800メートル走という競技に青春を賭ける、ふたりの高校生。しかしそのキャラは180度違う。中沢は大きなテキ屋の息子で豪放、180センチを超えるガタイの良さと腕力。思い込んだら一直線、がむしゃらに突進する自信家、脳味噌が筋肉というタイプ。一方の広瀬は、高級住宅街の家に住み、偏差値の高い大学付属校に通う。何事も緻密に計算して、科学的な練習をし、理性的な行動をする、シャープで冷静なサラブレット。この2人の青空とトラック、汗と風、セックスと恋を描いた、エネルギッシュな青春小説なのだ。
球団消滅〜 幻の優勝チーム・ロビンスと田村駒治郎・中野晴行(筑摩書房)
タイトルといい、そして「企業はなぜ、スポーツを捨てるのか?」という帯の文といい、なんてタイムリーな、と思われた方もいるかもしれないけれど、これは近鉄バファローズのことではありません。松竹ロビンス、というチームがあったらしいんですよ、昔。あたしもデータブックや記録大鑑でしか見たことがないチームなんだけど、これはプロ野球黎明期に松竹ロビンスというチームがどのように生まれ、そしてどのように消えていったかのドキュメント。
さみしさの周波数・乙一(角川スニーカー文庫)
収録作のジャンルにはバラつきがあるものの、読んでみればまごうかたなき乙一ワールド。
今年(04年)、NHKで1ヶ月半に渡って毎日放送された「列島縦断 鉄道12000km最長片道切符の旅」という番組があった。 俳優の関口知宏が旅人となり、同じ駅には2度立ち寄らず、全国のJR鉄道網を「一筆書き」で乗りつぶして、できるだけ長い距離を旅するというもの。これは鉄道マニアの間では有名な「旅」らしい。鉄道は廃線や新線開通などを繰り返すため、時がたてば最長ルートも変わるし、「本当にこれが最長なのか」と路線図と首っ引きで計画を練るのも楽しいそうだ(ちょっと分かる気がする)。
文字禍の館・倉阪鬼一郎(祥伝社文庫)
さる資産家が建てたという噂の、非公開のテーマパーク「文字禍の館」。場所も秘密で、そこに行った者は少なく、そのまま消息を絶った者もいる。オカルトを扱う月刊誌の髀塚(へいづか)は取材を許されたが、同行するスタッフに奇妙な条件がついた。曰く「名字は二文字で総画数25画以上。もしくは一文字で15画以上」──。
樹海伝説〜騙しの森へ・折原一(祥伝社文庫)
樹海近くの民宿に泊まった大学生のグループ。民宿の主人から、過去に樹海で起こった事件を聞いた彼らは、そこへ行ってみようとする。反対者もいて、結局3人で樹海に入ることになったのだが、1人は途中で脱落。結局、恋人同士でもある男女2人だけが樹海の奥へ歩みを勧めた──。
ああ懐かしい。随分と古い本だけど、なんかときどき無性に読みたくなるのよね。これと「69 sixty nine」の2冊を読むと、やっぱあたしにとってのムラカミはハルキじゃなくてリュウだわ、と思ってしまうのであった。まあ、別の本を読めば、リュウじゃなくてハルキ、ってことになるんだけどさ。
失われた球譜・阿部牧郎(文春文庫)
野球を題材にした短編を集めた一冊。実際に行われた試合を小説仕立てにしたものから、野球を小道具にして男の生涯を描いたものまで、多彩。
仕事で日本に赴任してきたアメリカ人一家の、異文化コミュニケーションに於けるあれこれを楽しく綴ったエッセイ集、第2弾。文庫の出版は昭和59年。底本は昭和52年に出ているが、もともとはJapan Timesに連載されていたコラムを翻訳したもの。英語版(というか、そっちがオリジナル)もJapan Timesから出版された。だから、初出時からみると、もう四半世紀経ってるんだなあ。
海の牙・水上勉(双葉文庫)
舞台は昭和31年。熊本県水潟市(架空)の漁村で、「水潟奇病」と呼ばれる奇病が発生した。突然手足の自由が利かなくなり、猫が踊るような奇妙な動きを繰り返し、やがて死に至る。原因は工業廃水によって汚染された海の魚を食べたせいだと思われたが、その調査に来た保険所員が行方不明になり──。第14回(昭和36年)日本推理作家協会賞受賞作。
800・川島誠(角川文庫)
うわあ、なんてエキサイティングでドキドキする青春小説なんだろう。2人の主人公が一人称で語る章が交互に登場するんだけど、そのあまりの違いにくらくらし、でもどっちもすごく魅力的で、これを読んだオンナノコたちは中沢派と広瀬派にまっぷたつに別れるであろうよ。広瀬派有利かな。でもおばちゃんは体育会系の中沢が好きなのさ、うふ。
特に2人がそれぞれ、ある女性と出会ってからはもう……きゅん。800メートルというマイナーな(すみません)スポーツと、高校生の恋愛、それに主従をつけることなく、スポーツと恋愛の両方が巧く絡んで双方の魅力を互いに際だたせている。2人の女性はどちらもエキセントリックで個性的なんだけど、その飛び具合がまたいいんだよなあ。そこに広瀬の妹(これがまた、絵に描いたようなブラコンのワガママ娘!)も出てきて、状況から見るとぐちゃぐちゃのどろどろなんだけど、それを語るのが脳味噌筋肉の中沢と、常にクールで人を突き放す広瀬なもんだから、ぜんぜんどろどろしないのだ。むしろ、妙におかしくって、妙に純で、ときどき恥ずかしくなったり切なくなったり。
スポーツに打ち込めば煩悩は消えるなんてこたあないけれど、それでもこの物語が爽快なのは、最終的に「かけっこで決めようぜ」的なシンプルさがあるせいだと思う。汗をかいて、芝生の上にぶったおれてたあの頃が懐かしい。もう一度、あの芝の匂いを嗅ぎたいな、あの太陽に照らされて寝転がる感じを体験したいな、そう思わせてくれる珠玉のスポーツ青春小説だ。お勧め。
(04.8.1)《詳細情報&注文画面へ》
プロ野球は戦前・戦後のどさくさ──というか混沌期、どうやらえらいことになってたらしい。というのも、戦争が激しくなって野球なんてやってる場合じゃないってことになったとき、じゃあいったんは休止するけど、再開するときには今の選手は今の球団の所有だよ、という約束があったのだ。ところが戦後、食うや食わずの生活の中で、選手達は声をかけてくれたところや金のいいところに行ってしまう。それでもめて、挙げ句の果てには新球団立ち上げなんて話も出て、人数の少ないチームは簡単に合併しちゃったりして、当時は1リーグだったんだけど「2リーグ分裂だっ!」てなことになっちゃう。セ・リーグとパ・リーグの成立ってのは、決して「チームが増えちゃったから分けようか」という平和なものではなく、「てめえなんかと一緒にやってられっかってんだ!」というノリの方が強かったみたいなのね。おまけに、リーグ間で選手の引き抜き合戦は行われるし。
そんな時代に、松竹ロビンスというチームのオーナーだった田村駒治郎に焦点を据えて書かれた本なんだけど──いやあ、こんなオーナー、イヤだろ。采配に口を出すし、選手のひいきはするし、給料は上げないし。チームって企業にとって何なんだろうなあ、と考えさせられる。田村駒治郎ってのはものすごく厄介なオーナーだったことは間違いない。けれど、ものすごく野球が好きだったということも、また間違いない。会社が倒産寸前まで追い込まれ、でもチームは手放したくなくて、周囲に説得され、彼は泣く泣く諦める。今のオーナーたちとは正反対なんだよね。彼が近鉄のオーナーだったら、いったいどうしたかなあ。
けれど、この本の中で一番印象に残ったのは。「巨人ってとこの体質は、戦前戦中から何一つ変わっちゃいねえ!」ってことだ。うわあ、これ、ナベツネのセリフじゃないのか、というようなセリフが随所に。三原監督が巨人から西鉄に移ったときのゴタゴタで、じゃあ選手を返しますからこれで両軍痛み分けってことにしましょうという連盟のアドバイスに何と答えたか。「選手どうこうの問題じゃない、大巨人が蹂躙されたことが問題なのだ」──うわあ!
(04.8.12)《詳細情報&注文画面へ》
【未来予報 あした、晴れればいい。】転校してきた少年は、未来予報ができた。その少年に、僕の未来を予報されて……。ラスト間際で主人公が会話した女性が誰なのか、掴むまでにちょっと混乱しちゃった。ところでこれ、前半を読んでる間ずっと、我孫子武丸の「死神になった少年」(「少年たちの四季」所収)が頭の中を駆けめぐってたよ。きっと同じ感覚にとらわれた人、多かったんじゃないかな。同じネタだったらどうしようかと思っちゃった。途中から話の方向が全然変わったので大いに安心。
【手を握る泥棒の物語】金に困った僕は、伯母の持っていたハンドバックに目をつけた。部屋には鍵がかかってるが、あの薄い壁を破れば──。この状況を生みだしただけで、もう大成功なんじゃなかろうか。まるで、舞台の上に壁があって、その両側で芝居が進むのを見ているような、そんな気分。ラストはとてもキレイに決まったような、あるいはここから何かが始まるような、その両方の受け取り方ができてステキ。
【フィルムの中の少女】偶然見つけたフィルムには、女子高校生が映っていた。ところが、そのフィルムを見るたびに、彼女は次第にこちらを向いてきて──。ホラーなんだけど、物語そのものが持つ怖さより、真相がわかる過程の怖さの方が前面に立つ。「きっとこういうふうに持っていくに違いない」と予想していたことがひっくり返る快感もあれば(びっくり!)、緻密な伏線があったことにも気付かされ、感心。読み終わったときには、ホラーじゃなくて、トリッキーな本格を読んだ気分になった。
【失はれた物語】事故に遭い、視覚・聴覚・嗅覚のすべてを失い、身体を動かすこともできず、口もきけなくなった男。彼に残されたのは、右肘から下の触覚と、わずかに人差し指を動かすことだけだった──。とんでもない悲惨な状況なのに、それをこうして淡く綴るテクニックはすごいなあ。フェイドアウトするような終わり方も、下手に決着をつけるよりずっと救われる。
(04.8.13)《詳細情報&注文画面へ》
最長片道切符の旅・宮脇俊三(新潮文庫)
番組では、稚内を出て、ゴールは佐賀県の肥前山口駅だった。これは九州をぐるりと一周するコースを選んだための結果なんだけど、やっぱ個人的には鹿児島がゴールであって欲しい。それに、四国に行くルートは瀬戸大橋しかないので一筆書きにはならず、番組では「番外編」として四国に行っていた。これも不満。ルールに準じた上で四国も通り、且つ、鹿児島がゴールになるようにはできないか──と思っていたら、あったのよ! それがこの本。つか、前フリ、長っ!
うわあ、まだ国鉄の時代だよ……懐かしいなあ。最初にルートが記された地図がついてるんだけど、もう笑ってしまう。「できるだけ長距離を乗る」のが目的なので、アホみたいな遠回りばかりなのだ。そしてどうやって一筆書きで四国に行ったのかというと──種を明かせば簡単。この本が出た当時はまだ瀬戸大橋がなく、本州と四国は船で結ばれてた。その船が国鉄(当時)の航路で、複数路線あったわけ。もちろん、これはルール違反にはならないんだって。
で、スタート地点は北海道の広尾、ゴールは鹿児島の枕崎。所要日数34日間。ただこの著者は仕事の関係で34日ぶっつづけで乗ったわけではなく、時々東京へ戻って、仕事が済んだらまたその地点まで来て、というのをやってるので、そのあたりはちょっとどうよ、と思わないでもないんだけどね。大分県内の日豊本線を通ってないのも気にくわない(単に地元というだけだけど)が、日豊本線を通ると久大本線に乗れなくなってしまう。このあたりが一筆書きの難しさであり、醍醐味でしょうか。とまれ、普通の旅行記とはまた違った視点で、路線名電車名が頻出。「旅行の計画をたてるのが好き」「地図や時刻表を眺めるのが好き」という人には、すごく面白いと思うよ。
ただ、ひとつ分からないことが。あたしは「国鉄の時代」も覚えている世代なんだけど、九州の田舎モンだったせいか、東京近郊のページに出てくる「国電」という言葉がわからない。「上野発の黒磯行電車は尾久を出るとすぐ国電の線路と再会し」とか「常磐線の国電は運転が二系統に別れていて」とか、「今日は国電ばかりではない。高崎線にも乗り、さらに八高線というローカル線にも」とか、国鉄とは違った意味で使われてるらしいんだけど。誰か国電の意味、教えてください。
【後日付記】国電とは「国鉄電車」の略で、大都市圏の通勤電車が走る区間の総称として使われていたそうです。
(04.8.15)《詳細情報&注文画面へ》
読み始めてしばらくの感想は、「趣向は分かるけど、でもそれが何?」というものだった。ところが途中で「ああ、そういう構成だったのか」ということがわかり、そこまでに予備知識が与えられてる分、すらすら読めていく。……ウソです。すらすらとは読めない漢字がいっぱいありました(泣)。まあ、気分としてはすらすら読めていくわけだ。
ただ、話の行く先が見えないので、読んでいてどうにも落ち着かない。後半には謎解きの面白さもちょっとだけ入ってきて、それがまた緩めの泡坂妻夫みたいな仕掛けなんだけど(分かる人だけ分かってください)、そこは怖いというより笑ってしまった。つか、「どーしてこんなことしてるの?」という根本的な疑問が最後までぬぐえないんだよね。文字を使ったホラーという点ではとても楽しめたんだけれど(いや、これはホントに楽しめた!)、でも、それがストーリー展開と結びつかないというか……エピソードはいいんだけど、それが統合されないもどかしさがあったんだよね。最後まで読んでも話の行き先が見えないのさ。まあ、それがホラーなのかもしれないけど。
おまけにこのオチ。ページの裏面から透けてみえるよ! あと、同行者の名字がこういう「やりやすい」ものじゃなくて、渡邊とかだったらどうしたんだろうなあ、と名字の総画数がたった8画の大矢としては、意地悪く想像してしまうのだった。
(04.8.17)《詳細情報&注文画面へ》
毎度のこととは言え、なんでこの著者の作品には「妄想にとりつかれ、殆ど狂ってる」人物が一人称で出てくるんだろうなあ。その箇所はもう、読んでてすごく気分が悪くなるのよ。その妄想ってのが大抵恋愛がらみで、要はイっちゃったストーカーってやつ(折原作品ではけっこうお馴染みのパターン)なもんだから、更に気分が悪い。こういう人物を書かせると、この著者は本当に──巧い、と言っていいのかなあ。いいんだろうなあ。でも気分悪いよー。
ただ、毎回感心するのは。この著者の場合、どういう種類のトリックが仕掛けられているかは自明であって、その種類のトリックってのは、最後まで読んでようやく全部分かるって類のものなのね。ということは、最後に達するまでの道のりは、相当に工夫しないと、とてもつまんないものになりかねない。道のりがつまんないと話に入り込めず、話に入り込めないとラストの逆転もさほどサプライズがない、ということになってしまう。ところがこの著者の場合は、その道のりもサービス精神満載で、読者を飽きさせないように引っ張っていくからすごいよなー。夜中の山荘で斧を持つ相手との戦いなんて、ハラハラしちゃうもの。特に今回は、殺人事件とは別に、この樹海を脱出できるかというところも大きなポイントで、そっちは更に手に汗握る展開。まあ、上に書いたような理由でどうしても登場人物に感情移入できないので、「お願い、助かって!」という気分にはなれないんだよね。逆に「まあ、別にこいつ、どうなってもいいや」と思っちゃう。感情移入できれば、もっとドキドキしただろうに。
あと、今回は長さの問題もあったのかもしれないけれど、結末が少々あっさりし過ぎている気がして拍子抜けの観があった。そこまで充分楽しめたから、いっか。
(04.8.19)《詳細情報&注文画面へ》
走れ! タカハシ・村上龍(講談社文庫)
というわけで、タカハシです。このタカハシってのは、70年代後半から80年代に広島カープを牽引したショートストップ・高橋慶彦のこと(プロフィール)。足が速くてねー、盗塁ばんばん決めて、顔もなかなかにステキで、だけどちょっと性格は生意気で、つまるところ「とても絵になる」選手だったのよ。あたしは広島のファンではなかったけれど、それでも「良いなあ」と思っていたし、彼が塁に出ると、なんかやってくれそうな高揚感があった。
この短編集はそれぞれ異なる物語なんだけど、すべてに高橋慶彦が絡んでる。といっても、決して野球小説じゃないのよ。例えば【おまえ、いいな巨人戦も観れるんだろ?】(あ、言い忘れたけど、これに収録されてる短編はすべて、その短編の冒頭の1文をそのままタイトルにしてるという変わった構成なのだ)では、手を出しちゃった女の子の父親に脅されて「この試合でタカハシが盗塁したら許してやる」なんて言われたりする。【カウンターで飲んでいる時、いつも思うのだが、バーテンダーというのはなんと崇高な職業なのだろう】では、女に頼み事をしたら交換条件として「タカハシに会わせて」と言われる(この話、好きなんだよねえ)。【オレは十七歳だが、とても忙しい、その理由は、しっかり者だからだ】では、タカハシに「祝・盗塁王」と彫ったプレゼントを贈ってしまったおじいちゃんが、そのあとで大洋のヤシキ(屋敷要のことよ)が追い上げてきたのが心配で、「おれのプレゼントがタカハシのプレッシャになったのでは」と悩んだり。
そして、どれもこれも「走れ! タカハシ」と叫びたくなるような、或いは叫んでしまったような、そんな物語たちなのだ。洒落てて、ライトで、だけどリアルで、気持ちいいよー。野球に疎くても、高橋慶彦を知らなくても、ぜんぜん大丈夫。普通に面白い短編小説だから、野球野球と思わない方がいいくらい。けど、村上龍にこんな小説を書かせる高橋慶彦って選手は、すごいなあ。
(04.8.20)《詳細情報&注文画面へ》
【ワシントンの陥ちた日】戦争が終わり、高校野球が再開された。戦争で大会が中断される前の、最後の覇者である徳島商業野球部の卒業生は、優勝旗返還のシーンを一目見ようと西宮球場にやってきた。ところが優勝旗を持って現れたのは徳島商業ではなく、そのひとつ前の大会の優勝チームだった。驚いた彼らが慌てて調べてみると、徳島商業の優勝の記録はどこにもなくて──。最初は「おお、ミステリか?」と思いながら読み始めたが、すぐに、これはミステリではなく事実を題材にしてるんだということに気付く。昭和17年(1942年)の徳島商業の優勝はホントに記録に残ってないんだよね。理由は本編を読んで戴くとして。ただ、その話を中心に話が進むんだろうと思っていたら、途中からズレていく(著者がずらしたわけじゃなく、あたしの予想からずれていったという意味)のが残念。
【小説 天覧試合】昭和24年のプロ野球天覧試合。巨人・阪神戦の様子を長島の視点からとらえたモデル小説。最後のホームランがファールっぽかった、みたいなところまでは書いてないのね。でもラストの一文は巧いなあ。
【失われた球譜】テレビ局でスポーツを担当している岡村は、甲子園大会のゲストに来た作家に声をかける。その作家が書いたノンフィクションの中に、自分の父親のことが出てくるというのだ。岡村の父は、昔、高校野球の選手として甲子園大会に出たことがあるが、自らのエラーで負けたと聞いた、その真偽が知りたい──。この真相はなるほど、と思わせる。
【桃色の巨人】日本のプロ野球に助っ人としてやってきた元大リーガー。彼は日本の野球に馴染めず……。こういうことって、実際に多かったんじゃないかなあ。
【ある男の熱球】野球に才能を見いだしながら、戦後の混乱の中で家族のために働くことを余儀なくされた竜雄。ある日、彼は関西大学のグランドで、当時まだ学生だった村山実の練習風景に出くわす──。決して接点など生まれない、プロ野球選手と一ファン。けれどファンにとって選手とは、こういうふうに何かにつけて励みにするものなんだなあ、としみじみ。
(04.8.25)《詳細情報&注文画面へ》
続 外人はつらいよ・ドン・マローニ(角川文庫)
あたしは昭和58年に大学の外国語学部に入学したので、良い教材だとばかりに、この1巻目の英語版「Japan:It's not All Row Fish」を読んだものだ。「日本は刺身のみにあらず」とでも訳しましょうか。が、そんな向学心は何処へやら、翻訳版が文庫になってることを知り、あっさりケツを割って翻訳を買ってしまった。そしたらこれが、訳が軽妙でどえりゃあ面白い。当時の英語力(今も変わらないけどさ)で頑張ってオリジナルを訳しても、ここまでは楽しめなかったろうな。だもんだから、2巻の「Son of Row Fish」はもう、ハナから翻訳を買ってしまったよ。
たまたま先日、友人がこの本のタイトルを口にしたのがきっかけで無性に再読したくなり、掘り起こして来た。1巻が見つからないのが悔しい(学生時代に誰かに貸したままのような気がしてきたぞ)が、2巻から読んでも一切問題なし。面白いなあ。
内容は、今となっては「よくある話」かもしれない。日本のヘンな英語の看板、アメリカ人から見た日本のヘンな風習(会議が無駄に長いとか、お月見って月を見てどうするのとか)、日本人の謎の行為(なぜエレベータで降りる人が出る前に乗り込んでくるの?)などなど。けど、必要以上に日本人を蔑まず(つまり、アメリカ式が正しいとは主張せず)、かといって日本に媚びを売るわけでもなく、スタンスがとてもフェアだから読んでて気持ちがいい。耳の痛いこともたくさん書かれているけれど、上から見下ろした言い方じゃないので、なんだか素直に納得しちゃうんだよな。
この本が出てから四半世紀、日本はちょっとは変わったのかな、と想像しながら再読するのは楽しかった。日本に住んでる目からみると、「当時と比べたら外国人に対してもオープンだし、だいぶ変わったよー」と思えるのだが、けれど在日外国人にしてみれば「変わってねーよ!」と思われるかもしれない。けれど、大事なのは著者が書いてる通り、「意見が一致する必要はない、しかし理解すること」なのだ。いや、そういうのも後で考えることであって、読んでる最中はただただ楽しいんだけど。
終章でアメリカに帰ることになった著者一家が、妙に日本に馴染んでるのに笑ってしまった。「庭の燈篭、アメリカに持って帰ったらどこに置けばいいんだ?」「古伊万里の皿、こんな皿が百年も割れずに残ってるなんて、アメリカ人は信じてくれるだろうか?」あたりで大笑いしちゃった。
(04.8.25)《詳細情報&注文画面へ》
水潟市という架空の地名を使い、「水潟奇病」という架空の病名を使ってはいるものの、これは水俣市のことであり水俣病のことだというのは自明だ。この小説が書かれたのは昭和34年だそうだが、(あたしは昭和39年生まれなのでリアルタイムでは知らないが、あとで知ったところによると)執筆時にはまだ、水俣病は「水俣奇病」と呼ばれており、その原因についても工場側は自分の非を断固として認めず、他の原因が色々と取り沙汰されていた時代だという。それどころか、病気の存在も全国的には知られていなかった。言われてみれば、昭和39年生まれのあたしが、水俣病訴訟のニュースをはっきり覚えてるんだから、実に長いこと解決されたなかった公害事件だったのだ。それを著者は、当時の水俣市を訪れ、取材し、まだ原因が特定されてない時代に工業廃水を「犯人」として告発する小説を出したのである。それも、推理小説として。もう、これだけで何をか言わんや、だ。ただただ、その意志に頭を垂れるしかない。
それだけでも社会派の傑作として評価されるには充分だが、このミステリは、そこにまたアリバイだの人間消失だという謎解きの要素がしっかり入ってるんだよな。それは個々としてはとてもトリッキーで「なるほどっ」と思うし、サスペンスフルな展開も手に汗を握る。ただ、その背後には「事実」として水俣病(水潟奇病)という解決されない大きな問題があり、こっちでアリバイトリックが解決されたからと言って水俣病が解決されるわけでもなく、そういう意味では、ミステリに於ける謎解きのカタルシスが味わえないのだ。カタルシスはあっても「でも、それどころじゃなよな」という思いが先に立ってしまう。けれどこれは、社会派推理の背負った宿命みたいなもんなんだろうな。
もしかしたら、今は「水俣病」と言われても、何のことだか分からない世代が増えてるのかもしれないな。あたしの世代はこの水俣病のおかげで、小学校、中学校の社会科の授業でイタイイタイ病や四日市ぜんそくなどの「公害」ってものをミッチリ教えられたのだけれど。謎解きがどうこうはさておき、これは是非、水俣を知らない若い世代に読んで欲しい力作。
(付記:これを読んだ一週間後に、水上勉氏の訃報を聞いた。残念)
(04.8.30)《詳細情報&注文画面へ》
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