ノリにのってる横山秀夫の新刊──なんだけども、これはもともとは96年にマガジン・ノベルズ・ドキュメントから出された作品が元になってるのね。全面改稿したとは書かれているけれど、なるほど最近の横山作品に比べると《押しの強さ》はやや薄い観がある。でも戦争ってだけで、回天ってだけで、充分押されちゃうよなあ。
アキハバラ@DEEP・石田衣良(文藝春秋)
吃音のページ、不潔恐怖症のボックス、突然フリーズするタイコ。この3人組はお互いの病んでる部分を庇いながら、3人で企業ホームページ更新業などの仕事をしていた。そんなとき、ネットの人生相談サイトのオーナー、ユイの紹介で、武闘派の美女・アキラ、アルピノの天才プログラマー・イズム、元ひきこもりのダルマと知り合う。彼ら6人は世界一の電脳地帯、秋葉原で「アキハバラ@DEEP」という会社を設立、彼らが世に出したサーチエンジンは爆発的な人気を得た。ところがそこに、大手IT企業のワンマン社長・中込が業務提携を申し出て──。
枯葉の中の青い炎・辻原登(新潮社)
「懐かしのプロ野球チーム、トンボ・ユニオンズを描いた短編が載ってますよ」という情報を戴き、初めて手にした作家さん。野球小説かと思いきや、ちょっとタイプが予想と違ってました。「現実」と「フィクション」の境目を行ったり来たりするような作風なのね。それがすっげー「巧い」のよ。あっという間に取り込まれる。この本に収められている短編はどれも扱われてるテーマは全然違うものばかりなのに、濃密な空気は共通。モノによってはとっつきにくいものもあるけど、妙に後を引くよ。
2001年、4月。浅草で女子短大生が通りがかった男に刺殺されるという事件があった。犯人の男がレッサーパンダの帽子をかぶっていた、といえば覚えている人も多いだろう。犯人は間もなく逮捕、起訴され、昨年4月に無期懲役刑が確定された。
ミシン2/カサコ・嶽本野ばら(小学館)
注意! 本書は「ミシン」のラストシーンから物語が始まるため、何をどう書いても、「ミシン」の結末に
という注意書きをつけても、つい目に入ってしまうという事があるので、直接的な単語は避けよう、とは思う。とは思うが、間接的に書いたってこれはバレちゃうんだよなー。うーん。まぁいいか、こっから先は「ミシン」を読んだ人だけ読んでね。
「幻の声」「紫紺のつばめ」「さらば深川」に続く、髪結い伊三次捕物余話シリーズ第4段。ああ、巻を追うごとに安定感が増すなあ。面白いのが分かってて読めるってのはポイント高いよ。
高校2年生の私。同い年の冠くんと付き合っていたが、冠くんは家庭の事情のせいで女性の身体に嫌悪感を持っており、私に触れたがらない。そんな冠くんと別れた後、私は大学生のせっちゃんと出逢った──。群像新人賞優秀作。
歳三からの伝言・北原亞以子(講談社文庫)
鳥羽伏見の戦いから箱館戦争までを連作短編風に描く、北原版・土方歳三。この親本の出版は実はだいぶ前で(調べてみたら1988年でした)、それが昨年の大河ドラマのおかげで文庫化されたんだろうな。でも16年も前の作品ってことで、文庫版の後書きで著者自身が「いやーっ、若いーっ、恥ずかしーっ」と身悶えしている(意訳)。
レズビアンをテーマにした作品を多く発表している中山可穂の短編集。色合いの違う恋愛小説が5編収められているが、バラエティに富んでいて、切なかったり微笑ましかったりいろんなタイプの恋愛模様が楽しめる。女性同士の恋愛も異性間の恋愛も、つまるところ恋愛なのだよなあ。何も変わらないのだ。
ぼくはこうして大人になる・長野まゆみ(新潮文庫)
海辺の田舎町に暮らすぼくは、中学三年生。いろいろと悩みはあるのだが、クラスでは優等生として一目置かれている。そこに、七月という少年が転校してきた。実は僕はまえに七月と会ったことがあるのだ。良かれと思って声をかけたが、なぜか七月は僕に挑戦的で──。
出口のない海・横山秀夫(講談社)
ってことであらすじ。昭和16年。甲子園の優勝投手・並木浩二は、大学入学後ヒジを故障してまともなピッチングができないでいた。このヒジでも投げられる「魔球」の練習を始める並木。そんなとき、日米開戦の報が入り、野球部員達は沸き立つ。戦況が悪化し、並木は学徒動員によって海軍に行くことになるが、彼は魔球を諦めてはいなかった。しかし当時海軍は、人間が魚雷に乗って敵艦に体当たりするという人間魚雷「回天」を開発しており──。
カミカゼと称された特攻隊に比べれば、回天の名前はあまりメジャーではない。けれども、これは確かに存在し、この回天で命を落とした若者も多く存在するのだ。この回天が開発されたとき、最初はちゃんと運転士の脱出口があった。けれど試作の段階で「兵器の性能を犠牲にしてまで脱出装置を必要としない」という意見が通り、脱出口はなくなったそうだ。これは換言すれば、「兵士一人の命より兵器の性能の方が大事」ということである。
横山作品に共通するテーマとして「組織と個人」の問題がある。ここでは、戦争(軍隊)という組織に対して、「魔球を完成させたい」という思い(個人)がそれにあたる。軍に背くことはもちろんできないが、自分の証しは立てたい。そんな主人公の葛藤がもう、胸に直接響いてくる。仲間が先に逝ってしまい、残されたメンバーの気持ちのありようなんて、なんかもう今の世の中でこれを読んでると、不憫で可哀想でたまらなくなるよ。
こういう展開になると、果たして主人公はホントに回天に乗って死んじゃうのか、それとも助かるのかってのが後半の最大の読みどころなんだけど──いや、これは最高に巧い。そして最高に哀しい。並木自身が戦争末期になって悟った自らの使命が、実にみごとな形で──そして実に切なく哀しい形で──ラストに体現された。この「処理」にはもう、ゾクゾクしちゃうよ。これはお勧め。反戦小説として読むのもいいけど、並木という一人の青年の青春を描いた青春小説としても素晴らしいと思う。ハードでシリアスだけど、この当時の青春は、まさに軍隊の中にあったのだから。
なお、並木がこの回天特攻隊に志願する経緯は、荻原浩の「僕たちの戦争」で主人公が特攻隊を志願する(ハメになる)経緯と殆ど同じだ。実際、こうだったんだろなあ。はぁ……。
(05.4.16)《この本の詳細情報&注文画面へ》
イマドキの若者が、金と権力にあぐらをかいた大人に知恵と勇気で立ち向かい、最終的には「ぎゃふん」と言わせる──ってふうに書くと、なるほど定番の物語も小道具やディーテイルを変えるだけで随分と新鮮になるものだと感心。実際、文章が読みやすいのはこの著者の特徴だし、キャラが立つのも同じ。特に今回は「それぞれ弱点もあるけど得意技を持ってる戦隊モノ」のパターンがビシっとはまるような人物設定で(最強の武闘派が紅一点というのも、古いんだか新しいんだか)読み始めたらもう、一気にぐいぐい引っ張られる。爽快で痛快で読後感も気持ちいい。ご都合主義だの予定調和だのというより「お約束」という言葉の方が似合いそうだな。どーせなら、こんなファンタジックな終わり方ではなく、リアルに社会的に戦いを終わらせて欲しかったが。
この主人公達が「イマドキの若者」で、「実際の痛みや暴力にはとことん弱い」「フィジカルな攻撃を受けることに馴れてない」というのは嬉しくなるようなリアルな設定なんだけど、ただ、病んでる少年少女だってヒーローになれるってえ話なのかといえば、それは首を傾げてしまう。だってこいつら、病んでないもん。彼らは確かに吃音だの恐怖症などの適応障害があるけれど、それを隠さず、初対面の大人ときちんと渡り合うし、ネットでしか知らない相手にもすぐに会う。必要ならすぐに行動を起こせる。そういう意味では、ちゃんと肉体を持って対面のコミュニケーションが図れる「真っ当な」少年たちなのだ。世間と巧くやれない感じも、離人症気味な感じも、いわゆる「オタク」のダークサイドも無い。いや寧ろ、莫大な金を産むようなソフトを作れる頭脳、知識などを持ってて、おまけにピンチになっても誰も逃げない諦めない。状況を読むバランス感覚も持っている。これはもう最初からヒーローのキャラだよね。
そのおかげでキャラに嫌悪感を持つこともなく楽しく読めたんだけど、この極めて前向き、ポジティブなオタクたちに、どうも「いかにもドラマ用に作られた」という作り物感・違和感が拭えないのであった。ラストの格闘シーンなんかいかにもゲームっぽい。でもそこさえ飲み込めば、物語はすごく爽快で面白いのは間違いないよ。
(05.4.17)《この本の詳細情報&注文画面へ》
【ちょっと歪んだわたしのブローチ】一カ月だけ愛人と同棲したい、という夫の望みを聞き入れる妻。しかし妻は次第に──。わ、これ面白い。この最後のブローチの意味するところは何なのか。考えれば考えるほどゾクリとする。
【水いらず】一人暮らしをする男のもとに、元妻の妹夫婦がやって来た。姉の形見を返せと詰め寄る妹だったが──。直裁な表現は何もないのに、「匂い」が何とも官能的に扱われている作品。
【日付のある物語】いきなりドキュメンタリータッチ。昭和54年に現実に起こった三菱銀行猟銃強盗事件を取り上げ、そこにもう一人の人物がいたというフィクションを絡めている。
【ザーサイの甕】中国で作り出された奇怪な金魚と、ザーサイの物語。つか、なんでこのふたつが結びつくかな。この発想のジャンプがすごい。
【野球王】乱暴者だった元同級生が、のちに甲子園に出場する。主人公はその後も彼の動向を気に掛けるが──。亡命作家ナボコフの自伝小説とのからみが素晴らしい。
【枯葉の中の青い炎】日本プロ野球界で300勝をあげた白系ロシア人のスタルヒン。彼が最後に身を置いた弱小チーム、トンボ・ユニオンズで、300勝を達成した試合を描く。といっても「スタルヒンを勝たせたい」と思ったチームメイトが、ある呪術を使うという設定。このラストは事実であるだけに、「こういうふうに繋げるか!」と驚いた。後に南洋のトラック諸島の大酋長となるススム・アイザワ(相沢進)を語り手に用いたのみならず、作家の中島敦まで出てくるに至っては「離れた事実を結びつける」手腕にただただ驚嘆。
(05.4.18)《この本の詳細情報&注文画面へ》
自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」・佐藤幹夫(洋泉社)
事件が起こったときは大々的にセンセーショナルに報道されたが、その後の裁判や刑の確定については、つっこんだ報道は何もなかった。なぜか。犯人の男が自閉症という障害を持っていたからである。逮捕されて間もなく、男が高等養護学校の卒業生であることがわかったが、新聞などではそれも伏せられた。無期懲役が言い渡されたときの報道でも、男の障害については何も触れられなかった。ただ、《責任能力を認めた》と書かれただけだ。
しかし弁護側は、責任能力を議論をしているのではなかった。犯人が自閉症患者であることを弁護側が殊更説明しようとしたのは、決して刑を軽くするためではなく、「障害者が被告の裁判」とはどうあるべきかと主張するためだ。判決は有罪でいい、けれどそれは、コミュニケーション能力を欠く容疑者の「自白」をどう扱うかという問題をきちんと解決した上での判決でなくてはならなかったはず。それなのにこの判決は、コミュニケーション不全という状態を無視し、警察の調書をそのまま採用した。外国人の容疑者には通訳がつくように、聾唖の容疑者には手話通訳がつくように、自閉症の容疑者にも「通訳」を介すことを議論しなければならないのに、そこはスルーされた。
この本は、長年福祉サイドでペンをとってきた著者がこの事件と裁判を追い、被害者と加害者の両方のサイドから話を聞き、この裁判が孕んでいた問題点を浮き彫りにしたノンフィクションである。著者が真に訴えたかったのは、自閉症裁判の初のリーディングケースとして位置づけられるべきこの事件が、単なる「凶悪な通り魔」殺人事件として処理されてしまった問題点だ。その結果、障害者が犯人だったときのノウハウが確立されるチャンスを逸し、事件の再発防止ができなくなったしまった。
何より特筆すべきは、この本は被害者と加害者のどちらの味方でもないということだ。被害者の無念も、加害者の障害も、両方の意を最大限に汲み上げようとする真摯さが全編に見られる。特に、自らの取材が「マスコミによる暴力」にならないよう気を付けている。そこがいい。被害者の遺族と、加害者の事情と、加害者の家族と、それぞれの重さが均等に心になだれ込んでくるよ。加害者の妹について触れた最後の章なんて、泣いちゃったもの。その一方で、被害者の家族の話も、もう胸が締め付けられてたまらなかった。その上で、それを理解してるのかどうなのかわからない犯人には、かなり戸惑った。戸惑ったからこそ、裁判ではそこを汲み上げて欲しかったし、マスコミにはそこを報じて欲しかった。著者の思いも、そこにあるのだ。読んでて、ずんずんずんずん気持ちは重くなるし、脳味噌はぐるぐるぐるぐる混乱する。考えさせられることがあまりに多い一冊。
(05.4.20)《この本の詳細情報&注文画面へ》
触れざるを得ません。「ミシン」を未読の方は、以下をお読みにならないことをお勧めします。
派手なパフォーマンスで人気を集める美少女ヴォーカリストのミシン。ファンが高じて遂にバンドのメンバーになってしまった「私」。ミシンからの頼み事(これが前作のラストですね)を完遂できなかった「私」を、ミシンは許してくれた。そればかりか、「私」に芸名をつけてくたのだ! その名も「蝙蝠傘子」。バンドも次第にヒットを飛ばすようになる。しかしそんなある日、ミシンを大きく打ちのめす事件が起こった──。
傘子って!とのけぞったが、その由来を聞いて膝を打った。シュルレアリズムの名フレーズ「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」だ。ああ、なるほど。これはタイトルを見ただけでピンと来た人も、きっといるんだろうなあ。
この傘子のどんくささのキュートなことと言ったら。ミシンに対する盲信、盲愛が、徐々にミシンと対等な位置へと変化していく。ミシンへの愛情に変わりはないのだけれど、「ミシンの所有するMILKのお洋服の中から着るものをチョイスする気持ちになれなかった」り、「一緒に手を絡いで今までのよに同じベッドで身体を寄せ合って眠ることへの愛着は、何故か湧いてこな」かったりする。そして、ステージの上でミシンがある状態に陥ってしまったとき、そのときのカサコの行動はそれまでの絶対服従の下僕から「対等」にはっきりと変化するのだ。
ともすれば「陳腐」ととられかねない、ちょっとこっぱずかしいくらいのステージ。けれど嶽本野ばらはの真骨頂は、その続きの章でのカサコのコミカルなどんくささにある。つまるところ、これは「再生」の物語なのだな。一度は死を決意したミシン、死んだ兄にいつまでもとらわれるミシン、そんなミシンの再生を促したのがカサコなのだ。嶽本野ばらの描く「女の友情」は、どーしてこうもカッコイイのかなあ。
(05.4.22)《この本の詳細情報&注文画面へ》
さんだらぼっち 髪結い伊三次捕物余話・宇江佐真理(文春文庫)
「さらば深川」の最後で、ついに文吉姐さんと一緒に暮らすことになった伊三次。ほれぼれするような気っ風のいい辰巳芸者・文吉姐さんが、長屋での暮らしなんて果たしてできるのか? 役人の下っ引きも兼ねる髪結いの伊三次が主人公の捕物帳ではあるけれど、そして扱われる事件の話もこれまでの巻より数段面白いんだけど、このシリーズはあくまで「余話」だからね。文吉姐さんがどうなるのかに興味がいくのは、これはもう致し方ない。おまけに文吉姐さん──いや、もうお文さんだな──お文さんがメインといってもいいような話ばかり。短編集ではあるけれど、ひとつの事件が尾を引いてたりして、連作といった方が良いかも。
生活の変化という点でいえば、伊三次とお文だけではなく、それぞれのレギュラーメンバーにいろんな変化が起こるのがこの巻。人の繋がりって、一話完結ってわけにはいかないもんね。
【鬼の通る道】【爪紅】【さんだらぼっち】【ほがらほがらと照る陽射し】【時雨てよ】の五話を収録。中でも【さんだらぼっち】で語られる事件は実に胸が痛い。お文がとあることから知り合った幼女とその父親。縁があって親しく言葉を交わすようになったが、その娘をある日災禍が襲う。それだけでも辛いのに、その体験が尾を引いたお文は、同じ長屋で夜な夜な子供を折檻している母親に耐えられず、その母親と諍いを起こしてしまうのだ。それもこれも、伊三次がもっと気にかけてやらなきゃダメなんだよーっ!と、本を読んでてヤキモキ。「自分の店を持つまで祝言はあげない」とかさあ、男の見栄を優先させるより、ちゃんと見てやんなきゃなんないことがあるだろ伊三次! そもそも、芸者なんてそこそこのお大尽に身請けされるのがスジだってのに、こんな貧乏長屋に住まわせてうまくいくわけないんだから。そのうえ、親しいと思っていた友人にまで──いや、皆まで言うまい。
とにかく、お文さんになんとか幸せになって欲しくて、祈るような気持ちで読んじゃったわよ。最終的にはなんとなくいい感じになったので、次巻にもかなりの期待。
(05.4.23)《この本の詳細情報&注文画面へ》
シルエット・島本理生(講談社文庫)
わー、いいなあ、これ。なんかシミジミいい。17歳のときの作品だけあって、荒いところも浅いところも甘いところもあるんだけど、でもそれを補って余りある「雰囲気」が出来上がっているよ。せっちゃんと主人公の関係、主人公と母親の関係、そして冠くんとの関係も、ひいてははじめとの関係も、そこには「相手のことを思う」という共通項がある。所詮は他人、完璧に分かり合うことは不可能だけれど、それでも「分かりたい」という思いがある。この物語のいいところは、その「分かりたい」を押しつけない登場人物たちだ。
全般に薄目の色合いで綴られているのに、なぜこうも伝わってくるのか。それはおそらく、登場人物たちがみな、心よりも頭で考えているせいだろう。あ、いや、心理描写云々を貶してるんじゃないのよ。登場人物達が、「自分はどうしてこんな行動をとるんだろう」「自分は何をしたいんだろう」ということを懸命に頭で考えようとしているのがわかるのだ。ベースにあるのは感情だけど、その感情を一旦頭で考えようとする。そこが読者にとって、いい具合のフィルタになってるんだな。だってこんなストーリー、感情の奔流をストレートにぶつけられたら甘いだけだと思うもの。それをうまく逃がして、読者のところには(良い意味で)上澄みだけが届けられる。ただ、その分、印象が希薄になっちゃうのは否めないかな。
とまれ、せっちゃん、いいよ! このせっちゃんのキャラクタは、「分かりたい」を押しつけないという登場人物の中でも、最も「押しつけない」キャラだ。でもその分、見えないところで相当に悩み苦しんだんだろうなあと思わせる。書いてないことを、想像させられてしまうのである。はじめもいいよ! きっとはじめは主人公が好きなんだよな。でもそれと同じくらい、親友の冠くんのことも好きなのだ。自分が自分がではなく、自分の好きな人のために何ができるか懸命に考える。いいなあ。
その他、掌編の【植物たちの呼吸】【ヨル】を所収。
(05.4.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》
実際、土方歳三といえばとても読み切れないくらいの数の小説になっており、そこに敢えて挑んだにしては、どーも「普通」なんだよね。物語は、 近藤勇が御陵衛士の残党に狙撃される場面から。鳥羽伏見の敗走を経て流山、そして五稜郭までってことで、《副長・土方》ではなく《土方歳三個人》が前面に出てくる時期ですね。そういう意味では見せ場なんだけれど──なんだろうこの冷静なノリは。ストーリーテリングはもちろんとても上手なんだけれど、オリジナリティ&インパクトっていう点で、どうも印象に残らないんだよなあ。著者オリジナルのラブロマンス部分を除くと、既に知られている一般的な土方歳三像を越えるものがない、あるいは、一般的な土方歳三像に達してないというイメージなのさ。ファンのイメージを壊すものでは決してなく、丁寧に描かれてはいるんだけれど──う〜〜〜ん、名作・傑作の多いジャンルだけに、突出したものが感じられないのは残念。
しかし、考えてみればしょうがないのだ。だって16年まえの作品ですよ。歴史小説ってのは、その時点で得られる情報・史実をもとに書かれるわけで、この16年の間に新選組研究は進むし新選組ブームは来るしドラマや映画にもなるしで、読者の側が舌がおごって贅沢になっちゃったんだよね。今となっては「そんなの通説じゃん」と思えるようなことでも、当時は斬新なアイディアだったってこともある。今の目で評価するのは間違いだな。
そんな中で印象に残ったのは、御陵衛士・篠原泰之進とのからみ。篠原に「大局を見る目がない。ただの人斬りだ」と言われ、「新選組だけしか知らぬ男で結構」と返すあたりは、わあ歳三らしいなあ、と嬉しくなっちゃった。
(05.4.25)《この本の詳細情報&注文画面へ》
花伽藍・中山可穂(新潮文庫)
【鶴】私は、祭りの夜に田鶴子という人妻と出会った。意気投合した二人はそのままベッドイン。けれど田鶴子はもともと異性愛者なので、これは私の片想いなのだ──。
【七夕】私はバイセクシュアル、恋人の千草は真性のレズビアン。大げんかの末に別れたあと、私はタクシー乗り場で知り合いの男性に会う──。これ、イチオシ! ヤケになって、そこでちょっといい感じの男に出逢って、暗黙の了解で「やっちゃおか」というノリになる。そこからラストまでの気持ちの流れがリアルで絶妙。ケンカのときのグラタンとか、七夕飾りとか、そういう小道具の使い方も抜群に巧い。
【花伽藍】帰宅すると、離婚した夫が部屋にいて驚く公子。借金に追われて逃げ回っているというのだが──。最初、物語の行く末が見えなくて戸惑ったけれど、この結末はいいなあ。よくよく考えれば何も解決してないんだが、そんなことはともかく、「ここで一回リセットよ!」というのが映像的に伝わってきて印象的。
【偽アマント】社員食堂で知り合ったかおりと仁子は同棲を始めた。しかし徐々にすれ違い始めて──。これ、主人公が女性二人ってだけで、ごくごく普通の真っ当な恋愛心理だよなあ。キュンとなっちゃうようなラスト。
【燦雨(さんう)】長年一緒に暮らしている伊都子とゆき乃は、もう老齢だ。伊都子は身体が不自由になって寝たきり、そんな伊都子をゆき乃は介護しているが──。わぁ、すげえ。何がすごいって、主人公のレズビアンのカップルが介護が必要な老人って! 考えてみれば充分あり得るっつーか不思議はないんだけれど、それでもこの設定が生み出すインパクトはすごいよ。男女の夫婦が年をとって互いを介護するのに比べると、この二人は「枯れてない」んだよね。介護が必要な現在と、二人の出会いという過去を織り交ぜながら綴られる、シビアだけれど暗くはないレアな物語。ゆき乃の息子がいいっ!
(05.4.27)《この本の詳細情報&注文画面へ》
中山可穂がレズビアンを描く作家なら、長野まゆみは少年同士の愛を描く作家だ。長野作品に出てくる少年達ってのは、透明感があって繊細で触ると切れそうなくらい張りつめていて、つまりは「こんなやつ、いねえっ!」という部類なんだけれど、それがまた妙にキレイでいいんだよね。青春小説・恋愛小説を読んでいるというよりも、少女漫画を読んでる気分になるのさ。それも、萩尾望都とか山岸涼子とかの細〜〜〜〜〜〜いタッチの繊細な絵柄の少女漫画。
ここに出てくる主要3人の少年も、そのまんま「トーマの心臓」のギムナジウムに入れてもおかしくないようなキャラクターだ。優等生だけど心に鬱屈を抱える僕、やたらと挑戦的でキレイな転校生、クラスのボス的存在の粗野な少年──わぁ、イカニモでございましょ?
けれど、「きゃあホモ小説だわホモ小説だわ、うふ♪」というイメージはない。というのも、主要人物がそのような性格を持つに至った背景、あるいは肉付きといったものが描き込まれているから。キャラクタにはリアリティがないのに、そのバックグラウンドには妙なリアリティがあるのだ。バックグラウンドにリアリティがあるからこそ、リアリティのないキャラクタでも肉厚に描かれている。透明感溢れるキャラと文章ではあるが、その透明度は見る角度によって様々に変わり、時として内包物の存在を浮かび上がらせる、そんな透明感なのだ。
エピソードのひとつひとつは、まぁ「よくある話」ではあるけどれ、それが結実するラストシーンはとても印象的。なんだか草いきれが香ってきそうなくらい。直接的な「恋愛」はラストまで出てこないのだが、ラストに一気に、けれどほんの少しだけ、迸る感じが溜息を誘う。
(05.4.28)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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