お厚いのがお好き?


ほうかご探偵隊・倉知淳(講談社)

 ぼくは5年生。最近、ぼくのクラスで変な事件が立て続けに起こってる。写生の時間に描いた絵が盗まれたり、飼育してるニワトリがいなくなったり、募金箱代わりのまねき猫がなくなったり。そして今日ついに、ぼくも事件の当事者になってしまった。僕の縦笛が分解され、その一部だけが盗まれたんだ。先生はあてにならない。ぼくらで犯人をつきとめるぞ! おー!
 というわけで結成された少年探偵団のお話。富士山をいただく町が舞台で、キャラクタや小道具にも汎用性があって、いつの時代でも読めそうな点はいいなあ。物語の運びも王道で、ほどよくマニアックで、うん、この叢書の中では「子供に薦めたい」と思わせてくれる一冊。読書そのものの楽しみという点では
「黄金蝶ひとり」なんだけど、本格ミステリの面白さという点ではこれじゃないかしら。
 正直言うと、「まあ、どーせ子供向けだから、謎解きそのものはたいしたことないだろうけどぉ」と思って読み始めたのよ。でもって「ほーら、やっぱりね。ふふん」なんて思ってたんだけど──わあ、いやあ、やられました。すっかり騙された。というか、単に騙されただけじゃなくて、著者の思うツボにはまったカタチで騙されちゃったわよ。いやあ、なめてかかってました。これは久々の「やられた」感。あれをサクっと捨てネタにするあたりがすごいなあ。ただ、惜しむらくは、この捨てネタの方が面白いこと。逆に真相がちょっと貧相じゃない? やっぱ「どんでん返し」ってのは、最初の絵より後の絵の方が豪勢であってほしいんだけど。
 まあでも、よく考えてみれば、「あれ」が真相だとしたら逆にいかにもそれらしすぎるか。いやはや、まいりました。いろんなところにビシバシ伏線が張ってあって、けどそれを子供が物語の中で楽しんで咀嚼できるようにちゃんと考えられてるんだよね。うん、これは楽しい。やや詰め込みすぎの観はあるけど、本格ミステリに親しみ始めたあたりの子供にプレゼントしたいな。
 たださ、スレた読者としては、ちょっと別のところに目がいっちゃうんだよね。この「江戸川乱歩が好きな龍之介くん」って……ねえ? え、そうなのかな、あの人のファーストネームって何だったっけ、と思って読んでいくと、同級生のサッカー少年の名前もなんだか時代背景を裏付けてるといえなくもないし。でも後半で「おじさん」の話が出てくるんだよね。となると俄然、この「おじさん」が……っぽく思えてくるんだけど。この物語がいつの時代が舞台なのかわからないだけに、さてどっち?  (05.1.28)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

プロ野球歳時記〜グラウンドにこんなやつらがいた・永谷脩(文藝春秋)

 スポーツグラフィック誌「Number」に掲載されていたコラム94編を1冊にまとめたもの。いつからの連載だったのか書かれてないんだけど、単純に12ヶ月で割っても8年近い連載だったことは確実。元近鉄の阿波野が巨人に移籍した話なんかが出てくるもの。いつの話だよそれ。あ、書いてある。94年かー。10年前だよ。
 1編が見開き1ページに収まるという短いコラムなので、さくさく読める。今、その人物がどうしてるかという情報も同じページに載せてくれてるのが親切。なんせこの著者、学生時代から江川卓と親しくて、「空白の一日」のときに江川と一緒にいたってくらい《プロ野球の中に食い込んでる》人なんだよね。なので「へえ」というような裏話がぽろぽろ出てきて、それは面白い。まあ、全体にヌル〜い感じではあるんだけど、まあコラムですから。
 ただ、いかんせん1編が短いのでどうも食い足りないのと、月刊誌の連載だけあって、そのときに話題のことでも、今読むと何の話だかわからないことも多いよ。たとえばダイエー(あ、今年からソフトバンクか)に城島の入団が決まったとき。なんか入団までいろいろモメたっぽいような事が書いてるんだけど、そんなことあったっけ。もうすっかり忘れちゃった。でもきっと当時はすごく話題になってたはずで、この状況は読者ももちろん知ってるっていう前提で書かれてるんだよね。「(城島は)自分がプロ入りに転向することで周囲に及ぼす迷惑まで頭が回っていなかったのだと思う」なんて書いてるのさ。ってことは、最初は進学か社会人を表明してたけど寝返ったってことか。うーん、そのときは知ってたかもしれんけど、もう忘れたよー。
 あと、不満といえば。ドラゴンズの選手が少ないわよ! 96人中、立浪和義と福留孝介と平井正史だけって! まあ、波留や小池も一瞬だけドラゴンズにいたのでそれを含めるとしても5人きゃいないじゃん。あとはまあ、監督としての落合のページがあるくらいか。くぃ〜ん。地方球団の扱いなんてそんなもんなのか。
 印象に残ったのは、ライオンズで東尾が監督をしていたとき、講演の講師に池永正明氏を招聘した(しようとした)話。池永氏関連の記事が出てくるのは嬉しいな。そして彼が登場するどの記事を読んでも、池永を支持するような内容ばかりなんだもん。本書もしかり。  (05.1.29)
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雨にもまけず粗茶一服・松村栄子(マガジンハウス)

 武家茶道家元の跡継ぎ・友衛遊馬18歳。大学入試をサボってコンサートに行っていたことが親にバレ、怒った父親は彼を寺に入れようとする。そうはいくか、俺は自由に今風に生きるんだ! 遊馬は家出を慣行。ところがひょんなことから京都に住むことになる。遊馬が嫌った「お茶」だの「風流」だのに満ちあふれる京都。遊馬に変化は起きるのか? そして家出の行く末は?
 いやあ、これは面白くも爽やかなエンターテインメントだあ。抹香臭い京都になんか行きたくないと思ってたのに、なぜか京都に住むことになってしまうし、お茶なんて触りたくもないと思ってたのに、なぜかお茶の先生の家に居候することになるし。お茶から逃げれば逃げるほど、どんどんお茶が追いかけてくるあたり、もうおかしくておかしくて。
 お茶のことなんか知らなくても大丈夫。むしろ知らない方がいいかも。遊馬が出逢う京都人ってのが絶妙にデフォルメされてて魅力的。居候するお茶の先生や畳屋さん、趣味でお茶をやっている不動産屋に学校の先生、お寺の僧侶。そういう脇役達が、陰に日向に「肩肘張らないニッポン」を見せてくれる。おまけに遊馬の弟がまた、こまっしゃくれて賢くて、おばちゃん読んでてニコニコしちゃったわよ。
 自分探しと言ってしまえばそれまでだし、「青い鳥はすぐそばにいたのです」てのもありきたりなんだけど、特筆すべきは、「いやだいやだと言いながらも、そこに生まれて育った遊馬には、その素養があるのよ」という点。「引かれたレールの上を歩くのはいやだ」と逃げ出す遊馬が、いかにしてそのレールの意味に気付き、そこに戻るかという物語なのね。身分を隠して暮らしていても、見るひとが見れば「こいつ、お茶を知ってるぞ」とわかってしまう。自分では、茶道なんか自分に似合わないと思っているにもかかわらず、その基本は染みついてしまってる。家の手伝いを頼まれ、しぶしぶやりながらも、実は「知らなければできない」ことをそうとは気付かず自然にやってしまう遊馬は、なんかカッコイイぞ! ちゃんとしつけられてるってのは大事なことなんだなあ。
 すっとぼけた味わい、コミカルな展開に載せられてホイホイ読んでしまうが、遊馬クンは情けなくもなかなかにかっこいい! 爽やかな読後感、読んでて気持ちのいい青春お茶ノベルだ。これはお勧めどすえ。  (05.2.1)
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鬼に捧げる夜想曲・神津慶次朗(東京創元社)

 昭和二十一年三月。大分県の沖合に浮かぶひとつの島で、結婚式が行われようとしていた。新郎となる、この島の網元の当主・将吾は、戦友の乙文明を結婚式に招いていた。久しぶりの再会を喜ぶ二人。ところが、この結婚式をよく思わぬ者もいて──。孤立した島の中で起こる血の惨劇! 鮎川哲也賞受賞作。
 わあ、横溝だ! もう、すっごく横溝だあ! 乙文明が船に揺られて島にやってくる冒頭のシーンで、「金田一? ねえ、獄門島の金田一の登場シーン?」と思ってしまったよ(探偵役は別にいたんだけどね)。おまけに、高台にある寺に住職はいるし(いつ鐘にキリギリスか潰されるかわくわくしちゃった<潰されません)、いがみ合うふたつの家はあるし、大分県警察部の兵堂善次郎警部補ってのがまたイカニモだし、もうどこを切っても横溝ワールド。大分の島ってあたりが、ちょころびっと綾辻ワールド。なんかもう、本格ミステリというより「探偵小説!」という感じで、読んでて嬉しくなっちゃった。
 もう、道具立てがこれでもかってくらいに探偵小説。あらゆるガジェットを組み込んで、読者を飽きさせない。ある意味、意図が丸わかりの部分もあるんだけど、それも含めて探偵小説っぽいんだよね。詰め込みすぎなくらいいろんな要素を詰め込んでるのに、全部をちゃんと一本のスジで通して散漫にならないのはすごいな。ただ、人物関係なんかはもうちょっとスッキリさせても良いんじゃなかろか。
 探偵役のキャラが今ひとつ掴めなかったのと、「捨てネタ」があまりにすごすぎて、その捨てネタの方に感心しちゃって、真相よりこっちの方がいいじゃんと思ってしまった(まあ、好みの問題ですが)ところがちょっと惜しかった。この捨てネタはさ、その情景を想像すると、あまりに凄惨で、あまりに哀しくて、その素晴らしさに感動しただけに「捨てネタ」だとわかったときの「もったいない!」という思いはいかんともしがたく。まあ、本格ミステリだからなあ。まだページがこんなにあるのに、ここで真相がでるわけないって分かってるから、読みながらずーっと「これが真相じゃないのかあ、もったいないなあ」と歯がみしてたんだけど。
 エピローグがちょっと蛇足な気がしたんだけど、どうだろう。遊び心はわかるんだけど、あのエピローグのせいで物語の読後感が一変しちゃってもったいなくない? あの横溝ちっくなイメージのまま絞めてくれた方が良かったような。いや、もちろんこのエピローグも、ある意味めちゃくちゃ横溝ちっくではあるんだけどね。  (05.2.3)
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生贄を抱く夜・西澤保彦(講談社ノベルス)

 チョーモンインシリーズ第7弾となる短編集……なんだけど。う〜〜〜ん、これまた驚くくらい「番外編」だなあ。本編のメインであるはずの人々が、あんまり出てこないよ。いや、もちろんそれはそれで良いんだけど、問題は、チョーモンインシリーズのなんたるかを知らずに、これを最初に読んでしまうと、わけわかんないだろうなあってこと。わけわかんないだけじゃない、ひょっとして誤解しちゃうんじゃないかしら。
 だってさ、チョーモンインシリーズってのは、いわば超能力を使った犯罪を扱うシリーズなわけですよ。こういう超能力があるんですよ、でもってこういう犯罪がおきました、この犯罪ではその能力が使われたフシがあるんです、さてどのように使われたのでしょう、使ったのは誰でしょう──そういうパターンで語られてきたシリーズなのね。それを、番外編的な扱いにして、事件に巻き込まれた人を一人称主人公にして書いてるから、そもそも「これは超能力の話なんですよ」という前提が語られないまま、という作品もあるのだ。
 例えば【もつれて消える】で語られる、ある人物の死亡時刻と自分の記憶との齟齬。普通のミステリなら、これをどう着地させるんだろうというところがメインになるわけで、読む側もそこにフォーカスする。けど蓋を開けてみたら、「それは超能力だったんです」てな真相があるわけで──普通なら「ずるい!」と思うんじゃないかなあ。まあ、「わかってる読者」を対象に書くのなら、いいのか、別に。
 というような基本的立ち位置の問題を別にすれば、相変わらずのストーリーテリングの巧さでくいくい引っ張られる。【情熱と無駄のあいだ】なんて、ばかばかしさに大笑いしちゃった。それにしても相変わらず、歪んだ人物、病んだ人物を書かせると巧いなあ。何が巧いって、ホントに歪んでしまった人物ではなく、ごく普通の、このレベルならホントに身近にいるという程度の「歪んだ人物」なのだ。デフォルメされたキャラのように見えながらも、実は「いるいる、いるよこういうやつ!」という抜群のリアリティ。ということはイコール、その要素は自分にもある(かもしれない)ということになるわけで、イヤなやつだなと思いながらも引き寄せられるんだよね。西澤流の人物描写、ますます磨きがかかってます。  (05.2.6)
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落ちた花は西へ奔れ・岡田秀文(光文社)

  関ヶ原の戦いのあと、家康は二度に渡って大阪城を攻めた。大坂冬の陣、夏の陣である。そこで豊臣秀頼は自害したと言われていたが、実はこっそり逃げだし、薩摩へと向かっていたのだった──! 島津義弘と徳川家康の火花を散らす権謀の闘い。果たして秀頼は逃げ切れるのか。
 秀頼は生きていた、というと、なんとも荒唐無稽なトンデモ歴史系だと思われるかもしれないが、実はそういう話はあるんだよね。薩摩に逃げたという伝承も残っている。史実かどうかはさておいて、これはその秀頼の逃避行を描いたものなんだけど、実に面白い。秀頼の逃避行そのものの冒険話というより、それに関わる周囲の人々の思惑が見所。無事に逃がそうとする真田太助(真田幸村の息子)が主人公という位置づけで、「秀頼様ご一行」の中の誰が味方で誰がスパイだかわからない。わからないままに、みなで協力して逃避行を進めるわけ。
 その黒幕は、もちろん家康。そして薩摩の島津義弘。この対立の構図が「逃がす」「阻む」という単純なものじゃないところがステキ! 秀頼を薩摩に逃がそうというのは、もちろん秀頼自身の発想ではなく、そう手引きしたものがいるわけだけど、それが誰なのかってのがもう、わくわくするよ。手引きするもの、阻止しようとする者の関係が通り一遍じゃなく、そりゃもうどんでん返しにつぐどんでん返しで、読みながら何度「そう来たかあ!」と仰け反ったことか。
 プロローグが何とも謎めいてるんだよね。どこぞのお屋敷の、幼い姫君の視点。戦に出ていた父上がお戻りになられたらしいが、会えない。大好きな父上に会いたくてこっそり会いにいったら……違う、父上じゃない! でもみんなは、父上だっていうの。いったい、どこの誰の話なのか。そして物語が進んでいく中で、このプロローグに重なるシーンが出てきたときには、「ああ、そういうことだったのか!」と膝を打つよ。
 とにかく、歴史の「もしも」を堪能しつつ、それぞれの人の立場における武士道をみごとに描いてる、その描写は圧巻。長年仕えてきたにもかかわらず捨てられてしまった片桐且元の思い、「いくらでも代わりがいる」という忍びの地位に疑問を持つ間者、自分ひとりが生きて何になると自問する秀頼。そしてそれら全てを手駒にして、大きな策略を巡らす家康。
 歴史諜報合戦とでも言うか、誰が味方で誰が敵か、本当の狙いは何なのか。謎解きミステリの魅力もふんだんにあり、エキサイティング&カタルシスに満ちた歴史ドラマに喝采。これはお勧め。  (05.2.7)
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古傷・東直己(光文社文庫)

  ヨイショをさせたら日本一! 口から出るセリフはすべてがお世辞にヨイショ、徹頭徹尾他人を持ち上げる、人呼んで「ホウカン探偵」法間。彼のところに、ある大物から依頼が舞い込んだ。「わが社の機密が漏洩しているようなので調べてくれ」というのだが、けれど真の狙いは──。
 うわはははは、ストーリーだのなんだのより、このホウカン探偵のキャラがサイコー! 実はこのキャラ、短編集
「逆襲」に収録されてる表題作に登場するんだよね。その感想であたしは「シリーズにして欲しい」と書いたんだけど、わーいわーい、シリーズ化だあ。物語の展開よりキャラで読ませるってあたりもシリーズものの真骨頂だし。
 このホウカンを見てると、ヨイショってのはバカじゃできないってのがつくづくわかる。だってさ、一瞬のうちに、何を言えばこの人が喜ぶかってのを見抜かなくちゃいけないんだもん。オシャレに気を遣ってる人には、そのオシャレを褒める。けどオシャレを褒めるためには、褒めるだけの情報がなくてはならない。たとえば、そのブランドがどこなのかを一目で当てるくらいの知識がなくてはならない。キレイだ美人だという程度のヨイショでは、人は絆されないのだ。なんか、このホウカンの「ヨイショ道」にほれぼれしてしまうわん。
 とまあ、すっかり人物造詣に魅せられてしまったわけだけど、話の方はちょっとあっけないかな。だんだん事件の背後関係が大きくなってきたと思ったら、思わぬ方向に小さく収束してしまった感じがする。戦後史を動かしたフィクサー、みたいにぶちあげた挙げ句が家庭内トラブルで済んだような。いや、それはそれで切ないし哀しい幕切れではあるんだけどさ。ホウカンのキャラにつられてしまって、物語本編の印象が薄いよ。探偵のキャラがコミカル(でいて、実はけっこうデキるやつ)なだけに、事件やもっともっとハードなものでも良かったかも。
 しかし、敵方までもヨイショで取り込む過程はおかしくて見事だったなあ。読みながら、あたしの脳内では水谷豊がホウカンを演じてたんだけど、似合うと思わん? とまれ、このヨイショ探偵のヨイショぶりを味わうだけでも面白い。今度は何をどう褒めるか、そんなところにわくわくしちゃうよ。  (05.2.8)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

雨恋・松尾由美(新潮社)

 僕が引っ越したいなあと思っていたとき、叔母さんが海外赴任することに。渡りに船と、留守番代わりに叔母さんのマンションに住むことになった。叔母さんから出された条件は、猫の世話。面倒くさいけど仕方ない。ところがいざ生活を初めてみると、このマンションにいたのは猫だけじゃなかった! 雨の日だけ現れる、姿の見えない若い女性の幽霊は、僕に自分を殺した犯人を見つけて欲しいと頼んできて──。
 ミステリ風味と、「同じ種族の生き物ではない」相手との恋愛。これは
「スパイク」に連なる路線だなあ。彼女を殺した犯人を探す様子は謎解きミステリの風味たっぷりなんだけれど、物語の主眼はやはり、僕と彼女の恋愛でしょう。姿の見えない幽霊が、なんとも「リアル女の子」なんだよね。決してヒロインぽくない、若い女性らしい自己チューなところや、自分に都合のいい思いこみがあったりして。そんな「リアル」な女の子像だからこそ、一見、普通のボーイ・ミーツ・ガールのように錯覚させられるのだ。でも全然普通じゃない。だって姿が見えないんだから。
 姿が見えないからこそ、僕は彼女の存在を持てあます。持てあましながらも、「犯人探し」を続けている間はまだ気持ちがそっちにいくからいいんだよね。ところがある「幽霊の変化」が僕の気持ちを揺さぶって……それは本書を読んで下さい。ホントに悩ましい。考えてみれば、若い男女が一つ屋根の下で暮らしてるんだもんなあ。はあ。
 犯人探しの方も、とってもキレイ。サプライズはないんだけど、最終的に明かされる真相はとっても切ない。その真相の切なさと、僕と彼女の思いの切なさが物語の最後で一気に膨れあがる。わあ、ネタバレするわけにはいかないからすっごく隔靴掻痒なことしか書けないんだけれど、真相がわかるってことは、それだけでない別の意味があるのよ。で、ここまで読んでくれば、それがどういう意味か、僕にも彼女にも読者にもわかっているわけで、真相がわかった瞬間、読者の興味は「二人の思いの行方」に大きくシフトする。
 この、ラストは。巧いとしか言いようがない。幽霊と人間の恋、その最大の障害となるものが何なのか。頭で考えて予想することはできるが、それをこうして逐一描かれると、もう畳みかけるような切なさに押しつぶされそうになる。雨の音を聞きながら、二人が迎えるその瞬間は、哀しく、切なく──それでいて暖かい。
 胸が潰されるような悲しみなのに、読後感が暖かいのはなぜだろう。それは、この結末を読者も主人公も予想していたから。予想通りの哀しい結末を、主人公が最高の方法で受けとめ、上手に昇華してくれたから。だから、ほっと安心してしまうのかもしれない。  (05.2.10)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

漱石先生大いに悩む・清水義範(小学館)

 著者のもとに、知り合いから古い手紙が託された。祖母の遺品らしいが、旧仮名遣いで読めないというのだ。気軽な気持ちで引き受けた著者は、その差出人の名前を見て愕然とする。「夏目金之助」──漱石じゃないか! 手紙の内容は、猫がしゃべる小説を書こうと思っているというもので……。この手紙を受け取った人物と漱石は、どんな関係だったのか?
 ブンガク探偵っぽい設定で虚実とりまぜた内容になってるが、実はここに描かれた最大の謎は、この手紙の謎でも文通相手の謎でもなく、「かぜ漱石はそれまで日本に存在しえなかった文体で小説を書くことができたのか」という点にある。
柳父章氏も論考しているが、それまでの日本の小説とは、言文一致と唱えていたとはいえ、強く文語臭が残っているのが普通だったのだ。それを漱石が「吾輩は猫である」で初めて、本当の話し言葉を小説に持ち込んだのである。なぜ、あのような筆致の小説が生まれたのか。それを著者が時空を越えて解き明かす文学探偵物語。
 さすが清水義範だけあって、これほどまでに大きな問題をサクっと読みやすく砕いて書いている手腕はオミゴト。普通にすいすい読みながら、いつの間にか、「猫」がいかに画期的な文章によって綴られていたかがわかる。同時に、そこに謎の女性を配することによって、漱石のおかれた環境や背景というのを浮き彫りにしてるし。「道草」と絡めた推理なんて、「おお!」と感動しちゃった。
 贅沢を言うならば、漱石がロンドン留学していたことによる《翻訳文体》からの発想というあたりにも触れて欲しかったなあ。漱石のありかたや心情、「猫」周辺の事象の方がメインとなってしまって、文体論議が《物語》の裏に隠れてしまってるのが残念。まあでも、そういうのが読みたければ、それこそ柳父章氏の著書があるわけで、翻って本書は、読み物として気楽に且つロマンチックに、明治文壇の様子を味わえるわけだ。おまけに、文学探偵らしい推理や論証を組み立てる現代の章と、漱石を主役に据えた過去の章の、その絡み具合がSF作家清水義範らしく実にテクニカル。難しいテーマを、砕いてエンターテインメントにする手腕は、ホントにみごとだ。難しいことを難しいまま書くのは簡単だもの。この清水義範のやってるようなことこそ、真に高度に咀嚼してないとできないワザだよなあ。脱帽。  (05.2.12)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

工学部・水柿助教授の逡巡・森博嗣(幻冬舎)

 須磨子さんの心情、察するに余りある!
 小説なのよね。うん、小説なのよ。たとえどんなに事実と似通ったエピソードがあろうとも、似通ったどころかそのまんまノンフィクションやんけという話が出ようとも、これ同じことエッセイに書いてたやんけと思っても、これは小説。絶対に小説。だって小説じゃなければ須磨子さんが不憫すぎるものッ!
 とまあ、いきなり紹介にも書評にもなってない感情的暴走文章を書いてしまったけれど、これは大学の助教授である水柿クンがひょんなことから小説を書き、それが売れてしまったという話を《小説風に》書いたもの。第1巻
「工学部・水柿助教授の日常」では、まだ三重の大学にいた頃の瑞々しい&初々しい水柿夫妻の生活が綴られ、ミステリ風味もそこそこあるけれど、シリーズ第2弾となる本書ではついに水柿クンが作家デビューを果たし、俄然自伝エッセイ色が強くなります。いやもう、あきらかに自分のことだろと思うんだけど、この世には「私小説」というジャンルがありますからね。明治以来の純文学はすべてこの私小説に始まったとされるわけで、そういう意味でもこれは小説なのだ。多分。
 で、どーしてここまで須磨子さんに肩入れしてるかというと。だってヒドいんだもん水柿くん! 世の主婦の皆さんはきっと涙を禁じ得ないと思うの。給料が安くて、お友達と喫茶店にもいけない。欲しい服も我慢して似たものを自分で手作りする。家計簿も水柿クンが操作しちゃう。世の奥様方が思わず我が身を振り返り落涙するそんな生活の中で、自分だけ趣味のモノ買ってんじゃねえよ水柿!<すでに呼び捨て。おまけにその当のダンナは妙に浮世離れしてるときたもんだ。……まあ、それをこうして「書いてる」ってこと自体、水柿クンには「ちゃんとわかってた」ってことなんだけどさ。
 とまれ、そこに視点が集結しちゃって、作家デビューだとか、初のサイン会だとか、出版界のあれこれだとか、実はこんなところにこんな小ネタが(わはは)とか、そういうエピソードはもう全部どうでもいい。大きなお金が入ってきたくだりでは、思わず須磨子さんの両手を握りしめて「良かったね」と言ってあげたくなったよ。頑張れ須磨子。世の主婦はキミの味方だ。そしていつかシリーズを乗っ取り、すべて須磨子視点で君臨するのよ!
 ところで水柿クンが小説を書くきっかけになった、須磨子さんの読んでいたある本だけど──思わず本棚から該当図書を出してきて20ページを開けてみたのはあたしだけではないはずだ! でも角川文庫版では20ページじゃななかったよ。他の版かしら。  (05.2.14)《この本の詳細情報&注文画面へ》  


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