なぜ紫の夜明けに・吉村達也(双葉社)
原田透は、とある事情から高校時代に自殺未遂をしていた。命は助かったものの、その時のショックで自殺未遂の原因は思い出せないままだ。社会人になった透は、その記憶を失ったまま、花織と婚約する。そんなある日、透はレイプされそうになった女性を助けた。けれど透がそこに居合わせたのは偶然ではなく、その女性のあとをつけていたからだった──。
「私ね、後、一週間で死んじゃうの」──心臓に病気を持つ彼女が、僕にそう打ち明けた。心臓の状態がもういかんともし難く、薬で発作を抑えれば普通の暮らしはできるものの、それもあと一週間が限度だという。彼女は残された時間を思うままに生きるため、前から着たかったロリータ・ブランドの洋服を買い、僕の部屋に「お泊まり」に来て、そして……。
銀の砂・柴田よしき(光文社)
人気作家・豪徳寺ふじ子が入院したと聞き、珠美は病室へ駆けつける。今は作家として独り立ちできそうな珠美だが、以前はふじ子の秘書をしていたのだ。ふじ子の入院の原因は、流産。齢51にして妊娠、そして流産となったふじ子には、ある事情があった。彼女は、相手が娘の恋人だろうか秘書の恋人だろうが、簡単に肉体関係を持ってしまうのだ。一方、珠美は、ふじ子のわがままに嫌気がさして彼女のもとを離れたものの、やはりふじ子が気になって──。
女信長・佐藤賢一(朝日新聞社)
織田信長は女だった! 体を投げ出して美濃の蝮・斎藤道三を味方に付けた信長こと御長は、男のふりをしたまま次々と尾張を平定していく。それを可能にしたのは、旧弊な男の価値観に囚われない、女ならではの自由な発想だった。しかしそれと同時に、女ならではの嫉妬や癇癪もあって──。
ソラカラ・桑原美波(光文社)
舞台は近未来。「太陽の膨張により、10年以内に地球は消滅する」。NASAは、人類の火星移住計画を発表。日本でも国を挙げて移住の準備を始めた。そんな中、それぞれの事情で児童養護施設に暮す三人の少年は、いろんな人の考えや生き方に触れることにより、あることを考え始めた──。
杉村三郎は財閥の妾腹の娘と結婚し、義父が会長を務める会社で社内報を作っている。分不相応で身に馴染まない暮らしと周囲からの特別視の中で、それでも愛する妻と娘と幸せに暮らしていた。今、彼が抱えている厄介ごとと言えば、部署で採用したアルバイトがやたらとトラブルを起こすこと。彼女の身上調査のためある探偵のもとを訪れた杉村は、そこで巷を騒がせている無差別連続殺人で祖父を亡くした女子高生と出会う──。
ピース・樋口有介(中央公論新社)
埼玉県は秩父の小さな町。ピアノ演奏を聴かせる小さなスナックには、夜ごと常連客が集まって来る。他愛無い話に花を咲かせたり、周囲に隠れてそっと付き合っているカップルがいたりと、ごく長閑な風景。しかしその町で連続バラバラ殺人が起こり、そのスナックの常連の女性がその犠牲者となった──。
行方不明者・折原一(文藝春秋)
蓮田市で一家四人が忽然と姿を消した。ダイニングには朝食の用意がなされ、いつもの朝の風景の中、人間だけがいなくなった。その謎を女性ライターが追う。一方で、ネタに悩む新人ミステリ作家が通り魔事件に遭遇する。作家はそれが小説になると考え、犯人を追跡するのだが──。
ノゾミの死から2年、僕は彼女の最後の場所となった東尋坊を、弔いのために訪れていた。そこで目眩を起こして倒れた僕が目を覚ましたのは、なぜか家のある金沢市。帰宅してみると、そこには生まれる前に死んだはずの「姉」がいて、「僕」は存在しない世界であることが分かった。パラレルワールドに迷い込んだ僕は、そこで「僕のいない世界」のありようを見る──。
星降る楽園でおやすみ・青井夏海(中央公論新社)
無認可保育園「アイリス」に2人組の男が押し入った。その時点で残っていた子どもたちを人質にとり、それぞれの親に500万円ずつ持って来させろという。お金と引き換えに子供を渡すというので、園長の早紀と、早紀の姪で「アイリス」で働いている淑恵は、それぞれの保護者に事態を知らせた。知らせを受けた保護者の対応は様々で──。
婚約者の花織、元カノの美樹、そしてレイプされるところを助けられたマリア。透は、自分の過去についての記憶を取り戻し、以降の人生を「贖罪」のために使おうと決心する。それはいいんだが。透って、個性の全く異なる3人の女性にかなり激しく好かれるという設定なんだけど、えっと、なぜそこまでモテるのかが全然分からないよ……。どこがいいんだ? 自分勝手だしいい加減だしさあ。マリアは(詳細は書けないが)もちろんのこと、花織はまったく理不尽なことで婚約を破棄されるし、美樹は学生時代からずっと透の不審な部分を見てきたわけで、どうして彼女たちが透にここまで執着するのか理解できないぞ。
もちろん恋なんてもんは他人に理解されなくても、本人が好きだと思えば好きなんだし、他の女にとられると思えば冷めかかった気持ちも再燃するかもしれない。けれど問題は。ここに出てくる3人の女性が、揃いも揃って「内面」が感じられないってことなのよね。《恋する女》が想い人に向ける言動としてはさほど不自然ではないのだけれど、その言動が、それぞれの性格や思考、背景から生まれたものだという説得力がない。ドラマや小説で用いられる「よくあるパターン」を、それぞれの役どころに当てはめてなぞってるようにしか見えないのだ。
それはつまり、3人の女性の一面しか描かれてないせい。彼女たちが抱いていたはずの葛藤は表には出ず、葛藤の結果としての「訴え」しか出てこないせい。だから女性の誰にも感情移入できない。透視点だからしょうがないのかな。でもその透だって、行動はけっこう行き当たりばったりで、おまけに自分のことで手一杯で3人の女性の気持ちなんかまるで考えてないんだから、こっちにも感情移入しにくいし。登場人物たちの行動そのものより、その行動に至った内面をこそ読みたいんだけどなあ。
(06.8.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》
ハピネス・嶽本野ばら(小学館)
野ばらちゃん版セカチュー。小学館だし。けれどそこはさすがに野ばらちゃん、女の子はあくまでも凛として潔い。カッコいい。ホントにこういう心臓病があるのかとか、その場合、大きな発作の起こる直前まで元気にしてられるものなのかとか、最初はその設定のリアリティにちょっと疑問がないわけではなかったのだが、読み進むうちに、真摯に運命と向き合う二人に飲み込まれてしまって、些末な疑問などどうでもよくなった。病気のリアリティなど問題ではないのだ。ここに必要なのはタイムリミットという設定だ。そのタイムリミットをどのように受け入れ、対峙するかの物語。
野ばらちゃんらしく、彼女はロリータデビュー(今回のブランドはInnocent Worldです)を果たし、ちょっとでもその道を極めようとする。大好物のカレーを食べようとする。大好きな恋人と幸せなセックスをしようとする。学校にも行く。スタバで発作を起こし、山のような薬を飲む。高校生の娘の外泊を両親は「よろしくお願いします」と言って許す。すべては、その時に向けての準備。
印象的だったのは、死というものを受け入れようとあれこれ悩んだ末に彼女が辿り着いた「統計」だ。2005年の日本では107万7千人が病気や事故などで亡くなった。人口に照らし合わせれば、120分の1の割合で人は死んでいる。宝くじで言えば、5等の3千円が当たる確率程度。都営住宅の抽籤に当たる確率より、限定物のブライスを買える確率より、アイドルのオーディションで優勝する確率より、ずっとずっと大きい。死ぬというのは、それほど特別の出来事ではない……。
もちろん、それは理屈だ。自分の死は、恋人の死は、そんな数字で割り切れるものではない。けれど二人は、恐れながら戸惑いながらも、その日まで自分に出来ることを懸命にやる。その姿に打たれる。それが自暴自棄になったり無茶をしたりするのではなく、お洋服とカレーと恋、というそのいじらしさ。じっと見守り、抱きしめる僕の優しさ。
「僕」と「彼女」の名前は最後まで出て来ない。それこそが、これは「あなた」の物語でもある証拠だ。
(06.8.25)《この本の詳細情報&注文画面へ》
わあ、ストーリーの殆どが会話で説明されてるよ……。そうじゃないのは、ふじ子の結婚当初の話だけだ。あとは全部、会話で話が進む。ある意味すごいな、これって。でも語りが巧いから、それで読まされちゃって引き込まれちゃって、けっこうドキドキしたり。
でも、読んでるその個別のシーンにはとても引き込まれるんだが、全体の構成とかバランスを俯瞰すると、どんどんズレて行ってる気がするんだけど。最初から、ここを着地点に決めてたのかしら?と、ちょっと疑問に思ってしまうほど。ある男性の失踪っていう事件も出てくるんだけど、ミステリとしての伏線のようなものは殆どなくて、終わり間際に「そんなことだったとは!」という真相が唐突に出てくるような作りなのね。でもそういう会話の多さやバランスの悪さみたいなものが、読んでる最中は気にならない。それはつまり、ストーリーテリングの巧さということなのだろう。
特に、各シーンを描写する、そのリアリティと臨場感がすごいんだよね。小道具の使い方が巧いの。若き日の藤子の、嫁・姑の確執も鳥肌ものだが、感心したのは珠美の姑問題だ。ディーテイルがなんともリアルでひっくり返った。だって豚バラ肉だよ? 肥満が心配な息子にこんな脂身の多い肉を食べさせるのかと怒る姑。それに対し、湯がいて油抜きをしているという反論をぐっと堪える珠美。そもそも、母親のあなたが料理下手だったせいで夫はあんな体質になったんじゃないか、と。この超具体的な諍いのきっかけといったら! ダンナがどっちの味方だとか嫌みを言われるとか、そういう嫁姑の諍いドラマは多いけど、豚バラ肉という小道具を使うことによって、リアリティと臨場感が倍増。おまけに姑と珠美の性格まで手に取るようにわかる。巧いなあ。
そういう描写が巧いので、主要人物の人となりが濃密なくらいに迫ってくる。だからこそ、ふじ子に対する珠美の思いや、彼女の周囲で渦巻く恋愛模様と、それに巻き込まれた人々のそれぞれの対応なども実に読ませる。個々のシーンの巧さが、全体の構成やテーマにうまく絡んでいかないもどかしささえ、どうにかなれば。シーンを読まされてるうちに、話全体がどこへ向かってるのか見失いそうになるのが、なんとももったいない。
(06.8.26)《この本の詳細情報&注文画面へ》
斬新な政策を次々と出せたのも、土地に拘り名誉に拘り家系に拘るという男の弱点を持っていなかったからというのは実に面白いし、楽市楽座なんて「物の値段は安い方がいい」という女の発想だったというのにも笑った。何より、男は名を挙げたいがため、戦いたいがために戦をしている、だから戦乱の世が終わることはない、けれど女だから泰平の世が望めるという下りには膝を打つ。
それにしても、明智光秀かっこいーっ! 男では発想できなかったはずの「泰平の世」を目指し、いや、待てよ。御長と同じ発想が男である明智光秀にも出来たわけだから、そうなってみると女である御長ならではの才気ってわけじゃなかったってことだよな。ダメじゃん、御長。
実際、後半の御長はどんどんダメダメになっていくのである。これまで斎藤道三に始まり、柴田勝家、浅井長政といった大事な相手に「女」という武器を使って籠絡してきた御長。その様子がね、どうも、仕事はめちゃくちゃ出来る頭のいいキャリアウーマンが、ここぞというところで取引先や上司に体で取り入ってのし上がる、という話に見えちゃうのね。仕事はめちゃくちゃ出来て頭がいいってのがポイントではあるんだけど、体を使う、それも「あたしの体って大抵の男はまいっちゃうのよね、ふふっ」と勘違いした女の物語で、どうも読んでて痛々しい。そこに女性らしさを出したいのかもしれないけど、いわゆる「女性のイヤな面(と一般的には認識されている面)」を前面に出しちゃったせいで、逆になんかすごく底が浅くなった嫌いがある。女信長って、そういう意味だったの?みたいな。
何が気に入らないって、最終的には男に助けて貰っちゃうんじゃダメよダメだよ。それじゃつまんないよ。かっこよくないよ。旧弊な男の価値観に囚われないところが御長の利点だったんじゃないか。それが最後にはモロに旧弊な世界に逃げちゃって。これじゃ光秀の一人勝ちじゃん。
(06.8.27)《この本の詳細情報&注文画面へ》
地球滅亡という設定を読んだときには、正直「またか」と思った。SF色の強いものを除いて、終末に向けての普通の人の生き方を描くものだけに限ったとしても、ごく最近、伊坂幸太郎の「終末のフール」っていうヒット作があったし、古くは新井素子の「ひとめあなたに……」なんてのもある。こういう設定を使うなら、よほど新鮮な何かがないと辛いよなあ。で、正直なところ、そういう新鮮さは残念ながら見つからず。中には「あらっ」と思うようなステキな場面もあるんだけど(終盤のホスピスのシーンとか、月を愛でる和歌に関するくだりとか)、いかんせん一部なのが惜しい。
地球消滅、火星移住という事件の中で、少年たちはさまざまな人と出会う。宗教にのっとって地球に残る(つまりは地球に殉じる)という人たち、余命僅かな老人、お墓のお骨を火星に持って行く手続きに追われる住職、地面を掘り返す考古学教室の教授や学生、これまで子供を施設に預けていたのにいきなり現れる親、などなど。どれも「地球を離れる」ということがきっかけで、なんらかの選択を迫られた人ばかりだ。そういう、さまざまな人と主人公たちが出会うというのが本書の重要なエピソードであるはずなんだけど、惜しいかな、どれも描き込みが足りず彼らから酌むべき「物語」が浮かび上がって来ない。それはつまり、本書の結末で主人公たちがなぜあのような決断を下したのかという、その動機が見えて来ないという致命的な弱さになる。うーん、ところどころはすごくいいのになあ。もったいないなあ。
あと、些末ではあるけれど、近未来が舞台という割には未来を感じさせるような小道具は少ない。パソコンのサテライト授業と、二十年間雪が降ってないってな記述くらいで、あとはまるで現代。いや、それはいいのだ。人の価値観が現代のままなので、下手に環境だけが未来未来してても違和感あったろうし。でもときどき現代を通り過ぎて、ノスタルジックな価値観や情景(家族みたいな孤児院とか、学校の黒板にメッセージを書くとかさ)なんかも出てくるので、舞台全体の色合いってものが掴みにくかったかも。
(06.8.28)《この本の詳細情報&注文画面へ》
名もなき毒・宮部みゆき(幻冬舎)
今更宮部みゆきを評してこんなこと言うのも芸がないが、もう、巧いとしか言えない。日常に普通にいる困ったちゃんを書かせると、どーしてこんなに巧いかな。それも作られたキャラというわけではなく、「ああ、こういうひと、いるよ」という社会的リアリティがたっぷりなのね。知識としてでてなく、心情と経験の両方でリアリティを感じる人物造形。日常生活の中で理解し難い人に出会ったとき「なんなの、これ」と漠然と抱く怒りや不快感に、宮部みゆきは言葉と理由を与えてくれるのだ。だから読んでいて膝を打つ。
シックハウス症候群や無差別殺人といったテーマを扱いながらも、本作は決して「社会派ミステリ」にはならない。社会的な問題を扱い、その問題を抉ってみせながらも、本書の主眼は社会問題ではなくそれに対峙する人々だからだ。だから感情移入できる。読者が入る間口が広い。シリアスなドラマなのに、読者が疲れる前にタイミングを見計らって「ほっ」と息をつけるエピソードやキャラクタが配置される。その緩急の巧さ。だから必要以上に重くならない。固くならない。そういった種々の要因が宮部みゆきを「国民作家」と呼ぶ所以なのだろうなあ。
本書に出て来る、薬物としての「毒」と、人間の持つ「毒」。毒とは何かを考えさせると同時に、たとえば運送屋の社長のような、毒消しのような人物をちゃんを配置する。だから辛い話でもどこかに救いがある。救いというのは、問題が解決しハッピーエンドになるといった意味の救いではない。問題は解決しないんだけれど、でも対峙して行く力を自分たちは持っているよ、という救いだ。このバランス感覚たるや見事。
本書は「誰か」に続く杉村三郎シリーズだが、なんとなく、今後はシリーズとしての体裁が変わってくるかもしれない雰囲気だぞ。それはそれで楽しみ。
(06.8.29)《この本の詳細情報&注文画面へ》
文章が巧いので読みやすさは抜群だし、それぞれのキャラクタも癖があって魅力的で、個々のエピソードも引きつけられるんだけど、全体をみるとスッキリしないスッキリしないぞー。秩父の小さな共同体の人間模様と、残忍な連続バラバラ殺人事件が平行して語られるんだが、なかなか結びつかないんだよね。で、唐突に結びつく。「へ?」って口に出しちゃったもの。それで、まぁいろいろ仄めかしつつ事件は終わるんだけど、これがまたなんとも、「くーーーー、まだ語られてないいろんなドラマがあるでしょうがあ! 出し惜しみするなよおお!」と著者の肩をつかんで泣きながら揺さぶりたいほど。事件の動機が明らかになったときには「あっ、それで××なのか!」と思ったんだけど、それにしたってフェアな伏線があるじゃなし。むう。
そう思ってみれば、すべての要素が「完結」はしていないのだ。事件そのものも含みを持たせて終わっているし、個々の登場人物が抱えている事情についても仄めかすだけで白日のもとには晒されない。とてつもないドラマを持っているっぽい登場人物もいるのだけれど、それが物語の表面に出て来て話を左右するというようなことにはならない。
タイトルの「ピース」には色々な意味がある。そのひとつが「部品」「断片」という意味の「piece」。バラバラ殺人の意味もあるし、事件を追う上での種々の手がかりの意味もあるだろうけれど、と同時に、登場人物もpieceであるという意味にもとれる。物語を構成する部品だという意味ではない。それぞれの登場人物にとって、この事件というのはその人物のすべてではなくpieceに過ぎないということ。みんなそれぞれに生活があり、思いがあり、歴史がある。事件のためだけに彼らは存在するのではなく、事件に関係ない人生も生きている──そんなふうに考えたのだけど、穿ち過ぎかしら?
(06.8.30)《この本の詳細情報&注文画面へ》
並行して語られる二つの事件、当然無関係のはずがない。そして折原一だもの、この作家の作風を知ってる人なら、いろんなところに騙しが潜んでいるであろうことは自明。可能性としては──××の誤認とか、××がホントは違うのに同じ××に見せかけてるとか、そのあたり? てなふうに、ハナからメタな読み方&あらゆる可能性を一通り想定してしまうので、こりゃ書く方もタイヘンだ。
けれど本書の場合、あらゆる可能性を想定したとしても見抜くのは無理かもしれない。アンフェアというのではなく、「なぜ一家四人が消えたのか」の動機がこれでは弱いもの。他にやり方があったろうに、なぜわざわざこういう工作をする道を選んだのか、そこがどうにもスッキリしない。そこ以外の「あの人がこの人か」「こう繋がるのか」という箇所は相変わらず巧いのだけれど。
ところで、折原一の小説は体調のいいときじゃないと読めない。というのも、毎度毎度、すごくイヤ〜〜〜な人が出てくるのよ。イヤな人、どっか狂ってる人。生理的に気持ち悪い人。例えば宮部みゆきの現代ものなんかでも、いわゆる「イヤな人・どこか壊れている人」がよく登場するけれど、宮部作品のそれはどこにでもいる普通の人がちょっと境界を越えちゃったような「いるよなあ……」という、共感を呼ぶような社会的リアリティがある。翻って折原作品の場合は、いるかもしれないけどそういう部分は秘めておいてくれよ、人に見せないでくれよと強く願ってしまうような、間違っても共感はしない気持ち悪さなのさ。イヤなものを見せつけられると体力と精神力を消耗する。だからページを開くのに、ちょっと思い切りが必要なんだよねえ。
で、今回は。ああ、やっぱり関係者たちのこの思考には、ついていけない……。通り魔事件を目撃しながら警察に届けるでもなくそれを追うのは、保身と巧妙心のため。ここまではまだいい。でもそこから、なんかどんどんズレて行くんですけど。いちいち歪んだ興奮を自己申告してくれなくてもいいと思うんだがなあ……。
(06.8.31)《この本の詳細情報&注文画面へ》
ボトルネック・米澤穂信(新潮社)
キャラ立ち青春日常の謎。米澤穂信のそういう印象を抱いたまま読んだら、横っ面を張られる。かつてここまで読者と主人公を突き放した青春小説があったろうか、というくらい唐突に突き放されて物語が終わるのだ。この「放り出され感」たるや、美容院でカットしてもらったら右半分しか切ってもらえなかった上に鋏が刺さったまま、みたいな。いや、鋏を刺す美容院はないだろうけどもさ。だから読み終わってすぐは「え?」という戸惑いの方が大きかった。どういうことなのか、なぜこの結末なのか──考えることをやめられず、考え続け、読後3日目でようやく「あらやだ、これって傑作じゃない!」と気づく。そんな話。
物語は、「自分の代わりに別人がいる世界」と自分の世界との違いを再確認しながら進む。それは即ち、自分がこう動いていればこうなっていた、という別の運命を見せられているということに他ならない。主人公は、ただ流れに身を任せていた、あの場はああするしかなかった、というつもりで過ごして来たのに、それは変えようのない運命だったわけではなく「岐路」に過ぎなかったことを知らされる。自分が別の行動をとっていれば避けられた不幸。自分の失敗を見せつけられる。そんな救いのない状況を更に、米澤穂信は主人公の退路を断ち、逃げ道を塞ぎ、追い込んで行く。それはもう容赦なく。だってさ、「あそこに戻ってやりなおし」という話は古今東西腐るほどあるし、「やり直しはできながいが、失敗を糧に今からもう一度頑張ろう」という話も多いけど、本書で著者はそれらの結末を悉く封鎖した。「失敗でした」と言われるだけでもうやりなおせない。そんな話。
最後に、主人公はある選択を迫られる。特筆すべきは、これまで選択に対して無自覚だった主人公が、最後の最後で意識的に選択に臨み、詳細は書けないが他者に道を示され微笑むのだ。ここで笑うか。残るものは、絶望と恐怖。
いやあ、しかしよくこんな結末を……。普通に前向きなハッピーエンドにすることももちろん可能なストーリー。けれどそれでは据わりが良過ぎて「そうだね」で終わってしまう。読み手の枠内に気持ちよく収まってすぐに消えてしまう。だから敢えて持って行き場のない失望でシーンを断つ。カタルシスを拒絶することで強まるテーマ。書き手の勇気。米澤穂信のダークサイドは身を切るような痛みを残すぞ。しかしこの主人公に重松清の『流星ワゴン』を読ませたいなー。
(06.9.1)《この本の詳細情報&注文画面へ》
まず、事件の発端がめちゃくちゃいい。お金のかかる無認可保育園ということで親は金持ちだと思われがちだが、実際は、他に預ける場所がなかったり、シングルファーザーだったり、横暴な夫に隠れて息抜きするために預けていたりで、事情がさまざまなのね。そこに降って湧いたこの事件は、それぞれの家庭の問題をどんどんあぶり出して行く。それがいかにもありそうで、ちょっとステレオタイプな部分もあったけど、でもリアルで。
必死で頑張ってお金を作り、アイリスまで届ける親。子供のことより夫に叱られる方が怖くて、精神の均衡を保っていられない母。責任のなすり付け合いをする夫婦。思わぬことから手に入れた手がかりを切り札に、身代金を値切ろうとする父親。そして、こうもすんなりと押し込まれてしまった、その犯人の手際の良さから、身内に手引きしたものがいるのではないかと疑う園長。この先がどうなるのか、すべての親がお金を用意出来るのか、なかなかにサスペンスフルで読ませるぞ。とにかくクライマックスまではとても面白くて、ぐいぐい引っ張られた。
ただ、この結末はちょっと拍子抜けかも。ミステリである割には、真相にぜんぜん意外性がないんだよなあ。いや、犯人像は意外ではあるんだけど、意外性を生むような演出に乏しいのよ。読者があれこれ推理したり考えたり「騙されたっ」とホゾを噛んだりするような、そういうゆとりが用意されてないのよ。テーマがテーマだけに、そんなにガチガチの本格を期待しているわけではなく。普通のミステリ、いや、普通の小説だとしても、この「真相の呈示」はあまりに呆気ないでしょう。そのせいで、終盤がなんともバタバタしてしまい、真相がわかるところなんかも、ドラマではなくいきなり「説明」になってしまったきらいがある。真犯人の動機や、それぞれの家庭の様子をじっくり噛み締める余韻に欠ける。もったいないなあ。後半にもっと緩急があれば、すごく面白くなったろうに。
(06.9.2)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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