荻窪の男子校に通う3人組、祐太、康世、義信を主人公にした、ポップで痛快な青春ストーリー。桜小僧っていうのは、英語で童貞を示すスラング「チェリーボーイ」を訳したもので、彼らが揃ってチェリーボーイではなくなり「シュポシュポ団」になった日を皮切りに、彼らの日々が描かれる連作短編集。
さよならバースデイ・荻原浩(集英社)
田中真は東京霊長類研究センターでボノボ(ピグミーチンパンジー)に言葉を教えるプロジェクトを担当している研究者。言葉を理解し、公開実験の参加者を瞠目させた天才子ザル、バースディに日々新しい言葉を教えている。ところがその研究室で関係者が不可解な死を遂げ──。
一人娘が、不良少年達に蹂躙され殺された。哀しみと怒りに苛まれる長峰のもとに、犯人の名を告げる正体不明の密告電話がかかってくる。犯人が少年では充分に裁かれないと思った長峰は、私的に復讐を決意する。その瞬間から、長峰もまた警察に追われる立場になった。しかし刑事は思う。気持ちはわかる、と──。
すごい。これは、すごい。久々に出たWお薦めマーク!
ギブソン・藤岡真(東京創元社)
8月2日、午前6時。日下部はゴルフに行くため車で上司を迎えに行ったが、彼は時間になっても現れない。不審に思って自宅に行ってみると、だいぶ前に家を出たはずだと息子が言う。しかし上司の家から日下部の待っていた場所まではすぐ近くで、その途中にいた人々に訊いても上司がどこに行ったかは分からず──。失踪した上司の行方を捜す日下部の前に、さまざまな出来事が起こる。果たして上司の失踪にどう結びつくのか?
パズル自由自在 千葉千波の事件日記・高田崇史(講談社ノベルス)
千葉千波クンのパズルシリーズ、第4弾。ちなみにこれまでの作品は、「試験に出るパズル」「試験に敗けない密室」「試験に出ないパズル」ですね。シリーズをここまで読んできた読者はご存知のとおり、「多湖輝の『頭の体操』をそのまんま小説仕立てにしました」というシリーズ。だから「三度に1度は必ず嘘をつく人、ってあり得ないじゃん!」とか言ってはいけないのよ。
歌人・穂村弘による自虐エッセイ──と言ってしまえばそれまでなんだけど、これが良いんだなあ。おかしくって笑っちゃって、でもちょっと寂しくて心に刺さって。
女王様と私・歌野晶午(角川書店)
定職にも就かずひきこもりを続けている真藤数馬。彼は「妹」を連れてドライブに出かける。若者文化華やかな渋谷や原宿は敷居が高く、日暮里で洋品店を覗いていたとき、いきなり見知らぬ人物に難癖をつけられた。その人物は数馬のことをキモいオタクと一刀両断、「教育してやる」というのだが──。
ルパンの消息・横山秀夫(カッパノベルス)
平成2年12月、警視庁に「15年前の女教師自殺事件は、教え子の男子高校生3人による殺人だ」という密告が来た。慌てる警察は、告げられた「犯人たち」を取り急ぎ連行する。おりしも時効成立まであと1日。果たして起訴まで持ち込めるのか。そして事件の真実とは──。
1メートル91センチの肉体に抜群の運動神経を持つ元不良少年。売り言葉に買い言葉で消防士になったものの、消火も人命救助も仕事だからやってるだけ、できれば早く事務職になって安穏な9時5時の生活をするのが夢の、大山雄大22歳。てなふうに書くとダメダメやる気なしの公務員を想像するかもしれないけど、シリーズ第1作「鎮火報」を読んだ人なら、彼がホントはどんなやつが重々承知さっ。さて今回は、彼の管内を中心に老人世帯の失火・焼死が相次ぐというお話だ。助けられなかったことを悔いながらも、現場にどこか納得のいかない雄大。そしてこの連続失火事件には思わぬ共通項が浮かんできて──。
桜小僧・ヒキタクニオ(集英社)
話としては、すごく良くあるパターンで、ともすれば陳腐なエピソードだったりするのに、それでも勢いが良いのでぐいぐい読まされちゃうんだよねえ。したいヤリたい勃ち盛りの青年3人、頭の中はそればっかりで(うわはははは)、頭で考えるのは苦手ですぐに手が出るし、ホントにバカな高校生なんだけど、それが妙にキュートで可愛くて痛快なのよ。
【桜小僧】では、康世と義信が童貞を捨てたと聞き、焦る祐太。二人にその「お姉さん」を紹介して貰ったが、その本番では──いやあ、笑った笑った。やりたいばかりに一生懸命で、その願いが叶ったことは万々歳なんだけど、どこかで「ちょっと違う」と考えてる祐太に大爆笑。脇役も個性的で【豆自慢】に出てくる康世のお祖父ちゃんや、【黒豆納豆】に出てくる祐太の父親(なんと黒人解放運動系団体の幹部)など、主役を食ってしまうほどの強烈さ。【ガールズトーク】以降、主役の一片を担う女子高生ヘン子ちゃんもいい味出してる。
馬鹿な高校生たちの馬鹿なりに懸命な日々を描いたこの連作、ところどころでドキっとするフレーズに出逢う。「いまどき、親を殺すなんて言ってんのは、リスカル(リストカット)ばっかりやってる、垢抜けねえゴスロリの奴らくらいだぜ」とか「パンツを売ったお金でおしゃれしても笑われるだけで、友達は誰も尊敬なんかしない」とか。ときどき出てくるこういう価値観はきわめて「健全」で、セックスのことばかり考えてる男子高校生や親に文句ばっか言ってる女子高生が主人公でありながら、彼らはベースのところで「健全」だっていうことが、この爽快感を出してるんだろう。イマドキの風俗を入れながらも、描かれる世界観はちょっと古い。それが「馴染み易さ」に転化している。際どいのにピュアで、なんか抱きしめたくなっちゃう可愛い青春ストーリー。とにかく、読んでて気持ちが良いよ!
ところで、本編とはまったく関係ないんだけど、この表紙がかなり怖いんですけど。夜、暗い部屋でこの表紙を見たときにゃ、思わず「ぎゃっ」と飛び上がっちゃったわよ。
(05.9.17)《この本の詳細情報&注文画面へ》
読みながら、北川歩実の「猿の証言」を思い出した。決定的現場を目撃していたのは猿だけで、その猿は人語を解する──というところが同じなのね。けれどあちらに比べると、本書はヒューマンドラマの度合いが高い。
話そのものはすっごく引き込まれるのよ。事件も、その裏にある事情も、その展開も。題材も話もとっかかりもすごく魅力的で、ストーリーテリングの上手な作家さんだけに、話が始まったらあっという間に世界に取り込まれる。公開実験のくだりや、怪しい雑誌記者のくだりなんて、わくわくするもの。そのあたりはサスガ。
けれどなんだか全体にさくさく進みすぎて、どうにももったいないんだよなあ。テンポがいいというのは長所なんだけど、いろんなことがあっさり展開し過ぎて「もっとモッタイぶってよぉ」と言いたくなるのだ。SESプロジェクトのホントの意味も、事件の背後にあった動機も、すべて伏線無しでいきなり明るみに出る。だからとてつもなくドラマチックでサスペンスフルな話のはずなのに、なんだか希薄な印象を受けちゃうのよ。著者の他の作品に比べて、登場する人物にさほど肉付けをしてないせいか、こんな状況で警察は捜査をやめるかなぁ、そもそもこんなことで死ぬかなぁ……などなど、人物の動きに合点がいかない箇所も多すぎる。合点がいくためには、物語の展開や人物造形を読者が自分の中で咀嚼し感情移入できる「時間」と「材料」がもっと欲しいんだけど。
ラストも「え、これで終わり? こんなとこで終わりなの?」と、しばし呆然としてしまう。クライマックスは(文言は感動的なんだけど)ちょっと作り物めいた観は否めず、これで終わるわけがないと思ってたら終わっちゃうんだものぉ。こんなことが出来るんなら、その前の段階で他にやりようがあったんじゃなかったのかよぉ。すっごくもったいないの。ともすれば詰め込みすぎが懸念されるほど「テーマを込めやすい」設定なのに、それが逆に全体に薄味になってしまった。ああああ、もったいない。
(05.9.18)《この本の詳細情報&注文画面へ》
さまよう刃・東野圭吾(朝日新聞社)
酒鬼薔薇事件以来、少年法を巡る議論は幾度も幾度も小説のテーマにされてきた。「少年法があるから、未成年のうちなら何をやっても大丈夫」──そんな理由で、大事な人を殺されたら。殺した張本人に反省も後悔もなく、少年だからという理由だけで軽い刑罰で済んだら。それはちょっとおかしいのではないか、そう思ったことのある人は多いだろう。
東野圭吾がその問題に正面から取り組んだ。物語は被害者の父(のちに加害者になるわけだが)のスタンスで進み、世論も警察も彼に同情的に描いてるもんだから、読者もテキメンに彼の味方になる。なんとか復讐を成功させて欲しい、と思う。思うんだけど──そう思いながらも、「でもホントにそれで良いのかな」と考えたりもするわけだ。何が一番良いの? あたしはこの物語にどんな決着がつけば一番嬉しい?
著者はひとつの結末を用意してるんだけど、果たしてその結末が「ハッピーエンド」かというと、それも違う。こんな結末はあたしは望んでなかった、でも、じゃあ何を望んでた? ……わからない。そして特筆すべきことは、被害者の父親を除く登場人物全員が同じように「何が良い結末なのかわからない」と悩み、迷っているということだ。あなたにも考えてみて欲しい。あなたは、この物語にどんな結末を望みますか? そうやって考えることが、きっと、本書を読んだ一番の収穫に繋がるのだと思う。
胸に刺さったセリフがいくつかある。テレビに担ぎ出された別の事件の被害者の父のセリフ。犯人の少年の知り合いだったある少女のセリフ。ペンションの老父のセリフ。そしてもうひとつ、事件とは無関係なある夫婦の会話だ。
妻が夫に「もしもうちの子が誰かに殺されたら、あなたどうする?」と訊き、夫は言下に答えるのだ。「ぶっ殺す」と。それに対して妻は言う、それではダメだ、自分は捕まらないように手を打たなくては、と。子供を殺されただけでも充分に不幸なのに、復讐したせいで刑務所に入れられるんじゃ割に合わない、と。「そんなやつらのために、どうして二度も不幸にならなくちゃいけないの。だからあたしが復讐をするとしたら、絶対に警察に捕まらない方法を考えて、それからやると思う」──本編には無関係な、単なる世間話であるその夫婦の会話が、ひどく印象に残っている。
(05.9.19)《この本の詳細情報&注文画面へ》

容疑者Xの献身・東野圭吾(文藝春秋)
弁当屋に勤務する靖子は、別れた夫に家に押し掛けられ揉み合いになった結果、はからずも娘と協力するような形で元夫を殺してしまう。自首する、という靖子に、その様子を察した隣の部屋に住む高校の数学教師・石神が声をかけてきた。自首するのなら止めないが、そうでないのなら協力するという──。「探偵ガリレオ」「予知夢」に続く湯川学シリーズ第3弾にして初の長編。
すごい。もう、それしか言いようがない。犯人の章と刑事の章で語られるため、読者も犯人側の情報は得ているわけで、そういう意味では倒叙モノだ。けれど犯人がやったことすべてが明かされてるわけではないので、犯人がどのような仕掛けをとったかは読者も刑事と一緒に推理していくことになる。最初は「どうやって隠すのかな」「どうやって見抜くのかな」というところをわくわくしながら眺めているのだが、ある1ヶ所で「え?」と思う。とても小さいことだけど、ちょっとひっかかる。そして物語が佳境に入ったとき、「あ、もしかしてあれは」と気づき、「そういうことか! もちょっと早く気付いても良かったのに」とホゾを噛み、ところがそれさえも実は──
度肝を、抜かれた。この真相には、ただただ、度肝を抜かれた。
と同時に、やるせなさと切なさに、胸が押しつぶされそうになった。
本格の持つトリッキーさや意外な真相。それがそのまま、切なさや愛しさに直結する。テクニカルな仕掛けやトリックが、そのまま人の思いに結びつく。人間というものは、ここまで誰かを愛することができるのかというその圧倒的な感動が、謎が解かれるに従って明らかになっていく。
本格ミステリというものは、すべてが謎に奉仕するのだとか、人間を描くのではなく論理を描くのだとか言うけれど、こうして、謎解きとドラマが相乗して大きな物語になるということが頑として在る。論理的な謎解きなくしてこの感動は生まれないし、人の思いなくしてこの謎は解けない。論理パズルに「です・ます」をつけたような本格ミステリに失望している人がいたら、是非、この作品を読んでみて欲しい。
文句なしに、今年の本格ミステリベスト1。本格ミステリというジャンルには、まだこんな名作が生まれる余地があったんだなあ。
(05.9.20)《この本の詳細情報&注文画面へ》
これまでの作品(「ゲッべルスの贈り物」や「六色金神殺人事件」)のイメージを持って読み始めると、随分手堅い印象。こういう奇を衒わない、落ち着いた話の方が好きだなという思いと、でも藤岡真ならもちっとハジけてても……という思いが行ったり来たり。
でもサスガに構成は巧いやね。謎が多すぎて途中で整理しないと分からなくなりそうなくらいだが、話運びとディーテイルの書き込みが上手なのとで、混乱せずに話に入っていける。おお、その手がかりはそう来たか、おお、こんなところでどんでん返すか、おお、この幕間に挟まれる章はイカニモな感じよ、などなどニヤニヤしながら読み進む。赤い車の謎、行方不明な車夫の謎、謎のイベント、怪しいストーカーなどなど、巧い具合にキャッチィなシーンや出来事を塗して、読者を誘導してくれる手腕がオミゴト。
ただねえ……読みながらずっと、「こういうとき、真っ先に疑われるであろう証言及び人物がまったく疑われないってのはどゆことだ?」と疑問に思っていた。ら、そのまんまそれが真相で、思わず「おいおい」とつっこんでしまったわよ! だってさ、こういうタイプの事件なら一番怪しいのはコイツでしょコイツの証言を信じる道理がどこにあるのよ、と思いませんか思うでしょ思うわよね。なのになのに、えーーーー、結局コイツかよ。何なのこのシンプルな真相は。いや、シンプルな真相は決して嫌いではないが、それにしたってそこに行き着くまでが遠回りし過ぎっ。その「遠回り」の部分がやたら面白いだけに、真相のあっけなさが肩すかしなのよお。
それに、せっかくの色んな要素が、もちょっと結びついてくれると良いのに……いや、「削ぎ落としていく」というのもひとつの手法ではあるんだけどもさ。大山鳴動して鼠一匹みたいな食い足りない気分。つまるところ、「謎と展開は面白いのに真相が不満」ってとこかしら。
(05.9.21)《この本の詳細情報&注文画面へ》
ただ今回はパズルだけじゃなくて、ミステリ色もなかなか。【桜三月三本道】はホントに「嘘つき族と正直族」のアレンジ版だけど、それ以外はパズルをネタ振りに使いながらも、本編はきっちりした謎解きミステリだ。【迷路な二人】はけっこうトリッキーで「ここが怪しいってわかってるのに見抜けなかった」という本格の醍醐味がある。【徒競走協奏曲】なんてキレイな日常の謎だし、【似ているポニーテイル】は「犯人」の動機こそが問題な(まるわかりだけどね)ホワイダニット。【ゲーム・イン・ゲーム】は手がかり満載の真っ当なミステリで、【直前必勝チャート式誘拐】に至っては、そのまんま「名探偵コナン」に出てきてもおかしくない話。そしてもちろん巻末には、中に出てきたパズルの正解と解説つき【追伸簿】。
巻を追うにつれて磨きのかかるぴぃくんのマヌケぶりと兄バカぶりに多少辟易しつつ(おとぼけキャラもこのレベルまで来ると、笑うというよりウンザリしちゃうんだけどなぁ。あたしだけ?)、素直にパズルに取り組む分にはなかなか楽しいシリーズだよな。
ところでシリーズ当初からずっと引っ張っている「ぴぃくん」の本名問題。ここまで随分ヒントが出てるんだけど、そろそろ考える方もアイディアが煮詰まって、「これでしょ」とキメうちできるようになって来た観あり。そもそも「千葉千波」ってのが、千葉にちなんでるわけだし……。でもまだなにか「ひっかけ」がありそうだしにゃー。今回出てきた名前ネタの中には「あれ? ちょっと予想と違うかも」と思うような要素もあったし。ちょっとどきどき。これはいつ明らかにされるのかな?
(05.9.22)《この本の詳細情報&注文画面へ》
本当はちがうんだ日記・穂村弘(集英社)
自分はダメな人間だとか、自分は世間についていけないとか、そういう話は目新しくもないし、どっちかというとそういうことを延々言われると普通は辟易してくるものでしょ。ところが。この「ボクってダメ」論は、読み物としてとてつもない芸がある。逆に言えば、芸(技と言ってもい)があれば「ボクってダメ」論もここまでステキに面白いエッセイになるのかと瞠目する思いだ。
その芸ってのは何かと言えば──つまるところ、客観と主観のバランスの良さだと思う。自分のダメさ加減をただネタにするのではなく、一歩離れてそれを見る。時には他人につっこませ、時には自分を増幅させる。それによって読者は、単に著者の自分語りを読まされるのではなく、自分自身を著者と一体にして寂しがったり切ながったりできるし、時には著者の隣にいて彼を見て笑うこともできる。その距離感が絶妙なのだな。
高校時代、モテる友人に著者は「これまで、この通学バスの中でラブレターをどれくらい貰ったか」と尋ねる。友人の答は「20個くらいかな」だ。それを聞いて著者は思うのだ。「ラブレターを個で数えるようなやつが20個も貰い、通で数える僕は0通だ」──と。もう、この目のつけどころがね、タマランでしょ。笑うでしょ。
10年間通ったスポーツジムでひとりも友達が作れなかったり、キムタク着用と謳われてる服を着てみてもキムタクにはなれなかったり(三段論法のくだりがオカシイ!)。ホントの僕はこんなじゃないんだ、いつか本番が始まるんだ、今はまだリハーサルなんだ──。うくくくくっと笑ったりにやりんと笑ったり、いろんな笑いが詰まってる。でも、笑いながらも実はかなり鋭いので注意だ。「ああ、わかるわかる」と思っていたら、その一歩先を見せられて刺戟的だよ。
(05.9.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》
未読の人の興はできるだけ削ぎたくないので、隔靴掻痒なコメントになるけど許してね。
一言で言うなら、実に歌野晶午らしい企みに満ちた一冊。
途中で話は「なんですって?」と思うような方向に行き、読者は方向転換を余儀なくされる。なんせ著者が歌野晶午なんだから、この作品の例もあるし(<どの作品ことを言ってるのか分かった人or本書を含めて歌野作品は全部読んでる人だけクリックしてください。じゃないと本書のネタが割れます)。だから読者が頭の中で構築していた推理も、ここで一旦捨てざるを得ない。でも、それなら、この話はどこへ向かうのか。最後まで読めば、最も大事なことは事件の謎解きではなく、他にあることもわかるし、実はその伏線もあるし、おまけに良く見れば「あ、こんなところに!」とびっくりするような仕込みもあるんだよね。
それともひとつ。解かれてない謎が残ってますわな。これをどう考える? もちろんこの事件が起こった前提が前提なので論理的な謎解きなどないのかもしれない。けれど、この世界のルールに則れば可能な解答も思いつくよね。ここらあたりもあーた、小憎らしいじゃありませんか。あたしが半径200m以内には近づかないと決めている「後期クイーン問題」なんていう単語が脳内を過ぎったわよ。そういう趣向には感心する。
でも──。あたしは趣向を読みたいんじゃない。物語を読みたいのよ。そしてこの物語には、どうにも入っていけなかった。読者として登場人物に感情移入し、登場人物と一緒に考えたり困ったりどきどきしたりして、その物語の世界の中で時間を過ごすという、そういう楽しみが得られないのよ。読んでる最中が気持ち良くないの。物語世界に入り込むのを、読者である自分自身が拒否してしまった。それは(わざと)世界が破綻してるせいもあるし、設定やキャラにどうしても馴染めなかったってのもあるだろう。これ、本格マニア受けはするだろうけど、それ以外の読者にはどうなんだろうなぁ。
(05.9.25)《この本の詳細情報&注文画面へ》
15年前に横山秀夫がサントリーミステリー大賞に応募し、佳作となったものの出版はされなかった「幻のデビュー作」だ。加筆修正されてはいるものの、別物になってしまわないようストーリーと人物は無闇にいじらなかったという。そのせいかな、今の横山秀夫からはちょっと想像できないような、テンポの悪さが気になった。他の作家さんならぜんぜん気にしない程度のことなんだけど、「あの横山秀夫」という頭があるので、どうしてもハイレベルなものを期待しちゃうのよね。
物語の主流が平成2年から遡ること15年前の回想──つまり、昭和50年の12月が舞台。これがイカニモな昭和の青春ミステリ! これをもっとコミカルに書けば小峰元になるよ。学園ミステリと社会事件を複眼的にひとつのミステリの中に入れるというのも、ひところ流行った手法だし、内容と言うよりも作風に懐かしさを感じちゃった。
ただ、その「解明される手順」や「情報の展開のさせ方」が、どうも間延びして感じられたのが残念。伏線もけっこうアカラサマで、エレガントじゃないのよ〜。それに喜多の回想部分で、彼が事件の真相に気付くくだりで「閃光が走った」みたいに書いてるところがあるんだけど、舞台が現代に戻ったときに刑事が「喜多が感じた閃光の正体がわかった」云々と記されてるのね。でも喜多が取り調べでその「閃光」を口にするのはオカシイんだけどな、なんで刑事がそれを知ってるかな──なんて(なんかイジワル姑による重箱の隅攻撃だけどさ)細かいところが気になったり。
ただ、物語の傍流のエピソードの巧さに、今の横山秀夫が見て取れる。特に、相馬の妹の扱い方。真犯人の意外な動機。刑事のプライドや、女性記者と署長のやりとり(<これは加筆部分じゃないかしら)。そして何より、仲間だった高校生達が道を分かつ、その時間の経過に、なんだかしっとりした深さを感じたのだった。
(05.9.26)《この本の詳細情報&注文画面へ》
埋み火・日明恩(講談社)
雄大&裕二、かっけぇぇぇ! いやもう、これで惚れるなっつーほうが無理ってもんでぃ。特に、その事件に絡んでくる一人の少年と、雄大&裕二(あ、雄大の友達ね)の出会いは読み応え充分。なぜ一人の少年が失火事件に関わっているのか、消防士である雄大は体当たりで事件にぶつかっていく。消防や火災という専門職に関する情報小説としての興味(「失火の方法」と「消火の実際」には瞠目する)と、ちょい役ですらその顔と歴史の存在を実感させる肉厚の筆致、そして共感を呼ぶリアルな人間関係の綾が絶妙に絡み合ってドラマを構成している。
あらかじめ断っておくが、ミステリ色は殆ど無い。最初から事件の共通項はアカラサマに出されるし、その狙いもすぐに分かる。だからこの物語の中枢は、「なぜ事件が起こったか」ではなく「その事件をどう解決するか」だ。謎を解くより解決する方が難しいわけで、それに対峙する雄大のシンプルなまでの正面攻撃が清々しい。それは、読者がかくありたいと思う理想がそこにあるから。その理想とは──「自分の価値は自分で決める」だ。他人から評価されることを自分の価値にするな、ということだ。だってそれでは、自分の価値を決めるのは他人ってことになってしまうじゃないか、なあ?
何のために生きてるの?──そう問いかけてくる13歳の少年に、あなたなら何と言って答えるだろうか。雄大&裕二がその問いにどう対峙したか、第10章は繰り返し読みたくなるほど印象的で素晴らしいシーンだ。陳腐で、クサくて、ドラマチック過ぎるようなエピソードが、どうしてこの著者の手にかかるとこんなに真っ直ぐに胸に響いてくるんだろう。
すべての問題点にきっちりアフターケアが行き届き、読後感も文句なし。やや詰め込みすぎに思えた「鎮火報」に比べると、今回は複数のエピソードが同じテーマに収斂されて行く上、コミカルな雄大の地の文を始めとするキャラの魅力も満載で、量も味もぴったり腹十分舌十分。読書に没頭した2時間が実に幸せな、読み終わるのがもったいない一冊だよ。これはお勧め。ただ、人間関係は「鎮火報」でおおかた紹介されているので、もしもわかりにくいところがあれば「鎮火報」をあたるべし。
(05.9.27)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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