天使の歌声・北川歩実(創元推理文庫)
家族をテーマにしたミステリ短編集。シリーズ探偵の嶺原が共通して登場するが、特に探偵として傑出したキャラが与えられているわけではなく、むしろ個々の物語の被害者や犯人たちの方が主役という扱い。
切られた首を探して鬼の胴体が彷徨うという怪談が伝わる、首鳴き島。出版社の取材で女友達と一緒にその島を訪れた稲口だったが、島について間もなく台風が接近、外界とは断絶されてしまった。そしてその夜、島に建つ館で連続殺人が起きる。それは島に伝わる怪談の見立てになっていて──。
フィリップ・マーロウを人生の師と仰ぎ、ライフスタイルから物言いに至るまで彼に影響されまくりの私立探偵・最上俊平。ところが探偵として最初の依頼がペット探しで、それを首尾よくこなしたもんだから、今ではすっかりペット探偵。こんなはずじゃ……と思いながらも今日も迷い猫を探すのであった。「ハードボイルド・エッグ」に続くシリーズ第2弾。
高校中退後ひきこもりになってしまった小夏を巡る連作ミステリ。
有名なマジシャンが自宅を舞台にして行ったイベント。ところが脱出マジックの最中に、そのマジシャンが殺されてしまう。現場に居合わせた南美希風はそのトリックを見抜くのだが、事件はそれだけでは終わらなかった──。
新刊と古書の両方を扱うミステリ専門書店〈バイ・ザ・ブック〉の店主ペネロピーは、伯母のサディと息子のスペンサーと3人暮し。だが、実は1940年代に活躍した私立探偵・ジャックの幽霊も同居中。ある日、サディと旧知の仲という人物から、ポー全集の委託販売を頼まれた。ところがそのポー全集にとんでもない秘密が隠されていて──。私立探偵の幽霊と一緒にペネロピーが謎解きするミステリ書店シリーズ第3弾。
「完四郎広目手控」「天狗殺し」「いじん幽霊」に続く、完四郎広目手控シリーズ第四弾。広目っていうのは江戸時代の広告代理店みたいな仕事のこと。それに携わる元幕臣にして今は風来坊の完四郎が、慶応から明治という時代の変化の中で出会った事件の謎を解く連作短編集。
元探偵にして現在は宅配便ドライバーの寺坂脩二が出会った事件を綴る連作短編集。帯に〈ハートウォーミング・ミステリ〉とある通り一見ライトタッチの優しい物語が続いているが、そこで描かれる事件や人間ってのは決してハートウォーミングではない、なかなかにダークなものが潜んでいるぞ。そしてそれこそが魅力になっているのさ。つまりキレイごとだけで暖かくしてるんじゃないってことね。こういう言い方が良いかどうかはわからないが、個々のミステリの〈謎解き〉よりも、そこに描かれる人間模様の方が印象も吸引力も強い。つまり、謎と謎解きは、そういう人々を描く為の手段に過ぎないということだ。だからこそ、読ませる。
明治36年。元屋夏雄のもとに謎めいたハガキが届いた。10年前に起こったとある事件について裁判を開くので出席するように、というのだ。場所は出来たばかりの日比谷公園で、もちろん正規の裁判ではない。その裁判には、当時事件に関係したと思われる夏雄の同窓生たちも呼ばれていた。いったい、誰が何のためにそんな裁判を開こうとしているのか。そしてそのハガキが届いた途端、夏雄は行方をくらました。夏雄の妻・セツは夫を捜しながら過去の事件を掘り起こす──。
大学で出来た仲の良い友達。京也とひろ子は恋人同士で、僕・秋内はひろ子の友人・智佳に片思い中。ある日、僕らの目の前で、知り合いの子供が交通事故に遭った。その原因になったのは、彼の愛犬の不可解な行動だった──。
巧いなあ、と思うのはまず謎のとっかかりだ。例えば一作目の【警告】。医者の息子が正体不明の男から父親に「遊んでないで、真面目に研究しろ」という伝言を頼まれる。他にも不穏な出来事があるってことでその医者が嶺原のもとに相談に来るわけだけど、この医者ってのが、難病を治療する研究をしてるわけさ。医者だって夜は眠いし休日には遊ぶ。けれどその難病患者が身内にいる者にとっては、医者が遊んだり休んだりしてるのが許せないんじゃないか、というのが最初の推理なわけ。これ、なるほど、と思ったのよね。おまけにそれだけじゃなくて、その研究チームの面々がウェブサイトで日記を書いていて、そこに休日に趣味に興じる様子が書かれてた、犯人はそれを見たんじゃないかって話が進むのがすごい! だってこういう状況、現代ではすごくあり得るもの! 何気なくウェブ日記に書いた出来事が、まったく関係ないところで生活しているはずの別の人間に影響を与えるなんて──すごいぞすごいぞ、とここで大傑作の予感がしたわけですわ、あたしは。
ま、それがどうなったのかは読んで戴くとして──他の短編もね、謎のとっかかりは実に巧いの。ただ北川歩実っていう著者の特色は、二転三転するその捻りのテクニックなのよね。だから(まあ、ここまでは書いても良いと思うんだけど)【警告】もあたしが最初に期待した通りには話は進んでくれないわけさ。もちろん、そこには更なるサプライズとテクニックが待ち構えていて、それはそれで充分堪能させてもらったんだけど、なまじ最初に呈示された謎が魅力的だっただけに、「ええええ、そっちじゃないのおお?」というショックは測り難く……。どんでん返しもよしあしだなあ。
総じて真相が込み入っているものが多く、その説明に紙幅が割かれるため、一瞬にして見ている絵が変わるというサプライズではなく、その論理の構築を順を辿って飲み込んでいくタイプのミステリ。お勧めはまえに推理作家協会のアンソロジー「事件を追いかけろ」にも収録された【天使の歌声】かな。
(07.8.3)《詳細情報&注文画面へ》
首鳴き鬼の島・石崎幸二(東京創元社)
ほおおおお! こりゃ驚いた。実は石崎幸二といえば「日曜日の沈黙」「あなたがいない島」のシリーズしか読んだことがなかったので、「確かトリック主体のパズラーで、会話はギャグ満載で、物語としての力はイマイチ」(ごめんね)という印象しか持ってなかったのよ。それがアンタ、読ませるじゃないか。へえええ。
と言っても、読み始めてすぐに引き込まれたってわけじゃない。最初はね、フツーなのよ定型なのよ王道なのよありきたりなのよ。嵐の孤島に見立て殺人、クローズドサークルで一人ずつ殺されて行くというパターンで特に目新しいとこも傑出したところもなく、人物にの魅力という点でもイマイチだし。ところが、残り三分の一を切ってから。第七章から一気に物語は急展開! 事件は一段落して、嵐の孤島を脱却してからの展開に驚いた。ものすごく失礼な言い方になるが、〈嵐の孤島〉部分にあまり惹かれなかった物語重視の読者も、途中でやめるな最後まで読め!と強く主張。
何に驚いたかというと。トリックそのものもそうなんだけど、〈探偵役〉の扱いがすごいのよ。これはもしかしたら〈アンチ名探偵〉が隠しテーマなんじゃないかと思ったほど。詳しく書きたい、が、書けない。探偵がね、可哀想なの不憫なの哀れなの。でもそれはけっこう自業自得だったりするの。でもってその〈自業〉の部分は、本格好きなら誰しも持ってる部分だったりするのね。だから探偵役を可哀想で不憫で哀れに思う、その感情はそのまま本格好きの読者である自分自身に向けられていたりするわけだ。それのみならず。物語の詳細は語れないけど、主観と客観って、けっこうズレがあるもんでしょう? そのズレに気付いたときって、けっこう衝撃的でしょう? そういう衝撃がね、終盤には連続であるのよ。それがドラマチックなのよ。
トリックもいいぞ。奇を衒わず、だけど新鮮。趣向で読ませるのではなく、真正面からの謎解き。うん、いいじゃないか! これで前半から中盤にかけても(事件のデータ出し以外に)何か読者を掴めるドラマ性や魅力があれば完璧なのになあ。
(07.8.4)《詳細情報&注文画面へ》
サニーサイドエッグ・荻原浩(東京創元社)
うわぁい、最上俊平リターンズ! 本書の魅力はこの主人公に尽きる。マーロウになりたい彼は、ペット探偵である自分に忸怩たるものを感じてるわけ。例えば「自分では動物捜査に向いていないと思う。向いているのは(中略)警察が持てあます類いの難解な事件」「死と隣り合わせの危険に首を突っこむようなタフな事件」なんて言ったりするわけ。ところが。そんなことを言いつつも実態は「ヘルプ・ニャー」と書かれたペット探偵の名刺を作っていたり、犬猫別の記入式調査書を用意していたり、たずね犬の貼り紙の書き方や天候ごとの猫の探し方などペット探しのプロのノウハウを会得したりしているのよ。つまり言葉や理想とは裏腹に、実態はすっかり〈腕利きのペット探偵〉になってしまっているのだ。このズレがとにかくサイコーにおかしい。つまり「今の僕はホントの僕じゃないやい」と拗ねて何もしないのではなく、ペット探しを頼まれればちゃんとプロとして対応するだけのシステムを作ってしまってるのね。仕事をする、その上で「違うんだよー」と言ってみせるから面白いのだ。
なんせマーロウが理想なので、彼はどんなときでもワイズクラック(しゃれた減らず口)を忘れず、かっこよくあろうとする。犬の写真を持って聞き込みをするときですらマーロウ的言辞を用いるので、気味悪がられたり殴られたり。前作「ハードボイルド・エッグ」では顧客から「あなた……ちょっと喋り方がヘンよ」と指摘されたほど。うわはは、言うてやるな、言うてやるなよそういうことを。でもまぁ、実際にハードボイルド喋りをする人がいたら、それはかっこよくもなんともなく、ただ「ヘン」だよなあ。
けれど思い出したい。ハードボイルドとはそもそも、他人の価値観におもねることをせず、あくまで自分の信念を通すということではなかったか。とすれば、最上俊平はまぎれもないハードボイルドである。過剰なまでのマーロウ度合いはもはやパロディの域に達していて、つい笑ってしまうが、信念と実態がことごとく食い違う中で、それでもマーロウ的であろうとする最上は実はかなりカッコイイ。〈おもろうて、やがて哀しき卵かな〉──なのである。
今回はたおかやな美人とヤクザの親分からそれぞれ猫探しを頼まれた最上。その2件が大事件に発展する。おしかけ秘書も加わって、じっくりみっちり読ませるぞ!
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朝顔はまだ咲かない・柴田よしき(東京創元社)
一読、おおっ、と思ったのは、小夏のひきこもりスタイルだ。ひきこもりという便利な言葉で十把一絡げにされがちだが、ケースはいろいろだなのだなあ。小夏の場合、学校での人間関係が原因で不登校になったのだが、ひきこもっていても生活になんら支障はないのだ。母と二人暮らしの生活で、家事をすべて小夏がやるので母親は外で働ける。つまり〈主婦〉になったわけだ。しょっちゅう訪ねて来る親友もいる。買い物はネットや宅配サービスで事足りる。玄関先で宅配便のお兄さんと挨拶するのも普通にできる。ただ、外に出ると気分が悪くなるので外出しないだけ。母親が心配してないわけはないが、それでも今は見守ってくれているし、むしろ母親との仲は良い方だ。そんな生活のどこが悪いのか。そう言われると確かに(今のところは)別にいいよなぁ、と思ってしまう。
ただ小夏は「別にいいよなぁ」と開き直っているわけではない、てのがミソ。この小夏の心の揺れの描写が見事だ。ネットで「引きこもり」を調べたり、どうして「引きこもり」が悪いことだと看做されるのか考えたりする。この考察がいい。小夏がカップラーメンを食べるシーンがある。ママが生まれたときにはこの世にカップラーメンなんかなかった。パソコンもそうだしCDもそうだ。人間は短い間にいろんなものを考え出したんだなあ、と。そして思う。「あたしがこのマンションから外に出ないで生きていることを、みんながとてもおかしなこと、悪いこと、ヘンなことだと思うのは、そうやっていろんなものを考え出したり作り出したりする作業に。あたしが加わらないでいるからなのだろう」と。でも今のあたしは〈専業主婦〉だから、それはそれでいいじゃないか。いや、ママがいなくなったら? 「一人暮らしの主婦なんて、存在自体が矛盾してる」「主婦ってのは、お金を稼がないから、ひとりでは存在できない」──ここを読んだとき、「ああ、そうか引きこもりってだから問題視されるんだ」と目の前がぱっと明るくなった気がした。答をもらった気がした。と同時に、こんなふうにぐるぐる考え、なんとか自分と社会が折り合う点を見つけようとする小夏がもう健気で健気で。自分はちゃんとやっているという自負、でも親友も向こうから来てくれなくなったらお終いという恐怖、将来への不安、現状を変えたいという思いと、なぜ変えなくちゃならないのかという思い。それらの感情を内に向かわせる〈いじいじ小説〉にはせず、事件とからめて外を見るようにしているところが実に巧い。
事件そのものはユルめで推理に瞠目するようなタイプではないが、最大の読みどころはそれらを通して小夏が変化する過程にある。〈こうあるべき〉と〈こうありたい〉が一致しないジレンマを、ときにはコミカルに、ときにはしっとり描いた、優しく前向きなミステリだ。
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密室キングダム・柄刀一(光文社)
いやあ、最初はね、もうこの厚さとイカニモなタイトルに気圧されて、なかなか手を出す気になれなかったのよ。ところが意外なほど(ごめん)楽しめたぞ。読み終わってみれば、なるほどこれだけの分量が必要だったのにも合点が行く。
舞台は昭和末期。マジシャンの館で起こった三重密室事件に始まり、その館で連続しておきる不可解な密室事件。浮かび上がる館の謎。個性的でいわくありげな家族。心臓を病んでいる名探偵と、世話を焼く姉。道具立てのひとつひとつが「どうだぁ!」と言わんばかりの古式床しい本格ミステリ。分け入っても分け入っても密室。はじめは物理トリックの連続技に辟易したが(だって物理トリックって、その現場を直に見ることのできない読者には推理のしようがない部分が大きいんだもの)、そこに心理トリックが加わり、探偵と犯人の知恵比べの様相を呈してきたあたりから俄然面白くなる。もちろん謎解きも、実に古式床しい。というか、この真相は妙に懐かしいよ! 「あれが伏線だったのか!」と膝を打つ、ゾクリとするような快感。ひとつの伏線から絵がくるりと反転するサプライズ。そうだよなあ、本格ミステリってこういうのだったよなあ。
特筆すべきは、この事件が作中で「昭和の犯罪」と銘打たれることだ。
「あれは、よくも悪くも昭和の犯罪だった。(中略)ところが平成の現在は、世代が違う、とさえ感じさせて理解力が凍えるような、自失に見舞われる事件が多い」/どうしてそのようなことで、と、ハードルが極めて低いとしか思えない殺意。自己の肥大と、軽視される他者。壊れた愉快犯。趣味的殺人鬼。悔いなどの情操は育たないらしい、彼らにとっての希薄な現実社会──。
と。もしかしたら、これが著者の一番言いたかったことなんじゃないかなあ。こんな時代だからこそ、古式床しい本格が成立しなくなっているのだと。犯罪を懐古するというのもおかしいけれど。つまり本書は「昭和の探偵小説」なのだ。時代が変わってしまった今、こういう作品は、今日日なかなかお目にかかれない。リアリティの薄さのみならず、スレてしまった読者には真正面過ぎるから。でも、ど真ん中の直球だって、球速があって球質が良ければ決め球になり得るのだ。普通の小説読者にはややハードルが高いかもしれないが、本格好きにはストライクゾーンど真ん中でしょう。年末のベストテンランキングに入って来るのは間違いないと見た。
(07.8.5)《詳細情報&注文画面へ》
幽霊探偵とポーの呪い・アリス・キンバリー(ランダムハウス講談社文庫)
ジャックの幽霊とペネロピーの会話がホントに楽しいなあ。前作で店の外にも出ていけるようになったジャックの幽霊。今回は病院に行って、男性のナースが存在する事に驚いてるよ、うわははは。スペンサーがいじめにあったと聞いて学校に武器を持って行くように勧め、ペネロピーにたしなめられると「飛び出しナイフやブラスナックルを学校に持って行っちゃいけないのか?!」と驚くシーンも笑った。クールでデキる私立探偵でも60年前の人だから、こういう部分でにやりとさせてくれる。そしてそんな私立探偵(の幽霊)にノウハウを教わりながら事件に対峙するペネロピーの、いかにも〈探偵術仮免中〉みたいな調査が楽しいのよ。郵便配達人のシーモアや大学准教授のブレイナートといったレギュラー陣も大活躍だ。
生活感満点のコージーミステリと雰囲気満点のハードボイルド、一冊で二度楽しめるこのシリーズの面白さが今回もみっちりだ。コージー部分ではなんといっても息子スペンサーのいじめ問題。それを単なるスパイスにせず、もしや事件と関係するのかもなんて展開に持って行くあたりが巧いぞ! ハードボイルド部分で展開されるジャックの生前の事件も、もっとじっくり読ませてくれよって気分になる。それほど両方の要素がしっかりしてるのよ。
難を言うなら、ポーの暗号それ自体にもっと本格テイストがあれば良いのにな、ってことか。過去二作は店のイベントに招かれた作家が殺されるというパターンだったけど、今回は稀覯本を巡る暗号ものってことでかなり期待してたのよね。実際、作中でもダ・ヴィンチ・コードをもじって〈ポー・コード〉なんて呼んでるくらいだし。でもその暗号解読には読者は参加できないの。登場人物がその暗号を解いていく過程がとても面白いだけに、参加できないのは残念だなあ。暗号を解くこと自体が目的のミステリではないから、まあしょうがないのかも。
ところで、ちょっと気になる含みが終盤に出て来たぞ。ひょっとして次巻では、ジャックと会話できる人物が増えたりするのかしら? わくわく。
(07.8.6)《詳細情報&注文画面へ》
完四郎広目手控 文明怪化・高橋克彦(集英社)
今回の舞台は、既に明治になって数年が経ち(ちょっと前巻から飛んだなあ)、鉄道は走ってるし牛鍋は流行ってるしというまさに文明開化の時代だ。レギュラーメンバーの仮名垣魯文や絵師の芳幾らもそれぞれの分野で成功を収めている。アメリカに渡っていた完四郎が帰って来るところから物語が始まるってえ次第。このシリーズの特徴に、その時代に流行った絵画をモチーフにして事件を描くって趣向があるけど、今回はこの時代の新聞錦絵(絵がメインの一枚刷りの新聞で、スキャンダラスな事件が多く扱われてる。こういうの)が使われてるぞ。
新聞錦絵の絵と文を読み、そこから謎をすくいあげる完四郎。安楽椅子探偵度合いが一気に増してる。実際の新聞錦絵をモチーフにこんな謎解きを何編も仕立てるんだから、すごいなあ高橋克彦。これってつまり、今で言えば、新聞のベタ記事を読んでその裏の意外な真相を言い当てるみたいなもの。ここまで鮮やかにしてやられると、当時それを思いついた人はいなかったのか、と言いたくなるほど。特にパズラーとして秀逸なのは密室であるが故に自殺で処理された事件の謎を解く【手口】かな。
時代という点で注目したいのは、新聞錦絵というのはあくまでも事実を正確に伝えるものでなくてはならないという理念を説く【絵空事】と、明治の世になっても(いや、明治の世だからこそ)元幕臣が差別され続けている様子を書いた【番茶組】。過去3冊でもその時代性を作中に取り込んではいたけど、やっぱ明治となるとアプローチも変わって来る。でも個人的には、新聞錦絵の謎解きがどうしてもおどろおどろしい三面記事的なものが多いせいで、時代を見る大局的なエピソードが少なかったのは残念。
あっ、と思ったのは最後の【幻燈国家】。襲われかけた女性を救った警官は、青森県斗南から出て来た元会津藩士──ここで「もしや」と思った。更に読み進めると、うわあ、やっぱりそうだ、間違いない! あらまあ、ちゃんと名前も名乗ってくれたよ。こんなところで会えるとは、これは嬉しい驚き。そういえば1巻目の「完四郎広目手控」には天然理心流を修めてるってえ多摩の薬屋が出てきたのだった。ああ、こんなふうに繋がるとすごく嬉しいなあ。
(07.8.8)《詳細情報&注文画面へ》
雲の上の青い空・青井夏海(PHP研究所)
例えば、登校班からなぜかひとりはずれて歩く少女のことを描いた【みどりのおばさん】。読み終わったときには、彼女がなぜ集団からはずれているのかなんて真相はどうでもよくて、親同士が子供そっちのけで自分の主張を押し付け合うことの品の無さと不毛さが心に残る。また、往年の銀幕スターを追う【銀幕の恋人】では、自分になにがしかの権利があるように勘違いした若い雑誌記者の思慮の浅さが、なんともイヤ〜な印象。知り合いの三姉妹から母親の恋人を探るように頼まれた【三色すみれによろしく】には人を騙して利用しようとする心根が描かれるし、ひきこもっている息子とその親を描いた【透明な面影】は、親のありようもさることながら充分な社会常識を持ち合わせない若者にイライラさせられる。
彼らは一様に、自己を正当化する弁舌だけは鮮やかだ。つまるところ、やや表面的ではあるものの、どれも〈自分を正当化するための過剰な論理防衛〉を俎上に上げているのである。それは〈犯人〉だけでなく〈被害者〉の方にも当てはまる。
こうしてみると、本書は決してハートウォーミングなんかではない。確かに、そういう人間の嫌なところ、品のないところが最終的には駆逐され平和裏に解決されるという観点からみれば〈良い話〉なのかもしれない。でも真に著者が〈真犯人〉として描きたかったものは、不審者と思われてはいけないからとひとりでいる子供を心配して声をかけるのを躊躇するような社会のありようであり、建設的な解決を模索するより口か金で相手を押し込める方を選ぶ人々の心根なのではないか。
だからこそ、最終話【ウサギたちの明日】の結末は胸に迫った。過剰な防衛で体中に立てた針を溶かすのは、やはり真正面からの優しさなのよ。あとはもちょっと推理の面白さがあれば。
(07.8.9)《詳細情報&注文画面へ》
レイニー・パークの音・早瀬乱(講談社)
ほう、これはこれは。巧いじゃないか読ませるじゃないか。途中でやめられずの一気読みだ。乱歩賞受賞作「三年坂 火の夢」同様、明治を舞台に都市論とミステリをからめた趣向。今回のモチーフは〈公園〉だ。日本には江戸時代まで公園というものはなかった、というところから始まる公園史に「へえ〜」と思い、まず興味を惹かれる。
物語は夏雄の手記とセツの日記や記録の二つの視点で構成されている。この二つの視点のタイプの違いが、本書の魅力を担っていると言って良い。文学青年だった夏雄の手記は明治の学生(それもミッション系)というある意味特殊な階級を舞台に、デカダンな雰囲気に満ちている。〈頭の良い若者〉が陥りがちな観念先行の青春。学生たちも個性的で、明治ならではの味わいに満ちていて、実に明治青春小説といった観がある。一方、セツの章は生活感満載だ。食事の支度をして赤ん坊をあやして、その合間を縫って失踪した夫を捜す。金持ちになった友人と自分を比較して羨んだり、夫の秘密には女が絡んでるのかとヤキモキしたり。対極といってもいいこの二つが、同じ土壌の上にたって展開する様は、物語にメリハリを利かせているとともに、事件は現実と乖離したアチラ側にあるものではなく生活と陸続きなのだということを教えてくれるのだ。実に効果的だ。
もうひとつの特筆すべき特徴は、タイトルにもなっている「音」の使い方の巧さ。文字だけで綴られる小説という形態に於いて、さまざまな音や声がページから立ち上って来る。それも単なる舞台効果・演出効果というだけでなく、物語を動かすテーマとして音や声が存在しているのだ。生活というのは、いろんな音や声に囲まれているのだということ。子供の泣き声、お菜を刻む音、馬車の走る音、子供が階段を駆け上がる音──その音や声が消えるということで、非日常を表す。音に満ちあふれた日常の、なんとステキなことか。「音」は本書では決して前面には出て来ない。けれど、事あるごとに顔を覗かせ、抜群の印象を残す。巧いなあ。
ミステリ的展開も、きっちり様式を踏まえている上にテーマと十全に絡まり合って文句無し。小説の面白さが堪能出来る一作だ。ああ、もっとこの著者の明治ものが読みたいぞ!
(07.8.10)《詳細情報&注文画面へ》
ソロモンの犬・道尾秀介(文藝春秋)
事件云々よりもまず、しゃれた会話や気の効いた言い回し、飄々とした雰囲気のある描写が楽しくてくいくい読み進んでしまう。秋内君のなんともヘタレな片想いぶりがもう、情けないにもほどがあり、そこがかわゆーてかわゆーて。ひろ子ちゃんの疑心暗鬼も、京也のアレコレも、なんかもう〈遠い日の花火〉って感じで母のような目で読んでしまったわいな。若いっていいなあ、と遠い目。なんだろうなあ、恋愛の持つどろどろしたイヤな面には目を瞑って、片思いの楽しいところだけ抽出して「ヘタレ」を描いたような印象。え、けっこうどろどろしてるって? いやいや、こんな恋愛、めっちゃ可愛いっすよ。めっちゃ甘いっすよ。めっちゃサラサラしてますよ。実はけっこうシビアでビターな青春モノなんだけども、その苦さすら、時を経ると甘く感じるものなのよ。すっかりおばさんだなあ、あたし。
ただ、そこは道尾秀介なので、それだけで終わろうはずがありません。なんか小ネタだなあ小粒だなあと思いながら読んでいくと、いきなり「は?」と、ついポカンとするような展開を見せてくれる。書き手のニヤニヤ笑いが見えるような、稚気溢れる悪戯というかなんというか。でもねえ、この仕掛けって──確かに驚くけども。驚くけども、でも、驚くだけなんだよなあ。もちろん、これがないと次のアレもないわけだから展開の上では必要なんだけど、その見せ方が演出過多というか悪戯が過ぎるというか。おかげでなんかその仕掛け自体が物語からは妙に浮いてるように思えて。だから読後の感想として「仕掛けはちょっと横に置いておいて」というヘンな注釈をつけた上で「事件とその謎解きだけに特化すれば、なんか小粒だなあ」という部分が残ってしまう。事件そのものは知識で推理するタイプの話だから尚更。あ、もしかしたらこれは事件の真相云々よりも、その外枠の仕掛けを楽しむものなのかも。
印象的なのは、(具体的には書けないけども)人の思い込みの盲点をつくその手法。ミステリとは人間心理を書くのに適した様式であるっていう意味の事を著者はインタビューで語っていたけれど、なるほど「この人はこういう人だったのか」というサプライズに向けて伏線が巧緻に散りばめられてるあたり、かなり感心。ホントに伏線の仕込み方が巧い。
(07.8.11)《詳細情報&注文画面へ》
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