抜粋なまもの日記

2006年1月「映画はデートたり得るか」の巻


 殊能将之さんが日記に書いてらした「都会にお住まいの方には実感できないかもしれませんが、映画というのは都会だけの娯楽なんですよ」という一文に、頭がもげるんじゃないかというくらい激しく頷いた。そうよそうなのよ、あたしが生まれ育ったような田舎では、「映画を見に行く」というのは日帰りの旅行に出るのと同義だったのだ。「ふと思い立って」とか「時間ができたから」というノリで行くようなものではなく、前々から計画し、時刻表を調べ(なんせ本数が少ない)、親に最寄り駅まで車で送り迎えをしてくれるように頼んで(駅は山を超えたところにある)、ちゃんと家族にお土産を買って帰らねばならないような、そういうイベントだったのだ。だって遠くの市まで出ないと映画館なんかないんだもの。田舎ってね、隣の市に行くだけでも交通手段がなくてたいへんなんだから。だからわざわざ「映画を観るためだけに」出かけたりはしないのよ。
 あ、あなた今「そんな大げさな」と思ったわね? 確かに殊能さんはそこまでの状況を想定してた訳じゃないのかもしれないけど、そういう地方はまだ頑として存在するんです。むしろ、自治体単位でみれば、映画館のない自治体の方が多いんじゃない?

 だから大学に入って都会に住むようになり、友人たちがごく普通に「休講になったから映画にでも行こうか」というのが、すごく新鮮だった。都会だなー、こういうところで育たなければ、映画を見るという習慣は身に付かないんだな、と思ったもんよ。
 そしてその当時、一番驚いたのは、「映画を観る」というのがデートになり得るというのを知ったことだった。それって、デートで恋人と一緒に図書館に行って、ふたりで黙って椅子に座ってそれぞれ本を読んで、「さ、読み終わったから飯でも食いに行くか」ってのとまるっきり同じだよね? でも「今度の日曜、一緒に東野圭吾でも読まない?」なんてデートの誘いはあまり聞かない。むしろ「なんでわざわざ一緒に?」と思われるでしょ。翻って「一緒に映画でも観ない?」という誘いはどうしてここまで市民権を得てるんだろう?

 この「映画鑑賞がデートになり得る」ということについての疑問は、今でも疑問のまま抱き続けてるんですけどね。映画を見てる最中って、本を読んでる最中と一緒で、何人でいようが結局ひとりだと思うんだけど。だったら映画は自分の都合の良いときにひとりだけで観て、恋人と会えるときはフルに二人で楽しめることをした方が合理的だと思うんだがなあ。
 あ、映画館という密室ならではの楽しみがあるのかな。恋愛映画の盛り上がるシーンでそっと手を握ったりとか。本を読んでる最中にそっと手を握られたりするとページがめくれなくて不便なだけだが、確かに映画なら邪魔にはならないか。

 てなことを書いたら、「一緒に同じ映画を観て、あとで感想を話し合うんです」というメールを何通か戴きました。でもさでもさ、だったらそれぞれ都合の良いときにひとりで観て、その感想を二人で会ったときに話せば良いのでは? 例えば一緒にいられる時間が6時間だとして、映画を観るとそのうち2時間とられちゃうでしょ? でも前もって映画を個人で観ておけば、6時間フルに一緒に過ごせるじゃありませんか。あなたが本好き友人と会って本の感想を話し合うときには、あらかじめその本を読んでるのが普通でしょ。二人で会ってから「せーの」で一緒に読み始めたりはしないでしょう? なのに映画は会ってから観る。そういうことが疑問なのさ。
 あ、それと、「映画館がなかったという大矢さんの故郷では、定番のデートとはどういうものだったんですか?」という質問も戴きました。ふっ、そんなもんは、草むらがあれば充分さっ。

 と、ここで話は終わるかと思いきや、色々反響を戴いておりまして。
 「映画はひとりで観るもの」「時間がもったいない」という大矢の意見に賛同する一派があるかと思えば、「時間と場所の共有は大事よ」「あ、こんなとこで笑うのか、っていう発見もあるし」「いきなり草むらに誘えないウブな俺様には丁度良い《デートの名目》なのさ」という映画デート擁護派まで、その意見の多彩なことといったら。
 ひとつひとつを紹介したいんだけど、それをやってると「大菩薩峠」を上回る長編になりそうなので(ならないならない)、ここはひとつ、「映画はデートになりうる」派の代表としまして、大矢が「あ、なるほど!」と納得させられたMAQさんからのメールを、ご本人の許可を戴いて全文掲載したいと思います。

 デートでもって映画を見るというのは、簡単にいえば「段取りの一環」なんですね。つまり、その後の達成すべき目標に合わせた段取りというか、必要不可欠な感情的種まきとしての映画鑑賞というか。――わかりにくいですか。つまりですね。たとえば、それはもう熱く激しい恋愛映画を見せて、彼女の心を燃え上がらせる。哀しい哀しい別れを描いた映画を見せて、「別れずにすむ」自分の幸せを認識させる。ややエロティークな映画を見せて、そこはかとな妖しい雰囲気を演出する――などなど。ま、そこまで直裁でなくとも、映画というのは、短時間で感情的な揺さぶりをかけるもっとも手っ取り早い手段であるわけです。

 男は、ですからその交際段階での達成レベルを推し量りつつ、「その後の展開」を徹底的にシミュレートし、そのうえで見るべき映画を選び、立地を選び、時間帯を選ぶわけですね。特に映画のタイトル選びは重要で、ここで自分の趣味を優先させたり、彼女好みの色男が主演している映画を選んでしまったりすると、その時点でデート失敗は決定的なものとなります。そういうわけで。映画デート派は、ことほど左様に繊細かつ周到な計画を立て、手順を踏んで、一歩一歩、しかるべき達成を目指すわけですが――大矢さんの場合は、いきなり草むらに雪崩れ込み? ううむ、少しばかりカルチャーショックを受けますね(笑)。まあ、お付合いも深まればそれも宜しいでしょうが、やっぱいささか風情に欠けるような気が(笑)。

 さあらばあれともあれ。二人で同じ映画を見て、同じシーンで泣いたり、笑ったり。――これってなんとなくおたがいの気持が高まり、きずなが深まるものですよ。逆に相手が意外な場所で泣きだしたり笑いだしたりしても、それはそれですごく新鮮なものですし。ジャンルにも寄りましょうが、良い映画にはそういう力があると思うのです。これは家でビデオを一緒に見てもダメ。劇場という非日常的な空間の高揚感と、暗闇と大きな銀幕&ドルビーサウンドの魔法がぜひとも必要です。これはうんざりするほど付き合いの長い夫婦でも、ある程度有効です。大矢さんも騙されたと思って一度お試しください。……まあ、どうしても草むら派を貫き通したい!ということであれば、映画館にて秘かに草むら派をおためしになるのも一興。新たな世界が開けるやもしれません(笑)。(以上MAQさんのメールより)

 あら、「草むらで楽しく語り合う」のに何か問題が?(<こらこら)。
 とまれ、このMAQさんのご説明には、なるほどと膝を打ちました。映画は目的ではなく手段なのね。

 大矢が「なんでわざわざデートで映画を観るの?」と疑問に思っていたのは、映画にしろ小説にしろ、創作物はそれ自体を鑑賞するのが唯一にして絶対の意義という思い込みがあったせいなのね。「あとで感想を話し合う」ってのも、あたしはてっきり「観た映画を分析し、そのテーマや技法について議論する」のだと思ってたから「個別に観た方が集中できる」という発想になったんだけど、そうじゃないんだ! 映画自体は二の次で、「互いの嗜好を分かり合い、気持ちを高める」ことが目的だったのねー。これは大矢、目から鱗でしたよ。なんせ「ぐだぐだ手順の踏むのなんてマドロッコしい」「好きか嫌いか2つにひとつ!」「とりあえず草むら!」という即物的な原始文化で育ってきたもので。ま、手順を踏むのが楽しいっていう段階もあるんですが、それはまた別の話。
 しかしこうしてみると、「カノジョをデートに誘わんとする男」ってのは、映画1本観るってだけのことにも涙ぐましい努力をしてるものなのね……。なんて健気な。そういう男の下心、もとい、丹念な演出を、分かっているけど分からないふりをして無邪気に楽しんでみせる、のが女に要求される「オトナな態度」なのかもしれませぬ。<好きな相手なら、ね。

 ──とすれば、男が誘って来た映画が何か、で、その男の心根の一部が推し量れるものなのかしら? 上のメールでMAQさんは、恋愛映画・哀しい映画・エロティックな映画などを例に挙げてその効用を教えて下さいましたが、実は大矢の周囲にはそれを聞いて、「だとしたら、あたしが昔、男に誘われたあの映画は何だったの?!」と戸惑ってる女性が数人いるのよねえ。彼女たち曰く、

 「私が誘われたのは、あのグロでバカな「死霊のはらわた」だったんですが……」
 「ただシンミリして家路につくしかなかった「ビルマの竪琴」に誘われたあたしっていったい……」
 「あたしなんて、「ゴジラ対ビオランテ」だったんですけど! どこにラブ的下心が?」

 た、確かに。そんなラインナップでは女心は「燃え上がり」も「心ふるわせ」もしないだろう。では誘われた側が勝手に勘違いしただけで、男の方にはまるっきり、これっぽっちも、耳くそほども、ラブな思いはなかったのか? 彼女たちは20年経ってようやく「あの人、あたしに気があったわけじゃなかったんだ……」という現実に直面したのか?
 さにあらず、男の権謀術数をアマク見てはなりませぬ、とMAQさんはおっしゃる。下心無しに女性を映画に誘う男など、この世にただの1人も存在しないのです、と!

 「死霊のはらわた」
 「きゃー」と怖がらせて、肩に抱きつかせるのは、きわめて初歩的基本的な戦術です。しかもこの作品は今をときめくサム・ライミ(「スパイダーマン」のヒットメーカー)の伝説的名作。つまり、この場合、男は「怖がらせ」でガードを下げさせ、怯んだところへ「蘊蓄攻撃」という2段アタックを計画していたものと推定されます。

 「ビルマの竪琴」
 文芸系の映画は「お堅い学級委員タイプの女の子」への 1stアプローチとしては、もっとも無難な、成功率の高い選択です。しかも恋愛とはまったく方向性は違いますが、泣ける映画。中井貴一という(当時の)モテ俳優が出ておりますが、作中では終始坊主頭の見すぼらしい僧形の泣きっ面で、その面のリスクもあまりなく、かなり活用しやすい作品といえるでしょう。

 「ゴジラVSビオランテ」
 お姉さんタイプの女性をターゲットとした、かなり高度な戦略に基づいた選択です。すなわち彼女に「っんとに子どもなんだからぁ!」と思わせて「己が満々たる下心」を隠蔽し、油断させて速攻に持ち込もうというのが狙い。油断大敵毛が茫々。デートにあえてこういう映画を選ぶやつほど、実は「最も下心が大きい」のです(笑)。

 すごい、すごいよMAQさん! これで本が一冊書けるよ! どんな本かわかんないけど。ああ、男ってなんて健気で可愛らしく、そして哀しいイキモノなんでしょう。女は映画館の暗闇で「こんな映画に誘ってくるなんて、舐めてるわね」(←映画デートの経験豊富な某嬢のメールより)と鼻で笑っているというのに……。ラブ成就のために、あらゆる映画情報と首っ引きになっているすべての少年たちに、幸あれ!


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