもテーマを決めてアンソロジーを編んでみたくなるんだよね。足へのフェティシズムの短編って、村上龍に何かあったような気がするんだけどな……何だったかなあ。「トパーズ」に入ってたやつじゃなかったかな。
もちろん、これ以外にも古本者の濃い話がテンコモリ。マニアに走ってるのにマニアじゃない人まで充分に楽しませてくれる。文章芸の巧さと展開の巧さは、さすがに天下一品。もっともっと続けて欲しいな。
(04.11.15)《この本の詳細情報&注文画面へ》
懐かしかったのは、平岡正明さんが山口百恵さんを褒めた「山口百恵は菩薩である」とか、有森裕子の「自分で自分をほめたい」とかね。黒澤明が北野武に言った「日本映画をよろしく頼む」なんて、なんかあまりのスゴさにじーんと来ちゃうよ。だって、あのクロサワに、あのクロサワに「日本映画を頼む」なんて言われちゃうんだよ? もう、一般大衆としては「すげー、すげー」としか言えないでしょ。もし自分が黒澤明にそんなこと言われたら、「ごめんなさいごめんなさい」とエンドレスで唱えながらお遍路さんに出ちゃうんじゃないかしら。いや、絶対言われないけどさ。でも、そう考えると、それを受ける側の才能や度量も必要なわけで、褒めるに値する相手をビッグネームが褒めるって構図は、だからこそ「すごさ」があるんだなあ。
歴史上の人物のエピソードもおもしろい。秀吉の浮気に悩むねねへ織田信長が送った手紙に、拗ねたねねの気持ちをほぐそうと「あなたは奇麗だ」と褒めまくってるのなんて笑えるし、シューマンがショパンを褒めた「諸君、帽子を脱ぎたまえ、天才が現れた」なんてドラマの決めぜりふになるくらいかっこいい。坂本龍馬が西郷隆盛を褒めてるのは「そうだろうなあ」としか思わないが、名もない茶店の婆が人夫のふりをしている木戸孝允(桂小五郎のことね)に向かって「おまえさんはただの人夫というご面相じゃない」なんていうあたり、おかしみもあるし、裏を返せばこれ以上の褒め言葉はないともいえる。つか、変装してんのに、ダメじゃん婆に見破られちゃ。
と思ってたら。最後の方には「褒めてるようにみせかけて、実は貶してる」というテクニカルな褒め言葉の章があるよ! 野中広務氏が小泉純一郎氏を褒めてるようで貶してる例とかね。うわあ、なんて邪悪な褒め言葉集なんでしょう。
そうそう、イラストがカーラ君こと川原泉なのよ。イラストが描かれてるのは章の扉だけで、同じ絵が表紙と目次にコピーされてるだけなんだけど、それでも個人的にはこれだけで「買い」だった。
(04.11.16)《この本の詳細情報&注文画面へ》
タイトルを見た時点で予想したのは、それこそ殿様が採点されてたり「バカ殿ランキング」みたいなのが出たりという本なんじゃないかしら、ってことだったんだけど、さすがにそこまで遊んではいなかった。各藩の代表的な殿様を紹介して、「こういう施政は素晴らしいね、名君だね」「こんなことしちゃったのは、失敗だったね」と紹介している真面目な本でした。うーん、どうせなら素っ頓狂なバカ殿ランキングが欲しかったなあ。例えば赤穂藩の浅野長矩なんてバカ殿の筆頭(でしょう?)だと思うけど、実は知られてないだけでもっとバカがいたよ!というような情報を期待してたんだけど。
名君といえば、会津の保科正之とか、米沢の上杉鷹山とか、岡山の池田光政あたりの名前を思い浮かべるものだけれど、この本のすごいところは300藩全部を紹介してるところ。「だれ?」という殿様もたくさん出てきて、そんな無名な人(殿様なのに!)がこんなことをやった、というエピソード集は興味深く読めた。
例えば尾張は予想通り宗春が取り上げられてました。バカ殿の皮をかぶった名君だと思うんだけど、名君になりきれなかった理由がちゃんと書かれてて「なるほど!」と納得できた。宗春の蟄居について銀行の例を出してきて説明してくれたのにも膝を打ったし。
他に興味深かったのは、徳川十五代将軍の格付けかな。最高のバカ殿は五代の綱吉ってのが衆目の一致するところだろうけど、それ以外の将軍が細かく紹介されてるのはなかなかに面白い。つか、徳川に名君いないじゃん!
願わくば、タイトルも主旨も面白いのに、文章が学術的過ぎて「楽しみにくい」ところかな。資料価値も充分で情報もたっぷり入ってるんだから、もちょっと庶民的な遊びのコーナーががあっても良かったのに。
(04.11.17)《この本の詳細情報&注文画面へ》
この元ホストの話を著者が聞き書きしているという体裁なんだけど、もう行間からフィリピンのねっとりした空気が噴き出してくるかのような濃密さ。まず、このホストの日本時代がすごいのよ。21歳のときには既に人妻に貢がせ、暮らしていたという凄腕。ところが、ひょんなことからフィリピーナにハマってしまう。嫉妬深い年上の彼女に内緒でそのフィリピーナと入籍、そしてフィリピンへ。こんなホストが入籍するってこと自体、どれだけハマってたかがわかるってもんだ。そしてフィリピンへ来てみると、なんだかんだあって、その妻とも別れてしまうんだけど、そのときにはもうフィリピンそのものにはまっていた──。
このルポの中には、彼以外にも日本を捨てて(ホントに「捨てて」)フィリピンへと渡ってきた日本人男性が多数登場する。そんな人たちでコミュニティができるほど。日本の家族も生活もお金も捨てて、フィリピンにハマっていった男たち。フィリピン女性に惚れ、溺れ、財産を投げ打ち、フィリピンに渡って来る。そこまで彼らを魅了したフィリピンって何?
著者はその裏に巣くう問題へと突き進んでいく。男性が逃げ出したくなる日本社会、日本の家庭のあり方云々。そのあたりも蒙を啓かれるのだが、それ以上にあたしはフィリピンに暮らす男達のメンタリティに魅せられてしまった。
たとえば、このホスト。日本で彼のような生活を送っている男性を見たら、それは脱落者であり、軽蔑の対象となるだろう。身近にいたら多分腹が立つ。けれどそれがフィリピンにいると──彼を「あはははは」と笑って見ていられる気がするのだ。本を通してすらそうなのだから、実際その場で彼を見たら、きっとホントに笑って付き合っちゃうんじゃないかな。なんで? セックスすることしか考えてないような男なのに、それがなんだか「ああ、こういう生き方もありかもな」と思わされてしまう。それほどまでに、凝り固まった価値観をチャラにしてくれる妙なパワーを感じるのである。この国の持つ妙なパワーのせいか、「負け組」の男達になぜか鷹揚になれる自分に驚いてしまうのよ。つか、この元ホストの半生だけでも充分読み応えがあるよ!
日本とフィリピンの経済的な関係や歴史的な関係が解説された最終章はなかなかに興味深い。フィリピンにはまった男達の話だけでなく、こういうバックグランドまで触れてくれるのはいいね。
(04.11.18)《この本の詳細情報&注文画面へ》
ぼくは悪党になりたい・笹生陽子(角川書店)
17歳のエイジの視点で語られる青春小説。正直最初は、エイジの親友である羊谷君のキャラとエイジの母親のキャラがどっちも気に障って、読むのが辛かった。エイジ自身のキャラにもイライラする。けど、「もしやこの人は弟の父親では?」と思われる杉尾さんが登場したあたりから、俄然面白くなる。エイジの周囲はあまりに自由奔放(悪く言えば身勝手)な人ばかりで、たまりにたまったエイジの鬱屈がある日、いきなり爆発炎上暴走するのさ。
エイジは決してヒーローじゃない。「いやだいやだ」と思いながらもセックスの誘惑には勝てないし(だって17歳のオトコノコだもの!)、真正面からグレる勇気もないし、嫌いな女を振り払う度胸もない。エイジって、結局何一つ自分では解決できないのよね。自分でどんどん事態を悪くして、結局周囲に助けて貰ってる。本来ならこういうキャラには腹が立つだけで感情移入なんてできないんだけど、エイジには入り込めた。なぜなら、「自分で問題を解決できない、でもこのままじゃイヤだ」という、思考と行動を一致させられない思春期ならではのバランスの悪さみたいなものが、とても繊細に描かれているから。ダメダメだからこそ、何も考えず突っ走っちゃったときの「どうしよう……」という恐れが、ひしひしと伝わってくるのだ
その心情が最も如実に現れている場面として、弟が万引きしたと聞いて駆けつけるシーンは白眉だと思う。目の前のことで手一杯になってしまった17歳の少年に、大人の杉尾さんがちゃんと道をつけてあげるのだ。そういう意味でも、この杉尾さんの存在は大きい。彼なしでは、単にオコチャマの鬱屈爆発というだけで話がバラけてしまう。彼がいるからこそ、読者は安心してこのダメダメなエイジくんにエールを送りたくなるんだよね。
描かれているのは「少年の屈折」なんだけど、何の力も伴わないくせに身勝手に拗ねる少年を、ここまで繊細に爽やかに書いた話は他にないんじゃないかな。
(04.11.19)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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