昔ながらの商店街でクリーニング屋を営む新井家。店主である父親の急逝とともに、大学4年の和也がいつの間にか店を継ぐことになってしまった。アイロン職人のシゲさん、喫茶店でバイトをしている友人の沢田、母親やパート従業員の3人のおばさんらの協力を得て、少しずつ仕事を覚え始めた和也だったが──。
『恐怖の報酬』日記・恩田陸(講談社)
恩田陸がイギリスとアイルランドに取材旅行に出かけた際の旅日記──なんだけど。いや、そんなことより、この装丁ですよ装丁! 文句は出なかったのか? つか、書店や図書館で「読み物」のコーナーにこの本があったら、「あら間違えてるわ」とばかりに店員や司書が旅行本コーナーに移しそうじゃないか。あ、旅行本コーナーでもいいのか。そうか。
歴史・小説・人生・浅田次郎(河出書房新社)
浅田次郎の対談集。テーマは大きく分けて3つ。
その名の通り、大人のための文章教室。さすが清水義範、ハウツー本と「面白いエッセイ」を両立させ、めちゃくちゃわかりやすく読みやすく、それでいて「文章を書くということの、その内側」を教えてくれる。
不時着・日高恒太朗(新人物往来社)
太平洋戦争末期に日本軍がとった作戦。それは飛行機が敵艦に体当たりをするという「特攻」だった。飛び立てば必ず死が待っているこの任務、しかし物資の不足は深刻で整備不良の機体も多かったため、敵艦にたどり着く前に不時着することも決して少なくなったという。特攻隊として送り出されながら「死ななかった」人々は、どんな思いだったのか。その悲壮感が美化されて語られることの多い特攻隊だが、中には不時着を偽装することによって「逃げた」者はいなかったのか? 志願はどのようになされ、そのときの気持ちはどうだったのか。種子島に不時着した元特攻隊員を取材し、特攻隊の真実を探し求めたノンフィクション。推理作家協会賞の評論・ノンフィクション部門受賞作。
デビュー作を含む、比較的初期の作品を集めた短編集。いやあ、巧いなぁ。多少のあざとさはあるけれど、実に読ませる。時代小説ならではの読みにくさは皆無。総じて、最後まで描ききるのではなく、なんとなく光明が見えたところでスパッと終わる──つまり「ハッピーエンドの始まり」で終わる手法が使われてて、これがなんとも絶妙な腹八分目。「もっと先を読ませろ〜」と思いながらも幸せ気分になれるんだよね。
約束・石田衣良(角川書店)
短編集。ひとことで言うなら「良い話」。たとえば演技派の俳優でドラマにでもされるとボロボロ泣いちゃうだろうなあ、という類の良い話。でもね、最初の印象は「綺麗なとこだけとってるなあ」だった。この苦境を乗り越えるのは容易じゃないだろうに、主人公は悩むだけで、その「容易じゃない部分」は他人任せにされ、最後の感動だけ貰う。これがどーもなあ、と思えてならなかった。
かぐや姫、花咲か爺、天女の羽衣、浦島太郎、鉢かつぎ、猿婿入り、桃太郎など、誰もが知っている日本昔話のテーマを、三浦しをんが現代を舞台に置き換えて描いた短編集。
痙攣的〜モンド氏の逆説・鳥飼否宇(光文社)
ロックバンド、前衛舞踏、イリュージョンなどの現代アートの舞台で起こる不可能犯罪。シリーズ探偵がその謎を解いていくという連作かと思いきや……え、わ、何だこれ?!
舞台は大阪で、察するに昭和30年代後半から40年代あたり──。雑多で、猥雑で、人の繋がりが濃くて、いろんなものが混じり合って暮らしていた大阪の路地裏。子供を主人公に、小さな奇蹟を描いたファンタジックでノスタルジックな短編集。この人の物語は、たとえば幽霊や人の生き死にが出てくるあたりは「ホラー」なんだけど、そしてしっかり怖いんだけど、それでも「ファンタジー」色が強いんだよね。それも、すごく地に足の着いたファンタジー、読者の記憶の隙間になにかひっかかるようなファンタジーなのだ。敢えて言うなら、和風のファンタジーか。とにかく、 巧い。
切れない糸・坂木司(東京創元社)
うわぁ、これはステキ! クリーニング店に持ち込まれる数々の洗濯物が謎を呼ぶのよ。謎解き自体はどれもさほど凝ってるわけじゃないんだけど(伏線が読者に対して優しすぎる)、謎解きの背景になってる物語が良いのさ。昔ながらの商店街というノスタルジックな舞台に、イマドキの家庭事情なんかも合わさって。小さな事件なんだけど「あ、なるほど!」という小気味よさもあるし、ひとりひとりにドラマもあるし。このシリーズは是非続けて欲しい。
特に、「うちは店をやってるってことよ」というお母さんのセリフにはしびれた。これは、あたしも「うちが店をやってる」家庭で育ったせいなんだろうな。うちが店をやってるってことは、手伝わされるし、夕食の最中に客がくれば客優先だし、親に何か話したいことがあっても店の後回しにされるし。これはサラリーマン家庭で育った人にはわからないだろうなあ。「うちが店をやってる」家庭で育った人は皆「そうそう!」って言うんじゃないかしら。
【グッドバイからはじめよう】河野さんが出す洗濯物の種類が変わった。それが指し示すものは──。シゲさん、ヒント出し過ぎ! シゲさんの一言でわかっちゃったじゃないのさ。<世代かしら?
【東京、東京】中学時代の同級生が就職し、一人暮らしを始めた。しかし彼女の様子がおかしくて──。おお、クリーニング店ならではの事件だ。と同時に、この女性たちの気持ちのアヤがなんとも言えず「わかるわかる」なのだ。
【秋祭りの夜】いつも派手な衣装を頼んでくる渡辺さん。いったい正体は何?──だから伏線が優しすぎるってば! 逆になんで和也が気付かないのか不思議なくらいだ。
【商店街の歳末】商店街に幽霊が出るという噂が立った。その正体とは──。ああなるほど、これまでのキャラ作りはここに繋がるのかと納得。ある箇所はちょっと唐突な気がしたが、読み返してみるとちゃんと書かれてたよ。とまれ、実に「読ませる」シリーズだ。これは是非続編を!
(05.6.13)《この本の詳細情報&注文画面へ》
まずは延々「飛行機が怖いのよ」話。うわはははは、ここでひとしきり笑っちまったい。出発までが長いのなんのって。飛び立つまでに55ページ。全部で210ページなので、ちょうど4分の1が「飛び立つまで」の話だ。まあ、個人的にイギリス方面にはとくに興味がないので、このスチャラカ日記部分が一番面白かったかな。「どのように恐怖を紛らわせるか」というくだりなんて、かなり楽しんでしまった。
文中で思わず「そうそう!」と叫んでしまったのは、自分の読書歴を語るところで《本を読むようになった女の子の間では『若草物語』派と『赤毛のアン』派に分かれるものである。私は断然前者だ》《『赤毛のアン』はどうも苦手だった。(中略)なにしろ最初の2冊ではほとんど頼まれもしないのに一人で喋り倒している女なので、本当に辟易した。私はあんなに喋る女は嫌いだ》──もう、大笑いしたね。まさにあたしもそうなのよ。でもって、本好き仲間はかなりの高確率で『若草物語』派であり、『赤毛のアン』のキャラには辟易した経験があるのだ。これにもひとつ『あしながおじさん』ってのもあるんだが、これはどっちのファンにも受け入れられるみたい。あたしはこの3作の中では『あしながおじさん』が一番好きなんですが。
あ、話がそれた。ともかく、もともと文章の巧い人なので、特に興味のないイギリスの描写でも楽しく読める。「文学」と「SF」と「ロマネスク」が好きな人なんだなあ、と分かるよ。
この旅の間に見た絵でインスパイアされてできたのが「ライオンハート」だとか、たまたま目にした風景から物語がどんどん膨らんで「このシーンが次の物語の重要なシーンになる」と直感したりとか、「ああ、こうやって小説というものが生まれるんだなあ」と感じ入ったり。
軽妙に笑わせながらも、ブンガクの香り高く、臨場感もたっぷり。でもって最後は「飛行機怖い」で終わる、旅行記としてはかなり楽しい部類でした。
(05.6.14)《この本の詳細情報&注文画面へ》
最初は「蒼穹の昴」に代表されるような中国史の話で小松左京・陳舜臣・渋谷由里・張競・津本陽との対談。
二つ目は歴史と小説の関係ってことで高橋克彦と歴史小説&地域性の話、北方謙三と新選組の話、渡辺淳一と短編小説のテクニックの話。
そして三つ目は人生について──と書いてるが、要はノンジャンルの雑談だ──岩井志麻子と岡山vs東京の県民性話、宮部みゆきと東京っ子同士の話、中村勘九郎(現・勘三郎)とかっこいい男気の話、森永卓郎とリストラ話、李登輝(って前の台湾の総統じゃん! すげー人と対談してるなぁ)と武士道の話、山本一力と借金の話(笑)。
第一章はね、「蒼穹の昴」のディーテイルを忘れちゃったのと、もともと中国史には明るくないのとで、「ああ、このあたりに詳しければきっと面白い話なんだろうになあ。面白そうな匂いはぷんぷんしてるのになぁ」とついていけない話題にホゾを噛んだのだ。でも第2章から俄然面白くなったね! 北方謙三との新選組話なんて、「黒龍の柩」の著者と「壬生義士伝」の著者の対談ですよ! 面白くないわけないじゃん! 東北に拘る高橋克彦との対談は目から鱗だったし、正直最近文学賞の選評がらみだの失楽園だので株急降下中だった渡辺淳一の「短編の良し悪し」の話には、「ああ、やっぱりすごい人なんだ」と再認識。
第三章は、宮部みゆきとの「江戸っ子話」が楽しい。東京人であるという他に、二人の意外な共通点が発覚。なんと二人とも「高卒」! これ、すごく新鮮だったなあ。作家に学歴は要らないと力説する二人。「だからキャンパスライフってのが分からなくて、作中に登場させられない」……あははは。しかし人間、学歴じゃないってのをここまで証明した人はいないだろうな。中村勘三郎との「天切り松」話は、もう言葉を読んでるだけでかっこよくてかっこよくて。文章じゃなくて生の声を聞きたいよ。江戸弁って、かっこいいなあ。
対談のテーマがバラエティに富んでるので、興味のある対談だけ拾い読みしてみても良いかも。
(05.6.14)《この本の詳細情報&注文画面へ》
大人のための文章教室・清水義範(講談社現代新書)
「そんなことは分かってますから」という超基本的な話も多いのに(文体の話とかね)、「ああ、分かってる話のはずなのに、こういうふうに説明してくれると筋道がはっきりするなあ」と思わされる。これはつまり、清水氏の出す例やその解説が極めて的確だという証拠。そしてそれが「わかりやすい文章の書き方」のまさに好例となっているのだ。
前半は文章を書く上での基本的な話や注意点、そして後半は用途別(依頼文とか謝罪文とか紀行文とか随筆とか)のノウハウという構成。印象に残ったのは、カタカナ語であるとか、専門用語であるとか、仲間内の流行言葉であるとかはすべて「訛り」であり、人に読んでもらうための文章には「訛り」がない方が良いという話。現代のメール交換は平安時代の短歌に繋がるという話は、酒井順子「枕草子REMIX」にも出てきたなあ。
そして第11講に思わずひれ伏したねあたしゃ。随筆の書き方を説くにあたって、「男性の随筆は煎じ詰めると、私は利口だからみんな見ならえ、ということが書いてある。それに対して女性の随筆は結局のところ、私は感性が優れていてセンスがいいのよ、ということが書いてあるのだ」──もう、大笑い。ウェブサイトの日記の大半が、まさにその轍を踏んでいる(自戒を込めて)。
もひとつ強く頷いたのは、著者が「こういう自己表現のしかたはやめた方がいい」として、自分が変わり者であるということを前面に出し、普通じゃないけどチャーミングでしょう、という印象を与えようとしているというもの。女性に多いとまで書いてあって、これまた大笑いしてしまった。メールにしろウェブサイトにしろ、この手の自己アピールもホントに多いよね。それがどう「変」なのか、どう改めれば良いのか、実に的確に解説してくれる。
この手の本は特に自分には関係ないと思ってる人は多いかもしれないけど、自分でブログやテキストサイトを持ってる人は、第11講だけでも読んでみることをお勧めします。文章ってさ、「賢いと思われたい」というスケベ心で書くと、「賢いなあ」ではなく「賢いと思われたいんだなぁ」ってことが伝わるから怖いんだよね。
(05.6.15)《この本の詳細情報&注文画面へ》
こういうノンフィクションがなぜ推理作家協会賞なのかしら、ミステリでも何でもないのに……と思いながら読んだ。つまるところ「なぜ」を追求した「謎解き」の本だからなのかしら。しかしそんなこと言ってると、対象作品の範囲がめちゃくちゃ広くなりそうなんだけどにゃー。
実際に特攻隊員として出撃し、エンジントラブルから種子島に不時着してしまった元日本兵への取材が本書の核。その人は「不時着はわざとではないけど、やっぱ死にたくはなかったよね」と実に正直。ところが他の特攻兵の生き残りは、けっこうそのことを恥じてるんだよね。いや、ホントに恥じてるかどうかはわからない。心の底では「よかったぁ」と思ってるのかもしれないけど(見方がイジワルですか?)、それを公言することは「死を恐れた弱虫」になってしまうから。自分は断じて特攻を恐れてはなかった、ただ機体の調子が悪かったから仕方ない、次は必ず見事に死ぬぞと思っていた、だってそうじゃないと先に逝った同胞に申し訳が立たない──。
このくだりを読んで、今年(05年)4月に起こったJR福知山線の脱線事故や、10年前の阪神大震災を思い出した。助かった人々は「亡くなった人に申し訳ない」という思いになるという。自分が助かったことは嬉しいけれど、それを喜んでしまっては犠牲者に申し訳ない、と。それと同じ気持ちだと考えれば納得がいく。特攻隊は、日々、仲間が飛び立っていき、それが「英霊」として讃えられてたんだもんねえ。「生き残ったことを喜んだら申し訳ない」という気持ちと、「讃えられる側に入れなかった、弱虫の烙印を押された」ことが恥という気持ちとがあるんだろうなあ。
でもさ、「怖かったよ! 死にたくなかったよ!」と声を上げてくれる元特攻兵の存在はとても貴重。そういう声がないと、万が一社会が変な方向に向かったとき、またぞろ間違った「美学」が出てこないとも限らないんだもの。
(05.6.16)《この本の詳細情報&注文画面へ》
蒼龍・山本一力(文春文庫)
【のぼりうなぎ】弥助は腕のいい指物師だが、ある日、まったく畑違いの呉服屋の手代に来てくれと頼まれる。断り切れずに呉服屋に入ったものの、呉服屋の手代たちは皆一様に弥助に冷たい。実は呉服屋の主人にはある思惑があって──。うっわー、辛いっ! 読んでてめちゃくちゃツライヨ弥助。主人も自分が仕掛けたことなんだから、もちょっと手助けしてやったらどうなのよっ。でも、だからこそ、終わり間近の「ひょっとして、ちょっとずつ良い方向に行くんじゃない?」というささやかな光明が嬉しいんだよなあ。すごく気の長いハッピーエンド。
【節わかれ】大手酒問屋の稲取屋は、灘の酒を扱って一代をなした。ところが今年は凶作で灘の酒が入らない。他の産地の酒を仕入れようと言う息子の提案を、父は頑として容れない。そして酒が足りなくなり、稲取屋はお得意を失うのでは──。「商魂」の面白さとたくましさが満載。実に読み応えがあった。長編にしても良いくらいの密度。
【菜の花かんざし】お城にあがっている弟がお世継ぎを事故で死なせた上に城内で人を斬るという失態を演じ、その余波が我が家に降りかかる。一家まるごと打ち首になるほどの罪だ。この場合、妻はもともと他人ということで許されるから、妻に家を出るように諭す夫。その夫は「子供は藩も許してはくれないから、一緒に咎を受けて死ぬ」という。妻はそれが理解できない。子供も連れて逃げると言ってきかず──。武士としての理と情が素晴らしい。
【長い串】土佐藩が参勤交代の最中、大井川の川渡したちと相撲をとった。それが大きな問題になって──。人の繋がりの巧さに脱帽。
【蒼龍】大きな借金にあえぐ長屋住まいの職人の夫婦。ある日夫は、瀬戸物屋が募集している新年祝いの茶碗のデザインに応募することを思いつく。採用されれば借金は返せる。それから夫の「応募作にかかりきり」の日々が始まる──デビュー作となったオール読み物新人賞受賞作。もうね、人間が良いんだよなあ。最初は敵役のように思えた番頭が実にいい。結末が明らかにされていなところが、「テーマはそこじゃないんだよ」と言ってくれてるのだ。
(05.6.18)《この本の詳細情報&注文画面へ》
たとえば表題作の【約束】は、通り魔に襲われた小学生の物語。一緒にいた親友が、自分を庇って通り魔の犠牲になった。残された少年はショックと自責の念から自分の殻に閉じこもり、あげく自殺を決意する。ここで彼を助けるのは、その死んだ親友なんだよね。主人公の少年は悩んでるだけで(まぁ、もちろんそれはタイヘンなんだけど)自分では状況を打破しようとしないのよ。
両足が付随になってしまった引きこもりの息子の世話をやく父親が描かれた【青いエグジット】も、父親の献身的な苦労は最後には報われるんだけど、それは息子の方が自発的に変わったんであって、父親は「毎日の苦労に耐えながら」待っていただけだ。いや、【約束】にしろ【青いエグジット】にしろ、主人公の苦労や悩みは並大抵じゃないのよ、それは分かるのよ。だから「何もしてない」ということは断じてないんだけど、最後に「報われる」「救われる」のは他者の言動によってなんだよなあ。そこがなぁ。まあ、好みの問題ですが。
その他、へたっぴモトクロスレーサーの物語【冬のライダー】、廃品回収のおじさんを手伝う登校拒否の中学生【夕日へ続く道】、桜の下で出逢った男女を描いた【ひとり桜】、息子が突如重病にかかる【ハートストーン】。どれも、登場する人の苦境は痛いほど伝わるんだけど、「え、そんなことで解決させちゃうの?」というあっけなさ感が拭えない。逆に素直に感動できたのは、夫が事故死したとき浮気相手と一緒だったという経験をした妻を主人公にした【天国のベル】。この展開はちょっとウルウル。
でも、あとがきを読んで納得した。【約束】は大阪池田小の事件のあとで「傷ついた子供に」という思いで書かれたんですって。ああ、だったら納得できるなぁ。「もう悩まなくていいんだよ」というメッセージだ。そう思えば全部がそのテーマなんだよね。なるほど、これは元気な人が読むと「甘いなぁ」で終わっても、「心が弱ってるとき」に読むと、かなり効くのかもしれない。
(05.6.19)《この本の詳細情報&注文画面へ》
むかしのはなし・三浦しをん(幻冬舎)
たとえば表題作の【ラブレス】は、5人の女性に貢がせるホストの物語だ。なるほど、かぐや姫か。ところが状況はもっと逼迫していて……。花咲か爺をモチーフにした【ロケットの思い出】空き巣に入った家が、高校時代の同級生の部屋だったという話。犬も出てくるし、ディーテイルで何がどう現代の話に置き換わってるか考えるのも楽しい。そして【ディスタンス】は少女の一人称。自分の好きな叔父さんについて語るという趣向だが、彼女が無くした「天女の羽衣」の正体がわかったとき、なんとも切ない気分になった。
──と、ここまでは、普通に読んでいたのだ。ああ、昔話をモチーフにして、現代を舞台に短編にしたのね、とただ思いながら読んでるだけだったのだ。ところが、この次の物語から、ちょっとずつ方向が変わってくる。
【入江は緑】では舟屋の町が舞台となる。隣のお兄ちゃんが彼女を連れて帰ってきて、それが派手な女性だったから田舎の町は大騒ぎ──というのんびりした話だと思っていたら、いきなりSFですよ! わぁ、びっくりした。
そこからは一気呵成だ。【入江は緑】で明らかにされた「運命」のもと、【たどりつくまで】ではタクシーを走らせる運転手と、それに乗った客の会話が語られる。一種の叙述トリックと言っても良いかも。【花】では更に時間が進み、【入江は緑】で告げられた運命に乗っかった女性のモノローグ。
そして圧巻なのは、【懐かしき川べりの町の物語せよ】だ。僕はクラスメートで誰もが恐れるモモちゃんと、ひょんなことから親しくなる。このモモちゃんが良いのよ! 桃太郎ですからね、ああ、犬と猿とキジなのね、ここが鬼ヶ島なのねってことは想像がつくんだが、もう正直、どんな昔話がモチーフなのかなんてどうでも良くなってくる。ひたすら「良い」のだ。ひたすら「切ない」のだ。そしてひたすら「カッコイイ」のだ。事ここに及んで、この連作(そう、連作なんですよこれは!)の繋がりに感動する。そうか、「むかしのはなし」か──と腑に落ちる。
これは拾い読みとかしないで、順に読もうね。
(05.6.21)《この本の詳細情報&注文画面へ》
たとえば表題作の【廃墟と青空】は、衆人環視のロックバンドのライブ中、そのステージ上で殺人事件が起こり、バンドのメンバーがいつの間にか消えているといった、実に真っ当な本格ミステリ。それを事件のあとでのインタビューによって構成するという手法も、そして意外なラストのサプライズも、至極正統派なのだ。以前これだけ単独で「本格ミステリ04」に所収されてるのを読み、スマートな本格だなぁと感心した覚えがあるくらい。だからてっきり、このバンドのメンバーを主体に展開される連作推理なんだろうと思ったわけよ。
ところが、前衛舞踏家が集まるイベントで起こった事件を描く【闇の舞踏会】で「え?」と戸惑う。え、これって、そういう方向性なの? イカニモ本格チックなエピソードはたくさん出てくるけれど、それらは決してメインじゃない。いきなり最後で梯子をはずされるような戸惑い。雷を呼ぶというイリュージョニストが消えた【神の鞭】では、また「真っ当な」ミステリに戻ったように見えたが、それでもこれらの連作を繋ぐモノ(同じ名前の人物は出てくるが)がはっきりしない。特に【神の鞭】のラストは、こんなエンディングにしちゃってこれから先どうすんのよ、と他人事ながらヤキモキしちゃったくらい。
そして【電子美学】【人間解体】で、世界は一気に変わる。え、あ、どゆこと? あ、そゆこと? え、でも、じゃあ……と、「?」を頭の上にたくさん並べ、その「?」が一つずつ「!」に変わっていくのだ。でも中には「?」のまま残るものもあったり。いやあ、戸惑った戸惑った。驚いたとかより、まず戸惑ったよ。
ミクロ(例えば名前の遊びとかね)からマクロに至るまで「ついて来られるヤツだけついて来い!」というノリがあって、マニアとそうでない人の分水嶺になってるような作品。けれど、「本格的」から連なるこの流れ、どこへ向かうのかちょっと見ていたい。
(05.6.25)《この本の詳細情報&注文画面へ》
花まんま・朱川湊人(文藝春秋)
【トカビの夜】その横丁の文化住宅には、複数の家族が暮らしていた。そんな中にいた朝鮮籍の一家。僕はひょんなことから、その家の下の息子と親しくなったのだが、彼は身体が弱くて──。
【妖精生物】道ばたで出逢った物売りから買った、クラゲのような変な生物。幸せを運んでくれると言ったのに、それ以降、私の家では──。この生物が運んできた幸せが、「あの感覚」であるというあたりが秀逸。生々しくも、主人公が無軌道にはみ出さず、けれど明日はどうか分からないわよというあたりが怖い。
【摩訶不思議】まだ三十代だった叔父さんが事故死した。その葬儀会場で、僕は叔父さんの愛人だった女性に呼び止められる──。妙にコミカルで、笑えるんだよね。これ大好き。ラストシーンの主人公の戸惑いが、もう可愛くって。
【花まんま】幼い頃、高熱を出してから妹の様子が変わった。読めないはずの漢字を書いたり、妙に大人びたり──。このクライマックスには涙がにじんだ。お兄ちゃんのジレンマが、手に取るようだ。イチオシ。
【送りん婆】親戚のおばさんは「送りん婆」だ。隣のおじさんが死にそうになったとき、その送りん婆が呼ばれた。まだ8歳だった私は、おばさんを手伝うように言われ──。おばさんの思い出話がなんとも切ない。
【凍蝶】子供の頃から周囲に受け入れられなかった僕。そんな僕が墓地で出逢ったお姉さんは──。はっきりとは書いてなくても彼が何によって差別されているのか見当がつく。見当がつくということが何より辛い。こういう差別は、大人から次の世代へと引き継がれていくものなんだというのが良くわかる。これはもう、何があっても、今の世代で断ち切らなければならない。何故彼が差別されているのか読んでも良く分からないという読者が、これからは増えますように。(05.6.25)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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