男にとって「出世」の定義はシンプルだ。例えば、「社長になるんだよ」と言われればその子は頑張って社長を目指せばいい。しかし女の子はどうか。「社長になるんだよ」と言われて頑張ってはみるものの、その頑張りの途中でふと気付くのだ。「社長になるのもいいけれど、あたしには社長夫人になる手もあるんじゃない?」と。
シーナ(椎名誠)が奄美大島へ行ったとき、浜辺で遊んでいる漁師達がいた。野球のようだが、使っているのがボールではなく、網を浮かせるときに使う浮き球なのだ。中心に網の紐を通すための穴があいているため、上空で風にあおられると球道が変わる。それをボール代わりに、そしてバットの代わりに流木を使って昔懐かし三角ベースをしていたのだ。誘われて仲間に入ったシーナは、その面白さにあっという間に虜になる。そして、それを自分の友人にも教えたところ、みなが夢中になり、どんどんチームが増えていき……。
前々から一度やってみたいと思っていたが、勇気がなくて出来なかった──そんなことは誰にでもあるもの。それを思い切ってやってみよう、という実践ルポ。かなり厳しいものから、ばかばかしくて笑えるもの、ひいてはホロリとするものまで多種多様。
殺人小説大募集!・辻真先(ジョイノベルス)
売上不振で、廃刊が決まった文芸誌。ところがその雑誌では、廃刊2号前に、小説新人賞の募集をかけていた。「応募原稿はいかなる理由でも返却しません、お問い合わせには一切応じません」の注意文つきで。実はこれ、その文芸誌の編集長が、応募原稿を自分のものとして焼き直し、小説家デビューするための作戦だったのだ。彼はアルバイトの男女二人に応募原稿を読ませ、良いと思われるものを十編選ばせた。そして彼は、その十編をひとつずつ読んでいく……。
1980年。荒は職務怠慢を理由に、同僚二人とともに仕事を馘首される。ところがその後、その同僚二人が荒のもとを訪れ「あの社長に仕返ししてやろう」と持ちかけた。社長の家に押し込んで、一家を皆殺しにしてやろう、と。その場の流れで思わず話に乗ってしまった荒だが、実は同僚たちには別の計画があり……。
イカはいかようにしてもイカだ・ジョン・シェスカ(文)&レイン・スミス(絵)(ほるぷ出版)
思わずタイトル大賞をあげたくなるようなこの絵本(絵本なんです!)、あまりに長すぎて上に書けなかったサブタイトルがついている。そのサブタイトルとは「イソップが生きていたら話していたにちがいない、いやらしいたとえ話(みずみずしい教訓つき)」……ぶわはははっ。
3びきのコブタのほんとうの話・ジョン・シェスカ(文)&レイン・スミス(絵)(岩波書店)
シュールでコミカルなシェスカの絵本。これは童話「3びきのコブタ」を、狼の側から描いたもの。3匹のコブタの藁の家・木の家を吹き飛ばした狼は、いったいどうしてそんなことをしたのか? ホントに狼が一方的に悪いのか? 狼は言う。「じつをいうと、だれも、ほんとうのはなしをしらないんだ。なぜって、おれのいいぶんをきいたやつは、まだひとりも、いないからさ」……そりゃそうだ!
ぶわっはっはっはっ(大笑い)
源氏物語のコミック版である。と言うと、大和和紀の「あさきゆめみし」あたりを想像する人が多いと思うが、これは絵ヅラだけをとって言えば、完璧にギャグ漫画の絵。なんせ主人公の光源氏の顔は「栗」なのだ! 当時の男性の一人称「まろ」にひっかけてのことなんだけど、だからって栗にするかよ絶世の美男子をよ!
オクトパスキラー8号〜赤と黒の殺意・霞流一(アスペクトノベルス)
《没落亭》の異名を持つ寄席・牧楽亭に集うのは、最低レベルの芸人ばかり。関節の音やゲップで音楽を奏でる人間打楽器、誰も知らない人物のマネをする物真似、手抜きばかりの落語、まったくウケない夫婦漫才……ところがある朝、この中の一人が死体で発見される。死体の周囲には、なぜか「蛸の絵馬」が吊るされていた。そう言えば、ここのところ町内では不可解な事件が起こっていたが……?
モダンガール論〜女の子には出世の道がふたつある・斎藤美奈子(新潮社)
あたしが現代のナンバーワン論客だと思っている斎藤美奈子による女性論。といってもフェミニズムびしばしの女権論者の本ではない。むしろ、そういうフェミニズムや、逆に良妻賢母思想などを、あくまでもフェアな立場から斬っていく姿勢に好感がもてる。それも底の浅いものではなく、明治に遡って「女性の出世って何だったの?」を詳しく解説してくれる。いやあ、読みごたえ満点、知らなかった意外な事実がたくさん出てきて、目からウロコがポロポロ落ちたね。
明治時代からあった「女子学生亡国論」。今、超上品な奥様系言語として認知されている「よろしくってよ」「〜だわ」「〜なのよ」という言葉遣い、これって明治末期の女学生の言葉だったってご存知でした? この言葉遣いが「女学生言葉」として非難囂々だったのだ。また、ファッションでも海老茶の袴(ハイカラさんを思い出してね)が流行したが、これが大人の眉をしかめさせていた。斎藤氏は言う。この頃の《海老茶袴・「〜ってよ」「〜だわ」「〜なのよ」》は、八十年代の《ワンレンボディコン・「ウッソー」「ヤッダー」「ホントー」》、九十年代の《茶髪&ルーズソックス・「ってゆ〜かあ」「チョー」「みたいなぁ」》に相当するのだ、と。
そうして女学生が職場に出るようになる。しかし、それはホンの特殊なお嬢様たちの話。大部分の女の子は女中か女工になるしかない。そんな中での「出世」とは何だったのか? また、当時の「主婦」とは?
その後、「良妻賢母」思想を国が打ち出す。今となっては女性蔑視だ男女同権だと騒がれかねないこの言葉、実は女性を人間として能力を認める第一歩だったという。「幼にして親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う」とされて、自分の意志など持たされなかった女性にとって、「良き妻であり、良き母であれ」という《役割》を初めて与えたのが、この良妻賢母思想なのだという。もう、膝を打ったわよ。ものすごく《進んだ》思想だったのだ。
こんな感じで、明治から現代までの女性の《出世》というのを、シミュレーションを交えながら斎藤節で斬りまくる。これが面白くないワケがない!
(03.2.10)《詳細情報&注文画面へ》
ウ・リーグ熱風録〜海浜棒球始末記・椎名誠(文藝春秋)
とにかく、たいへんなことになっているのだ。椎名誠が「これ、かなり面白いぞ」というだけで友人とキャンプ地で遊んでいた「浮きダマ三角ベースボール」が、あれよあれよという間に全国に広まる様を書いた話なのだが、「全国に広まる」どころか、各地でチームが組まれ、日本中のチームが集まって二百人規模の大会を開いたり、地域ごとにリーグ戦が組まれたり。リーグの正式名称が決まり、事務局が立ち上げられ、公式ルールが決められ、機関誌まで発行されるようになり……それでも基本は「遊び」。大事な「浮きダマ」は日本で作ってないので、台湾から漂流してくるものを沖縄まで拾いに行くのだ。大会前日は皆で大宴会、大会当日は開催地になった地元のおばちゃんたちが名物料理でもてなし、各チームは個性豊かなコスチュームで登場し、試合中からビールを飲み、夜はやっぱり大宴会。大組織になっても、そこは変わらない。「遊びだよ、遊びだもの、楽しくなくちゃ!」
とにかくチームのバラエティの豊かさには笑えることこの上ない。地名+チーム名(団)というルールに則ったチーム名がつけられるのだが、千住あねもね団という可愛らしい女子チームが実は全員スポーツ万能アマゾネス軍団だったり、みちのくプロレスで盛り上がっていた岩手の宮古びしばし団はプロレスのマスクで登場したり、薬屋さんたちのチームは全員白衣だったり、インターネットで大会を知って見に来た連中が急遽「電脳ドコデモ団」を作って参戦したり。
大会を開催する地元も盛り上がる。日本中から二百人を越える参加者が来るのだから、主催者もたいへんで、秋田いぶりがっこ団が主催した時など
「昼飯のこども考えでみれぇ。おめえ二百五十人の弁当っていったらどのぐらいだと思ってたが?」
「二百五十個ぐらいだろ」
「オメ殴るや」
この会話で10分笑いましたねあたしゃ。
とにかく、遊びは楽しい。本気で楽しい。大人も子供も男も女も、一斉に本気になって遊んでいる浮きダマ三角ベースボール「ウ・リーグ」。ホントに楽しそうなのだ。これを読んだら、やりたくてたまらなくなること請け合い。ただ、全国に広まってるのに、どうして東海地方にだけ1チームもできなかったのかなあ。
(03.2.12)《詳細情報&注文画面へ》
キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか・北尾トロ(鉄人社)
中身は大きく分けて3種類。まず、結果がちょっと辛い体験になってしまったものが幾つかある。「見知らぬ人に話しかけて、会話を楽しむ」というのを実践しようとした著者は、電車の中で知らないオジさんに話しかけてみたり、混雑するお台場に一人で来ている男性に世間話をしかけたりしてみる。しかし、これが思いきり警戒されるのだ。無視されたり、変な目で見られたり、逃げられたり。おじさんは逃げるがオバさんは寄ってくるあたりが笑えるが。中でも、「公園で遊ぶ子供たちの仲間に入る」の章では、辛いのを通り越して悲しくなってしまった。子供と遊びたいだけなのだ。それなのに、筆者がそれをやろうとすると、先ず、母親が警戒して子供を連れ去るのである。ああ、なんか悲しい……。おまけに、「電車の中のマナー違反を注意する」では、逆恨みされてタイヘンなことになるのでは、と読んでるこっちが怖くなる。他の乗客にも腹が立つし。でもきっと、自分も「他の乗客」の一人なのだ。
2番目は、言った方が良いに決まってるんだけど、でも言えないことを言ってみる、というもの。タイトルにもなっている「鼻毛が出ている人に、それを教えてあげる」を実践。これは笑える。言わなくとも何とか自力で気付いてくれないものかと筆者が悪戦苦闘するさまには腹筋がつりそうになった。「貸した小銭を返してくれと言えるか」「とてつもなく不味い蕎麦屋に、不味いと言えるか」などなど、「あ、わかるわかるぅ!」と拍手してしまうくらい。
そして最後は、「昔、言いたくても言えなかったことを、今になって言ってみる」というもの。これがステキなのよ。中学時代の片想いの相手に、「あの頃、好きだった」と言ってみたり、母親に自分が生まれるまでの父親との恋愛話を聞いたり。そして、高校時代にクラス総出でイジめた新人教師に「あの時は、ごめんなさい」を言いに行ったり。この章は、なかなかにステキで、暖かい。
その他、「42歳フリーライターは求職に通用するか」とか「人前で自作の詩を朗読する」などなど、なかなかなチャレンジで満たされた一冊。文章も軽快で読みやすいがために、著者の葛藤や無念さ、或いは喜びがストレートに伝わる。
番外編の、消えた同業者を探すくだりは「言わなくちゃいけないことなのに、勇気がなくて言えなかった結果が、こんな辛い事件を産んでしまった」という意味で、〆に来るに相応しい問題作である。
(03.2.15)《詳細情報&注文画面へ》
もともとは別個の雑誌に掲載された短編をひとつに集めたもの。そういう意味では「短編集」なのだけれど、単なる短編集にはしないところが辻真先である。それぞれ改稿を施し、書き下ろしを加え、「素人の応募原稿を海千山千の編集長が横取りしようとしている」という設定を作り、この「短編集」をまるごとひとつのミステリーに作り上げている。
まあ、そういう趣向がなかったとしたら──これが単に普通の短編集として出されていたとしたら、これは結構ユルいものになってしまっただろうなあ、というような出来なのだけれど。でも、ユルいながらも、読んでると「あれ?」と引っかかる箇所があからさまにあって、それが何のためなのか気になって、でもわからなくて、結局最後まで読まされてしまう。こうなると各短編が「ユルい」のも、何か理由があってワザとしてるようにすら見えてくる。まったく巧い手を見つけたもんだ。
最後まで読めば、ちゃんとファンを満足させてくれる仕掛けがある。ってゆ〜か、ファンに「きっと出てくるだろう」と予想させるような作りだ。ええ、ちゃんと満足しましたとも。
(03.2.20)《詳細情報&注文画面へ》
虚貌・雫井脩介(幻冬舎)
そして舞台は二十年後。荒は刑務所から出てくる。そして、当時の事件に関わりのあった人物が、不審な死を遂げていく。癌に犯され、余命いくばくもない老刑事は、二十年前の事件にずっと不審を抱いていたこともあり、今回の連続死事件を自ら最後の仕事として立ち上がった。
ああっ、すげえっ! これ、面白い!
正直言ってこの真相は、例えば口頭で誰かにあらすじを伝えたりすると「んなアホな!」と一蹴されかねない。「そんなの無理じゃん」「マンガかよ!」という印象を持たれかねない。いや、あたし自身が「冷静に考えて、ホントにこれに気付かないかあ?」という思いはある。しかし、この本を読んでいくと、すっかり納得してまうのだ。それだけ丹念に資料をあたり、取材し、そして「こういうことはもう現実に可能なのだ」ということを、読者に無意識のうちに染み渡らせるべく、物語の中で地盤を作っていく。その手法に無理はない。むしろ、あるのは説得力だ。ホントに、すごい。
すごいのは、その「真相」だけではない。登場人物それぞれをキッチリ描写し、肉厚の人間として描き出す手法。それぞれの心の動きがしっかり分かるがために、登場人物達に感情移入し、一緒にハラハラしてしまう。そしてその手法が、単なる「物語に厚みを加える」ためだけのものではなく、物語の核に直結するのだ。そして「犯人」の思い……。ああもう、脱帽。これは読め。
ただ、この帯の惹句はかえって本書の価値を損ねてるような気がするなあ。《登場人物それぞれの人生を描く秀逸な筆致は、宮部みゆき「模倣犯」、奥田英朗「最悪」に比肩する》とあるのだ。宣伝文句としては思わず本を手にとらせる効果はあると思うんだけど、こう書かれると、どうしてもその2作の《虎の威を借る》ような印象を持ってしまう。こんな惹句を作らなくても、本書は個として充分すぎるほどの傑作なんだから。
(03.2.20)《詳細情報&注文画面へ》
さて、「算数の呪い」が大矢のツボど真ん中に直球で突き刺さったシェスカ&スミスによるシュールな絵本シリーズ。今回の主旨は、「いやなやつ、うるさいやつ、気持ち悪いやつのうわさ話、じつは大好きなんだろう? ただ、そういう話が好きだってこと、ひとに知られたくないだけなんだろう? いい方法を教えてやるよ。イソップのようにやれ。人間を動物に変えて、教訓をくっつけろ。そうすりゃ、あなたの話も下品なうさわ話じゃなくなる。寓話になる!」というもの。なんとまぁ猾いというか、大人の知恵というか(笑)。これを絵本にしちゃうってあたりが、いつものことながら対象年齢のわからない絵本である。
中に収められているのは、見開き1ページにひとつの《寓話》+教訓。物事の重要性を理解できないバッタの息子、人のいうことに左右される象、わがままなナメクジ、協調性のないイカ、バカ正直なセイウチ……どれもこれもが、実にシュールで、そしてシニカル。その皮肉たっぷりの寓話は、笑いながらもちょっと身に覚えがあったり。そこにくっついたシェスカの《教訓》も効いている。話の中にオチのあるものは《教訓》はアッサリ、逆に放り出しっぱなしの話の時は《教訓》でオチをつける。ラス前の「まったく…なんでだ」の章は、《教訓》を見た途端に大笑いしちゃったわよ。
全般を通してアッサリ風味なので、シェスカにしては物足りない部分もあるのだけれど、我が身に置き換えて(或いは身近な《腹の立つヤツ》に置き換えて)ドキっとしたり頷いたりできる楽しみがある。小咄としても充分面白いのだけれど、その裏に潜んでる皮肉な視線、う〜ん、鋭いねえ。
(03.2.22)《詳細情報&注文画面へ》
総じて童話なんて、最初っから主人公視点。善玉と悪玉に分かれてて、悪玉は最初から悪玉と決まっている。でも、悪玉には悪玉の事情があったのかもしれない。この場合、非は狼にあったとしても、彼の言い分を聞かずに判断するのは欠席裁判ではないか。
ということで始まる狼の独白。いや、正直言って、こういう作りなんだから「ホントは狼は悪くなかったんだよ」という《視点を変えてものを見よう》的教訓の入った話なんだと思ったのよ。それが……わはは、やっぱりシェスカだ。そんな分かりやすい話じゃなかった。この狼、けっこう《言い訳》するのである。その言い訳がおかしくて、でもそれと同時に「でもホントかもしれないなあ」とちょっと思ったりして。
主人公以外の登場人物(動物)だって、それぞれに事情があり、思いがある。生い立ちも性格も持ってる筈だ。そういう事も考えさせられながら、「でもやっぱこの狼、バカだよなあ」と笑わせる、コミカルでシニカルなシェスカの面白さが、とても分かりやすく出てる。最も皮肉が効いてるのは、その狼の行動を報道した新聞記者の話だ。これは《ほんとにありそうな話》である。
この絵本の面白さは、ただ単に悪役とされてきた狼の視点から物語を綴った、というだけではない。ここで繰り広げられる、狼のおかしさ、可愛らしさは、イコール《人間らしさ》なのだ。小猾くて、自分に甘くて、他人のせいにして、でもそういうのをひっくるめてどこか憎めない可愛らしさ。一読して、この狼が好きになってしまった。
ところで、この狼視点に立ったときの、コブタの邪悪なことったら(笑)。
(03.2.22)《詳細情報&注文画面へ》
くさいくさいチーズぼうや&たくさんのおとぼけ話・ジョン・シェスカ(文)&レイン・スミス(絵)(ほるぷ出版)
もう、遊びまくりのシェスカ&スミスである。もちろんこれも絵本。お馴染み(といっても日本人には馴染みのないものもある)の童話をモチーフに、パロディしまくりフザケまくり。そのフザケ方っていうのが、中身だけじゃなくて構成にまで及んでるあたりが、実にシュールで「くくくくっ」と笑えてしまう。
本を開くといきなりカバー折り返しに「たったの1,800円! それはそれはにぎやかな56ページ。そこいらの32ページの絵本より75%もお得だ。」と、どこぞの理系作家のような惹句がついている。続けて、「完全なお話が10こ! ぜいたくな絵が25こ! 新鮮! 改良済み! 愉快! 痛快! お買い得! それッ!」……こんな宣伝文句の入った《絵本》ってあんた……。
語り手というか案内役は「ジャックと豆の木」のジャック。このジャックがいろいろなおとぎ話を紹介していくんだけど、いきなりめんどりが邪魔したり(このめんどりってのは「赤いめんどり」という童話に出てくるんだけど、日本ではマイナーだよね)、ジャックが喋りすぎて本来の童話の登場人物が拗ねて帰ったり。それを取りなすやり方も……ああ、あまり詳しく言うと「ネタばれ」かなあ。
とにかく、紹介される童話も全部パロディである。「赤ずきんちゃん」は「赤短パンちゃん」になってるし、アンデルセンの「お姫さまと豆」は「お姫さまとボーリングのボール」になってる。「シンデレラ」はグリム童話の「ルンベルシュティルツヘン」と合体して「シンデルシュティルツヘン」になっちゃってるし、もうメチャクチャ。
いつものことながら、イラストのレイン・スミスの功績も大きく、ページをめくった瞬間に「うわははは」とノケゾってしまうこともしばしば。因みに、裏表紙までキッチリ楽しめます。いやあ、ホントに好きだわ、この2人の絵本。
とにかく、「本」という商品の構造までパロディに活かしたこの絵本。楽しめること請け合い。それにしても、この二人の絵本って(毎回思うんだけど)対象年齢は何歳なんだろなあ……。
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まろ、ん?〜大掴源氏物語・小泉吉宏(幻冬舎)
でもって、この本の最大の特徴はと言えば、源氏物語54帖全部、長いところも短いところもどれも、1帖あたり8コマのマンガにしてるってこと。いやあ、ここまで要約しますか。だからこそ「大掴(おおつかみ)源氏物語」なのね。
ところで。マンガ化で、ギャグマンガの絵、とくれば源氏物語を下敷きにしたお笑い或いはパロディだと思うでしょ。それが読んでびっくり、あきれかえるほど原作に忠実なのだ。つまり原作の退屈な部分も、そのまんま退屈。でも、1帖あたり8コマという法則に助けられて、くぃっと読めちゃう。8コマに縮められても大事な箇所はちゃんと網羅されてるし、登場人物の書いた和歌の解説もあるし、当時の冠名や登場人物相関図などは合間合間で可愛らしい図版で説明してくれる。いやあ、わかりやすいわ。それに、ギャグマンガの絵だと侮るなかれ、衣装や小道具などの時代考証が実にしっかりしている(らしい)のだ!
源氏物語を初めて読んだ高校のとき(円地訳だったと思う)は、もう分からなくて分からなくて、とにかく「最後まで読んだ」という達成感だけが残った。その後、ちょっとずつ分かるようになってきて、それなりに面白さも味わったけれど、味わえるようになるまでの道のりを思うと、「ああ、当時このマンガがあれば!」と臍を噛まずにいられない。
清少納言の枕草子を橋本治が現代語訳した「桃尻語訳 枕草子」は実に面白く、且つ「枕草子」の鑑賞の手引きとしてもすぐれていたが、この本にも同じことが言える。本編はあくまでも原作に忠実に。余計な装飾はしない。解説は分かりやすく丁寧。そして絵が可愛い(はぁと)。原作に忠実と言いながらも、ちゃっかり遊んでるところもある。女性のもとに忍んでいった栗の顔をした光源氏(まろ)が、事が済んだあとにそそくさと立ち去りながら「しちゃった……」と照れくさそうに呟くコマなんか、おもわずニコニコしちゃうわよ。いや、女性の方としちゃニコニコしておれないんですけどね。
(03.2.24)《詳細情報&注文画面へ》
タイトルに必ず動物が入る霞流一のバカミスシリーズ(シリーズなのか?)、今回は蛸だ。もう、あらゆる事件が蛸づくし。本物の蛸が出るかと思えば、蛸に見立てられた死体、「どこがタコやねん!」と思わずつっこんでしまう無理矢理なこじつけなどなど、まったくよく考えるよなあ、こんなこと。
おまけに探偵は、俳優出身の代議士。なぜか探偵の実績があるこの代議士は、職権を乱用しまくって現場に乗り込んでくる。えらい人なので、警察も逆らえない。ワトソン役、というよりお守り役の刑事・床山は、胃は痛むしストレスは溜まるし鬱になるしで、もう大変。
そういうバカバカしい筋立てに「うわあ、しょーもねえなあ」と思いつつ、怒涛の事件に思わず読まされてしまった。ああ、ぜったいにマトモな解決であるわけがないと分かってるのに、どうして読むかなあ(笑)。
しかし。しかししかし。このオチは、なかなかどうして「あっ」と思わされてしまった。「どうせバカだから」ってのが、最大のミスディレクションになってないか、これ。冷静に考えると「いや、いくらなんでも……」ということは分かるのだけれど、このバカぶりにすっかり毒された最後だったものだから、「なるほど!」と思わされてしまったんだな。なるほどじゃねえよ、んとにもう。でも、「あ、これが伏線だったのかあ!」というのが最後の最後でバラバラっと繋がるところは、まさしく快感以外の何者でもない。
ときどき顔を覗かせる、落語や芸人に関する蘊蓄も、なかなか面白い。この方面で真面目なヤツも一発、書いてもらえないものだろうか。真面目な霞流一作品ってのも想像がつかないけれど。
(03.3.14)《この本の詳細情報&注文画面へ》(絶版)
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