お厚いのがお好き?


東京セブンローズ・井上ひさし(文藝春秋)

 昭和二十年。敗戦と同時に進駐軍は日本から漢字を廃止し、ひいては日本語のローマ字化を図ろうとした。それに立ち向かったのは政府ではなく、市井の人々。それも女性達だった──。
 物語は、主人公山中真介の日記という体裁をとっている。まず、「昭和二十年」と言えば想像するような悲惨さは微塵もない。もちろん家族を亡くした怒り、悲しみ、生活の苦労などはあるけれど、後の世代が過大に思い描くような暗さはない。久世光彦もエッセイで言っていたが「戦争中も楽しみはあったし、嬉しいこともあったのだ」というのは、実際こういうことだったんだろうと思われる。真介の妻が結婚記念日のおねだりに「お風呂に入りたい」という件など、当時の耐乏を思わせると同時に、ほのぼのとした市井の日常が伺えるではないか。暗さ・悲惨さを過大に演出するばかりが、戦争物ではないということだ。
 そして本編の眼目となるテーマ。日本語のローマ字化──無条件降伏というのは「降伏はするが、戦勝国は日本に対して何も条件をつけない」という意味だと勘違いしてる人が多かったという皮肉。「何でも戦勝国の言いなりになるという意味だった」と判った時の驚愕。母国語が無くなると聞いた時の怒り。そして──同じことを、日本は朝鮮・台湾・満州に強制してきたんだということへの、罪悪感。計り知れない罪の重さを痛感する。
 日本語のローマ字化を阻止しようとした《東京セブンローズ》の活躍は、そのまま活劇だ。もちろん、そのくだりも面白い。だが、国民にとって国語とは何なのかという問題提起を、今、行うということに意義を感じる。これは是非、広い層に読んで欲しい物語だ。
 ああもう、ご託はいい。とにかく読め。 (99.11.14)     

説教師カニバットと百人の危ない美女・笙野頼子(文藝春秋)

 八百木千本は、ブスを主人公に描いた小説で名をなした小説家。何を隠そう自分自身が非の打ち所のないブスで、恋愛も結婚もスッパリ切り捨てて暮らしている。一人で気ままな暮らし──の筈だったのに、ひょんな事から100人もの女ゾンビに取り憑かれてしまったのだ。彼女たちは、結婚したい、結婚できない、でも結婚したいという怨念に凝り固まった女たちのゾンビ。今日もゾンビからのファックスが届く……。
 個人的に《女筒井康隆》と命名している笙野頼子氏の新作である。もう、かなり笑えるぞ。とにかくブスの描写と、そのブスをとりまく現代社会がブスにとって如何に冷たいものかを、風刺あり逆説ありブラックありで謳い上げる。はっきり言って、自分の容姿に深〜いコンプレックスがある女性は、読まない方がいいってくらいの毒だ。かなり笑える毒だけどね。いや、いっそ読んだ方がふっきれるかな(笑)。
 とにかく「結婚したくて結婚したくて、そのために努力もしてきたはずなのに、でも結婚できなかった女たちの怨念」が、素晴らしくすさまじい(なんちゅう日本語だ)のだ。いやもう、女性に限らず、結婚に限らず、何か一つのことに視野狭窄にならないように気をつけようね>おおる>と、つい呼びかけてしまいたくなる。これは見事なほどの、結婚至上主義へのアンチテーゼだ。
 ラストがちょっと失速したかな、という感じがあってチト不満。事態の収拾のつけ方に興味があった分だけ、ちょっと拍子抜けしちゃった感有り。 (99.11.15)     

人形式モナリザ・森博嗣(講談社ノベルス)

 夏休み、小鳥遊練無は信州のペンションでバイト中。そこに、練無のツテで無料避暑を画策した紫子、紅子、保呂草がやってくる。事件は人形博物館で起こった──。
 殺人事件と、絵画盗難事件と、「モナリザを捜す」という三つのパートから成り立っている。「モナリザ」の在処に関しては、たまたまこないだテレビで似たような趣向のものを見たため、見当がついてしまった。残念。しかしモナリザも殺人事件も、かなり頭の中で「映像化」しないと判りにくいよなあ。丹念に説明されてるとは思うんだけど、ちょっと本から目を離して、人物の位置関係や舞台の構成などを頭の中に再構築しないと理解できない(あたしがバカなだけ?)。その上、結局、動機がよく判らなかったんですけど。殺人事件にしろ、モナリザの隠し方にしろ、どうしてそんなことしたんだろってのが今ひとつ……。あ、絵画盗難事件については、してやられた(笑)。うーん、唸っちまったい。そう来たか。
 謎解き部分以外でどうも気になるのは、紅子のプライベートエピソードとミステリ部分の乖離である。キャラを立たせるためだけだとしたら、書き込みすぎなくらいだから、何かあるんだろうとは思うんだけど。少なくとも単独の小説としては、どうもまだ、紅子のプライベートな環境と物語との関わりが見えてこない。そのため物語の中でスッキリ融合してくれないんだよね。ま、このあたりはシリーズ続編を読んでいくうちに、次第に融合してくるのかもしれないが。それにしても今回のストーリーには、《主人公グループ》が多すぎないか?(笑) (99.11.16)     

日本語よ、どこへ行く・井上ひさし他(岩波書店)

 同題の講演・及びシンポジウムを収録したもの。講演は井上ひさし氏、シンポジウムは寿岳章子・井上史雄・天野祐吉・俵万智・増井元・小池保の六氏である。日本語を語るに相応しい堂々たる論客ぞろいだ。
 まず、井上ひさし氏の講演。日記を読んでる人は充分知ってるとは思うけど、あたしはけっこう日本語が好きだ。拘ってると言ってもいい。マスコミや、街で耳にした言葉などで「間違い」があったりすると、それをネタにして日記に書いたりしてる。が、いきなり井上ひさし氏がこう言ってるのを読んで肝が冷えた。曰く
 「『言葉が乱れてる』という人は『自分の日本語は正しい』と思ってる人だ」
 もう、ぐさぐさ来た(笑)。あたしは単に『間違った語法や語彙が嫌い』ってだけで、別に『言葉が乱れてる』と憂えてるわけじゃないんだが、確かに「自分の価値観に固まりすぎてる」という部分はあるかもしれない。自省。
 後半のシンポジウムは「果たして現代の言葉遣いは、本当に乱れているのか」がテーマ。そういう視点で話すと、どうしても若者言葉を真っ向から否定するか、逆に若者文化に迎合するかの両極端になりやすいんだけど、これはなかなかいいスタンスで皆さん話しておられる。非常に勉強になった。詳細な例は本を読んで頂くとしても、「チョームカツク」「かなりやばい(平板アクセント)」だの半疑問型イントネーションだのを聞いて、「なんじゃそりゃ」と文句言ってるだけでは、まだまだ甘いのだった。それが出てきた背景(社会背景だけでなく文化的・歴史的背景ね)を踏まえて分析すると、いろんな事が見えてくる。お勧めの一冊だ。ところで、「チョー」という若者表現、静岡が発祥だって知ってました? (99.11.14)     

啄木鳥探偵處・伊井圭(東京創元社)

 石川啄木を探偵役に、金田一京助をワトソン役に据えた連作物──なんだけど。歴史上、実在した有名人物を探偵役にしたミステリって多いよね。それで最も大事なものは何かっていうと、その人物を登場させる必然性、だと思う。なぜその人でなくてはならないのか、という寄って立つところをしっかりと確立させた上で、その人物の肉付けなりエピソードなりが生きてくるものだ。傑作の誉れ高い作品群は、いずれもそこがキッチリしてるのである。
 翻ってこの作品──辛口を許して頂けるなら、なぜ石川啄木なのかが皆目分からない。啄木と金田一京助の交友や、啄木の作品に似ない破綻的生活などは有名で、それを今更小説仕立てで読まされても新鮮味はないし、更に、出てくる謎も、その解決も、「啄木ならでは」というものでは全くない。これなら、誰か架空の人物を探偵役に据えても良かったではないか。
 五話の短編から成り立っているが、いずれもキャラクターが空回りしている。啄木を、金田一京助を、いったいどうしたかったのか。それをどうミステリと絡めたかったのか。五話目には別の人物も登場するが、これも途中で誰なのか見当がつくし、ついたからと言って「それがどうしたんだ?」で終わってしまうのだ。何がやりたかったのかが分からない。否、やりたかったことは分かるが、その効果と目的が分からない。取材はかなりされており、時代考証もしっかりされてるだけに、策士策に溺れたように見えて仕方ないのである。 (99.11.18)     

パンプルムース氏の秘密任務・マイケル=ボンド著・木村博江訳(東京創元社)

 「パンプルムース氏のおすすめ料理」に続くシリーズ第2弾だそうで──またやっちゃった(笑)。パート1を読まずにパート2から読むという、掟破りである。いや、パート1が面白いって評判を聞いたんだけど、すぐに入手できたのはこっちの方だったのよね。パート1も可及的速やかに入手するつもりでおります。
 というわけで、「くまのパディントン」の著者が書いた、大人向けのミステリである。フランスのグルメ誌の覆面調査員であるパンプルムース氏は、編集長の叔母が経営しているというホテルのレストランへ赴く。味も評判も悪いので建て直しを命じられたのだ。だが、どうもそれだけではないらしい……。
 とにかくキャラがいい。パンプルムース氏もいいが、犬のポムフリットが最高だ。ミステリとしてはあいにく今ひとつだけど(実際、シリーズの中でも本作は謎解き色はかなり薄いそうである)、とにかく出てくる人たちが皆生き生きしていて、お茶目で、笑える。児童文学作家だけあって、細かい描写が親切だ。料理の描写はピカイチで、ホントにまずそう(笑)に書いてあるの。そして児童文学作家らしからぬ色っぽい(?)事件におかしみもある。謎解きを期待すると肩すかしを食らう可能性もあるが、それは他のシリーズ作品に譲るとして、まずは愛すべきキャラクターにキスを!
 え?褒めてる割にお勧めマークがついてない?だから謎解きとしては今イチなのよ。パート1にお勧めマークを譲るつもりで、こっちは無印! (99.11.19)     

夢幻巡礼・西澤保彦(講談社ノベルズ)

 奈蔵は、母親の歪んだ独占欲に押さえつけられながら成長。さまざまなトラウマを背負いながら大学に入学した奈蔵は、さやかという小学校時代の同級生と再会する。彼女は、奈蔵が子供の頃に傷つけてしまった相手だった。しかし、彼女のはその記憶がないという。そして、彼女との出逢いが、彼を殺人鬼へを変貌させるきっかけとなった──。
 
「幻惑密室」「実況中死」「念力密室!」などに継ぐ、神麻嗣子シリーズ……の、番外編。番外編を出すほど統一されたシリーズテーマなんて、まだ出てきてないじゃんというのが第一印象。かといって、独立した一編の物語として読むには、あまりにも尻切れ蜻蛉だ。確かに提示された謎は解かれてるけど、物語としては何一つ完結してない。従って、ひとつの作品を読み終わったという達成感もないし、カタルシスもないし、残されたのは、なんつーかその、脳味噌の残尿感(笑)みたいなもんだけだ。
 そんなわけで、これだけでも感想も何もない、というのが正直な感想である。番外編を先に書く必要が、何かあったからこその出版なんだろうけど──ま、単独でこれだけ読んで首をかしげる読者のいないことを祈る(笑)。
 あ、そうそう。こういうサイコ・キラーものって、そろそろ食傷気味なんだけどなぁ。まだまだこの手のブームは続くのかしら。ふぅ。 (99.11.22)     

突破 BREAK・西村健(講談社ノベルズ)

 「ビンゴ」「脱出 GETAWAY」に続く、新宿を舞台とするシリーズ第3弾。しかしシリーズと言っても共通して出てくる主要キャラクターは、土器手警部と孤高のハードボイルド犬・ケンペーくらいで(他にいたかな?あたしが忘れてるだけかもしれない)、別モノと思っても一向に構わない体裁である。うーん、オダケンのマスター出てきて欲しかったなぁ。
 新宿に居を構える大文字探偵事務所。大文字一徹は身長と体重が同じ数字という巨漢で、従業員は幼なじみにして元大蔵省勤務の才媛・桐葉万季ただ一人。そこへ、懇意にしている(?)ヤクザから「行方不明になった構成員を捜して欲しい」という依頼が舞い込む。一方、土器手警部は殺害後に指を切り落とすという妙な共通点のある3つの殺人事件を追っていた──。
 正直、「ビンゴ」「脱出 GETAWAY」のような全編通した勢いはないと言わざるを得ない。しかしその分、今回は綿密な取材と方法論に裏打ちされているように思える。確かにデフォルメされたキャラクターやドタバタは減ったけれども、それは犯罪の性質上仕方ない。だいたい、インターネットを使っての犯罪なんて、これまでのオダケンシリーズのメンツじゃぁ無理だわなぁ(笑)。
 大蔵官僚が考えるだけあってかなりの知能犯罪ではあるが、物語の圧巻はやはり「大文字一徹が走る」クライマックスシーンだ。唯一のパワーと言ってもいい。このシーンを読むと、作者の勢いが落ちたわけではない事が分かる。パワーと、緻密さと──両方を兼ね備えた西村健に、もう怖いものなんてない!と思うのはあたしだけか?
 ただ、できればもうちょっとムチャなところが戻ってきて欲しいぞ。これまでのキャラやドタバタが好きだった身としてはちょっと残念だもの。でも、とにかく面白い。このシリーズはずっと続いて欲しいなぁ。 (99.11.23)     

ともだち・樋口有介(中央公論社)

 「ベイドリーム」で「草平ちゃん以外のキャラも書けるんだ!」と証明した作者だが、もう一つの懐刀・青春モノでもやってくれました!「プラスチック・ラブ」は今イチだったけど、これはいいぞお。「林檎の樹の道」の世界に近い、胸キュンものである。
 神子上さやかは、古武道の流れを組む剣術道場の一人娘。ところが高校入学早々、剣道部の顧問と勝負して勝ってしまったため、学校じゅうから「畏れられ」てしまい、特に親しい友人もいない。そんな状況に特に不満も持たず、孤高を楽しんですらいたさやかだが、彼女の学校の生徒が次々と襲われるという事件が起きた──。
 さやかだけでなく間宮・水涼といった主要な役どころが、いずれも特別の才能や環境を持っているあたり、ちょっとマンガみたいな都合の良さが無いではない。これじゃぁ森雅裕の世界じゃないか(笑)と思ったのだが、あにはからんや、それも同じような環境だからこそ互いを鏡にできるという、テーマに沿った意味があったので納得。第一、間宮も水涼もとてもいいキャラなのだよ。いや、キャラって面で言えば、やっぱさやかの祖父にかなうキャラはないだろうけどね(笑)。
 友だちなんていなかった、特に欲しいとも思わなかった──そんなさやかが動き出すきっかけ。そして動いた結果、彼女が得たもの。ミステリの体裁をとってはいるが、そしてミステリとしても緻密な伏線と意外な真相は充分水準を上回っているが、やはりこれは青春小説であろう。ありがちな若者批判でもなく、必要以上に若い世代に媚びを売るものではなく、ひとりの少女を媒介にして「ともだち」を描く。「若者」を語るのではなく「さやか」を語っているのが、さすがである。ラストの対決シーンで放ったさやかの決めの台詞は、感動モノだ。 (99.11.26)     

凍える島・近藤史恵(創元推理文庫)

 第4回鮎川哲也賞受賞作。この著者の作品は殆ど読んでいるけれど、これまではさして文章がいいという印象はなかった。しかし、この作品の文章はいいなぁ。こんなに表現力や語彙のある人だったんだ。解説者が連城三紀彦を引き合いに出していたが、あたしも読み進むうちに連城三紀彦を連想していた。連城三紀彦の文章は泉鏡花のそれに連なる──ってのがあたしの持論なんだけども、この著者もその系譜に入るのではないか、と思ったくらい。
 表記でちょっと気になったのは、長音の使い方である。ジインズ、ビイル、グレエプフルウツ……どうして「ー」を使わないんだろう? おまけに、モォタァボォトでは長音が小文字なのに、ノオトやコオヒイでは大文字なのは何が違うんだろう? 勿論、何か主義があってのことだとは思うんだけど、その主義が何なのか分からないので、どうも違和感があり、そこで目が止まってしまう。せっかく連城三紀彦もかくやという文章なのに、そこでリズムが途絶えるのが非常に惜しい。
 それともうひとつ、漢字と仮名の使い方も気になるのよね。「いぬ」なんて言葉を、どうして平仮名で書いてるんだろう。「老犬」では「犬」という漢字を使ってるのに。「うた」も平仮名だったなあ。そういうのが、多々ある。これも著者本人の主義があるのだろうとは思うが、やはり違和感があるのである。ミステリだけに、何かの伏線かと思っちゃうのよね(笑)。
 さて、文章はそれくらいにして、内容。
 喫茶店・北斎屋のあやめとなつこは常連さんたちも誘って無人島へ旅行にでかける。そこで起きる連続殺人──とまぁ、本格ミステリの世界では王道と言ってもいいくらいの、嵐の山荘ものである。古い酒を新しい皮袋にの例えもあるし、それはいい。ただ、この結末は(個人的には)納得できないなぁ。動機も、それに対してのあやめの対応も形而上的で、理解しづらいのよね。好みとしては、形而下の事象をこの旋律のような美しい文章で描いて欲しかったのだけど。 (99.11.26)     


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