おっぱいバレー・水野宗徳(泰文堂)
静岡県の片田舎にある中学校の男子バレー部。バレー部とは名ばかりで、昨年までは不良の溜まり場、不良が卒業してからは麻雀三昧で周囲から「キモ部」と呼ばれるほどのダメダメ部。そこへ新任の女性教師が顧問となった。地区大会で優勝したら先生のおっぱいを見せて欲しいと言うと、なんとOK! そこからダメダメバレー部の練習が始まった!
親切なおばけ・若竹七海/杉田比呂美(光文社)
ノノコちゃんは、おじいちゃんとお父さんとお母さんと一緒に、古い家に住んでいる。あまりに古いから、友達からは「おばけやしき」と言われ、そこに住んでるノノコちゃんはおばけだと仲間はずれにされる。そんなノノコちゃんに、おじいちゃんは「親切なおばけになりなさい」と教えてくれた──。若竹七海と杉田比呂美のコラボで生まれた、ハートウォーミングな絵本。
目を病んだ滝沢馬琴は、息子の嫁の路に口述筆記をさせて「里見八犬伝」を書き継いでいた。路にとっては、夫に先立たれた今、婚家に残って舅に仕えるのは決して楽なことではなかったが、さまざまな苦しみは時の向こうに過ぎ去り、今の路は八犬伝の筆記を楽しむまでになっていた──。
シュミじゃないんだ・三浦しをん(新書館)
三浦しをんがボーイズラブ漫画への愛を縷々綴ったエッセイ集。長年に亘って雑誌連載されていたものなので、最初の方はまだ「古書店の店員」だったりする。それが今や直木賞作家ですよ。
第六の大罪 伊集院大介の飽食・栗本薫(講談社)
伊集院大介シリーズの中・短編集。
昔は各家庭に会った文学全集も、最近は住宅事情からかすっかり影を潜め、刊行もしばらくされていない。そんな中、きっての文学通にして論客の三人が「今読んでも面白い作品を」というスタンスで、世界・日本文学全集を編み直そうと議論する。さて、それで出来上がったラインナップとは?
ダナエ・藤原伊織(文藝春秋)
藤原伊織一年半ぶりの単行本は中・短編集。表題作【ダナエ】は乱歩賞作家によるアンソロジー「青の謎」に収録されていたものなのでミステリテイストではあるんだけど、他の二作はミステリというより男の生き方を描いた一般小説。そして3編全てに共通するのは、何かを抱えて生きるということの哀切だ。
ブレイクスルー・トライアル・伊園旬(宝島社)
賞金一億円のビッグ・イベント「ブレイクスルー・トライアル」とは、技術の粋を尽くした難攻不落のセキュリティに守られた研究所に侵入し、所定のマーカーを持って来るというルールだ。複数の参加チームはそれぞれの思惑を持って、このイベントにエントリーする。そこに、そんなイベントとは知らずに紛れ込んでしまったダイヤモンド強奪犯の一味がいたり、頑固な職人気質の管理人が参加者の前に立ちはだかったり、ロボットが妨害に出て来たり。果たして一億円を手にするのは誰なのか──?
待ちに待ってやっと出たジェーン・ジェフリィ・シリーズ9作目。5年ぶり? もう出ただけでお勧めマークをあげたい気分。
セックスボランティア・河合香織(新潮文庫)
障害者の性の現実とはどういうものなのか。「障害者の性を偏見でしか、もしくは、障害者の恋愛を美談でしか語られない現状に不満を持ち、ありのままの姿を伝えたい」という思いで著者が始めた調査。そこには「障害者だって恋愛したい、性欲もある」という、ごくごく当たり前の事実があった──。
「実話をもとに」と書いてあるのを読んでちょっとクラクラしたが、体裁は極めて王道の青春小説。ダメな運動部がひとつのことをきっかけに努力を始め、部員同士の諍いがあったり、無理解な大人との対決があったりしながら、ひとつひとつ克服して何かを得るというオーソドックスなもの。キャッチーなタイトルの割にはストーリー展開が極めてオーソドックスなのと、文章そのものが男子中学生の一人称視点(と女性教師の視点が交互に来る)ということで全体にライトなので、さくさくと読めてしまう。
ただ、小説作法という面では首を傾げるところが多い。一人称主人公となるバレー部主将と女性教師の、どちらも考え方が極めて真っ直ぐでゆとりがないという似たタイプ。どちらも「正論」がベースなのでテーマに深みが出て来ない。せめて教師の章だけでももう少しテイストが変われば印象も違ってたかもしれないなあ。人物造形も皆一面的で、役割が固定され過ぎているきらいがあるし。実在の芸能人やスポーツ選手の名前などが会話やモノローグに登場するのも、ライト感を強めている所以か。こういうのって、その時に読めばとてもよくイメージが伝わるけれど、時を経ると逆効果になりそうな気がするんだが。
つまるところ、シナリオをノベライズしたかのようで、よくも悪くも映像作品の原作的なのだな、という印象。登場するエピソードは青春小説としては極めてありきたりで「お約束」ばかりだけれど、コートの中で「ファイト、オー」と言う代わりに「おっぱい、おーっ、ばいっ」と叫ぶというような、極めて印象的且つ象徴的なシーンもある。各章に均等に、メインとなる事件や盛り上がりもある。それに、アニメやドラマになれば、たとえば登場人物の表情だとか、喋り口調だとか、言葉には出て来ない風景だとかを映像で伝えることができる。だからこれを映像作品にすれば確かに面白いかもしれない。ただ、小説単体としてみたとき、そういった表情、口調、風景といった視覚的聴覚的なものや、心の成長や心情変化といった抽象的なものが、「文章の力で」描き出されているかというと、残念ながらそこは足りないという他ない。ま、楽しいからいいか。
(07.1.2)《詳細情報&注文画面へ》
これね、絵を無しにして文字データだけで読むと、けっこう辛くて痛々しい話なのよ。それが杉田比呂美の暖かくもトボけたイラストが入ることによって、辛い暗い話がいきなりポップで可愛い話に思えて来る。絵の力って、すごいなあ。お母さんがノノコちゃんを連れて逃げ出す絵なんて、すごい迫力で妙におかしくって、いくら見ても飽きないよ。
そして絵があるからこそ読み取れることがある。この物語の文章だけ読んでみると、「おばけ」と言われて仲間はずれにされていたノノコちゃんが、おじいちゃんに言われて「親切なおばけ」になるべく奮闘するんだけど、絵には、文章には出て来ない「おばけ」が描かれているわけで。ノノコちゃんが奮闘した結果何が起こったかというと、彼女は「仲間はずれ」という状態から脱出できた。間接的にではあるけれど、それはノノコの奮闘が招いた結果であることは間違いない。でも。「親切なおばけになりなさい」と言ったのはおじいちゃん。そして殆どのページのイラストに登場する「おばけ」を見てると、タイトルが示す「親切なおばけ」というのは、ノノコちゃんのことではなく、別の人のことだったんじゃないかしらと思えて来る。だってさ、あんな「事件」が起こってるのに、誰もケガをせず、ちゃんと避難できてるのよ? おまけにその原因になったブツは、「おばけ」の持ち物だったわけで。そこに「おばけ」の意志が介在してると思うのは穿ち過ぎかしら?
まあ、考え過ぎかもしれないけれど、もしもそうだとしたら。これはイラスト無しには成立し得ない、本来の意味での絵本、文と絵の両方があって初めて成立する物語なのだってことになる。だとしたら、なかなか小憎らしい趣向じゃないか。
ただこれでは、仲間はずれの直接の原因を除去しただけに過ぎないのよね。ノノコちゃんの話を聞いてくれない両親や、家が古いってだけで仲間はずれにする友達という問題には、何の変化もない。そこがちょっとスッキリしない点ではある。
(07.1.3)《詳細情報&注文画面へ》
恋戦恋勝・梓澤要(光文社)
江戸の町を舞台に、恋愛をテーマに描いた連作短編集。これがね、良いっ! 色があって艶があって、けれどそこには紛うかた無き江戸の生活感があって。表題作【恋戦恋勝】は、路の結婚当時の苦悩がテーマ。辛くて辛くて逃げ出したくて、たまたま実家に帰ったときに路は別の男性に言いよられる。そこで路のとった結論。今、夫を亡くして舅に仕えているという状況からの回想なので、路が別の男に走らなかったのは既に分かっているのだけれど、それでも読まされてしまう臨場感。激しいのだけれど、心へはしっとりと染み通って行く。巧い。実に巧い。そしてこの結末の、なんと暖かで爽快なことか。
その表題作の結末から話が始まる【恋は隠しほぞ】は、男漁りが習い性となった女が本気で男に惚れてしまう話。【ゆすらうめの家】は、腕のいい料理屋が妻に捨てられる話。どちらも燃えたぎるようなマイナスの情念が感じられる話なのに、 【恋は隠しほぞ】では家事をする路が、【ゆすらうめの家】では客をもてなす馬琴と路の阿吽の呼吸が、物語の緊張を解いてくれる。その絶妙な配置といったら。
もっとも情念がほとばしるのは【火の壁】か。囲われものの母娘を描いた本編は、白黒の文字を読んでいるだけなのに、目の前には真っ赤な壁が浮かび上がる。一転【一陽来復】は、出戻りの居候である女性が弟夫婦に遠慮しながら手習いの師匠をするという、市井の物語。連作の中で最もほのぼのして暖かい。そして養女に出した路の娘、おつんが初めて淡い恋をする【色なき風】。淡い少女の思いと、どろどろした大人の恋の対比が見事。
年齢も身分も立場も違う六人六様の恋物語。馬琴と路を狂言回しに、女たちの思いをすぱっと斬ってその断面を見せてくれるかのような恋物語は、まさに恋戦恋勝だ。
(07.1.5)《詳細情報&注文画面へ》
ボーイズラブについては、悪友たちからいろいろと(頼んでもいないのに)薫陶よろしきを得てはいるのだが、それにしてもいったい何がそんなに楽しいのかずっと分からなかった。で、本書を読んで分かったかというと──いまだにはっきりとは分からない(とっかかりはあったけど)。でもね、ここに紹介されている個々のボーイズラブ漫画については、その魅力や醍醐味が十全に伝わってきたのよ。これは即ち、三浦しをんが非情に優れた書評家(この場合は漫画評論家か)であるという証左に他ならない。俎上に上がった漫画はどれひとつとして知ったものはなかったが、男同士だからことさらどうこうというのではなく、いろいろな愛の形や悩みの形、それらを昇華する形を示したサブカルチャー(或は芸術)として、その意味と読みどころが伝わる。わあ、これは御好きなひとにはものすごくいいブックガイドになるんじゃないかしら。
さて、上に「ボーイズラブの何が面白いのかはいまだにはっきりとはわからない(とっかかりはあった)」と書いたが、その「とっかかり」について。一カ所「あっ」と膝を打ったところがあったのよ。第9章に出て来る、こんなくだり。
「『ガラスの仮面』の斬新なところは、演技のコーチ役である月影先生が女性に設定されている点だ」
指摘されて初めて「そうだ」と思った。少女漫画に於いて、これは希有だ。少女漫画ではたいていコーチってのは異性として意識する(される)ものであり、引っ張るものとついていく者というひとつのラブの形がそこで描かれることが多いのよね。そしてその話から、著者がボーイズラブに求めているものという話に繋がる。あたしはこれまで「ボーイズラブって、男女のラブストーリーを男同士に置き換えたもの」だと思っていたのだが、そうではないことを教わったよ。男同士でなければ描けない「関係性」があるのだということ。それが何なのかは9章を読んでくれ。
とまれ、おかげさまで、いろんな言葉を覚えました。おそらく、あたしの人生の中で最も役に立たないであろう専門用語を、数多く覚えました。リバーシブルとか。主従物とか。下克上とか。あ、「触手物」ってのがいまだにわからないけど。でもいいの。わからないままで。
(07.1.7)《詳細情報&注文画面へ》
今回は収録作に共通するテーマがあって、それが何かというと「ゲテモノ喰い」だ。うーん、「お姫様みたいな男の子」や「夜を彷徨う人々」が出てこないのは良いのだが(この著者の作品によく出て来る、この2種類のキャラクタがどうにも苦手なもので)テーマがテーマだけに、決して気持ちの良い話じゃない。何より、伊集院大介の短編集ってのが久しぶりな割には、過去のシリーズ短編集に観られたような「推理の妙」は殆ど無いのよねえ。せいぜい【地上最凶のご馳走】に謎解きテイストが見られるくらいで。グルメ系のミステリと言えば、過去に著者の書いた「グルメを料理する十の方法」なんてのはとても面白かったんだけど、それとも風合いは全然違うし。
【グルメ恐怖症】は、とある策略によって太らされてしまった依頼人の話。当節流行のメタボリックシンドロームが取り入れられているが、設定に破綻が大きい上、結末もスッキリしない。接待を仰せつかった外人客の注文に驚かされる【食べたい貴方】はあまりに素直な展開。もう一捻りあるだろうと思っていたんだがなあ。ラスト一文には脱力したけどさ。一生をかけて幻のラーメンを追い続けた男を描いた【芥子沢平吉の情熱】も、真相(というかオチというか)が随分と小粒な上に意外性がない。ここまではミステリではなく「奇妙な味わいのお話」というイメージかな。唯一ミステリとして成立しているのは、テレビ番組の料理対決の食材として輸入されたワニが逃げ出す【地上最凶のご馳走】。これも伏線という点では弱いんだけど、本書の中ではストーリー展開に動きがあって、一番楽しめた。
それにしても──全収録作に共通して思うのは、登場人物があまりに喋りすぎるということ。ストーリーも、状況説明も、心理描写も、すべて登場人物のセリフによって賄われている。それが昔からの栗本薫の手法でもあり、馴染んではいるのだけれど、それにしても今回は特にセリフだけで物語が進んでいく観が強かった。短編だからかしら。物語を読んでいるのではなく、ただ眼前で喋っている「お話」を聞いているだけになってしまい、物語に能動的に入って行けないってのは、なかなかモドカしいものなのよ。
(07.1.9)《詳細情報&注文画面へ》
文学全集を立ちあげる・丸谷才一/鹿島茂/三浦雅士(文藝春秋)
わ、これすごい、面白い! だってさ「芥川ははずそう」とかっていうんだよ? 「ロマン・ロランはいらない」とか。今までの文学全集だとあり得ないチョイス。その理由が「面白くないもの」「小説、下手だよね」とかってんだから。世界文学全集にはSFの巻を作ってヴェルヌやウェルズを入れたり、児童小説やポルノで1巻作ったり。日本文学には大衆小説も含めるってんで江戸川乱歩も入れるけど、「(乱歩は)小説としての出来ははなはだ悪い(が、業績は再評価すべき)」だの「夢野久作は乱歩に比べてももっと文体がひどい」だのってくだりは笑った笑った。
この鼎談がすごいのは、これ1冊読めば、世界と日本の文学史が網羅でき、格好のブックガイドになっているということ。そして、それら文学史に登場する、ありとあらゆる時代・ありとあらゆるジャンル──古事記、万葉集から松本清張、大江健三郎まで、ホメロス、ギリシャ演劇集からチェスタトン、ブラッドベリまで──の書き手ひとりひとりに対する、この三人の評価が読めるということ。つまりこの三人は、ジャンルも時代も飛び越えてそういうのを全部読んでるってことだもの。なんだかんだ言ったって、読んでる人にはかなわないと頭を垂れる。その解釈に圧倒される。「ヘミングウェイはハメットと1巻にしてもいい」というくだりには膝を打った。そうなのよ、ヘミングウェイって大衆向けハードボイルドのテイストが確かにあるのよねえ。
あ、っと思ったのは、三浦氏が高校生の書いた小説を読んで「コミックや村上春樹の影響は歴然としているのに、翻訳物の影響が驚くくらいない」と言ったくだり。それを受けて鹿島・丸谷両氏が「その時々で流行の技法があり、それに自分の体験を合わせれば、何か一応は書ける。しかしそれでおしまい。過去の様々な小説を読んでいろんな技法を知っておけば、もうちょっと作家生命が長くできるのに」という。「文化というものは複合体でできている、ということがわからない」ということ。これは、書き手を目指す人は肝に銘じるべきだ。本書は単に世界・日本のブックガイドという目的だけではなく、現代の書き手(或は読み手)へ警鐘を鳴らし蒙を啓かせることこぞがテーマなのだぞ。
(07.1.10)《この本の詳細情報&注文画面へ》
【ダナエ】展示中の絵画が切り裂かれ、硫酸がかけられるという事件が起こった。けれどその絵を描いた画家は、怒るでも訴えるでも無い。画廊に勤務する若い女性はそれが不思議で──。謎解きは、ある。確かにある。だからそういう意味ではミステリの範疇に入れても良いはずだ。けれど本編を読んで感じるのは、犯人が誰だとか目的は何だとかではなく、複雑にからんだ人間関係の中で、登場人物が皆、何かを放棄してしまったかのように見えるこの作品自体の哀しみだ。いや、作品そのものも、謎を解いて読者にカタルシスを与えるというミステリの様式を放棄し、読者を突き放して終わる。謎は解かれるのだけれど、そこから始まる終焉のドラマこそが胸に残る。無論、その突き放しに救いは見られるのだけれど──。ただ、むしろこれは長編でじっくり書き込んで欲しいと思われてならない。それだけの濃密さがある。中編に収まったことで逆に説明が多くなったり据わりが悪くなったりした観があるのがもったいない。
広告業界を舞台にした【まぼろしの虹】【水母】の二編にも通じるのだけれど、本書に出て来る男達は皆不器用だ。これまで著者が書いて来たハードボイルド系の男達もそうだったが、今回は特に、みっともないくらい不器用で哀れにすら思えるほど。けれどそんな不器用でみっともない男達に、どこか救いを作るのが藤原伊織なのだなとつくづく思うよ。
静かな──激しいほどに静かな作品集だ。なんか哀しくなっちゃうじゃないか。
(07.1.12)《この本の詳細情報&注文画面へ》
アイディアは面白いんだけど、どうにも荒っぽいなあという印象。ヘンな比較だけれど、これを岡嶋二人あたりが(あの緻密な構成とディーテイルに拘るテクノロジーの描写で)書くとめちゃくちゃ面白くなりそうなんだよね。でも哀しいかな、この面白いアイディアを煩雑にならず緩急をつけ長編にまとめるにはいかんせん筆力がまだ追いついてないのではないか、と感じた。スリルもサスペンスも人間ドラマも入ってはいるんだけど、その道筋がついていないとでも言うか。
最も気になったのは、スラップスティックをやりたいのかリアリズムがベースなのか、その世界観が一定しないところ。「この設定でこれはあり得ないだろー!」と突っ込みたい箇所が多々あるんだけど、「それもアリか」と思えるような漫画っぽいノリで読ませたかと思うと、一転、社会的背景を持ったシリアスな場面もあったりする。これは物語がどういう世界で、どういう前提で流れているのか、読者を戸惑わせてしまう。つっこむべきなのか笑うところなのか迷ってしまう。その迷いが、物語の展開自体も失速させてしまう。うーん、設定は面白いだけにもったいないっ。
ただ、文章はいいぞ。巧いぞ。シャレている。シャレてるのに平易で読みやすい。テンポもいい。言葉選びのセンスが抜群にいいのよ。おわっ、と思うようなキャッチィなエピソードもあるし、セキュリティのディーテイルも読ませる。キャラの造形も(多分に漫画ちっくではあるけれど)魅力的だ。つまるところ、描写力や表現力は新人らしからぬ巧さがあるってことだ。おまけに設定のアイディアも素晴らしいのだから、これは小説作法に慣れれば、いきなり大化けする可能性もあるぞ。次作におおいに期待だあ。
(07.1.13)《この本の詳細情報&注文画面へ》
飛ぶのがフライ・ジル・チャーチル(創元推理文庫)
サマースクールの下見で隣の州のキャンプ場に行ったジェーン&シェリイ。そこには他にも下見の参加者が。ところがこれが、なんか一癖ありそうな人ばかり。そして今回もやっぱりジェーンは死体に蹴つまづく。ところが大騒ぎして人に伝え、戻ってきたらその死体は消えていた──。死体消失、おまけに生き返りという、謎の種類としてはミステリ度合い(本格度合い)がこれまでの作品の中でも最も強いんじゃないかしら。謎解き自体はかなり簡単で小粒なんだけど、生活の中に隠された伏線のさりげなさは相変わらず巧い。
この大人気ドメスティック・コージーがどういう設定なのかは文庫解説を読んで戴くとして(宣伝か)、今回はちょっと毛色が違う。なんとなれば、ジェーンは親友シェリイと二人して旅行に行く訳で、つまり、いつもの家族も恋人のメル刑事もご近所さんも出て来ない。子供を学校へ送っていったり、夕食の支度をしたり、姑のセルマと火花を散らしたりといった、このシリーズの「いつもの風景」がまったく無いわけ。そういう意味では、これまでのドメスティック具合が好きだった人は拍子抜けするかもしれない。けれど逆に、「そうそう、主婦が家庭を離れるってこうなのよ!」という見地での共感は相変わらず100%だあ。
例えば、料理の時間があると聞いて、お勝手から解放されると思ってたのにとショックを受けるくだり。そうだよねえ、せっかく家庭を離れてるのに炊事なんかしたくないよなあ。ドライヤーやコーヒーメーカーまで持ち込んだのにキャビンに電気が来てなかったり、やっと見つけた電源はバスルームで、電話のジャックはリビングで、しょうがないからインターネットをするときはその中間地点の床の上でパソコンを広げたり(本国では97年の出版なので、まだ電話線が必要なの)。そうそう、ジェーンがメールを始めたってのも驚いた! それでエラーメッセージに苦労してるようわははは。なのでメルは出てこないけど、ジェーンはメールでメルに相談したりしてるのよ。マイクもケイトもメールで登場するぞ。そして何より、ジェーン&シェリイの主婦漫才が楽しい楽しい! いつもの家庭が出て来ないと不安になってる人がもしいたら、それは杞憂だと自信を持って推すぞ。
なお、ずっとこのシリーズの翻訳を担当されてきた浅羽莢子さんが2006年9月に急逝され、本書が浅羽さんの最後の翻訳作品となってしまいました。東京創元社では引き続きシリーズを出していくそうですので、ジェーンにはまた会えるけれど、浅羽さんの翻訳はこれが最後。残念です。とても面白いシリーズを紹介して下さった浅羽さんに、心からの感謝を。どうもありがとうございました。
(07.1.14)《この本の詳細情報&注文画面へ》
ここで紹介されるのは、脳性麻痺による重度の障害で酸素ボンベが手放せない体なのに、介助者に付き添ってもらってソープランドへ行き、サービスを受ける間は命綱である酸素ボンベを「邪魔になるから」という理由ではずす男性。股関節に障害があって出歩けないため、出張ホストを家に呼ぶ女性。障害者専門のデリヘルで働く難聴の女性。障害者に対して性的な介助(自慰や性行為の介助、あるいはその相手になる)を目的とした「セックス・ボランティア」をやっていた女性。知的障害者に性の意味と方法を教える団体。そして福祉先進国であるオランダに於ける、障害者対象のセックスボランティア団体の様子。障害者にセックス用の助成金を出しているオランダの自治体。結婚した障害者のその後などが、時には取材対象に寄り添い、時には戸惑い疑問を持ちながら、筆者は綴っている。
最初は読みながらちょっと不満だった。個別の例に特化し過ぎ、全体の客観的データがないことが物足りなかった。風俗産業を利用したことのある障害者の割合はどれくらいなのか。どれくらいの人が性介助を望んでいるのか、または望んでいないのか。障害者の客を受け入れるためには風俗産業の側には何が足りないのか(バリアフリーを取り入れてるソープってあるのかな)、介助者の意識調査などなど、そういう数値や統計があればもっと現状が分かるのになあと思ったのさ。でも。読み続けるうちに、そうではないことが分かってきた。性の問題って、おしなべたり平均値をとったりして分かるもんじゃないんだ。障害の度合いが皆違う、性欲の強弱も皆違う、性への抵抗感も違うし恋愛観も違う。そんな問題を平均で語れるわけがないのだ(現状を知るための参考資料としてはやっぱ欲しいけど)。
個々の事例は、声高に結論を主張するわけではなく、ただ筆者が見たまま聞いたままの話を淡々を書いて行くのがいい。それを読んで何を思うか、どう考えるかは読者に委ねられる。最初は「目が不自由でも本が読みたいと思う人のために点訳サービスや朗読サービスがあるのと同じで、体が不自由だけどセックスしたいと願う人のための風俗産業があるのは自然では?」と思っていたのだけれど、そんな簡単なことではない現状がここには綴られている。あたしも病人の介護は経験があるが、あのとき性の介助を病人が求めたとしたら、あたしはどうしたろう? などと考え、頭がぐるぐるしてしまう。問題は難しいが、決してタブー視してはならない。それだけは分かる。そのためにも、個々の事例のみならず、もっともっと踏み込んだものが読みたい・知りたいと思わされた。
(07.1.16)《詳細情報&注文画面へ》
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