じゃじゃ本ならし


動機・横山秀夫(文春文庫)

 推理作家協会賞短編賞を受賞した表題作を含む、初期のノンシリーズ短編集。
【動機】安全のために警察手帳を勤務時間外は署内で保管しようという試みが始まった。24時間刑事でいたいという刑事課からの反発を受けながらも、警務部が押し切った試みだった。ところが署内から、保管していた警察手帳が盗まれたという事件が起きて──。うん、さすが受賞作だにゃあ。頑ななまでに真っ直ぐな男達が、切なくも心地よい。読み終わってタイトルの深さがわかる佳作。あっ、後のシリーズ主人公になる二渡さんがちょこっと出演しているよ!
【逆転の夏】殺人罪で刑に服し、出所した男。彼は保護司の世話で働き口を見つけ、おとなしく日々を送っていた。ところがある日、彼のもとに、彼の過去を知っているという人物から電話が入る。ある人物を殺して欲しいというのだが──。テクニカルな構成に舌を巻く。けれどそれは読み終わってから冷静に考えたときの話で、読んでる最中は、ただひたすら腹が立って腹が立って哀しくて救われなくて──。あまりの辛さに「ぜってぇ再読しねえぞ」とまで思ってしまった。
【ネタ元】他の新聞社からシェアを奪われそうになっている県民新聞。そこの記者は、ちょっとでも部数を伸ばすために見切り発車の記事を書くよう上司に言われ、悩んだが──。うん、これは読者の方が先に真相に気付いちゃうかも。つか、この主人公の記者がそこに気付かずにいるって時点で、注意力が無さ過ぎる気も。しかし社内の人間関係の描写はさすが、「ああ、こういうこともあるのか!」と感心させられた。
【密室の人】なんと法廷で居眠りをしてしまった裁判官。新聞に書かれると聞いて焦ったが、実はその裏には──。わぁ、これも「ある場面」を読んでる時点で「わぁ、ここだよ、ここがイカニモ怪しいよ!」という箇所があるんだよね。そういう意味では、ミステリ的な犯人探しはさして難しくはない。けれどポイントはその先にある。それにしてもこの短編集、どうにも人間不信になりそうな話ばかりなんだよなあ。どっかに救いが欲しいよ。ぐすん。
(05.5.29)
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黒く塗れ〜髪結い伊三次捕物余話・宇江佐真理(文藝春秋)

 「幻の声」「紫紺のつばめ」「さらば深川」「さんだらぼっち」に続く、髪結い伊三次捕物余話シリーズ第5段。前作で長屋を出て、 日本橋佐内町の仕舞屋で暮らしはじめた伊三次とお文。今回はお文さんの妊娠出産ってあたりがキモ。こうして見ると、「幻の声」の頃から時間の流れとともにいろんな人にいろんな変化があったんだなあ。ずっと見守ってる近所のおばさんみたいな気分になっちゃうよ。
【蓮華往生】寺の蓮華の上に座ると往生できるという。年寄りを座らせると蓮華が閉じ、開いたときには息絶えているというのだ。仕掛けがあるに違いないと踏んだ同心は──。湯灌のときに気付かないようにってのは、なるほど見事。話のもうひとつの流れは、同心緑川の浮気問題。
【畏れ入谷の】お文が呼ばれた座敷はちょっと奇妙だった。客が暴れるかもしれないが、了見しろというのだ。その理由は──。本筋の切ない話より、子供ができたことが不破にバレた瞬間がどうにも面白いよ。
【夢おぼろ】龍之介が通っている道場の娘に縁談があるらしい。けれど本人は乗り気でなくて──。ああ、これ好きだなあ。結婚などしないと言い張ってる美雨に龍之介が「独り身のままなら、この先どうなるか」と話し、それを聞いた美雨が怒るあたりなんか、実にリアル。
【月に霞はどでごんす】お文の腹にいる子は逆子だとわかった。お文は伊三次に相談したいが、伊三次は事件に手一杯で──。緑川って、いい人なんだか悪い人なんだか。しかしこの時代既に、産婆と産科医師の2種類の仕事があったってことに、なんだか目から鱗。
【黒く塗れ】育児に苦労するお文。自分はさほど子供好きじゃないと自覚するあたりなんか、笑っちゃった。一方、伊三次が手がける事件は、まるで都筑道夫のなめくじ長屋に出てきそうな話。
【慈雨】巾着斬りの直二郎は改心して花屋のぼて振りになっていた。一方、直二郎の正体を知らないまま好き合っていたおわかは、いまだに直二郎のことが忘れられず──。ああよかった。佳作揃いだった「さんだらぼっち」の中で唯一気にかかっていた一件が、これで解決。
 (05.5.30)《文庫版の詳細情報&注文画面へ》  

吉村昭の平家物語・平家物語(講談社)

 あの「平家物語」を吉村昭が抄訳したもので、もともとは「少年少女古典文学館」という叢書の一冊でした。この叢書の訳者陣がまた豪華でねー。てなわけで、もともと子供向けに出された上下2巻を1冊にまとめたものなんだけど、さすが吉村昭、
 見事なほどに、何の脚色もない!
 もう、ホントそのまんま訳してます。そのまんま過ぎて笑っちゃうくらい。分かりやすくするために解説を加えようとか、楽しめるように登場人物の気持ちを描写しようとか、そういう趣向はまるで無し。それは吉村昭が敢えてそうしてるんではなく、もともと原作が「叙情より叙事」なんだよね。でもって吉村昭の描く歴史小説もなべて「叙情より叙事」なわけで。平家物語の訳者としては、なるほど最適かもしれない。でも、じゃあそれがツマンナイのかってえと、まったく逆だから不思議なんだよなぁ。
 冒頭が「祇園精舎の鐘の音には、諸行無常の響きがある」という、これ以上ないくらい「そのまんま」で始まるこの抄訳は、殊更に誰かをヒーローにするのでもなく、殊更にどこかの場面をフォーカスするのではなく、原作に忠実に、淡々と綴っていく。有名なシーンも、そうでないシーンも、同じトーンの同じ流れで進んでいく。登場人物の感情を細かく描くことをしないため、いわゆる《キャラが立っている》状態にはほど遠い。そこらはすべて読者に委ねられるのだ。
 たとえば。壇ノ浦で平知盛が最後に言った有名なセリフ「見るべきものはすべて見つ」も、過去の平家物語を読むと、泣かせだったり勇壮だったりかっこよかったり悲愴だったりとイメージはさまざまだが、本書は何のイメージも抱かせない。だからこそ、読者が千人いれば千通りの「平知盛の最期」を自由に創造することができるのである。
 そんな中、吉村昭の意志がはっきりと現れている箇所がある。それは「抄訳」であるということ。抄訳、つまりは抜粋である。どこを棄て、どこを残すか、その取捨選択は吉村昭が行った。そこにこそ、最大の『著者の個性』が出ているのではなかろうか。読みどころはさすがに全ておさえているけれど、個人的には「ちょっと平維盛に肩入れしてる? もしかして維盛がお好きなのかしら」という気がしたかな。
 とまれ、何の先入観も予備知識もない状態で、「初めて手に取る平家物語」として最高の一冊なんじゃないかしら。 (05.6.1)
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君の名残を・浅倉卓弥(宝島社)

 ある大雨の日。神社の欅の木の下で雨宿りをしていた高校生二人と、近所を自転車で通りがかった中学生一人が落雷に遭う。その瞬間、三人は過去へと飛ばされていた。それぞれ異なる場所で目覚めた三人は、そこがどこなのか、いつなのかも分からないまま、その場所で暮らしていくことを余儀なくされる。周囲の人の会話と、歴史や古文の授業で習った知識を繋ぎ合わせ、だいたい平安時代の末期らしいということまでは分かったのだが──。
 どえりゃあ面白えっ! つか、すげえっ! どこがどうすごいか説明したくてたまらないんだけれど、それをやるとネタバレになってしまう。まぁ過去に飛ばされた時点で、読者の中には、その時代には何があって誰がどうなるってことは分かってる人も多いわけですよ。そういう意味ではネタバレも何もないんだけど、この物語の第一のキモは「過去に飛ばされた彼らって何?」なんだよね。最初は読者も主人公と同じで、「いったいここはいつ頃の、どこなんだろう」と疑問に思いながら読んでいく。そしてそれがわかったとき、「ああ、これって!」とすべてが腑に落ちるのだ。その瞬間の快感ったらないわよ。
 つかね、一旦分かってからは「わー、どうしてもっと早く気付かなかったんだろう!」と悔しくなる。これはミステリ読みのサガかしら。ホントなら49ページあたりで気付いてもおかしくないんだよね。でもあたしは53ページ上段の最初の3行を読むまで気付かなかった。で、気付いた瞬間に、見えてなかった《他のこと》も一気に腑に落ちて、「わああ、そういう物語だったのか!」とのけぞったよ。いや、マジでここは声が出た。無論、そこで気づけなくても、主人公達と同じタイミングで真相に触れ驚くってのもすごくエキサイティングだと思う。
 これね、舞台が平安末期ですから、いわゆる時代歴史小説の部類に入るのね。で、そのあたりの歴史にある程度興味や知識のある人と、まったく知らない人とでは、異なる楽しみ方ができると思う。上に書いたような、あたしが体験した驚きってのは、(自分で言うのも面はゆいけど)ある程度の予備知識がある場合にのみ感じられる驚きなのよ。けれど知識がある分、彼らがこのあとどうなって行くのかまで知っているわけ。一方、そういう知識を持っていない人は、ここに描かれてることすべてが新鮮で「わー」「おー」とばかりにこの一大スペクタクルを先入観無しに楽しめるわけで。それはそれで羨ましいにゃー。でも「知ってるからこそ」の思い入れや「志村ー、うしろー」的なドキドキってのも良いもんだしにゃー。いやもう、どっちに転んでもエキサイティング。
 そして「知っている立場」であっても、なんせ物語の設定自体は著者のフィクションなんだから、その行き着く先まではわからないわけで。この結末は、そして「何故3人か過去に呼ばれたのか」という理由は、実に壮大でロマンチックで切なくて、且つ「意味のあること」で──ただただ、感服。
 ああもう、何万言費やしたところで、この驚きとこの面白さを説明できるもんじゃない。とにかく読め。特に今の大河ドラマを毎週見てるって人は、必読! (05.6.2)
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鎮火報・日明恩(講談社)

 俺、大山雄大。消防士だった亡き親父の跡を継ぐような形で自分も消防士になったが、それは使命感だとか親父がどうのとかじゃない。ただ、気にくわないやつから「なれるもんなら、なってみろ」と喧嘩を売られたからだ。だから、こんな危険な仕事、長く続ける気なんてこれっぽっちもない。そんなある日、火災の通報で向かった現場は、不法滞在の外国人たちが住んでいるアパートだった。けれどこの火災、ちょっとおかしいことがあって──。
 わぁ、とてつもなく面白いわよ! 共感するし、感動するし、啓発されるし、キャラも立ってるし、サプライズもあるし、カタルシスもあるし、クライマックスなんか手に汗握るし、その後ははからずも泣かされちゃったりなんかして。そういう意味では、間違いなくエキサイティング。読み出したら止まらなくて、分厚いハードカバーなのに一気読みしちゃったくらいだもの。若くてイキのいい青年の一人称だから、読みやすいし入りやすいしね。いいことづくしで、だから、お勧めするにヤブサカではない。つか、勧めたいのだ。のだ、けれど。
 その全て──感動も、共感も、啓発も、泣きも──そしてキャラの立ち具合までもが、詰め込み過ぎっつーか、サービスし過ぎっつーか、緩急なさすぎっつーか、もうみっちりぎっしりなのよ。登場人物の全員が、それぞれに重いテーマを背負ってて、それがまた書き方が巧いもんだから引き込まれちゃって、結果、読んでて気が休まるときがない。ダチとメシなんていう本来なら呑気な筈のシーンにまで、そこの店員の重たい話が出てくるし。主人公がライトな男の子だから、ホントはそこで緩和されるところなんだろうけど、その主人公もやっぱり読者に対して問題提起してくる側だし。唯一休めるのは、守の常識離れした情報収集能力に「おまえ何者じゃいっ!」とつっこむときくらいだ(笑)。
 個々の事情のひとつひとつにテーマがあって、そのテーマがもろストレートに言葉として語られるので、ひとつの物語を読んでるというより、個々のエピソードから教訓を貰ってるようなイメージになっちゃうのね。カタルシスも感動も、物語からではなく単体のセリフからになっちゃう。エピソードとテーマが強すぎてストーリーを邪魔してるんだよね。そこが実にもったいない。テーマもエピソードも3冊くらいに分けられる量だよ。
 でも、なんだかんだ言って、面白いんだよねえ。これだけ文句を言いながらも、ページをめくる手を止められずにドキドキしながら一気読みだし、最後はすべてが吹っ飛ぶ感動で読後感も良いし。主人公当人にまるつわる問題は一通り解決したので、続編があるなら、もうちょっとじっくり腰を据えたストーリーを期待したいな。 (05.6.6)
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辰巳屋疑獄・松井今朝子(筑摩書房)

 大岡越前最後の事件となった「辰巳屋事件」。大阪の豪商・辰巳屋の主人が跡目相続のトラブル隠しのため、各方面に賄賂を送っていた贈収賄事件である。事件の結末は、なんと死罪を4人も出すという大きなものだった。なぜ一介の商家の事件が、こんな大きな結末を読んだのか。辰巳屋の前の代のときに丁稚に入り、事件を起こした主人に最後まで仕えた手代の元助の目線から、何が起こったのかを描いていく。
 うっわーっ、イライラするっ。何にイライラするって、この元助よ。田舎から出てきて鈍重で学がなくて口下手で、というのはいい。でもさ、なんだかんだと手代にまで昇進して10年以上もこの坊ちゃんに仕えてきてんだから、坊ちゃんのやってることが良いことか悪いことかくらい分からないのかよぉ。……わかんなかったんだろうな、うん。元助は実直で純朴だった。主人の、たとえば女遊びであるとか、家族を大事にしないとか、そういうところは「悪い」と判断できても、奉行や同心に金子を差し上げるのが「悪い」かどうかなんて、わかんなかったんだろうな。盆暮れの付け届けだと、世話になったお礼だと、そしてうちは大きな商家なんだからお礼にお金を差し上げるのは当たり前だと、そう思ってたんだろうなあ。なんか哀しいなあ。
 周囲の奉公人が小狡く立ち回る中、元助は不器用なまでに忠節を尽くす。なぜなら、どんなに馬鹿坊ちゃんでも、それが自分の主人だから。奉公人である自分の、主人だから。──なんてシンプル。そしてシンプルなだけに強い。一部の親族の陰謀で跡目の後見に坊ちゃんがつけなくなったとき、それは読者の側からみても「こいつに店は任せたくないもんなぁ」と思えるくらい妥当なことだったし、元助自身も坊ちゃんの商売のやり方はすべて良いとは決して思ってなかったのに、「自分の主人が馬鹿にされた」という一点に対して、激昂する。ずっと静かで無口な元助が初めて声を荒げるシーンだ。それが、馬鹿坊ちゃんを諫めるシーンではなく庇うシーンで初めて元助の感情が出てくるのである。
 これは確かに「辰巳屋事件」という贈収賄事件の顛末を描いた事件モノではあるが、それより、元助という一奉公人のあり方から伝わってくるものの方が大きい。同期の丁稚仲間であり、のちに親友となる伊助についていけば全く違う道が開けたろうに、最後まで坊ちゃんに忠節を尽くす元助。そのあまりの不器用さに、イライラしつつも、なんだか圧倒的な強さを感じでしまうのだ。 (05.6.7)
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幻の女・ウィリアム・アイリッシュ(ハヤカワ文庫)

 今更何の説明がいりますか、ってくらいのミステリ史上に燦然と輝く名作。いやもう、何度読んでもスリリングで面白いよなあ。1942年の作品ですよ! なのにぜんぜん古くないし。つか、昨今のそんじょそこらのミステリより数段面白い。「オールタイム・ベストミステリ」で常に上位にいるのも頷けるってもんだ。
 とはいえ、もちろん未読の読者もたくさんいるだろうから、簡単にあらすじをご紹介。夕方6時、スコットは偶然酒場で出逢った名も知らぬ女性をナンパする。一緒に食事をしてミュージカルを見て、ひとりで家に帰ってみると、なんと妻が殺されていた! 警察は妻殺しの犯人としてスコットを逮捕。スコットは自分のアリバイを主張するが、なぜか酒場のバーテンもレストランの店員も、二人を乗せたタクシーの運転手までが「この男性は一人だった、連れの女性などいなかった」と証言したのだ。そのままスコットには死刑宣告が下される。濡れ衣を晴らす手だては、その女を見つけるしかない……。
 ね、面白そうでしょう? 今頃どうしてこのミステリを再読したかというと、今評判になっている映画『フォーガットン』と、呈示される謎が似てるなあと思ったからなの。つまり、自分ははっきり体験したことなのに、周囲の人は皆「そんなことはなかった」という、これはなぜか、という謎なのね。で、『フォーガットン』の結末が(ごにょごにょ)だったと聞いて、「まあ、60年も前にアイリッシュが同じ種類の謎であんなサスペンスフル且つ論理的な物語を作っているのに、イマドキの映画はそんな方向に持っていくのか!」とびっくりしたからなのだ。
 「なぜみんな彼女を覚えてないの?」に対する本書の答は、とてもシンプルで「ありそう」な話、即ち最も簡単な方法だった。だからそこだけ取り出すと、意外性はあまりないのだ。けれど物語全体のストーリーの中においては、これしかやりようがない。というか、こうするべき必然性がある。もちろんそんな方法では破綻もあるんだけど、破綻しそうと見てとると「犯人」は次の手を打ってくる。きゃあ。死刑執行日がどんどん迫ってくるという、デッドラインが演出するサスペンスも見逃せない。幻の女に手が届きそうになると必ず邪魔が入るという、歯がみするような展開。そして最後に真相が全部わかったときの「そういうことだったのか!」というカタルシス。
 まぁ、何を言っても今更です。これはもう、四の五の言わず、とりあえず読んどけ。 (05.6.12)
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ベストセラー本ゲーム化会議・麻野一哉・飯田和敏・米光一成(原書房)

 ゲーム作家の3人がベストセラーを読み、どうすれはこの本をゲーム化できるかについてあーだこーだと話し合う鼎談集。これね、すごいよ! あたしはゲームってのをまったくやらないので、ここに出てくるゲーム用語はまるで分からないんだけど、それでも「どんな本なのか」「何が面白くて、何がつまんないか」がすごくよくわかる。だって本をゲームにするってことは(たとえどんなにつまんない本であっても)その本のキモを見抜かなくちゃいけないんだもの。換言すれば「こう読めば面白い」ってのを教えてくれるわけさ。それはともすれば、著者にとっては意図してないすごく皮肉な読み方だったりもする。
 俎上に挙げられたベストセラーは(有名本ばかりなので著者名は略)「世界がもし100人の村だったら」「愛のひだりがわ」「冷静と情熱の間」「煙か土か食い物」「チーズはどこへ消えた?」「模倣犯」「あらしのよるに」「白い犬とワルツを」「虹」「新ゴーマニズム宣言special戦争論2」「プラトニック・セックス」「新『親孝行』術」「あらゆる場所に花束が……」「痛快!憲法学」「FOCUS」「バトル・ロワイヤル」──う〜ん、読んでるのは5冊だけだ。でも本書を読んだら、これらの本全部読み終わった気になったよ。
 どうもこのゲーム作家3人、甘いキレイな話はお好みではないようで、その類の本には実に手厳しい。でもその手厳しさが実にポイントを突いてて小気味いいのだ。たとえば「白い犬とワルツを」に読者が泣いたと聞けば
 「どこで泣くんだろ?」
 と一刀両断。「冷静と情熱の間」が300万部売れたと聞けば
 「きれいな装丁というのと、辻仁成と江國香織のコンビで書いたってのが、プロデュースとしていちばん大きかったんやろうな。一方が林真理子やったり、立松和平やったりしたら、また違ったな(笑)」
 ああ、そんな言ってはいけないことまで……!
 一番笑ったのは「あらしのよるに」のゲーム化話かな。「虹」(よしもとばなな)の裏読みも見事。これは新手の書評本として実に面白いよ。ゲームをやる人ならもっと細かいところまで楽しめるんだろうけど、書評本としてだけでも充分成立してる。尚、「模倣犯」はネタバレしてるので要注意。 (05.6.22)
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材木座の殺人・鮎川哲也(創元推理文庫)

 バーテンダーが謎を解く、「太鼓叩きはなぜ笑う」 「サムソンの犯罪」「ブロンズの使者」三番館シリーズの第4弾。このあと「クイーンの色紙」「モーツァルトの子守歌」と続きます。創元推理文庫から全6冊が再刊されたので、手に入りやすくなりましたにゃ。これは過去のシリーズ6冊をそのまま再刊したものなので、未収録分のシリーズ作品もまだ残ってます。そっちは出版芸術社刊「三番館の全事件」全3巻の方で読めますよ。
 これはもう、様式美、ってやつだよなあとつくづく思う。例えば都筑道夫の退職刑事シリーズとか、戸板康二の中村雅楽シリーズとかもそうなんだけど、ひとつひとつの短編そのものの出来云々より「この世界」「この黄金パターン」を味わうことの方に重きをおいちゃうのよね。だから逆に、何の前知識もなく本書を読むと──「ミステリとしては弱いんじゃないの?」みたいな感想になっちゃうかも。
 「ミステリとしては弱い」ってのは、シリーズ6冊の中でもこれが一番顕著かもしれん。だってさ、決め手のない推理ばっかりなんだもん! 妙に尻切れトンボでさあ。なるほど、と思わせてくれないんだよねえ。
【棄てられた男】うーん、その推理では容疑者が増えるだけで、決め手にはならないでしょう。でもそれより「白樺荘」という言葉にえもいわれぬ寂しさが……。
【人を呑む家】謎は魅力的だがなぁ。バーテンの仮説がここまですっ飛ぶのも珍しい。
【同期の桜】唯一、本格ミステリっぽい手がかりとオチがある作品。
【青嵐荘事件】いや、だからっ。それは「容疑者を特定できない」というだけであって、誰かの濡れ衣を晴らすことはできても事件の解決になってませんからッ。
【停電にご注意】このトリックは……これだけのことが出来るのなら、何でもできそうな……。つか、警察が調べれば関与した人々のことなんてすぐ分かっちゃうだろうに。
【材木座の殺人】「私」も「弁護士」も関与しない一作。こういうのもあるんだね。
(05.6.27)《この本の詳細情報&注文画面へ》  

國語元年・井上ひさし(中公文庫)

 井上ひさし作のテレビ版戯曲。今ではこまつ座の定番演目として何度も再演されているそうだが、これはテレビ版のオリジナル。わー、主演が川谷拓三とか浜村純とかちあきなおみとか山岡久乃とか……あ、あたしは実は中公文庫版ではなく、親本の「日本語の世界10 日本語を生きる」【なま楽】で読んでるので、ひょっとして文庫に配役表がなかったらごめんなさい。昨年、NHK-BSで再放送があったそうだが、見たかったなあ。
 明治七年、文部官僚・南郷清之輔は「全国統一話し言葉」制定を命じられる。この南郷家、当主の清之輔は長州弁だが、妻と舅は薩摩弁、使用人たちは遠野弁に津軽弁、江戸山手の武家言葉に下町言葉、書生は名古屋弁という「方言の坩堝」だった。そこへ山形は米沢から新しい女中がやってくる。 また、会津出身の強盗が入ったり、京言葉の自称公家が訪れたり。家族の中で言葉が通じない清之輔は、まずは家族の中で統一言葉制作のヒントを得ようとするが──。
 いやもう、めちゃくちゃ面白いよっ。「色紙」を買ってこいと言ったつもりが、江戸の下町言葉を喋る女中に伝言させたら「火消し」を買ってきちゃったり、「ふんどし」の表現が全員違っていたり、強盗が「金を出せ」って言ってるのが通じなかったり。実際、テレビもラジオもない時代、今より方言の分化は激しくて「通じない」のは当たり前だったんだよね。だから「共通語」が必要だったわけだ。  これは脚本なので、方言のセリフは全部、共通語で書かれた脇に方言でルビがふってあるという趣向(親本ではそうなってます。文庫はどうかしら?)なんだけど、これは絶対に目で読むより映像で観て聞いた方が何十倍も面白いだろうなあ。
 けれど、単なるワハハと笑って済ませられるドタバタでは決してない。寂しいのだ。悲しいのだ。切ないのだ。人は言葉によって思考し、言葉によってコミュニケーションを図る。その言葉を奪われるということは、寄って立つモノを失うに等しい。ここではそれを「方言」で表しているが、要は、太平洋戦争のときに朝鮮半島の人たちに無理矢理日本語を使わせたり、沖縄返還のあとで沖縄弁をやめようという教育がなされたりということへの、痛烈な批判なのだ。中で、会津弁を「統一話し言葉」に入れようとした清之輔が、上司に「賊軍の言葉を使うのか」と叱られるシーンがある。愛国心と国粋主義の履き違えを強烈に風刺するシーンと言える。
 このテレビ版、DVDも出ている(流通はしてないみたい)ので、なんとか探し出して見てみたい。 (05.6.28)《この本の詳細情報&注文画面へ》  


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