昭和62年の横溝正史賞受賞作にして、著者のデビュー作。当時から「書ける人」だったんだなぁという思いを新たにする。人気作家の小説に映画化の話が来る。しかしその作家は、とあるファンに脅されていた──。
狐狸ない紳士・鈴木輝一郎(光文社文庫)
政治家の利権が絡んだ土地を巡るコン・ゲーム。突然の事故で息子と孫を失った大物代議士の後継者を狙う熊谷は、その代議士の言葉のウラを読んで、とある土地を入手するために転載詐欺師と手を組んだ──。
吾輩は施主である・赤瀬川原平(読売新聞社)
著者が「家を建てよう」と思い至る過程と、思い立ってから完成するまでのあれやこれやを記したエッセイ。家を建てるというのは、要望と予算を専門家に伝えて、あとは宜敷お願いします──というもんだと思ってたけど、その気になればここまで楽しめてしまうものだのだなぁ、と実感。
本が好き、悪口言うのはもっと好き・高島俊男(大和書房)
あたしのこと?と言いたくなるようなタイトルに惹かれて読む。著者は水滸伝などの中国歴史文学を専門としているライターで、彼があちこちに書いたエッセイや評論などを集めたもの。内容は大きく分けて四つ──身の回りのことについて書いたエッセイ、書評、中国や中国詩人について書いた評論、そして「日本語の乱れに物申す」というエッセイだ。
1977年出版の本である。著者が「話の特集」に載せた色々なパロディを一冊に集めた本なのだが──うーん、パロディかくあれかし、である。これぞパロディだ。お巫山戯としかとれない粗悪な「似非パロディ」が闊歩する中、20年以上前(中には30年以上前の作品もある)に発表されたこの作品は、今でも全然衰えていない。
三日やったらやめられない・篠田節子(幻冬舎)
いろんな媒体に掲載された著者のエッセイを集めたもの。小説の作風そのままに、気負うところなく淡々と書かれているのがいい。エッセイで熱く語られたりするとちょっとゲンナリしてしまうものだが、これは硬軟取り混ぜた幅広いテーマを、軽く斬ってみせる。しかしよく読むと、著者ならでは毒が隠されてたりするので侮れない。
この本は、なまもの読者であるW林さんからの推薦を受けて手にとったのだけれど、実に面白い! だが、あたしがアレコレ言うよりも、そのW林さんのメールこそが、最も「読む気にさせる」推薦文だったので、ご本人の承諾を得て、異例ではあるけれど彼女のメールを長文引用させて頂くことにしました。この推薦文を読むと、ホントにこの本を読みたくなるぞお。
萌の朱雀・河瀬直美(幻冬舎)
同名の映画のノベライズ。奈良の山村に住むみちると、その家族の物語。みちるが4才──昭和40年代の終わり頃──と、18才(昭和60年頃)の2つの時代を描いている。
児童文学。まいのおばあちゃんはイギリス人。ある日、おばあちゃんが倒れたという連絡を受けてママと一緒におばあちゃんの家に向かうまいは、おばあちゃんと一緒に過ごした日々のことを思い出していた──。
時のアラベスク・服部まゆみ(角川文庫)
人気作家である慶のキャラが、かなりイヤなヤツとして描かれているし、こういうミステリにはお決まりの出しゃばり女も登場して、うー、こんなヤツ嫌いと思いながらも、主人公の魅力と、めくるめく展開にページを繰ってしまう。この主人公はいいなぁ。あたしの好きな「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫)の主人公に感じが似てるんだよね。いや、主人公自身よりも母親との関係が似てるのかな。
とまぁ、登場人物の魅力だけに惹かれて前半を読んだんだが、後半になって俄然ミステリとして面白くなってきた。ちょっとアンフェア?と思ったものの、最後まで読むとキッチリ伏線が張られていたのに驚く。謎解きミステリとしても秀逸だ。
しかし、謎解きや主人公の好みや、そういう部分だけではなく。やはり服部まゆみは物語世界のムードを構築するのが巧い。中井英夫を現代風にし、恩田陸をより本格にしたような、独特の世界。物語自体は真っ正直な本格推理なのに、舞台や小道具、台詞を効果的に使って、どこか耽美小説的な妖しさを醸し出す。それが、ややもすれば無味乾燥になりがちな本格推理に色と奥行きを与えている。早くから自分の世界を持ってる人だったのだ。さすが、である。
(00.1.29)
いやぁ、よく調べてる。バリバリの社会派になり得る素材だと思うけど、岐阜弁での会話の多用と、わざと品をなくしてある濡れ場のおかげで、なんだか男性週刊誌の掲載小説を読んでるような気分になった。社会派という感じはスッカリ消えて、娯楽読み物になっている。あたしの個人的好みから言えば、もったいない、のだけどなあ。
岐阜弁は、登場人物達の俗物ぶりを誇張するのに効果的だ。いや、決して岐阜弁が俗物っぽいというんじゃなくて、キャラを立たせるのに一役買ってるんだよね。その対比で、ライバルとされる稲垣も人物像が目に浮かぶようだし。キャラの書き込みはかなり達者な人なのだ。ややこしい詐欺の手口も、すごく分かりやすくてワクワクさせてくれる。あとで出てくるどんでん返しの詐欺の手口が、その前段階の詐欺よりも単純だったのが盛り上がりに欠けたが、でも物語としてはこういうオチが最も爽快。
最終章はなんか蛇足のような感じがするが、これも好みの問題かな。
(00.2.1)
まずは土地探し。初めての経験なので、チラシを見たり不動産屋に行ったりするが、なかなか希望通りの物件がない。当たり前だ、欲しいのは普通の土地じゃないんだから。やっと土地を見つけたあと、設計を頼んだのが建築探偵で有名なF氏だったからさぁ大変。どう考えても遊んでる。絶対に遊んでる。だって──屋根に、ニラを植えちゃうんだぞっ?!
これはもう、エッセイとして読んでも小説として読んでも充分面白いんだけど、これからまさに家を建てようという人が読むと、意外に目から鱗が落ちるのではないだろうか。お仕着せの建て売りじゃぁつまんないな、うちもひとつ自分でベイマツをはつってみるか──そう思わせてくれる本だ。家を建てるというのが男のロマンだった時代は、確かにあった。阿呆みたいな地価高騰でかなわぬ夢となった地域も多いが、運良く家を建てられる状況になったら……そういう時に読むと、「ロマン」再燃は間違いない。
(00.2.2)
あたしが興味を持ったのはあとの二つ。「支那は悪い言葉か・中国とはどういう意味か」というのは実に勉強になる。闇雲に差別だと言葉狩りをしてるが、きちんと言葉の成り立ちを押さえなければ何もならない。「支那は悪い言葉か・中国とはどういう意味か」は、もっと広く読まれてしかるべき文章だ。
そして「日本語の乱れ」は、主として新聞記事やテレビ報道に見受けられる「妙な表現」が的になる。まぜ書きの問題や由来、紋切り型表現など、非常に勉強になり、膝を打つことも多い。当用漢字を決める基準が「もっと優しい言葉で言い換えられる漢字は要らない」だったのにはビックリ。狼狽の狽や魅力の魅は他に使い道もないけれど、狼狽や魅力という言葉を言い換える他の語がなかったので残った──嘘みたいな話だ。
しかし、本のタイトルにもなっているように、間違った日本語や妙な表現を書いた記者を侮辱するような表現が多々見受けられるのが残念。無論、プロなのにそんな間違いをする記者も悪いんだけど、これじゃぁ素直に誤りを認めたくなくなるよなぁ。こういう話って、難しい。
(00.2.2)
倫敦巴里・和田誠(話の特集)
内容はまず、「暮らしの手貼」のパロディ「殺しの手貼」。古今東西の有名映画監督が「兎と亀」を撮ったらというもの。山田洋次監督の「兎と亀」では、最後に笠智衆が庭掃除してたりする(笑)。それから世界の有名画家の画風で、赤塚不二雄・ビートルズ・谷岡ヤスジを描いたりする。何がおかしいって、サン・テグジュペリ風の谷岡ヤスジはすごいぞー。星の王子様が鼻血ブーなのだから(笑)。あたしゃ笑いすぎて腹筋がつったね。
そして、何と言っても白眉は雪国だ。いろんな作家の文体を真似て、川端康成の「雪国」をリライトするという趣向。偽作されたのは庄司薫・野坂昭如・植草甚一・星新一・淀川長治・伊丹十三・笹沢左保・永六輔・大薮春彦・五木寛之・井上ひさし・長新太・山口瞳・北杜夫・落合恵子・池波正太郎・大江健三郎・土屋耕一・つげ義春・筒井康隆・川上宗薫・田辺聖子・東海林さだお・殿山泰司・大橋歩・半村良・司馬遼太郎・村上龍・つかこうへい・横溝正史・浅井慎平・宇能鴻一郎・谷川俊太郎の実に32名! すごい! その上、かなり高レベルの偽作なのだ。読めば読むほど、「ああこれはまさしく司馬遼太郎!」と感動すること請け合いである。一読の価値有りなんていう生やさしいレベルじゃない。これはもう、読まねば一生の損だ!
パロディの根底にあるものって──やはり、その対象を如何に愛してるかなんだよなぁ。
(00.2.3.)
笑ったのは直木賞落選が続いた時に御母堂から「恥ずかしいから、もう直木賞に応募するのはやめなさい」と言われたという件。大爆笑だ。作家の家族にしてそういう認識なのだから、文学賞もツライところだよなあ。
なるほどと思ったのは、こちとら女性作家なのにおねえちゃんのいる店につれて行かれる理由。「男性作家じゃあるまいし、喫茶店やホテルのラウンジでいいのに」というのは、誰しも思うところだが、これを読んで膝を打った。なるほどねえ。
軽く軽く書かれているのでサクサク読めるが、読み終わるといろんなものが残る、いいエッセイ集だ。本人は「精神科が内科を診るがごとし」と言ってるが、医者も作家も、巧い人は何をやらせても巧いのである。
(00.2.4)
妊娠小説・斎藤美奈子(ちくま文庫)
森鴎外、島崎藤村、三島由紀夫、石原慎太郎、大江健三郎、村上春樹、村上龍、橋本 治、原田宗典、忘れちゃいけない渡辺淳一……。古典から現代文学まで、「望まない妊娠」が扱われていればもう全部『妊娠小説』。「舞姫」も「新生」も「美徳のよろめき」も「太陽の季節」も『妊娠小説』。この『妊娠小説』の世界の「オヤクソク」と「基本構造」を余すところ無くツッコミまくっているのです。すごいですよ、大笑いできます。
この評論の白眉は「・・・妊娠したみたいなの」って告げる「受胎告知」シーン(と、著者は名付けている)が作品のどれくらいの段階で出るかを、その作品を9等分して野球になぞらえスコアボード化(!)していくあたり。「受胎告知」をホームランに例えて「1回の表から攻撃」とか「8回の裏で大逆転ホームラン」とか分析しちゃいます。作中多数の「妊娠」があると勿論「乱打戦」とか言われちゃう 三島の「美徳のよろめき」なんか「かつての猛虎打線を思わせる」とか書かれてる(笑)
さらに「妊娠」というモチーフが、その作品においてどんな役割をはたしているのかを料理用語で語った章も秀逸です。「妊娠」がその作品の基本プロットだったりすると「妊娠:ステーキ級」、「妊娠」が、その小説中で、ほんの香り付けのアクセント程度だったら「妊娠:スパイス級」など、この章だけでも一読の価値はあります。
あと『妊娠小説』の重要脇役キャラといえる「産婦人科医」の表現のすさまじさ。どの小説も、悪鬼のように描いてる。たくさんの実例を見せてくれるから大笑い、
とか。もうとんでもないステロタイプっぷり。読んでて何回も吹き出すこと請け合い。大矢さん、もし読んでなかったら、お願いだから読んで!
山村の雰囲気はとてもよく出ていて、一緒に暮らすイトコの栄ちゃんへのほのかな思い、寡黙だがいたわり合う両親、優しいおばあちゃん──そういう家族もとてもステキだ。何も特別なことはないのだけれど、ただ、過ぎていく子どもの日常。その裏で繰り広げられる大人の苦労と、それを段々に分かっていく子ども。
ただ、やはり映像の世界なんだと思う。みちるの一人称という体裁で進んでいくけども、それだけ描ききれない部分がある。そこも、みちるの一人称で描いているため、夫婦ふたりの会話の場所にみちるがいるような、妙な錯覚を招くのだ。ま、あたしの読解力のなさのせいなんだけどさ(笑)。
映画は見てないんだけど、ラスト間近の、父親が残した映像を見るシーンや、雨の中の母と栄ちゃんのシーン、祖母の最期なんかは、やはり映像で見た方が美しいだろうなと思わせる。文章で伝えるというのは、かなり厳しいシーンだもの。映画の方をみたくなったぞ。って、術中ってやつか?(笑)
(00.2.7)
西の魔女が死んだ・梨木香歩(楡出版)
中学に入学してすぐ登校拒否になってしまったまいと、そのまいを預かったおばあちゃんの物語。魔女の家系だというおばあちゃんから、「魔女トレーニング」をうけるまいの日々が描かれている。学校からのドロップアウトという問題を扱っているが、それを前面に出さないのがいい。ダイレクトに出てくると説教臭くなっちゃうもんね。かといって「魔女トレーニング」から想像するようなファンタジーでもなく、非常にリアルな日常の物語だ。要は、子どもの頃にこういう生活をしてみたかったな、というシーンを淡々と描いているのである。それがかえって心に染み通る。いや、今からでも遅くはないぞ。明日から、こういう生活をしてみよう──そんな気にさせるのだ。
おばあちゃんの家でも、辛いことや悲しいことはあったけれど、悲しみや辛さを癒すのは自分自身の力。自分自身で決め、それを実行する力。聞きたくないものが聞こえてきた時、それに惑わされない力。そういう主題を、教訓めいて述べるのではなく、自然に物語の中で咀嚼させていく。
ラストシーンが素晴らしい。悲しい中に、みごとなまでの清々しさがある。あたしは、姪が理解できる年齢になったら、絶対にこの本を与えるぞ。
(00.2.8)
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