それは何気なく日記に書いた一言から始まった。
(前略)今日、似たような問題を出された。曰く、4音節(ひらがな4文字)で、
2文字目と3文字目が同じ音の言葉をいくつ言えるかというもの。これがさあ、いっくら
考えても、5つしか浮かばない。うんうん唸ってます。何か思いつく? ちなみに、
あたしが思いついた中のひとつは、むささびでした。あとの4つは書かないでおこう。
ホントに何気なく書いただけで、せいぜい「みんなも暇なときに考えてみると楽しいよ」というレベルの話題(のつもり)だったのだ。ところが。いやあ、あたしはなまもの読者を見くびってましたね。もう、メールが来るわ来るわ。
思いつく度に、5つ、6つとメールを下さる方。仕事中に30個も考えた方。チャットで相談された方々。中にはプログラムを書いてコンピュータに探させたという人物まで表れる始末(その数なんと214個)。ただ、「思いだそうと呻吟して、いきなり降ってきた喜び」を大事にしたいので、コンピュータの計算結果は答合わせに用い、集計からははずしました。
そんなこんなで集まった「むささび語」は、真っ当なもの61個、そんなんアリかい!というもの16個。せっかくなので、それらを出来る限り使って、身の程知らずにも掌編小説を書いてみたのさ。
尚、ご応募下さった皆様のお名前は巻末に。使いきれなかったむささび語も、まだたくさんあるのよ。
「こ、ここはどこだ……?」
彼は目をこすり、よろよろと起き上がった。つい先ほどまで自分は江戸城にいたはずだ。大奥に隠されているという先の将軍の骨壷を盗み出したところ、そこに追手がかかり、逃げようとして屋根から足を滑らせたのだった。忍びの者にあるまじき失態。ということは、城内の庭に落ちたか。しかしそれにしては、落ちている時間が妙に長かったような……。それに、ここは屋内のようだ。このような奇妙な部屋が城内にあったろうか?
そうだ、それより盗んだ骨壷はどうなったろう。周囲を見渡すと、少し離れたところに藍色の包みが落ちているのに気付いた。よかった、これさえ持って帰れば、この務めは成功だ。
「おじさん、だぁれ?」
いきなり背後から声をかけられ、彼は驚いて飛びずさった。そこには彼が見たことのない奇妙で不可解な風体の娘が立っている。
「お、おのれ、出たなもののけ!」
「ってゆ〜かあ、おじさんの方がヘンなんだけど。何それ、忍者のコスプレ?」
「こ、こすぷれとな? 何だか分からぬが、拙者、確かに奉行所おかかえの忍びの者。こたびは大岡越前守の命にて、一昨日から城内に入り……」
「なんかよくわかんないんだけどぉ、うざいんだよね。人がせっかく暖かな部屋でのほほんとうたた寝してたのに、いきなり降ってくるんだもん。ここ、あたしの部屋なんだけど。テスト勉強しなくちゃなんないから、出てってくんない? ってゆ〜か、チカン?」
「何を言っておるのかさっぱり分からん。ここは江戸城ではないのか? 二の丸の屋根から落ちたはずであったが……」
「江戸? もう江戸幕府がつぶれて150年経つし、ここは静岡県の浜松だよ。……おじさん、もしかして屋根から落ちたとき、時間も空間も飛び越えちゃったんじゃないのお? うわ、すっご〜い、タイムスリップだ!」
「ば、幕府が……つぶれた? それではここは……」
「えーっとね、おじさんがどの時代から来たかはしんないけど、だいぶ未来に来ちゃったみたいだねー」
つややかに頬を紅潮させ、何やら楽しそうな面持ちでにじり寄って来た娘は、食い入るように彼の顔を覗き込む。
「大丈夫、こう見えてもあたし、SFには強いんだ。一昨年には田中啓文ファンクラブの会員になったくらいなんだから。ここに落ちてきて幸運だよ、おじさん。何とかしてあげるからまかしといて!」
ホーガンやアシモフならまだしも、田中啓文ファンにまかせて大丈夫なのか、という江戸時代人にあるまじきハイパーな疑念がよぎったが、事態が風雲急を告げる今、彼女に頼る以外為す術もないので、彼は黙っていた。服部半蔵の跡取りとまで呼ばれた俺が、こんな年下の小娘の言いなりとは……。彼は次第に憂鬱になって来たが、娘はそんな彼に頓着する様子もない。なかなかしたたかな娘なのかもしれぬ。
「おぬし、名は何というのだ」
「あたし? マリリンよ。パパが本田美奈子のファンで、あたしが1986年生まれだから、そう名付けたんだって。ま、そんなこと言ってもわかんないか。とりあえず、お腹すいてない? なんか食べる?」
事態の急変におののきつつも、言われてみれば確かに喉が渇いている。
「かたじけないが、いささか喉が渇いておるようだ。マリリン殿、飲み水を一杯、戴けるだろうか。あ、それと……」
彼はなにやらもぞもぞと身を捩る。
「どうしたの?」
「うむ。汚れた装束を纏っているせいか、尻がかいいの」
「あんたは間寛平か!」(大矢注・これは反則ですがあまりに気に入ったので採用)
そう言い捨てて部屋を出ていったマリリンは、間もなく手にお盆と灰色の布を持って帰ってきた。
「水じゃああんまりだからさあ、このお茶、あたしが愛飲してる甘茶ヅル茶ね。でもって、お茶請けの赤蕪漬け。岐阜に住んでる有名な検事さんお薦めのブランド漬け物なんだから。あ、それと、これが着替え。お父さんのステテコだけどね」
確かに薦めるだけあって、うまいお茶と漬け物である。彼はあっと言う間に食べ尽くし、服も着替えてようやくひと心地ついた。
「けっこう食い意地張ってるんだね。武士は食わねど高楊枝、っていうんじゃないの?」
「拙者は忍びであって、武士(もののふ)ではない」
そっか、と簡単にマリリンは納得する。
「じゃあ、江戸送還計画発動ね。まず、こっちに来たきっかけが知りたいなあ。あ、そうだ、屋根から落ちるとき、何か聞いたり嗅いだりしなかった? ラベンダーの香りなんか定番だけど」
「らべんだあ、とは何だ? 11月のメリケン語か?」
「それはノベンバー! 江戸時代人のくせにツッコミにくいボケはやめてよね」
「嗅いだのは忍法に使うまたたびの匂いくらいだが、音はいろいろ聞こえておったぞ。城内に放しておる飼い犬の吠える声や、公方様の御馬のいななき、カササギやキツツキの鳴き声もしておった」
「……ちょっと無理に詰め込み過ぎじゃない?」
「そんな冷ややかな目で見るな。これくらい詰め込まねば、話が終わらんのだ」
いや、登場人物はそんなことに気を使わないでいいから。
「同じ条件を揃えて、再び屋根から落ちてみるってのが常道なのよね。犬は飼ってるし、馬は「UMAハンター馬子」の文庫を懐にいれておいて、と。カササギは……そうだ、百人一首の中納言家持の札を持っていけばいいんだ! 落とさないように、ステテコに縫い糸でかがっておくわね。」
「そ、そんなもので代わりになるのか?」
「だって本物の馬やカササギなんて、用意できるわけないじゃん。気は心よ。でも唯一キツツキだけは無理だなあ。ここは筒井康隆に敬意を表して、キツツキの代わりにラベンダーでやってみようっと」
「らべんだあ、とは、大工をメリケン語で……」
「それはカーペンター! ラベンダーはね、花の名前。アロマテラピーやポプリに使うの。催淫効果っていうのかしら、香りがいいだけじゃなくて、理科室で嗅ぐと時を駆けることができるっていう付加価値もあるしぃ」
「若い読者には元ネタが分からぬのではないか?」
だから、登場人物はそんなことに気を使わないでいいってば。
時刻は既に夜明けが近い。星のまたたきも霞み始めている。二人は家族の目を盗んで、屋根に上がった。マリリンの手にはラベンダーの芳香剤が握られている。
「思い出したぞ。らべんだあ、とは西洋風の縁側のことであったな」
「それはベランダ! ってゆ〜か、なんで江戸時代人がベランダを知ってんのよ」
「とにかく、この匂いを嗅ぎながら、ここから飛べば良いのだな? それで拙者は元の時代に戻れるのだな?」
「自信はないけど、祈るしかないんじゃん? すべては神の御心のままに、ってやつよ」
「バテレンは御法度じゃ。まあ、他に手がない以上、やってみるしかなかろう。おお、夜があけてきた。美しい東雲(しののめ)ではないか。うららかな春のあけぼのか。幸先がいいぞ」
「心の準備はいい?」
「うむ。マリリン殿、ほんのひとときではあったが、世話になった。そなたのことは忘れぬぞ」
はからずも、彼の頬を涙がしたたり落ちた。見つめ合う二人。その後、彼はおもむろに屋根の縁に足をかけた。
「いざ、さらばだ!」
中空へ飛び出す忍者。その背を、マリリンの声が追いかける。
「おじさん! おじさんの名前は?!」
「拙者は仮面の忍者、赤影……」
どすん!
「……あ、落ちちゃった。やっぱ失敗かあ」
遥か眼下では、自転車に轢かれたカエルのような格好で、赤影こと仮面の忍者がのびている。
「赤影のおじさーん、とりあえず救急車呼ぶからさあ。退院したら、また挑戦しようねえ!」
下方から、合点承知……という声が風に乗って聞こえたが、気のせいかもしれない。第一、それじゃ青影だし。ああ、これも若い読者には元ネタが分からないか?
「やっぱりキツツキを無視したのが敗因かなあ。キツツキが気を悪くしちゃったのかも」
そしてマリリンは、ペロリと舌を出した。
「デリケートな鳥だもんね。きつつきやすくって」