じゃじゃ本ならし


修理さま雪は・中村彰彦(新潮社)

 1868年、京都で燃え上がった倒幕の炎は、将軍を蟄居させた後、京都で討幕派を押さえていた会津藩へと移ってきた。新政府軍は、会津を奸賊に仕立て上げ、その会津を倒すことにより、日本は我が物であることを知らしめたいのだ。絶大な兵力を持つ新政府軍に会津一藩が適う筈もなく、ただ、見せしめのための生け贄として、新政府軍の勝手な復讐意識の犠牲になった会津の人々。戊辰戦争の中で翻弄された悲しい人々にスポットをあて、それぞれの会津最後の日を描く。
【修理さま雪は】タイトルだけで泣ける。何度も口に出しては、それだけで涙が流れるタイトルである。会津藩士の神保修理は、早くから恭順論を説いていた。しかし鳥羽伏見の戦いの責任を一人で負わされる形となり、罪もないのに自刃。若くして寡婦となった妻の雪子は、会津最後の日、修理のもとへ早く行きたいと願いつつも運命に邪魔される──うううう、辛い、辛すぎる。実は、これまで神保雪子のことを調べているうちに、父親の井上丘隅から「婚家で死ね」と言われた後、どうしてすぐにその通りにしなかったのか疑問だったのだ。そうか──それなら確かに気兼ね無く修理のもとへは行けない。やっと疑問が氷解した。しかし、こんな理由なら、知らない方がよかった。
【涙橋まで】娘子軍として名を馳せた、中野竹子の物語。世が世ならどれだけのことを為した人物であったか、考えるだに惜しまれる。妹の優子が生き残って、嫁ぎ子を為したというのが分かって、ちょっと救われた。
【雁の行方】西郷頼母というのは、一人だけ早くから恭順論を説いた冷静な人という印象だったのだが、こんなイヤなやつだったとは(笑)。彼に人望があれば、恭順論が早くに受け入れられたのかなあ。
【残す月影】女だてらに砲術の腕は確かだった女傑・山本八重子の物語。後に新島譲と結婚し、同志社大学設立に寄与することになるが、会津戦争最中の活躍と気概には、ただただ圧倒される。
【飯盛山の盗賊】ここここここここ、こいつ許すまじ! 薩長の者にやられるならまだしも、同じ会津の人間がこんなことを! ま、きれい事ばかりじゃないってことで。
【開城の使者】降伏開城を土佐の本陣まで伝えにいった二人の話。できれば、その前段階が知りたかった。
(01.2.18)     

鹿の幻影・紀田順一郎(創元推理文庫)

 後に「古本街の殺人」と改題して、同じ創元推理文庫より出版。
 愛書家の会「黎明の会」のメンバーは、飲み会のあとでメンバーの清水の家に立ち寄った。清水は古書店を経営しており、神保町に住んでいる。一時間ほど歓談して解散したのだが、翌日、清水の隣に住む別の古書店主が死体で見つかった──。
 おお、面白い面白い。細かい伏線の張り方や、いかにもなトリックなど、本格ミステリの醍醐味がたっぷりである。読んでる最中から「ここ、怪しいよなぁ」という箇所はたくさんあるんだけど、それが一つに繋がった時の快感は格別。朧気に「このあたりが、こういうふうになるのでは」というのは見当がつくんだけど、その絡め方が上手なので、一本とられた気持ちよさがある。
 しかし著者が描きたかったのは、トリック云々よりもおそらくは愛書マニアたちの生態──というか、意識や行動の妙味と、神保町という街の持つ独特の雰囲気だったのではないか。
 ここに描かれている愛書家らの執念ってのは、まさに常識を超える。これ、そのスジの人々の間では普通のことなのかしら、とちょっとびびったり(笑)。愛書マニアたちの言動はあたしのような常識人(こら、そこ、笑うな)からすれば「ほえーっ」と目を丸くするしかないんだけど、事件を追う刑事が普通の人なので、古書収集に縁のない読者でも刑事の視点に立つことによって、話にスンナリ入れるんだな。そのあたりも巧いところである。もちろん、描かれている愛書家たちのタイプも十人十色で、愛書家といっても様々であるということがよく分かる。
 神保町の描写に関してもサスガだ。愛書家のひとりが、高校時代に初めて神保町を訪れた体験を話すシーンがあるが、その頃の神保町と、この物語が上梓された当時の地上げ旋風が吹き荒れる神保町と、その変化にも思いを寄せてしまう。
 結論──その正体は分かわねど、やはり本には魔力があるのだ。 (01.2.20)     

古本屋探偵登場・紀田順一郎(文春文庫)

 後に「古本屋探偵の事件簿」(創元推理文庫)に収録された2編によってなる。因みに底本は「幻書辞典」というタイトルで、昭和57年、三一書房より出版。
 神保町で古本屋を営む須藤は、副業として「本の探偵」をしている。探求本を見つけます、というのがその主旨なのだが、彼のもとに持ち込まれる依頼はそんな単純なものではなかった──。
【殺意の収集】幻中の幻とされる珍品「ワットォの薄暮」の私家版を、津村が見つけたという。しかし狙っているマニアも多いことから、図書館へ「依託」という手段をとった。希望者は手続きを踏めば閲覧できるのだが、津村と須藤が図書館へ行ってみると……。おおお、いいではないか。事件そのものは愛書家云々を離れた純然たるトリックによって成立しており、それを「愛書マニア」の描写で肉付けしていくという手法。本そのものがトリックに関わるよりも読みやすいし理解しやすい。実際のところは随分綱渡りのアリバイトリックだよな、という気がしないでもないが、須藤が偽書を見抜くきっかけになった箇所などはかなり好み。
【書鬼】須藤のもとに持ち込まれた依頼は、「シートン動物記」の5巻を探して欲しいというもの。それ自体は特に珍本というわけではないのだが、その依頼を持ち込んだ女性はイヤに謎めいており、彼女を巡る形で事件は起こる……。前半は話題があちこちに飛びすぎるきらいがあって、何の話をしてるのか途中で分からなくなったりしたんだけど(笑)、なるほどこういうことですか。詐欺の手法よりも、「弟」の行方の方にミステリ的醍醐味を覚えた。しかし、何と行っても圧巻なのはラストシーンの迫力だ。本を持たない人にとってはコントのように思えるかもしれないが、ある程度蔵書のある人間にとっては、これはシャレにならない恐怖だぞ。
(01.2.20)     

後宮小説・酒見賢一(新潮社)

 17世紀の中国。天子様が亡くなり、新しい皇帝が立った。側近が初めにすることは、新皇帝のための新しい後宮(日本で言う大奥)づくりである。国中から美女や才女を選んで「女大学」で教育し、後宮のメンバーにするのだ。田舎の職人の娘である銀河は、ホンの好奇心から宮女のオーディションを受け、後宮へと連れて行かれることになったのだが──。
 おおお、面白い面白い。まだ初潮も迎えていない銀河が、皇帝の妻となるための教育を受けるのだが、まず同部屋にされたメンバーが個性的だ。貴族の出を鼻にかけ、気位の高いセシャーミン、無口で色気はなくマイペースで得体の知れない江葉、かなり高貴な出で格が違うということは分かるがそれ以外は正体不明の玉瑶樹。それに、好奇心旺盛で物怖じしないが、まだまだ根っ子は子供の銀河。彼女たちが学ぶ「女大学」とは、要は皇帝の妻になるための勉強で──即ち、ベッドテクニックを学ぶところなのだ。これが面白くないわけがないではないか。
 中国はまだまだ戦乱の世である。アッチの方のテクニックを学ぶのに血眼になっている女達の上にも、歴史の波は襲いかかる。銀河を待っている運命。そこに隠された意外な真実。もう、一気呵成である。中国の歴史だの哲学だのは知らなくても構わない。そんなもの知らなくても文句無しに楽しめる。それが筆者の文章力・構成力・演出力によるものであることは自明だ。
 政治的には色々複雑であったろうが、後宮という舞台に視点を据えたところが成功の鍵だったのではなかろうか。戦争が起こっても、女が女であることは辞められないのだ。しかし、後宮の女たち──否、これから後宮へ入る女達は雄々しく立ち上がる。その先頭に立つ銀河と江葉。セシャーミンの変化。玉瑶樹の運命。どれをとってもエキサイティングで、そして時にはワハハと笑わせ、時には切なく胸を締め付ける。銀河という一風変わった少女の目を通して描かれる後宮小説は、歴史ドラマにして恋愛小説であり、伝記にして友情物語だ。
 ただ、最後まで読んでもどうにも分からないことがひとつ。これのどのあたりがファンタジーなんだ? (01.2.25)     

針の誘い・土屋隆夫(角川文庫)

 千草検事シリーズ。千草は知り合い宅から戻る途中で、慌てふためいた若い女性と出くわす。彼女がお手伝いとして働いている家の子供が誘拐されたというのだ! 千草はすぐに捜査を手配するが──
 千草検事と野本刑事のコンビが、まるで銭形平次とガラッ八みたいで、いい雰囲気だ。誘拐事件の真相や動機など、ひとつひとつ仮説を立ててそれを検証していく様もエキサイティング。仮説の度に「なるほどっ!」と思わせ、しかしその直後で反証が出てくるあたりなど、検事と一緒にハラハラどきどきしてしまう。
 しかし、最後までそのパターンだったのはちょっと興ざめかな。犯人が殆ど特定されてしまってからは、さほど大きな波がないのである。確かに動機の意外性とか犯罪の手法に関わるトリックなどは膝を打つものが多いのだけれど、千草が真相に気づく瞬間はまだいいが、それを読者に知らせる方法がアッサリしすぎてるのよね。で、ページをだいぶ残して真相が大凡明らかにされてしまい、かといってその後に何か余韻のある出来事があるわけでもなく──というのは、読んでる最中は楽しくても、読後感はかなりアッサリとしたものになってしまうのだ。
 あ、そうそう、千草が真相に気づくヒントを拾うシーンが幾つかあるんだけど、どれもあまりに偶然が強くて笑ってしまった。実際にもこういうことはあるんだろうし、ドラマなんかだと大して不自然じゃないんだけど、文章で読むと随分と都合よく見えてしまうのはどうしてなのかなぁ。 (01.2.27)     

赤の組曲・土屋隆夫(角川文庫)

 千草検事シリーズ。千草のところに大学時代の知り合いである坂口という男が訪ねて来る。彼の妻が失踪したというのだ。捜索願を出したいので、検事である千草からも口添えして欲しいと言うのだが──
 赤をキーワードに展開する事件。最初、ちょっとは不審な箇所があるものの、大の大人が何日か家をあけたくらいじゃ警察は動かないだろう、とツッコミたくなったが、話が進むにつれて大きな事件に発展していくので、これはまぁ警察と検事に先見の明があったということで(笑)。
 そこかしこに散りばめられたトリックは、どれも小粒ながら「おおっ!」と思ってしまうものばかり。そして隠されていた最大のトリックについては、ホントに「おおっ!」と声を出してしまった。いやぁ、騙された。今となってはさほど珍しい手法ではないのだけれど、まったく考えつかなかったなあ。そうかぁ。おかしいと思う箇所は確かにあったのだけれど、うーん、そういうことか。脱帽。
 ただ、そこまでの巧緻なトリックを(それもたくさん)扱いながら、話の演出がなぁ……本格ミステリに慣れた者としては、最後の最後で「おおっ!」と言わせて欲しいのだけれど、途中途中で何度も驚かされた割には、最後はその裏付けばかりで「やはりそうだったか」で終わってしまうのが、どうにも惜しい。トリックは好きなものばかりなので、実に残念だ。
「針の誘い」の感想にも同じことを書いたが、千草が真相に気づく瞬間はまだいいんだけど、それを読者に知らせる方法ってのが、もっとドラマチックだったら全く文句無しなのに。
 蛇足だが、とある医学的な知識に触れた主人公が「なるほど」と納得するシーンがあるんだが、「針の誘い」でも同じ知識を本で調べて納得するシーンがあったぞ。一度調べたら覚えておきなさいって(笑)。 (01.2.28)     


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