じゃじゃ本ならし


薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木・江國香織(集英社)

 なんて美しいタイトルなの。このタイトルだけでお薦めマークをつけたいくらいなのだが、もちろん内容も美しいのである。
 描かれているのは9人の女性たち(と、彼女らに関係する数人の男性たち)である。花屋のオーナー、雑誌編集者、その編集部のアルバイト、モデル、子供のいる専業主婦、子供のいない専業主婦、専業主婦の姉を持つ妹、その同僚である会社員、獣医の妻……。
 それぞれの視点で(或いは時には男の視点で)語られる9人の女の物語は、ある時には共感し、ある時には反感を持つ。読者の誰もが、女性なら、最も自分に近い人物をこの中に見つけられることができるのではあるまいか。9人が9人、100%の幸せを持っているわけではなく、常に何かに渇している。しかし、一人の人物が求めているものは、他の人物にとっては既に手にしているにも関わらずさして大事ではなかったり。価値観の違い、と言ってしまえば陳腐だが、タイプの違うこの9人が、それぞれにそれぞれの日々を送る姿は、何というか、それぞれに静かで、それぞれに「良いものだな」と思わせてくれる何かがある。たとえ夫に浮気されていようと、たとえ好きな人に振り向いて貰えなくても、たとえ誰かにバカにされていても、ひとりひとりの生活は、やはり「それなりに良いものだな」と思わせてくれる何かがあるのである。そして不思議なことに──「あたしの生活も、不満がないじゃないけれど、でもそれなりに良いものだな」とまで思わせてくれるのである。価値観の相対化、と言ってもいいかもしれない。
 充分にドロドロした部分も多いのに、そのドロドロにフィルタがかかって、すべてが薄い膜の向こうで行われているような「美しさ」。感情的な爆発をダイレクトに描かず、登場人物が自分の中で昇華し終わってから描かれる「潔さ」。そう言ったものに裏打ちされて、読者は価値観の相対化を促される。ストーリーそのものが持つ魅力というより、この世界の魅力。この物語の持つ「ああ、良いなあ」と思わせる魅力が何なのか、やはり、読んで貰うしかないのではないか。女性にとっては、心のヒダをこじ開け、毛細血管の先まで滲み通る「共感」が、ここにあるような気がするのだが。 (02.2.5)
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フェイク!・大信田麗(幻冬舎)

 謎のメッセージを残して失踪した売れないホラー作家。敏腕編集者・五反田は、その失踪を探りつつも、「最後の一冊」を出版すべく作戦を練る……。
 メタミステリ、或いはメタフィクション。ホラー作家の失踪や、その周囲の謎めいた人々、そして現れる「謎の作品」といったあたりは非常に求心力が強く、ミステリ的展開をそつなく、そして品良くまとめあげている。文章も達者だし構成も巧みで、かなり書ける人なんだなあという印象も強い。
 ただ、出版界の内幕や、実在の人物を想起させるようなネーミングの配役などは、個人的にあまり好みの趣向ではないので、どうにもそのあたり「邪魔くさい」と思えて仕方なかった。ホラー作家の失踪とその真相、それを巡る編集者の思惑ってだけで充分魅力的なミステリに成りうるものを、それ以外の「内幕暴露」的な部分が阻害してるように思えたのだ。なんかもったいないなあ。この内幕話や「実在の人物を想起させる」登場人物たちって、この物語の展開において絶対に必要不可欠なものだったのとは、どうしても思えないのだけれど……。こちらの方にばかり評価や感想の焦点が流れてしまって、肝心の物語そのものの印象が不当に薄れてしまうのが、実にもったいない。 (02.2.8)
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君はこの国を好きか・鷺沢萠(新潮文庫)

 韓国籍を持つ、在日三世の若者を主人公に据えた中編を二つ収録。いずれも、「韓国人というだけで謂れのない差別を受けましたが私は負けませんでした」というようなタイプの話ではない。自分の国はどこなのか、自分は何者なのかとアイデンティティに悩む若者を描いたところに、リアリティと訴求力を感じるのだ。
 日本に生まれ、日本で育ち、日本語を喋る。韓国には言ったこともないし、韓国語もまったく話せない。それでも免許証に載っている自分の本名は「朴俊成」で、でもそれを韓国語で何て読むのかもわからない大学生──通名・新井俊之。交通事故を起こしてしまい、同乗していたガールフレンドに免許証を見られるのがイヤで、無理に彼女を車から出してしまう。それが【ほんとうの夏】の主人公。
 日本の大学を卒業したものの、就職する気もおきずアメリカに留学、そこで同じ韓国人から「あなたは本当に韓国人なの?」と言われ、ハングル語の魅力にとりつかれ、韓国の大学に移った李雅美──通名・木山雅美。ところが「母国」である筈の韓国は、雅美には冷たく、どうしても馴染めない。結局、在日僑胞だけで固まってしまう。拒食症になり、人と話せず、ここは自分の国なのにと悩む女性。それが【君はこの国を好きか】の主人公。
 いずれも、自分の出自を恥じてるわけでも差別を受けた経験もない、それなのに身の置き所がないと感じる若者である。彼が、彼女がどう考え、どう動くのかも目を捉えて離さないが、真骨頂は彼らをとりまく周囲の人にあるのだろう。同じ在日韓国人のスンジャ、あるいはジョンヒの存在が実に大きい。
 彼らは在日韓国人という自らの立場を消化しようとするが、これは何に対しても言えるのではないか。自分は何者なのかと感じる気持ちは、国籍の問題だけではないだろう。無論、在日外国人の抱える現実的な問題に比べれば、日本人の「自分探し」なんて甘っちょろいもんだとは思うが、例え甘くとも、自分の求めるものを捜して足掻く彼らの物語は、一つの姿を示してくれているのではないだろうか。「君はこの国を好きか」と問われて口ごもるのは、決して雅美だけではない筈なのだ。 (02.2.10)
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『ごんぎつね』をめぐる謎〜子ども・文学・教科書・府川源一郎(教育出版)

 「ごんぎつね」は、今や各教科書会社が全て、小学4年生の国語の教科書に載せているのだそうだ。つまり日本で小学校に通う以上は、必ず読む童話なのである。「ごんぎつね」を知らない国民はいない、という時代が来ようとしているわけで、国民的童話と言ってもいい。実際、あたしの小学校の時に読んだけれど、これは何度読んでも切ないんだよねえ。
 この「ごんぎつね」は、新美南吉が18歳の時に書いた作品である。舞台は近代化する以前の日本の田舎。「ごん」という小狐が、自分のいたずらの罪をつぐなおうとして、村人の兵十に接近し、最後に、その兵十に撃たれて死ぬ。ところがこの物語は、新美南吉の初校からはだいぶ変更されているのだという。最初は雑誌「赤い鳥」を主宰していた鈴木三重吉の手によって推敲され、南吉の死語には盟友の巽氏によって時局に合うように修正され、あげくの果てには教科書会社の手によって物語の結末そのものが変えられた例もあったという。
 この本では、なぜこのような「書き換え」が起こったのかを、時代と追って検証していく。初校、鈴木による修正、そして教科書にはどう載ったかなど、実際の文章を紹介しながら説明してくれるのを読むと、童話というのは表現一つでこうも印象が変わるモノかという思いを抱かずにはいられない。それは時として、恐ろしさでもある。
 鈴木三重吉の手による修正というのは、実績も権威もある大先生が、十代の投稿者の原稿に朱を入れるという行為であり、南吉自身も光栄に思いこそすれ不満などは微塵もなかったようだ。実際、鈴木の手が入った時点で、物語は数段シェイプアップされている。巽の手による修正は、「南吉の名声を大事に思うがゆえのおせっかい」という感じで、気持ちは分からないでもない。しかし最も驚いたのは、ラストシーンで「ごんぎつね」が死ななかったという書き換えをした教科書があった、ということ。それでは全然別の話になってしまうではないか。なぜそのような書き換えがまかり通ったのか。
 国語教材の在り方を考えるには最適の一冊だが、それと同時に、新見南吉の初校がまとまった形で読める、それも一般に流布しているものと並べて読み比べることができるという点でも、価値ある一冊と言えよう。 (02.2.12)
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茫然とする技術・宮沢章夫(筑摩書房)

 とにかく笑えるエッセイ集だ。面白いエッセイというのは、何を書くかといった以上に「どう書くか」という部分が大事になってくる。例えば、この本では大きく分けて「言葉について」「コンピュータについて」の二つのテーマのエッセイが収められているのだが、テーマそのものは普通なのに、この人が書くとどうもオカシイのである。一人ボケ一人ツッコミの文章芸そのものの面白さもあるし、視点の鋭さ・比喩や引用の奇抜さというところも才能なのだろう。
 コンピュータについては、94年から96年頃に書かれたものが納められているので、思いきり古い。ウィンドウズが出回り始めた頃で、中にはAT互換機(!)なんてのも出てくる。雑誌「アスキー」の厚さに驚いたり、牛模様のゲートウェイに感動したりしている。それほど情報は古いのだが、書かれている内容は今でも思わず笑いながら頷いてしまうようなものばかりだ。例えば。

こういうメッセージはどうか。「予期せぬMS-DOSエラー#11」いきなり、予期せぬらしい。誰がだ。誰が予期していなかったんだ。まあ、使ってる私はまったく予期してませんが、そりゃあそうだろう、エラーを予期してパソコンを使う人間がいるものか。だとすると、ウィンドウズが予期していなかったことになる。他のエラーには予期せぬなどと出てこないのをみると、このエラーは特別で、ほんとうに予期しないことだったに違いない。さぞかしウインドウズのやつも驚いただろう。「なんだこれはぁ!」と中華航空機のパイロットさながらである。

 これはまだ誰もが思うことで、言わば小手調べなのだが、この章の最後にはMacの「爆弾」の話も出ていて、思わず腹筋が吊りそうになるのである。
 言葉についての章は更に強力なので、ぜひご一読を。どーしてこんなバカなこと考えるかなあ、と大笑いしながらも、目からウロコがバンバン落ちた一冊。 (02.2.8)
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わからなくなってきました・宮沢章夫(新潮文庫)

 野球中継を見る。負けていたチームが、最終回になって怒涛の反撃、ついに同点に追いついた。そういう時にアナウンサーが言うのだ。「さあ、わからなくなってきました!」──そりゃ確かにわからない。でも、そんなに簡単にわからないなんて言っていいのか? 責任を放棄してないか? 例えば食事をしている時、全部食べられると思ったのに、あと一口が入らない。食べるか、残すか。「わからなくなってきました」──そんなとこで言ってどうする。とまぁ、これはそういう主旨のエッセイである。書いてるあたし自身がわからなくなってきました。
 とにかく、この紋切り型表現は何なんだろう、というところから著者の思考は出発するわけである。いろんなことに「わからなくなってきました」をつけてみる。
 芭蕉──閑かさや岩にしみいる蝉の声。わからなくなってきました。
ホントにわからない。同じ様な手法で川端康成にもつけてみる。
 国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が停まった。わからなくなってきました。
 やっぱりヘンだ。ところが著者は、「この人の文章には、わからなくなってきましたが似合う!」という文学者を見つけてしまうのである。さて、それは誰か──本文を読んで下さい。
 ま、「わからなくなってきました」てのは冒頭の一エッセイであり、そればかりの本ではないのでご安心を。ただ、全編この状態です(笑)。妙なところに拘って、妙なところにつっこんで、それでどんどんわからなくなっていく。うわははと笑いながら、読んでる方もわからなくなっていく。脱力系バカエッセイとでも名付けるべきか。
 う〜ん、こんなエッセイにお薦めマークをつけてしまったぞあたしは。あたしは好きなんだけど、でも、中には怒る人もいるかな。薦めても大丈夫かなあ──わからなくなってきました。 (02.2.17)
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冷たい密室と博士たち・森博嗣(講談社文庫)

 喜多助教授の誘いで低温度実験室を訪れた犀川&萌絵。ところが、実験後の打ち上げに参加しないメンバーがいた。先に帰ったのだろうと思われたが、衆人環視且つ密室の部屋から死体がみつかり……。
 「すべてがFになる」の新鮮さがあまりにインパクトがあったので、そのままの流れを想像して手にしたのだが、今度はまたものすごく真っ当な──正統派とも言える本格ミステリだ。舞台や小道具は確かに「理系」なのだけれど、そこで起きる事件も──そしてトリックも、ホントに正統。逆にそれに驚かされたりして。
 さて、このあとどんどん恋愛ボケになっていく萌絵も、この時点ではまだマトモで斬新(?)なお嬢様キャラクターだ。おまけにロジックだけで事件を解決するのではなく、萌絵自身が巻き込まれて危険な目に遭うという(おちゃっぴぃなヒロインが自分勝手に暴走して危機に陥るというのも、まぁ実によくあるパターンで、そういう手法をとったことにまた驚いたのだが)サスペンスシーンまである。この危機から抜け出る手法ってのは、わはは、15年前だとチト受け入れにくい方法だよなあ。テクノロジーの進歩ってすごいわ。
 全般に、二時間ドラマが科学で理論武装したような物語、という印象かな。いや、別にそれが悪いってんじゃないので誤解のなきよう。動機といい、背景といい、動きのあるサスペンスフルな展開といい、ドラマにしたいような話なのだ。ま、その場合、場所はどっかの温泉旅館になって、低音実験室はサウナかなにかになるような気もするが(笑)。
 実は、謎解きシーンが一番好きなのよね。これだけ「斬新」だの「怜悧」だの「理系」だの(最後のは関係ないか)というキャプションがつく物語なのに、ちゃんと「名探偵、皆を集めてさてと言い」をやるんだもの。それも豪邸の二十畳のリビングで。説明を求められて、もうみんなわかってるんだと思ってた、これって打ち上げじゃなかったの?という犀川のセリフが実にいい。 (02.2.18)
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少年計数機〜池袋ウエストゲートパーク2・石田衣良(文藝春秋)

 正直に言ってしまうと、名前だけは知っていたこの物語に、あたしはマイナスの先入観を持ってた。池袋、ストリート……う〜ん、なんかさあ、コンビニの前で座ってる子供たちとか、徒党を組んでオヤジ狩りしたりホームレスを襲ったりするような子供たちとか、そういう絵が浮かんでたのだ。そういう世代の、そういう種類のボーイズなんだろうな、と。それが美化されてたりカッコヨク書かれたりしたら、イヤだな、だからドラマも見なかったのだ。長瀬クンが主演だったのに見なかったんだから、どれだけマイナスイメージがあったか分かるでしょ。
 ところが、今回、「お薦めですよ」とメールを下さった方がいて。おまけに
「名探偵で行こう」に、このシリーズの短編が収録されていて、それが結構良くて。じゃあ、読んでみようと思ったワケだ。
 結論。食わず嫌いは、いかんがや
 確かに「悪いガキ」はたくさん出てくる。ガキだけじゃなくて悪いオトナもたくさん出てくる。でも、工業高校を出たあと家の果物屋を手伝っているマコト(これが長瀬クンだったのね!)は、そういう池袋がまるごと好きで、でも──コッパズカシイ言葉だけれど──正義というものを持って動いている。おまけになんか妙に切ない話ばかりで、予想してたようなものとは微妙に違ったのだ。
 イチオシは表題作の【少年計数機】。LDの少年と友だちになったマコト、そして誘拐された少年を救おうと走る走る。マコトの周囲には、池袋ウエストゲートパークのボーイズが居て、彼らのヘッドの号令の元に鮮やかな連携を見せるのだ。これは、「荒んだイマドキのワカモノ」のノワールではなく、義理人情にイマドキの計算やクールさが混じった、あたらしい「闘うワカモノ」ではないか。帯にはこうある。「切れるな! 閉じるな! 池袋で会おう!」──すごいよね。いいよね。この帯にお薦めマークをあげたい。
 他の収録作は、【妖精の庭】【銀十字】【水のなかの 目】の3本。これらは【少年計数機】に比べると、いずれも、最初に懸念していたような「病んだワカモノ」がどっさり出てきて、ちょっと読んでて辛かった。でも、それも物語がとても面白くて引き込まれるが故なのだ。この痛くて重い読後感が、このシリーズの力なのかもしれない。 (02.2.24)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

平和な殺人者・辻真先(カッパノベルス)

 終戦直後。都市計画が進む名古屋市で、焼け残った学校の奉安殿に進駐軍から貰ったガムを隠した少年が、深夜にガムをとりに忍び込んだ。ところがそこで彼がみたものは、幽霊と一瞬にして消えた奉安殿だった……!
 実はあたしは、辻氏の著作の中でポテト&スーパーと並んで好きなのが、この戦中戦後を舞台にした本格ミステリなのだ。道具建ては完璧である。消える建物、密室殺人、アリバイトリック、などなど。父親が殺され、母親が容疑者として逮捕されてしまった高校生の雛子は、同級生の助けを借りて家業の小料理屋を続けていく。と同時に、仲間と一緒に母の無罪を証明しようと動き出すのである。
 最後の最後まで、気を抜けない展開。これでもかこれでもかと言わんばかりに起きる事件。立ち向かう「戦中派高校生」たちの、心に焼き付けられた戦争の傷跡。終戦直後、それまでの価値観がひっくり返り、学校は男女共学になった。遅すぎる初恋に戸惑う高校生たちの愛らしさと、そんな彼らの心に残った戦争の傷が、この物語の根底に流れている。派手ともいえるミステリ部分に、この時代の独特の青春風俗が相俟って、仕掛けと気持ちが最高の部分で融合している魅力がある。
 だからと言って、決してミステリ風味の反戦小説ではない。これはまごうかたなき、本格ミステリである。本格ミステリ以外の何者でもない。大がかりなトリックから、細かい伏線、心理的なトリックに、罠、ミスディレクション、どんでん返し。実にぜいたくな本格ミステリである。「これが伏線だったんだ!」と膝を打つ。そして、テーマと、ミステリの仕掛けが、絶妙なバランスで支え合い、互いを補強し、ひとつの秀逸な推理小説になっている。特にこのトリックは、戦後すぐの名古屋でしかなしえなかったトリックなのだ。「あの場所が──」と、思わず今の「その場所」を胸に描いてしまった。これはお薦め。
(02.2.18)
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寝台超特急ひかり殺人事件・辻真先(講談社文庫)

 ポテト&スーパーシリーズ再読計画第4弾。国鉄が、東京・博多間に二階建て新幹線を夜行で走らせるという業務を始めた。ポテトこと牧薩次は、見知らぬ読者からチケットを贈られ、その寝台超特急に乗り込む。ところがその中で事件が起きて──。
 もちろん、架空の鉄道を舞台にしたミステリである。なんせ国鉄だ。懐かしいなあ。で、寝台超特急なわけだから、それ自体が密室みたいなものなのだ。全編これ密室。
 鉄道ミステリが著者のお家芸のひとつなら、もうひとつのお家芸が「作中作」である。特にこのポテト&スーパーシリーズには、この「作中作」がよく出てくる。ポテトが推理作家なのでファンや作家志望者から送られて来る、という設定なのだけれど、これがもう、シリーズをよく知っている読者なら作中作の初手から種が分かるという……(笑)。初めての読者にはまっとうなヒッカケになり、ファンに対しては「あ、またやってる!」というサービスになるという仕掛けなのだ。ファンには馴染んだ仕掛けである証拠に、それが解説で(注釈なしで)バラされてるくらいなのである。
 作中作の入れ子構造に目を奪われるのはいつも通りだが、今回はそれがまた見事。充分慣れているつもりで、端から疑ってかかっても、やっぱりダマされてしまう。殺人事件そのものはシンプルだが、その背景の凝りようと言ったら! このあたりも、作者の遊び心とサービス精神のなせる技なんだろうなあ。あ、考えてみたら黒田研二の(他の小説のネタバレにつき反転)「硝子細工のマトリョーシカ」のメインの叙述トリックって、これと同じじゃん! 小説からテレビにしたのが違うけど、入れ子の中の入れ子という点では同じだよね。ま、もちろん処理の仕方は違うのだけれど。 (02.2.19) 


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