じゃじゃ本ならし


ドリームバスター3・宮部みゆき(徳間書店)

 異世界テーラで脱走してしまった囚人の「意識」が地球の人々の夢に入り込んでしまう。ドリームバスターのシェンとマエストロが、そんな犯人たちを狩り悪夢を退治するSFファンタジーシリーズ第3弾。
 うーん、これはどうも完結してからまとめて読んだ方がいいように思えてきたなあ。だって全部話が途中なんだもの。今回は【赤いドレスの女】【モズミの決算】【時間鉱山part1】の3作が入っているのだけれど、【赤いドレスの女】
2巻所収の【目撃者】の後日談だし、【モズミの決算】は同じく2巻所収の【星の切れっ端し】の続きだし。おまけに【時間鉱山part1】はpart1というタイトルが示す通り、まだ話は途中だし。前作を読んでから3年経っちゃったもんだから、「誰だっけ」「何だっけ」てのが多くてもう……。おまけにどうやら、それぞれの話はこれで終わったわけではなく、まだなんぞ話が続きそうな要素がてんこもりだってんだから。
 それでもストーリーテリングは抜群に巧いので、読んでる最中は面白いんだけどね。地球が舞台のシーンはまさに宮部みゆきの現代物を読んでいる気分で【赤いドレスの女】には、良くいるOLの日常が手に取るように描かれてるし、【モズミの決算】では児童虐待の被害者を意識体に過ぎないモズミがどう救うかというところに驚きがあるし。その一方でテーラの方のシーンは、そのキャラクタ設定といい彼らの立ち居振る舞いといい、どこからどう見ても完全にアニメ的にデフォルメされている。現実社会のリアルと架空世界のデフォルメの、その落差が大きくて、舞台が変わるとしばらくは「あれ?」という違和感がついてまわるほど。
 ただその違和感も、設定に対する疑問や不満も、つまるところここまでのあらすじをよく覚えてないというこっちの事情に起因するものだってのは分かってる。だからこそ、これはしばらく読むのを中段して完結してから一気読みしようと思った次第。ということで、保留だな。これは。
 ところでテーラって異世界のはずなのに、なぜ田舎娘カーリンの言葉が北関東から東北方面の訛なんだろう……。ま、それを言えば、異世界なのに何故彼らは日本語を話すんだってのと同じことか。彼らの言葉を日本語に翻訳したとき、カーリンの言葉は北関東方面のものに近いって設定で訳されたと思えばいいのか。そうか。そうか? (06.12.2)《この本の詳細情報&注文画面へ》

県庁の星・桂望実(小学館)

 県庁勤務のエリートが民間研修の名目で田舎のスーパーに1年間勤務することになった。けれど役人にとってスーパーの仕事は信じられない事実でいっぱい。正社員でもないパートのおばちゃんが彼の指導係となり、プライドは打ち砕かれ、鼻っ柱を折られ、自分はこんなところにはいる人間ではないと思うものの、いつしか少しずつ彼は変わって行く──。
 先の展開はなんとなく読めるのだけれど、ディーテイルがその予想を上回る。巧い巧い。面白い面白い。特に巧いのは設定が一方的ではないこと。こういう話って、役人根性を庶民たちに叩き直されて、主人公以外の(読者を含む)全員が溜飲を下げて終わりというパターンになりがちだけれど、本書には逆の要素もちゃんとある。主人公の指導係になるパートのおばちゃんにも欠点はあるし悩みもある。県庁役人ならではの知識やノウハウがスーパーを救うシーンもある。権力を叩くだけではなく、権力側にいたからこそ出来ること・見えることがあり、その力はここぞというときに効果的にシェアされる。役人がスーパーの面々をバカにしていたように、スーパーのひとたちも役人をバカにしていたわけで、双方ともそれが是正されていく過程が読みどころ。つまるところ、役人をやっつけて終わりではなく、異なった二つの価値観が互いを認め合うという話なのだ。自分の理解を超えるものを真正面から見つめてこそ、自分自身を正しく相対化できるのね。だから本当のハッピーエンドを堪能出来るし、読後感がいい。
 多くの読者はおそらく、最初はスーパー側に感情移入する。利益率という概念がまったく無い研修社員。自分で工夫するということがなく、「出来ないのは教わってないから」と悪びれず言い切る研修社員。社会人経験のある読者なら、この主人公がいかに「出来ない」ヤツかすぐに分かる。だから「早くコイツをどうにかしろ」と思いながら読み、彼がへこまされると「ほーらみろ」という気分になる。しかし少しずつ彼に変化が見え始めると。弁当対決の終盤になり、不器用な手で魚をさばく彼を見る頃には、いつしか彼の方に感情移入しているのだ。読者の思い入れをコントロールする、この技たるや見事!
 笑ったのは、コスト削減を命じるスーパーの支配人の言葉に、「コストは減らしても良いのか? 一度減らすと、次からは予算は貰えないのに」と主人公が驚くシーン。役人側は読者に分かりやすいようにデフォルメされてるのかな、それともスーパー側の考えや様式が極めてリアルであるように役人側もリアルなのかな。だとしたら、ちょっとマズいぞ役人。みんなして民間で研修しなくちゃ。    (06.12.5)
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功名が辻(全4巻)・司馬遼太郎(文春文庫)

 時は戦国。織田信長配下の木下藤吉郎に与力として仕える山内一豊は、千代という嫁を貰う。凡夫だった一豊は、この千代の知恵と才覚でどんどん出世を果たして行く──。
 大河ドラマの最終回が近いので、これを機に25年ぶりに再読してみた。いやあ、相当の箇所を忘れていたなあ。ドラマでは千代が子供の頃に一豊と出会い、お互いに徐々に惹かれ合うエピソードから始まっていたが、原作では二人の結婚式から始まるのであった。それも「初対面で結婚」という、この時代の武家に極めてありがちな作法で。それで千代は「ダメな男だなこいつは」と思いながらも自分の手腕で夫を押し上げていく。ドラマのように、愛し愛されて夫婦になったという訳ではなかったのだ。うわあ、こうしてみるとドラマってのは原作の大前提すら脚色してしまうものなのだなあ。
 本書の感想というよりドラマとの比較になってしまって恐縮だが、ドラマではシリアスだった甲賀忍者・六平太の扱いも原作ではコミカルで小粋だ。好色な秀吉が千代に迫ろうとする原作のシーンがドラマではカットされていたのは、生々し過ぎるからかしら。その一方で、五藤吉兵衛の死ぬ前夜の名演説や、馬を買うために黄金十枚を差し出す千代が一豊の怒りを買い、涙で場をおさめるシーン(原作では計算で泣くんだけど)、そして跡継ぎを作るために千代が侍女を一豊にあてがうくだりなど、ここぞ、というところはそのままドラマにも反映されている。なるほど巧いところを巧くピックアップするものだなあ。どうせなら、千代が大蔵卿を鬼婆ぁと呼ぶところも生かして欲しかった。地震で娘を亡くすシーンも、原作ではドラマと違い武家の妻として振る舞う千代が描かれている。ここらあたりは原作の勝ち。
 さて、ドラマは忘れて。司馬文学の面白さは、歴史を描きながらもちょくちょく作者が顔を出すところ。例えば、父の代からの一の家臣である五藤吉兵衛が戦死するという、哀しくも感動的なシーンの直後に、「筆者は、この時期における秀吉と柴田勝家の格闘をかきたくて筆をおさえかえねている」「山内伊右衛門一豊の行動を追うより、はるかにそのほうが面白いからだ」なんぞと書いてるんだもの。そりゃそうかもしんないけどさあ、主人公は一豊なんだから、彼の一の家臣が死ぬところくらいちゃんと集中してやれよ作者! その他、山内家が土佐に移るに際し、千代の実家・美濃から家来を徴用していくが、その中の1人、乾彦作の子孫が後の乾退助(板垣退助)であるというくだりは「へえええ」と唸ったし、天皇行幸に際して千代が小袖を展示した催しを「個展、作品展の最初」と表現するあたりもなるほどと思わせる。そういうちょっとした「歴史の見方」が実に楽しいのだよなあ、司馬文学は。    (06.12.7)
《1巻の詳細情報&注文画面へ》《2巻》《3巻》《4巻》

風林火山・井上靖(新潮文庫)

 続けて07年の大河ドラマの原作だ。駿河今川の領内に居た山本勘助は、甲斐武田へ取り入って士官しようとした仲間を策略にはめ、まんまと自分だけ武田の禄を食むことに成功。武田について諏訪を攻めた際、諏訪頼重の息女・由布姫の美しさに息をのむ。以来勘助は、由布姫を武田信玄の側室にしてその息子に武田を継がせることを目指す──。
 うわ、のっけから山本勘助イヤなやつ! 仲間を裏切って自分だけ甘い汁を吸うし、他国に行ったこともないのにハッタリだけの大嘘をついて上司に取り入るし。おまけに、めっかちだのチンバだのNHKが放送しにくいであろう言葉がてんこもり(それも主人公の形容として)だよ。大丈夫か大河ドラマ。こんなイヤなやつ且つ差別用語でしか形容できない男を主人公にするなんざあ。ドラマでどう「描き変えるか」が見ものだ。つか、異形の山本勘助を内野聖陽なんていう男前に演じさせる時点で、相当に原作を変えているのだろうなあ。
 本書では武田信玄は脇役に過ぎず、単なる女好きの武将(もちろん合戦巧者なのだけれど)としての側面がクローズアップ。でもその女好きすら戦国武将の武器のひとつとして描くあたりはさすが。そしてやはり、勘助の由布姫に対する忠誠心が読みどころ。勘助の知らぬ間に信玄がこっそり側室を持ち、その側室が子供を産んだ事を知ったときには、ためらいなく彼らを殺そうとするくらいだもの。つまるところ勘助は譜代の家臣というわけではなく、自分が軍師として如何に手腕を振うかというところが大事なのだから、御家よりは信念に沿って動けるということか。
 残念なのは、由布姫を中心に据えるのなら当然出て来るであろう正妻との確執がほとんど描かれていないこと。それと、由布姫の生んだ勝頼を跡目に据えるためには不可欠な、嫡子義信の廃嫡のくだりが描かれていないこと。井上靖は合戦シーン中心なのね。むしろドラマチックなのは御家の中の勢力争いだと思うが。きっと大河ドラマではこのあたり、微に入り細を穿って描かれるに違いなく、今から楽しみなのであった。    (06.12.10)
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庭に孔雀、裏には死体・ドナ・アンドリューズ(ハヤカワ文庫)

 弟の婚約者サマンサ、親友のアイリーン、そして間もなく再婚する母のマーガレット。何の因果かこの3人の花嫁介添人を一度に引き受けてしまったメグは、それにまつわる膨大な用意に追われていた。3人の花嫁が揃いも揃ってメグに頼りっきりなのだ。衣装を選んだり、招待状の手配をしたり。なのに花嫁たちは「演出として庭に孔雀を放したい」だの「ついでに客間の模様替えも」だの「贈り物のリストを作れ」だの、仕事は増えるばかり。そんな中、メグは殺人事件にまで遭遇して──。
 アガサ賞、アンソニー賞、マリスドメスティックコンテストなど複数の処女長編賞を受賞したコージーの名作。コージーのコージー(心地よい)たる所以は、「殺されるのも犯人もイヤな人」という、読者の胸が痛まない構成になっているところ。もちろん本書も例外ではなく、だとしたら容疑者はぐっと絞られるのが常なんだけど、この著者の「イヤな人」の描き方が巧いのなんのって。嫌われてるのにも気付かずメグに言いよって来るバリー、悪意だけで構成されたようなジェイン、卑屈で得体の知れないジェイク、傲慢で腹に一物ありそうなサマンサなどなど容疑者には事欠かない。その被害を受けるのが主人公のメグなのだけれど、彼女がまたけっこう辛辣で、困難もユーモラスに前向きに受け止めるので気持ちよいのよね。まあ、あれもこれもと押し付けられているのを読むと、たまには真正面から「イヤだ!」って言ってもいいんじゃないかとも思うが、断って喧嘩になった挙げ句に式が失敗するよりは自分でやった方が早いし確実というメグのキャラにも共感。
 コージーの中でもドメスティックミステリに分類されると思うが、家族やコミュニティの描写も暖かくてユーモラスで且つ個性的で満足満足。キャラクターと言えばマイクルの店のヴェトナム人のお針子さんたちがナイスだぞ。ロマンスもちゃんと入ってるし(マイクルの事情については簡単に見当がつくが、楽しいからいいや)、何より謎解きがしっかりしてるのがいい。謎解きとユーモアとロマンスと生活感。すべてが過不足無く入ってるよ。これぞコージー!
 まあ、難があるとするならば、常識人が少な過ぎるってことか。メグと姉、そしてマイクルってあたりがせいぜいで、父親は離婚した筈なのに前と変わらぬ生活を続けるミステリマニアだし母親は上品な威圧系自己チュー(こういう母親キャラって多いよなあ)だし、近所の人々は殺人事件が起こってるってのにたいして気にもしてないし。楽しいっちゃ楽しいんだけど、もうちょっと普通の人を出してもいいんじゃないかしら。じゃないとメグはマイクル以外の人といるときはまったく息が抜けず、それは読者にも伝播するもの。   (06.12.12)
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野鳥の会、死体の怪・ドナ・アンドリューズ(ハヤカワ文庫)

 せっかく恋人同士になれたのに、実家ではプライバシーが保てない。メグとマイクルは二人だけで過ごすべく、伯母の持つ離島のコテージへ出かけた。ところが着いてみたら島は嵐、大勢のバードウォッチャーが溢れ、おまけになぜかコテージには両親と伯母さん二人、弟のロブに犬のスパイクまでいるではないか。二人っきりの時間など何処へやら、いいようにこきつかわれた上、島の嫌われ者の死体まで見つけてしまい──。
 一応「嵐の孤島」ものなんだけど、元気で暢気なのはコージーならでは。とは言え、よく知らないコミュニティで、全編冷たい嵐の中で、なんか冷え冷えじっとりな感じで
前作に比べると全体におとなしめ。天気のせいかな。読んでるこっちが風邪ひきそうになった。前回はまだおめでたい話だったから良かったけど、今回みたいな危険な嵐の中で娘に仕事を言いつける母親って……てなところにもチト抵抗があったし。救いはフィービおばさんか。「自分が殺した」と思い込んじゃったフィービおばさんの、その思い込みがエスカレートしていくというメグの説明にしばらく笑えたよ。
 ユーモアミステリ、あるいはコージーミステリにしては伏線がしっかりしてて謎解きが堪能できるのはこのシリーズの良いところ。今回は馴染みのないコミュニティの上に嵐ってことで、島の人々の関係やキャラクタを掴むほどの描き込みが出来てなかったのは残念だけど、思わぬ小さなことが伏線になって後につながっていく様は見事。ひとつひとつの手がかりを探すのに嵐の中に出て行くことになるのでちょっとドタバタ感が強くなってしまったものの、実はけっこう緻密なのよ。
 殺人以外のところで目を引いたのは、メグの強烈な母親マーガレットの若き日のロマンスかな。それがどんな副産物を生み、最終的にどこに落ち着くかといった部分の筋はなかなか面白い。犯人は誰かより、母のロマンスを父はどう思うかってところに読者はやきもきしちゃうんじゃないかな。そういう意味では、大団円となった最終章が最も楽しいかもだ。そうそう、楽しいといえば各章タイトルも楽しいぞ。邦訳では面白みが分かりにくい箇所もあるので、ぜひ訳者の後書きをご覧あれ。    (06.12.15)《この本の詳細情報&注文画面へ》

13羽の怒れるフラミンゴ・ドナ・アンドリューズ(ハヤカワ文庫)

 ヨークタウン記念祭でメグも鍛冶職人として販売ブースを持つことに。ただしこの祭は植民地時代を忠実に再現するという主旨で、実行委員長(メグの恋人マイクルの母親)は大はりきり。あくまでも時代考証に正確にするよう監視を怠らない。そんなとき、メグのブースで他殺体が見つかって──。
 うおおお、面白いっ! 植民地時代(18世紀頃かな?)の文化と、CD-ROMだの携帯電話だのが出て来る現代がステキに混じり合ってるよ。ジル・チャーチルの
「エンドウと平和」でも南北戦争時代を再現するイベントが出てきたけど、こういう企画ってアメリカでは多いのかな。祭りの楽しさ(と煩雑さ)、鍛冶職人としてのメグの腕とプライド、コミュニティの和やかさ、そういったものが十全に伝わって来る。ヴェトナム人のナイスなお針子さんも再登場したし。鍛冶職人としてのプライドを封じ込めて嫌々作ったフラミンゴが大好評だったという皮肉だとか、時代錯誤なものを摘発する係との戦いとか、夜中じゅう撃ちっ放すことになっている大砲を止める策略だとか、細かい描写がいきいきしててとっても楽しい。そして何よりクライマックスのエキサイティング&ロマンディックなことと言ったら。
 これまで家族にいいようにこきつかわれてきたメグだけれど、なんと未来の義母も同じようにメグを使うタイプだと分かり、メグのこの先が思いやられる。が、メグの母マーガレットが対抗意識を燃やしている(そして勝っている)あたりが実に頼もしい。マーガレットが地元の人に好かれてるのもわかったし、これは二人の結婚後(の親戚間抗争)が楽しみだあ。
 さてミステリ部分。とにかくしょっぱなからイヤーなヤツが複数出てくるので「この中の誰かが殺されて、この中の誰かが犯人なんだ。きっとそうだ。そうであってくれ」と思わせてくれる。一番腹が立つのは新任の保安官なんだけど、こっちにもちゃんと溜飲が下がるような手筈が整えられててOK。つまるところ、読んでる最中に相当イライラさせられても、それが最後にはすかっとするようになってるのよね。大事な手がかりとなる部分も「もしや……」という伏線がちゃんと仕込まれてるし。単なるキャラの個性を出すための造形だと思っていたものが、ちゃんと事件に結びつくんだものなあ。巧いなあ。ミステリ濃度と生活感が最高の塩梅で融合してる例だよこれは。うん、文句無し。お勧めお勧め。    (06.12.17)《この本の詳細情報&注文画面へ》

ハゲタカは舞い降りた・ドナ・アンドリューズ(ハヤカワ文庫)

 弟のロブが開発したゲームソフトが売れ、会社まで立ち上げてしまった。メグは手のケガで鍛冶仕事が出来ない間、そこの電話番を受け持つが、社員がペットを連れてくる上に野良ハゲタカまで拾ってしまい、まるで動物園のような会社に。そこでなんと社内で殺人が起こり、メグが第一発見者になってしまう──。
 わははは、コンピュータ・ソフト会社のプログラマの描写が楽しい楽しい。夜中にも必ずだれか社内にいたり、しょうもない悪戯に血道を上げたり、ゲームの登場人物がヌードになるようなプログラムをこっそり作ってみたり。いるよなあ、多いよなあ、こういうプログラマやSEって。おまけにそのヌードアニメを知った刑事が、「ただの裸のアニメの何がそんなに面白いのか、本物を知らないならともかく」というような意味のことを言うのよ。それに対しメグが「ここのプログラマたちはその可能性(本物を知らない)がある」と思うところなんか笑ってしまった。コンピュータ・プログラマに対する(当時の)オタクなイメージって万国共通なのね。今はだいぶ違うのかもしれないけど。いや、今の方が強まってるかな?
 というわけで会社の描写はキャラはまずまずだし、メグがみつけた手がかりをひとつずつ検証していくあたりも楽しいのだが、今回はミステリ部分がなー。このシリーズはコージーにしては謎解きがとてもしっかりしていて、そこが魅力のひとつだったんだけど、今回は推理するに足る伏線がほとんどないのが残念。確かに「ああ、ここがポイントだったのか」という箇所はあるんだけど、手がかりが出て来るのが遅過ぎる。
 ただ、その欠点を補って余りある(場合によっては更なる欠点になるかもしれないけど)のは、犯人との対決シーンでしょう。うわははは、こんなしょーもない、ドタバタの対決シーンなんて初めて見たよ。犯人の手には拳銃、メグは絶体絶命、そういうところで助けが入れば、普通助かると思うよなあ? それが──まぁあとは読んでくれ。こんなぐだぐだなクライマックス、ちょっと他にはないぞ。プログラマって使えねえっ!<と、著者が設定してるってだけなので誤解なきよう。    (06.12.18)
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猫は殺しをかぎつける・リリアン・J・ブラウン(ハヤカワ文庫)

 記者のクィラランは医者からダイエットを言い渡されたが、そんな時に限ってグルメ記事の仕事が。最初に訪れた取材先で彼は、昔の恋人ジョイと再会する。彼女は陶芸家と結婚し、彼女自身も陶芸家として作品を発表していた。そのジョイは今の夫と別れたいとクィラランに相談するが──。2006年現在で20冊を越える人気シリーズとなった、シャム猫ココの邦訳第1作。
 十数年ぶりの再読。もう中身はすっかり忘れていたなあ。あら、っと思ったのは、これがシリーズ第1作ではないということ。邦訳はこっちが先だったんだが、本国でのシリーズそのものは「猫は手がかりを読む」「猫はソファをかじる」「猫はスイッチを入れる」に次ぐ4作目なのだそうだ。なるほど、言われてみればシャム猫2匹にしろ、クィラランの同僚にしろ、いかにも「もうご存知よね?」と言わんばかりに、紹介が素っ気ない。けれどこっちを先に邦訳したということは、理由があるはずだよねえ。前3作との違いは何かといえば、3作目までと本作の間に20年近いブランクがあったことと、これが最もミステリの様式を踏まえているという点かしら。でもその割に、1作目の「猫は手がかりを読む」で容疑者となる人物が本作にも出て来るわけで、その時点で「猫は手がかりを読む」の展開を先にばらすことになるではないか。別にかまわないのかな、そういうことは。
 コージーの人気シリーズとしてよく紹介される作品ではあるけれど、主人公が男性というだけであたしのコージー・コードからははずれてしまう(生活感も薄いし)んだが、それは個人的な好みの問題なのでさておいて。とにもかくにもココとヤムヤム(どっちもシャム猫の名前ですよ)がキュートだなあ。もちろん彼らが何かを推理するわけではないのだが、彼ら(彼女ら?)の行動からクィラランがインスピレーションを得るというパターンは、数多い猫探偵物(三毛猫とかトラ猫とかさ)の例に漏れないが、本書での行動のキュートさは他の猫と比べて群を抜いてる。食生活レベルを落とされたココが抗議のタイプを打つという趣向もさることながら、体重を気にする飼い主が体重計に載ったとき、そっと後ろからその体重計に前足を掛けるのよ! 数字を見た時のクィラランと言ったら。もうおかしくておかしくて。
 つまるところ、クィラランは一応探偵役ではあるけれど、やはり物語を動かしているのはこの猫たちなのね。それが事件の謎解きに、なんとも絶妙に絡んで来る。ただまぁ、種を蒔くだけ蒔いておいて、事件までが長過ぎないかこれって。    (06.12.25)
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スイート・ホーム殺人事件・クレイグ・ライス(ハヤカワ文庫)

 お隣の奥さんが何者かに殺された。カーステアズ家の3人の子供は、推理作家である母親が事件を解決すれば評判になって小説も売れるだろうと期待一杯。ところはママは新作にかかりきりで殺人事件に興味無し。子供たちはしょうがなく、自分たちで犯人探しに乗り出すことにしたが──。
 ハヤカワ文庫版初版は1976年。30年前だ。その訳文のあまりの懐かしさに感動。古いと言われれば一言もないのだが、子供の頃に読んだ、当時の(当時にしても)古めかしくも暖かい翻訳文体が実に味わい深い。76年という年代を思い出すと、その時点で既にやや古めの文体とも言える。もしかしたら1944年という本国での出版年代を考え、原著のテイストも加味して、敢えて訳者が古さを演出したのかもしれないなあ。古い翻訳文体は読みにくいだけだと思っていたが、物語そのものが明るく軽妙なコージー且つジュブナイル的要素を持っているため、古さ故の堅苦しさは微塵もなく、暖かい懐かしさが先に立つのだ。最近は過去の名作を新訳で出すことも多いが、本書に限ってはこのままの訳で残って欲しいな。
 健全でしっかり者の長女ダイナ14歳、頭脳明晰でおしゃまな次女エープリル12歳(この子は将来とてつもない小悪魔になるぞ!)、何かと姉に対抗したがるやんちゃ坊主の末っ子アーチーは10歳。この3人の個性が炸裂し、大人を手玉にとり、捜査を大混乱させるくだりは楽しい楽しい。拳銃の音を聞いた時刻を偽証する「おじゃがを火にかけようとして時計を見た」というあたりなど、事あるごとに「おじゃがを」と連発するので、警官から「おじゃがはもういい」と言われてしまうあたり、まるでコントを見ているようで笑いそうになる(繰り返しのギャグという点では「9人の子を手塩にかけた」へっぽこ警官も笑えるぞ)。
 何より3人の行動の動機が、すべて「ママのため」なのが泣かせる。売れっ子作家にするために殺人事件に首を突っ込むのみならず、ステキな独身警部をママと縁結びしようとする、その可愛らしさ&賢さ。姉二人はお小遣いを溜め込んでる末弟をいろいろ言いくるめて金を出させるが、その目的は母親へのプレゼントであったり、母親にキレイでいてもらうための美容代であったりと、常にママのためなのだ。せっかくキレイにマニキュアをほどこした指で洗濯している母親を目にしたときにダイナの気持ちなど、その裏の計画を知ってるだけに、一緒に悲鳴を上げそうになるよ。
 もちろんミステリとしても言う事無し。主人公は子供でも、描かれるのは彼らの目を通した大人社会だ。これは何度読んでもいいなあ。いつまでも残って欲しいコージーの名作だあ。    (06.12.30)
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