お厚いのがお好き?


夢はトリノをかけめぐる・東野圭吾(光文社)

 2006年2月に行われたトリノ冬期オリンピック。東野圭吾が現地に飛んで見た聞いた楽しんだトリノ五輪観戦記──なんだけど。これはいったいどういう趣向のものにしたかったのか、どうにも中途半端なのよねえ。著者の飼い猫が人間に変身して狂言回しを務めるというのは良いんだけど、第1回はバイアスロンの紹介(競技の実際や苦労、選手の話など)、第2回はと3回はスキージャンプの紹介をおもしろおかしく、ときにはマニアックにやってくれて、なるほどこうして競技を紹介して行くのねと思ったら。
 第4回ではソリ競技(ボブスレーとかリュージュとか)とアルペン競技をさらっと紹介するだけで、第5回にはトリノに向かう。え、アイスホッケーもショートトラックもフリースタイルも無し? それも既に五輪が始まって1週間経っている! ええええ、観戦記なのに途中からなのお? そりゃ直木賞の授賞式だからしょうがないのかもしれないけど、開会式もスノボのハーフパイプも女子モーグルもスピードスケート短距離もジャンプ個人も、もう終わっちゃってるじゃないかあ。そんなところから始めるのか。ことここに至っては競技の説明なども無し。うわあ。カーリングの応援風景とフィギュア選手の顔の好みとアルペンの観戦とトイレへの怒りで終わっちゃったよ! あっさりしてるなあ。おまけに途中から猫、どうでもよくなってるし。
 村上春樹のシドニー五輪観戦記
「シドニー!」や奥田英朗のアテネ五輪観戦記「泳いで帰れ」を読んだときにも思ったんだけど、現地では情報も少ないし見られる競技も限られている。こと観戦の幅と情報量をとってみれば日本でテレビ観てる方が数段有利なわけよ。だからこそ現地レポートってのは、現地ならではのトピックスが欲しいんだよね。情報ではない、祭りの楽しさといったようなものが。本書では、さすがにウインタースポーツ好きの著者だけあって、情報や蘊蓄や背景の解説や問題提起は素晴らしいんだけども、いかんせんスポーツの楽しさ・祭りの興奮といったものは薄めだった。残念。まあ、楽しさよりも危機感がテーマなのかもな。
 ところで、上に書いたように2年前のアテネ夏期オリンピックのときも、直木賞を受賞直後の奥田英朗氏が五輪観戦記を書いてるのよね。もしや五輪イヤーの直木賞受賞者にはデフォルトで観戦記がついてくるのか? 2年後、7月の直木賞を受賞する予定の人は今から中国語を勉強しておかなくちゃだわ。   (06.8.3)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

墜落・東直己(角川春樹事務所)

 高校生の娘の素行調査をした縁で、別の依頼者を紹介された私立探偵・畝原。ある主婦を中傷するような怪文書が、家のポストに投げ込まれたというのだ。話を聞くためにその家庭を訪れていたとき、畝原が車を停めたパーキングではある事件が起こっていて──。
 おおお、畝原だあ! ここんとこ、著者の複数のシリーズに北海道警の腐敗を糾弾するようなテーマが持ち込まれ、従来のエンターテインメント色が薄れていたのでチト懸念していたのだけれど、これは以前のシリーズと同じカラーだったよ! わぁい。
 ホントにこの著者は、会話とストーリーテリングが巧いなあと舌を巻く。話自体は、複数の事件が平行して語られるためあっちへ飛びこっちへ飛び、もともとの依頼が何だったのか忘れちゃうくらいなんだけど、でもそれが全然煩雑じゃないのよ。達者な筆運びに乗せられて、読者は混乱することなく畝原と同一化する。こんな複雑な状況、どう始末するのかと思っていたら、最後は衝撃的だったなあ。大ネタを惜しげも詰め込んだ感じ。複数の長編が書けそうなくらい。その分、全体が薄まっちゃった観もあるけど。
 今回、明美と再婚した畝原は、実子の冴香に加えて真由と幸恵の父親になったわけだが、その家族のシーンもいい。そして大学生になった真由が(もう大学生かあ……と親戚のおばちゃんのような目で見てしまう)今回は大活躍。事件に少年が絡んでいるため、ネットの掲示板で取沙汰されている「噂」を拾い集め、分析するのだ。印象的だったのは、匿名掲示板での書き込みを観察していた真由が、「ネットでの書き込みを見ていると、聞いた事読んだ事をさも自分の知識のように書き写す人と、一度自分の中で咀嚼してから書く人の違いははっきりわかる」という主旨のこと(正確な引用ではありません)を言うシーン。そうなんだよな、と頷く。カメラを通せば死体を見るのも平気だったり、ネットでなら凶悪犯罪を知っても平気だったりという、人の痛みについての臨場感の無さを憂う箇所もある。そういう、若い人の底の浅さ、思慮の浅さを叱るというのも、このシリーズを通しての魅力でもある。
 これまでの畝原シリーズのエピソードや固有名詞が説明なく出てくる箇所があるので、これが初読というひとはちょっと戸惑うかもしれないが、本書のストーリーを楽しむ分には影響無し。逆に遡っていけば「あ、こんなとこで出会ったのか」「この事件のことかあ」というような楽しい発見があるかも。   (06.8.7)
《この本の詳細情報&注文画面へ》  

夏の日のぶたぶた・矢崎存美(徳間デュアル文庫)

 弟をつれて母さんが実家に帰ってしまった夏休み。中学生の一郎は、父の店の手伝いで「幽霊屋敷」と呼ばれている早坂邸に配達に行った。ところがそこで一郎を迎えたのは、なんとぶたのぬいぐるみで──。今度は子どもが主人公の、ぶたぶたシリーズ8作目。
 親の不仲について、どちらかといえば冷めていた一郎。ぶたぶたというサイコーに楽しい知り合いも出来て、そこそこ夏を楽しんでいた。ところが幼なじみの久美が、いきなり一郎に提案する。お母さんを迎えに行こう、と。久美に引きずられるように母の元に向かうことにした一郎だったが、久美と二人で行動するのが照れくさく、ぶたぶたに着いて来てもらう。
 なんかね、「親の不仲」というありがちな設定にあって、子どもたちが(少なくとも表面上は)ジタバタしないところが印象的なのよね。「家を出て行ったお母さんを迎えに行く」と書くとなんだか涙をこらえる健気な少年像を思い浮かべるが、そういう気配は微塵もない。「自分のせいで母さんが我慢をするのはバカげたことだと思う。そんなの、こっちだって困る」なんて考える。かといってヒネてるわけではなく、ごくフツーに。それが逆にリアルなんだよね。そして同じようにフツーの女子中学生だった久美が、なぜかいきなりそれまでの「フツー」ではなくなったことに一郎は戸惑い、久美に押し切られて母親を迎えに行くわけで。
 だから、ここではホントはぶたぶたは要らないのだ。二人の物語なのだ。多分、ぶたぶたがいなくても、二人は(遠回りはしたかもしれないが)同じような結論に達しただろうと思われる。けれどそこにぶたぶたがいたことで、一郎には心の拠り所ができた。ぶたぶたの存在そのものが、一歩を踏み出せた。ぶたぶたがいることで一郎は母のもとに行く決心をし、ぶたぶたが「いない」ことで久美と直接話す勇気を奮い立たせた。そういう存在なのだな、ぶたぶたって。ぶたぶたが何かをするのではなく、ぶたぶたがいることでこちらが何かをしようと考える。いわば触媒。だから、ぶたぶたがいない「こっちの世界」でも、私たちは私たちなりのぶたぶたを見つけられるはず──著者はそう願っているのではないか。
 ところで、久美と一郎がぎこちなく抱き合うシーンで、二人に挟まれ潰されているぶたぶたを想像すると、とてもステキなシーンなのに妙に笑えるぞ。相変わらずお料理の描写もすごく美味しそうで! シリーズの持つ「お馴染みの魅力」は、本書でも健在だぁい。   (06.8.7)
《この本の詳細情報&注文画面へ》  

東京ダモイ・鏑木蓮(講談社)

 第二次世界大戦終結後のシベリア。極寒の中、ダモイ(帰郷)を夢見ながら俘虜収容所で労働に従事していた日本兵たちの中で、中尉が斬首されるという事件が起こった。それから60年。出版社に勤める槙野は、シベリア抑留経験者の老人から句集を出版したいという依頼を受ける。その句集に書かれていたのは、60年前の事件のことだった──。第52回江戸川乱歩賞受賞作。
 シベリア時代の手記、槙野が見つめる現代での事件、その事件を追う刑事という3つの要素からの構成となっている。最も「読ませる」のはシベリア俘虜収容所の描写。戦争を知らない世代の著者が「調べて書いた」という頭でっかちな匂いはまったく無く、肉厚なディーテイルに圧倒される。最後になって、そんな中に実にさりげなく伏線が隠されていたことが分かり、もう一度感心。手記を暗号のように読み解いて行くのが謎解きのメインなんだけど、こういう場合、得てして手記は「トリックの道具」として無理無理な部分が出てくるもの。ところがその手記こそが全体の中で最も読ませるテーマ性の強い部分になっている、というのが巧いんだよなあ。
 ただ、現代の事件とのリンクに多少首を傾げる部分があった。理屈ではきちんとリンクしているのだけれど、シベリアでの経験で彼らが背負ったもの、背負ったまま60年過ごしたものの、その重みがイマイチ描ききれていないのよ。過去の経験は分かる。けれどそれが60年という歳月の中でどう変化したのか(或いは変化しなかったのか)、それが彼らにもたらしたものは何だったのか、そういう連続性に乏しい。「過去の事件を隠したかった」というありきたりな保身が動機になってしまっている。そういうレベルに落とし込むようなテーマではないはずなのに。そこが惜しいなあ。
 読み解き自体はとても良く練られていて「ああ、そうか!」と頷くに充分だったし、自費出版にこだわった老人の気持ちやちょっとしたエピソードがあとで一気に繋がるときの快感は、これぞミステリの醍醐味という感じで大満足。シベリアでの事件と現代での事件の、両方の謎解きが「手記を読み解く」という頭の中だけの捜査で動きに乏しかったのはちょっと残念だけれど、構成に関してはこれから手慣れてくればどんどん洗練されるだろうし。
 おかしかったのは、中尉の首を刎ねたトリックについて、選評で選考委員の何人かがリアリティの弱さを指摘していたこと。まあねえ、確かにリアリティという点についてはねえ……まったく無いとは言い切れない、というレベルであることは確か。けれどこのトリック、本格ミステリの世界ではありふれた発想なんだよね。本格に慣れている読者なら「リアリティがない」とは思わず「意外性がない」と表現するところなんだけどな。   (06.8.8)
《この本の詳細情報&注文画面へ》  

三年坂 火の夢・早瀬乱(講談社)

 舞台は明治半ば。東京の帝大に通っていたはずの兄・義之が、ケガをして奈良の実家に帰ってきた。義之は弟の実之に「三年坂で転んでね」と言い残して死んでしまう。一高を受験するという名目で上京した実之は、東京で兄の死の真相を探ろうとするが──。第52回江戸川乱歩賞受賞作。
 というふうに「事件の発端」をまとめたけれど、実はこのくだりが出て来るのは50ページを過ぎてから。それまでは東京で起こった火事の話や、義之・実之兄弟が生まれるまでの家庭の話などが綴られている。もちろんそれらはそれらで単独でも魅力的なエピソードだし、のちに物語にリンクしてくるのだけれど、上記のような「謎の本筋」が出て来るのが遅いために、読者としては「何を読んでいるのか」をなかなか掴めないまま焦らされることになる。ここいらがなー。著者には当然分かっているんだけど、読者にはわからないわけで。早い段階で本筋を表して欲しかったという不満は残る。
 けれどいざ「調査」が始まってからは、なかなかに面白いぞ。主人公が成長する青春小説としても読めるし、何より明治という時代がよく出ている。士族の尻尾を残している母親、帝大で建築学を学び青雲の志を抱く兄。一高受験のための「予備校」あれこれは楽しいし、家庭教師から炭屋の丁稚から車夫までというアルバイトの幅広さも面白い。主人公も探偵役も魅力的だし。
 そして、三年坂という謎の言葉(ダイイングメッセージだよね、これって)が意外なところに帰結する意外性。島田荘司が作中でよく扱う「都市論」を明治を舞台に展開するようなワクワク感があるのよね。そこで提示される情報自体にとてつもない魅力があるし。へー、ほー、と感心しながらページをめくった。惜しむらくは、それが題材の持つ面白さであって、物語の持つ面白さとはちょっと違うということか。もちろんその題材を見いだしたところに著者の腕があるわけだけど、情報を物語に昇華する手法にあと一工夫あれば、相当に瞠目する作品になったんじゃないかしら。
 ところで兄の言葉「三年坂で転んでね」は帯にも書かれているのだが、これは「(どうしてこんなケガをしたかというと)三年坂で転んで(しまったもので)ね」という意味なのだが、あたしはこの帯を最初に見たとき、「帰る前に電話してね」というような依頼を表す「転んでね」だと思ってしまったわよ。わはは。なんて可愛いダイイングメッセージ。転んでね。   (06.8.9)
《この本の詳細情報&注文画面へ》  

三四郎はそれから門を出た・三浦しをん(ポプラ社)

 三浦しをんがいろんな媒体に書いた「本についてのエッセイ」を一冊にまとめたもの。三浦しをんという読み巧者によるエッセイとして楽しむのもいいが、ブックガイドとしてもけっこう有用なんじゃないかな、これって。
 それぞれの媒体による制約はあるものの、取り上げる本は幅広い。新刊紹介のための連載コラムでは2年の間に、村上春樹があると思うと久坂部羊があるし、指輪物語があったかと思うと宮藤官九郎のエッセイがある。「中高生のために」という名目で毎月2冊をとりあげる連載もすごいぞ。森絵都とゲド戦記の組み合わせは、まあ、わからないでもないが、桐野夏生と室積光をセットで紹介するか普通。宮藤官九郎と殊能将之を並べるか普通。つか、「東京大学応援部物語」とマルキ・ド・サドって! 何より中高生向けのブックガイドに、なんのてらいもなくサドを入れ込むあたりがファンキーでステキ。けれどホントにすごいのは、ミスマッチに見える2冊の共通項を巧いこと拾い出し、ひとつのエッセイの中で繋げている手腕なのだよ。何より、読みたくなるもんなあ。書評としてはそれが一番。
 とても気持ちよく読めるブックガイドで、その気持ち良さの理由があとがきで分かった。そして深く深く共感した。著者はあとがきで書評についてこう書いている。
 「書評とは愛の証明でなければならない」ということだ。うまくいくときもあるし、愛はあるんだけど表明が失敗に終わるときもある。それは作品がまずいのではなく、私の文章がまずいのである。書評ってむずかしい。だがこれからも「愛がないなら、黙して語らずにおけ」を信条にしていきたい。/それが読書という個人的な行為をする、すべてのひとに対する礼儀だと思うからだ。
 そのへんを駆け回りたいくらい共感した。こうして個人のウェブサイトに感想を書いてる分には一読者として「気にいらんぞー、つまんねーぞー」と言える。でも媒体を与えられ、報酬まで貰ってそこで何か本を取り上げるのならば。愛を感じられない本をなぜわざわざ選ぶ必要があるだろう。面白いと思ったもの、多くの人に読んで欲しいと思ったものを、その良さをできるだけそのまま分かって貰えるように、伝わるように、工夫して紹介する。その本を手にとってもらうことこそが書評の存在価値だ。もちろん、厳しい批評により文学界全体の向上に貢献するという意味もあるが、それはあたしの任ではない。あたしはむしろ、読者を向いていたい。読者でいたい。面白い本をたくさんたくさん広めたい。その思いの基本が、このブックガイドには詰まっている。   (06.8.15)
《この本の詳細情報&注文画面へ》  

マタニティ・ママは名探偵・アイアレット・ウォルドマン(ヴィレッジブックス)

 ジュリエットは現在第二子を妊娠中。以前は弁護士だったが、夫のピーターの収入が安定したことと、第一子ルビーの育児のために今は専業主婦になっている。ルビーの幼稚園入園のための面接に家族で出かけた日、試験に落ちた子の父親が園長を相手に激昂している様をジュリエットは目撃する。そしてその夜、園長はひき逃げによって命を落とした。あの父親が怪しい! ジュリエットの探偵が始まった──。
 カルシウム補給を名目に毎晩アイスクリームを食べたり、メロドラマに涙したり、ルビーは可愛くてたまらないが「遊んで」攻撃に辟易したりという、ごく普通のママ。そこに育児のために仕事をやめた元キャリアウーマンのジレンマと、生来の好奇心が相俟って、殺人事件へと首を突っ込むことになるコージィ・ミステリなんだけど……。
 ジュリエットの生活描写はとても楽しいんだけどもさ、この探偵は戴けない。まず事件に関わるきっかけが相当に独りよがりであるということ。そもそもジュリエットには何の関係もない事件なのに、自分が容疑者だと思った男に警察は辿り着けないであろうという思い込みから、しゃしゃり出てくるんだもの。警察にとどけてあとは放っておけばいいのに、その後も自分で調査を続ける。なんで? おそらくここに「弁護士だった過去」「子供と夫のためにそのキャリアを捨てた自分」という無意識での葛藤がからんでくるということなんだろうけど、それにしたってちょっと自分勝手過ぎるよなあ。
 加えて、完全な予断で動いていることが問題。「怪しい」と思ったら、その相手にどんな失礼な事をしても平気なんだもんジュリエット。疑われる方の身になってみたら、こんな腹の立つ相手はいないぞ。見知らぬ女が自分ちのベビーシッターにDVの可能性を聞き込んでいたなんて知ったら、普通怒るでしょ。見知らぬ女が自分ちの郵便受けを壊して中を見ていたら、普通怒るでしょ。でもジュリエットはそういうことを自分の好奇心を満たすために平気でやる。こりゃダメだ。
 素人探偵が自分には無関係な事件に首を突っ込むには、それなりの動機付けが必要。キャリアを捨てて専業主婦になったジレンマにそれを求めたあたりはいいし、ジュリエットの生活そのものも読んでて楽しい。でもそこから先がダメだあ。手がかりの出現も極めてご都合主義だしさ。ダメといえば、この2時間ドラマみたいな邦題もなんとかならんかったものか。   (06.8.19)
《この本の詳細情報&注文画面へ》  

顔のない敵・石持浅海(カッパノベルス)

 デビュー以来、著者が描き続けている《地雷シリーズ》が1冊にまとまった。カンボジアでの地雷撤去に携わるボランティアの話を「パズラー」という皮でくるんだ社会派本格ミステリ。もうね、「その意気や良し!」と肩を抱きたい気分になるよ。本格ミステリってのは、もう構造上どうしようもなく、リアリズムを犠牲にせざるを得ないジャンル。なのにそこにリアリズムが命の社会的テーゼを持ち込む。どちらか一方に傾きすぎると、もう一方のバランスが覿面に悪くなる。地雷というものが投げかける様々な問題への訴えが大きくなればなるほど、策を弄した殺人事件は周囲から浮き上がるし、本格としてのサプライズやエレガンシィを追求しすぎれば、重いテーマは邪魔になる。なのによく、これほどのものを! これを他の手法ではなく、本格ミステリでやろうとしたこと自体が嬉しいなあ。
 そして更に嬉しいのは、その心意気ばかりではなく、どれも本格ミステリとして一定以上のレベルに達しているということ。本格ミステリと社会派を融合させ両立させるということは、即ち動機の重視に通じる。本シリーズでは、その動機に焦点を当てることによって、謎を解くと同時に地雷が持つ社会問題を浮き上がらせる。謎解きの結果がそのまま現実の問題へとシフトする。謎が解けることが解決ではなく、謎が解けたことによって社会問題が浮かび上がるという仕掛け。巧いなあ。
 各短編によって地雷へのアプローチが違うことにも着目だ。イベントで仮装地雷を踏んで死んだ男の謎を解く【地雷原突破】
「本格推理12〜盤上の散歩者たち」所収)は地雷撤去を訴えるNPOの物語。新たに開発されたスマート地雷のデモ中に死体が発見される【利口な地雷】「本格推理15〜さらなる挑戦者たち」所収)は地雷を作る側の話だ。そして表題作(「本格ミステリ04」所収)はカンボジアを舞台に、実際に足を吹き飛ばされた被害者の気持ちが中核になる。【トラバサミ】は地雷の脅威とは無縁の日本人の実態を描き、【銃声でなく、音楽を】は地雷撤去のNPOの資金集めという現実的且つ裏の面にスポットを当てる。そして【未来へ踏み出す足】は近未来を舞台に、地雷撤去の具体的な方法が提示される。いろんな視点から問題をとらえようという志(こころざし)。それぞれに殺人などの事件が起きてそれを解くという本格ミステリ仕立てでありながら、読み終わったときには真相に対するサプライズと社会的問題の問いかけの両方が残る。
 そうそう、シリーズ外作品だけど、著者のデビュー短編である【暗い箱の中で】「本格推理11〜奇跡を蒐める者たち」所収)も収録されてるぞ。エレベータという超クローズドサークルでの殺人&推理合戦だあ。   (06.8.20)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

ザ・ベストミステリー2006・日本推理作家協会(編)(講談社)

 毎年恒例の推理小説年鑑──なんだけど、なんか今回、毛色が違いませんか。広義のミステリと称される、その広義も広義、それぞれのジャンルで突出したものを揃えてみましたって感じ。馴染みの無い作家さんの作品に触れるという出会いがあるのは嬉しいけど、なんかホラーの度合いが増してきてるような。
 たとえば【独白するユニバーサル横メルカトル】(平山夢明)【影屋の告白】(明川哲也)という幻想ホラー二本立てで本書は始まる。そして三作目が、これも実験的且つ幻想風味の強い【マザー、ロックンロール、ファーザー】(古川日出男)だ。最初の三作が、いわゆる「謎解き」「推理小説」ではないので、何のアンソロジーを読んでるんだか次第に混乱してきたほど。4作目の【挑発する赤】(田中啓文・
「落下する緑」所収)を見たときにゃ、外国で知り合いに会えたような、とてつもない安心感があったよ。
 そこからしばらくは馴染みの世界が続く。既読作品が多かったのは残念──【死神対老女】(伊坂幸太郎・「死神の精度」所収)、【流れ星のつくり方】(道尾秀介・「本格ミステリ06」所収)、【シャルロットだけはぼくのもの】(米澤穂信・「夏季限定トロピカルパフェ事件」所収)、【糸織草子】(森谷明子・「七姫幻想」所収)など──だったけど、どれも年鑑収録が充分納得できる高レベルな推理小説ばかりなので満足満足。以下、未読だった「推理小説」に限定して感想を書く。
 【鬼無里】(北森鴻) 単行本未収録の連城那智シリーズ。村の神事の最中に起こった殺人事件。アリバイ崩しなわけだが、この真相には瞠目! とても映像的で、そのシーンが目の前に浮かんで来て圧倒された。
 【白雨】(連城三紀彦) 急に学校で虐めに遭い出した娘っと、過去に秘密を抱える母親の物語。外ではずっと雨が降っているような、湿気がページから浮き上がってくるような描写力はさすが。
 【Rのつく月には気をつけよう】(石持浅海) なぜ一人だけ牡蠣にあたったのか? 話を聞いただけで謎を解く安楽椅子探偵モノ。でも根本的なところに疑問が。他の人もいる前でこの真相を解き明かす意味はどこにあるんだろう。こういう動機なら、こういう事件なら、分かってても黙っててあげるのが情ってもんじゃないのかな。黙ってちゃ小説にならないんだけどさ。
 ──とまあ、総じて推理小説群には満足。ただ、これらの推理小説を挟むように、最後に近くなってまた【壊れた少女を拾ったので】(遠藤徹)、【克美さんがいる】(あせのごまん)というホラー作品が配されている。推理小説が好きでホラーが苦手な身としては、なんとも扱いに困るアンソロジーなのだった。   (06.8.21)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

ハナシにならん! 笑酔亭梅寿謎解噺2・田中啓文(集英社)

 よく言えば自由奔放、悪く言えばはた迷惑な上方落語会の重鎮・笑酔亭梅寿に弟子入りした元ヤンキーの竜二の成長物語。「笑酔亭梅寿謎解噺」に続く連作短編集のシリーズ第2弾。
 前作に比べるとミステリ的な趣向は(あるにはあるけど)ぐっと薄まった。代わりに落語を中心とするお笑い界の描写と、竜二の成長物語という風合いが一気に前面に出て来ている。だからミステリを期待しちゃダメよ。もともと前作からミステリという体裁ではあったものの眼目は落語の演目とからめた人情話だったわけで。
 東京の落語家と上方落語との対立であったり(【蛇含草】)、落語家の名前を持ちながら高座には上がらず、トークが売りの人気司会者として名を馳せるタレントとの確執であったり(【天神山】)、落語家ではなくレポーターとして竜二をいじるバラエティ番組であったり(【ちりとてちん】)、裏方ばかりで地味な仕事に徹している盲目落語家との出会いであったり(【道具屋】)、若手お笑い芸人ブームとの関係や所属事務所との軋轢であったり(【猿後家】【抜け雀】)と今回もビビッドな業界要素を取り入れながら、それらをきちんと古典落語に結びつけ、ひとつひとつを糧にして竜二が成長して行く青春物語になっているのはミゴト。「題材」そのものが持つ面白さを、主人公をめぐる「物語」と融合させ、人情話に仕上げる。こういう設定なのに落語以外の「お笑い」を悪者にせずバカにせず、それぞれの仕事をきちんと描いているところがいいなあ。
 例えば、イヤなヤツだと思っていた相手が実はたいへんな努力家だったと知って反省する話だとか、地味に見える人が実はそこになくてはならない人だったとか、そういう筋は人情話、成長物語としては極めてストレートだし、プロットだけを見ればさほど瞠目するような新鮮さもないわけよ。むしろ良くあるパターン。けれど良くあるパターンを「話術」と「演技」によって芸にするのが落語。そして本書もそういうありがちな話を、その語りとディーテイルで芸にしている。そういう意味でもまさにこれは本格落語小説なのだ。
 はからずも、【天神山】の中で竜二が「奇をてらう」というのは嫌な言葉だと思うシーンがある。それは、まんま本書の作風に通じる。田中啓文って、どうしてコト落語に関してはこんなに真摯なんだろう。   (06.8.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》  


書評リストに戻る