百万のマルコ・柳広司(創元推理文庫)
ジェノヴァの牢では囚人たちが退屈していた。そんなとき、新入り囚人マルコ・ポーロが自身の体験談を語り出す。話をすることによって囚人たちを「退屈」という牢から解き放つために──。
痛々しいけど強くて前向きな、おばさん小説の誕生だ!
警官倶楽部・大倉崇裕(祥伝社ノンノベル)
警察マニアが集まって作られた「警官倶楽部」。警官のコスプレはもちろんのこと、尾行の達人や盗聴の名人、ガンマニア、覆面パトカーマニア、鑑識マニアまでいる。彼らはある日、仲間の窮地を救うために強盗を計画。コスプレで制服警官に化け、みごと三百万円を奪うことに成功した。ところが同じ日に、メンバーの子供が誘拐されてしまう。奪った金は急遽身代金に当てることにしたが──。
密室殺人ゲーム王手飛車取り・歌野晶午(講談社ノベルス)
本名も住所も年齢も互いに知らない5人が、ウェブチャットで展開する推理ゲーム。しかもその推理の対象となる事件は、メンバー自身が起こした実際の殺人事件だ。計画を練り、実行し、人を殺してきたその足で「出題」する推理マニアたち。「殺したいから殺すのではなく、使いたいトリックがあるから殺してみた」という彼らの「出題」はどんどんヒートアップして──。
うわあ、なんてステキな、なんて心地よい小説なんだろう!
落下する花 月読・太田忠司(文藝春秋)
人が死ぬと、その間際の思いがモノや現象になって出現する。それを月導(つきしるべ)と言う。その月導が読めるのは「月読」という特殊技能を持った者だけ──そんな世界を舞台に繰り広げられる、月導を巡る哀しい事件の数々が綴られる。「月読」(←文藝春秋のPR誌に寄稿した書評にリンク)に続くシリーズ第2弾が短編集でお目見えだ。
12年前に失踪した夫・貴之を探し続ける下澤唯。彼女は夫がいつ帰ってきても良いように、彼がやっていた探偵事務所を引き継ぎ、私立探偵をやりながら捜索を続けていた。そしてついに、佐渡で夫の姿を見かける。生きている、という事実に安堵しながらも、だったらどうして連絡のひとつもないのかと不安になる唯。──と、ここまでがシリーズ前作「観覧車」のお話。本作はその続きで、貴之の失踪の真相へと唯が迫る物語であると同時に、それに絡む複数の女性が自らの問題と向き合う物語でもある。
猫の神様・東良美季(新潮社)
雨の日、つい拾ってしまった2匹の兄弟子猫、ぎじゅ太とみャ太。ぎじゅ太は体が弱かった。それでも十年八ヶ月、一緒に暮らした。そしてある朝、彼は呆気なく逝ってしまう。呆然としながらも、残ったみャ太が僕を慰めてくれた。残されたもの同士、これからずっと可愛がって、仲良く暮していこう。しかしそのとき、すでにみャ太の体の中では異変が起こっていた──。ライターと飼い猫の日々を綴ったノンフィクション。
すべての四十〜五十代女性に、そしてその年代の家族を持つすべての男性に、これは絶対のお勧めだ!
朝日のようにさわやかに・恩田陸(新潮社)
「図書室の海」以来となるノンシリーズの短編集。いやあ、もう笑っちゃうくらいバラバラだなあ。
あははは、楽しい! パズラー小ネタ集、もしくはパズラー小咄集。一休さんのとんち話を読んでるみたいな気分。まるで「頭の体操」みたいな論理パズルや詭弁論理学みたいなネタが多いのだが、そんな小ネタでも、その構成と演出と語りでいくらでも面白くなるのだなあ。「何を見せるか」ではなく「どう見せるか」ってのは大事だと改めて思うよ。むろん、ネタがネタだけに大きなサプライズや感動はないのだけれど、代わりに「おお、巧いじゃないか」とにやにやできる。
そういう小ネタ集だから謎解きは総じてシンプル。だけど「あっ、そこに着眼するのか!」という楽しいサプライズに満ちている。ものすごーーーーーく些細なネタなのに「あっ」と思わされたのは【色は匂へど】。まさしく盲点をつかれた観がある。ちなみにこの話に出て来るいろは歌の解釈は笑えるぞ。ありがちなネタなのに捻りが巧いのは【山の老人】。そういうのに比べると表題作はロジカル過ぎて(いや、ロジカルでなくちゃ困るんだけど)すぐに真相が分かってしまうほど。かと思えば「んな無理矢理な!」と思うようなものもあって、良く言えばバラエティに富んでいる、ありていに言えば玉石混淆な短編集。でもその落差の激しさもまた魅力なんだよなあ。「ほお」と感心したかと思えば「なんじゃこりゃ」と苦笑したり、唸ったりつっこんだり、そういうのをひっくるめて「読書が楽しい」一冊なのよ。ラストの一編【騙りは牢を破る】は連作の〆としてキレイに着地が決まってる。
テイストとしては、高田崇史の〈ぴー君シリーズ〉をアジモフの「黒後家蜘蛛の会」や「ユニオン・クラブ綺談」の方法論で書いた、といった感じかしら。とにもかくにも、著者の器用さ(今に始まったことじゃないんだな、これがまた)に思わずにやにやしちゃう一冊。
ところで「百万の」というイタリア語には「嘘つき」という意味がある由。日本語にすれば「嘘八百」がそれに当たるのかしら。八百と百万じゃあ、同じ嘘でもスケールが違うなあ。文字通り桁違いだ。
(07.3.16)《詳細情報&注文画面へ》
ママの友達・新津きよみ(光文社)
45歳の典子のもとに、中学時代友人たちとやっていた交換日記が送られてきた。発信者は不明、メッセージなども入っていない。不審に思う典子だったが、一人娘の美咲が交友関係にトラブルを抱えているようで、そちらの心配の方が大きい。ところが、その交換日記のメンバーだった一人が殺されるという事件が起き──。
と書いてしまうと犯人探しのミステリのように思われてしまうかもしれないが、そうではないのでご注意を。これは45歳という年齢になった3人の女性が、それぞれの生活で抱えている問題と向き合いながらも、中学時代の友達の死をきっかけに今の自分を見つめ直す物語である。
四十代女性が主人公の小説って、実はあまり多くない。青春十代、花咲く二十代、恋も仕事も両方頑張る三十代。そんな小説が多い中で四十代となると、途端に影が薄くなる。でなければいきなり桐野夏生の「OUT」みたいになったりするのだ。本書にこんな言葉がある。「団塊の世代と男女雇用機会均等法世代に挟まれた、中途半端で忘れられやすい損な世代である」と。実に言い得て妙だとは思いませんか。でも四十代ってすごくエキサイティングな年代。何がどうエキサイティングなのかは本書を読めばわかるぞ。
そんな世代の典子、久美子、明美。典子は専業主婦で、不登校になりそうな中学生の娘に悩んでいる。明美は四十を過ぎてシングルマザーになる道を選び、実家を出て働きながら一人で赤ちゃんを育てている。そして久美子は早くに結婚したため子供はすでに独立し、孫までいるが、夫との間に問題を抱えていた。
序盤で、娘の交友関係を質そうとした典子に向かい、娘は「ママに友達はいるの?」と詰問するシーンが印象的だ。そのとき、典子は気付く。PTAの付き合いはあるが、自分には友達がいない、ということを。どきっとする。仕事も子供のつながりでもない「友達」を四十代主婦が持てるかと言われたら──確かに難しいよなあ。このエピソードでいきなりぐわっと掴まれた。
いいなあ、と思うのは、今日日流行りの自分探しではないところだ。まず自分が立っている足元をしっかり固めようとする三人の中年女性。日常を脱却するのではなく、日常をより心地よい強いものにしていくために戦うおばさんたち。それは極めてリアルで、そして親近感が湧く。娘との関係、夫との関係、実家との関係。そういうモチーフはダイレクトに女性読者の共感を呼ぶだろう。けれどそれだけではない。性別世代を超えて届くエールがある。がんばれ、おばさん!
(07.3.18)《詳細情報&注文画面へ》
いやあ、エンターテインメントB級活劇って感じで楽しい楽しい。一章が短くてポンポン進むテンポの良さ、漫画みたいなアクションシーン、敵方もトボけてて、つまりはドタバタ劇。でも構成はきっちりしてて。軽くてサクサク読めるからどこでも中断できるぞと家事の合間に読み出したら、そのまま止まらなくなって一気読みしちゃったよ。それほどまでに「ノリのいい」快作なのだ。なんだか活劇成分が後半どんどん肥大していって、警官マニアという設定が後半には関係なくちゃったのは残念だけど、物語のとっかかりとしてはすごく魅力だし。
ただ、実は大きな不満がひとつ。紅一点のかすみちゃんの造形がそれ。この警官倶楽部には、尾行だの盗聴だのの、なにがしかの特技が持った人たちが集まってる筈なのよね。それも、そんじょそこらのレベルじゃない、マジにヤバいってくらいの人たちが。例えば、身代金受け渡しのときに尾行を担当する尾行の名人なんて、ゾクゾクしちゃうくらい「そのスジの人」って感じだし、鑑識マニアの落合さんなんかもいかにもで、そのうえちゃんと鑑識マニアとして結果を出すし。翻ってかすみちゃんは。剣道の有段者で特殊警棒を使うのが巧いっていうのがまぁ特技と言えば特技なのかもしれないけど、それはぜんぜん「マニア」ではないし、武闘派は他にも居るし、どうも「紅一点」以上の存在には見えないのよ。身代金を運んで犯人の言うがままに走らされ、彼女に任されるのは保護した子供の世話。オタクなメンバーの協力を取り付けるための餌として、写真モデルをやらされる。おまけに、犯罪行為になるようなことをするときは、かすみには内緒にする(つまり、庇われる)わけで、これってどうなの?
他のメンバーがそれぞれ技を持ち担当分野を持ってる中で、かすみちゃんは「女性である」というだけの意味しかないように思えるのよね。期待されてるのは「子供の世話」と「作戦としてのルックス利用」。これが、かすみちゃんの「技」だとは思えない。斉藤美奈子の「紅一点論」を引くまでもなく、これはウルトラマンのフジ隊員、ヤマトの森雪、ガッチャマンの白鳥のジュンの系譜だ。もうちょっと、かすみちゃんにも「マニア」なところをつけてくれても良いと思うがなあ。
(07.3.20)《詳細情報&注文画面へ》
うわあ、なんちゅう設定だ。「実際にやるのかよ!」という部分とか、「こいつら、なんか腹立つ」とかとかって部分はさておき(さておくのか!)、ここで展開される個々の推理クイズは、なるほどこの設定ならではだと変なところで感心した。というのも、ここに出て来るそれぞれの事件を使って短編なりなんなりを書いたとしても、心情的リアリティや社会的リアリティのなさというか、いかにもパズルのためのパズルにしか見えないっていう弱点があるわけよ。ところがこんなふうに最初から「推理マニアのための出題です」「思いついたトリックを試したかったんです」という設定にされてしまうと、「あ、だったらこういう冗談みたいなトリックもありか」と思えてしまうものなあ。
で、推理クイズなら推理クイズで、こっちもリアリティやワーカビリティ(実行可能度合い)などを気にせず、純粋に謎解きに挑戦できるわけだ。実際、一話目のミッシングリンクの問題なんて、共通点は分かったのに「次はどこ」というのが分からなくて、とても悔しい思いをしたし。<楽しんでるじゃん。これが謎解きクイズであるという点に於いて、登場人物のこんなセリフがある。
「殺人事件が起き、犯人が百個手がかりを残していたとして、警察はその百個すべてを拾い上げる必要はないよな。(中略)けど、オレらがやってるのは犯罪捜査じゃない。推理ゲーム、推理パズルだ。ジグソーパズルはひとつのピースでも余ってたら完成とはみなされない、だろ? 同じように、出題者がばらまいた手がかりは余剰なく回収し、隙間無く台紙にはめ込んで一枚の絵として完成させてもらわないと」(p.150)
ああ、これはまさに本格ミステリのルールであり、だからこそ本格ミステリが面白い所以でもある。「受けて立とうじゃないか」と血湧き肉踊る本格ミステリの古き良き骨組みだ。ただまあ、犯人と動機(の不在)は既に分かっているので、ハウダニットにしか成り得ないってのがちと残念。ハウダニットって「わかった!」の先が無いんですもの。
けれど歌野晶午はそこに更に「実行する」という設定を加えた。「殺したいから殺すのではなく、使いたいトリックがあるから殺してみた」というのを、ごく普通のことのように話し、実際に殺してしまう人たち。完全に遊びとして、人を殺す人たち。そこには「自分」と「自分以外」しかいない。そして「自分以外」はひっくるめて「自分」より軽い。そんな肥大した自我の恐ろしさが見える。パズル性の高い設定だからこそ、逆にリアルな恐ろしさが生まれる。さすが、巧い。
エピローグは(好みの問題ではあるけれど個人的には)蛇足のように思える。311ページ(7章の最後)で終わっても良かったんじゃないかしら。
(07.3.20)《詳細情報&注文画面へ》
夜は短し歩けよ乙女・森見登美彦(角川書店)
舞台は京都、主人公は大学生二人。「先輩」と、彼が恋した「黒髪の乙女」だ。春には夜の先斗町で、夏には下鴨の古本市で、秋には大学の学園祭で、そして冬には風邪が流行る京都の町中で、「先輩」は「乙女」を追い求め、「乙女」はにこにこと歩き続ける。その顛末や如何に。
ああ、いいなあ、これ。「先輩」と「乙女」がそれぞれ交互に語り手となって紡がれる一年の物語だけれど、ストーリーがどうこう言うまえに、ただひたすらに文章が心地よい。リズムがいい。明るい。楽しい。ポップでキュートだ。軽さをキープしつつも、しなやかな知性がふんだんに溢れている。そして何故か懐かしい。そう、なんだかもう、無闇矢鱈と懐かしいのだ。文章が。そしてこの世界が。著者は1979年生まれとのことだから、彼の知っている大学生と私の知っている大学生には15年の開きがある筈なのに、なんかもうたまらなく懐かしいのだ。どうしてだろう。ストーリーがどうなるかってなことより、ただこの文章の気持ちよさに身を委ねていたい気持ちにさせられる。
二人が行く先々で出会う変な人たちとの交流も、いったいどこへ行き着くのかわからない暴走をみせるファンタジックな展開も、最後まで読んでも明かされない謎めいた出来事も、すべてひっくるめてひとつの気持ちよい世界を形作る。その中枢にあるのが、なんともいえず朗らかで天真爛漫な「乙女」だ。【夜は短し歩けよ乙女】で偽電気ブランの飲み比べをする乙女も、【深海魚たち】で絵本を探す乙女も、【御都合主義者かく語りき】で緋鯉をかぶって芝居をする乙女も、【魔風邪恋風邪】で一人だけ風邪をひかない乙女も、とにかくもう、女のあたしから見ても全身全霊でキュート。そしてそんな乙女を追い続ける「先輩」も、オクテで妄想ばっかり膨らませながらも理論武装する様子がなんとも可愛らしい。つまるところ、最高にキュートな二人の恋愛小説なのだ。なむなむ!
初心を達成するまでパンツを替えない男性とか、古本を手に入れるために我慢大会に参加する人だとか、酔っぱらいのズボンを奪うのを楽しみにしてる人だとか、挙げ句の果てには「古本の神様」だとか咳で竜巻が起こるだとか、もういったい何を書こうとしてるんだってなエピソードの集積なのだけれど、それが「乙女」と「先輩」のキャラ&語り口調になってすべてが幸せ色に包まれる。天真爛漫って、最強の性格かもしれない。すれて汚れた小狡い自分に恥じ入るばかり。素直には素直が返ってくるのだ、とにこにこしちゃう。これはいいぞ。溢れんばかりの知性が奔放に飛び回りひとつの宇宙を形成する。恋愛小説の傑作だあ! なむなむ!
ちなみに、第二章【深海魚たち】で乙女が探していた絵本「ラ・タ・タ・タム」はこちらです。えっ、絶版じゃないよちゃんと流通してるよお嬢さん。そんな苦労して古本市を探さなくても書店で買えるよ! ……いや、それじゃドラマにならないか。っていうか、この絵本、出版が1992年! そうか、今の大学生って、80年代後半の生まれなんだ。がーん。
(07.3.22)《詳細情報&注文画面へ》
本シリーズでの探偵役はその「月読」ということになるが、彼が本書で為すのは事件の真相を暴くことではない。月導を読み取った結果からは真相を漠然と想像するのが関の山で、あとは物語の中で真相が解きほぐされて行く。つまり本格ミステリという体裁から考えれば、月導は読者に対してフェアに与えられる手がかりのひとつに過ぎないわけだ。ただ、従来のリアル社会を舞台にしたのでは呈示するのに手間のかかる手がかりを、ぽんと見せてくれる。それによって話がすぐに動く。おまけにドラマも込められるわけで、便利なアイテムを考えたものだよなあと感心。
けれど月導や月読は、ただミステリの進行に便利だから存在するわけではない。探偵としての月読の役割は、謎を解くことによって関係者を救うことだ。死者の思いに囚われず、今、生きている人を救うことだ。月導などという死者に囚われずにはいられない設定を生み出しながら、その月導を読む人物を探偵に据えながら、それらを掘り下げることで太田忠司は逆説的に「死者に囚われるな」と説いているのである。
4編が収められているが、中でも三作目【般若の涙】が秀逸だ。不意の交通事故で命を落とした母親。その場に現れた月導は般若の顔のように見える大きな結晶だった。そのせいで故人は「実は般若のような心の女だったんじゃないか」と近所の人に噂されてしまう。その噂を否定したくて、遺族は月読を呼び、その月導を読んでもらうの。この短編には、メインとなっている事件の他に、会長の月導を読んでもらったばかりにトラブルが起きる会社の話が出て来る。般若の月導を見て近所の人たちが心ない噂をするのも、会長の遺志を知って社員が戸惑うのも、それらはすべて生きている人々の問題。生きているということは、現状を変えることもできるし、間違いを改めることもできるってことなのだと、そんなことを考えながら読んだ。同時にこの【般若の涙】は、月導という「ルール」を巧く謎解きに組み込んでいて、ミステリとしても巧いぞ。
(07.3.22)《詳細情報&注文画面へ》
回転木馬・柴田よしき(祥伝社)
たまらんなあ。だってさ、失踪して12年ですよ。死んでるかもしれない、という恐怖はずっとあったわけで、生きているということが分かっただけでも僥倖。でもさ、生きてるのに12年間連絡がなかったってことは、考えようによってはもっとマズいよね。だってそれは「自分の意志で連絡しなかった」──つまり「自分から逃げた」って可能性を指しているわけだから。「生きていた」という喜びと、「だったら何故連絡しない」という疑い、この二つがないまぜになって生み出す唯のジレンマが切ないほど伝わって来る。事情は唯より読者の方に先に知らされるため、悩む唯を見てる(読んでる)のがもう辛くて可哀想で。
最も印象的だったのは、物語の後半で、貴之の失踪を「手助け」していた人物と唯が向き合うシーン。失踪には理由があった、唯には申し訳ないがこれこれこういう事情なのでもうちょっと我慢しちゃくれまいか、というのがその人物の言い分。このくだりの話の展開は、安易なドラマなら唯が我慢する──身を引くところだと思うのよ。12年探し続けた夫の無事を確認し、他の人物の幸せのために身を引く女ってえ演出をするところだと思うのよ。でも、本書ではちょっと違う。唯はその人物にはっきり言うのだ。「皆さんが私に対してした仕打ちは、とても、とても残酷なものだった」と。そう言って相手を断罪するのだ。一人(あなた)の幸せのために他人(私)が不幸になる、だから止めろとは言えないが、一人の幸せの影で不幸になった他人がいるのだという自覚だけは持っているべきだと、物語は告げる。甘えるな、と。そこに強く共感する。
また、本書には唯だけでなく、さまざまな問題を抱えた女性が登場する。その過程で第三者の目から見た唯が描かれるため、唯の造形が客観的且つ立体的になっていくのが巧い。そして唯が夫の失踪とその真相という問題に自分の中で折り合いをつけていくのと同様、他の女性もそれぞれ自分の問題と対峙する様子が描かれる。貴之云々より、むしろそちらがメインかもしれない。時にはひとりで、時には他人から助けてもらいながら、懸命に戦う女たちが読者に与えてくれるいろんなものが、読み終わったときには心の中にしっかり形として残る。そんな物語だ。お勧め。
(07.3.25)《詳細情報&注文画面へ》
いやーっ、この説明書いただけで泣けるーっ。あたしはもともと犬猫にはまったく興味のないクチで、飼った事もなければ飼いたいとも思わないのだけれど、それでもこれはクルぞ。だから猫好きの皆さんに於かれましてはハンカチを用意するがいい。十ヶ月にわたるみャ太の闘病の記録。もうたまらん。
猫が発作を起こす度に、自転車で猫を背負って、獣医と家の間を何度も何度も往復する。刺身を食べたと言っては喜び、苦しがっていると言ってはまた自転車を漕ぐ。闘病の、看病の、病態のディーテイルが、日常の中に細かく記され、読んでいるこちらも目の前でみャ太が横たわっている気持ちになる。
でも、猫は何も言わない。小さな体の中で病気と闘って、もう力も残ってなくて、それでもトイレはちゃんと決められた場所でやっていたみャ太が、ついにトイレ以外の場所で粗相をしてしまう。そのくだりに胸が詰まった。猫は何も言わないのだ。苦しいとも、痛いとも、助けてくれとも言わないのだ。それが看病する側にとって、どれだけ辛いか。
闘病して九ヶ月。著者は思う。「みャ太は決して僕のために生きているわけではない」「大切なのは判断を誤らないこと。自分がやるべき行為だけを考えよう。それはみャ太を出来るだけ楽に生きられるようにしてやることであり、もし彼が死に向かっているとしたら、できるだけ苦しまずに死なせてやることだ」と。けれどいざその時が近くなると、著者は慟哭する。「猫の神様を呪った。誰の猫だと思ってるんだ。お前のじゃない、俺の猫だ。俺の大切な相棒だ、そう呟いた」「そう簡単にお前の元になんかやらないぞ、悪態を吐いて恨んだ」と。そして今際の際にかつてないほど苦しんでいるみャ太を見て「もう頑張れとは言えなかった」とうなだれ、けれどなんとか持ち直して眠るみャ太を見て「何が出来るんだ、何をすべきなんだと自分に問いかけた」という著者。
前述したように、あたしは犬猫には興味はないし飼ったこともない。だからペットを愛する人が、ペットの死にどのような思いを抱くのか、これまでは正直分からなかった。「っていうか、猫(犬)でしょ?」と思っていた。けれど、本書を読んで初めて理解できた気がする。なぜなら、この一連の著者の思いは、あたしが家族を病気で亡くしたときとまったく同じだったからだ。ペットは家族──それを初めて実感としてあたしに教えてくれた本だった。極めて個人的な思いから出た感想なのでお勧めマークはつけないが、強い印象を残してくれたことは間違いない。
(07.3.27)《詳細情報&注文画面へ》
あなたがパラダイス・平安寿子(朝日新聞社)
三作の短編とそれらをまとめた短いエピローグからなる本書は、いずれも四十〜五十代女性が主人公。彼女たちの共通点はふたつあり、そのひとつが「更年期」だ。【おっとどっこい】では独身の50歳。男性関係に困った経験がなくテキト〜に遊んでいたが、閉経と共に性欲がなくなった敦子。【ついに、その日が】では53歳の主婦。ホットフラッシュ(ほてり・のぼせ)や目眩などの更年期の症状に悩まされているその時期に、夫の両親と自分の両親が相次いで倒れ、介護が一気にのしかかって来たまどか。そして【こんなはずでは】はバツイチ子無しの43歳。生理不順もイライラも離婚のストレスだとばかり思っていたら、病院で更年期だと言われ婦人科を勧められたことにショックを受ける千里。
とにかく、共感と納得の嵐。【ついに、その日が】では、自らの更年期障害と、なかなか独立しない子供と、親が倒れるという時期が重なる。これは年齢的に見てほとんどの人に当てはまる構図だ。更年期障害で体調が悪いからと、何もしないでいられる年齢ではない。むしろ「嫁」として「母」として「娘」としての義務が一度に襲ってくる時期なのだ。人によってはそこに「仕事」まで加わるのだし。また、【こんなはずでは】の中に、こんなセリフがある。「初潮や妊娠、出産については学校や親からいろいろレクチャーされるのに、更年期となるとほとんどの人が、症状が出るまで何の準備もしないのよね。そして、症状が現れたら、それに振り回される」──ここを読んで、「ああ、ホントにそうだ」と深く感じ入った。
なんてことを書くと、暗い暗い話だと思われるかもしれない。でも、正反対だ。これはものすごく元気の出る、更年期の女性に向けた応援歌なのだ。上に、主人公三人の共通点は二つあると書いた。ひとつは更年期だが、もうひとつは「ジュリーのファン」ということ。ファンの度合いはそれぞれ異なるが、彼女たちは青春時代に熱狂したジュリーへの思いを持ち続けることで、「ワクワク」をキープするのだ。随所に挿入されるジュリーの歌が効いている。現実は厳しく残酷だが、楽しい事を忘れちゃいけない──そんなメッセージが込められている。更年期は誰にでも来る、ちゃんと向き合えば必ず乗り越えられる。頑張らないで、心に空気穴をあけて、熱中できるものを無くさないで。更年期のあとにあるのは「老後」じゃない、まだ来ぬ明日は常に「未来」なんだから。
元気が出る。身につまされ、その分辛い箇所もあるが、それでもとてつもないパワーと元気と心の準備と「肯定」と「明るく前向きな覚悟」を、本書は四十〜五十代の女性に与えてくれる。今、この小説に出合えて本当に良かった。もう一度書いておこう。すべての四十〜五十代女性、そしてその年代の家族を持つすべての男性は、これを読めっ!
(07.3.29)《詳細情報&注文画面へ》
「麦の海に沈む果実」「黄昏の百合の骨」の番外編となる【水晶の夜、翡翠の朝】はアンソロジー「殺人鬼の放課後」に収録されたもの。お馴染みの世界を舞台にした本格ミステリで安心して読める。【あなたと夜と音楽と】はアンソロジー「「ABC」殺人事件」に収録されたもの。DJの会話だけで進む本格ミステリ。でもって、ロジカルなミステリはこの2作だけなのよね。どっちも既読だったので、ミステリ好きとしては残念。うー、もっと本格ミステリ書いてくれないかなあ。
その他は全般にホラーテイストが強いものが多く、【冷凍みかん】【赤い毬】【深夜の食卓】【淋しいお城】【卒業】はジャンルとしてはホラーになるんだろうな。この中では【冷凍みかん】が秀逸。ものすごく奇妙な味わいの、あり得ないと分かっていながらもぞくっとさせる物語。冷凍みかんっていう、ものすごく日常的な可愛らしいものをモチーフにしながら、とんでもないところに話を持って行く。これは巧い。
【ご案内】【いいわけ】はショートショートで、どちらも皮肉の効いたブラックな内容。
【おはなしの続き】【楽園を追われて】は普通小説っていう括りになるのかな。こういう普通小説もいいと思うなあ。もともとファンタジーやホラーが苦手だから尚そう思うのかもしれないけど、こういう普通の人々の生活を描いたものももっと読みたいなと思わされた。ディーテイルが巧いから引きつけられるんだろうな。特にオチのない、ただのシーンの描写だけでも読ませてしまう地力があるというか。
表題作は読みながら「現実とフィクションを行ったり来たりするような、ちょっと変わった構成だな」と思ったのだが、あとがきで辻原登の「枯葉の中の青い炎」の影響があるかもしれない、と書いてあるのを読んで膝を打った。まさに「現実と虚構の境目を行き来する」話だもの>「枯葉の中の青い炎」。ただ、モチーフがあまりに違うので気がつかなかったよ。
(07.3.30)《詳細情報&注文画面へ》
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