とにもかくにも、手術当日に同意書を提出するように丸め込まれた。今日はこの後、感染症を調べるための血液検査と、麻酔のテストをするという。看護婦さんに案内されて処置室へ。実は、なぜか採血されるのは好きな大矢である。若い頃はやたらと献血して、ヤクルトやらジュースやらを貰っていたものだ。なので、「さあ、景気良くなんぼでも採ってくんな」とばかりに腕を差し出す。
と、看護婦さんがメモ帳を取り出し、こう効いてきた。
「今日、お昼ご飯は何時頃食べました?」
「え、お昼ご飯、ですか」
「ええ、血糖値のデータを調べるのに、何時間前に食事をしたかが必要なんです」
「ああ、なるほど。えっと、1時半頃でした」
「そのあと、何かオヤツは食べました?」
「オヤツ……ですか。えっと……4時頃に、たこ焼きを」
「たこ焼き、ですか(にっこり)」
「はい、あ、そこまで細かく言わなくていいですよね、すみません(にっこり)」
こんな和やかな会話の後に、注射器3本分の血を抜かれる。何となく和やかな空気のまま、にこにこ血を抜く看護婦さん。にこにこ血を抜かれる大矢。
後日、この時の血液検査の結果が出た。何の異常も見られず、サンプルにしたいくらいの完璧な健康体の数値だという。<健康診断のたびに言われる。ただ、そんな数値だのなんだのより、思わず目を吸い付けられたしまった箇所が。
看護婦さん、律儀すぎ。っつ〜か、血糖値だの赤血球数だのより、「タコヤキセッシュ」の一文で全てが別物になってしまったような気がする。ある意味、日本一恥ずかしい検査結果なのでは。
こんなところに記載されると分かっていれば、見栄の張りようもあったものを。「キャビアセッシュ」とか「コウシノステーキプロヴァンスフウセッシュ」とか「シャトーマルゴー1986ネンモノセッシュ」とか。それがタコヤキって。
手術という言葉のインパクトも、腫瘍という言葉のイメージも、摘出・縫合という言葉の大仰さも、「タコヤキセッシュ」には勝てないことが判明。手術だろうが何だろうが、所詮タコヤキセッシュさ。ふっ。
8日に初診と検査を済ませ、3日後の7月11日。
手術の日(18日)まで、まだ1週間もある。日帰り手術とは言え、その後しばらくは歩くのが不自由になるというので、バイトの連休前まで待ったわけだ。となると、この無為な1週間がタマラナイ。と言っても、不安だとか怖いとかじゃないのだ。ただ単に、誰かに喋りたくて仕方ないのである。ああ、喋りたくて唇が踊りだしそう。
そこを狙いすましたかのように電話してきたのが、姑である。M宮クリニックは、ダンナの実家の近所ということもあり、T中先生のことは義母もよく知っている。そこで、実は今度、こういう手術を受けることになりまして、と義母に報告。
「あのT中先生はね、縫うのがすっごく上手なのよ」
「あ、そうなんですか」
「お向いのN口さんが前に背中を縫って貰ったんだけど、細かくキレイに縫ってあってねえ」
「へえ」
「どうやったらこんなに綺麗な縫い目になるの、ってみんなでN口さんの背中を見に行ったもんよ」
あのね、スカートの裾上げをやってるワケじゃないんだから。縫い目のことばっか言われても。
とりあえず上手な先生であることは確かなようだし、その点では安心。ただ心配なのは、手術当日は勿論のこと、その後は通院が必要になるわけだが、歩いては通えないということだ。ダンナが車で送り迎えしてくれるとは言ってるものの、そうそう毎日では仕事に差し支える。
──おおっ、いるじゃないか、こういうときのために自由業の友人が! こういうときに役立てなくては、自由業を選んだ甲斐がないというものだ。ってことで、黒田に電話。
「で、俺に車出せって? いつよ、それ」
「えっとね、手術が18日で、その翌日も通院しなくちゃなんなくて」
「あ、ダメ。その日はね、浜崎あゆみのライブなんだも〜〜〜ん♪」
「な、なんですて? あ、でもさ、ライブは夜でしょ」
「ダメダメ、だって昼から、いや、前日から盛り上がるんだも〜〜〜〜ん♪」
「きいっ! あたしが足にメスを入れるというのに!」
「だって、あゆのライブなんだも〜〜〜〜〜ん♪」
「あんたね、あたしと浜崎あゆみとどっちが大事「あゆ」
そんな、カギカッコ閉じる前に言わなくても……。
「だってさ、なんだかんだ言ったって、結局はホクロ取るだけなんだろお?」
「そうだけどさ、レーザーで焼くんじゃなくて、メスで大きめに切り取るっていうんだもん」
「大丈夫だよ、何かあっても、キミんち、癌センターに近いから便利じゃん」
「……」
……次の密室本、絶対に販促も宣伝もしてやらねえ、と強く決意。
ところが、ヤツもさすがに冷たすぎると反省したのか、後日、足の裏のホクロについて看護師の友人に訊いてみてくれたというのだ。
「足の裏のホクロが滲むってのは、そんなにやばいのかどうか、看護師のNに訊いたんだよ」
「うんうん」
「そしたらね、足の裏のホクロが滲むのは、皮膚癌になる必要十分条件なんだって」
「ええええええええっっっっっっ!!!(倒れかかる)」
「あっ、ごめん、間違えた。えっと、必要条件? 十分条件? どっちだ?」
「(くらくら)」
「えっと、必要条件と十分条件って、どう違うんだっけ?」
「(気を失いかかっている)」
「つまりね、リンゴは果物だけど、果物はリンゴじゃない、だろ」
「……はあ? なに、何の話?」
「この場合、リンゴは果物だってのは、必要条件? 十分条件?」
「だから何の話なのよッ!」
「あのね、皮膚癌になるときはホクロが滲むんだけど、ホクロが滲めば皮膚癌ってワケじゃないって」
「……あ、ああ〜〜〜。ふぅ(安堵の溜息)」
「で、これって必要条件だっけ? 十分条件だっけ?」
「知るかッ!」
幸いなことに、知り合いの医療関係者はこぞって「大丈夫だよ」「心配ないよ」と言ってくれたし、「7ミリ以下のホクロが悪性だったっていう例はないから、早めに取っておけば安心だよ」という説得力のある情報も頂いた(あたしのは長径6ミリ!)ので、すっかり安心していたのである。安心しきっていたところに、この《必要十分条件》発言だ。もう、絶対に新刊の販促なんかやんないからなッ!(後編に続く)