ねこのばば・畠中恵(新潮社)
「しゃばけ」・「ぬしさまへ」に続く、愉快で不思議な人情妖怪推理帖シリーズ第3段。ああ、やっぱりこのシリーズは連作短編集の方が良いよ! 日本橋大店の若旦那・一太郎は身体が弱い。愛嬌たっぷりな妖怪達に見守られながら、今日も元気に寝込んでます(え?)。そんな一太郎のもとに持ち込まれる難事件の数々。咳をしたと言っては騒ぎ、よろけたと言っては医者を呼ぶような過保護なボディガードたち(もちろん妖怪)に守られながら、若旦那は今日も謎を解くのだ!
住宅展示場の魔女・本岡類(集英社文庫)
何かにハマってしまった人々が起こす、あるいは巻き込まれた事件の数々。人間、何かしらに「ハマる」のは良くあることで、ここに描かれているレベルにまでは行かなくても「近い」人はけっこういる。自分の中にもそういう要素はある。それだけにヒヤリとするんだよね。話自体は皮肉をきかせたコミカルなものに仕上げているけれど、そのベースにあるものは多分にコワイよ〜。
「女性差別」とか「セクハラ」とかって、ちょっと語感がキツい。でも、そこまでのレベルじゃないんだけど、「え?」と思う表現ってあるよね。それを著者はFC(フェミ・コード)と名付けた。「それってセクハラです!」とまでは言えないけど、でも「それってFC的にどうよ」とは言える。そんな微妙な語例を集め、「こういう表現はマズいんじゃ?」というのを検討するためのガイドライン本。女性はけっこう怒ってるよ、男性もFCに敏感になって、《社会的マナー》を守ろうよというのが主旨です。
枕草子REMIX・酒井順子(新潮社)
「枕草子」のたくさんの項目を「女同士」「男」「キャリア」「イベント」「待つ」などのテーマにわけて再構成し、清少納言の人となりや時代背景を知ることにより、枕草子の魅力に迫る解説本。「古典のベンキョー」なんて堅さは微塵もなく、「千年前だって、オンナの考えることなんて今とたいして変わらないのよぉ」てのを面白オカシク説明してくれる。清少納言の小気味良いイジワルさとミーハー加減のオモシロイことったら。
仕事に疲れ、人間関係に疲れた二十代の「私」は、自殺を決意。どこか寒村へ旅して、そこで死のうと準備を整えて出かける。たまたま選んだ民宿は、三十歳くらいの男性が一人でやっていて、客なんて長いこと来ていないような宿だった。私はそこで、元カレに遺書をメールし、そして睡眠薬を飲み──ぐっすり眠って、そして目覚めた。私は死ねなかったのだ。そして「自殺しそこねた女」と「民宿を経営する男」の、ゆっくりとした生活が始まる……。
野ブタ。をプロデュース・白岩玄(河出書房新社)
桐谷修二は高校2年生。仲のいい友達や弁当を作ってきてくれる「公認の彼女」もいて、楽しいハイスクールライフ。でもこの生活はタダで手に入れたものじゃない。付き合いやすくてノリのいい男子コーコーセーを演じている自分の手腕だ。そんなある日、クラスに転校生がやってきた。キモいデブ。あっという間にイジメられっ子になった彼が、ひょんなことから俺に助けを求めてきた。よし、だったら俺がこのブタをプロデュースして人気者にしてやろう。かくしてプロジェクトは始まった──。芥川賞候補にもなった、文藝賞受賞作。
時は幕末。京都の島原の置屋「輪違屋」に、一人の少女が売られてきた。彼女は糸里と名付けられ、数年後には置屋の中で天神と呼ばれる地位まで出世する。ある日、糸里の姉とも言うべき太夫(芸妓・遊女の最高地位)の音羽が、斬られるという事件が起こった。斬ったのは、悪名高い壬生浪士組の筆頭局長・芹沢鴨だった──。
ひとは情熱がなければ生きていけない・浅田次郎(海竜社)
いろんな媒体に浅田次郎氏が書いたエッセイや、講演会でのトークを集めたもの。同じ出版社から前に似たような装丁で「僕は人生についてこんなふうに考えている」という本が出てて、そっちが浅田次郎の小説から名セリフを集めた「語録」だったもんだから、これもてっきりその類だと思ってスルーしてた。たまたまめくってみたらエッセイ集だったから驚いて読んだ次第。浅田氏のエッセイ、好きなのよね。「勇気凛々ルリの色」のシリーズ(←なまもの書評にリンク)なんて、笑えて泣けてためになって、大好きだもん。
密室の鎮魂歌・岸田るり子(東京創元社)
商業デザイナーの麻美は、美大時代の友人・麗子の個展を見に訪れた。ところがその中の一枚の絵を見て、麻美の友人である由香がいきなり取り乱す。そしてそこに現れた麗子に向かって、由香は「夫を帰して」と叫び出した。実は由香の夫は5年前に失踪していたのだ。初対面であるはずの麗子に、どうしてそんなことを言い出したのか──。鮎川哲也賞受賞作。
産院で中絶や人工死産の手伝いをしていたベテラン助産師の冬子は、ある日、死なせたはずの胎児がまだ生きていた場面に遭遇した。目の前で命の火が消える様子にショックを受けた冬子は職を辞すとともに、中絶手術に関する体験を綴った本を自費出版する。それがきっかけで冬子は、中絶に反対する女性のグループに声をかけられて──。
ただ、登場人物達の関係が前の2冊を踏まえているのはもちろんのこと、どうして一太郎のボディガードに妖怪がついているのかという理由が、本書では当然のように語られるのよね。でも「しゃばけ」ではそれが最大の「謎」として提示されていたので、こっちを先に読むとモロにネタバレになっちゃいます。「しゃばけ」を未読の方はご注意を。
【茶巾たまご】一太郎の異母兄、松之助に来た縁談。一旦は断ったはずなのに、相手方は無理に見合いを仕掛けてきて──。あははは、この下男のキャラは最高。ミステリとしても膝を打つし、最後に用意された「真相」にも唸らされた。
【花かんざし】一太郎たちが出かけたさきで、普通の人には見えないはずの小鬼を、しっかとつかんだ少女がいた。どうやら迷子らしいが……。この「おりん」という名前といい、物語の設定といい、ちょっと宮部みゆきの作品を彷彿とさせる。この子は、もちょっと成長してからまた登場して欲しいな。
【ねこのばば】一太郎がある理由で訪れたお寺。そこでは坊主が首をくくって死んだというのだが──。最後まで読めばわかる、タイトルの意味。そしてそれがわかった途端、「わああ、タイトルでちゃんと言ってくれてたんじゃん!」とノケゾルよ。
【産土】手代の一人(もちろん妖怪)である犬神の佐助の物語。一人(一匹?)でさまよっていた犬神がひょんなことで大店の主人に拾われて……という回想なんだけど、このトリッキーなことといったら! いやあ騙された。見事に騙された!
【たまやたまや】一太郎の隣家の幼なじみ、栄吉の妹・お春の嫁入り話。ああ、なんとも切ない娘心じゃありませんか! しかしこの相手、大事な幼なじみの妹を嫁がせるにはちょっと不安じゃないか?
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【通販天国】悪徳金融業者で借金の取り立てを担当している主人公。彼がハマっているのは通販。ある日、彼のところに注文した覚えのない商品が送られてきて──。あれ? サクサク読んだからもしかして読み飛ばしちゃったのかな? あたしも最後に主人公が思ったことと同じ事を考えちゃったんだけど。「工場」というキーワードはあるけど、それだけじゃ決められないしなあ。
【当日消印有効】殺された主婦がハマっていたのは「懸賞」。捜査をする刑事は、被害者と自分の妻が同じ懸賞サークルにいたと知って──。これはキレイにストンと落ちるミステリ。
【女子高教師の生活と意見】カトリック系女子校のクラスには、「前世を覚えている少女」と「未来から来た少女」が対立していて──。わあ、こんなとこで切るか! すっきりしないなあ。
【束の間の、ベルボトム】自分は刑事なのに、ベルボトムを穿いた女を見ると劣情が抑えられなくなってしまう──そんな妙な性癖には原因があった。ああ、これも「なるほど!」と膝を打つミステリ。伏線の絡み具合が絶妙。
【メリーに首ったけ】家系を圧迫してるのはわかってるのに、飼い犬のメリーだけは手放したくない……。わはははは、真相に思わず苦笑。
【気持はわかる】厚底靴を履いた女性ばかり狙われる通り魔が出没。でもあの品のない若い者の格好をみると、腹が立つ気持ちもわかるよなあ、という話。「昔の幼女は青っぱな垂らして汚かったが、年頃になるとキレイになった。今はその逆だ」という説には思わず納得。
【山女の復讐】自分に貢いでいた女の、会社での横領がばれそうになった。男は彼女の殺害を計画し──。主人公はハマっているのは渓流釣り。これはもう、自業自得っつーか、単に犯人がバカなだけだよなあ。
【住宅展示場の魔女】おしゃれをして住宅展示場に行き、さも家を買いそうな上客のふりをして係員に奉仕させるという遊びを楽しむ主人公。ああ、なんかこれ、ホントに出来そう。ハマっている対象としては、全作品中一番切ない。
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物は言いよう・斎藤美奈子(平凡社)
で、ここに上げられてる、実際にあった「失言」たち。いやあ、すごいよ。笑えるよ。第1章が政治家の失言を集めているので、あたしもニュースなどで聞いたものばかりだよ。森前首相の「子供を産まない女性の(老後の)面倒を税金でみるのはどうか」だの、集団レイプ事件をさして「強姦はまだ元気があるからいい」なんて言った例もあったよね。それがどういう状況で発言されたものかを解説しながら、FC的にどうなのかを論じていく。
でも、そういう政治家達の発言は誰が見ても「そりゃマズいでしょ」というのがわかる。問題は、「え、それのどこがマズいの?」という微妙なもの。あたしがいちばん首肯したのは、痴漢やレイプなどの事件が起こったときに「みだらな格好をしてる女性にも隙がある」という類の意見についての項目だ。これ、すっごくよく言われるけど、でもさ、「だからレイプされても仕方ない」ってヘンでしょ。なぜこんなヘンな論理がまかりとおるのか、それは本書を読んでください。
とまあ、そういう「実は意外とまかりとおっているFC抵触言動」をばったばったと斬りまくる。実に痛快。実に小気味いい。「女らしくしなさい」という言葉の孕む問題。小説や芸術を批評して言うときの「女性ならではの感性」の意味。どれも紋切り型のように使われてるけど、どういうつもりで使ってるのかもう一度考え直してしまう。柔道の谷亮子が金メダルをとったとき「次はママでも金ですね」と当たり前のように聞く記者(夫の谷選手に「次はパパで」と聞いた人はいないのに!)。仕事を褒めるとき、その業績だけでなく「私生活では二児の母として……」みたいな話が必ずついてくる不思議(男性の場合、「私生活では二児の父として」なんていう紹介はしないのに!)。
読み物としても楽しいし読み応え満点。加えて、何の気なしに使っている言葉に秘められた「思いこみ」を打破してくれる、そんな啓発的な一冊です。これはお勧め。つか、男性は読んだ方がいいよ。男性にとっては相当な「実用書」だから。
(05.1.4)《この本の詳細情報&注文画面へ》
正直言って、冒頭で清少納言を「光臨」させ、現代語を喋らせて著者と対談形式にした部分を読んだときには、「この類のやり方は、橋本治の「桃尻語訳 枕草子」というトテツモナイ傑作があるからなあ。あれを超えることはできないんじゃないかな。下手したら二番煎じ扱いになるのでは」と思ったのよね。しかし、読み進めていくうちに、それは大きな間違いだってことに気付いた。橋本版が極力原書に手を入れずに、ただ口語訳(桃尻誤訳)することによってダイレクトに枕草子を伝えようとしたのに対し、これはタイトルにもある通りリミックスなのだ。原書を通読したのち、別のテーマでくくって原書のあちこちからオモシロイ箇所を抜粋し再構成する。それによって「清少納言」という人物そのものを浮かび上がらせ、その結果として、当時の風俗風習文化背景などに触れていくという趣向なのだ。橋本版が「訳本」だったのに対し、これは「解説本」そのもの。ただ、《抜粋》になってしまっているので、これを読めば枕草子が網羅できるわけではありません。そこは注意。
思わず膝を打ったのは、「当時の和歌の交換とは、今で言うケータイでのメール交換のようなものではなかったか」というくだり。恋愛のときだけでなく、どこかへ物見遊山にいったときや、何かオモシロイ体験をしたとき、人はそれを和歌にして友人や恋人に送る。送られた方は、なにか気のきいたコメントを和歌にして返す。返事がこないとヤキモキするし、巧いこと返ってくれば楽しい。当時の貴族にとって、下男下女に和歌を持って走らせることなど、送信ボタンを押すに等しい気軽な行為だった──。わあ、なるほどなあ。まさにそうかも。千年の時がめぐって、再び《メール交換》が文化として甦ったのかあ。へえ。
また、原書で清少納言があげているさまざまな出来事を、現代に置き換えるとどういうことになるかという試みもオモシロイ。細かい部分はさておき、確かに分かりやすいもの。ただ、個人的には、わかろうがわかるまいがまずは原典を薦めたいな。
(05.1.6)《この本の詳細情報&注文画面へ》
天国はまだ遠く・瀬尾まいこ(新潮社)
ああ、いいなあ、これ。すごくいい。自殺まで決意した女なのに、自殺志願者を前にした男なのに、なんだかどっちもすっとぼけてて飄々としててオモシロイのだ。一言で言ってしまえば、「都会の生活に疲れたOLが、田舎のスローライフに触れることにより生きる意味を再発見する」てな話で、こうまとめてしまうとすごくありきたりに思えるのだけれど、こんなありきたりの話が、個々のエピソードの魅力やディーテイルの書き込み、そしてメイン二人のキャラクタの肉付けによって、こうも心に残るスペシャルなものになるとは。
物語全体が、良い意味で、すごく「ゆるゆる」なんだよね。ファンタジックなまでに「ゆるゆる」。こういう組み合わせなら色恋めいた方向に流れそうなもんだけど、そこも「ゆるゆる」。主人公の自分探しも、けっこうシリアスな状況のはずなのに「ゆるゆる」。このゆるゆるがなんともまた、舞台にも文章にも合っててステキなのだ。「私」がミスチルを聞きたくてCDを探すシーンなんて、声をあげて笑っちゃったよ。ちょっと前には遺書を書いてたくせに。その「ゆるゆる」の中にしばらく漂っていると、いろんなものがじんわり身体に染みこんで来る。けれどその「ゆるゆる」は領分を弁えている。すべてを包んで甘えさせてくれるわけではない、その厳しさが根底にある。
自殺というとてもハードな話から入ってるのに、一度失敗してからの転換が早すぎるし、こんなに巧くいく?という気分ももちろんある。けれどそれは、あとになって思うこと。この世界に入り込んでいる間は、それが不自然でも何でもないのだ。ふたりの暮らしは、自殺願望ですら笑い話にしてしまう。笑い飛ばすこと、余裕をもつこと、実感すること──そういうことのひとつひとつが、押しつけがましくなく、頭ではなく心でわかってくる。
ラストはとても思わせぶりで前向きでステキなんだけど、でも願わくば、こんなところで終わらないで、もっともっと続きを読みたい。いつまでもこの話を読んでいたい。そんな気分にさせられた。お勧め。
(05.1.9)《この本の詳細情報&注文画面へ》
なるほど、これは読んでて楽しい。イマドキの高校生の描写がリアルなのかどうかはオバさんには判断できないが、現代の風俗をふんだんに取り入れ、ちょっとヒネてイキがってる高校生の一人称視点は、可愛らしくもカッコ良く新鮮。まあ、会話の中に「(笑)」が出てくるのには正直閉口したけどね。
物語としては、いじめられっこの野ブタ君を、修二がいろいろ作戦を立てて「人気者に仕立てていく」というストーリーで、それだけ見ればとてもいい話だ。悲惨なイジメが延々語られるような作品よりもずっと前向きで、読んでてもわくわくするし。思わず笑っちゃうようなシーンもそこかしこにあり、テンポもよくて、なるほど訴求力の強い魅力的な物語だ。ライトノベルのようなノリでぐいぐい読める(途中までは)。面白い面白い。
ただ、この語り口調についつい騙されそうになるんだけど、この桐谷修二、すっげー嫌なヤツなんだよな。自分が誰かを操って、自分の描いた絵の通り物事が進むことに喜びを見いだしてる。そこにあるのは、「イジメを受けてる野ブタを助けたい」ではなく、「俺の手腕を見せてやる」だ。もちろんそれは結果オーライで、野ブタ君が人気者になってしまえば誰も傷つかず、何の問題もない。けれど読者だけは知っている。修二の底の浅さ、薄っぺらさ。だからこそ、本書の見所は、野ブタが人気者になったその後だ。「好青年の修二クン」の仮面に亀裂が入りだしたあたりから、物語は一転する。終わりも近くなってから、ようやく物語の本領が始まる。この逆転の構図は、恐ろしいまでのインパクトを読者にもたらす。すべてはこのためにあった。なるほど、巧い。これは、巧い。
けれど、このラストは! この結末は! うーーーーん、読み終わってからしばらく考え込んでしまった。どうしてこの結末なんだろう。いろんな結末があり得た筈なのに、よりによってどうしてこれなんだろう。最後の最後で足下をすくわれた気持ち。放り出された気持ち。この結末が自分の中で咀嚼できさえすれば、間違いなくお勧めマークなんだけどなあ。
(05.1.22)《この本の詳細情報&注文画面へ》
輪違屋糸里・浅田次郎(文藝春秋)
新選組に於ける芹沢一派粛正を描いた、浅田新選組物語のひとつ。だが、今回の特徴は、視点をこの時期の新選組を巡る女性に据えたことだろう。新選組が「客」として出入りする郭の女たち──土方に思いを寄せる糸里、芹沢の側近である平山と愛し合う吉栄──そして新選組の屯所として使われるハメになってしまった八木邸の主婦・まさ、前川邸の主婦・勝。そして芹沢の情婦となった菱屋の妾・お梅。これだけの女性視点で描き出される新選組は、従来の新選組物語とは異なる風合いに満ちている。
正直言って、上巻は今更の観が強かった。2〜3ヶ月で帰るはずだった浪士たちが、いつになっても帰らないのを不審に思い、副長助勤の永倉を問いただす八木家のまさ。そこからの永倉の説明が、いかにも「新選組の基礎知識と登場人物紹介」なんだよなあ。まあ、浅田次郎の文章芸だからそれも面白く読んじゃうんだけど、どうにも物語の流れが悪い。それ以外にも、必要なことは全部永倉に喋らせて説明するってのが何とも……。
でも、そんな不満も下巻に入ってすっ飛んだ。ああ、この《芹沢派》の解釈には心底驚いた! ここまで芹沢鴨を哀しい男に描いた新選組物語は他にないよ。芹沢と近藤が二人で話すのを、まさが聞いているシーンがあるんだけど、そこを読んだときにはもう「こう来たか!」と膝を打ったね。悪役ではない芹沢一派、武士としての矜持を持った芹沢一派がここにいる。きーっ、それにひきかえ、土方歳三サイテーっ! 女の敵だこんなヤツっ! きぃ!
そしていよいよ運命の夜、芹沢一派が粛正されたおきの、糸里の啖呵。ああもう、かっこよくてクラクラするよ。お梅が菱屋で切った啖呵も格好良かったが、この糸里はもう……新選組なんざ所詮どん百姓、島原で天神を張る女に敵う相手じゃねーやいっ、てくらい胸がすく。こういう講談調のセリフはホントに巧いな浅田次郎。梅も糸里も、八木家のまさまでも、振り回されるばかりのこの時代の女たちが、そろって勝負に出たのがこの夜だったのだ。
浅田新選組、「壬生義士伝」には大泣きした。翻って本書は、胸が潰されるほど哀しく切ない話ではあるけれど、でも決して負けずに己の筋を通した気高い女達に喝采を送りたくなる。その哀しいまでの強さに、涙ではなく喝采を。
(05.1.21)《この本の詳細情報&注文画面へ》
さて、本書。
第1章は「ひとは何に生きがいを見つけるのか」と題して、小説家を目指していた若き日のことが綴られている。これがすごいのよ。高校生の頃から出版社に持ち込みをしていた著者、そのとき著者の相手をしてくれていた編集者が、三島由紀夫の担当さんだったと。で、1回だけナマの三島由紀夫と会った(というか見かけた)話から、三島の割腹自殺とそれによって自分が何を感じどう行動したか(ご存知、自衛隊に入ったわけだ)など。これは圧倒される。三島の自殺がきっかけとなり自衛隊に入った著者が、市ヶ谷駐屯地の、まさに三島割腹の血を吸った応接セットの払い下げに出向き、その汚れを落とし、そのソファで本を読むというくだりは、なんかもう背筋が伸びる思いがする。
講演記録は、著者の母校である駒場東邦高校で後輩に向かってのものと、自衛隊市ヶ谷駐屯地で後輩に向かってのものを収録。いやあ、これは面白いわ。聞き手が誰かということに会わせて話を変えるのは当然のことだけど、自分と聞き手の共通点から話をぐいぐい引っ張っていく手管はすごい。著者自身が「講演が好き」と言ってるだけある。
「鉄道員」が映画化されたときの「落ち着いたミーハー路線」な話や、「壬生義士伝」の物語が降ってきた盛岡での話なども、作品を知って読むと「なるほどなあ」と思わされる。
ただ、総じて他の媒体でも同じような話を書いていて、「一度聞いたような話」が多いのも事実。でもこの人のエッセイはその語彙や比喩、卓越した文章力を味わうのもまた心地よいのよ。
(05.1.23)《この本の詳細情報&注文画面へ》
これでもかと連打するような密室や、何かが図案化されたような謎めいたイラストなど、本格ミステリっぽい道具立ては充分なんだけれど、印象としてはパズラーではなくサスペンス。これは褒め言葉として言ってるんだけど、良い意味で「火曜サスペンス劇場」みたいな印象なんだよね。その理由がどこにあるかというと、密室という道具立て以上に、女の虚栄心や嫉妬、情念といったものが物語の中枢に存在しているせいだと思う。密室だの図案だのがなくても、動機だけを探るドラマとして充分過ぎるほどに通用するよ、これ。
そういう意味では、見取り図まで入って妙に本格っぽく見せている密室が、かえって邪魔な印象すら受けるほど。登場人物達たちに秘められた秘密が明らかになり、様々な動機が出てくるくだりはそれだけで圧倒されるほどで、そこにテクニカルな密室の謎解きなんか要らないよと思わされてしまった(おまけにそのうち二つは、テクニカルでもなかったし)。なんだが逆にもったいないなあ。ここまで思わせぶりに密室を押し出す必要なんてなかったんじゃないかしら。鮎川賞だったから、なのかなあ。麻美、由香、麗子という三者三様の女性としてのメンタリティ、麗子と娘の歪んだ確執、由香の計算高さ、そしてそこに絡んでくる男性達の思い──そういった方向にもっともっと踏み込んでいって欲しかったなあ。
でも、文句といえば、その「動機という人の心のバックグランド」と「密室」のバランスの悪さくらいで、それ以外はとてもキレイなミステリだ。奇をてらったところがなく、真正面から謎に向き合うミステリ。そういうのって、いいなあ。鬼面人を脅かすような作品ではなく、端正に、誠実に、謎とドラマを落ち着いて読者に見せてくれる。凝った仕掛けで驚かすのではなく、「意外な動機」「意外な真相」で正々堂々と驚かすという正攻法。手慣れた読者なら、動機の一部はひょっとしたら見当がつくかもしれない(けっこうヒントが多いし)けれど、それが導き出す一連の繋がり、一連のドラマは実に見事だ。新味はないけれど、安心して読める。安心して驚ける。続けて読みたいと思わせるだけの技量のある作家だと思う。
(05.1.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》
天使の代理人・山田宗樹(幻冬舎)
ここには5人の女性が登場する。上に書いた冬子の他、待望の赤ん坊を身ごもったにも関わらず、「同姓同名の中絶希望者と取り違えた」という病院の間違いで中絶させられてしまった26歳の佐藤有希恵。一旦は中絶しようしたものの、思い直し、産む決意をした20歳の佐藤雪絵。銀行でのキャリアを捨て、精子バンクから優良精子を貰ってシングルマザーになろうとする36歳の弥生。親との確執や自らの体験から中絶を擁護するマーヤ。彼女たちの人生が並行して語られていき、そしてその人生が様々なきっかけでクロスするようになる。
これは読み応えがあった。いろんなスタンスの女性を配置し、さまざまなケースを描いている。「中絶は是か非か、胎児はヒトか否か」という問いだけ突きつけられれば、それは頭で考えた理屈で返答ができるかもしれない。しかしこうして、ドラマという形で、それぞれの女性の生い立ちや事情、悩み、心理などを肉付けされた上で、「さあ、この場合はどうですか」と言われると、それぞれに理があり、非もありで、途端に答に詰まってしまう。つまりそれほど、それぞれの女性に感情移入してしまうのだ。と同時に、「そのケースごとにまったく事情が異なるんだから、十把一絡げに議論はできないよ!」ということがよくわかる。おまけにこれだけの社会的問題を内包しながら、決して押しつけがましくなく説教臭くもならず、ドラマとして昇華してるってのが素晴らしい。
最も印象に残ったのは、「赤ちゃんを助けたい」という一心で反中絶運動をしている冬子が、あるきっかけで、自分たちの行動を考える箇所だ。彼女たちの行為の中に法に触れる部分があり、それを以て「偽善者」と誹られたとき、冬子は考えた。法に触れることであっても、自分たちの考え・行動は正しいことなんだから実行する。正しいことなんだから、これは偽善ではない。でもこれは、偽善ではなくても「独善」ではないか、と──。
独善、というのが、本書の隠された(いや、隠してるわけではないだろうけど)もうひとつのテーマのように思える。ここに出てくる女達は、いろんな理由で出産や中絶を決めるが、皆、自分の考えが正しいとしてそれ以外の考えを否定しようとする。それも独善ではないのか。そしてそれを独善でなくするにはどうすればよいかを5人の女性が探る物語なのである。これはお勧め。
(05.1.25)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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