お厚いのがお好き?


スタンレーの犬・東直己(角川春樹事務所)

 折井企画で働く僕の今回の仕事は、大手食品会社の社長である58歳の女性・加奈を1週間ほど札幌から遠ざけること。依頼主は反社長派の人々で、そうやらその間に、会社内で彼女に対するクーデターが起きるらしいのだ。幸い(?)加奈は定期的に一人旅に出る習慣がある。なので僕の仕事は、不自然にならぬよう彼女につきそい、そして1週間は札幌に戻らないよう監視すれば良いのだが……。
 まだ19歳の僕と、58歳の女性の道行きだ。そこに描かれるのは、なんとも淡く、そして温かな交流。決して平坦とは言えない僕の生い立ちと、決して安泰とは言えない加奈の背景。けれどそういったものはそっと心にしまい込み、二人は鈍行列車での旅を続ける。
 ステキなの、とても染みる話なの。知的障害者とか、病気で乳房を失うとか、親がいないとか、そういう『わかりやすい不幸』をスパイスのように散りばめるのはちょっと抵抗があったけれど、全体に淡々と、短いパラグラフで描かれるストーリーは、その背後にあるどろどろしたものを殆ど感じさせない気持ちのよいロードノベルだ。ストーリーというよりも、シーンの集合体のような。敢えて抑えた筆致で、けれどその筆の合間からにじみ出る哀切。巧いなあ。
 ただ、冷静に考えてみるとね。「僕」は加奈が社長として失脚する手伝いをしてるわけですよ。加奈にとっては敵方の人間になるわけですよ。もちろん、利害が相反する二人が「いい感じ」で旅を続け、その過程で利害を超える「友情」と「信頼」を育んで行くそのエピソードや描写は素晴らしいのだけれど、でも最終的には敵なのよ。おまけに加奈はそれを知らない。つまり「僕」は加奈をずっと騙しているわけで……でも「信頼」と「友情」は本物という、なんともワケわかんない状況になっているのだ。
 すべてが終わったあとでも、やっぱり「僕」は淡々としている。それがどうにも心の中に違和感を残す。二人は、気持ちが通じ合ったはずだ。「僕」にとっても、仕事だからというだけではなく、本気で加奈を守ろうとしたはずだ。けれど加奈のためを思えば、「僕」が仕事を完遂してはならないはず。なのに「僕」は仕事を全うし、加奈は失脚し……なんかすんげえ矛盾を感じるんですけど。
 何かを読み切れてないもどかしさを感じる。「僕」と加奈の交流、そして「僕」の仕事。相反するこの2つの交わる先がこのラストだとするなら、あたしはこの物語のテーマを何か読み逃している。どうにもモドカしいなあ。 (05.11.28)
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夢のカルテ・高野和明/阪上仁志(角川書店)

 仕事の途中で不幸な事件に遭遇してしまった刑事の麻生は、悪夢に悩まされ睡眠がとれない日が続いていた。そこで電話帳で見つけたクリニックへカウンセリングを受けに行くことに。ところが、そこのカウンセラー夢衣(ゆい)は、人の夢の中へ入って行けるという能力を持つ女性だった。夢衣は麻生の夢の中に入り、彼を苦しめている悪夢の正体を探るが……。
 高野和明と阪上仁志(高野氏のご友人で、作家さんではないそうです)が共同でストーリーを練り、執筆を高野氏が担当したという共同作品。
 最初は「夢に入って謎を解くSF設定の連作ミステリかしら?」という軽い気持ちで読み始めたんだけど、読み進めるうちにすっかりのめり込んだ。いやあ、これは素敵な恋愛小説だよ! 夢衣と麻生は互いに惹かれるんだけど、でもそれがカウンセラーとクライアントの間に成立した「逆転移」(カウンセリングによって生まれる無意識の勘違いみたいなもの)ではないのか、と悩むわけ。おまけに、一緒に寝ると(うふふ)相手の夢の中に入って知りたくないことまで知っちゃう。「この恋は本物なの? それとも恋してる気分になってるだけの、何かの代償行為なの?」とお互いに悩んでしまうのね。これが普通の男女なら「なーにを青臭いこと言っとるか、好きにホントも嘘もあるかよ、頭のいい人は恋愛もできんのか」と笑い飛ばすとこだけど、二人がそうやって悩んでしまうバックグランドがしっかりしてるものだから、何の抵抗も無く彼らの悩みを受け入れてしまうのさ。それが、事件を経るうちに次第に解きほぐされて行くわけ。
 特に第3章、連続殺人犯の容疑者の一人である男性が夢衣のカウンセリングを受ける話は圧巻。夢衣と知り合いであることを隠して、仲間の刑事が夢衣を尋問する場に居合わせる麻生と、その麻生を見る夢衣。もう、いろんなことが歯痒くて、胸が詰まる。果たしてそのクライアントは殺人鬼なのか。だとしたら夢衣は非常に無防備な状態で殺人鬼と一緒に密室にいるわけで、もうそのサスペンスといったら! そして謎が解かれたとき。解決がそのまま二人のハッピーエンドにはならないもどかしさはもう……。そして物語のラストで出る「その手があったか!」と膝を打つクライマックスはもう、文句無しです。
 あえて贅沢を言うなら、ラスト間際で明らかになる二人のバッググランドが、ちょっと急ぎ過ぎな気はするなあ。せっかく「ああ、そういうことだったのか!」と腑に落ちる爽快感がある箇所なのに、サスペンスとしてもクライマックスの最中なもんだから、ゆっくり咀嚼できないのよね。すべてが解決したあと、もちょっと余韻に浸れるような時間が欲しかった。でもホントに文句はそこだけで、これはお薦めだぁ。  (05.11.29)
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モロッコ水晶の謎・有栖川有栖(講談社ノベルス)

 火村&アリスシリーズの短編集。中編3本に掌編ひとつ。ワンアイディアでシンプルなトリックを黄金パターンに載せ、これだけ引っ張って読ませる語りの巧さは著者ならでは。「ああ、推理小説を読んでいる!」という気分にさせてくれるんだよねえ、このシリーズは。
【助教授の身代金】夫を誘拐した、身代金を用意しろという脅迫電話を受けた妻。彼女は犯人の言うとおりに行動したがお金は渡せず、そして夫は遺体で発見された……。えっ、えっ、伏線あった? なんかすごく唐突な気がしたんだけど。
【ABCキラー】
「『ABC』殺人事件」所収。安遠町で浅倉さんが、別院町で番藤さんが殺され、そして予告状が届くという、まさに有栖川版「ABC殺人事件」。クリスティと同じような設定に真正面から取り組んだのも面白いけど、それ以上に、「実際にこういう事件を起こすことのバカらしさ」についてのくだりが一番面白かったな。そゆことを作中で語ると、自らはそれをクリアした真相を用意しなくちゃならないわけで、ハードルがどんどん上がって行くというのに。
【推理合戦】飲み屋での会話にひとりだけついていけなかったアリスが、その真意を探る掌編。稚気に溢れててシャレてて巧いぞ! もともとはボーダフォンのサイトに掲載されたものだそうで、それを説明した「あとがき」が印象深い。昨今、本の形態の変化を憂える向きもあるけれど、「紫式部や清少納言が現代にタイムスリップしてきたら『ああ、なんということ。肉筆でないものが書物と言えるでしょうか』と目を覆いそうだ」という文に膝を打った。
【モロッコ水晶の謎】女性占い師と、彼女の託宣を参考に大手書店を経営する社長。その社長宅でのホームパーティで、ひとりの青年が毒殺された。原因は彼の飲んだジュースだったが、そこに毒を入れるチャンスは誰にもなくて……。こここここの真相は! なんつーか、前提をうまく逆手に取られたなあって気分。人の心理をついたトリックとしては、これは素晴らしい。もちろんトリックとしての脆弱さはあるけれど、それは傍目から見た脆弱さであって、真犯人にとってはぜんぜん脆弱じゃないんだよね。巧い。一生懸命推理していた、その死角を突かれた。
(05.11.29)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

マヂック・オペラ・山田正紀(早川書房)

 出ました出ました、昭和史をミステリで描くオペラ三部作で、「ミステリ・オペラ」に続く第2弾だ。時代は昭和11年。二・二六事件や阿部定事件の起こった年。テーマは「昭和維新」を掲げた二・二六事件と、江戸川乱歩の世界の融合。うん、怪人二十面相の連載が始まったのも、この昭和11年だったのよ。
 二・二六事件前夜、乃木坂の置屋で一人の芸者が刺殺された。現場は密室。しかしこの事件はさしたる調査もされないまま、放置される。特高警察の刑事である志村はこの事件の資料を読み、調査を始めるが……。
 乃木坂の殺人事件、つまりN坂の殺人事件だ。そして志村自身が「押し絵と旅する」刑事だし、後半には二十面相も出てくる。つまるところ、この物語のモチーフは江戸川乱歩なのである。これがさぁ……スゴいのよ。だって二・二六事件といえば青年将校たちの起こした政治的クーデターであり、乱歩と言えば猟奇・幻想・探偵小説ですよ。地に足がつきすぎて地下50メートルくらいまで潜っちゃったような社会的政治的事件と、足が地面から50メートルくらい離れて空中をどろどろと漂ってるようなフィクション作家ですよ。それを結びつけるんだもの。いや、結びつけるっていうか、乱歩の世界(手法と作品の両面)を用いて二・二六事件を描くんだもの。
 細かいところが実に良く練られていて、「ええっ、これが伏線だったのか!」「ああ、そんなところに乱歩繋がりが!」と、作品内の仕掛けにも、作品を飛び出た仕掛けにも、驚くことしきり。ただ、その作品の目指すところを鑑みれば仕方の無いことなんだけど、実にいろんなことがてんこ盛りで、てんこ盛りすぎて煩雑になってるのは否めない。個々の仕掛けや真相には瞠目するばかりなんだけど、「で、今問題になってるのって、何と何だっけ」とときどき立ち止まって考えてしまうのだ。1冊の本の中なのに「あっ、その話もあったんだった、忘れてた!」と慌てたり。でもそれが、ちゃんと一本のところに収斂されていく様ってのは、ミゴトという他ないんだよねえ。やっぱすげえや。
 歴史ミステリってのは、つまるところ史実(ノンフィクション)を歪めることなく、いかに創作(フィクション)を絡めて、「新しい解釈」を見せることができるかってのがテーマなんだけど、その点では、二・二六事件そのものには触らず、その背景に迫ったのが巧いところだと思う(まぁ、手法から言って、これで事件そのものに迫っちゃうとに「ねじの回転」なりかねないしな)。個人的には阿部定事件とのリンクが実に痛切で、ほんの少しだけの記載なんだけど、妙に心に残った。 (05.11.30)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

吾輩はシャーロック・ホームズである・柳広司(小学館)

 ある日、ワトスン博士のところへやってきたナツメという日本からの留学生。なんと彼は、自分のことをあのシャーロック・ホームズだと思い込んでいた。「やあワトソン君、ぼくだよ」というナツメを、ワトソン博士は仕方なくホームズとして扱うことにしたのだが、そんな折に殺人事件に遭遇。シャーロック・ナツメ・ホームズは、果たして本物のホームズばりの推理で事件を解決するのか?
 わはははは、楽しい! 楽しい!
 日本からの留学生ナツメってのは、もちろん夏目金之助(漱石)のことだ。漱石がロンドン留学中に精神が疲弊してしまったのは有名な話。で、これは、その疲れてしまった漱石があるきっかけで「自分はホームズだ!」と思い込んでしまったっつー話なのね。ホームズだから、部屋にあったステッキを見て持ち主を推理してみせる。でも本物のホームズじゃないから推理は大ハズレ。ホームズなのにやけに日本に詳しく、そこにワトスンがつっこむとしどろもどろでごまかしたり。もう、おかしくっておかしくって。
 中でも、ナツメが自転車の練習をするシーンなんて、思わず読むのを中断して漱石の短編『自転車日記』を再読しちゃったわよ。『自転車日記』じゃなくて『倫敦塔』を読むべきじゃないのかと自らにツッコミつつ、『自転車日記』を再読すると漱石のそばにワトスンが立ってる気がして、こんなに大笑いしたのは初めてだわ。
 なんせパスティーシュのテクニックについては
「贋作『坊ちゃん』殺人事件」で証明済み。今度も日本人が親しんだホームズシリーズそのままの文体で楽しませてくれる。それもただ単なる文体模写ではなく、なぜ漱石なのか、漱石を配することで何を描くのかってあたりが素晴らしいのだ。ナツメ・ホームズがワトスンに日本の講釈をするあたりで笑わせつつ、次第に当時の大英帝国の病巣と留学中の夏目金之助の苦悩がひとつところに収斂する、その技たるや見事!
 終盤、ミステリの趣向として「おおっ」と思う箇所があったのだが、それがそのままスルーされちゃったのがちょっと心残り。単なる演出効果を狙っただけのものなのか、それともあたしが真相を拾えてないのかしら?(どきどき) (05.12.1)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

黄泉路の犬 南方署強行犯係・近藤史恵(トクマノベルス)

 南方署強行犯係の「ヘタレ」であり「パシリ」の若手刑事・圭司は、強盗傷害事件発生の報を受け、現場に駆けつける。被害金額も軽微で、被害者のけがもたいしたことはなかったのだが、かわいがっていたチワワが犯人に連れ去られたらしい。事件そのものに対しては進展がなく、膠着していたある日、被害者の妹が警察を訊ねて来た。連れ去られたチワワについて情報を得たらしいのだが……。
 わぁ、これは動物好きの人にとってはたまらなく辛いだろうなあ。犬にも猫にもたいして興味がないあたしですら、ここに描かれる状況には気持ちが重くなったもの。本書の中に、犬猫をやたらと拾って来ては多頭飼いをする飼い主が出てくる。一方で、捨てられた犬猫を預かって里親を探すボランティアも出てくる。この2者の理念には大きな開きがある、ということが本書を読んで初めて分かった。と同時に、如何に人々が無責任に動物と関わっているかということも。
 犬猫をたくさん飼っている人の家の前に、そっと子犬を捨てていく人がいる。捨て犬がいる、とボランティアに電話をかける人もいる。どちらも「その子犬に良かれ」と思ってのことだ。でもその人は自分で飼おうとは決してしない。──これ、ペットだけの話じゃないよな。言うのは簡単、でも自分では何もしない人々。それと重なるように、圭司の相棒である黒岩の甥っ子のエピソードが語られるのだ。育てられないからとペットを捨てる気持ちが、育てられないからと子どもを捨てる話に結びつく。その根底には同じ叫びがある。「だって他に仕方が無いじゃないか」という、自己を正当化する叫びが。ああ、なんか突き刺さる。そして突き刺さったものを、きちんと正視しなければ、と思う。でも、それにしたって、やっぱ辛いなあ。
 でも、もちろん読者の気持ちを重くする一方ではなく、圭司が拾ってくるチビ猫の話や、圭司と兄の宗司の掛け合いなど、ほっとしたりニコニコしたりするシーンがちゃんと混じっているおかげでバランスがとれる。圭司が拾ったチビ猫が排泄をしないので便秘じゃないか、と病院に連れて行くシーンがあるんだけど、この件の「真相」についてはハッキリとは書かれてないんだよね。でも読者は見当をつけることができる。そして、とても温かな気分になるのだ。そのエピソードを終盤に持ってくるあたり、重いままでは話を終わらせない著者の優しさが出ていて嬉しくなる。シリーズ3巻では、このチビ猫も家族の一員となり、そして黒岩の甥っ子も混じって、更に楽しくなるのだろう。世の中、悪いことばかりじゃないのだ。期待期待。  (05.12.4)
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だいこん ・山本一力(光文社)

 ……ねえ、これ、話が終わってないんじゃ? つか、ここから始まるんじゃ?
 まぁいいや(いいのか)、とりあえずあらすじを。浅草の裏店で大工の長女として生まれた、つばき。父親の安治はいい職人だったが、一度だけの博打で借金を作ってしまい、家族は貧乏のどん底へ。紆余曲折を経て、成長したつばきは、自らの飯炊きの才能と商いの才能でもって一膳飯屋「だいこん」を開店、いろんな人に助けられて「だいこん」は皆に愛される店になる。
 この主人公のつばきがね、すごいのよ。欠点がないの。おまけに、べらぼうに運がいい。幼い頃からお金で苦労する家庭に育ちながらも、妹たちをかわいがり、骨惜しみせず働く。商売に対しては一生懸命だし、性格も素直だし、商売に関するアイディアは素人ばなれして殆ど天才の域。おまけに、渡世人から大店の主人から気難しいご隠居から、とにかく出会う人はみんなつばきを認め、応援する。
 ……ってゆ〜か、巧く行き過ぎ! いや、もちろん逆境もあるんですよ。貧乏とか、水害とか、失恋とか、近所のやっかみとか、ちょっとしたイヤなお客とか、そういうこともあるんだけど、それらもすべて主人公の賢さと運の強さを発揮する場として使われる。なんかね、もう、「どう転んでも巧く行く」ようになってるのよ。それが例えばつばきの幼い頃からの「仕込み」や「努力」のせいだってのが前面に出てればまだしも、その才能も人柄も生まれもってのものなんだよね。持って生まれた才能で、知り合った人を片っ端から味方につけ、ぐんぐん成功して行くって話。不幸話よりは幸せな話の方がそりゃ楽しいけど、ここまでトントン拍子ってのもなあ。なんか……もうちょっと波乱があってもいいんじゃないの?と、思わずドラマを求めてしまうよ。
 ディーテイルはね、とってもステキなの。年寄り相手に弁当を届ける商売を始めようとしたときの「ほぉ」と思うようなアイディアとか、客層を見た上での飯屋のやり方とか、人を雇い入れるときにどこを見るかとか。《一膳飯屋「だいこん」、私はこうして成功した!》みたいなやさしいビジネス書あるいは啓蒙書を読んでる気分になることもあったけど、でも個々のエピソードはとても面白い。面白いだけに、それらが全部「天賦の才」と「偶然出会った人が良い人ばかり、てな運の良さ」に負ってるてのが、どうも鼻白んじゃう。
 で、物語のラストで(というか最初でというか)、つばきの店は新たな展開を迎える。ここからが勝負でしょう。ってことはここに書かれた二十年は、もしや壮大なプロローグだったのか?   (05.12.5)
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美姫血戦 松前パン屋事始異聞・富樫倫太郎(実業之日本社)

 明治元年。榎本武揚や土方歳三らが束ねる旧幕府軍は松前藩に上陸、箱館戦争が始まらんとしていた。そんな時、旧幕府軍から戦の携行食としてパンを作るよう命じられた和菓子屋、藤吉。藩内の対立により殺された父の仇を討つべく、男装して戦に身を投じる元重臣の娘、蘭子。そんな蘭子を見守りつつ、自らの最期に向けて駆け出す旧幕府軍の面々。彼らそれぞれの目を通して、箱館戦争が語られる。
 
このカバー絵と、この帯の惹句「土方歳三、箱館に死す」ってのは、もうどうみても土方ファンを取り込もうという狙いが! だって中身は、そんな話じゃないもん。そもそも「土方歳三、箱館に死」んだシーンなんて、本書に出てこないもん。後になって「あの人も死んだらしいよ」って噂で聞くだけじゃん。だいたい土方メインの話じゃないのに。でも表紙では思い切りメイン。つか、ほとんど土方の話みたいに見える。あざといなあ。この主人公は蘭子と、それから和菓子職人の藤吉じゃないか。土方も大事な役どころではあるんだけど、4番手5番手くらいよ? 富樫倫太郎作品は初めて読んだけど、著者本人も「え、いや、土方の話じゃないしっ!」と戸惑ったのではなかろうか。
 という不満はあるものの、話自体はかなり面白うございました。ただ、物語の中核となるものが2つあり、それが毛色の違う2つなので、どうにも散漫な印象になっちゃったよ。ひとつの核は、パンなんてものをろくに知らない和菓子屋が、あれこれツテをたどって試行錯誤して日本人の舌に合う「パン」というものを作って行く過程(これめちゃめちゃ面白かった!)。そしてもうひとつの核は、父の仇を討ちたい一心で旧幕府軍に身を投じた美女の物語。それぞれは面白いんだけどさー、もちょっとどっちかに集中させてくれ、と言いたくなるくらい、話が分散してるんだよね。この二つの流れがどっかで融合するのよ、と思いながら読んだんだけど、特にそういうこともなかったし。うーん、この作家さんの他の作品を知らないので何ともいえないんだけど、この2つの物語、一緒の本で描く必要があったのかしら。読んでる最中も読み終わってからも、どうもどっちつかずなのよ。別々の方がわかりやすいと思うんだけど。
 尚、この和菓子職人・藤吉はのちにホントにパン屋になった実在の人物だそうです。くぅ、そこらあたりをもっと読みたかった! パン種を手に入れようと奮闘するところや、窯が爆発するところなんか、ホントに面白かったもの。その一方で、蘭子の体調を土方が見抜くところや、いざ戦場で足がすくむ蘭子の様子、そういったものもひとつひとつが印象的。戦場での土方の戦術なんかもスリリングだったし。ああ、つくづくもったいない。別の話にして、それぞれをもっと深く堪能したかったにゃー。 (05.12.7)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

枕もとに靴 ああ無情の泥酔日記・北大路公子(寿郎社)

 著者は北海道を基点に活躍しているライターさん。ネットで綴っていた日記が面白いってんで、本になったそうです。
 あはははは、面白い面白い。三浦しをんのエッセイからホモネタと漫画ネタを抜いて酒を飲ませた感じ。あるいは菅野彰のエッセイを系統立てた感じ。と言えば雰囲気はわかっていただけるでしょうか?
 こういう自分周辺雑記的エッセイってのは、基本的にサービス精神で構成されている。披露宴ビデオや子どもの運動会ビデオが他人には面白くないのは、それは被写体に「観ている人を楽しませよう」という精神がないからだ(ま、そゆものを運動会に求めてるわけじゃないが)。それは身辺雑記も同じで、基本的に赤の他人がどういう生活をして何を考えてるかなんて、興味はないのである。だから浜の真砂ほどあるネット日記やブログも、たいていは「読み物」としてはつまらないわけだ。
 しかしそこに、読者を楽しませようという思いが入ると、これだけ面白い「読み物」になるのだなあ、という好例である。もちろん思いだけではなく、構成や長さなどもきちんと計算されている。それも、おそらく本能的に。それを才能と呼ぶ。プロの仕事である。
 ってゆ〜かさ、三浦しをんも菅野彰も同じなんだけど、使う言葉のセンスが図抜けてるんだよね。例えば妹と一緒に夜中にドカ食いする様子を、「夜にものを食べる姉妹選手権があったら、姉の部、妹の部、姉妹の部の三部門を制覇できる」ってな風に書くのよ。こうして書くとそんなにインパクトないかもしれんが、そういう喩えや表現がすっと出てくるってのは、やっぱすごいことなんですのよ。雪が降る様子を「まりまり」と表現するのも感心したなー。
 個人的に好きなのは、飼い猫の「たろう」を勝手に「斉藤くん」と改名したときの、父・母・妹の反応を比較した章。とてもステキで幻想的な寓話だと思って読んでたら、最後にすこーんと落としてくれる章。扇風機に於ける妹さんの語彙。お母さんの書き置き。恋人ヤギ君との薄〜〜〜〜〜いおつきあいもステキ(耳がちぎれる喩えはどっかで使ってやるぞ!)。酒飲んで泥酔して、という同じ話題のはずなのに、それが手を変え品を変え出てくるのもすごいぞ。つか、素直にガハハハと笑えるぞ。何か学べるとか刺戟を受けるとか啓発されるとかってタイプのエッセイではないけど、とにかく楽しくて笑えるのだ。それだけで充分でしょ。 (05.12.8)
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EDS 緊急推理解決院・新世紀『謎』倶楽部(光文社)

 新宿副都心に開設された、警察では解決できない難事件を解決する施設《EDS 緊急推理解決院》。形態は病院のそれと同じで、いろんな専門分野に別れている。その分野ごとに専門の探偵がいて、依頼者が持ち込む謎を解くという形式。院長室(石持浅海)、受付(二階堂黎人)、女性推理科(松尾由美)、スポーツ推理科(黒田研二)、小児推理科(二階堂黎人)、歴史推理科(高田崇史)、怪奇推理科(加賀美雅之)、不可能推理科(柄刀一)、外国人推理科(小森健太朗)、動物推理科(鳥飼否宇)というラインナップ。中にはお馴染みのシリーズ探偵が登場する科もあります。
 と書くとアンソロジーみたいだけど、ちょっと違うんだよね。構成が凝ってるのよ。EDSのある一日を描いているため、一編ずつを順に載せるアンソロジーではなく、各編が分断されて時系列に並び直されてるの。クロスオーバーするキャラもいる。だから体裁としてはアンソロジーではなく合作になるわけだ。
 ただ、実際のところ、確かに石持浅海担当分と二階堂黎人担当分は他の作品と絡める「接着剤」の役割を果たしてるんだけど、それ以外の作家さんたちは、それぞれ個別の短編に過ぎないんだよね。だから合作といっても、ホントに合作してるのは前述の2人だけじゃないのかな、という印象が強い。それを分断し組み直して、合間合間に「受付」を噛ませることで、一見ホントに「合作」というふうに見えるからすごいな。それにこれ、短編が並ぶ普通のアンソロジーにしちゃうと、それぞれの短編の弱さが浮き彫りになった恐れもある。ミステリとしては、決して瞠目するような作品は入ってないので、そういう個別の弱さを薄める方策としても、分断&再構築というアイディアは良かったのかも。
 そんな中、特筆すべきは松尾由美の「女性推理科」だ! 妊婦が集まるってことで、探偵はもしかして彼女?と期待したが、よくよく考えればあのシリーズ探偵は未来を舞台にしたSFミステリなんだよな。だからここには登場しないわけで。ところが! ところが! 今給黍君が!<松尾由美ファンだけ分かってくれ。え、どして? だって時代設定が違うよ? ……と思ってたら、わぁ(歓喜)。その上、その女の子は!(欣喜)──とうわけで、「バルーンタウン」シリーズが好きな人には嬉しいボーナストラック的な短編です。これ、独立した短編として、次のバルーンタウンの本に入らないかな。もちろん番外編扱いになるけどさ。 (05.12.9)
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