じゃじゃ本ならし


ゼロの焦点・松本清張(新潮文庫)

 舞台は昭和三十年代前半。見合いで結婚を決めた禎子は、ろくに知り合う機会もないまま憲一と結婚した。新婚旅行から帰ってきた後、憲一は仕事で金沢に出張、そのまま消息を断ってしまう。禎子は彼の足取りを追って金沢に向かうが──。
 珍しいのは、若い新妻が主人公にして探偵役という趣向。加えてこの新妻は、新婚とは言え、今の夫婦みたいにラブラブではないわけだ。なんせ見合い結婚でロクに相手のことを知らないまま一緒になったんだから。新婚旅行でなんとなく心が通ったかな、という程度で。そこでいきなりの失踪だから、禎子としては「夫が心配」というよりも「何があったの?」という思いが先んじてしまう。憲一の妻でありながら、まだ夫のことをよく知らないし恋愛感情も育ちきってはない、そんな状況。だから夫の足取りを追うという行為は、失踪人探しであるとともに、自分の結婚生活への摸索でもあるわけだ。そういう女性視点を軸にしたミステリというのは、(当時は)珍しかったろうなあ。
 けれどそこにきっちり社会派のテーマを盛り込むあたりが、さすが清張の真骨頂。謎解き自体は、けっこう伏線があからさまな上に、多分に偶然が重なるのでやや興醒めな部分もあり、社会派の冠を抱きながらもトリックを大事にしてきた清張にしてはちょっとご都合主義なところが見える。恋愛めいた成り行きが今ひとつ中途半端で放り出されるあたりも落ち着かない。けれど本書で注目すべきは、その動機なのよね。
「砂の器」もそうなんだけど、この時代だからこそ成立する、この時代でなくては成立しない、そんな動機。当時は極めて一般への訴求力が強かったろうこの動機は、今読むと、「ああ、こういう時代だったのか」と考え込んでしまうような、当時の女性(今では70代、80代になんなんとする大先輩たち)の於かれた状況に思いを馳せてしまうような、そんな思いを起こさせる。自分が生まれる6年前にこの小説が書かれたということは、決して遠い過去の話ではないのだということも。
 笑っちゃったのは、ラストシーンが断崖絶壁の上だってこと。初読だった高校生のときには気付かなかったが、今読むと、失踪した夫を新妻が探すという設定自体今なら2時間ドラマっぽいのにラストシーンが断崖って! 完全に2時間ドラマじゃないか。いや、本書の方が2時間ドラマの流行よりずっと前なんだけどさ。     (07.1.9)《この本の詳細情報&注文画面へ》

かげろう絵図(上下巻)・松本清張(文春文庫)

 十二代将軍・徳川家慶に位を譲り自らは大御所となった家斉は、その後も権勢を振るい続けていた。そんなとき、花見の宴で家斉の側室・お美代の方が踏み台から落ちて死亡する。彼女は家斉の子を身籠っていたが、この死によって大奥の勢力図が変わることとなった。そして事故と思われたこの一件に、実はある思惑が潜んでいたことがわかり──。
 ここから物語は、家斉の死後にも権力を持ち続けたい側近一派と、それを阻止して政道立て直しを図りたい一派の戦いが繰り広げられるのだが、これはもう、清張の時代小説の最高傑作でしょう。絢爛にして贅沢。ダイナミックにして緻密。刀を振ったり川へ飛び込んだりの肉弾戦もあれば、騙し合い化かし合いのコンゲームもある、大奥の中での策謀が出て来たかと思えば、市井の小間物屋が大活躍したりもする。暢気で遊び人の冷や飯食い(でも実はめちゃくちゃ頭が良くて腕も立つ)なんていうチャンバラっぽいキャラ設定があったかと思えば、実在した歴史上の大物も出て来る。とある殺人事件に至っては現代の警察調書みたいな取り調べ記録が出て来る(このくだり、終戦直後の下山総裁事件を下敷きにしているという話を聞いたことがある。そう言われればなるほど、と思うぞ)。諜報も推理もどんでん返しもある。どこをどうとっても面白くないわけがないってくらい、時代小説としてのありとあらゆる魅力が詰め込まれているのだ。
 印象的なのは、勧善懲悪ではないってことなんだよね。一応、善玉対悪玉みたいな構図にはなってるんだけど、善玉側でも後半になると大事な人物がどんどん殺されちゃって、ええええ、この人途中で死んじゃうのかよ!と相当に驚かされる。なんとなく「善玉は死なない」という先入観があったもんだから、その容赦のない筆には「ちょっと待ってえええ」と泣きつきたくなるほど。おまけに物語が一応決着しても、後年、(歴史的事実として)それがハッピーエンドにならなかったことがさらりと伝えられる。これらの趣向によって、激しい鍔迫り合いや策謀の末に何かを為したとしても、歴史という大きな流れの中では、それらもほんの一時のがげろうのような、儚い足掻きなのだということを伝えて来るわけだ。そこで初めてタイトルの意味が大きく迫って来るのだよなあ。
 尚、「天保図録」が、時代的には本書の続きにあたる。合わせてどうぞ。     (07.1.10)
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信玄戦旗・松本清張(小学館)

 折しも今年(07年)の大河ドラマが「風林火山」、それにちなんで二十年ぶりに本書を再読。甲斐の武将、武田信玄の初陣から死までの生涯を綴った歴史小説ではあるが、むしろ小説というよりはドキュメンタリーに近い。数多の史料を駆使し、様々な図版を乗せ、物語性より研究成果発表といった感じなのよ。想像やフィクショナルなドラマ性は極力排している。松本清張が森鴎外に精通していたのは有名だが、鴎外の「歴史其壗」の考えを受け継いでいるのかしらん。
 かといって、つまらないわけでは決して無い。陣立てや合戦の様子などは史料に乗っ取り「説明」という風合いで進む中、ときおりドラマ性の強いシーンを挿入するのだ。山本勘助との邂逅や、信玄の側室となった諏訪の姫君の心中や、信玄が死に際したときの様子などは、それまでの史料引用とは一変して、まるでドラマのワンシーンを見ているかのように物語性豊かに描き込む。喩えて言うなら、清張のナレーションで歴史ドキュメンタリー番組を見ている中に、演技派の俳優による再現VTRが挟み込まれているとでも言おうか。だから尚のことそのシーンが心に残る。
 武田信玄の物語を思うとき、父親追放であるとか、長男廃嫡であるとか、側室たちと正妻の争いであるとか、そういうところにドラマを求めるタイプの読者や、史実をベースにその著者なりの新解釈を求めるタイプの読者には、ひょっとしたら物足りないかもしれない。けれどここには、そういったドラマや新解釈のために削られたり歪められたり装飾されたりしてきた「歴史記録」がそのままの姿で入っている。武田家の歴史。当時の周辺諸国の様子。合戦の際、状況に応じて変更される作戦。武田の保有していた軍隊の数字。軍備の配置。ドラマよりも歴史そのものを知りたいという人にはお勧めだ。
 著者のちょっとした蘊蓄も楽しいぞ。あたしは本書を読んで、20年ほど前の大河ドラマ「武田信玄」で武田家の人たちが声を揃えて「みはたたてなし、ご照覧あれ」と唱えてる意味がようやくわかったもの。「新羅三郎義光の御旗と、楯無しの鎧」の意味だったのね。それに頼山陽で有名な詩吟「鞭声粛々夜河を渡る」が、第四次川中島の合戦に由来する(武田軍の〈啄木鳥の戦法〉の裏をかき、上杉軍が夜のうちに音を出さずこっそり山を下って千曲川を渡った)てのも本書で知ったし。    (07.1.15)
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リチャード三世「殺人」事件・エリザベス・ピーターズ(扶桑社ミステリー)

 薔薇戦争で有名なリチャード三世。彼はずっと歴史に於いて悪役とされてきたが、彼を擁護し名誉を回復させようというファン(リカーディアン)の会に、彼の無実を証明する匿名の手紙が送られて来た。それを吟味し発表するために集まった会のメンバーたち。つきあいで参加することになった図書館司書のジャクリーンは、風変わりなメンバーたちに呆れ返る。ところがそこで、まるで歴史をなぞったかのような事件が起きて──。
 うわー、薔薇戦争のディーテイルをすっかり忘れている自分に腹が立ったよ。せめて「時の娘」の内容をしっかり覚えていたらなあ……。とはいえ、別にそのあたりの歴史に詳しくなくても、ミステリを楽しむ分にはさし支えない。もちろん知っていれば細かいお遊びまで堪能できるんだろうけど。「明智光秀の名誉を回復させるみたいなもん?」と適当に想像しながら読みましてよ。それで何の問題もなかったので、安心して御試し下さい。むしろこれから「時の娘」を再読しようとすら思ったし。
 かといって、決してお固い歴史ものではありません。歴史蘊蓄や「何かに熱中する人々の排他性」を、重くならずコージーに仕立てているのさ。探偵役のジャクリーンはゴージャズな赤毛の眼鏡熟女美人。この世に読んでないミステリはないと豪語する豊富な知識と、相手が二度と立ち上がれないくらいの強烈な毒舌で、バカどもをバッタバッタとなぎ倒す様は痛快。歴史をなぞるような「いたずら」の犯人探しと目的はまさに伏線と謎解きの醍醐味満載で「おお!」という箇所が随所にあるよ。
 ただ惜しむらくは、ただでさえ覚えにくい外国人の名前に対して、それぞれ役名があったりして、その役名も(当たり前だけど)極めてメジャーなありふれた名前なので、誰がいつどうやってどんな目に遭ったのか、ごちゃごちゃしちゃって分かりにくい。ストーリーの流れをただ単に楽しむならちょっとくらいこんがらがってもスルーできるんだけど、フェアに推理しようとするとそこがネックになるかな。翻訳物に慣れていて且つイギリス史を踏まえてる人ならそういうこともないんだろうけど。
 ちなみに本作はジャクリーン・シリーズの第2弾。1作目は未訳だそうです。シリーズは出来る限り順に読みたい大矢としては、こういう出され方をするとどうにも落ち着かない。原書で探してやろうかしらん。     (07.1.16)
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ロマンス作家「殺人」事件・エリザベス・ピーターズ(扶桑社ミステリー)

 図書館司書のジャクリーンはニューヨークへの休暇旅行を経費で落とすため、さして興味のないロマンス小説の大会に参加することに。ところがその場で、ロマンス作家たちを槍玉にあげていて毒舌コラムニストが急死する。病死か、それとも殺人か?
 読みどころは何と言ってもロマンス小説という特定ジャンルに関わる人たちやそのファンたちの造形でしょう。ここで言うロマンス小説ってのは、日本でいう恋愛小説とはちょっと違い、ハーレクインのような小説を指している。もちろん「風とともに去りぬ」のようなジャンルを超えた歴史的名作のロマンス小説もあるのだけれど、それが現在はやたらとハーレクイン化しちゃって、ストーリーは似たようなのばっかりだし、キャラクタも陳腐だし、エロが強調されるし、つまるところ記号化・形骸化しちゃてるんだけど出せば売れるしファンは熱狂してコスプレまでする(作家もコスプレする)という……うわはは、どのジャンルにもあるのねこういうのが。
 それを攻撃する側は「ロマンス小説とは『女性にはレイプ願望がある』というカビの生えた神話であり、男はいまだにそれを信じている。女性にとって男のゲスな妄想を助長することは、自己をおとしめるだけでなく、身の危険にもつながる」という論旨。この本の原書は84年の出版なので、今からもう20年も前の作品なのね。けれど80年代ならもう既にウーマンリブの「運動」は峠を越え、男女同権が(意識としては)当然になっていた時代。そんな時代なのに、いや、そんな時代だからこそか、こんな前世紀の価値観をひきずったようなロマンス小説がミーハー的に支持される。その皮肉。
 主人公のジャクリーン自身は「ロマンス小説の中にも良いものもあれば駄作もある」「駄作の大部分は過去の作品の焼き直しだ」と極めて冷静な目で騒ぎを見つめるわけ。それは極めてまともで正しい意見。ミーハーに騒ぐ人や殊更フェミニズムを振りかざす人を登場させつつ、ジャクリーンに中庸の位置で冷静にロマンス小説の魅力を語らせてるから、読者はロマンス小説に偏見を持つこと無く、むしろ「面白そう」と思ってしまう。それはおそらく著者自身がロマンス小説を愛してるからなんだろうな。別名義でゴシックロマンス色の強いミステリも書いてるし。
 事件は、そんな乙女心満載のロマンス小説界の裏側に入り込んで、ジャクリーンの八面六臂の奮闘と相変わらずの毒舌が楽しめます。ジャクリーンの口から出る皮肉は、出版界の構造から読者の怠慢に至るまでメッタ切り。ついニヤリとしちゃうぞ。クライマックスは「全員集めてさてといい」という王道パターン。思わぬ伏線もあるし、相棒になる警官もいい感じだしで、これはお勧めだあ。     (07.1.17)
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ベストセラー「殺人」事件・エリザベス・ピーターズ(扶桑社ミステリー)

 前作「ロマンス作家「殺人」事件」で(と言っても日本での出版はこちらの方が先)図書館司書からロマンス作家への華麗なる転身を果たしたジャクリーン。7年前に失踪した著名作家の死亡が認められ、彼女の遺作である大ベストセラーの続編を書かないかという仕事が舞い込んだ。やりがいのある仕事だが、いざ、その作家の自宅に拠点を移し取材を始めてみると、妙な出来事が次々と──。
 「裸でご免あそばせ」(徳間文庫)という邦題で93年に日本に紹介された本書が、新たに扶桑社ミステリーのラインナップに加わった。実はこれが前4作のシリーズ中で最新作。つまり日本での紹介順は4作目→2作目→3作目という順序になるのね。でもその順で読むと、光り物ジャラジャラのゴージャズな売れっ子ロマンス作家だったジャクリーンが、次の巻ではお固い図書館司書になってて戸惑わないか? まあ、話は独立してるし共通して登場するキャラクタもいない(あ、一人いた)から問題はないんだけどさ。あ、この順序だとむしろ「転身の理由はこれだったのか」という別個のサプライズが楽しめるのかな。
 まあ、それはともかく。いやあ、アガサ賞受賞作だけのことはあるわ。サスペンスフルだし面白いし、謎解きの醍醐味も意外性も充分! なにより著者の、さすがと言うしかない文学への造詣が随所に散りばめられてて、楽しいったら。登場人物の名前を見るだけで「ビバ、ブロンテ姉妹!」と思わず拍手。コージーなんだけど、こと文学趣味に於いては実に読み応えのあるシリーズなんだよねえ。
 ミステリの様式として考えてみれば、「あのパターンだな」というのはけっこう容易に気がつく。推理できるってことじゃなくて、「こういう書き方をされてるときは、このパターン」っていうデータベースの分類機能みたいな考え方だけどね。見当がつくのにぐいぐい引き込まれてしまうのは、「仕掛けはわかるけど犯人はわからない」という趣向としての巧さ、そして小さな田舎町を舞台にしたことでコミュニティの人々がコマとしてではなく十全に描き込まれているから。みんなほどほどに怪しくて、けれどみんなちゃんと地に足がついていて。こういうコミュニティが描かれると、コージーとしての暖かみが増すのよね。その描写に惹かれて素直に楽しんでいたら、意外な犯人にビックリするっていう趣向。物理的な犯人割り出しではなく、気持ちや事情といった「ホワイダニッド」を中心に謎を解くというのも好み。うん、ミステリ度合いといい、コージー度合いといい、文学歴史という著者の持ち味の出方といい、これは良いぞ!
 しかしジャクリーン、何歳だ? 色仕掛けが通用する、仕事もばりばりの熟女って、いいなあ……(うっとり)。     (07.1.17)《この本の詳細情報&注文画面へ》

待ち望まれた死体・キャサリン・ホール・ペイジ (扶桑社ミステリー)

 生まれも育ちもNYのフェイスは、ケータリング業を成功させマスコミにも取り上げられるほど。けれど恋人のトムは牧師。彼と結婚したため、フェイスは都会暮しもケータリングのキャリアも全て捨て、牧師の妻としてニューイングランドの片田舎で暮すハメに。生まれたばかりの息子は可愛いし手がかかるけれど、それでもフェイスにとって田舎暮らしは退屈でしょうがない。そんなとき、フェイスは偶然死体を発見してしまう──。
 退屈しのぎの好奇心から事件に首を突っ込むヒロイン像は正直好きではないが、コミュニティの様子が十全に描かれてるあたりはコージーのテイスト充分。おまけに都会から来たヒロインが、この街と人々は好きなんだけど田舎に染まるのはイヤってあたりが可愛いぞ。終盤に図書館司書から「昔からこの街にいるみたい」と言われ、そこまで馴染んでしまった自分にパニックを起こすあたりがオカシイったら。ただこの、都会もキャリアも捨てて夫についてきた、という選択にフェイス自身が実は迷いが残ってるのね。それが本書の最大の特長。「子供を持つ友人はみな、家にいるかいないかのどちらかで罪悪感を覚えているんです」というフェイスのセリフが全てを表している。ただその割に家事育児という生活感が薄いのは残念。でも今後ケータリング業を再開しそうだし、そうなると牧師の妻・ベンジャミンの母・仕事を持つ女というあたりのバランスが楽しめるんだろうな。
 そういう「女性のあり方」というテーマがミステリの背景そのものに繋がっていく過程もエレガントだ。謎解きとしてはユルユル。クライマックスなんて、思い切り行き当たりばったりなんだもの。およそ推理というものが無いんだよなあ。サスペンス優先でクラシカルな謎解きミステリではないのでしょうがないんだけど、実はけっこうドラマチックな展開だけに、もうちょっとミステリの様式を踏まえてると良かったのに。     (07.1.18)
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コーチ・マイケル・ルイス(ランダムハウス講談社)

 著者が子供の頃指導を受けた野球のコーチ、フィッツ。彼に心酔する生徒やその親は多く、彼の名前を冠した体育館を建てようという話まで出るほど。ところが同じ時期に、著者は意外な話を聞く。フィッツの指導に不満を持ち、彼を辞めさせようとしている父兄が少なくないというのだ。これはどういうことか? 著者は母校を訪れ、関係者にインタビューを試みる。
 
「マネー・ボール」の著者が綴ったノンフィクションで、もともとは週刊誌に連載されたものが反響を呼び、単行本になったのだという。もともとそうなのか、それとも翻訳のせいなのかは分からないが、少なくとも日本で出版されたこの本は「子供にも読める」ような体裁になっている。なるほど、確かにこれは子供に良い。けれど同時に、その親にも是非読んで欲しいと思わせる。
 OBやその親が感謝しているコーチに対し、今の親が反発を抱く理由は何なのか。コーチのフィッツは何も変わっていない、変わったのは親、そして学校の方だと著者は言う。フィッツの理念が、現代の親に通じなくなったのだと。自分の息子がレギュラーをとれないという理由で学校に怒鳴り込む親。自分の息子が飲酒を理由に試合からはずされランニングを課せられたとき「ダイキリを1杯飲んだだけなのに」と庇う親。7キロ減量する約束だった子が逆に5キロ太ってしまい、それを指摘されたら「子供がデブと言われた」と文句を言う親。そして「生徒は顧客だから」と親を諌めない学校。なんなんだこの構図は。
 肝心なのは、そんなフィッツの指導を受け、大人になったメンバーが、今、口を揃えてフィッツに感謝しているという事実だ。先を見ず、何が子どものために必要なのかを考えず、今、子供がイヤな思いをしないようにだけ心血を注ぐ親が徒党を組む。なんて恐ろしい。けれどそんな親たちだって(弁護士などの裕福な層が多いらしい)客観視すれば何が正しいかは絶対に分かるはず。自分の子のことだから見えなくなってるのかなあ……。だからこそこれは寧ろ、子供より親に読んで欲しいと思うのだ。
 ただ、子供向けで短く読みやすく作ったのが逆に徒になった感じは否めない。最初の数ページで結論は出てしまうので、やや物足りないのよ。あとは著者自身の思い出を交えながらフィッツというコーチの人となりが描かれるのだが、テーマ自体がとてもシンプル且つ教訓的なので、掘り下げるにも限界があるのかしら。より広範囲な読者に行き届かせるには、もちろんこの方が良いのだろうけれど。 (07.1.19)《この本の詳細情報&注文画面へ》

クッキング・ママは名探偵・ダイアン・デヴィッドソン(集英社文庫)

 7年耐え忍んだ暴力夫とようやく離婚が成立し、今はケータリング業を営みながら息子と一緒に暮しているゴルディ。とあるお通夜への仕出しを頼まれたが、なんとそこで前夫の父親が倒れてしまう。原因が分かるまではと業務停止命令をくらったゴルディは、生活のため事件の調査に乗り出した。レシピ付きミステリの先駆けとなった、クッキング・ママ・シリーズ第一弾。
 DVの傷はまだ癒えていないのに、ゴルディのことを憎んでいる前夫・ジョンと顔を合わせなくてはならないって状況は想像するだにシビア。ジョンはいまだにゴルディを攻撃し、辱めようとする。救いは夫の両親がヒロインに対して好意的なことと、同じくジョンの別れた妻の一人(!)であるマーラと親友付き合いをしているということくらいか。おまけに一人息子のアーチは反抗期で、そこに営業停止命令まで出ちゃって来月の生活費にも事欠くってんだから。コージーミステリに分類されているが、状況はぜんぜんコージーじゃない。
 暢気な邦題のせいで、なんとなくふくよかで鷹揚な初老のママが優しく謎を解くドメスティック・コージーだとばかり思い込んでいた(同じ先入観を持ってる人、いるでしょう?)が、とんでもない。ここに出て来る事件は女性としてとても辛いものだし、異なる立場でその辛さを味わう複数の女性たちはそれぞれの方法でその辛さと対峙する。戦おうとするもの、逃げるもの、目を瞑るもの。だから事実が少しずつ明らかになるにつれて、どんどん哀しい気分になっていく。
 けれどそんな物語がコージーミステリに分類されるには訳がある。ゴルディが前向きなのよ。日々の生活をきちんと送っている。怒ったり泣いたりもするけれど、パンを焼いたりコーヒーを煎れたりすることでネガティブな感情を治める方法を持っている。けれど決して耐えるだけではなく、言いたいことは辛辣なまでにハッキリ言うし行動力だってある(あり過ぎてヒヤヒヤするけど)。つまり、不幸に泣いてるだけの女性じゃなく、ちゃんと目の前のことをひとつずつこなして、地に足をつけて生活していける女性なのね。だから読者はゴルディが好きになるし共感もするわけだ。
 加えて、この文章がいいんだよなあ。パティ・スーの運転の練習に付き合うシーンなんて笑ったこと笑ったこと。不幸なんて何ほどのものよ、という気持ちにさせてくれる。いやぁな事件を扱い、いやぁな人たちが出て来るというのに、なぜか元気の出る不思議な作品。ミステリとしても(フェアではないけど)展開が巧いし、何より伏線の使い方が実に効果的なので、充分満足させてくれるぞ。    (07.1.20)
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クッキング・ママの捜査網・ダイアン・デヴィッドソン(集英社文庫)

 前夫からの嫌がらせから逃げるため、2ヶ月間の契約で息子共々大邸宅の住み込みコックとなったゴルディ。ところがその邸宅の住人もご近所さんも一癖ある人ばかり。そこでゴルディは昔の恋人・フィリップと再会し、ちょっとワクワク。ところがフィリップはゴルディの目の前で不審な死を遂げる──。クッキング・ママ・シリーズ第2弾。
 あら、
1作目と翻訳家が変わってる。でも、ちょっと雰囲気が違うのはそのせいじゃない。今回は前にも増して状況が重いのよ。うー、ホントに「コージー」なのかこのシリーズは。特に今回はゴルディが憎からず思っていた男性が目の前で死ぬというショッキングな出来事で幕を明け、それでも仕事は仕事として料理をしていたら新聞に中傷記事が載り、ケータリングしたホームパーティの参加者はなんか変な人ばっかりで、息子とも巧くいかないし、1作目と比べると読んでて息を抜けるシーンがほとんど無いのよ。普通はもっとめげるだろう。
 けれど彼女がめげない理由はおのずと分かる。途中、「なぜ暴力夫に7年も我慢したのか」という問いかけが出るが(このくだりがまたメゲる)それは生活の問題がひとつと、もうひとつは息子の存在。今の彼女がメゲずに前向きにいられるのは、この息子ってのが大きいんだろうなあ。息子への愛情が干渉になるあたりは、きっと世のお母さん方の共感を得るんだろうとつくづく思うよ。ま、逆に、子供がいなければとっとと別れて遠くに逃げちゃうってこともできるんだろうけどさ。
 ただ、ミステリとしては今回はかなり難有り。1作目のような伏線の妙も薄いし、事件と動機がどうもちぐはぐ。冒頭の事故も「どのように」はわかったんだけど、それだってヒントが出て来るのは随分とあとになってからだし、どうも多分に恣意的な感じがするのよねえ。おまけに、登場人物がやたらとエキセントリックなもんだから、動機を推し量るってことができない。キャラクタに感情移入しにくいというか、人となりを理解しにくいというか。もともと、本格ミステリのように理詰めで犯人当てをする話じゃないんだから、せめて人間性や動機で真相を納得させてくれないと。浮かび上がるドラマは確かにドラマチックではあるけれど、どうにも唐突で、戸惑いばかりが残っちゃった。
 でもゴルディの今後は気になるし文章は読みやすいので、シリーズは続けて読んでみよう。    (07.1.20)《この本の詳細情報&注文画面へ》


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