お厚いのがお好き?


新宿二丁目のますますほがらかな人々・新宿二丁目のほがらかな人々(角川書店)

 「新宿二丁目のほがらかな人々」に続く、ゲイ(本書では「ほがらかさん」と呼ぶ)のジョージ、つねさん、ノリスケの3人がバッタバッタと男と女を斬って行く、痛快で且つとても刺戟的な鼎談集パート2。
 1冊めの感想で書いたことを、そのまま引用する。
 《とてつもなくシャープでインテリジェントな、ものの見方・考え方が展開される。おまけにそれが抽象論ではなく、極めて具体的。まるで「真にかっこよくなるためのハウツー本」と銘打ちたくなるくらい。(中略)真にかっこいいとは、どういうことか。真に可愛いとは、ゴージャスとは、エレガントとはどういうことか。外見や仕草といった具体的なことに始まり、心の問題まで踏み込む。オカマさん特有の面白い喋り口調で「あはは」と笑わせながら、そういう心根の問題をスパっと斬ってみせる。実に爽快。そして感動。とにもかくにも刺戟的。(中略)この本はとにかく「教えてもらって良かった!」と思うことに満ち溢れているのだ。》
 この感想は、まんま本書にも当てはまる。いや、決して感想を書くのに無精してるわけじゃなくてっ。ホントにそうなんですってば。そう言うしかないんだもの。そしてその思いは1冊目から更に増幅されるよ。幾つか名言をピックアップ。
 ▼「女性の方々にね、ひとことメッセージ。あの、中年のオジサンのかつらを見てね、見苦しいなって思うでしょう。で、これは、若さ、髪の毛に対する執着が生んだ見苦しさなの。ね。それと同じように、女の人が、しわを埋める行為であるとか、美白に血迷う行為っていうのは、これはね、若さと美しさに執着するがあまりの行為なの。だから、男のかつらを見たら自分の化粧を見直せ!と」
 ▼「(バートナーと一緒に住み始めて6年間、理解不足によるケンカはあっても別れの危機はなかった、その秘訣は?と問われ)秘訣? 仲良くするって決めてること」「あ、なんて普通なんだろう。仲良くすること」
 ▼「女同士でも男言葉を、それも酷いガサツな言葉をわざと使ってる子もいるわよね。そういう子を見ていると、これは女扱いされるのを拒否してるのね、男として扱えって意味ね、それも、品のない男として私を見てくださいっていう意味ね、上等じゃないの、そうしてさしあげるわ、と思うようにしてるの。都合のいいときだけ女のフリしても、今後一切もうダメよ? って」
 ▼「女っぽいのに女らしくないのは、弱々しく見えるのに、優しくない人」

 ね、含蓄あるでしょー。こういうのをオネエ言葉でびしびし言ってくれるの。女に対してだけじゃなく、男にとっても大事なエッセンスが満載。男女問わず必読。ああ、ほがらかさんたち、大事な事を教えてくれてありがとう! 読み終わってそう言いたくなる鼎談集だ。  (06.2.21)《この本の詳細情報&注文画面へ》 

厭魅(まじもの)の如き憑くもの・三津田信三(原書房)

 因習に閉ざされた村。憑き物に学術的な興味を持つ「僕」がその村へやって来たとき、村では巫女と「黒の家」を巡る人死にが起きていた──。
 ホラーと本格ミステリの両立って、かなり難しいと思うのよ。だって恐怖ってのは「わけがわからないから怖い、そこに何があるのかわからないから怖い」わけで。翻って本格ミステリとは、そのわけを解読し、そこに何があるのかを説明するジャンル。得体の知れない恐怖も、謎解きされて説明されちゃった時点で怖くなくなる。理に落ちた時点で怖くなくなる。だからサイコものみたいな恐怖を別にすれば、本格ミステリと、こういう呪いだの祟りだのというオカルティックな恐怖は両立し得ないのだ。普通は。
 ところが本書は。まず前半は怖い怖い。特に河原でうしろからひたひたと何かが迫って来るとこなんてもう、読みながら自分の背後が気になって気になって。お風呂に入ったあとで良かった。このシーンを読んで風呂に入ったら、シャンプーしてる最中、背後に何か立ってそうな恐怖を味わうとこだった。
 そんな怖いエピソードや道具立てがてんこ盛りの中で、「僕」のマニアックでトボけた風味がメリハリを出している。オタクならではの「状況を考えず自分の興味のあることについて熱く語ってしまう」という性格も、周辺が禍々しいだけに微笑ましく映るし。蘊蓄も興味深く読ませると共に、物語世界のベースを読者に知らしめる効果もある。
 そして何と言っても特筆すべきは、真相がわかった瞬間が一番怖い、という「ホラーとミステリの融合」に於いては一番難しいことを成し遂げている点でしょう。ぞぞぞっっっとしたもの。真相が分かった、その一文を読んだときは。
 ただ。そこから先が。ああああ、もったいない。せっかく怖かったのに。せっかく「真相がわかった瞬間が一番怖い」という希有な例だったのに。そこから先が、いちいち説明しすぎっ! これはああだった、こっちはこうだった、ということをひとつひとつ説明してくれるもんだから、ただその「説明を読む」というモードになってしまって、「よく出来てるなあ」と思うものの、怖さはどんどん薄れて行く。最後まで雰囲気が続けば良かったんだけどなあ。やっぱ難しいか。  (06.2.22)
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夢のなか 慶次郎縁側日記・北原亞以子(新潮社)

 シリーズ第9弾。毎回楽しみにしている表紙裏の「江戸時代便利帳」は、当時の時刻の読み方だ。夜明けと日の入りをそれぞれ明け六つ・暮れ六つとして1日を分ける時間制度。夏は一日がめちゃくちゃ長いよ! こういう便利帳コーナーはぜひ文庫にも入れて欲しいと思うんだけど、単行本だけなのがつくづく残念。
 さて、巻を追うごとに慶次郎の出番が減っているような気がするけれど、逆に慶次郎だの吉次だの弥伍だのというレギュラーメンバーが、決してメインではなくちらっと出て来て、でも小粋な働きをするというのもなかなか味があって良い。なんかもう、シリーズ云々というのを超えて、江戸市井の人々のいろんな思いを地味豊かに描き上げる名短編集っていう域に達してるよなあ。
 あ、でもこれはここまでの展開を承知してるからであって、本書で初めて慶次郎シリーズを読むって人にとっては、いきなり話に出てきたこの人物は何者? なんでこんなことしてるの? と思うらしい(と数人から聞いた)。まあ、9巻ともなれば、逐一レギュラーメンバーの説明なんかやってられないしな。なので、このお勧めマークはシリーズを継続して読んでる人限定かもしれません。
 さて今回はまた特に「人のつながり」の物語が胸を打つ。小悪党は出て来ても、みんな芯から腐ってるわけじゃなく、いきがってみせてもその実は脆いところもある。人を妬んで嫉んで、どうして自分だけがと悔しがり、けれどそんな自分のままで良いわけはないとわかっていながら変われない。そんな普通の、弱い人たちがつながりあって、ちょっと哀しくしみじみと暖かい。
 子供に先立たれた気の強い老婆と、その老婆から金を奪おうとする若い女の交流を描く【師走】、嫉妬が大きな事件になる【水光る】、美人なだけに縁談の選り好みをしているうちに婚期を逃してしまった女を描く【ふたり】、稼がない男を「優しいから」と一緒に暮らし、楽しそうに内職で生活を支える【夢のなか】、言ってはいけないことを言ってしまった夫婦喧嘩の顛末を描く【帚木】、新しく十手を預かった小者の、なんともコミカルな【棚から盗人】、大店に放り込まれた「殺してやる」といった脅迫状が暴く心の綾を描いた【入聟】、そして暴力をふるう亭主から逃げるために、蝮の吉次に相談をもちかける【可愛い女】を所収。  (06.2.26)
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殺人ピエロの孤島同窓会・水田美意子(宝島社)

 火山の噴火により住民が全員島外に移住した東硫黄島。そこの高校の出身者33人が、誰もいない島に戻って同窓会を開いていた。ところがその最中、ピエロの仮装をした人物に、クラスメートがひとり、またひとりと殺されていく──。
 12歳が書いた、ということで話題になったミステリ。読むまえは、商業出版された以上は年齢なんか関係ない、12歳だの史上最年少だのという惹句は本質とは無関係だ、と思ってたんですけどね。いやこれは、やっぱ12歳(当時)という著者の年齢なしには感想は書けませんわ。だって「12歳にしてはとてつもなく巧い、すごい、まいった」のは事実だもん。本人に会ったら「あなた、すごいね!」って褒めちぎると思うのよ。「これからいろんなこと勉強して、ずっと書き続けてね。小説を書くのをずっと好きでいてね」と応援すると思うのよ。でもこれを書いたのが三十代のプロ作家だとしたら、あたしゃ本を壁に投げつける。つまりは、そういうレベル。
 設定からしてあり得ないことだらけだし、いろんなエピソードのバランスも悪い。物理法則もかなり無視されてる。人物造形も浅い。残虐な殺戮シーンの合間に挿入される和み系の会話も、和みの効果よりただフザケているように見えて、逆に興を削ぐ。誰に向かって何を書きたいのか、何を感じ取って欲しいのかが、どうにも伝わって来ない。物語としての完成度が低いので、読者の「共感」や「感情移入」のよすがが無いのよね。でも、吸引力は、ある。間違いなく、吸引力はある。読みながら「それは無茶だろ」とか「要るのか、このシーン」とか、もう各ページごとに文句があるんだけれど、文句を言いつつも途中でやめずに最後まで一気に読んじゃったもん。テンポと勢いは充分なのよ。まぁ、それだけ、とも言えるけど。
 12歳だからこそ「すごい」と思う。それはホントにすごいと思う。けれど年齢という売りがなくなったら、この物語に特筆すべきことは何もない。「荒っぽくて完成度が低い」という評価しか残らない。けれどもちろん出版社は、そんなことは承知のはずだ。この本を、著者にとって単なる「小学校生活の思い出」で終わらせるのか、出発点とするのか。それは、彼女を世に出した側が、責任をもって考えなくちゃならないことなんだろうな。  (06.3.2)
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エンド・ゲーム 常野物語・恩田陸(集英社)

 常野一族であり、へんなものが見えてしまうという能力を持つ時子は、幼い頃父親が失踪、母親と二人で暮らして来た。ところがある日、母が倒れたという知らせが入る。身体に悪いところはないのに、眼を覚まさないのだという。これは敵対する正体不明の『あれ』の仕業に違いない。では次は自分が戦う番なのか──。
 
「光の帝国〜常野物語」に収録されていた【オセロ・ゲーム】の続編──というか、本編、かな。でも、ホントに本編なのかなこれ。なんだか腑に落ちないというか、まだこれもサイドストーリーでしかないようなもどかしさがあるのだ。それはおそらく、大前提となる世界のありようが本書では明確にされてないから。『裏返す』も『洗濯屋』も、これまでの常野物語に出て来た『しまう』力や『遠見』と比べると、概念としてとてもわかりにくいのだ。へんなものが見えてしまう時子は、その能力故にいろんな不便や恐怖を味わって来たけれど、「じゃあ、これからこうしよう、そうすれば悩まなくて済むよ」という方向に向かうだけで、なぜそんな力があるのか、その力は何を意味するのかってあたりが(本書だけでは)どうにも掴みきれない。納得できない部分を残したまま、事態は転がるし登場人物は決心しちゃうしで、どうにもとりのこされた気分。
 読んでる間の緊張感、スリルはさすがで、どうなるのどうなるのと思いながらページをめくるのは他の恩田作品に同じ。なのに「え、こんな終わり方?」と呆気にとられるのも、(最近の)他の恩田作品に同じなんだよね。特殊な能力を持った娘が正体不明の敵と戦うという話だったはずなのに、それがいつの間にか「家族の問題」にシフトしてしまう。テーマをずらされた気分。決着してない。終わってない。こういう状況を「閉じる・閉じてない」というような表現をすることがあるけれど、閉じてないというより、終わってないのだと思う。まだ続きがあるよ、と。
 あと、この時子がやたらとパニクってるもんだから、状況を把握したいこちらとしてはチト苛々するってのもあるかな。  (06.2.28)《この本の詳細情報&注文画面へ》 

魔将軍 室町の改革児 足利義教の生涯・岡田秀文(双葉社)

 室町時代中期というのが、いきなり地味だ。人気時代小説の舞台といえば、因果は巡る源平合戦・スターが百花繚乱の戦国時代・萌えキャラ勢揃いの幕末、という3つが定番。それが室町、それも中期。一休さんしか思い浮かばない。おまけに主人公は六代将軍・足利義教である。太平記の尊氏、一休さんと相対した三代義満、または日野富子の夫である八代義政あたりならまだしも、義教。誰それ。
 というのが第一印象だった。そのうえ、サブタイトルが「室町の改革児 足利義教の生涯」である。なんかいかにも人物評伝っぽい副題。いったいどんなの?と思っていたら──。
 おおお、面白いではないか! 室町幕府では、相続争いが起きないように嫡子以外は僧籍に入れてしまう。後の六代将軍になる幼名・春寅も、最初は幼くして仏門に入った。ところがこの春寅、幼少の頃から相当に明晰。紆余曲折を経て彼が将軍となり、その後あれこれと改革を断行して行くさまが描かれている。この「紆余曲折を経て」というのがポイントで、実は五代将軍・義持が死んだとき、彼には嫡子がいなかったのみならず、世継ぎの指名をしていなかった。結果、三代義満の血を引く4人の中から、時代将軍がくじ引きで決められたってのだ。つまり義教はくじ引きで将軍になったのね。
 それだけでも「へえ」なのだが、実は本書の魅力は別のところにもある。前半は、各章ごとにミステリマニアが好きそうなプチ謎解きやミステリっぽい趣向が出て来るのだ。例えば、父と子の膳がこっそり取り替えられていた謎。同じ毒入りの酒を飲んで一人だけが助かった謎。煮えたぎる鍋の中から石を拾い上げるという裁判で、絶対に石が拾えないようにする策略。上皇に将軍宣下をさせるための策略。そういった知的ゲームの趣向が、単なる人物評伝ではないエンタメ性を与えている。
 物語が後半になると、そういう趣向は薄れるものの、逆に政争の面白さや皮肉さがどんどん表に出て来て、また違った魅力で読ませるのだ。とても明晰で実行力のあった義教に訪れた危機、彼を救おうとして走り回る側近たち。後半は、前半のミステリ的趣向から一点、政治や理想という大義の中で揉まれる人の心のやるせなさを痛切に描いている。
 特に終章が見事だ。義教の偉業が後の世にどう生かされたか、特に信長との共通点にはぞくりとした。ひとりの人物を描く歴史小説はどこで終わらせるかというのが難しいが、この三英傑との共通点を示してみせた終章は、魔将軍と呼ばれた義教の理想が彼一代限りで終わりを告げたものではないことを、読者に伝えている。それで読者も救われるのである。  (06.3.5)
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シシリエンヌ・嶽本野ばら(新潮社)

 僕が初めて貴方に逢ったのは高校生のとき。髪をカットしに行った伯母の美容室に、従姉である貴方がパリから帰ってきたのだ。貴方は僕の髪をカットしてくれた。そしてその時から始まった、貴方への思い。貴方は僕の身体と心に、いろいろなことを教えた──。
 野ばらちゃん版「感情教育」。これまでも官能的な描写やセックスのシーンは作品に多々登場していたけれど、今回はそれが中枢。真正面から取り組んでます。けれど官能にしろエロにしろ、やはりバタイユなのね野ばらちゃんっ! 野ばらイズム満載です。他の作品に時々見られるようなコミカルな物言いを排し、ただただストレートに、「身体と心が求める愛」を描く。
 前半では、高校生だった僕が貴方によって目覚めさせられ、教育されていく過程が中心。といってもただ言いなりになる少年ではなく、能動性があるのがマル。見ようによっては自分勝手にも程がある「貴方」だけれど、僕の目から語られているので「いや、こりゃしょうがないよ、格が違うよ」と素直に思ってしまった。この前半はね、結局従姉に気持ちがスライドしてしまった僕のもとを泣く泣く去って行く恋人がいいんだよお。戦わずして「敵わない」ということを自覚させられるってのは、実に辛い。けれど彼女は、それを取り乱さずにそれを受け入れるのね。もうこの時点で、「こんな従姉についていったら破滅しかないから、この恋人のところに戻って真っ当な青春を送ろうじゃないか!」と僕に言いたくて仕方ないのだが、そうされてしまうと小説にならないのでしょうがない。
 そして後半は、がらりと趣向が変わる。「貴方」は急な疾病で失明してしまうのだ。それを機に、「貴方」は身障者が演じるアダルトビデオに出る決意をする。そしてその女優たちが共同生活を送る館へと引っ越すのだ。そこへ着いていく僕。そこで僕は、身障者女優たちによる仕事をつぶさに見ることになる。
 このくだりはね、確かに舞台効果としては大きいのだけれど、「自分がイニシアチプをとってきた年下の少年との関係が、いつしか逆転してしまうことに怖れを抱く女性」というモチーフとは、ややバランスの悪さを覚えてしまった。けれどその筆致に圧倒されてしまったのも事実。それぞれ異なる身体的ハンディキャップを持つ女性たちに、それぞれ似合うような洋服を僕が選ぶシーンなんかすごくステキなのよ。この館でずっと穏やかに暮らせたら。そんなハッピーエンドもあり得たろうに。けれど、野ばらちゃんの描く女性は、それを潔しとしないのだ。  (06.3.5)
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翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった・金原瑞人(牧野出版)

 翻訳家にして書評家の金原瑞人によるエッセイ集。翻訳業とその周辺の話が中心で、翻訳をする上での苦労や実態などには「へえ」と思う箇所が多々ある。
 例えば、今はレイチェルシリーズやアレックス・シアラーなどの児童書の訳者として知られる金原氏の、翻訳家としてのデビューはハーレクイン・ロマンスだったそうな。それも「鏡美香」という女性名でやっていた由。これだけでも「へえ」なのだが、驚いたのは、ハーレクイン・ロマンスというのは原書・翻訳ともにページ数が決まってるんですって。でもそのまま正直に訳していると、翻訳の方は絶対に長くなるものだと。で、どうするか。原書を削るんだそうですよ翻訳者が! 知らなかったあ。確かに言われてみればハーレクインって、スペシャルエディションを除けば厚さはどれも同じだ。でも、なぜそこまでしてページ数を揃えるんだろう? 
 また「さもありなん」と思ったのは、第一人称の扱いについての話。英語では「I」だけだが、日本語では多種多様で、それをTPOに応じて使い分けている。だから主人公を「ぼく」と自称させるか「わたし」と自称させるか、それだけで雰囲気が変わってくる。ここまではまだ予想の範囲内だったが、どうやら原書では、一人称が「I」しかないという特徴を逆手にとった叙述トリックを仕込む作品がときどきあるのだそうで。いかにも男が主人公に見せかけておいて、実はその人は女だったことが途中で分かり、読者が驚くような作品とかね。でも、それを訳すとなると。男性でも「わたし」でいい場合ももちろんがあるが、主人公が子供だったら? 少年が自分を「わたし」とは言わない。でも「ぼく」と書いた時点で性別が規定されてしまう。それだけならまだしも、わざと性別をぼかしたような書き方をしている原書もある。そういった作者のトリックに訳者が気付かず、誤った性別の一人称で訳してしまう恐れもある。わぁ、たいへん!
 その他、翻訳者志望者に女性が多い理由は何か、翻訳者の収入はいかほどなのかというリアルな話や、誤訳はあって当たり前という話、村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を例にとって、どんな名訳であっても、20年を限度に新訳を出した方が良いという提案も。<これには納得! いつもは気ままに読んでいる翻訳小説を、「訳す」という観点で改めて見直したくなるエッセイ集だ。  (06.3.10)
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あの日にドライブ・荻原浩(光文社)

 エリート銀行マンだった牧村は、たった一度の上司との諍いが元で退職、一時しのぎにとタクシーの運転手になった。ノルマに追われさまざまな客を乗せながらもエリートだったプライドは捨てられず円形脱毛症まで患って、「あの時、違う選択をしていたら、自分は社長だったかもしれない」と、あり得たかもしれない未来をぐじぐじと思い描く。その先にあったものは──。
 テーマとしては、とても平凡なの。すごく良くある話なの。何度も描かれて来た主題なの。だから読み進めるうちに、「ああ、これはきっと青い鳥パターンよね。心の持ちようひとつで人生変わりますって話よね」というのは簡単に見当がつくの。でも。それなのに。読まされてしまう。くいくい引っ張られてしまう。共通点も共感する要素もない主人公に、いつしか感情移入してしまう。ケレン味はないし話の流れはとことん地味だけど、しっかり読ませる。やっぱり荻原浩は巧いのだ。
 最初はイライラしながら読んだのよ。「キャリアもあるのに一流大学出てるのにエリートだったのに、なんでタクシー運転手なんか」と思いながら仕事する主人公に、「タクシー業界の人に失礼だろうが!」と怒りながら読んでた。が。主人公が出会ういろいろな出来事が、いちいち示唆に富んでて、でもってちゃんとそれに主人公が気付いてくれるので、読んでいて気持ちがいいのだ。
 何より妄想の面白さだよなあ。今の自分に満足してない主人公はやたらと過去を懐かしがり、「もしもあのとき銀行をやめてたら」「もしも学生時代の彼女と結婚していたら」「もしも銀行でなくあの出版社に就職していたら」と、いろんな前提での自分を妄想するのだ。その妄想は精緻を極め、それがもうおかしくて。人生やりなおしたいとまでは思わなくても「もしもあのとき別の選択をしてたら、どうなってたかな?」という経験は誰にもあるもの。それを具体的に見せられて、その不毛さと調子の良さがおかしくてたまらない。
 そしてその「妄想」がひとつずつ打ち砕かれたとき。主人公も読者もやたらと清々しい気分になる。主人公の変化の見せ方が巧い。例えば、日用品に名前を付ける妻。若い頃は可愛かったが今となっては苦々しく感じてる。ところが終盤では、その妻の習慣がかなり効いて来るシーンがあるのだ。一番笑った箇所。妻は何も変わっていない、それを捉える主人公の側の問題なんだよね。ただ、ラストのエピソードは、なんか復讐心が出た感じで個人的には戴けなかったんだが(上から目線でさらっといなして欲しかった)、それでも読後感は爽快だ。  (06.3.11)
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随筆 本が崩れる・草森紳一(文春新書)

 【本が崩れる】【素手もグローブ】【喫煙夜話】の3編からなる随筆集。齢古希になんなんとする偏屈(だよなあ?)ぶりが炸裂だ。タイトルから蔵書家ならではのエッセイ集だろうと思って買った友人が「本の話は3分の1だったよ」と残念そうに言っていたが、残る3分の2が野球の話と煙草の話ってあたり、本・野球・煙草とそのまんま大矢の嗜好にストライク(それもど真ん中直球)で、嬉しいサプライズ。こんな揃い方をするなんて、ちょっと他に無いよ。とはいえ、嗜好が同じというだけであって、そのレベルはまったく違う。足下にも及ばない。
 【本が崩れる】部屋中の、ありとあらゆるスペースが蔵書に浸食されている著者宅。その積み上げ方にはコツがあり、あちこちに本のタワーが乱立している。地震のときには降って来る本から身を守り、宅配便が来たら部屋から玄関まで出るのが一苦労。そしてある日、風呂場にいるときに外の本のタワーが崩れ、ドアが開かなくなった! 一人暮らしで、助けも呼べない。閉じ込められてしまった著者はどうしたか。脱衣所にも本は山積しているので、「さてどれを読もうかな」とわくわくしたという……。愛書家の凄まじい生活。その凄まじさときたら、「行き着くところ」を見せられた気がして(失礼な!)、自分の蔵書を減らす決意をしたくらいだ。男鹿半島旅行記も楽しかった。が、テーマとしては蔵書の話とは別建てだよな?
 【素手もグローブ】戦後すぐ、少年野球に没頭していた時代の思い出話。時代を映した話が多いが、でも野球好きの神髄は時代を問わず変わってないのだな、と楽しく思う。
 【喫煙夜話】このご時世に、「愛煙家」を貫く(それも両切りピース!)著者の煙草にまつわるエッセイ。ああもう、わかるわかる。喫煙席と禁煙席に別れた店の、喫煙席で吸っているのに、わざわざ隣に座って(禁煙席は空いているのに)「煙い」と文句を言う人。現代はもう喫煙者にとっては生きにくいことこの上なく、それは分かっているので小さく小さく目立たぬように卑屈なまでに「嫌煙家」におもねて暮らしているのだが(向こうはそうは思わないかもしれないが)、ときおり《正義》に辟易する。そういう気の弱い愛煙家にとって、このエッセイは実に溜飲が下がるよ。敵を作りたくない気弱な喫煙者としては、なかなかこういうことは言えないもの。  (06.3.12)
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