どうころんでも社会科・清水義範・西原理恵子(講談社)
ああもう、このシリーズはどうしてこんなに面白いのっ!無論、「おもしろくても理科」「もっとおもしろくても理科」に比べると、分野が分野だけに知ってることも多くなって、そういう意味では「理科」シリーズほどの新鮮な驚きはなかった。まぁ、理科に関してはあたしがあまりに知らなさすぎるんだけどね。
第4回小説新潮長編新人賞受賞作。久しぶりに大阪に帰ってきた茂夫は、以前バイトをしていた居酒屋に顔を出す。ところがその居酒屋は、親父が借金にまみれ、年内一杯で閉店が決まっているというのだ。何とか今年いっぱい手伝っては貰えないか──借金まみれの居酒屋を救うために、若者が立ち上がる!
おかしな二人〜岡嶋二人盛衰記・井上夢人(講談社文庫)
読み終わったあとに「読まなきゃよかった」と思った。実は再読である。最初は、ハードカバー上梓直後に読んだ。あまりに後味が悪くて、封印した。思い立って再読してみた。後味の悪さは変わらず、ただ辛さだけが残った。
複数の雑誌などに掲載された氏のエッセイを集めたものである。他の本には日本語についての話が多いのだが、これは社会派だ。それもかなり耳の痛い社会派である。
正義とは何か、戦時中の青春は本当に暗かったのか、「悪いのはいつも他人」、「文句言うならそのとき言え」「偽善はつねに正義を装う」──ああ、耳が痛い。ぐさぐさ来る。
図書館の死体・ジェフ・アボット著・佐藤耕士訳(ハヤカワ文庫)
ミラボーの図書館長をしているジョーダン・ポティートは、ある朝図書館で死体を見つける。その死体は、その前日に自分が大喧嘩をした相手で、つい「いっそのこと、あの世におくってやりたい」と人前で漏らしてしまった相手だったのだ。当然のように、彼は疑われる──。
わーははははっ\(^o^)/。いいっ。気持ちいいっ。爽快だっ!
二巻組である。読書好きの建築家と建築好きの読書家が、文学作品に登場した家の間取り図を起こすという趣向の本だ。実際、有名な文学作品に登場する家にはモデルがあったりするが、この本の真骨頂は、著者が自らに課した「小説本文の記述だけをもとに間取りを起こす」というシバリにある。
【知多半島はそんなに田舎か?】というメチャクチャローカルな話に始まり、リアス式海岸の由来と歴史、【ダムとコンビナート】では社会科という科目が当時の政治と密接に関わっている危険性を説き、京都とイスタンブールという歴史溢れる2都市の比較論を展開する。切り口が新鮮なので、知ってる話でも楽しく読める。ただ、やはり理科よりはやりにくそうだ(笑)。
そんな中で、白眉は【昆布ロード】だ。昆布は北海道の産物。それなのに昆布消費量ナンバー1は富山で、ナンバー2は那覇。どうしてこんな関係のない所で、自分とこじゃ採れない昆布をこんなに食べるのか? ものすごぉく深遠な歴史があったのである。この章を読むだけでも、この本を買う価値ありだ。あたしゃ感動して興奮してダンナに熱く語ってしまったぞ。
この章には文句無しに
を進呈。立ち読みでもいいから、この章だけ読もう。
(99.12.16)
居酒屋野郎ナニワブシ・秋山鉄(新潮社)
何がいいってキャラがいい。ストーリーなんて、ほとんど無いも同然なのである。店を再建するために何か行動を起こすのかと思うでしょ? それが違うから笑える(笑)。何もしなくても賑やかな店なのだ。ただ、それより借金が大きいだけなのだ。従って若者達は、ただただ毎日忙殺されるに過ぎない。ただ居酒屋の毎日を描いてるだけなのに、それがものすごく面白い。
主人公の茂夫の他に、入院中の親父に代わって店を切り盛りする吾郎、コワモテでケンカなら負けない源一、下っ端の丁稚、バイトのハカイダー、途中参加の宮本と高座──どれもこれも、とても個性が強くて、だけどリアリティがないほどじゃなくて、皆、個人の悩みも抱えてるけど、今日はとりあえず焼き鳥を焼くのだ。現れる客も皆面白い。大阪弁の会話が面白さに拍車をかける。テンポとキャラとパワー。何度も爆笑してしまった。
パワーだ。とにかくパワーで読ませる。けっこう簡単に人を死なすのもどうかと思うし、人の入れ替わりも随分と御都合主義だけど、そういう部分を隠して余りあるほどのパワーがある。この居酒屋に行って、あたしもカウンターで飲んでみたい。カマさんとシゲと話してみたい。そんな熱気に押される作品。くさくさしてる説きに読むとスッキリするぞ。
(99.12.17)
岡嶋二人という作家が生み出す作品は、実に面白かった。競馬を扱った作品群はそのトリックの斬新さに驚いたし、「人さらいの岡嶋」と異名をとった誘拐物も、他に類を見ない面白さだった。コンピュータを扱った一連の作品も、山本山コンビによるユーモアミステリも、本当に、本当に面白かったのだ。ハズレは殆どないと言っていいくらいなのだ。
あれだけの作品群を合作という形で世に出していた著者。そりゃ興味も沸く。どうやって書いてるんだろう、あの斬新なトリックはどうやって考えつくんだろう。話を聞いてみたい、と思う。でも、こんな話は聞きたくなかった。これでは欠席裁判である。私憤をぶちまけているようにしか、見えない。これが事実であったにしてもだ。
徳山氏にも、是非筆を執って欲しい。これでは、あまりにアンフェアではないか。井上氏の言っていることが、一方的な思い込みだとは思わないが、それにしても、ここまで赤裸々に世間に暴露する必要がどこにあったのだろう。
森雅裕氏の「推理小説常習犯」を読んだ時も、まるで同じ感想を持ったものである。作家は、作品によって判断されるものだ。楽屋話など書くものではない。その思いを改めて強くした。これを読んで楽しめた岡嶋ファンは、一人もいないのではないだろうか。
(00.1.2)
二流の愉しみ・山本夏彦(中公文庫)
具体的にどこがグサグサ来るのか、かいつまんで伝えるのが書評のあるべき姿だと思うが、それができないのが口惜しい。なんとなれば、どこが一文だけを抜き書きしたのでは、伝わらないものが多すぎるからだ。氏は、ひとつの事をいうのに、長い例をひく。しかしそれが的確である。例を読んでいくうちに、氏の言わんとすることが見えてくる。同時に、その例が持っている「醜さ」が強烈に胸に迫る。結論だけ伝えて「どうです、耳が痛いでしょう」とはなかなか言えない文章なのだ。ともかくこれは、読んで貰うしかない。人に叱られることが少なくなった現在、これはかなり刺戟的な張り手である。是非、一読を。
ふと思ったのだが、これを読んで「耳が痛い」と思える人は(自分でいうのも何だが)健全なような気がする。むしろ無条件に「そうそう、そうだよなぁ、そういう人いるよなぁ」と賛同する人がいたら、危険だ。著者は「自省できない恐ろしさ」を説いているのだから。
(00.1.4)
自分の濡れ衣を晴らすために、自ら謎解きに乗り出す素人探偵の典型的なパターンである。死体が握っていた謎のメモ、そのメモに載っていた人々に順次会いにいくジョーダン。驚くほど古典的な流れだ。これほど古典的な設定なのに、まったく古さを感じさせないのは、ユーモア溢れる文章のせいだろう(翻訳家の力だな)。いくらでも暗くなる状況を、ちょっとしたユーモアや抱腹絶倒の独白などで、明るく明るく仕上げてある。これがドラマ化されるとしたなら、サスペンスではなくコメディになるだろう──そんな作りだ。だから、外国物が苦手なあたしでも楽しく読めた。さすがにこれだけ登場人物がいると、誰が誰だか混乱しっぱなしだったけどね(笑)。
真相も古典的──古い酒を新しい革袋にいれた、とでも言おうか。冷静に考えれば何の新鮮味もないのだが、文章とキャラクターの魅力で物語を面白くしている、その典型である。
(00.1.5)
らんぼう・大沢在昌(新潮社)
ウラとイケはコンビを組む刑事。しかし二人とも気が短く、腕っぷしは怪物のように強い。検挙率はダントツ、容疑者受傷率は120%──説得よりも鉄拳、取り調べよりも回し蹴りという二人だ。「面倒くせぇから、殴っちゃえ」なのである。二人の大暴れが非常に気持ちいい。表紙の西原理恵子氏のイラストも、ぴったりハマっている。二人は強いだけでなく、実は優しかったり、正義感に溢れていたり、妙に可愛らしかったりするのだが、そういうのはチラと垣間みえるだかから、かえって魅力的だ。これくらいの刑事がいれば、どっかの県警も少しは自浄作用があるのではなかろうか。
【ちきこん】複数のエピソードが最後に融合する手管が爽快。まずは二人の紹介的一編。
【ぴーひゃらら】イケの故郷での物語。二人の正義感の表し方が見える。映像的な一編。
【がんがらがん】これも複数のエピソードの融合。脅迫未遂犯が妙にバカで可愛い。
【ほろほろり】なんとウラがお見合! もう、その設定だけで笑えるが、見合い相手もなかなか。
【ころころり】内偵に入ったカジノバーは、ウラの昔の友人が絡んでいた──。
【おっとっと】イケが入院。隣のベッドの少年に対する、イケの教育指導がかなり面白くて笑える。
【しとしとり】これは、切ないぞー。全編の中で切なさナンバーワンだ。
【てんてんてん】これもバカな少女が切ない。蜜柑がいい小道具になっている。
【あちこちら】寸借詐欺のバァさんに爆笑。犯罪の手法には感心した。こういう手があるのか。
【ばらばらり】正義感、ここに極まれり。うーん、男だぜ。ラストの台詞がとてもカッコイイ。
(00.1.9)
名作文学に見る『家』〜愛と家族編
名作文学に見る『家』〜謎とロマン編・小幡陽次郎・横島誠司(朝日文庫)
例えば、夏目漱石の「三四郎」に登場する広田先生の家。「玄関の代わりに西洋間が一つ突き出していて、それと鉤の手に座敷がある」という文がある。これを読んで「玄関代わりの西洋間というのは、もともと玄関だったところに洋間を増築したのではないか、だから座敷よりも突き出した格好になっているのでは」と推理し、図に起こす。「……三四郎が梯子段の下から言う。女は暗い所に立っている」という文がある。ここから、梯子段は外光の入らない場所にあることが判る。全てこの方法で、参考にした本文と、その結果の図面が提示されているのだ。面白くないわけがない。
無論、時代、地域、住人の生活レベルや職業なども考慮する。データのないところは、建築家が無理のない想像で補う。中には、「本文には登場しないが、主人公へのサービスのつもりで」囲炉裏をつけたり、「この通りにすると、欠陥住宅だ」と困ったり。二階に住む住人が足が悪いという設定の「陽のあたる坂道」(石坂洋次郎)では、その住人のために二階にトイレをつけたりするなど、その細かさには感嘆するばかりだ。
「愛と家族編」は日本の名作文学、「謎とロマン編」の方には、「モルグ街の殺人」や「まだらの紐」、「怪人二十面相」の家なども登場する。こういう読み方もあったのかと、よくぞこういう楽しみ方を見いだしてくれたと、著者に感謝するばかりだ。興味のある方には、是非一読を進めたい。
(00.1.10)
書評リストに戻る