またまた 帰ってきた なまもの日記


 最初の復活の御挨拶はこちら。 


【10.4.30.Fri〜10.6.30.Wed】
 2ヶ月半のご無沙汰でした。
 ツイッターでずっと近況を書いていたので(ログはこちら)ご存知の方はご存知でしょうが、ホントに間抜けな理由で2ヶ月半もの間、日記の更新が止まっていたのよ。まあ聞いとくれ。

 ダンナが脳出血とその後遺症(右半身麻痺と失語症)のリハビリ入院を終えて退院したのが昨年の5月初め。杖を使えばかなり安定して歩けるようになったし、身の回りのことは概ね出来るようになったし、会話も不自由ながら時間をかければコミュニケートできるようになったしで、「退院一周年記念だ!」とばかりに、毎年恒例の自転車友人との大分旅行に出かけることにしたのは前に書いた通り。
 そのため、近所のバリアフリー温泉施設で宿泊&入浴練習もした(3月29〜31日の日記参照)。障碍を持つ客を多く受け入れているバリアフリーの宿も手配した(4月1日の日記参照)。フェリーも車椅子で載れるよう手配し、同行する友人たちにも協力を頼み、昨年不参加となった大分旅行への復帰を目指し、そして、大分に住むあたしの両親に「ほら、歩けるようになったよ!」という姿を見せるために、着々と準備を重ねてきたと思いねえ。

 出発は4月30日。
 一緒に旅行に参加する友人いつみと一緒に、ダンナとあたしの三人で名古屋を出発、慣れない高速道路の運転で尋常じゃない手汗をかきながら名古屋高速・東名阪・第二名神と走り抜いた。ダンナといつみは「あ、猿がいるよ!」などと車窓からの景色で盛り上がっていたが、あたしは心拍と緊張感が極限まで盛り上がっていたドライブであったことよ。桂川PAで自転車友人N村君と合流するまで生きた心地がしなかったぜ。
 PAには今回の旅行には不参加の友人H川君も来てくれて、復活したダンナとの再会を喜んでくれた。ここからドライバをN村君に交替し、一路集合場所の六甲アイランド・神戸港へ。2年ぶりに会う自転車友人たちが皆「また会えて嬉しいよう」「参加できるようになってホントに良かった」「去年いなかったから心配したよー」と寄ってきてくれて嬉しいことこの上ない。わざわざ見送りにきてくれた地元の友人などもいたりして、「ああ、懐かしきかな友たちよ」という気分に浸っていたわけだ。行く先々でトイレは洋式か、途中に段差はないかなどを確認しつつ、友人の協力も得て、無事船中の人へとなった。船中では相も変わらずの宴会で、この雰囲気も久しぶり。

 翌5月1日朝、大分港着。
 近所のファミレスで朝食をとったあと、大分県竹田市にある長湯温泉に向かう。途中、今市の石畳という旧跡に寄り、「石畳みたいな不安定な場所でも歩けるようになったよ!」という写真を撮ったり。そして到着した長湯温泉。
 前もってネットでバリアフリーの家族風呂がある温泉を調べ、「御前湯」という温泉施設に行ったのだが、ここが素晴らしい! 館内は完全バリアフリーの上、身障者手帳で割引あり。「車椅子なんです」と言えば専用ルートを職員さんが案内してくれる。そして何よりお風呂がいいのだ。

 バリアフリー風呂と一口に言っても、障碍の形は人によって違う。段差がなければバリアフリーかと言えば、それは必ずしも正しくない。
 よく「お体の不自由な方にも御入浴戴けます」というお風呂があるが、それはたいてい、洗い場から段差無しで浴槽があり、手すりをもって階段を下りるように浴槽に入るという形になっている。それも確かにひとつのバリアフリーなのだが、うちのダンナのような片麻痺患者にはむしろその形は入りにくい。だって、水の中で足下が不安定な中、階段を降りるという行為が危ないから。

 じゃあどういう風呂がいいかというと、
 (1)洗い場の床と浴槽の底が同じ高さ
 (2)浴槽と同じ高さの椅子やベンチがある
 (3)壁に手すりがある
という形が望ましい。浴槽にくっつけて置かれた椅子ないしはベンチに座り、麻痺足を手で持って浴槽の中に入れるという作業にはこれらの設備が不可欠なのよ。
 そしてこの「御前湯」の家族風呂っつーのが、これ以上ないってくらい条件にぴったりだったのだ。まあ、百聞は一見に如かず。この写真です。

 この設備をどう使って風呂に入るか、入浴するダンナの連続写真を撮ったので載せるとわかりやすいのだが、なんつーか、その、写ってはいけないものが写ってたりするので、遠慮させて戴く。脱衣エリアとの段差もない。写真のベンチがそのまま脱衣エリアまでずっと続いている。ホントに使いやすいレイアウトで、ダンナも「これベストだよー、ここ良いよー」と細かいところまで感動しきり。
 入浴後は、休憩用の座敷にこそ入れないものの(畳に座るってことができないからね)、椅子で休める部屋もあり、そこで食事もできるし(大分名物・鶏天定食を食べたよ)、段差無しでバルコニーに出て川のせせらぎを聞きながらぼんやりもできる。足に障碍のある方にはお勧めの温泉でした。宿泊はできないけど、温泉を楽しむにはこの上ない環境。
 まあ、難を言えば、川縁のどえらい斜面に建物があるので、身障者用駐車場が思い切り斜めになってて乗り降りが大変な上、車椅子の操作に気を抜くと直滑降で坂を転がり落ちるってことくらいでしょうか。つか、それってけっこう大きな問題だとは思うが。

 そして夜は4月1日の日記に書いた「障碍のある方・ご病気の方ウエルカム」な家族経営の温泉宿へ。車椅子専用部屋もあるのだが、せっかくのグループ旅行なんだからとメンバーたちと並びの和室にわざわざベッドを入れて下さった心遣いがありがたい。

 だがしかし、それが予想もしなかった事件の序章であったのだ。

 夜、一部屋に集まって飲めや騒げやの宴会。和室だったがダンナ用に椅子をひとつ運び入れ、この旅行恒例の山手線UNO(残り一枚になったときUNOと言う代わりに「特急の名前」だの「名字に『上』の字が入る有名人」だのというような、お題に沿った答を上げる)で盛り上がり、夜中過ぎにそれぞれの部屋に引き上げて就寝した。うちは八畳間に夫婦ふたり。ダンナはベッド。

 日付が2日に変った夜中、ずしん、という衝撃で目が覚める。

 ダンナがこけた!

 トイレに行こうとしたらしい。
 ダンナはもともと真っ暗にしないと眠れないタチなので、暗い中、手探りで立ち上がったのがまずいけない。トイレに行く程度ならいちいち麻痺足に装具をはめないのも災いした。装具なしでは足首が固定できず、足を持ち上げてもつま先は下を向いたままで床をこすってしまうのだ。そのために躓いたか、もしくは和室だったため畳の目で滑ってしまったのかは、今となってはわからない。とにかく、バランスを崩した。そして麻痺した右側に倒れたため、防御姿勢をとることもできず、倒れた勢いに体重がもろに加わった。

 慌てて飛び起き、灯りを付けてダンナに駆け寄る。頭は打ってないようで、不幸中の幸い。ただ、いつもなら手を貸せば起き上がることができるのに、それができない。抱え上げるようにしてベッドに座らせる。改めて立ち上がろうとするが、右足が踏ん張れない。
 「すごく痛い、気がする」
 麻痺している側は感覚が鈍っているため、痛みもあまり感じないのだが、それでも「これはかなり痛い」という信号が腰の辺りから駆け上がってくるという。左足だけで立とうとするが巧くいかない。これはおかしい。何かどうなったかはわからないが、いつもと明らかに違う。おかしい。

 救急車を呼んだ方がいいのでは、と思った。
 ところがあたしもダンナも電話はwilcom、つまりはPHSだ。山中の温泉宿は思い切り圏外。おまけにここは家族経営の宿で、24時間フロントに人がいるようなホテルではない。母屋を駆け回るが宿の人がどこにいるのかわからない(後で知ったが、離れにお住まいなのだそうだ)。明らかに様子がおかしいのなら友人たちを起こして使えるケータイを借りるなり、宿の食堂にある電話を勝手に使うなりするのだが、どの程度の容態なのかがはっきりしないので、迷惑をかけるのもはばかられた。ダンナはベッドに横たわったまま、うつらうつらしている。すぐにどう、ということはなさそうだけど……夜があけるまで待つか。

 後になって、N村君にめちゃくちゃ怒られた。
 何のためのグループ旅行だと。そういうときに何故起こさないんだと。でもさあ、翌日はみんな、自転車や車で長距離を走るわけで、夜中に起こして睡眠不足になっちゃたいへんじゃないか──と言うと「そんな状況か!」と一喝された。
 また、隣室にいたいつみY井夫人はダンナが倒れたときの音が聞こえ、それで目を覚ましたという。「何かあったんじゃ」と思ったものの、「夫婦の寝室に入って行くのもどうかと思うし、何かあったら声がかかるだろう」と思ったそうだ。「なぜあのとき、気付いてたのに自分は動かなかったのか」とひどく悔いたそうで、ああ、返す返すも申し訳ない。
 本当にいい友人に恵まれたと思う。

 夜明け、宿のおじさんが朝風呂の用意に本館に訪れたところをつかまえ、事情を話して救急車を呼んでもらう。そのときには友人たちも目を覚まして、怒りながら片付けなどを手伝ってくれた。救急車で運び込まれた整形外科は、朝9時にならなければレントゲン技師さんが来ないということでしばらく待つ事に。その間、一旦宿に帰って荷物をまとめ、事後の相談をしようと、迎えにきて貰うべくメンバーに電話をかけた。みんな心配してるだろう。連絡を今か今かと待ってるだろう。
 この自転車チームはその昔、揃ってwilcomに入ったため、この山中で使えるケータイを持っている人は限られている。ところが誰に電話をかけても出ない。おかしいと思い、宿に電話をして呼び出してもらう。

 「皆さん、温泉に入られてます」

 ……風呂って!
 救急車に乗せられるダンナを取り囲んで声をかけ、救急車が見えなくなるまで心配そうに見送ってくれてきた友人たちよ。そのあと、さくっと朝風呂に入りましたかそうですか。
 「いやあ、病院に行けば、あたしたちが手伝えることもしばらくないし。何ができるかなあ、と思ったんだけど、とりあえず温泉に入るくらいしか」
 ええ、そうよね。確かにそうよね。
 次回、もしも似たような状況になったら、真夜中だろうが明け方だろうが寝てようが酔ってようが、遠慮無しに叩き起こすことを改めて決意する。本当にいい友人に恵まれたと心から思うわよっ!

 そしてレントゲンの結果。

 折れてました。
 右大腿骨頭骨折。
 この箇所はボルトで留められるような場所ではなく、一度折れると栄養が滞って壊死しちゃうそうで、じゃあどうするかってえと、折れた骨を取り出し、金属製の人工骨頭に入れ替えるしかないという。俗にいう人工股関節ってやつだ。
 なんでまた旅先でそんな厄介なことに(がっくし)。

 いずれにせよ手術は必須。左の図のような金属(メーカーだの細かい仕様は違うかもしれんが概ねこんな感じのもの)がダンナの右足の付け根に埋め込まれることになります。うちのダンナはチタンマニアで、うちは結婚指輪もダンナがチタンのインゴットから削り出したってえくらいなんだが、まさか体内に入れることになろうとは。チタン好きとしては本望であろう。

 しかし手術となればもちろん入院。大分旅行、2日目朝にして離脱を余儀なくされる。
 自転車友人たちに事情を告げ、彼らには予定通り旅行を続けてもらうことにして、あたしはそのまま竹田市の病院にとどまった、わけだが。
 この病院ってえのが、鄙には稀な(というのも失礼だな)立派な整形外科で、そのまま手術も可能だというのだが、なんつーか、まあ、思い切り山の中なわけですよ。ダンナが手術&入院ともなれば、あたしも近くに滞在せねばならない。いろいろ買いそろえるものもある。でも宿泊施設も、買い物できるような場所も周囲にはないわけで。つか、ホントに何もないわけで。あ、いや、温泉地なので宿泊施設はあるが、なんせゴールデンウィークまっただ中のしかも日曜日。泊まれるわけがない。病院自体に不満はないが、とにかく不便だ。だってご飯食べるところはおろか、買える店もないのよ。自転車友人たちが気を利かせて宿の朝食を弁当にして持って来てくれなかったら、あたしは飢え死にしていたことであろう。

 てなわけで、ここはなんとか転院できないものかと。名古屋への長距離移動など望むべくもないが、あたしの実家は同じ大分県内の豊後高田市というところにあり、その近くに入院できればありがたい。そう先生に話すと色々調べて下さったのだが、豊後高田市には対応可能な規模の整形外科はないという。まあね、自分で言うのもナンだが、田舎レベルでは今いる場所と大差ないからね。ふっ……。
 ではせめて別府市に。別府なら豊後高田とも行き来しやすい。雨の日に段ボールに入れられて捨てられた子犬のような目で先生にすがる。
 「ほんとはね、転院するにしても、ここで手術してからの方がいいんですよ。すぐに移るとなると、折れた状態のままでは動かせないので救急車を手配しなくちゃいけないしね、その間、痛みは続くし。それに日曜ですしね、受け入れてくれる整形外科があるかどうか」としぶる先生に「でも先生、あたし今夜泊まる場所もないんですぅ」と泣き落としにかかる。
 泣き落としが効いたのか、ただ単にめんどくさくなったのか、先生が懸命に探して下さった結果、別府市のN村病院というところが受け入れてくれることになった。「いいところに入れて良かった、N村病院なら安心ですよ」と先生のお墨付き。お昼過ぎまで今の病院に居させてもらい(それでも入院扱いになり手続きが必要だったよ)、午後、救急車で竹田市から野を越え山を越えゴールデンウィークの高速道路を越えて一路別府へ。高速道路のインターでは、別府地獄巡りのキャラクターの鬼がビラを配っているのが救急車の窓から見えた。地獄はこっちだっつーの。
 なお、あたしは自分の車があったものの、慣れない山道を、しかも昨夜殆ど眠っていない状態で運転する度胸はなく、運転代行をお願いした。事情が事情なのでと業者さんがサービスして下さって、竹田市から別府市まで1万5千円で受けて下さったのはありがたいとしか言いようがない。

 小一時間救急車に揺られ、別府駅にほど近いN村病院へ。当直の先生が整形外科の方だったのはラッキーだが、ここでもゴールデンウィークというのが祟った。検査その他の都合上、連休が明けねば手術はできないという。今のダンナは起き上がることはおろか、寝返りをうつことすらできない。そのままの状態で、エコノミー症候群を防ぐべく足にエアマッサージャーをつけられ、ベッドに半固定のまま4日間待たされるハメになった。
 ……連休なんか大嫌いだっ。

 とりあえず名古屋の姑と、豊後高田の実家に連絡を入れる。
 ダンナは手術までじっとしてるしかないってことで、あたしの宿を探さねばならんのだが、実家まで運転して帰る気力は無い。観光地別府なのでホテルや旅館は多いがゴールデンウィークだけに(ホントに祟るなあ)当たったところはすべて満室。実家の母に頼み、旅館組合を通じて探してもらったところ、「素泊まりでお風呂も無い、古い小さな民宿だけどそれでよければ」とH荘なる宿が見つかった。
 いやあ、ここがすごかった(笑)。
 一泊三千円という安さだけあって、すべてが昭和。畳も布団も壁もテレビも電話もすべてが昭和。隣室にいるのは明らかに日本人ではないバックパッカー風のお兄ちゃんだし、廊下には共用の電気ポットとオーブントースターがあり、オーブントースターの中にはなぜかホイルに載せられた魚の干物が入っており。テレビでも観るかと思ったら、テレビの脇に昔なつかしコインの投入ボックスがあり1時間100円と書いてある。ので、そのボックスに100円入れた──ら。
 箱の中で「カンカランカラン」と、100円玉が落ちて跳ね返り、転がる音がした……。
 もちろんテレビはつかない。コンセントも電源も確認したが、ちゃんと繋がっている。でもつかない。このボックス、単なる貯金箱と化している。募金したと思って諦める。

 いずれにせよ、明日は一度名古屋に帰らねば。入院準備はもちろん、あたしも当分こっちにいるとなれば仕事道具を一式持ってこねばならない。しかし、くどいようだが今はゴールデンウィークまっただ中。どうやって帰るのがいいのかと実家の母に相談したところ、満席かもしれんが毎日一便だけ出ている大分ーセントレアの飛行機がベストだろうというアドバイス。この宿にネット環境などあるわけがないので、空席確認及び予約の電話番号を母に尋ね、空きがあるかどうか確認することに。
 その予約電話、PHSや一部のケータイからはかけられないとのことで、部屋の電話を使うことにする。外線は0発信……。
 うんともすんとも言わねえ(笑)。
 テレビだけじゃなく電話も使えねえのかよ! 一泊三千円が安いどころか高く思えてきたぞ。
 でもその分、女将さんは親切で「今年は天気がおかしくて、夜はまだ冷えるから」と電気行火を持ってきてくれた。で、電気行火……。気持ちは嬉しいが、それよりテレビと電話を使えるようにして下さい(泣)。

 結局飛行機の予約まで母に頼み(四十五にもなった娘が老境の母をこき使うの図)、運良く明日夕方の便に空席があったとのことで、ソッコー予約してくれた。波乱に満ちた大分2日目の夜はこうして暮れていったのであった。

 翌3日。
 大分空港がたまたま、自転車友人たちが宿泊している宿の近くだったため、急なキャンセルだのなんだので迷惑をかけたお詫びと経過報告のために顔を出す。明日はみんなでダンナの病院に行ってくれるとのこと。それはいいんだが、うちの夫婦が皆と別れたあと、うちが泊まるはずだったバリアフリー部屋を他のメンバーが使ったところ、これがまあ、どえりゃあ良い部屋だったそうで、「段差ないしお風呂も手すりやシャワーチェアーがあって完璧だし、冷蔵庫すらクローゼットの中にあって床に物をおかない徹底ぶり、しかも飯が美味い、早い話がチョー当たり!」……ううう、そこに泊まるのはウチのはずだったんだよおおおお(号泣)。なのにダンナは病院、あたしはテレビも電話も使えない安宿で電気行火抱いて眠るハメになったって、いったい何の因果なんだよおおおお(滂沱)。

 夜、セントレア着。
 別府に戻るのは明後日5日の朝の便。中1日でいろんなことを終わらせねばならない。買い物もあるし荷作りもあるし1ヶ月留守にする手続きもある。一人では無理だと判断し、帰るなりツイッターにて状況を報告「助け求む!」と告知。あれよあれよという間に、名古屋在住の友人たちが手を挙げてくれた。ビバ、ツイッター! 

 翌4日。
 手伝いに来てくれたかおかおに「前空きの半袖介護シャツ」「ダンナに頼まれた鉄道本」の買い物や、コンビニでの振込み、ついでに「ヤマザキ春のパンまつり」の白いオーバル皿引き換え(だって引き換え期限が9日までだったんだもん)、図書館への本の返却などを頼む。Q崎さんご夫妻には、マンションの鍵を預け、留守中の郵便物や宅配便などの処理を依頼、ついでに賞味期限の厳しい食材の処分まで頼んでしまった。をかべまさゆきさんには、明日朝7時半までにセントレアに行く手段を調べてくれ、てなお願いごとも。皆がソッコーで動いてくれたため、さくさく準備が進み、あたしは新聞ストップと郵便局への不在扱い及び転送手続き、当座数日間のビジネスホテルの予約程度で済んだのは嬉しい限り。そしてこちらでのダンナのリハビリ病院へ行き、お薬貰ったり紹介状書いてもらったり、ダンナ担当の理学療法士のT中先生に「ベッドの上でもできるリハビリ体操」の手紙を書いてもらったり、ついでにダンナのケータイに電話して先生に直接叱ってもらったり、話を聞いた看護士さんに労われたり心配されたり笑われたり。
 そして夜は荷作りだ。自分のノートパソコンだけでもたいへんなのに、ダンナからもバソコン持ってくるように言われたのが厄介だなあと思ってたら、ダンナから電話がきた。
 「俺、パソコン要らない。その代わり、免許証と判子と、ソフトバンクのサイトから委任状プリントアウトしてきて」
 ……何を考えてるか手に取るようにわかった。

 5日。
 タクシーで夜明けの名古屋を走り、名鉄名古屋駅からセントレアへ。朝9時には大分に着き、病室へ。早い早い。連休も今日まで。明日検査即手術という段取りも決まり、一息ついたところで、ダンナから「ソフトバンクのショップに行ってiPhone買ってくるように。機種はこれ。コースはこれ」とパンフレットを渡される。予想通り。後で聞いたら、前日見舞いに来てくれた自転車友人N村君に頼み、わざわざショップまでパンフレットを取りに言ってもらったのだとか。

 更に話を聞いて驚いた。「機種変更は当人じゃないとできないことになってるが、入院中の障碍者なのでどうにかならんか」とお客様相談室に掛け合い、ショップにまで話を通してもらったというじゃないか。えっと、あなたは発語にも聞き取りにも難ありの失語症じゃありませんでしたっけ? 事情を知らない相手に電話で話、通じました? 電話口の担当者に深く深く頭を垂れる。まあ、病室でもネットができるというのは大事なので、唯々諾々と別府タワー前のショップまで歩いたらば。
 そこのお兄ちゃんが、元ドラゴンズの立浪に激似!
 ダンナからの指示などどこへやら、すべて立浪の仰せに従うピュアな中日ファン。
 iPhoneは最初にパソコンと同期させることが必須なのだが、事情を話すと、ダンナのiTuneのアカウントを直接入力、なんやかんやとその場でいろいろやってくれて、電話もメールもネットもアプリの使用もできるようにしてくれた。「音楽買ったりサイズの大きなアプリをダウンロードしたりはできませんよ、退院したら一度同期させてね」と言われ、「6月になったら身障者手帳で基本料タダになるコースもできますから、これも退院したら手続きしてね」と親切なアドバイスまで。さすが歴代7位の2480安打、歴代1位の487二塁打の記録を持つミスター・ドラゴンズ立浪だけのことはある。<違う。
 写真は脚を固定され、エアマッサージャーをはめられた状態で、身動きできぬままにiPhoneで遊ぶダンナ。

 6日、手術。
 下半身だけの麻酔だったためダンナには意識があり、「自分の下半身で大工仕事をしている音が聞こえるのは嫌だ」とiPodを持って手術室へ。予定より時間がかかってやきもきしたが、まだ四十台という若さのため、筋肉がしっかりしていて骨を出すのが手間取ったのだそうだ。
 今夜一晩はリカバリールームで様子を見るということで、そばについていられるような部屋ではなかったため、おとなしくホテルに帰る。今度はテレビも電話も使えるよ!<当たり前。別府にはフジテレビがない(故郷の豊後高田は福岡の局がすべて入ったため、全局観ることができた)こと、中日戦の中継がまったくないことを知って愕然とする。でもビジネスホテルなのに源泉掛け流しの大浴場があるのはさすが別府。

 この後、まるで1年半前をなぞるかのようなリハビリが続く。手術はうまくいってもその後の感染症や合併症が怖いので、最低でも抜糸までの2週間は様子を見たい、名古屋へのリハビリ転院はその後でという話。ところが途中で傷口が少し開いてしまい、縫い直したりなんたりがあって結局N村病院には5月31日まで、ほとんど丸一ヶ月入院することになってしまった。
 けれどその分、退院時には車の乗り降りもできるようになっていたし、短い距離なら歩行もできるようになったしで、むしろ1ヶ月の間一カ所でじっくりリハビリできたのは良かったのかもしれない。看護士さんたちもすっかり馴染みになり、大分弁がわからないダンナが「お願い、標準語でしゃべって」と頼んだら、「何言よんの、あたしら方言やら使いよらせなえ!」と笑いながら返され、そのままダンナが泣き寝入りしたりもしたが、終盤にはかなりのセンで大分弁のヒアリングもできるようになったしな。地元の女子高生の「ふれあい看護体験」なんつー社会見学の実験台になり、女子高生に髪を洗ってもらってにやにやしたりという一幕もあったり、男性看護士さんの中に鉄道好きな人がいて、ダンナの鉄道模型(なぜそんなものが病室に?)に反応したり。そう言えば別府駅に近いせいで、急にダンナが人差し指を口にあて「しっ!」と言うので黙ったら、陶酔したような顔で「VVVFが聞こえる……」とうっとりもしていたっけ。
 まあ、早い話が、どんな状況でも、楽しむ気になれば楽しいことはたくさんあるのである。

 途中、京都の自転車友人N村君がわざわざ大分出張を作って見舞いに来てくれたり(そのまま彼は一泊し、明け方4時まで二人で雑談しながら芋焼酎を1本空ける。翌日は死ぬかと思った)、大分県佐伯の自転車友人Y木さんがなぜか別府土産を片手にお見舞いに来てくれたり、国東(くにさき、と読みます)在住の自転車友人Y野さんが肉まん片手にお見舞いに来てくれたり(大分県人の見舞いのセンスには首を傾げざるを得ない)もあった。皆さん、ホントにありがとうございました。

 そしてその一ヶ月、あたしは別府で何をしていたかというと。

 温泉、入りまくり。

 いやー、だって、別府だよ? 源泉数・湧出量ともに日本一の別府だよ? その別府に一ヶ月だよ? そりゃ入るでしょう温泉。入らなきゃ嘘でしょ。なんてたって、病院の患者用のお風呂まで温泉なんだから。ホテルから病院までのわずか5分の道筋に3カ所も4カ所も温泉銭湯があるんだから。しかも100円なんだから。入らないでいられるわけないじゃん。
 なんつーか、気分はすっかり湯治。1日3カ所は入ったね。もうお肌つるつるですことよ奥さん! そして名古屋であれだけ悩まされていた肩こりと、その肩こりからくる頭痛を、別府では一度も感じませんでした。なんという効能であることか別府温泉!
 ……まあ、肩こりがなかったってえのは果たして温泉のせいなのか、それとも家事からもダンナからも解放され三食他人に作ってもらって掃除もホテルの人にしてもらってという生活のせいなのか、厳密にどっちかと問われれば、まあ、なんつーか、その、なあ?

 その温泉三昧の生活「ほげほげ温泉読書日記」については、今月10日頃発売の「本の雑誌」8月号から2号にわたって掲載することになりましたので、そちらをご笑覧下さい。<宣伝。

 そして5月31日。退院というか転院の日。
 実家から両親も退院の手伝いに来てくれて、大分港まで送ってくれた。そう、フェリーで帰るんです。時間はかかるけど、横になってられるからね。乗るのはさんふらわぁの大分ー神戸路線。さんふらわぁ・ぱーるという船です。車椅子用のトイレやシャワーもあるのさ。車椅子利用者は車倉もエレベータの前に停めさせてもらえるし。ツインのデラックスルームを予約し、「車椅子なのでドアの幅の広い部屋でお願いします」と指定。
 実はこれ、往路でも一悶着あったのだ。車椅子対応の部屋で、とお願いしたのにも関わらず、与えられた7004号室に行ってみたらば、ドアが狭くて車椅子が入れない。ふと見渡すと、向かいの7008号室のドアはここと比べて明らかに広く、そちらが車椅子対応部屋なのだというのは一目瞭然。あれほど予約のときに「車椅子対応の部屋で」と念押ししたのに──でも往路はゴールデンウィークで満席で変更できなかったのだ。骨折前だったので、ダンナは自力で歩き、車椅子は畳んで通った。
 今度は空いてる時期だし、電話予約でも、チケットを買う窓口でも、何度も何度も「車椅子ですので、広いドアの部屋を」とお願いした。何はなくとも広いドアの部屋を、とお願いした。その都度、「大丈夫です、車椅子用のお部屋です」と返ってきた。
 もらったカードキーは7004号室。

 あれ?

 でも、往路とはタイプの違う船なのかもと思い、部屋まで行ったさ。

 ドアが狭くて車椅子が通れない。

 そして向かいの7008号室のドアが広い! またかよ! またかよ!
 今回は無理はできません。ダンナを廊下に放り出したまま、船内の案内カウンターへダッシュ。かくかくしかじか、これはいったいどういうことかと。何度も何度も念を押したのに、自信を持って与えられた部屋がこれだってえのは何の因果だと。幸い7008号室が空いていた(空いていたのなら、なぜ最初からそっちの部屋じゃなかったんだ?)ので部屋を変えてもらえたのだが、あまりな不手際だろう。でも予約窓口も発券カウンターも「車椅子利用」と確認した上でドアの狭い7004を出してきた(しかも2回)ということは、さんふらわぁの部屋割りシステム自体に何か登録ミスがあるんじゃないのか。さんふらわぁに於かれては猛省を促したい。

 せっかくのデラックスルームだが、大事をとってトイレ以外はベッドから動かないダンナ。へらへらと船内を遊び回る妻。思い思いの二人を乗せてフェリーは翌朝、6月1日朝6時過ぎに神戸港に到着。
 本来ならここから転院予定の名古屋の病院までは高速道路を運転していくわけだが、その距離の運転をあたしに任せるのはあまりにも怖い、せっかく手術もうまくいってリハビリも好調なのに事故っては元も子もないってことで、京都在住の自転車友人・N村君&H川君のコンビがわざわざ「神戸から名古屋まで運転するためだけに」会社を休んで来てくれたのだ。ああもうホントに、なんて頼りになる友人たちなんだ! ありがとうありがとう。どれだけ御礼を言っても足りません。
 東名阪がリフレッシュ工事ってことで名神を選択するも、こちらも事故渋滞。予定ではお昼前に名古屋に到着するはずだったのだが、まあのんびり行こうってことで、名古屋の病院に着いたのは午後2時でした。どうせ遅れるならと、病院近くのソフトバンクのショップに寄って身障者割引の手続きも済ませちゃった、てえのは内緒だ。

 転院したK病院は、忘れもしない1年前、脳出血後遺症のリハビリのため5ヶ月にわたって入院した病院である。その後もずっとリハビリのため通院している病院であり、つまりは馴染みというか掛かり付けというか。だからドクターもナースもPT(理学療法士)もOT(作業療法士)もST(言語聴覚士)もソーシャルワーカーも医療事務の人たちも、みんな顔なじみ。そんなところに再入院、しかも再発とかじゃなく「旅行先でコケて骨折った」なんてえ理由で再入院なもんだからもうタイヘン。
 病院の入り口を一歩入った瞬間から出会う人出会う人が皆「あー、おかえりー」「っていうか何やってんのよもう」「せっかくあそこまで歩けるようになったのに」「なんで帰ってきたんすか(溜息)」「人工股関節ってお年寄りのものだと思ってたのに四十台でなった人初めて見ましたよ」「まあ右側からコケちゃあしょうがないよねえ」「でも麻痺側で不幸中の幸いじゃない? 右は麻痺で左が人工股関節とかってなっちゃあ目も当てられん」「ところで別府で温泉入りました? え、初日に転んだの! うわー、せめて最終日なら良かったのにねえ」と遠慮会釈の無いコメントを必ず一言言って行く。ナースやヘルパーさんはシフト勤務なので、シフトが交替し別の担当が来る度に、同じ会話が繰り返される。かと思えば、入院説明をしてくれるナースは「……っていうか、もう知ってますよね」で終了。ええ知ってます。知ってますとも。だはぁ。

 このK病院でのリハビリは一ヶ月の予定。骨折する前のレベルにまで戻すのは一ヶ月では難しいかもしんないけど、せめて1年前の、脳出血のリハビリを終えて退院したあのレベルにまでは最低でも戻しましょう、今は曲げると痛いだろうけど曲げますよ曲げますよ、そしてどんどん歩きますよ!と馴染みの鬼軍曹・PT(理学療法・運動機能の回復)のT中先生の特訓が始まる。「痛いですって? それは筋力が落ちてるから余計な負荷がかかって痛いんです。筋肉つければ治ります。筋肉つけるには練習練習! まずはエアロバイク15分!」
 OT(作業療法・生活能力の回復)の主たる目的は、入浴練習。人工股関節ってえのは「こういう姿勢をとると脱臼します」というのがあって、いかにその姿勢をとらないようにしながら風呂に入るかという練習だ。麻痺側なので自分で自由には動かせない分、意識せずに変な姿勢になってしまうことがあるので、そこに注意。実際に病院のお風呂で、「この状態で脚持って」「この手すり持ったまま立ち上がって」などの練習をします。
 そして、今回の骨折のリハビリとは直接関係ないんだが、ずっと続けているST(言語聴覚・失語症や高次脳機能障碍の回復)も週一回の割合で継続。こちらは「旅行、どうでしたか? どこに言って何をしたか説明してください」ってな感じでお喋りします。まあ、「……初日にコケて、あとは入院」で説明はすべて終わったけども。ふっ。

 それにしても。
 以前、脳出血の後遺症で5ヶ月入院したとき、いろんな人から「法律で認められる期間ぎりぎりまで入院させといた方がいいよ。帰ってきたら全部ひとりで看なくちゃなんないからタイヘンだよ。休めるのは入院してくれてる間だけだよ」と言われた。でも、そのときは正直ピンと来なかったのだ。だって当時は、失語症という障碍をなんとかするため、できるだけそばに居て通じようが通じまいが色々話しかけていたので、毎日毎日朝から晩まで病院にいたのさ。仕事はパソコン持って病室に行き、病室で原稿書いた。自動車学校も病院から通った。マンション探しも不動産屋さんに病院まで来てもらった。入院してる方が楽だなんて絶対にあり得ない!
 ──と思っていた。したらばさ。
 今回はケガだし、四六時中ついてる必要ないし、よく知ってる病院だしってことで、毎日一回、洗濯物持って行ったりする程度でせいぜい1時間で帰るようにしたのね。そしたらアンタ、すっげー楽! 好きな時間に出かけて好きな時間に帰って来られるし、塩分計算せずに好きなもの食べられるし、仕事に集中して家事の手を抜いても大丈夫だし。そうか「帰ってきたら全部ひとりで看なくちゃなんないからタイヘンだよ。休めるのは入院してくれてる間だけだよ」という意味がやっと分かったよーーーー。
 というわけで、一人暮らしを堪能した一ヶ月。おかげでと言ってはナンだが、不義理続きだった名古屋オフにもフル参加できた。その他にも、近所の居酒屋に週に2回は誰ぞを誘って飲みに行ったね。わはは。時間を気にせず飲みに行くなんて、1年半前にダンナが脳出血を発症して以来初めてだ。あたしにとっては思わぬリフレッシュ休暇となりました。ま、ずいぶん高くついた休暇だったけども。

 そして6月30日、退院。
 「もう病棟には戻って来るなよー。でもリハビリには来いよー」と見送られ、大分で1ヶ月、名古屋で1ヶ月の入院生活は終わりを告げました。大分に向かった4月末は天候不順で、まだ朝はヒーターが必要な日があったくらいなのに、退院当日は最高気温が34度……。コイン屋の後藤氏。間違い。光陰矢の如し。
 この間、何かと手伝ってくれたN村君、H川君、黒田研二かおかおをかべまさゆきさん、Q崎さんご夫妻、別府のホテル情報を探して下さったはむぅさん、お見舞いに来てくれたY木さん、Y野さん、S芝さん、Yりちゃん、いつみcoin、飲みにつきあってくれた黒田研二いつみまつ、史上最大のクライシスに巻き込まれながらもいろいろサポートしてくれた大分旅行参加の自転車友人N村君、H川君、Y井さんご夫妻、N末さん、S田さん、A納さん、T中さん、そしてツイッターで励ましのツイートを下さった多くの皆さん、本当にどうもありがとう。
 それと、1ヶ月単位で連絡先だの送付先だのが変わったにも関わらず、すぐに対応して下さった出版社の皆さんや、「今はたいへんだから献本は名古屋に戻ってから送りますね」と気を使って下さった作家さん方、「どうせなら入院費稼ぎましょうよ」と仕事を下さった編集さん──ホントにありがとうございました。

 というわけで。さあ、再びなまもの日記の再開です!


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