吉原の遊郭を舞台にした、ちょっと変わった構成の物語。全17章からなるが、それらすべてが、吉原の遊郭に関連する人々が誰かのインタビューに答えて話している、という体裁なのだ。証言小説、とでも言おうか。読者は何の前知識もないまま(つか、帯の惹句で半分はバレてるんだけど)、まずは引手茶屋のお内儀の「語り」を読むことになる。
ぼくらが惚れた時代小説・縄田一男/山本一力/児玉清(朝日新書)
時代小説界屈指の評論家、縄田一男。直木賞を受賞し時代小説界のヒットメーカーとなった山本一力。そして〈読み手〉としては実に手練であるばかりか時代劇にももちろん詳しい児玉清。この三人が、時代小説についてあれこれ語る鼎談集。
千年樹・荻原浩(集英社)
樹齢千年の、大きな楠。本書はこの楠のそばで起こった様々な出来事を、一千年の時を行ったり来たりしながら綴るオムニバス風の連作短編集。ただもちろんそこには趣向があって、エピソードが繋がっていたり、同じ人物が異なる年代で登場したりする。我々が泣いたり足掻いたり恋したりしている間、千年の命を持つ樹木は常に変わらず、ずっとそこから我々を見てくれているのだ。場所はひとつところだが、時代と言うものを俯瞰できる、スケールの大きな、けれどエピソードは細やかな物語。
清水義範が東西の(主として)古典的名作を題材に取り、その読み解き&楽しみ方を伝授する書評エッセイ。西原理恵子のツッコミ漫画がつくのも、このシリーズではお馴染み。
文学賞メッタ斬り! 2007年版 受賞作はありません編・大森望/豊崎由美(PARCO)
わははは、いいぞいいぞ。「リターンズ」はネットで読んでいたものの収録が多くて、その分単行本としての新味に欠けた部分があったのだが、今回はまた公募新人賞の変化や傾向、何度も俎上に挙げてきた(選考委員としての)津本陽の章、そして「最新版文学賞事情」の項では「容疑者X問題」にまで触れられていて、読み応え満点。
清掃員のキリコが派遣された先々で事件に出会い謎を解く、掃除人探偵シリーズの第三弾。これまでのお話は「天使はモップを持って」「モップの精は深夜に現れる」でどうぞ。基本的に一話完結なので、どこから読んでも大丈夫です。ただキリコ自身の環境の変化もあるので、順に読んだ方が驚けるといえば驚けるかな。
シャーロック・ホームズと賢者の石・五十嵐貴久(カッパノベルス)
タイトルからも分かる通り、ホームズもののパスティーシュ……なんだけど、わははは、趣向はそれだけじゃない。むしろパスティーシュという点では、文体にしろモジり方にしろさほどビックリするような新機軸があるわけではないのよ。ただ、各編に仕込まれた「もうひとつの趣向」が楽しいの。
ワーキング・ホリデー・坂木司(文藝春秋)
ホストクラブで働く俺のところに、いきなり小学生の男の子がやってきてこう言った。「初めまして、おとうさん」──俺の子? 身に覚えは、実はある。夏休みの間だけ、その子と一緒に暮らすことになった俺に、店長が昼間の仕事を紹介してくれた。それは宅配便の会社。担当エリアで荷物の集配をする仕事だが、いろいろトラブルが多くて──。ハートウォーミングな親子小説。
恋人の奈津を伴って湖畔の小さな町に移住した私は、修理工場に就職を決め、拾った犬を飼い、奈津も近所のホテルへパートに出たりして、ささやかながら落ち着いた暮らしをしていた。しかしそんなとき、奈津が交通事故で死ぬ。一人になった私のもとに、昔の仲間が訊ねてきて──。第10回日本ミステリー大賞新人賞受賞作。
遠い遠い街角・井上雅彦(東京創元社)
昭和30〜40年代をモチーフにした幻想小説集。「ミステリーズ!」に連載されていたということもあってかミステリ仕立てのものも多くて、幻想小説が苦手なあたしも意外とすんなり世界に入れた。
吉原手引草・松井今朝子(幻冬舎)
読んで行くうちに読者は、どうやら「葛城」という花魁が何かの問題を起こし、それがけっこうな大騒ぎになったらしいということと、インタビュアーの目的はその「葛城」にあるということが分かるわけ。でも、その葛城の起こした騒ぎってのが何だったかはまだ分からない(帯には書いてあるけど)。順に、遊郭の見世番や番頭、よく出入りしていた客、幇間や芸者などの話を聞く(というか読む)うちに、次第に「何が起こったか」が明らかになってくる次第なのだ。
葛城がどんな事件を起こしたかがはっきり語られるのは(あたしが読み落としてなければ)11人目の証言者で、それまでは「あんなことになって」だの「なんせあの騒動で」みたいに、曖昧な表現に終始している。読者は「いったい何が起こったんだろう」「っていうか、このインタビュアーは何もの?」とやきもきしながら読んでいく。だからさー、帯でバラすのはフライングだってば。
しかし本書が真にすごいのは、そういう一人の花魁の事件を追うように見せながら、同時に吉原という場所のシステムから遊女の事情から客の背景まで、実に濃密に描き出しているところにある。吉原という場所の持つ哀しみと享楽と、そして業のようなものが余すところなく描き尽くされる。それは人間についても同じ。すべてが証言ばかりで葛城自身は一度も登場しないし、葛城本人の心情が語られるわけでもない。けれど葛城という花魁がどんな人物だったか、圧倒的なまでの存在感で読者の前に立ち上るのだ。
葛城がどんな事件を起こし、その動機や方法が何だったかも、終盤に明かされてく。この過程もミステリとして実に読み応えがある。そしてこの真相は! 吉原小説としての仕上がりが前面に出ているので印象は薄いかもしれないが、これはミステリとしても相当の優れものだぞ! だって葛城の起こした事件は、ある意味〈不可能犯罪〉なんだもの。それを成し得たということは、つまり証言の中に……いやいや皆まで言うまい。どうか存分に驚いてくれい。
それはそうと、終盤に差し掛かってこのインタビュアー自身の人となりが証言者の口から出たときには、「あっ、これってもしかしてあの人?」と一瞬ワクワクしちゃったよ。ホントにそうだったかは、本編でどうぞ。
(07.6.15)《詳細情報&注文画面へ》
こいつぁブックガイドとしてもなかなかのものですよ。古くは中里介山「大菩薩峠」や大佛次郎「鞍馬天狗」に始まり、捕物帳なら銭形平次に半七捕物帳、剣豪ものなら「宮本武蔵」や「柳生武芸帖」、木枯らし紋次郎も子連れ狼も出て来る。歴史小説という点では新田次郎の理系視点に感心し、司馬遼太郎の〈変化〉を惜しみ、池波正太郎の世界に遊ぶ。女性作家なら宮部みゆきに北原亞以子、永井路子や澤田ふじ子、もちろん平岩弓枝を忘れちゃいけない。国民作家なら藤沢周平に山本周五郎、松本清張の時代小説だって面白い。早乙女貢や綱淵謙錠の会津ものの悲哀、新選組を再評価した子母澤寛の功績も忘れちゃいけない……。
そんな感じで、どんどん綺羅星の如く時代小説が紹介され、その面白さや魅力が縷々綴られるのだ。いやもう、〈読みたい本リスト〉がどんどん増えて行く。三人ともその世界が大好きなのが伝わってきて、おまけにめちゃくちゃ鋭い意見もあり、読んでるこっちも楽しくなったり膝を打ったり。単なるガイドではなく、読み手としての児玉清の博識ぶり、さすが専門家という縄田一男の解説、書き手としての山本一力の心情、そういったものにいちいち唸らされる。残念なのは(後書きでも触れられているが)各分野でのパイオニアを紹介するのが主眼だったため、気鋭の新進作家についての言及が殆どないこと。ここいらはパート2を熱烈希望。
中に一カ所、あれっと思ったところがある。宮部みゆきはあんなに忙しそうなのに作品が崩れない、と児玉清が感心したのに対し、山本一力が「いやいや児玉さん、手を抜いたら読者に見抜かれるんですよ。一度見放されてしまったら、また読者に自分の方を見てもらうのは本当にたいへんなことなんだと思う」と返すのよ。ええ〜? いや、だってさ、「赤絵の桜」や「牡丹酒」、「だいこん」を読んだときにあたしは「さては山本一力、直木賞とって忙しくなったからって手ぇ抜き出したな?」と思ってたんだもの。なのに本人がそれを言うか! ってことは、あの三作の出来は、決して安易に流れた結果じゃなく、「この方がいい」という著者の判断があったってこと? むぅ。それはそれでなんかちょっと……。
(07.6.17)《詳細情報&注文画面へ》
各短編には、更に二つの時代が常にセットで描かれている。【萌芽】には、平安時代に謀反に遭って山中に棄てられた国史一家の物語と、いじめにあって自殺を考える中学生の物語が。【瓶詰の約束】には、戦争中に空襲から逃げ惑う小学生の物語と、昭和四十年代にタイムカプセルを埋めようとする幼稚園児の物語が。【梢の呼ぶ声】には、昭和の終わりに遠距離恋愛の恋人と待ち合わせをする女子短大生の物語と、戦前の遊女の物語が。【蝉鳴くや】には、くだらない嫌がらせから切腹に追い込まれた武士の物語と、平成になって学級崩壊に手を焼いている教師の物語が。【夜鳴き鳥】には、(恐らくは鎌倉期の)山賊の物語と、バブルの時期に殺人を手伝わされそうになるチンピラの物語が。【郭公の巣】には、ドライブに来た4人家族の物語と、明治初期に子供の間引きを命じられた農家の嫁の物語が。【バァバの石段】には、祖母の臨終に立ち会った孫娘の物語と、その祖母の若き日の恋物語が。そして【落枝】には、かどわかされた幼なじみの少女を助けるため身を張って賊のもとに飛び込む少年の物語と、楠の落枝でクレーム処理にあたる市役所員に物語が、それぞれ組み合わされている。
巧いなあ、とつくづく思わされる。人間ってのはホントにちっぽけで、ちっぽけなりにみんな足掻いたり頑張ったりしてるんだけど、そういう思いもすべて〈時の中〉に流されて行く。無常観と、でも無常では終わらせなくない、残したいという思いがないまぜになる。また、それぞれペアになっている二つの物語の、その組み合わせが絶妙なのよ。「時代は変わっても、人は同じようなことで悩んだり喜んだりするんだ」という要素と、「時代が変われば、悩みや喜びのありようも変わるんだ」という要素の両方が、実に巧みに合わさっている。
ただ、ここに展開される個々の物語が──もう、辛いやら痛々しいやら恐ろしいやら。テーマはわかるが、それでも、もうちょっと幸せな話が読みたいよー(涙)。【瓶詰の約束】の慟哭、【蝉鳴くや】の苛立ち、【郭公の巣】の背筋が冷えるような恐怖。気持ちがずんずん暗くなる。救いは【バァバの石段】だけでした……。
(07.6.20)《詳細情報&注文画面へ》
独断流「読書」必勝法・清水義範/西原理恵子(講談社)
俎上に載せられたのは、「坊ちゃん」に始まり「ロビンソン・クルーソー」「伊豆の踊り子」「ガリヴァー旅行記」「細雪」「ハムレット」「陰獣」「嵐が丘」「高野聖」「罪と罰」「河童」「谷間の百合」「墨東綺譚」(「ぼく」はサンズイに墨)「黒猫」「暗夜行路」「ボヴァリー夫人」「金閣寺」「若い芸術家の肖像」「万延元年のフットボール」「魔の山」というラインナップ。うーん、このまま全集が編めそうな古典名作ばっかだなー。著者が存命なのって「万延元年のフットボール」の大江健三郎だけじゃん。
真っ当な清水解説に対し、対極から突っ込むのが西原理恵子だ。例えば『細雪』の項など、西原は「だいたい衣食足りてる女がな、猫並の狭いテリトリー内で思っちゃったり感じちゃったりしたことをだな、だらだらだらだら自分語りしてどこがおもしろいんだ。それをまた、わからんちん男が女になった気分で書くのよ。読めるかっつーの」「だいたい谷崎文学ってさ、何よ。今でゆうとさ、渡辺淳一レベルのしょーーーーもない。よくもまあこんなしょーーーもない事をだらだらだらだら、しょーもなーーー」と、まぁ言いたい放題。でもこの言いたい放題の方に「うんうん、あたしも今まで口にできなかったけど、実はそうじゃないかって気がしてたのよ!」と涙目で頷いてしまう箇所が多々あったり。
ただこのツッコミが冴えるのも、それは本文である清水解説が極めて真っ当であるが故だ。光が強ければ影も濃いってやつ。くだんの『細雪』にしても、腹が立つようなこの話をどう楽しめばよいのか、というのを解説してくれる。つまりこれは、王朝文学であり災害小説なのだ、と。同様に「ロビンソン・クルーソー」は経済小説であり、「坊ちゃん」の赤シャツは漱石自身であり、「伊豆の踊り子」はロリコン小説であり、といった清水流読み解きの面白さと真っ当さ(決してはずれたことは言わない)には、目から鱗の箇所が多いぞ。何より、現代ではなかなか受け入れにくい古典名作を「読んでみよう」と読者に思わせるという点で、書評として優れているということだし。
ただ、巻末にある清水義範お勧めの王道ミステリ10選。これはどうも戴けない。確かに名作ばかりなのだが、意外性がまったく無い。そこらの雑学本でも選びそうな、優等生的10冊だ。なんかもっとヘンテコなものが入ってくると面白かったのに。
(07.6.21)《詳細情報&注文画面へ》
中でも「ああ、ホントにそうだ!」と膝を打ったのは、公募新人賞については選考委員の知らないジャンルの作品を出せ、というくだり。そのジャンルに強い作家が選考委員をしている賞に、そのジャンルのものを出してはいけない、点が厳しくなる、と。これ、わかるわかる! 一般読者であっても、自分の思い入れが強いジャンルの作品って点が辛くなるものなあ。あたしが(あれだけ世評の高かった)「一瞬の風になれ」をどうしても良いと思えなかったのは、多分にスポーツ小説に対する思い入れと、「理想のスポーツ小説とはかくあるべし」という頑固で狭隘な思い込みがあるせいだろう。同様に、本格ミステリにも、幕末小説にも厳しくなる。ところが同じ歴史小説でも、幕末に比べて自分の知識の及ばない時代が舞台だと、俄然「へえ〜〜、なるほどぉ」と感心してしまったり。
「容疑者X論争」のまとめも読み応えがあったが、笑ってしまったのははからずもお二人が対談の中で引用した二つの諺。ひとつは大森さんの態度についてと、もうひとつは当の東野圭吾の態度を表すものなんだけど、その二つの諺が実にツボだった。曰く「君子危うきに近寄らず」と「金持ち喧嘩せず」。もうね、この二つの諺が(今回の件に限らず)論争に対する理想のスタンスってものを端的に表してるなあ、としみじみ感心しちゃったよ。
また、だいたい貶してばっかりというイメージの強かった二人の対談(そういうわけじゃないんだけど、イメージとしてね)が、良い選評には良いとはっきり書いてるのを見ると「ああ、なんだかんだ言ってもフェアなんだ! うん、そうだよね」と妙に嬉しくなった。中原昌也との鼎談や「北村薫や宇月原晴明を落とす直木賞なんて!」というくだりには、けっこう辛辣でどぎつい直截的な悪口も出て来るのだけれど(そしてそれがこのシリーズの売りでもあるのだろうけど)、個人的には、人を貶すより褒める方がやっぱり読んでいて気持ちがいいな。褒めながら実は貶す、貶しながらホントは褒めてる、なんて技は更に好きだけど。
(07.6.24)《詳細情報&注文画面へ》
モップの魔女は呪文を知ってる・近藤史恵(ジョイノベルス)
「モップの精は深夜に現れる」同様、語り手は毎回変わります。その語り手がいる会社やビルを掃除してるのがキリコ。探偵役はキリコなんだけど、あくまで主人公はその物語の語り手なのね。だからいろんな視点のドラマが楽しめる。今回は、スポーツクラブのプールで事件が起きる【水の中の悪魔】、一目惚れした猫を買いたいがために清掃のバイトを始めた女子大生の【愛しの王女様】、小児病棟に配属された看護実習生の奮闘を描いた【第二病棟の魔女】、そして深夜の会社で人を殺してしまった女社長の【コーヒーを一杯】の4本立て。
この著者はもう、ちょっとしたエピソードが生活感に溢れていて、実に巧いのよ。コージー書かせると絶対に巧いと思うね。例えば【愛しの王女様】で、清掃のバイトを始めた大学生が汚れたゴミ箱を見ながら「誰も掃除する人のことなんて考えていないのだ」と気付くシーンがある。彼女は考えるの。自分もそうだった、いい加減にゴミを捨てても「そのせいで、誰かの仕事が増えるなんて、考えたこともなかった」と。ここを読んだとき、虚をつかれた思いだった。ああ、あたしもそうだよ、と主人公に話しかけたくなった。この著者は、こういった気付きにくい生活のディーテイルをすくいあげる能力がずば抜けている。
全体に奇を衒わず、落ち着くところに落ち着く心地よさがある。予定調和の安心感。かと思えば【第二病棟の魔女】にはミステリとしても「やられた!」と思わされた。事件としては軽めのものが多いので、だいたい展開は予想がつくよなあと思っていたら、見事にミスディレクションに引っかかっていたんだから侮れない。物語としても、これが本書のイチオシ。
このシリーズ最大の魅力は、掃除のプロ・キリコが登場人物と読者の心の澱まで掃除してくれること。だから辛い事件であっても読後感がとてもいい。お勧めシリーズです。
(07.6.25)《詳細情報&注文画面へ》
一作目の【彼が死んだ理由──ライヘンバッハの真実】はちょっと毛色が違うのだが、残る三作【最強の男──バリツの真実】【賢者の石──引退後の真実】【英国公使館の謎──半年間の空白の真実】には共通するある趣向がある。この趣向がね、途中でわかった瞬間の「にやり」とする思いや、わからないまま最後まで読んだときの「うわあ、そうだったのかあ」という思いはなかなかのモノ。むしろ、ホームズもののパスティーシュとして一ネタ仕上げるというより、そっちの趣向の方に如何に結びつけるかというほうがメインになっている部分すらある。おまけにこの趣向、2作目より3作目、それより更に4作目と尻上がりに面白くなっていく。いやあ、どういう趣向かすごく言いたい(その上で感想を書きたい)んだけど、これはまぁ、言わない方がいいだろうなあ。なんか思わせぶりな書き方になっちゃってごめんね。
中でもイチオシは【英国公使館の謎──半年間の空白の真実】。ホームズの話のはずなのに、なぜか舞台は明治の日本。英国公使館で起こった残虐な殺人事件、その凄惨な死体にびっくりした敬之助はアストン書記官の命令に従って医者を呼びに行く。ところが医者を伴って戻って来ると、そんな死体は無く、アストンもいない。一緒に死体を見たはずの人々も皆一様にそんなことはなかったと言う──。本格としては定番の設定だけど、「ええっ、そこと結びつけるの?」と驚かされる。なぜホームズものでこの話なのかってところがミソ。そしてもちろん例の趣向も楽しい。ある人物の名前を知識として知ってればすぐに分かることなんだけど、いやあ、楽しい楽しい。
なお、小暮雅通氏による巻末の【ホームズ・パロディ/パスティーシュの華麗なる世界】は読み応えがあった。「これ知らない、読んでみたい!」と思わせるホームズ本がたくさん紹介されてるぞ。
(07.6.26)《詳細情報&注文画面へ》
著者の名前でもしかしてと思ったが、ミステリではなかったよ。純然たる親子小説ですにゃ。いきなり小学生の息子が出来て、この息子がまた完全な小姑キャラ! 料理はするし経済観念も発達してるし、カロリーの話を持ち出して「御飯を食べるならビールは禁止」と父親に迫るほど。小学生にして既におばちゃん。むしろ父親の俺の方が出来が悪い。仕事はオトナの知恵と根性でどうにかなるが、子供との付き合い方に苦慮し、何をすれば喜ぶのか戸惑い、生活のひとつひとつにジタバタしてる。ややキャラクタがデフォルメされているきらいはあるが、この対比がいいぞ。
蓮作短編仕立てで【宛先人不明】は息子との出会い&転身するまでのお話。2話目の【火気厳禁】から宅配会社のエピソードが始まり、料理中に軽い火傷をしてしまった息子に対する俺のアタフタぶりが不器用ながら心温まる。【こわれ物注意】は、交通量の多い道路を走って渡るという度胸試しゲームをしている小学生の話。【代金引換】は、やたらと荷物を出す上になぜかクレームも多い、謎の(つってもネタはすごく分かりやすい)客の話。【天地無用】は息子に甘えさせたいがその方法が分からず悩む話(彼女との別れのシーンがリアルでいいぞ)。
人情味たっぷりで、キャラも文章もいいし、明るく楽しくさくさく読めるのが魅力。ただ、読者の想像を超えるような展開がないので、読んだあとにあまり残るものがないんだよなあ。プチ事件は起きるし、その都度ちょっといいセリフもあったりするんだけど、いずれも良くあるパターンの範疇に収まってて。まあ、安心して読めるってことなんだけど。何より、いきなり子供と同居するって、もっといろいろ大人のやり取りがあるべきなんじゃないかと思うが、そういう面倒なところはスルーしてるのもちょっと気になる。
ところで一番笑ったのは本編ではなく、「あとがきという名の謝辞」。ここを読んで初めて、主人公の名前の由来が分かったよ! うわはははは、そう言われてみればそうだ。
(07.6.27)《詳細情報&注文画面へ》
水上のパッサカリア・海野碧(光文社)
私の一人称で綴られる文章がなんとも良くて(癖があるので好みは別れるかも。あたしは大好き)あっという間にハードボイルドな気分に絡めとられた。地味だけれど満ち足りた生活をしている一方で、主人公の男はどうやらかなりのワケアリらしいことがすぐにわかる。何からか隠れているらしい、なぜか大金を持ってるらしい、なぜかサバイバルにも通じているらしい……その「何からか」「なぜか」が解明されていくにつれ、どんどん物語に引き込まれて行った。
ただ、その謎ももちろん魅力的なんだが、それ以外の、まだ何も事件は起こっていないのにただ恋人との出会いや生活を回想するだけの語りが、なんかすごくいいのよ。淡々としていて、自分のことなのに冷めていて傍観者的で、だけど露悪的な口をききながらもその恋人のことを大事に思っていたんだなというのが伝わって来る。クールなのにしっとりしている。なんか、とてつもない雰囲気をまとった文章なのよ。この個性はいいぞ。
いざ事件が動き出してからは、まぁ冷静に読めばご都合主義のところもあるのだが、味わいのある語り口調とテンポのいい展開、そしてちょっとへんてこな人物造形の魅力のおかげで、そのまま一気読みだ。バランスの悪さがそのまま魅力になっているという、希有な例でもある。冷酷なはずのヤクザが大の犬好きだったせいで主人公が難を逃れたり、最大のクライマックスで梯子を外されるような展開があったり、クールなはずが妙にベタだったり、そういうヘンな呆気なさやちくはぐさが、なぜか魅力なのだ。不思議だなあ。
つまるところ、文章と人物。そのふたつが合わさって独特な雰囲気を作り出しているということ。小説というのは、ストーリー展開と同じくらい、〈文章で世界を構築する力〉が必要なのだとつくづく思うよ。アクションもあるし、ミステリ的〈意外な真相〉もあるし、何よりハードボイルドとしての骨格はしっかり持っている一方で、実に哀しく激しいラブストーリーでもある。主人公が感情を露にする箇所はほとんど無いが、それでも静かな怒りや哀しみがひたひたと胸に伝わる。ラストシーンの醸し出すこの余韻と言ったら!
(07.6.29)《詳細情報&注文画面へ》
例えば、表題作の【遠い遠い街角】。テレビが壊れてしまったので、たまたま出会ったお姉さんの家にあげてもらって、ぼくはテレビを見た。でもそのお姉さんが死んでしまって──というお話。長じて探偵になった男が少年時代の思い出を回想する。大事なテレビが壊れたきっかけは何かと考えるに、〈奇怪なる訪問者〉のせいではないか。虚無僧、足がアコーディオンの軍服の男、そして侍。これがね、「奇怪」だの「異界から現れる」だのと書かれているその訪問者たちが何なのかは(この時代を知っている読者には)自明のことで、いかんせん幻想小説が苦手な身としては「おいおい、子供とは言えしっかりしろよ」と声をかけたくなるシーンも多々あるのよ。もちょっと地に足をつけて、お天道様の下で物事を見てごらん?と言いたくなるのよ。でも換言すれば、それらが真なる幻想ではなく、実はちゃんと理に落ちた真相があるということを読者は知ってるわけ。おどろおどろしく書いてはいるけれど、〈超常〉ではないぞ、と。その安心感があるので、幻想モノが苦手でもひるまず読めた次第。
とは言え、もちろん〈超常〉が皆無ではありません。つか、思い切り〈超常〉です。【菓子宵】や【土管という扉】ではタイムトリップしちゃうし、総じてどれもあっちとこっちを行ったり来たりする話。でもルールや事象のリンクがしっかりしてるのね。その上で、幻想小説ならではの独特の雰囲気をトッピングしている。だからミステリ読みには馴染みやすい〈超常〉と言えましょう。中でも【結晶の囁き】で明らかになるある事実には、ミステリ者が「あっ(嬉)」と思うようなトリック(というか仕掛けというか)が使われてたりするし。
その他には【書肆に潜むもの】【跫音の夜】【33回転の螺子】【幻の博覧会】を収録。一話完結のように見せながら、実は後へいけば行くほど前の事象がリンクして、どんどん読者を絡めとっていくような、そんな幻想ミステリ集です。
(07.6.30)《詳細情報&注文画面へ》
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