お厚いのがお好き?


ヤンのいた島・沢村凛(新潮社)

 第10回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。幻の動物、ダンボハナアルキを見つけるために学術調査団のメンバーとしてイシュナイ島を訪れた瞳子。しかし島は、政府軍とゲリラの抗争中で、自由な調査はできない。瞳子は深夜こっそりキャンプを抜け出してダンボハナアルキを探しに行くが、ゲリラに捕まってしまう──。
 次第にゲリラに肩入れしていく瞳子と、ゲリラの頭領・ヤンの交流が物語の要になる。平和な暮らしを手に入れるために戦うという二律背反。その二律背反の中で、ヤンと瞳子が見る3つの夢。夢という素材を扱うファンタジーは多いけれど、この「使い方」は白眉である。成り得たかもしれない別の自分。しかし、それにはそれの苦しみがある。一歩間違えば非常に教訓色の強くなる物語を、切ないファンタジーに綴りあげる手腕は見事だ。
 惜しむらくは、結末である。含みと希望を持たせた終わり方ではあるものの、「おいおい、ここからが本番じゃないのかよっ!」と言いたくなる。本当に知りたいのは、読みたいのはこの先なのにぃ(;_;)。ま、物語のポイントは「そこに至るまで」にあるわけだから、ここで止めるのも確かに理解はできるのだが──物語世界に入り込んでると、やっぱこの先が知りたいよ、なぁ? (99.11.30)     

孤狼の絆・日本冒険作家クラブ(編)(角川春樹事務所)

 馳星周・香納諒一・斎藤純・今野敏・鈴木輝一郎という、豪華だけど統一感のないラインナップ(同じ冒険小説っつっても、この5人ってタイプが違うと思わん?)。ということで、いかような趣味の人でも最低一つは《当たり》がありそう。おまけに全てが書き下ろしっていうんだから、ファンは要チェックである。
【海鳴りの秋】香納諒一:少年と父親の物語。シビアな状況が、淡々すぎるほど淡々と描かれてるんだけども、それでも何か滲みてくるってあたりが、この著者の真骨頂か。
【暗殺予告】今野敏:ベイエリア分署のシリーズ。この著者の警察物はカタルシスがあっていい。思い通りにいかない事があっても、最後には大団円になるんだもの。精神衛生にいい話。
【ブルースカイ】斎藤純:友人の妻と繰り返す不貞。その友人と一緒にロードレーサー(競技用自転車)で山に登る主人公。ロードレーサーが小説に登場するってだけでイチオシなんだけど(笑)、ああいう体とマシンの動きを描写させたら実に巧いねこの人は。
【会いたいけれど、会いたくない】鈴木輝一郎:「新宿職安前託老所」シリーズを彷彿とさせるような、でもあれほどブラックではなく、むしろコミカルなほのぼのとした話。ネタは途中で割れちゃったけど、出てくる人たち一人一人が生き生きしてて魅力的で、すごくいい。
【笑窪】馳星周:毎度の事とは言いながら、どうしてこの人の話の主人公は堕ちる一方なのかね(笑)。短編だから堕ち方も少なかろうと思ったら、しっかり堕ちた。途中でどうにかならなかったのか、といつも思うんだけど、どうにもならないという状況を描いた話なんだから、まぁ仕方ないか。
(99.12.1)     

斃れし者に水を・渡辺容子(祥伝社)

 「斃れし」は「たおれし」と読む。
 町の美観を守ることに心血を注ぐ町内会長が殺される。その日、シナリオライターの藤原真澄は、自分の不倫相手である織田を現場近くの駅で見かけた。織田に疑惑を持つ真澄だが、そんな中、織田が糖尿病で入院することに。真っ当な方法で見舞うことができない立場の真澄は、付添婦として織田の側にいようとする。しかし病院内でまた事件が──。
 素人探偵を使う難しさは、本来なら警察に任せるであろう捜査になぜ素人がしゃしゃり出るのか、を読者に納得させなくてはならないという点にある。「推理マニアの女子大生」や「好奇心過剰のOL」がやたらと二時間ドラマに登場するのは、そこを安易に済ませようとしているからだ。しかし、この物語はそこが秀逸である。好きな人を信じたいが信じ切れない、もしも彼が犯人なら警察より先につきとめて、そして「あたしが守ってあげたい」と思う。これが普通の恋人や主婦なら、そういう発想はしない。前向きに自首させるか共に逃げるかだろう。しかし、主人公は先の見えない不倫の真っ最中である。「彼を守る」ことで、彼を所有したいという願望。それがベースにある。だから、付添婦にばけるという方策も納得してしまうのだ。おまけにこの「不倫相手に対する占有欲」=「だめだとわかっているのに見る夢」というのが、あらゆる場面で効果的に顔を出すために、真澄の言動はある時は切なく、ある時は歯痒く、そしてある時は強く賢く、読者を魅了する。
 その上、病院内の描写も、この作者は実際に付添婦をやったんじゃないかと思わせるほどのリアリティがある。登場人物個々の顔ぶれや性格づけ、そして真相も見事である。乱歩賞以来、着実に力をつけ、佳作をものにしている作家だと言えよう。 (99.12.6)     

本格推理15〜さらなる挑戦者たち・鮎川哲也(編)(光文社文庫)

 ついに15巻である。とりあえずはこれで一度切りをつけ、次回配本からは二階堂黎人氏を編集長に据えて「新・本格推理」になるのだそうだ。今回は巻末に二階堂氏からのメッセージが載せられていて、本編よりもそっちの方を興味深く読んだ(おいおい)。
 何が書かれてあったかというと、「僕は投稿者にこんな作品を望んでいます」という内容で、つまりは二階堂氏考えるところの「本格推理」の定義である。ファン或いは書き手なら自分なりの「本格推理観」は当然あるわけで、二階堂氏のそれは基本に終始して分かりやすく、論旨明解で説得力があり、それでいて決して狭量でない懐の広さを感じさせる。さすがである。本格推理を書こうとするものは一読の価値ありと思う。ただ、中にちょっと気になる記述があった。曰く

 昔は、低俗極まりない一部の似非知識人が、「ミステリーは人間が書けてなければならない」とか、「動機が重視されなければならない」とか、「現実的でなければならない」とか、「名探偵が出てきてはいけない」とか、「トリックは不自然だから不必要である」とか、まったく愚にもつかないことを平気で言い、作家に強制したりしました。しかし、新本格推理の勃興によって、今はそうした誤解は拭い去られ、足枷は完全に取り払われています。(P.458)

 二階堂氏に言わせれば、まさにあたしの考えも「低俗極まりない似非知識人」と同列ということになるが(笑)、確かに上記のような足枷(それを足枷と言うなら)は今はなくなっている。そうでなければ、ここまでパズル性オンリーの作品が続々と上梓される理由がつかない。それを求める読者がいて、それを著したい作者がいるなら、それもまた立派な一ジャンルだろう。
 ただ、あたしは、「人間が書けてなくて」「動機もはっきりせず」「非現実的で」「まずトリックありき」というような小説に魅力は感じない。このシリーズは、これまでもそうだった。次号から、更にそういう作品が強く望まれているのであれば、読まない。それだけだ。 (99.12.7)     

退屈な読書・高橋源一郎(朝日新聞社)

 週刊朝日に連載されていたコラムを集めたもので、「いざとなりゃ本くらい読むわよ」の続編になる。体裁としては、毎回一冊の本或いは一人の作家をとりあげ、それについて書くというもの。書評本である。書評本の書評ってのも不毛な気がするが(笑)、まぁいいか。
 扱われている書籍は、あたしの不勉強のせいで未読のモノが多い。だが、未読だからこそ書評を読む意義もあるってわけだ。で、高橋氏の文章は実にいい書評である。なぜなら、「読んでみよう」という気にさせるからだ。それが書評の真骨頂である。それも粗筋を解説するとか物語のポイントを語るとかでなく、一見無関係なことを述べてるふうでいて、ちゃんとその本の話になっていく。このあたりは見事と言う他ない。こんな書評が書けるようになるといいなぁ。
 印象に残ったのは、短歌や現代詩について書かれた章。興味のない人にはどうでもいい部分かもしれないが、愛好家としては思わず涙ぐむような(笑)記述が多々見える。もっと声を大にして言ってくれ、そしたらもっと詩歌も広まるのに、と拳を握ってしまう。それからもう一つ、書評についての一文。褒めればいいというものではない、と氏は言う。褒めてる時は勿論、そうでないときも「そんなにヒドイのなら、一度読んでみたい」と思わせるような書評がいい書評なのだそうだ。なるほど。あたしが貶した本たちも、そう思って貰えてるといいのだが。 (99.12.8)     

象と耳鳴り・恩田陸(祥伝社)

 何がいいって、装丁がいい。今年のベスト装丁賞だな。一昔前のアメリカの小説──英文学系の大学で副読本に使われるような冊子──を彷彿とさせる、非常にセンスのある装丁だ。と思ったら、装丁の由来が後書きにかかれていた。なるほど、さもありなん。
 退職判事・関根多佳雄が活躍する本格推理の短編集。下手をすれば単なるパズルゲームで終わるような話を、こうも見事に読ませてしまうというのは、著者の筆力以外の何者でない。要は、パズル性の強い話でも人間の心に踏み込んで描いてるから、重みが出るのだ。パズルと物語は両立するという証明だ。では個別に。
【曜変天目の夜】友人の死の真相。これは悲しく、切ない。うるうるしちゃう(;_;)。
【新・D坂の殺人事件】D坂って、団子坂じゃないわけね(笑)。
【給水塔】情景描写が抜群に巧い。ちょっと無理があるかと思うけど、想像の話だもんな。
【海にゐるのは人魚ではない】息子との推理合戦。単なるゲームになりかねない構成を幻想的に仕上げ、それでいて論理的。見事!
【ニューメキシコの月】ミッシングリンクもの。なるほど、巧いなぁ。
【誰かに聞いた話】あ、こういうことある!本格推理のベースって、こういう部分かも。
【廃園】幻想的な文章に惑わされてたら、この真相にはビックリ!これぞ恩田氏の真骨頂だ。
【待合い室の冒険】息子との推理合戦その2。行動が伴う分、スリリングでカタルシスも格別。
【机上の論理】これはNHKの某番組では──(笑)。山田吾郎に推理させたいぞ(^o^)。
【往復書簡】手紙だけで進める手法ってのは伏線がバレやすいんだけど、巧く料理してる。
【魔術師】長編を短編に縮めたせいか、ちょっと雑に見える部分がもったいない。構成に手を加えると、すごくステキな作品になりそうなのに。 (99.12.9)     

不思議の国のアリバイ・芦辺拓(青樹社)

 さまざまな困難に遭いながらも、怪獣映画の製作に燃えるスタッフたち。しかし、彼らと確執のあった業界ゴロが顔を焼かれて殺されるという事件が起こる。製作スタッフに延びる捜査の手。森江春策は彼らを救うことができるのか──?
 タイトルで名言されてる通り、アリバイ崩しが眼目の作品である。どうもこの著者の作品ってのは、非常にややこしいトリックと独特の言い回しが多い文章で、なかなか一度でスンナリとは理解しがたい作品が多かったのだが、今回のはとても巧く出来ていた。何しろトリックが浮いてない。トリックにも動機にも必然性がある。だから読んでいても安心して物語世界に遊べるのだ。ただこのトリックは、かなり読者を選ぶのではないだろうか。
 最大の眼目は死体が持っていた地図とアリバイトリックの関わりである。このあたり、読み手に知識があるかないかが、膝を打てるかどうかの分かれ目になるだろう。また、プロローグに登場する《犯人》が感じる様々なことも、最後になってなるほどと思わされるものの、それでも全ての読者がそれを受け入れられるかどうかは、ちょっと微妙である。推理合戦で森江春策に勝つためには、最初から読者にもある知識が要求されるわけだが、推理はさておき純粋に物語を楽しむなら、この興味深い事象に「へぇ」と思わされることは間違いないだろう。 (99.12.10)     

ハサミ男・殊能将之(講談社ノベルズ)

 こ、これは面白い! 正直言ってメフィスト賞ってのは「京極・森に続く《意外な拾い物》を賞金なんか出すことなしに捜したい」というだけのように思えて(ごめんなさいね>関係者)、実際その2人の他はストーリーも日本語も「なんじゃこりゃ」と言いたくなる作品ばかりだったのだ(だからごめんなさいってば>関係者)。だもんだから、ここんとこずーっと《メフィスト賞受賞作》は読んでいなかったのだが、どうもこの作品については周囲の評価が違う。「今年のベストだ」と、信用できるスジからも聞いたりしたもんだから、つい読んでみた──ら、すげぇ面白かったのだ\(^o^)/
 《わたし》は世間で《ハサミ男》と呼ばれるシリアルキラー。若い女の子の喉にハサミを突き立てて殺すという犯罪を既に2件犯している。ところが、3人目の獲物を調査している最中に、その女の子が別人によって殺されてしまった。それも喉にハサミを突き立てられて──つまりは、ハサミ男の犯罪を真似て。わたしの真似をしたのは誰だ。
 とにかくもう、完全に騙された。物語は4分の3を過ぎてから一気に展開するのであるが、もう、そこから先は「えっ!えぇっ?」の連続である。「くーっ、そういうことだったのか、ちくしょぉ」とノタウチ回った。巧く出来てる。この上無く巧くできてるじゃないか。
 じゃぁそこに至るまでが冗漫かというと、全然そんなことはない。《ハサミ男》の視点と警察の視点から描かれる章が交互に出てくるが、共に描写が見事で読ませる。細部にまで気を使った語彙と表現が、読者が頭の中で構築していた秩序をひっくり返す、その結果更に秩序だった物が生まれる快感。つまりは本格物を読む快感が、これ以上ないくらいに味わえる。
 サイコキラーも倒叙というスタイルも、あたしの好みではない。それなのに、充分過ぎるほど満足させてくれた。見事な本格である。今年の大収穫だ。 (99.12.14)     


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