黒笑小説・東野圭吾(集英社)
「怪笑小説」「毒笑小説」に続く、○笑小説シリーズ第3弾。ブラックで毒のある笑いを提供するコメディ集だけど、今回は傾向がはっきり二つに分かれてるのが特徴。ひとつは、文壇を舞台にした皮肉たっぷりの業界ブラック。もうひとつは、SF的とも言える「ありえない症状」を呈した人々の物語。それにしても、業界ブラックの方はなんかすっごくリアルで、ホントに絶対こういう人いるだろうなあと思えて、逆に痛々しくなっちゃったよ。
うわはははは(嬉)! えっとね、お薦めマークがついてるけど、これはものすごく個人的な理由です。ホントに個人的な理由で気に入ったので、このお薦めマークに普遍性はありません。
定刻発車 日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?・三戸祐子(新潮文庫)
文庫化は今年(2005年)の5月。といっても新潮文庫なので、4月末には店頭に並んでました。ってことは、あの福知山線の脱線事故に合わせて文庫化したわけじゃないのだ。タイミングとしてはまったく偶然。こんなことがあるんだねえ。
一枚摺屋・城野隆(文藝春秋)
幕末の大阪。戯作がやりたいと親と衝突して勘当中の文太郎は、たまたま打ち壊しの現場に居合わせた。彼の実家は一枚摺屋(江戸でいう瓦版屋)だ。ふと思い立って打ち壊しの様子を記事にまとめ、実家へ送ったところ、それが一枚摺として世に出た。ところがその記事がもとで父親の与兵衛が奉行所に連れていかれ、責め苦を受けて死んでしまう。文太郎は父親の敵をとるため、実家に戻って一枚摺屋を継ぐことにしたが、父親の死にはあることが隠されており──。
三万石の小藩・讃岐国丸海藩に幕府の罪人である加賀様が流されることになった。加賀様は高い地位にありながら人を殺め、「もはや鬼か悪霊になってしまった」と噂されていた。その加賀様を引き受けることになった丸海藩では、加賀様到着と前後するように不吉な出来事が相次ぐ。「加賀様の祟り」と人々は恐れたが──。
どきどきフェノメノン・森博嗣(角川書店)
窪居佳那は大学院生。お酒を飲むと記憶が飛ぶのが悩み。指導教官の相澤に憧れたり、講座の後輩の鷹野と水谷から好意を寄せられていることを感じたり、友人につきあってしぶしぶ合コンに出かけたり。父親の友人である武蔵坊とも奇妙な関係。いろんなことに「どきどき」する、佳那の生活とは──。
離婚して以来、ずっと会ってなかった息子。別れたときは4歳だった息子が19歳になって、高峰の前に現れた。高校3年のときからひきこもり気味になってしまい、進学も就職もしないでいた息子が、父親のところへ行くと自分から言い出したというのだ。高峰は那須で小さな牧場を経営してるが、そこで働いてみるという。しかしいざ息子が到着してみると、彼にはまったく働く意欲がなくて──。
ゴーレムの檻 三月宇佐見のお茶の会・柄刀一(カッパノベルス)
「アリア系銀河鉄道」に続くシリーズ第2弾。博物学者の宇佐見博士がお茶会の最中にいろんな世界に飛ばされ、そこで起こった事件の謎を解く。
カソウケン(家庭科学総合研究所)へようこそ・内田麻理香(講談社)
「ほぼ日刊イトイ新聞」の人気コーナー「主婦と科学。」が本になった。「身近なところに科学はいっぱいころがっている」というテーマで、洗濯、料理、育児などに潜む「科学」をやさしく楽しく教えてくれる。
冴えない中学教師・祭戸浩実は、学院長からサイバー・エンジェルの仕事を頼まれる。増加の一途を辿るネット犯罪に備え、ネット上をパトロールして犯罪の芽を探すという仕事だという。ネット経験の浅い祭戸はまずチャットにトライしてみたが、そこで知り合った相手が──。
この著者の手法のひとつなんだけど、結末を書かないんだよね。話はちゃんと落ちてるんだけど、この先、状態はもっとひどくなることが判明するってなところで終わらせるのよ。だから先のことを考えると、シャレにならない話が結構多い。そのあたりもブラックだなあ。
【もうひとつの助走】文学賞の候補になった作家・寒川。結果の電話を待つため、担当編集者たちと一緒に料理店の個室で待っていたが──。賞レースの裏側での、作家と担当編集の「本音」を描く。
【巨乳妄想症候群】目に見えるものがすべて巨乳に見える男の話。
【インポグラ】偶然できた「立たなくする薬」。商品価値はないと思っていたら、意外な利用法が。
【みえすぎ】空気中の粒子まで見えるようになってしまった男の話。「オルファクトグラム」みたい。
【モテモテ・スプレー】もてるためのスプレーを使ったら、ホントにモテた! でも……。
【線香花火】小説の新人賞を受賞して、舞い上がってしまった熱海。編集部としては全然期待も重視もしてないのに、受賞者はどんどん勝手に舞い上がって……。ああああ、痛々しい……。でも、いそう……。
【過去の人】昨年の新人賞受賞者である熱海は、今年の新人賞のパーティに招待される。しかし彼のことを覚えている人は少なく──。これが現実なんだよ受賞者諸君! つか、「虚無僧探偵ゾフィー」が読みたい!
【シンデレラ白夜行】王子様と幸せになったシンデレラの真実とは。分かる人には分かるタイトルが実に秀逸。
【ストーカー入門】彼女からストーカーになることを強要される男の話。
【臨界家族】テレビアニメのグッズを欲しがる子供と親の戦い。この家族、可哀想……。
【笑わない男】ポーカーフェイスのホテルマンを、なんとか笑わせようとするお笑いコンビの話。痛々しい……。
【奇跡の一枚】不細工な女性が、なぜかとてもキレイに写った写真があった。その理由とは?
【選考会 】新人賞の選考委員を頼まれた作家の寒川。しかしその裏にはある企みが……。これ、皮肉が聞いてて面白いんだけど、現実にやるとシャレにならんわな。それにつけても「虚無僧探偵ゾフィー」が読みたい!
(05.7.29)《この本の詳細情報&注文画面へ》
逃亡くそたわけ・絲山秋子(中央公論新社)
とにかく、あらすじを。福岡市にある精神病院から脱走を謀った繰状態の若い女性患者と、彼女に引きずられるように逃げるはめになった鬱の若い男性患者。二人で九州をどんどん南下してくっていう話。それだけの話なんだけど──。
この男性ってのが、名古屋の人なのね。自分が名古屋人であることを否定したくてたまらない名古屋人なの。だから絶対に方言は使わないんだけど、ぽろっと名古屋にしかないお菓子の話をしちゃったりして、その度にからかわれて。そのお菓子の名前が「なごやん」なので、彼は「なごやん」というあだ名になるんだけどさ、もうこの「なごやん」でしばらく笑いが止まらなかったね。美味しいよね、なごやん!>これです。なごやん(お菓子じゃなくて人物の方)が名東区極楽の出身ってとこでまた笑って、「名東区は名古屋市の中でも一番いいところ」と主張するのに更に笑って。でもってなごやんがなごやんの説明をするその方法が、また「わぁ、わかるわかる」なんだよなあ。福岡の人に説明するのなら「千鳥饅頭みたいなもの」って言えば一発なのに。
そう、そこで「千鳥饅頭みたいなもの」とすぐに言えてしまうあたしは、現名古屋人にして元九州人なのであった。なごやんと「あたし」が車で逃げるその逃亡ルートは、まさに、モロに、よーーーく知っている場所ばかりだったのよ。なごやんが「味噌煮込みうどんの方が旨い」と言ってのけた「富貴寺の前の食堂の団子汁」なんて、まさにマイ故郷なんだもの! 遊んでる途中でお腹が空いたら、お小遣いで食べたりしてたのよそれを。「福沢諭吉がなんで唐揚げなんだよ」ってのも、すごく良くわかるのよー。っていうか、店構えまで浮かんでくるのよー。
ね、気に入る理由がわかったでしょ? お薦めマークもつけたくなるってもんでしょ? でも超個人的理由でしょ? 全然本の感想になってないけど、あたしにとってはもう、物語自体の良し悪しなんて冷静に判断できません。ポップで明るくて軽快で、でもときどき鋭かったりしっとりしてたり、読後感もステキなのでお勧めは間違いないんだけどね。でも目が曇ってるかも。物語は判断できずとも、あたしはおそらく本書の地理的・地誌的情報を日本で一番理解できる読者だと思うぞ。ああ、いきなり団子となごやん食べたくなっちゃった。
(05.7.30)《この本の詳細情報&注文画面へ》
列車遅延の確率ということでいえば、日本の鉄道が優秀なのは聞いていたが、数字の上ではヨーロッパもさほど変わらないということも聞いていた。ところが本書を読んで知ったが、日本では1分過ぎたら遅延にするのに、他の国では5分とか15分過ぎなければ遅延にはしないという。げげっ。したらホントに日本って、秒単位で正確なんじゃん! それってすげえ。
本書で一番興味深く読んだのは、なぜ日本はそんなに鉄道に正確性を求めるのかという理由。それと、明治になっていきなり外国から入ってきた「鉄道」というものを日本人が受け入れ、わずか100年で「世界で最も正確」という地位をなぜ作れたかという考察の部分だ。著者はその理由を歴史に求めた。江戸時代から暮れ六つだの明け八つだのという「時間に関する共通認識と、時間を基準に行動する習慣」があったこと。参勤交代という大プロジェクトをつつがなく遂行するテクニックがあったこと(加賀藩の「参勤交代ダイヤ」には感心しちゃった)、江戸時代から旅行という文化があったことなどなどを挙げて、鉄道が「鉄の魔物」ではなく「便利な文明」として受け入れる土壌があったと著者は説く。なるほどねえ。
こういうパズルみたいなことが日本人はホントに得意なんだろうなあ。東北新幹線を東京駅発着にしたとき、ホームの数は変わらなかった。変わらぬ路線数で、一気に発着便数が増える。それをどう対応したか。日本一のラッシュを誇る新宿駅で毎朝どのような作業が行われているか。などなど、感心を通り越して唸ってしまったわよ。
けれど──本書を読むと「だから日本の鉄道ってこんなにすごいんだよ!」ということは、それはもうホントに伝わってくるし理解できるし賛同できるんだけど──だけど、我々は体験してしまった。あの脱線事故を。そして、「遅れ」を取り戻すために何が行われてるかを。それを知ってこれを読むと──ここには書かれていない問題が、実は相当にあるのだと思ってしまう。これは著者にとっても不幸なことと言わざるをえないだろうなあ。
(05.7.31)《この本の詳細情報&注文画面へ》
松本清張賞受賞作。一枚摺(瓦版)がどのように作られ、どのように売られるか、特にそれが御政道を非難するような「潜り」の一枚摺の場合、捕まらないためにどうするか、その上で売れるようにするにはどうするか、はたまた同じ時代に横浜で生まれた新時代の邦字新聞などの部分はとても興味深く読んだ。ただこのあたりは、物語の面白さではなく情報としての面白さだな。
物語の方はといえば、「なんでこんなことくらで、親父は殺されなければならなかったんだ?」というところから始まる、その背後にあるものがなかなか練られていて楽しめた。そうか、だから舞台が大阪なんだな。仇を捜すまでの推理の面白さ、仇が分かってからのコンゲーム的趣向、そして相手との対決は活劇ちっくで、テンポもいいし読者を飽きさせない。さくさくと、けれど充分に楽しみながらページをめくった。
ただまあ、構成が荒いのはちょっと気になったなー。それはちょっとあまりに都合が良すぎるのでは、という箇所がけっこうあって、その度に本に向かってつっこんじゃったい。それと、事件の動機だとかエピソードの描写だとかは確かにこの時代ならではものなんだけど、もう一歩踏み込んで欲しかったなあ。「うわぁ、そこまでで手を引くのかあ」とノケゾっちゃったわよ。特に彦馬のバックグラウンドなんて、これじゃあ何も説明してないのと同じじゃん! 幕末という時代に立脚していながら、その時代性をストーリーに「利用」しているだけで、時代そのものが描かれてる感じがしないんだよなあ。ほら、よく、若い子向けに沖田総司を主人公にしたライトノベルがあるでしょう? 時代の扱い方があんな感じなのよ。
もともと、時代を描くのではなく職を描きたかったのだろうとは思うし、必要以上に「時代」に手をかけると本来の主旨からははずれる可能性ももちろん、ある。だからこういう構成も「あり」だとは思う。思うけれど、ちょっと食い足りなかった。
(05.8.1)《この本の詳細情報&注文画面へ》
孤宿の人(上下巻)・宮部みゆき(新人物往来社)
読み終わって、本を閉じて、「ほぅ……っ」と息をついた。ラスト数ページは、もう涙がにじんで、熱い塊に喉を塞がれているような状態で読んだのよ。この結末は──なんて悲しく、無慈悲なのか。悲しく無慈悲であると同時に、なんて清々しいのか。これは、宮部みゆきの時代小説群の中では、間違いなく代表作と呼ばれるに相応しい物語だ(と、新作が出るたびに言ってるんだけどさ)。宮部みゆきっていう作家が、あたしが死んだ後の世代じゃなくてホントに良かった。同時代に間に合ったことに感謝だ。
最初に登場する主人公は「ほう」という幼い少女。彼女は不遇な身の上で、満足な躾も教育もほどこされないまま、たまたま丸海藩に捨ておかれてしまう。彼女を拾って、親切にいろいろ手ほどきをしてくれた上、働かせてくれたのは、匙家(医者)である井上家だった。井上家の娘、琴江は事の他ほうを可愛がり、ほうもようやく暮らしに慣れてきた頃、琴江は災厄に見舞われる。それがほうの、新たな流浪の始まりであり、同時に丸海藩を襲った惨事の始まりでもあった。
もうね、この「ほう」もそうだし、女下引(警察の下働きみたいな仕事ね)の宇佐とか、和尚とか、出てくる人がみな実に生き生きと、体温を持って動いてるんだよねえ。だから情景が目の前に浮かぶ。おどおどとしたほうの声や、跳ね回る宇佐の足音が聞こえて来る。加賀様の静謐さはすべての音をうち消すし、渡部の小心さはとても身近に感じられる。
そんな生き生きとしたキャラクターたちを、作者は容赦なく辛い目に遭わせる。そして描かれるのは、人は辛い目に遭ったとき、何をどう考え、どう行動するかだ。この物語では、江戸から流された罪人が来ると聞き、すべてを「鬼のせいだ」で押さえ込もうとする。けれど、鬼なんていない。それはもともとその人の心の中にあったものなのだ。自らの心に住む鬼と闘う者、逃げる者、見ないふりをして閉じこめる者。そんな中で、ほうは無垢な心で加賀と対峙する。「あほう」の「ほう」と呼ばれた少女に、新たな名前が与えられるシーンなど感動に手が震えたよ。
ええい、こんなことぐだぐだ言ってたって、物語の面白さの0.1%だって伝わりゃしないんだぃ。とにかく読めっ。
(05.8.3)《上巻の詳細情報&注文画面へ》《下巻の詳細情報&注文画面へ》
恋愛小説、なんだろうなあ多分。少なくとも「見かけ」は。でもさ、24歳でこの恋愛は──かなり奥手っつーか、奥手が高じてムッツリスケベの域に達してないか? つまるところ、「かなり奥手ではあるけれどまぁ普通のオンナノコが、やや妄想系で自分主体のゆるぅい恋愛をしてる話」という感じ。24歳にしては「どきどき」するハードルが低過ぎっ! 十代か。佳那ってば常に自分視点だけで、自分の気持ちはとても大事にするけど、相手の気持ちはまるで忖度しない。これって十代の恋愛の特徴だよな。自分はファーストネームで呼ばれるだけで怒るのに、自分の言動が他人をどんな気持ちにさせるかは無神経なんだもん。教官に憧れてるとか、後輩をちょっと良いと思ってるとかってのも、どれも相手ありきじゃなくて自分ありきの恋愛だよねこれ。うーん。
いや、もちろんそういうのは人それぞれだし、24歳で奥手な恋をするのも(人によっては)ステキなものだとは思うし、自分主体の恋愛を描いた小説も沢山ある。ただ、恋愛を描いた小説はそこに描かれている恋愛に読者がどれだけどきどきできるか・きゅんっとなるか・ってあたりがポイントなのに、これは主人公が何をするでもなく頭の中で恋愛感情をこねくり回しているだけなので心が動かないんだよなあ。じゃあ「見守る楽しさ」があるかというと、特に見守りたいような恋愛でもない。結局、物語の「乗りどころ」が掴めないまま読み終わっちゃった感じ。
もしかして、あたしが若い頃の恋ゴコロを忘れてるだけかしら、学生時代ってこうだったかしら──と思い出そうとしてみたが、あまりに遠い過去で思い出せませんでした。大学が舞台(主人公が学生)ってだけで、自分がもう離れ過ぎちゃってダメなのかな。うーむ。あたしがこの本の対象年齢からズレてるんだろうな、これは。
しかし、文章芸の楽しさは相変わらず。突拍子もない比喩とか言葉遊びの類は読んでて楽しいし刺戟的だ。なるほど、このタイプの文章では、逆に激しかったり切なかったりする恋愛描写は向かないのかもしれないな。
(05.8.4)《この本の詳細情報&注文画面へ》
夏の魔法・本岡類(新潮社)
一読してびっくり。本岡類がこんな話を書くかー。「真冬の誘拐者」や「絶対零度」に代表されるような、けっこうハードで社会派でテクニカルなミステリを書く人(その一方でキオスク・ミステリみたいなのも多いけど)という印象だったので、かなり驚いた。真正面からの成長小説ですよ!
これね、表面的な粗筋だけをまとめると、すっごくありがちですっごく陳腐なの。つまり「ひきこもりの青年が牧場で働くことにより、様々なことを痛みとともに学んで成長する話」なんだもの! ほーら、ありがちでしょ。でも! でも! こんな「ありきたり」で「陳腐」な設定が、描き方ひとつでここまでエキサイティングに、ここまで気持ちよくなるのか、とまずそこに驚かされた。
ひとつは、ホントに今どきの若者っぽくてイライラさせてくれる息子が、ちょっとずつだけど成長していく、その過程が絶妙なこと。もうひとつは、その息子の「弱さ」や「ガキっぽさ」が、読者にも共感できる部分が多いということ。読者にだって牧場で働いた経験なんか無いわけで、牛や酪農に関して息子と同じような誤解をしてるわけよ。その誤解に立脚した息子の行動を、読者は理解できてしまうんだな。でもって、息子と一緒に父親に怒られるのだ。或いは、逆に大人の読者なら息子の甘さはハッキリと分かる。その時、自分にこの息子が説得できるかと考えてしまう。父親と一緒になって、どうすれば息子に理解して貰えるか悩んでしまう。つまり、どっちの立場でもすっと感情移入ができるわけ。
ありがちと言えばありがちだけど、でもそのありがちな設定に気持ちよく酔わせてくれる。重くて嫌な事件を扱った小説が多い中、読んでる最中にどんどん気持ちよくなってくる、気持ちが真っ直ぐになってくる、こんな小説も良いんじゃない?
(05.8.5)《この本の詳細情報&注文画面へ》
こういうのを読むと、ちょころびっとヘコむ。何にヘコむかってえと、自分の頭の悪さにだ。前作はそうでもなかったんだけど、今回はまた妙に物理的なハウダニットが多くて、一生懸命読んでるつもりなんだけど……わかんないんだよなあ。いろんな仕組みを段階を踏んで説明されているうちに、細かいところをボロボロ取りこぼしちゃって、何について議論されてるのかすら分かんなくなっちゃう。或いは、真相を構築する部品の複雑さについて行けず、脳味噌がショートちしゃう。ま、それ以前に、物理的な仕掛けやトリックに魅力を感じないってのもあるのかな。あたしはもともと「謎は複雑に、真相はシンプルに」というタイプの本格が好きで、極論すれば《その一文で世界ががらっと変わる》という類のサプライズ&カタルシスにこそ本格の美しさを感じるクチなのだ。え、理解力・構築力がないことの言い訳にしか聞こえないって? ぐすん。でもそうかも。<弱気。
【エッシャー世界】宇佐見博士が飛ばされたのは、エッシャーの描く不可能建築が建ち並ぶ世界。その世界で起こった殺人事件とは──。これ、エッシャーの絵が欲しいなあ。説明されると朧気には浮かぶんだけど。現実世界の方で展開される謎解きは、実に好み! こういうのが好きなのよ。
【シュレディンガーDOOR】噂の爆弾魔がつきつけたある挑戦。タイムリミットまでに事件の真相を解かなくては──。WHYよりHOWの典型的な作品。もっとWHYを描いて欲しいのに。
【見えない人、宇佐見風】宇佐見博士が手にしたミステリー小説の習作。そこには宇佐見博士自身が登場していて──。メインの謎より、ちょっとした仕掛けの方が楽しかったな。
【ゴーレムの檻】堅牢な牢獄に幽閉されている罪人、ゴーレム。彼はある日、脱走を予言した──。なんかね……「どうやって彼がここから出たのでしょう」という問いに関してはさ、「宇佐見博士がそう言うのなら、きっとそうなんでしょう」としか……。だって一度じゃわかんないよこれ!(泣)
【太陽殿のイシス(ゴーレムの檻 現代版)】同上。ラストの展開が物語世界のありようを暗示してて面白かった。
(05.8.6)《この本の詳細情報&注文画面へ》
例えば、シミ抜き。水性のシミは水で、油性のシミは油で落とすってのは「生活の知恵」として知ってるけれど、それはどうしてか(極性の話)。一晩寝かせたカレーが美味しいのはどうしてか(熟成効果)。胡瓜に塩をふるとしんなりするのはどうしてか(浸透圧)。なるほどねえ、と感心しつつ楽しくお勉強。
でもね、染み抜きの秘訣だとか、煮物は冷ました方が味が滲みるとか、その他ここに書かれてるようなことは、主婦なら知ってるようなことばっかりなのよ。あ、もちろんその理屈は知りませんよ。でも、「こうすればシミは落ちる」ということは体験的に、或いは口コミで、すっかり当たり前の家事のひとつとして知っている。浸透圧という言葉は知らなくても、「胡瓜に塩をふればしんなりする」ってのは当たり前の常識として知っている。で、その理屈をこの本で教えてくれるんだけど、それってとりもなおさず「つまり科学って、当たり前のことを小難しく説明する学問」っていう印象を持ってしまったじゃないか! きゃあ。これってきっと著者の思惑と正反対の感想なんじゃないかしら。どきどき。もちろん、ここで得た「理屈」を応用できる頭のある人には、すごくお役立ちな解説書だと思う。
だけどその分、これまで知らなかったことについては、目から鱗がばんばん落ちた。例えば「マイナスイオンって何か」ということとか。これは前からホントわかんなくて、「元素記号の右肩についてる+とか-とかが、何か?」と、どことなく胡散臭さを感じてたんだが、その理由がわかったよ。
最も目から鱗だったのは、外国語教育を赤ん坊の頃からやった方が良いのかというテーマのページ。あのね、セミリンガル、あるいはダブルリミテッドっていう言葉があるらしいんだけど、これは、「一見、複数の言語を自由に操ってるように見えるが、その語学力はどちらも年齢相応のレベルに達してない」状態を言うんですって。これって怖くない? 思考は言語によってなされるから、その言語レベルが低いと複雑な思考に耐えられないのだとか。「母語」を感受性期に会得することの大切さを思い知らされちゃったわよ。
(05.8.6)《この本の詳細情報&注文画面へ》
チャット隠れ鬼・山口雅也(光文社)
扱われている題材やその表現はとってもイマ風なのに、ミステリとしての手法はとってもオーソドックス。ほんとに、びっくりするくらいオーソドックス。つか、王道。それが良いんだよなあ。イマドキの新しいモチーフを使いつつ、とても馴染みのある手法で事件が解決されるようで、つまるところ安心できるっつーか納得できるっつーか。ちょころびっと得体の知れない昨今のネット犯罪を、自分のよく知っているフィールドに落とし込んでくれたという嬉しさがある。つか、王道的な本格ミステリのフーダニットに、この匿名社会はかなり向いてるんだよね。
ここで描かれてるネット社会は、実際のそれより分かりやすく描かれてるから、コアなネット者にはやや説明的でゆるい描写に見えるかもしれない。だけど、ここで描かれてるのは「リアルなネット」そのものではなく、「ネットの匿名性が持つ危険と恐怖(ともすれば魅力)」だ。その危険、恐怖、或いは魅力は、分かりやすく描かれているが故に、ストレートに伝わって来る。そしてそんな世界であっても、探偵役は従来の社会となんら変わらず、細かい細かい伏線を拾って真相に辿り着く。「ああ、これが伏線だったか!」と膝を打つ本格ミステリの快感は、ネットだろうが実社会だろうがまるで同じ。寧ろ純粋にフーダニット&ハウダニットを楽しめるってもんだ。
ただ、この手のネットを舞台にして匿名性をキーにしてるようなミステリ(例えば黒田研二「幻影のペルセポネ」とかね)には共通のことなんだけど(ネタバレなので反転)相手がどこの誰だかわからないワールドワイドなネット社会の犯罪が、蓋をあけてみれば全部近所の知り合いでした(反転ここまで)というのは、致し方ないとはいえちょっと「それは偶然過ぎるんじゃあ」という思いはついてまわる。だからってそこを自然に描こうとすると、ミステリとして伏線も仕込みにくいし意外性だってぐんと損なわれちゃうだろうしなあ。このあたり、ネットを舞台にしたミステリにとっては課題と言えるのかもしれません。
(05.8.7)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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