抜粋なまもの日記

2001〜03年「街で拾った小ネタ集」の巻


【01.11.21.Wed】
 バスを待つ間に(っていう昔の歌があったな)本屋に入る。小さな個人商店で、あたしは文庫のコーナーをうろうろしていたのだが、そこへ五十歳がらみのオバちゃんが入ってきて、レジの女の子に話しかけた。

 「オトタケくんの本が出とるって聞いたんだけど」
 「──ああ、乙武洋匡ですね。《五体不満足》の」
 「そうそう、その乙武くんの本」
 「何冊かあるんですけど……タイトルは分かりますか?」
 「ちゃんとメモして来たがね。えーっと……そして粛清の扉を

それは黒武洋だよオバちゃん。

 乙武くんはなんぼなんでもホラーは書かないだろ。何を粛清するというのか、ちょっとドキドキ。


【03.3.9.Sun】
 本屋に行ったら、レジのそばにどこぞの英会話学校の生徒募集のポスターが貼ってあり、【4月生募集!】と書かれていた。なるほど、世間は卒業シーズン・入学シーズンなのね。なまもの読者の高校3年生・大学4年生の皆さん、おめでとうございます。
 そのポスターを、う〜ん、大学生くらいかなあ、女の子が二人で眺めながら会話していた。おりしもあたしはレジに向かっていたので、聞くともなしに聞こえてしまった、その言葉は。

「あたし、6月生まれだから入れないね」

 思わず、レジのお姉ちゃんと顔を見合わせてしまったぞいっ!
 レジのお姉ちゃんは、あたしをヒタと見据えて、目で「教えた方がいいのかしら?」と問いかけてきた(ような気がした)ので、こちらも目で「面白いから放っておこうよ」と返す。以心伝心。心が通じ合い、何事もなかったかのようにお金を払い、その場を離れるあたし。
 去り際、彼女たちは

 「どうして4月生まれ限定なのかな」
 「希望者が多くて、制限しないと集まりすぎるんじゃない?」
 「ああ、電話でプレゼントに応募するとき、末尾が奇数の人だけとかってのと同じ?」
 「そうそう、きっとそうだよ」
 「じゃ、そのうち6月生まれの募集もあるよね」
 「うん、今3月で、4月生まれ募集だから、きっと1ヶ月前に募集するんじゃない?」
 「その頃になったら、気をつけてポスターをチェックしとかないとね」
 「そうだね」

 きっとキミは永遠にその英会話学校には入れないよ、と思いながら店を出たのであった。春ねえ。


【01.2.22.Thu】
 名古屋では日中18度まで上がったそうで、暖かい一日。普段行かない、ちょっと遠くのスーパーまで歩いたら、上着無しでも汗ばんでしまったほどの陽気だ。
 しかし人間、やはり歩いてみるものである。普段バスに乗っている道のりを徒歩でのんびり進んでいると、意外な発見をするものだ。ふと目についた、養生シートをかぶせた工事中の建物。その周囲には、工事現場によくある黒と黄色に塗り分けられた横棒と赤いパイロンが巡らされていた。その脇に差し掛かった時、工事現場の出入口にあたる部分に貼られていた紙が目に入ったのだ。
 一見、当たり前のことが書かれてるように見えた。でも、何かがひっかかった。立ち止まって、よく読む。

 
 関係ない方以外 
 立入禁止。 
 

 ……うわははは、その場でのけぞって爆笑。さりげなく千客万来を狙っているではないか! 思いきりオープン且つフレンドリーな現場である。思わず、「だったら遠慮無く」と入りそうになったぞ。いや、それ以前に、これでは工事関係者は作業ができないのではあるまいか。誰か気付けよ。

 ……と思っていたら、帰り道には既にその貼り紙は無かった。気づいたんですね>現場の人。それはそれでモッタイナイぞ。はっ、もしやあたしのケタタマシイ笑い声で気づいたのか?


【01.11.8.Thu】
 買い物に行くため、バスに乗った。混んでいたので、立っていた。ご夫婦と思しきお年寄りが二人乗って来た。ら、それまでシートに座ってきゃいのきゃいのと会話していた女子中学生二人が、すっくと立って席を譲ったのである。当たり前の行動とは言え、やっぱこうしてその場にいると、いいものを見たというか心が温かくなるというか……バスの中の雰囲気が一気になごむ。
 だからというワケではないのだけれど、それまでは「うるさいなぁ」としか感じていなかった女子中学生の会話が、その後は抵抗なく耳に届くようになった。

 「リンちゃんとこってさ、双子なのにあんまり似てないよね」
 「だってあそこ、二卵性双生児だもん」
 「ふ〜ん、腹違いなんだ」
 「だからだよ」
 「そっかぁ」

 ちょっと待て。待て待て待て待てえっ!

何なんだよ腹違いの双子って。

 一旦はなごんだバスの中の空気が、途端に固まる。そ、その解釈は違うぞ女子中学生たち。二卵性ってのは一人のお母さんの中に卵子が二つあって、それぞれが受精しちゃったわけで、翻って腹違いというのは、お父さんが一緒でお母さんが違うという状態で、それが同い年ってことはお父さんがかなりヤンチャしちゃったワケで、そのリンちゃんの家は決してそういう複雑な環境ではない筈で、え〜っと……。
 教えてやりたい。正してやりたい。バスの中の全員が同じ思いに囚われる。しかし、いきなり見知らぬオバサンから「お嬢ちゃん、卵子と精子がね」などと話しかけられては、女子中学生は100%逃げるだろう。ああ、どうすればいいの。
 と、バスの中の全員が悶々としているうちに、女子中学生二人はバスを降りてしまったのだった。ああ、願わくば彼女たちが、リンちゃんリンちゃんのご家族に余計なことを言いませんように……(泣)。


【03.5.28.Wed】
 書店で雑誌を物色しているときにレジから聞こえてきた、若い女性客と店員の会話。

 「すみません、探してる本があるんですけど」
 「はい、何の本でしょう。タイトルはわかりますか?」
 「えっと──『キノコ』
 「え……料理の本ですか? それとも図鑑?」
 「いえ、最近出た、小説のはずなんですけど」

 はあ? あたしも脳内検索を始めるが、そんなけったいなタイトルの小説はおよそ思いつかないぞ。

 「作者はわかります?」
 「えっと……私も人から聞いた本なので、はっきりしないんですが……」
 「ぜんぜんわかりませんか?」
 「シズクイ、シュウスケだったかシュンスケだったか……」

     お姉さん、それは雫井脩介の「火の粉」だ。


【03.3.18.Tue】
 郵便局に行ったときのこと。
 ちょっと混み合っていたので、番号札をとってベンチに座った。あたしの右手には、おばあちゃんが座っていらっしゃる。かなりのお年のようだ。その娘さんかお嫁さん(言葉遣いから、お嫁さんだと推察)が、「おばあちゃん、そろそろ車が来るから、ちょっと見てきますね」と言って、外へ出ていった。なるほど、タクシーかご家族かは分からないが、車が来るまで郵便局の中で待ってるわけだ。年寄りだし、外は風が強いしな。
 と、そんなことを考えつつ、文庫本に目を落とした、そのとき。
 自動ドアが開いて、先程のお嫁さんが顔を出したかと思うと、彼女は大きな声でこう叫んだのだ。

「おばあちゃん、お迎えが来ましたよ!」

 うっ。
 郵便局じゅうの人が一瞬固まる。客も、局員も、全員がフリーズ。いや、合っている。間違ってない。間違ってないけど、その言い方はちょっと……。
 窓口のお姉ちゃんは「う」と唸ったまま、口を不自然なまでの真一文字に結ぶ。ATMの前に並んでいたオバちゃんは、バッグで顔を隠した。あたしの左に座っていたサラリーマン風のお兄ちゃんに至っては、膝の上に置いた雑誌がブルブルと小刻みに震えているぞ。直後にお嫁さんも失言に気付いたらしく、口を「来ましたよ」の「よ」の形のまま、固まってしまった。
 客も、局員も、当のお嫁さんまでもが懸命に何かに耐えている中、おばあちゃんは何事もなかったのように「はいはい」と郵便局を出ていったのだった。慌てて踵を返したお嫁さんの背中からは、「動揺」という2文字が迸っていたぞ。
 二人が出ていった瞬間、郵便局内に細波のようなピクピクとした笑いが広がったのは言うまでもない。さすがに大声では笑えない分、腹筋がつるかと思ったよお。


【03.8.1.Fri】
 バイト先でお使いを頼まれる。業者が納入した事務備品に手違いがあったらしく、足りなかったものをとりに行って欲しいというのだ。

 「ごっめ〜ん、大矢さん、手が空いてたらあそこの文具屋さんに行ってきてくれる?」
 「うっす。行くっす」(←現在、高校野球モードの大矢)
 「これ、貰うもののメモね。これを渡せば、担当者が分かる筈だから」
 「うっす。了解っす」

 スクーターに跨りながら、貰った手書きのメモを見てみる。

 
  トナー     5      
  クリップ    500×5    
  印章サンプル        
  湖(液状・大) 10      
 

   みずうみ?

 いや、そりゃ確かに湖は液状だけどさ。それに大きいけどさ。湖10個ですか。この近郊だと入鹿池あたりかな。足を伸ばして浜名湖。まさか琵琶湖クラスをご所望じゃないでしょうね。そいつぁさすがにスクーターでも運べません課長。いや、入鹿池でも運べないけどもさ。
 お店に着き、担当の人にメモを渡す。一瞬の表情の変化も見逃すまいと目を諏訪湖のようにして担当さんの顔を覗き込むが、彼は眉一つ動かさず平然と(のり)の箱を出してきたのであった。さすがプロ。


【01.2.9.Fri】
 恐怖とは決して特別なものではなく、日常の中にこそ潜んでいる。
 食後にくつろぐソファの後ろ、寝室に柔らかい光を投げかけるスタンドの笠の裏、そんなところに、異次元がポッカリと黒い口を開けているのだ。あなたが気づかないだけで。
 思えば、本のページをめくる時、真新しいその紙がスパッと右手中指の先を切り裂いたあの瞬間から、それは始まっていたのかもしれない。指先に貼った小さな絆創膏に、薄く滲む血の紅。ひりひりと痛む指先を気にはしながらも、あたしは夕食の準備をするため台所に立った。
 いつもと同じ、夕食の風景。ダンナはテレビを見ながらビールを飲み、あたしは台所で料理を盛りつける。テレビから聞こえてくる笑い声や明るい音楽。最後の料理を出し、手を洗って──止まっていた血が、再び流れ出す。その刹那、あたしは凍り付いた。
 血が、流れる? あれほどしっかりと絆創膏を貼っていたのに? 思わず指を見つめる。仏像の細い目を思わせるような、三日月型の傷が口を開けている。そこから流れ出る血が、水道の水に混じってシンクへ落ちた。絆創膏が、無い。消えてしまった。まるで、この目のような傷口から何かが出てきて、内側から絆創膏を押し剥がしたかのように、絆創膏が消えている──。
 あたしは慌てて周囲を探した。まな板の脇、ボウルの下、シンクの中。フライパンをどけ、包丁を裏返して探したが、見つからない。何かが、あたしの血のついた絆創膏を、どこかに持ち去った? まさか。きっとどこかに紛れているだけだ。でも、もしも、そこに何かの意志が介在しているのだとしたら? 用があるのは絆創膏か、それともあたしの──あたしの、血?
 暖房は充分効いている筈なのに、うすら寒い。うなじの毛がちりちりと逆立つような恐怖を覚える。そして、どこからか低い声が……






「ねぇ、ハンバーグの中に入ってるコレ、何?」

……うげ。  


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