10ドルだって大金だ・ジャック・リッチー(河出書房新社)
ああ、なんてシャレた作品集なんだ! 希代の大傑作というわけではないけど、思わず顔が緩んじゃうような、ライトな味わいでツイストの効いた作品集。巻末の寄稿を読んで膝を打った。それによると、「このミス」で1位をとった著者のもうひとつの短編集「クライム・マシン」は、投票者が「これがベスト!」と思って推したのではなく、「今年の収穫を6冊挙げるならこれも入れておきたい」というレベルの票が積もり積もっての1位だったんだとか。本書もまさにそれで、決して「イチオシ! 傑作!」と宣伝するようなものではないのだけれど、「何か面白い本、ない?」と聞かれたときに「そうだなあ、ジャック・リッチーは楽しいよ」と相手を選ばず気軽に返せるような、そんな短編集なの。
ぼくは幼稚園の頃から他の子供と違っていた。ぼくにはお父さんがいない。見た目がみんなと少し違うので、ガイジンの子と噂されていた。でもぼくは知っている。母さんはソ連で遺伝子の研究をしていた。ぼくは、シベリアで見つかったクロマニヨン人の遺伝子を母さんに人工授精して出来た、クロマニヨン人のこどもなんだ──。
眠り猫 奥絵師・狩野探信なぞ解き絵筆・翔田寛(幻冬舎文庫)
徳川家に仕える奥絵師・狩野家の跡取り息子である探信は、ひょんなことから将軍の前でライバルと絵の競作をすることに。お家の命運がかかっている大事な勝負の前だというのに、何のアイディアも浮かんでこない。そんな時、探信の前に一枚の幽霊画が持ち込まれた。同時に、ある芝居小屋で俳優が幽霊を見たという話になって──。
救急救命センター部長・速水は「血まみれ将軍(ジェネラル・ルージュ)」と呼ばれる腕利き医師。助けた命は数知れず、彼を慕うスタッフも多い。ところが愚痴外来・田口のもとに、速水が出入り業者と癒着しているという密告文書が届いた。その真偽を田口が探っていくのだが、そこに厚労省のロジカル・モンスター白鳥や、前作でドジな眼鏡っ娘ナースとして登場した氷姫も加わり、事態はどんどん紛糾して行く──。パチスタ・シリーズ(他社刊行のものも含めれば)第4弾。
みぃつけた・畠中恵/柴田ゆう(新潮社)
「しゃばけ」シリーズから生まれた絵本。体の弱い若旦那が、まだ五つの幼い子供だったときの話。自分と妖怪の関係もまだ知らない、幼い子供だった一太郎が、初めて鳴家と出会ったときの物語だ。
玻璃の天・北村薫(文藝春秋)
時代は昭和初期。華族のお嬢様である英子と、お抱えの女性運転手・別宮(通称ベッキーさん)による連作ミステリ。「街の灯」に続くシリーズ2冊目になる。まえは本格ミステリマスターズの叢書のひとつとして出たのに、2作目は叢書外ってのがちょっと据わりが悪い気もするが、まぁ瑣末ですね。
ウエディング・プランナーは凍りつく・ローラ・ダラム(ランダムハウス講談社文庫)
ウエディング・プランナーのアナベルは、結婚式当日、会場のディスプレイのひとつである虎の形をした氷の彫刻に、嫌われ者のシェフが刺さって死んでいるのを見つけた。知り合いが逮捕されてしまったのをきっかけに、アナベルはお馴染みの仲間たち──おしゃれで神経質なケイタラーのリチャード、言葉の言い間違いが多いブロンド美人のアシスタントのケイト、推理マニアのおばあちゃん・リートリス──と一緒に調査に乗り出した! 「ウエディング・プランナーは眠れない」に続くシリーズ2作目。
ご存知夏目漱石の『吾輩は猫である』をモチーフに、あの猫を飼っている先生宅の書生目線で語られる物語。書生に入ってはみたものの、先生は予想以上の奇人変人で苦労させられる。けれどちょっと面白い事件もあったりして──。『猫』に登場するエピソードを書生目線で描き直し、それを謎解きミステリに仕上げると言う趣向。ヤングアダルト向け叢書「ミステリーYA!」の一冊だ。
17歳の凪は、奔放な母親と二人暮らし。夏休み前のある日、普段あまりつきあいのなかった級友から、買い物に誘われる。その後、その級友が置き手紙を残して家を出たと聞いた凪は、なりゆきから彼女を捜し始めるのだが──。ヤングアダルト向け叢書「ミステリーYA!」の一冊として出された女子高生ハードボイルド。
図書館危機・有川浩(メディアワークス)
メディア良化法施行による検閲に対抗するために戦う図書館部隊。高校時代に運命の出会いをした「図書館隊の王子様」に憧れて図書館隊に入隊した熱血バカ・郁だったが、前作の最後で、その王子様が直属の上司、堂上だったことを知ってしまい──。人気シリーズ3作目。
ツイストの効いた巧いミステリ短編集といえば、最近ならジェフリイ・ディーヴァーの「クリスマス・プレゼント」を思い出すが、あれよりもぐっとライト。とにかく、二転三転する展開ににやにや笑いが止まらない。皮肉で、ふざけてて、そして気持ちいい。
妻を殺して庭に埋めたと疑いをかけられる【とっておきの場所】、青酸カリを隠してしまった子供たちに刑事が弄ばれる【毒薬で遊ぼう】が特に印象的。金庫のお金があるべき金額より10ドル多いという出来事を巡っておきるドタバタ【10ドルだって大金だ】は、とても巧く出来たシチュエーションコメディを読んでるみたいだし、強盗を働いたあとでスーパーマーケットの一室を隠れ家にする【世界の片隅で】はオチに感心。【誰も教えてくれない】【可能性の問題】【第五の墓】【ウィリンガーの苦境】【殺人の輪】はヘンリー・ターンバックル刑事シリーズ。これが楽しい! いつもじゃないけど、絶妙に推理をはずすのよ。そのはずし方が面白い。特に【誰も教えてくれない】は、本格ミステリ好きが陥りやすい陥穽を逆手に取ったコメディで、思わず笑ってしまう。無敵の新人ボクサー【キッド・カーデュラ】は、ボクサーの正体は比較的早く分かってしまうのだけれど、なんとこの「カーデュラ」を探偵役にしたシリーズもあるんですって。これは読んでみたいなあ。
とまれ、「読まなきゃ損!」という類いのものではないけれど、通勤のお供に一編、寝る前に一編、トイレで一編。そういうときに楽しい一冊。 (07.4.1)《詳細情報&注文画面へ》
四度目の氷河期・荻原浩(光文社)
本書は主人公ワタルの幼児期から18歳までを綴った成長小説だが、一般のそれと決定的に違うのは、彼自身が「自分はクロマニヨン人だ」と信じているところにある。差別され、孤立させられたワタルは原始人としての自己をひたすら追求するのである。石を研いで石器を作る。学校の勉強も原始人として必要なものしかしない。中学に入ってもクラブ活動などするつもりは毛頭なかったが、陸上部の顧問がやっている「槍投げ」を見て入部を決める。
ワタルが果たして本当のクロマニヨン人の遺伝子を受け継いでいるのかどうかは本書をお読み戴くとして、大切なのは、彼自身がそう思い込んでいるということだ。このワタルは「僕は他の子と違う」というコンプレックスに「クロマニヨン人の子供」という逃げ道を見つけ、「他の子と違う」=「僕はスペシャルな存在」と正当化しようとしている。人と違っていることにカッコヨサを見いだしている。正直、最初はそこにイライラした。実際、「ぼくは、普通の人間とは違うんだ」と言ったときには誇らしく感じ、サチから「誰だって、普通とは違うよ」と言われたとき、むっとしたワタルがいる。身近にいたら、肩をつかんで揺さぶりなら「目を覚ませ!」と叱りつけそうだよあたし。
とは言え、自分ではない何かに憧れるのは若いときにはありがちなことだ。かくいうあたしだって、読みながら自意識が服を着て歩いていた若い頃の自分を思いだし「ぎゃっ」と赤面したりしたもの。だから、ワタルがただコンプレックスの裏返しとして突拍子も無い「優越感の根拠」に浸っているだけだったら、本書をさほど評価しなかったろう。けれどワタルの「思い込み」は一本スジが通っていた。決して「逃げ道」ではなかった。自分がクロマニヨン人の息子だと信じているからこそ、スケールの大きな視点を持ち、お仕着せではない自分自身の価値観を持って強くなっていく。その様が見事だ。自分が何者なのかという〈自分探し〉はすべての人に共通するテーマだが、若い頃に「こうありたい」と強く願ったことなど忘れたような顔をして、「普通」に生きる大人のなんと多い事か。ワタルは思う。「地球の歴史からいえば、今はつかの間の夏だ。人類はみんな宿題を片付けないまま、永遠に夏が続くと信じこんでいる。計画性のない小学五年生みたいに」──宿題を放り出したまま、そんな宿題などなかったかのような顔をして大人になった自分を、思わず顧みた。
(07.4.4)《詳細情報&注文画面へ》
文庫書き下ろし。なんとなくシリーズになりそうな気配。絵と謎解きがリンクするなんて、なんだか高橋克彦みたいでわくわくするよ。狩野派といえば江戸時代の御用絵師というくらいしか知らなかったけど、いろんな傍流があったんだねえ。調べてみたら、この探信は狩野探幽の直系で鍛冶橋狩野家の家柄。他にも浜町、中橋、木挽町などに分かれていた由。鍛冶橋狩野家は禄高百石の旗本格にして、御目見得と帯刀を許されてるってんだから、たいしたものだったのだなあ。<でもこの百石ってのは決して多くないことが本編で分かるんだけど。と同時に、絵を書くのみならず鑑定までやるらしい。
最も興味深かったのは、狩野派の絵の特徴が述べられていたこと。それも説明ではなく、物語の中で巧く「狩野派の絵とは」という命題を絡めて出してくる手腕に感心。思わず狩野派(特に探信)の絵をネットで探してしまったほど。
謎解きの方は、どちらかといえば明朗時代小説的趣が強くて、推理させ考えさせるという色合いが薄かったのが残念。道具立ては本格で、特に襦袢姿だけで娘が死んでいたくだりの謎解きなんかは「おお!」と膝を打つほどエレガントだし、他にもきちんと「ああ、これが伏線だったのかあ」という仕込みに感心させられたし。けれど全体を通してみれば、ストーリーの動きそのものにやはり若き探信の活劇要素が目立っちゃうのね。もちろん、それはそれで楽しい。特にお小姓がラブリィだし。
それにやはり本編の眼目は「絵比べ」にあるわけで。謎解き部分は言うまでもなく時代ミステリとしての本作には大事なんだけど、それもつまるところ、「狩野派跡取りとしての探信の開眼」のために存在している。謎を解くことにより、同時に探信の絵の工夫を仕上げさせるという趣向。だとするならば、もうちょっとその二つが強力にリンクしていても良かったかな、という気もする。
(07.4.5)《詳細情報&注文画面へ》
ジェネラル・ルージュの凱旋・海堂尊(宝島社)
読み始めてすぐに「あれ?」と思った。吐血した歌手を東城医大病院が受け入れるという物語の冒頭が、二作目の『ナイチンゲールの沈黙』の始まりと同じなのよ。しばらく読んで腑に落ちた。つまりこれは『ナイチンゲールの沈黙』と同時期に、同じ病院の別の部署である救命救急センターで起こった事件を描いたものなのである。二つの話は時制的には同時進行だったのね。そう思って読み合わせると、この裏でこんなことがあったのかとにやにやできるぞ。
読みどころは二種類の戦いだ。告発者探しや組織の権力争いという「知」の戦いと、救命救急医療の現場という「命」の戦い。前者には知恵比べの楽しみがあり、後者には業界物ならではの情報と興味深さがある。そしてどちらも徹頭徹尾エキサイティング! 大事故が起きたときの病院の様子など、海外ドラマ『ER』もかくやという迫力だ。この作家さんの作品はとにかくキャラが立ってるので、組織の権力争いの描写なんてスゴいよ。なんてったって大学病院だからさ、争いといっても、それは口頭なわけ。それがもう陰険で陰険で笑えちゃう。頭のいい人たちの口喧嘩って、こんなのなんだあ。
でね、これまでの4作のうち、あたしこれが一番面白いと思う! これまでのもおしなべて面白かったんだけど、『チーム・バチスタの栄光』はミステリ的着地に、『ナイチンゲールの沈黙』はSFめいた展開に、『螺鈿迷宮』はラノベ風キャラクターに、それぞれちょっと首を傾げるところがあったのよ。ところが今回はそういうアラがない。救急医療現場の実態という社会問題をモチーフに、コミカルな会話や魅力的なキャラクター(速水先生カッコ良過ぎ!)を織り交ぜながら、ジャーナリスティックなひとつのテーマに収斂させて行く。けれど主張を声高に叫ぶのではなく、あくまでもエンターテインメントの構成を守っているのがいい。巧い。そして熱い。これはシリーズの最高傑作だと太鼓判を押すぞ!
強いてアラを探すなら、『ナイチンゲールの沈黙』を読んでないと意味のわかりにくいエピソードがときどき挟まれることか。うーん、これらのエピソードはどこまで必要だったのかなあ。なんだかリズムを阻害している観が無きにしもあらず。でも本作に影響はないし、解決策は簡単だ。読めばいいんだから。
(07.4.9)《詳細情報&注文画面へ》
お話そのものは、ね、まぁ絵本だし。こう言っては失礼だが、ごく他愛無いものなのよ。でも、犬神や白沢といった兄やがまだ今みたいな権勢を振るっていない頃から、あの鳴家たちは一太郎のそばにいたんだなあ、と思うとなんだか楽しくなる。こんな昔から、やつらは一太郎の周りできゃわきゃわと騒いで走り回ってたのかあ。
注目したいのは「おじいさんが連れてきた小僧さんたち」よ。「でもまだ来たばかりなので、毎日お仕事に一生懸命で、この子たちも遊んでくれません」という、ただそれだけの説明しかないんだけど、でもこの小僧さんたちって……ねえ? 何も書いてないもんだから、最初は気付かなかったくらい。もう一回、パラパラとめくっていたとき「え? おじいさんが連れて来た小僧さん?」と引っかかり、「あっ!」と気付いた次第。わはは、楽しい楽しい。もちろん知らなくても(気付かなくても)絵本のお話には一向に関係ないんだけど、こういうのって分かると楽しいよねえ。そしてこの「小僧さん」ふたりのイラストが可愛いことと言ったら! こいつらが後に、あんなになるとは!
ということは、よ? 同じページや、あとのしゃぼん玉のページに載ってる「近所の子」ってのは、もしや幼なじみのあの和菓子屋の妹か?……なんて想像もしたり(でもこっちはちょっと年齢が合わないか)。
絵本としての面白さは、タイトルからも分かるかくれんぼ。特に、鳴家たちが織りなす影絵がサイコー! ページをすかして見たのは、絶対にあたしだけではない筈だ。
なんせスレて汚れた大人なので、「お馴染みの登場人物をこそっと出すとか、もうちょっと遊んでくれても……」なんて思ったりもするのだが、これはこれでホンワカしてステキです。シリーズのファンは持っておきたい一冊かも。 (07.4.12)《詳細情報&注文画面へ》
飾った筈の浮世絵が消えていた【幻の橋】、行方不明になった女学生が残した暗号に挑む【想夫恋】、ステンドグラスからの墜死と雪に残された足跡の謎を解く【玻璃の天】の3作からなる、もちろん本格ミステリなのだけれど。もうね、それぞれ真相がどうだったなんてえことは、この際どうでもいいって気分になるよ。いや、もちろんミステリはミステリとして「おお!」と思うんだけど、それ以外にどうにも気になることはふたつある。
ひとつは、ベッキーさんの正体だ。これまでも散々思わせぶりなエピソードはあったのだけれど、【玻璃の天】でその大部分が明らかになる。それは、本シリーズの大きな魅力でもあり(恐らくは)核となるテーマに直結しているのであろう、〈時代〉と強くリンクしている。このシリーズが、昭和初期でなくてはならなかった理由。それも上流階級が舞台でなければならなかった理由が、ようやく腑に落ちた。ただ、物語はここでは終わらない。むしろ、ここからが本領。なので、お勧めマークはちょい保留。けれど3作目は、物語の舞台はもっときな臭くなっていくのだろう。そして、それを英子がどう捉えるかということこそが(ある意味、ミステリよりも)楽しみでならない(ただ英子の時代観は、この時代に生まれ教育を受けた良家の子女が自力で考えつくかってえことにちょっと首を傾げるんだけど)。
そして気になっているもうひとつのことと言えば──この「ベッキーさんと私」が、「円紫さんと私」に重なって重なって仕方ないのよ。謎を先に解いてしまうのはベッキーさんなんだけど、ヒントだけ与えて「私」が解く(つまり「私」も単なるワトソンではない)っていう構図も似たものがあるし、「私」の文学趣味もそうだし、理想論やキレイごとをホントに心から発言してしまうという性格もそうだ。そう類似点を拾っていくと、「この英子と『私』って、もしや血縁なんじゃないか。年の頃から行けば、『私』のおばあちゃん? けど『私』は、そんなイイとこの子じゃなかったよなあ」なんて考えてしまうんだよなあ。いや、妄想ですけどもね、もちろん。それほどテイストが似ているのよ。 (07.4.13)《詳細情報&注文画面へ》
第一章からつっこみまくり。今回の結婚式は中国系の花嫁さんということで、チャイナ・テイストを出すために赤を多用したり十二支をあしらった装飾にしたりしていた。でもそこに、なぜ「芸者」とか「蝶々夫人」とかが出て来るんだ? ──著者のローラ・ダラム、あんた中国と日本の区別、ついてないね?!
リチャードはますます神経質になり、リートリスはますますマニア度に磨きがかかり、2巻目にしてこうならこの先いったいどうなるんだと心配になるほど。トボけた会話の面白さは相変わらずで、読んでて楽しいぞ。プランナーという仕事の苦労も、花嫁が完全菜食主義者だとか、式を目前に控えてどんどんナーバスになっていく花嫁のケアだとか、「ホントにこんなにひどいの?」と思ってしまうエピソードに頬が緩む。でもそういった業界モノの面白さは今回は減ってしまったなあ。当日のドタバタもいいけど、もっと系統建ててウエディング・プランナーの仕事のあれこれを見せて欲しいのに。
さてミステリ部分。個性の強いキャラクタに反して事件の謎解きは実にシンプル。「ビデオに映ってました」って、そんなことで解決させるミステリがどこにあるか! いや、もちろんそれで終わりではないんだけど、そこから先も決してフェアではない。このあたり、おおいに不満。まあ、今回のメインは事件ではなく、イアンというロマンスの相手になるかもしれない男性が登場したことなのかもしれないな。
ところで、本編とは関係ない感想を二つ。ひとつは、手がけた結婚式でこうも死人が出たら、普通は商売あがったりになるんじゃないかってこと。もうひとつは、「リチャードがアナベルと恋仲にならない理由」──なんかすごく含みを持たせてるけどさ、これが「リチャードはゲイでした」なんていう誰もが真っ先に思いつくような簡単な理由だと怒るぞ。
(07.4.14)《詳細情報&注文画面へ》
漱石先生の事件簿 猫の巻・柳広司(理論社)
巧いなあ。ホントに巧い。まず文体模写の巧さと言ったら、まったくどこまで器用な人なんだ! デビュー作「贋作『坊ちゃん』殺人事件」も漱石もパスティーシュでやっぱり巧かったが、今度はティーンズが対象だ。今のハイティーンって、いったいどれくらいの割合で漱石を読んでるものなのかしらん? でも大丈夫、本家を知らなくても(もちろん知ってれば更に)楽しめる。
何より特筆すべきなのは、本書を読んだあと、間違いなく本家を読んでみたくなるということだ。それは即ち、パスティーシュとして本書が本家『吾輩は猫である』への愛に満ちているからに他ならない。これを先に読んで、そのあとで本家を読んだ坊ちゃん嬢ちゃんは、本書が如何に秀逸なパスティーシュであったかに驚くと同時に、本家『猫』の時代を経ても変わらない爆裂的な面白さに仰け反るであろうよ。本家を読みたくさせる──それは最高のパスティーシュだとは思わないかい?
内容もいいぞ。そこかしこに込められたセンスのいい風刺と、本家に勝るとも劣らないユーモアに、くすくす笑いが止まらない。けれどユーモラスなだけじゃない。書生の目を通して語られる「謎解き」は、人の業の深さとか、どうすることもできない理不尽さとか、或いは舞台となった時代のキナ臭さとか、そういったものまできちんと内包している。だから「あははは」と笑って終わり、というふうには決してならない。ならないのだけど、でも全編を覆うあっけらかんとした明るさはやはり楽しくて、「あははは」と笑って終わりでもいいじゃないか、とも思ったり。ティーンズ向けを意識したのか、存外わかりやすい形で教訓めいたことが入るのはご愛嬌だけど、何とも深いっすよ、これ。
ミステリとしては、さほど瞠目するようなものではないのだけれど、逆に驚くようなトリックがあったりしたらそれは『吾輩は猫である』ではなくなるので、致し方ない。というか、当たり前。むしろ眼目は、視点を変えるだけで、あの名作がこんなミステリになっちゃうんですよ、という手腕をこそ楽しみたい。〈日常の謎〉が、こんなところにあったなんて。物語の読み方はひとつじゃない、ということをヤングアダルト向け叢書できっちり見せちゃうあたり、叢書の主旨を考えても、また一冊のパスティーシュとしても、これは「お勧め!」と言わないわけにはいかないってもんだ。 (07.4.15)《詳細情報&注文画面へ》
カカオ80%の夏・永井するみ(理論社)
サスペンスフルな展開に、最後までどきどきしっぱなし。相変わらずこういうサスペンスを書かせたら本当に巧いなあ。夏休み、女子高生、家出、憧れのお兄さん──そんなセーシュン小道具満載の中に、いかにも著者らしい〈事件の背景〉を忍び込ませる。なんて骨太な社会派サスペンスなんだ。一般向けミステリのネタに使ってもぜんぜんおかしくない。つまりはそれほど、ティーンズ向け叢書でも一般向け叢書でも、著者のスタンスは変わらないってことなんだな。それが嬉しい。
特に、凪の造形がいい。基本的に凪は、ジョシコーコーセーには珍しい「ひとりでいられる」タイプの少女だ。クラスの仲良しグループには属さず、孤高を楽しむ。そんな自分を凪は気に入っている。普通ならこの造形だけでハードボイルドと称してもいいくらいだが、「そんな自分を気に入っている」というくだりが、オトナの読者には引っかかるところ。自然体でいるのならいいが、「そんな自分を気に入っている」とナルっぽい自己満足を覚えた時点で、それは他人を見下す刃になりかねない──という、齢を重ねれば分かることが、17歳の凪には見えていないわけよ。
案の定と言うか何と言うか、友人を探す過程で、凪は多くの人の助けを受けるハメになる。そして「一人で立っていられる自分が好きだなどと思い、相手より自分が一段上にいるような気分をどこかで感じていた」自分に気付く。大人に助けを乞い、ブログを介して知り合った初対面の女の子を信頼し繋がりを持つ事で、凪は一人で立っていたときより多くのことができるようになる。ポイントはここだ。弱さを認め、できないことを認め、助けを乞うことを覚えるという、これは凪の成長物語でもあるのだ。その結果、凪は「ひとりでもいられるし、友人もいる」という最強のポジションを手に入れるのだから。
女の子ならではのハードボイルドの誕生だ。普通のハードボイルドは孤高を謳うことが多いが、女の子はチト違う。思い出そう、女子高生だったあの頃、同性の友達がどれほど大切だったか。同性の友達を抜きにして十代女子のハードボイルドなんて成立しない。逆に言えば、十代女子は同性の友達あってこそ一人で立つ事ができるのだ。十代女子を主人公に据えながら、著者が敢えてハードボイルド仕立てにした意味はそこにあるんじゃないかしら。
(07.4.15)《詳細情報&注文画面へ》
うん、相変わらず面白い。今回は図書館内での痴漢行為を摘発する【王子様、卒業】、郁と、同期の手塚や柴崎が昇任試験に挑戦する【昇任試験、来たる】、実家の仕事を「床屋」と表現した人気俳優のインタビューが、出版社の判断で「理容師」と書き換えられたことに端を発する【ねじれたコトバ】、茨城の図書館と美術館を守る為に里帰りを余儀なくされた郁と、メディア良化法賛同団体との直接対決を描く【里帰り、勃発──茨城県展警備──】【図書館は誰がために──稲嶺、勇退──】の5章からなる。
面白いのよ。エキサイティングなのよ。ぐいぐい読んじゃうのよ。続編が出たらまたソッコーで読むと思うのよ。それくらい気に入ってるのよ。でも。3冊目になると欲が出る。これだけ面白いんだから、もちょっと踏み込んじゃくれまいか、と思ってしまう。検閲との戦いや表現の自由や書物を愛する心といった普遍的且つ社会的テーマが、すべて個人の問題に落とし込まれて展開されるのが、そろそろ物足りなくなってきたとでも言うか。
【王子様、卒業】の痴漢問題も、知り合いの女の子が被害にあったってところから始まるけれど、その子の仇を討って溜飲を下げて、その子が再び危ない目に遭わないようにして終わりでは問題解決にならんだろう。それじゃ身内の話で止まるじゃないか。【ねじれたコトバ】も、謂れの無い差別用語という大きな問題をモチーフにしながら、「自分の仕事に誇りを持ってるおじいちゃんが、その職名を使えないなんて可哀想」という個人的な感情の問題にしてしまっている。いや、もちろん感情から話が始まるのはいいのだが、話の落としどころまでが登場人物それぞれの「気持ち」なのよ。なんとなくハッピーエンドな気分で読み終わるんだけど、ハッピーなのは登場人物の「気持ち」であって、社会や一般市民じゃないんだよなあ。
いや、もちろん分かってますよ。これは社会派小説ではなく、郁とその仲間たちの物語なんだってことは。だから彼らの「気持ち」が物語の核になるのは当然なのよ。そしてそれがべらぼうに面白いことも重々分かってるのよ。ただ、そろそろ彼らの惚れたはれた泣いた怒ったよりも、〈メディア良化〉の思想そのものに踏み込んだ話が読みたいなあ、と。ま、そうなるとジャンルが変わってきちゃうんだろうけどさ。
(07.4.17)《詳細情報&注文画面へ》
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