百鬼夜行〜陰・京極夏彦(講談社ノベルズ)
かなり困っている。というのもこの短編集は「姑獲鳥の夏」から「塗仏の宴〜宴の始末」に至る一連の京極堂シリーズの、裏話っつーか、番外編のようなものなのである。このシリーズは全部読んでるから、そういう読者にはうってつけの短編集──の筈なんだけど。
「弱者」とはだれか・小浜逸郎(PHP新書)
障害者、被差別部落出身者など、社会的弱者と呼ばれる人々に対して、それ以外の人はどう接していくべきか。彼らに対して抱いてしまう「遠慮の構造」とは、どのようなものなのか、について書かれた評論。その主張をあたしがここで要約して伝えるよりは、各自でこの本を読んで貰った方がいいと思う。だって、評論っていうのは結論だけ要約すれば通じるってもんじゃないから。
夜想曲(ノクターン)・依井貴裕(角川書店)
昔の仲間が集まった山荘で連続殺人事件が起きる。桜木和巳もその集まりに参加していたが、なぜか事件の前後の記憶が欠落していた。そんな桜木の元に、犯人を告発する小説仕立ての手紙が届く。もしかしたら自分が犯人なのではないかという思いを持って、その手紙を読んでいくと──。
クロへの長い道・二階堂黎人(双葉社)
「私が捜した少年」に続く、ボクちゃん探偵シリーズ第二段。いやあ、いいねぇ>渋柿シンちゃん。あえて子供の語彙じゃない、バリバリのハードボイルド台詞を多用させるあたりが、実にいい。ミステリとしてどうこうじゃないな。もう、これは設定の勝利だ。この著者が生み出したシリーズ探偵──二階堂蘭子とか水野紗杜瑠とか──の中で、群を抜いて好きだ>シンちゃん。正直、他の作品はかなりマニア度が高くて、どうも馴染めなかったんだけど、このシリーズは実にいい。トリックだ何だより、もう設定だけで充分だ(笑)。では個別に。
第10回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。ドイツの音楽大学で偶然ルームメイトになったヴァイオリン専攻のテオドールとオルガン専攻のヨーゼフ。ヨーゼフの類希な才能は周囲の期待を背負い、彼もまた、その期待以上の実績を作ろうとしていた。そんな時、彼を衝撃の悲運が襲う。
この闇と光・服部まゆみ(角川書店)
レイアは目が見えない。レイアの周りにいるのは、優しいお父さまといじわるなダフネ、そしてよその国の兵士たちだけ。レイアの国は戦に負けて、幽閉されているのだという。レイアはダフネの苛めに耐えながらも成長していく──これが第一章。そして第二章から、物語は大きく転換する。
愛こそすべて、と愚か者は言った・沢木冬吾(新潮社)
久瀬は探偵事務所を経営するバツイチ。ある日、別れた妻に引き取られた息子が誘拐され、身代金受け渡しに久瀬が指名される。そこから事件は思わぬ方向に転回を見せ──
ヴィラ・マグノリアの殺人・若竹七海(カッパノベルズ)
ちょっと辺鄙な海辺の街に固まって建ってる10軒の建て売り住宅。その中の一軒の空き家で、死体が見つかる。否応なしに巻き込まれる住人達。そして否応なしに暴かれていく、住人達の秘密。
日本人が優柔不断なのはどうしてか。優柔不断とは、どういう精神構造に基づくものなのか、と言った深遠なテーマを赤瀬川流に面白く描いた名エッセイだ。思わず、クスクスと笑ってしまうことしきりである。つい笑って軽く読み流してしまうけれども、その実、かなり鋭かったりもするので侮れない。これで還暦過ぎてるんだもんなぁ。どうしてこんなに柔らかい頭のままでいられるんだろう。
わははー、だって、これまでの話、覚えてないんだもん\(^o^)/。いや、何となくは覚えてるのよ。「姑獲鳥の夏」ってのは妊娠した女の話だった(と思う)し、「鉄鼠の檻」は箱根の寺の話だった(気がする)し、「絡新婦の理」は女子校の話だった(筈だ)し、「塗仏の宴」は(多分)催眠術の話だった。だけど、登場人物の名前や細かいエピソードなんて、殆ど覚えてないんだもんっ!おまけに「魍魎の匣」「狂骨の夢」の二作品は、どんな話だったかカケラも思い出せないんだもんっ!だから、収録作のどの話が、どの本編の裏話なのか、そのあたりが全然判らないし、「なるほどねぇ」と膝を打つってのも全くなかったのよ。だって気軽に再読できるシリーズじゃないって(笑)。
そんなワケなので、あたしにこの短編集を語る資格はないのである。わはは。京極堂シリーズと全く関係のない、独立した短編集として考えるのなら、また色々と感想はあるんだけど。例えば、どれも主人公がウジウジしてて、同じ言葉の反芻が多かったり、体言止めや「──」が多用されてたりするのが鬱陶しいとかさ(笑)。いや、この著者の物語ってのは、ある意味「蘊蓄」が楽しみな部分が大きいもので、主人公が一人で色々と悩んでる話ってのは、好みではないのであった。そういう意味では、【鬼一口】の、「鬼とは何か」という解釈は面白かったなぁ。
(99.11.1)
あたし個人としては、筆者の提案に諸手を挙げて賛成である。我が意を得たり、である。──しかし。提案(結論)には賛成するものの、そこに至る論証には全く納得できないのよね。いわば、総論賛成各論反対である。なぜなら。
物事を証明する方法ってのは二通りあるんだよね。ひとつは、自分の立論する主張をサポートするデータを挙げる方法。もうひとつは、自分の主張に対立するものを否定する方法。で、今回は後者だったんだけど、読んでてどうも気分が悪い。よほど巧い書き方をしないと、反証ではなくイチャモンに見えるんだもの。
第一、その「反証」が、「〜のはずはない」「〜とは思えない」「常識で考えると〜」という感じで、結局は自分の主観・価値観以外の否定材料は出てこないのである。つまりは主観だ。主張そのものにはあたしも同感なのに、そこに至る過程に客観的証明が薄い。その反駁だって、活字メディアや電波メディアで出ているものに対しての感想に過ぎず、何か自分が実地に取材して証拠を出してるわけじゃないんだもの。
おまけに「私は彼を責めているわけではない」とか「それが悪いと言っているのではない」とかの、保険をかける一文がやたらと多いのである。そういう文が出てくるってことは、そうとられるかもしれないなぁと自分でも思ってるってことだよね?だったら、人を責めてると受け取られ兼ねない論理を展開するよりは、真っ向から自分の説を証明しうるデータを自分で集めて分析する方が、主張の論拠としても優れているのではないだろうか。「負の証明」ではなく「正の証明」による評論を読みたいのである。
(99.11.2)
ずいぶん久しぶりの新作である。お馴染み多根井理も登場する。さすがにバリバリの本格である。が。うーん、どうかなぁこれは。確かにかなり細かく伏線が張られてて、それが一つ一つ解きあかされていく過程はイカニモ本格で、なるほどなるほどと思えるし、本格の醍醐味もあるんだけど。でもそれ以前に、これって気がつくんじゃないの?だって、不自然なほどに雰囲気が全然違うもの。あたしは細かい証明部分には全く気付かなかったけど、その文章の雰囲気から、「あ、これってヘン。もしかして──」と思ったけどなあ。なんかけっこうハッキリしすぎてる気がする。
「真犯人」に至っては、伏線もどきはあったにしても、やっぱアンフェアという気がするのは否めない。いや、アンフェアってのとはちょっと違うか。「あ、そう来るの?」って感じ。殺人の方の真犯人じゃなくてね、もう一つの方の。そういう方向に持っていくタイプの作家だとは思ってなかったのに。久しぶりの新作でワクワクしてたんだけど、ちょっと残念。
(99.11.3)
【縞模様の宅配便】著者も巻末に書いてるが、似たようなアイディアの話は他でも読んだことがある。だけど、シンちゃんの目を通して見せるってとこで、他の作品とは一線を画してるよな。この短編集の中ではイチオシ。
【クロへの長い道】「クロの行方」に関しては、もう何度も使われた手なので、(証明は別として)すぐに考えつく人が多いんじゃないかな。
【カラスの鍵】うーーーーーーーん。ちょっと無理っぽくない?チョコとガムの話は聞いたことあるけど、それって美味しくはなかろうと思うのは大人の発想なのかな(^^;)。
【八百屋の死にざま】動機と、どうして目撃者がいなかったのか、という点がズシンと来た。ボクちゃん探偵で、こういう重いものが来るとは。物語としては、一番好きかも。
(99.11.4)
オルガニスト・山之口洋(新潮社)
最初は、どこがファンタジーなの?と思いつつも、才能溢れるオルガニストと、その周囲の人々との友情という観点に主眼を置いて読んでいた。しかし、ヨーゼフが不幸に見舞われたあたりから、そして回想が現実に追いついたあたりから、俄然物語は回転していく。ファンタジーというよりはSFであり、ミステリだ。
転がりだした物語は、一気にエンディングへとなだれ込む。それは、誰も想像しえなかった結末。カタストロフィへの序曲が段々高まる興奮。ちょっと眉唾なSF仕立ても気にならない。
「ぼくは音楽になりたい」──はじめは音楽家の情熱を表す、カッコイイ台詞にすぎなかったこの言葉が、ラストでは読者に鳥肌を立たせるまでに変貌する。実際、読んでいて鳥肌が立ったのだ。背中に冷水を入れられたように、ぞっとしたのだ。それはもちろん、結末の奇抜さだけによるのではない。そこに至るまでに充分盛り上げられた気持ちを、そういうところへ持っていかれるのかという──何というか、つまりは、狂おしいまでの、切なさ。
文章がまたいい。シンプルで、ケレンのない、それでいて流れるような文章。余計な装飾を廃し、淡々と、それでいて深みのある文章。このストーリーには、この文章でなくてはならない。特に特徴があるわけではないが、抜群の演出力を持っている。文章、ストーリーの両面において、素晴らしい佳作だ。
(99.11.5)
何というか──何を言ってもネタバレになってしまうんだけど、さすがは「耽美系本格」(こんなジャンルがあるのか?)の第一人者、服部まゆみである。物語を構築する手腕は絶品だ。最初、なんだこりゃ?童話か?と思いながらも、だんだん引き込まれていった。そこここに登場する小道具が、ちょっと心に引っかかりながらも読み進んだ時。おおっとビックリ!である。
個人的には、第二章の始めで終わってもらった方がよかった。第一章の謎が、この物語の最大の謎ではないか。そしてその謎は、第二章の始めで解けるのだ。それ以降は、では誰が何故、という段階に移るわけだが、正直言ってそれはどうでもよかった。蛇足、とすら思えるのだ。もちろん、細かい謎解きは最後まで続く。でも、それは最大の謎が解かれてしまったあとのデザートに過ぎない。
最大の謎が、早々に解かれてしまった後。主人公はどうするのか。確かにそれはそれで興味深く、また、主人公の思いや行動は一つの物語世界を形成するに充分ではある。登場人物達の、単なる被害者と加害者というだけでは割り切れない切ない関係も、胸に迫るのは確かだ。しかし、それでも、最大の山場を話半ばで迎えてしまったのは否めない。その山場が、非常に高く魅力的な山だったのでなおさらだ。──そう考えると、やはり服部氏ってのは、巧い、のである。
(99.11.5)
アクションあり、推理あり、親子愛ありの、サービスてんこもりである。特に、物心つく前に別れてしまった息子との「親子のやりなおし」に試行錯誤するくだりは、すごくいい。ストーリー展開も早く、登場人物の位置づけもよく練られてるし、構成もしっかりしてる。ヒットマン(なのかな?)の殺人シーンも、どこか切なげで、ちょっと薄ら寒くて、味がある。脇役の一人一人もないがしろにせず、ちゃんと個別のエピソードを準備して、人物造形を際だたせてる。それが全然うるさくなくて──つまりは、巧い、のである。
ってことで、本来ならお勧めマークをつけて当然なんだけど、どうしても根本的な点に共感できないで、その「共感できない部分」が全編を通して底辺にあるだけに、お勧めマークをつけられないのだ。つまり、
単に、「ハードボイルドのお約束」をあたしが受け入れられないだけかもしれないんだけどさ。でも、普通に考えたら、子供を見捨てるような母親なんかとっとと見限って、もっと「親子のやりなおし」に集中すればいいじゃん、って思わない? 誰に頼まれたわけでもなく、むしろ皆から止められてるのに、息子との関係という大きな問題も抱えてるのに、どうしてわざわざ出しゃばるのかなあ。そこがどうしても納得できないのよ。
(99.11.8)
書きようによっては、「現代社会に巣くう日常の恐怖」ってなアプローチが充分可能な題材である。そして、よく読めば、そういう側面もかなり大きくあるのだ。が、そこを敢えて著者は、軽めのご近所ミステリに仕上げてある。著者曰く「重苦しい情念の世界」や「鬼面人を驚かす類いの大トリック」はない「コージー・ミステリ」だそうだが、どうしてなかなか、ご近所づきあいの実態は情念の世界だし、ミステリとしての筋立てもしっかりしてる。大トリックじゃないけど、伏線も真相の意外性も、かなりキッチリと練られてるぞ。
登場人物が少し類型的に過ぎるが、それも、典型的なパターンを更に大仰に描くことによってキャラクターの位置づけを読者に理解させるためと、言えなくもない。ただねえ、ちょっとねぇ……仕事を持ってる女性はどれも「能力のある、しっかりした常識人」なのに対して、専業主婦はどれも「自己中心的なバカ」に描かれてるのがちょっと気に入らないんだよなあ(笑)。確かに、専業主婦に対する一般的なイメージとして、自分の家族だけが社会の全部で、ヒマに任せて人の噂話ばかりしてるって風に描かれがちではあるけど。女性作家にそれをやられちゃ救われないわ(;_;)。働いてるバカも、頭のいい専業主婦も、世間にはたくさんいると思うぞ。ここらの対比がちょっと安易に見えるんだけど、考えすぎかな。
(99.11.11)
優柔不断術・赤瀬川原平(毎日新聞社)
ただ、最も興味を持ったのは、本題と全く別の箇所ばかりである(ゴメンナサイ)。
ひとつめは、世界地図のコラージュを日本列島に見立てるという箇所。出典は戦前の宗教の資料にあるらしいのだが、北米大陸をちょっと傾けて北海道、ヨーロッパを含むユーラシア大陸が本州、九州はアフリカで四国はオーストラリア(某ミステリを思い浮かべた人が50人はいるはずだ(笑))。そうすると、見事なほどに日本列島に類似したコラージュになるのである。それだけじゃなくて、富士山の場所にエベレストが、琵琶湖の場所にカスピ海があったりする!伊豆半島の位置にはインドが来て、どっちもお茶の産地だったりする!寒い東北地方はシベリアで、能登半島はスカンジナビア半島だ。アイヌを追いやって開拓した北海道は、ネイティブアメリカンを追いやって開拓したアメリカだ。巧く出来てて面白い。本の中に絵があるから、見てみてくれ。
ふたつめは、例の「千円札偽造事件」の顛末。なるほど、こういうことだったのね。
みっつめは極めて個人的なことだが、著者が大分で育って名古屋に移り住んだってこと(笑)。そして著者が名古屋で通った高校ってのが、編入試験に石膏デッサンがあり、洋画や彫塑などの中から専攻を持つという美術系の高校だってこと。名古屋でそういう高校って2〜3校だよね?ってことは、義父の出身校である可能性もあるのだ。生まれ年は一緒だけど、著者は3月生まれなので義父の1年先輩──かもしれない。ワクワク。誰か著者の出身高校名知らない?
(99.11.12)
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