約束された場所で Underground2・村上春樹(講談社文庫)
地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめた「アンダーグラウンド」と対になるインタビュー集。こちらは元あるいは現・オウム信者へのインタビューである。
江戸郊外、雑司ケ谷の組屋敷に暮らす矢島家は、将軍の鷹狩りの下準備をするお鳥見役。しかし実は彼らの仕事は鷹狩りだけでなく、幕府の密偵という責務をも背負っていた。当主の妻、珠世は、重大な任務を背負う夫を案じながら、今日も笑顔で日々の難題に立ち向かって行く。
お鳥見役という役職を隠れ蓑に幕府の密命を受け、夫が沼津藩へ潜入してから1年余りが立った。江戸郊外、雑司ケ谷の組屋敷で便りのない夫の無事を祈る珠世だったが、実際には大人数の居候の世話や、息子の行く末、娘の縁談などに今日も明るく元気に駆け回る。温かで地味豊かな、四季の移ろいが鮮やかに浮かび上がる時代連作短編集シリーズ第2段。情けは人のためならず、って、珠世のためにあるような言葉だよなあ。
鷹姫さま お鳥見女房・諸田玲子(新潮社)
お鳥見女房シリーズ第3弾。夫は戻ってきたものの、厳しい仕事だったため心に傷を受けてしまった。そんな夫を優しく見守りつつ、珠世は今日も笑顔で頑張る。源太夫一家は近所に引っ越したものの3日とあけずに通ってくるし、今回は長男の久太郎と次女の君江にそれぞれ縁談が持ちあがり、次男の久之助も何やら恋の予感がするし、久右ヱ門の昔の恋愛話まで出てきて、ああ早く続きが読みたいわ!
なんにもうまくいかないわ・平安寿子(徳間書店)
四十代にして独身、けれど仕事はあるし金もあるし恋もしてる、そんな志津子はパワー溢れるゴージャスな中年だ。独身でいることに不安はあるけれど、結婚だってしたいけれど、しょうがないじゃない誰も結婚してくれないんだもん! パワーがありすぎて、周囲はちょっと、いやだいぶ迷惑。迷惑なんだけど、なぜか離れられない、そんな志津子を巡る人々の物語。
I'm sorry, mama・桐野夏生(集英社)
娼婦たちが一緒に暮らしていた「ヌカルミハウス」。そこに、誰が生んだかわからない一人の少女がいた。戸籍も無く、学校にも行かなかったその少女は、「ヌカルミハウス」の経営者が事故死したあと、施設に引き取られる。しかし彼女は誰にも心を開かず、物を盗み、皆に嫌われていた。ただひとつ「母親の形見」と聞かされた白いパンプスを持って、彼女は犯罪を繰り返しながら放浪を続ける……。
背の眼・道夫秀介(新潮社)
東北の寒村で起こった、子供たちの連続失踪事件。そんな事件が起こっているとは知らずにその村を訪れた作家・道夫秀介は、河原で奇妙な声を耳にする。東京に戻って、旧友の「霊現象探求所」を訪れた道夫は、自殺者の背中に謎の眼が映っている写真を見せられた。それらは皆、道夫が訪れた東北の村の近辺に集中しているというのだ……。
せんーさく・永嶋恵美(幻冬舎)
ゲームサイトのオフライン・ミーティングに参加した29歳の専業主婦・典子は、帰り道、新幹線の中で同じオフの参加者だった中学生の少年から「帰りたくない」と告げられる。彼の家出を思いとどまらせるつもりで、ほんの少しだけ彼につきあうことにした典子。ところがその間、彼の友人宅で殺人事件が起こっていたことがわかり……。
彼方(ニライカナイ)・永嶋恵美(双葉社)
沖縄で一人の女性が殺された。そのニュースを見た晴菜は、夫に「親友だ」と告げたが、実はそれは嘘だった。被害者の女性は、晴菜にとって「親友」ではなく「恋人」だったのだ。そしてその事実は、思いもよらぬ悪意とともに晴菜の夫に知らされる。家を飛び出た晴菜は──。
あることが原因で家を出てきた「僕」は、置き引きに遭って財産をなくしたのをきっかけにホームレス生活に入ってしまう。食べ物にも困る日々の中、カナと名乗る小学生の女の子が「僕」に食べ物を運んでくれるようになった。食べ物と引き換えにカナは、「僕」にいろんな悪戯を命じるようになった。気に入らない同級生の自転車や花壇に嫌がらせをするのだ。ある日、ついに大きな事件を起こした「僕」は、以前から知り合いだった女性の部屋に転がりこんだが──。
「アンダーグラウンド」はただ被害者の語りを聞いているだけで充分だったが、今回は加害者側である(もちろん実行犯ではないし、あの事件をオウム真理教が起こしたことすら知らなかった人ばかりだが)。彼らの話をそのまま載せるのは「アンダーグラウンド」と同じだが、今回は村上春樹が合間合間で質問を挟み、話の焦点を絞って行く。その質問の仕方がいいんだよねえ。一言で言えば「失礼じゃない」のだ。こういうインタビューにありがちな、まず結論ありきの誘導尋問だったり、インタビューとは名ばかりの議論やケンカであったり、《正義の代弁者》としてインタビュイーを見下したり責めたりするような、そういう「失礼で嫌なインタビュアー」な部分がまったくない。ただ虚心坦懐に、「何が彼らを、あなたたちを動かしたのか、それを知りたいんだ、それを教えてほしいんだ」という姿勢で質問される。そもそもこのインタビュー集のきっかけというのが「アンダーグラウンド」を出したあとで「やった側の話も聞いてみないと、何が起こったのか掴めない」と感じたことに起因しているわけで。つまり村上春樹は、彼らを責めるためではなく、何かを大上段に主張するためでもなく、ただ「知りたい」から訊ねている。それがフェアな立場をキープしている理由だ。
けれどフェアだとはいえ、彼らの属していた教団の上層部がしたことを認めているわけでは決してない。繰り返されてはならない犯罪だという大前提のもとで、「そのようなグループに、彼らはなぜ自ら身を投じたのか」を掘り下げて行く。つまりは、「なぜサリン事件が起こったのか」ではなく「あなたはなぜオウムに入ったのですか、入ってみてどうでしたか、サリン事件が起こったあとはどう思いましたか」ということを掘り下げて行くのだ。
そして彼らの話を聞いてみると。
なんだか無性に辛くなるのだ。切なくなるのだ。彼らは驚くくらい繊細で、同い年の子供が鼻を垂らして駆け回っていた頃から「僕って何者なのか」と考えていたような人々なのだ。自意識過剰で順応性がないと言ってしまえばそれまでかもしれない。けれど、居場所がない、というのは辛かったろう。たとえそれが、自分から居場所を拒否しているのであっても、それが自分自身の持って生まれた性質なら尚更。
問題は、そういう繊細な人々にとっての受け皿が、オウム真理教というカルト教団しか存在しなかったということなのだ。だから杜撰なグループだと分かったあとでも離れられなかった。他に社会的な居場所が彼らにあれば、あれほどの大きな組織にはなっていなかったのではないか。身近にも、似たようなタイプの知り合いがいる。けれどその人は、他の方法で自己実現を果たし、普通に生活している。どちらに転ぶかは、本当に紙一重なのだ。
(05.11.9)《この本の詳細情報&注文画面へ》
お鳥見女房・諸田玲子(新潮社)
わぁ、いいなあ、ほのぼのだなあ、元気出るなあ。滋味溢れるってのはこういうのを言うんだなあ。NHKの金曜時代劇あたりでやんないかな、これ。
【千客万来】隠居した父を訊ねてきた浪人風の男・源太夫。恩のある人物ということで滞在を許したところ、なんと5人の子連れだった。おまけに彼を仇として追う女剣士・多津まで現れて……。わぁ、初回からすごいことになってるよ矢島家! シャレにならない状況なのに、話が明るく進むのがなんともいい。
【石榴の絵馬】多津が見かけた不気味な女。そして子供がひとりいなくなった……。子供が見つかるところがなんとも印象的。女が死んでいたことに、子供は気づいてないんだよね。そしてそれを気づかせない大人たちもいいなあ。
【恋猫奔る】矢島家になにかと顔を出す、近所の後家・早苗。隠居の久右ヱ門は自分に気があるのだと勘違いして……。うわはははは! いい! いい! 市井の暢気なほのぼの気分満喫。盛りのついた猫を見て「ケンカ?」と聞く子供に、「惚れ合うているのですよ」と答える珠世がステキ。
【雨小僧】雨の降る日に押し入る強盗がいるという。用心していた矢島家だったが、居候の源太夫がシャボン売りを連れてきて……。珠世の心の広さが最も良く出ている一作。
【幽霊坂の女】珠世が幽霊坂で出会った女。彼女は珠世にある男の行方を尋ねたが、その裏には……。女を騙す男の末路としては小気味いいが、巻き込まれる女は哀しいなあ。
【忍びよる影】敵討ちの決心も鈍りがちな多津。ところが同郷の男が江戸に出てきて、多津の敵討ちを焚き付ける……。1巻のクライマックス。多津と源太夫の気持ちは周囲の方が(読者も含めて)分かっているのだけれど、それでもこういう手続きを踏まねばならないところが、時代小説の様式美だ。
【大鷹狩】源太夫に士官の口がかかった。一旦は受けたものの、世話になっている矢島家の当主が幕府の密命を受けて危険な目に遭っていると聞き……。くはぁ、男だねえ! 武士の男気、そして粋ってのはこういうことを言うのだ。最初は図々しいだけに見えた源太夫も、1巻の終わりにはすっかり惚れちまったぜい。それを見送る多津もえらいっ!
(05.11.13)《新潮文庫版の詳細情報&注文画面へ》
蛍の行方 お鳥見女房・諸田玲子(新潮社)
政治のあれこれは男連中に任せておいて、矢島家の中はひたすらに主婦中心のホームドラマ。特に今回は女性視点の物語が多いわよ。江戸時代だって現代だって、女はいろいろ大変なのだ。
【ちまき泥棒】お節句のために作ったちまきがこつ然と消えた。そのとき幼女の秋は、草むらで倒れている男の子を見つけ……。ええええ、これで終わりなのお? この子はどうなったのよぉ。あとになって出てくるかと期待してるんだけどなあ。
【蛍の行方】珠世が偶然であった幼なじみの武家。珠世は若いとき、彼の悲恋を目の当たりにしたのだった……。そんな揚げ足取りみたいな理由で惚れ合った男と別れるか!と思うのは、あたしが現代の人間だからなんだろうなあ。
【捨案山子】放生会のために雀を捕まえていた久右ヱ門が出会った男。再会を約して別れたが……。なんか久右ヱ門って、報われないよね。幕府隠密として修羅場をくぐってきたはずなのに、なぜこんなに人を信じやすいんだろ。
【縁の白菊】隼人にデートに誘われ、舞い上がる君江。ところが待ち合わせの茶屋でとんでもない事件にぶつかり……。きゃあ、これ、今回のイチオシ! 小さなことに舞い上がったり落ち込んだりする「恋する君江」が何とも可愛らしいったら。愛しの隼人さまのことを気にしつつも、目の前で困っている人を見捨てられず、いつしか懸命になる君江。最後、母親の珠世と会ったとたんに泣き出すシーンなんて、こっちまでうるっと来ちゃったよ。
【大凧、揚がれ】子供たちの揚げた凧が、大凧にぶつかって落とされた。その大凧を揚げていた男は、凧にまつわる哀しい事情を語って聞かせたが……。わぁ、切ないなあ。本編以上に、多津と珠世の女同士の会話がなんともカッコいい。矜持を持った者同士ならでは。
【雛の微笑】沼津では父親と江戸に帰るべく、次男の久之助が源太夫とともに策を練っていた。そのために地元の娘を利用している久之助は気がとがめて……。
【裸嫁】長女の幸江が嫁ぎ先から戻ってきた。これまで姑の意地悪にも耐えてきたが、今日こそは我慢できないというのだ。きっかけは「裸嫁」と言われたことで……。子供を産まなくちゃ一人前にはなれなかった、この時代ならではのホームコメディ。今だと別の解決になりそうだけど。
【風が来た道】なりゆきで掏摸の女をかくまってしまった珠世。ところが珠世自身もその掏摸に大事なものを奪われ……。ようやく夫が戻り、「留守を預かる」珠世の物語は一段落。でも家族それぞれの問題は3巻へ持ち越し。
(05.11.14)《この本の詳細情報&注文画面へ》
【雪夜の客】組屋敷で矢島家の向かいは古谷家だが、どうもそこの夫婦とそりが合わない。そんなとき、古谷家を訊ねてきた女に出会った珠世は……。わあ、この古谷って男、サイテー! 珠世ももっと腹を立てれば良いのにと思うが、ご近所さんだもんなあ。主婦の処世術だなあ。
【鷹姫さま】長男の久太郎に縁談が持ち込まれた。なんと相手は大大名家の御鷹匠の姫君、恵以だ。どうやら恵以の方が久太郎を見初めたらしいが……。わははは、これ、絶対このままで済まないぞ!
【合歓の花】君江が隼人についてのあらぬ噂を誤解した。泣きながら寺に駆け込んだ君江だったが……。本人たちのいないところでトントン話が進むのが江戸時代の婚姻? けれどこれでようやく君江の想いも成就だ。
【草雲雀】若い娘が父の久右ヱ門を訊ねてきた。ところが死んだと思っていたらしく、「久右ヱ門様のご遺族に」などと言い出して……。おお、久右ヱ門のロマンス! でも本編ではそれより、鷹姫さまアゲイン! ビバ、恵以さま! わはは、この気位の高さ! おまえはお蝶婦人か!
【嵐の置き土産】嵐で源太夫一家が世話になっている農家に水が来た。源太夫は家主をつれて矢島家に避難してきたが……。恵以からの「敵に塩を送る」という見舞い品に大笑い。いいなあ、もう、絶対に矢島家の家風とは合わないだろうし、特に多津とは大げんかしそうなのが目に見えるが、でもそんな恵以が珠世に感化されるのを見てみたい(ぽわん)。
【鷹盗人】将軍様の鷹が3羽続けて盗まれるという大失態に、久太郎は青くなる。ところがその裏には……。夫が珠世に初めて心の中を語るシーンが印象的。
【しゃぼん玉】しゃぼん玉売りの藤助が戻ってきた。その頃、源太夫はあるへなちょこ侍の指導を頼まれており……。藤助の謎は深まるばかり。
【一輪草】いよいよ君江の祝言当日! 矢島家には冠婚葬祭となると張り切る叔母が逗留して……。わははは、いるいる、こういうおばさん。でも自分の持ち場があるってことは大事なことなんだよね。
(05.11.15)《この本の詳細情報&注文画面へ》
【マイ・ガール】志津子の旧友である令子は、中学生の女の子の母親だ。でも娘は令子より志津子を慕っていて……。わあ、わかるなあ、これ。責任がないから「かっこいいオバサン」を演じてられるんだよね。
【パクられロマンス】雑誌のインタビュー記事で語られた女性ライターの恋愛話は、志津子の体験のパクりだ! それに気づいた志津子の妹分は、断固抗議しようと志津子を焚き付ける……。第1話でははた迷惑なキャラでしかなかった志津子の、意外な大きさに感動。
【タイフーン・メーカー】志津子の下で働いている青年は、公私混同でこき使う志津子に辟易していた。そんなときに憧れの業界からスカウトされて……。すごくありがちな話ではあるんだけど、弱音を吐く青年に志津子が「そんなやつ、ダメ」と一刀両断するその言葉がとても説得力がある。そのあとで落ちがつくのも志津子らしくて、この時点でかなり志津子に惹かれちゃうのだ。
【恋駅通過】志津子の元恋人のひとり、永明の物語。いや、のほほんとするのも良いけど、通帳の行方ははっきりさせた方が。
【なんにもうまくいかないわ】夫を亡くした涼子は、久しぶりに夫の仲間が集まる会へ顔を出した。ところが周囲の反応は実に冷たく……。うん、涼子の怒りは正当だ。この場合、悪いのは秘すべきことを秘せない志津子だ。でもいつの間にか涼子自身も志津子に巻き込まれちゃうんだよね。けれど本編の裏にあるものはちょっと違う。結局、妻であるのは涼子の方。どんなドラマがあり、どれだけの味方があろうと、ただその一点において志津子は「負け」になってしまう。その事実が意外な重みを持って残った。
そしてシリーズ外の独立短編も同時収録。【亭主、差し上げます】は、陽子が自宅で不倫相手と一緒にくつろいでいるところに、不倫相手の妻が乗り込んできたという話。ところが妻は激昂しているわけではなく、たんたんと「離婚しましょう、この人はあなたにあげる」と言い出した。そんなつもりは毛頭ない陽子は「要らない」と辞退。妻と恋人の両方から「要らない」と言われた夫も可哀想だなあ。けれど世の中、不倫現場を押さえた妻が皆こんなだったら、どろどろしないのにね。実際にはこういう展開はなかなかあり得ないとは思うけど、あり得ないだけにちょっと「いいなあ、こういうの」と思ってしまうのだ。
(05.11.18)《この本の詳細情報&注文画面へ》
桐野夏生の書く小説って、なんかどんどんダークな方向にすっ飛んでいくなあ。何がダークって、はっきりと救済がないのだ。アイ子は邪悪なまま成長し、邪悪なまま最期を迎える。人を殺し、騙し、盗み、逃げ、また殺し。人を殺すことに何の罪悪感もなく、人を利用することを当然と思い、嘘で塗り固める。見た目も不細工で、そんな生き方をしている中年女性。こういうキャラだと若くてキレイなもんだが、不細工な四十代だぞ。それだけでもう救いが無いのに、著者は彼女を救いのないまま終わらせる。アイ子という人物を見ていると、「人ってのはここまで邪悪になれるものか」と疑問が湧くくらい、「っていうかこれは精神の疾患じゃないのか」と思ってしまうくらい邪悪で、けれど邪悪なりに彼女は生きていくのだ。生きる術には長けているのだ。うーん。
しかしこの物語で描かれるのは、アイ子だけではない。アイ子に殺されてしまう、年の離れた夫婦。アイ子を一時預かったことのある女装癖のある老人。元娼婦で今老婆。割り箸で大阪城を作るホームレス。日々の暮らしに鬱憤を溜め込むクリーニング屋の主婦。ホテルチェーンの女社長。どいつもこいつも「わあ、嫌なやつだなあ」って人ばかりで、けれどそれが決して小説のキャラとしてデフォルメされた嫌さではなく、リアルなだけにのめり込んでしまうのだ。リアルすぎて、嫌を通り越して笑っちゃうというか。嫌な中年書かせるとうまいよなあ、ホント。
エピソードとしては母親探しであり自分探しであるはずなんだけど、アイ子があまりに邪悪なのと、あまりにものを考えないもんだから、そういうお涙頂戴の方向に心が振られない。著者も振らせるつもりはないんだろう。なんせ母親が分かり、けれど……という箇所でアイ子は涙を流すのだが、なぜ泣いているのか彼女にも分からないのだ。心情描写がない。それは描写してないのではなく、描写するだけの心情がアイ子にないのである。その場限りの本能で生きてきたアイ子は、語彙が少ない。アイ子にある語彙は、人を騙すためのものだけだ。だから自分の気持ちを掴めない、分析できない、表現できない。分析し表現する語彙を持たない。だから「泣いてる」という現象しか言えない。これはなんと残酷なことか。
ここに出てくる人々は、みな嫌な部分を持ってはいるものの、アイ子にはならずに済んでいる。彼らとアイ子の違いは何なのか。家族? 教育? いや、そういう次元の話ではない気がする。彼らが、そしてあたしたちが、アイ子にならずに済んでいるのは、「たまたま」なんじゃないかしら……。
それにしてもこの装丁の写真はすごい。しばらく見つめてしまった。
(05.11.19)《この本の詳細情報&注文画面へ》
なるほど、ホラーサスペンス大賞に応募しながらも、選考委員の綾辻行人をして「これは本格ミステリだ」と言わしめ特別賞を受賞した理由がわかるよ。本格だ本格だ。すべてがルールの中でちゃんと理に落ちる(眼はともかく。<ともかくかよ)。ホラーの小道具はあるけど、怖くないし。伏線の収束の仕方といい、細かいくすぐりといい、超常現象に関する蘊蓄といい、京極堂シリーズと同じような程度には本格だよこれ。
東北の寒村、天狗伝説、子供たちの連続失踪事件、霊が見える少年、謎の遺書、などなど、「いかにも!」というような道具立て。犯人の置かれた環境が細かい伏線から次第に明らかになって行く様は、わくわくするよ。ただこれ──「背の眼」は必要だったのかな。<そ、そんな、根底から否定するようなことを!<いや、決して否定してるんじゃなくてね。テーマとしての落としどころはわかるんだけど、どうにもこの「背の眼」という心霊現象だけが、物語全体の中で浮いてる気がするのよ。だってリアルな事件の繋がりは、ホントに面白いんだもの。いっそホラー部分をなしにして、児童失踪事件と謎の自殺事件だけでピュアな本格にした方がキレイだった気も。
特に謎解きは大小硬軟とり混ぜてどれも面白く、「なるほど、これはこう繋がるのか!」と膝を打つ箇所も多かった。すべてのエピソードが同じようなテンポで語られるからどうも単調なイメージになってしまうのが残念だけど、これで緩急がつけば相当に吸引力の強いものが書けそう。これは今後に期待だあ。
ただ惜しむらくは、心霊に関する探偵役の蘊蓄も、東北の寒村に伝わる伝説の真相も、その寒村の描写にも、新味がないの。どこかで読んだような、というパターンが多くて。もちろんそれはそれで「王道!」という捉え方もできるし、それが悪い訳ではないんだけど、良くあるパターンを踏襲するならするで、どこか突き出たものがないと印象に残らない。唯一のオリジナルだった「背の眼」がちょっと浮いちゃっただけに、更にそう思えるのかも。
(05.11.28)《この本の詳細情報&注文画面へ》
おおお、これは予想外にトリッキーなミステリだぁ。顔の見えないネット、登校拒否、引きこもりという若い世代の問題と、狭い共同体の中で波風を立てないよう腐心する主婦の問題が混じり合い、最終的にはとんでもないところまで持って行かれる。二人の「逃避行」はどんどん退っ引きならない状況になる。ここで引き返しておけば、というポイントをどんどん過ぎてしまい、事態はどんどん悪くなる。そのスリルといったら。「もうやめとけ、もうそこで引き返せ」と典子に言いたくなるよ。でも最後まで読むと、ただ逃避行のサスペンスを描いただけじゃないことがわかってびっくり、なのだ。
「これが普通」という社会通念からはずれていることを、どうして恥じなくちゃいけないのか。皆と一緒でいることがそんなに大切なのか。逃げる二人の思いはそこへ収斂する。子どもは生まなくちゃいけないのか、ご近所さんと違う行動をしちゃいけないのか、学校は行かなくちゃいけないのか、親を否定しちゃいけないのか……彼女たちが逃げ回るその途中で、次第に明らかになって行くテーマ。二重にも三重にも仕込まれた「真相」。テンポが良くて読者をぐいぐい引っ張る吸引力も文句無し。これはオミゴト。
ただ、不満も無いわけじゃない。なんか「罪」ってものを、ずいぶん軽く描いてるなあってことがひとつ。それと、ここで描かれる「主婦」像──井戸端会議が好きで人の噂が好きで、それこそ「国家機密と隣の奥さんの秘密だったら迷わず後者」を知りたがる、みたいな──は、あまりにステレオタイプでちょっと辟易した。もちろんこの作品の中では「仲間はずれを恐れる横並び社会」のわかりやすい記号としてそんな主婦たちが使われているだけで、実際そこまで典型的な主婦は滅多にいないし、そもそも主婦はそんなに暇じゃないって事もきっと著者は分かってるのだ。けれど、こういう「記号」としての主婦は、やっぱ便利なんだろうなあ。あーあ、本書はまだ「記号」として必要だからまだマシだけど、小説によく登場する「ワイドショーが好きで噂話が好きで出過ぎた杭を打つのが好きな暇を持て余してる専業主婦」っていう実態の伴わないキャラ付け、そろそろなくならないかしら。
(05.11.29)《この本の詳細情報&注文画面へ》
犯人は思いのほか早い段階で見当がつく。というか、特に著者もそこを隠そうとはしてないのかな、というくらいあからさまなヒントをまぶしてくれている。もうちょっと隠してくれても良いのに……これって充分なサプライズが演出できる構成なのにもったいないなあ。しかし逆に犯人が分かっちゃうからこそ、サスペンスが高まるっていう効果もあるんだよね。晴菜が犯人の思惑通りに追い込まれていくのが、はっきりわかるんだもの。どっちが良いんだろう。
でもってこの晴菜ってのが……逃げ過ぎっ! 現実処理能力、なさすぎっ! 自分は犯人ではない(まぁ、夫に隠れて他に恋人を作ってたのは、確かに良心は咎めるだろうが)のに、夫が怒れば口論もせず家から飛び出し、ホテルのフロントマンの態度が悪いだけでどこのホテルにも行けなくなり、一人ではタクシーにも乗れず、警察かもしれない人影が見えただけでその場から全力でダッシュ。大人なのに……。いや、もちろんこのキャラにも理由はあるのよ、それがテーマと直結してるのよ、だから良いんだけどさ(このあたり、新井素子の「あなたにここにいて欲しい」を思い出した)。それが分かるまではもう、「いいトシした大人が、そんなことで逃げるな!」とイライラしちゃうってなもんだ。
その分、背景がわかったときには「ああ、なるほど」と膝を打つ快感もあるし、ラストは心の底から「良かったなあ」と思える。よくよく考えてみればあまりの悲惨さに「良かったなあ」なんて暢気に言える状態じゃないのに、妙に読後感がいいのもまた不思議。というかこの犯人、執念深すぎだよ……。
しかし登場人物にイライラしつつ、それでも「どうなるの、どうなるの」とページをめくらせる吸引力たるや、素晴らしい。これは展開のさせ方が巧いんだなあ。
(05.11.30)《この本の詳細情報&注文画面へ》
転落・永嶋恵美(講談社)
うわぁ、めっちゃトリッキーじゃん! 「僕」も、それから「僕」の知り合いだった女性(2章では彼女の視点になる)も、とんでもないものを背負って物語は進む。まずね、1章の「僕」の物語からして、主人公の背後に何か思わせぶりなものを感じつつも、カナとの出会いによって「何かが起こりそう」なイヤな匂いがぷんぷんで目が離せないんだよね。そして2章に入ってしばらくしたところで「ええっ!」と思うよ。そこからはもう、「僕」と、「僕」を匿うことになってしまった女性の、閉塞感100%のドキドキの生活が語られる。一人暮らしだったはずの女性が、「僕」を同居させたことを近所に気取られないように工夫するとこなんか、「なるほど人を匿うって、こんなことに気をつけるのか」とそのディーテイルに感心しちゃったわよ。
けれどホントに怖いのはそのあとだ。ホントに息詰まるのはそのあとだ。2章の主人公である女性は、過去に子どもを不幸な事故で亡くし、それがきっかけで婚家を追われたという過去を持っている。ストーリーとテーマに直結するのでそのあたりを詳しく書くことができないんだけど、叩く相手を見つける「世間」というものの歪さと怖さがもう、ひしひしと伝わってくる。何かひとたび事件が起きたとき、悪いのは犯人だと皆わかっている。わかっているのに、誰とも分からない犯人を責めるより、身近に責任の在処を見つけてしまうというくだりは、心底恐ろしかった。例えば子どもが不幸な事故で死んだとき、悪いのは事故の原因そのものであるはずなのに、「母親が見てなかったから」と言われてしまう、その理不尽さ。誰かを悪者にし、責めることで、自分は責めから逃れられるという狡猾さ。そういう心理サスペンスのドキドキと、「いつバレるのかしら」というハラハラ、そして次第に背後が明らかになっていく謎解きの面白さが、見事に合わさっている。
ホームレスになった「僕」も、それから子どもを亡くした女性も、どちらも以前は普通に暮らしていた。それがひとつのボタンの掛け違いで「転落」してしまう。これは特別な出来事ではなく、誰にでも──あたしにも、あなたにも──降り掛かってくる話なのだ。そしてそれは、明日かもしれない。
(05.12.1)《この本の詳細情報&注文画面へ》
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