じゃじゃ本ならし


字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ・太田直子(光文社新書)

 著者は映画の字幕翻訳者。その仕事の実情と、日本語に携わる仕事であるが故に気になる言葉の話題を綴ったエッセイ集。
 映画の字幕っていうのが、制約の多い仕事だというのは分かっているつもりでいた。数秒で読まなくちゃいけないわけだから、文字数は少なく少なく。それでストーリーをちゃんと知らしめなくちゃいけないんだもの、必然的に「意訳」になるってもんだ。あたし自身、洋画を字幕で見てるとときどき「あれ? 今のセリフをそれだけで済ませちゃうの?」と引っかかることが無いでは無かった。「なんか、微妙にニュアンス違っちゃう気がするんだけど。っていうか略し過ぎ」と思い、でもいざ自分が同じ文字数で訳すとするとどうするか、と考えてみると、それ以外には考えられなかったりする。いや、その訳を考え出せること自体、なんともすごい職人芸なのだ。
 おまけに、問題は文字数だけではないことが本書を読んで分かった。もっとも膝を打ったのは、口の形の問題。「NO!」と登場人物が叫ぶような場合「駄目だ」とか「いや」とかにすると、口の形と語尾が合わない。だから「やめろ」にして「o」の形で終わるようにする──ひええええ、そ、そんな工夫が! その他にも、本国以外では知られていないだろう固有名詞をどう処理するかとか、一人称は俺か僕か私かなどなど、「へええ」と思う裏話が盛りだくさんだ。
 そこからの流れで「最近の日本語について」のエッセイに流れるわけだが、巷間よくある「最近の言葉って……」というおおまかなツッコミではなく、ものすごく細かいところを見ているのが面白い。「大地をいただけ!」というCMコピーに「いただく、という敬語に命令形があったとは」と指摘していたのが、特に印象的。確かに言われるまで気付かなかった。けれど、一般的な日本語ネタの章より、やはり字幕翻訳者としての話の方が数段興味深い。
 けれど、後半になるにつれて文章がときどき「こんなにたいへんなのに、わかってもらえない」という私怨ぽくなってくるのは、ちょっともったいないなあ。映画の内容を変えてしまうような訳を要求された、翻訳は右から左に出来るものではない、翻訳者が使い捨てにされている……うんうん、個々のエピソードは確かに「そりゃいかん!」と腹を立てるに充分な話ではあるのだけど、なんだかときどき、友達の仕事の愚痴を電話で聞いてる気分になってくるのさ。この新書のノリなら、文句も恨みも嫌みも、鷹揚に構えて「読み物」としてエンタメに昇華させて巧く笑わせてくれる方が、読んでる側も気持ちがいいし、その実、更に効果が増すと思うんだが。
 でも、総じて目から鱗の業界エッセイなのは間違いない。洋画好きな人にはお勧めです。   (07.9.3)
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ブラックウォーター湾の殺人・ポーラ・ゴズリング(ハヤカワ文庫)

 五大湖のブラックウォーター湾に浮かぶパラダイス島。画家のダリアは暴力を振るう夫から逃れて、故郷パラダイス島に戻ってきていた。ところが彼女の周りに現れる不穏な影。夫が追ってきた──しかし警察に通報しても不審人物は見つけられず、ついにダリアは嘘つきだと思われてしまう。そんなときに見つかった死体。殺されたのは──。休暇中、恋人と一緒にパラダイス島を訪れていたストライカー警部補は、現地の保安官マットに頼まれ捜査に協力するが──。
 一応、夏が舞台のはずなんだけども、なんとも寒々しい。だって夜の海に落ちたり夜の海に落とされたり夜の海を泳いだり、そんなシーンがやたらと多いんだもの。まあ、そんなこたあともかく。
 探偵役がプロの警官である点と、ダリアの置かれたあまりにシビアな状況を考えると、コージーの基準からはちょっとズレるかもしれない。でもこのコミュニティの描写が良いのよ! 小さな島で全員知り合いの住民。ゴシップ好きなおばさん二人や、気に入らない客が来ると「ショットガンを持っておいで!」と叫ぶ女丈夫のおばさん、とても優しいゲイのカップル、地域に溶け込もうとしない金持ち、男と見れば舌なめずりするお嬢さん、自惚れ屋の副保安官に、聞き上手な保安官事務所の事務員などなど。家事が起きればみんなでバケツリレー、用地買収の噂があると聞けば鳩首会議。そんなシーンのひとつひとつが、個々の人物の個性を発揮する場として丁寧に且つ楽しく且つ印象的に描かれている。
 そしてこのクライマックスと言ったら! もう、読んでるこっちが窒息しそうなくらい。さすがサスペンスの女王と呼ばれた著者だけのことはあるよなあ。あたしがこの人物なら3度は死んでる気がする。
 ぬるめのコージーに慣れた読者には「ちょっとこの話はシビア過ぎる」と感じられるかもしれない。コージーが「居心地の良い、御茶とケーキに合うような」小説だとするなら、確かに人によってはコージーの定義にはずれるかもしれない。でもね、コージーがミステリとして成立するためには、暴かれなくちゃならない犯罪が必ずある。そして犯罪があるということは、そこに人間の醜い部分や勝手な論理や悲しい動機が必ずあるってことなのよね。そんなものを暴いてみせた上で、けれど最後はみんなで「たいへんだったねえ」「ところであの件はどうする?」「そんなことより、そろそろご飯だよ」と日常に戻って行く。それこそがコージーの本懐だと思うんだが、如何?  (07.9.8)
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ハロウィーンの死体・ポーラ・ゴズリング(ハヤカワ文庫)

 ブラックウォーター・ベイの街に、またハロウィンの季節がやってきた。この街のハロウィンは度を超した馬鹿騒ぎが名物で、毎年驚くようないたずらが町中で繰り広げられる。危険なことがあってはならないと、街の保安官・マットは今から気が重い。そんなとき、マットに相談したいことがあると言っていた老薬剤師が急死する。今際の際にマットが聞いた彼の言葉は、数十年前のとある事件へと結びつき──。ブラックウォーター・ベイ・シリーズ第2弾。
 著者の別シリーズの主人公であるジャック・ストライカーと、本書の主人公マットが共演を果たしたのが、
「ブラックフィールド湾の殺人」。その後、まさかこの街の話が独立したシリーズになるとは! 都会人のジャックは登場せず、のんびりした田舎町に相応しくマットが探偵役だ。前作でたいへんな目に遭ったリンダもすっかり立ち直ってるみたいで(立ち直り過ぎでは?)良かった良かった。
 今回は、とある老人が死に際に遺した言葉が、大昔の犯罪を暴くという筋立てなのだけれど、最大の読みどころは、過去にある事件に関わった当時の少年たちは今では成長して街に欠かせない人物になっている、という点。ある者は町長になり、ある者は実業家として成功し、またある者は法曹界で活躍している。これまでごく普通に付き合ってきた「お隣さん」たち。でも、彼らにはとんでもない秘密があったわけで、狭いコミュニティを舞台にしたミステリでは、「お隣さんの隠された真の顔」ってのが最大の恐怖でしょう。
 「済んだ事」なんだから、それを暴いても誰も喜ばない。犯罪があったとしても時効だし。でも、マットはどうしても気になってしまう。そんなとき、新たな事件が起きて、もう過去を放ってはおけなくなるわけだ。そこに、若き弁護士と度胸満点の女性記者のロマンスなどをからめたり、思わず腰がくだけるような大笑いのハロウィンのいたずらを紹介したりして、なんとも楽しい。楽しさと怖さのメリハリがもう素晴らしいのよ!
 謎解きよりはサスペンスメインの筋立てなので、読者が推理するのは難しいんだけど、あとで「うわあ、あんな小さなところが伏線だったのお?」と軽く仰け反ったぞ。クライマックスの見せ方が巧いのね。過去と現代の二つの事件の関連が、もうちょっとあると良かったんだけどな。 (07.9.10)  《この本の詳細情報&注文画面へ》


凍った柩・ポーラ・ゴズリング(ハヤカワポケットミステリ)

 五大湖沿岸の街、ブラックウォーター・ベイは雪と氷の季節を迎えていた。凍ってしまった湾の上には釣り人たちが小屋を建て氷に穴をあけて釣りを楽しむという、毎年恒例の風景。ところがある日、その氷の下に死体が浮いてきた! 無惨な状態の死体を前に、身許確認を急ぐ保安官マット。その頃、街の高校では生徒が麻薬を使っていたことが分かり、家庭科教師のジェスが生徒の扱いに困っていた……。ブラックウォーター・ベイ・シリーズ第3弾。
 うわあ、いいなあ。巻を追うごとにコージー度が増していくよ。今回はFBIが出てきたりマフィアが出てきたりと、一見コージーらしからぬ要素はあるのだけれど、それもこれもすべてブラックウォーター・ベイの町民論理で描かれるので、あまり大がかりなクライムノベルってふうにはならないのさ。あくまでも「うちの町で、なんかたいへんなことが起こってるぞ!」というスタンス。本シリーズは、一応探偵役はマット保安官だし、それぞれにメインキャスト(今回は高校教師のジェス)が配置されてはいるけれど、主人公はこのブラックウォーター・ベイの町そのものなのだなあ。
 狭い、みんなが知り合いの町だからこそ、そこに何かが隠されていると皆がドキドキする。知らなかった、それ自体が事件になる。「自分たちが安全だと思って住んでいた小さな世界があまりに住み心地が良かったため、その世界の本当の大きさには気づかなかったのだ」(p.360)という一文にすべてが表されている。だからこそ怖くて、だからこそ「日常を修復しよう」と頑張る。
 今回は、麻薬に関してちょっとやんちゃが過ぎた女子高校生を巡る事件が大きな要素を占める。若い子が大人から見たらいかにバカバカしいことに一生懸命になるかに頷き、けれどそう感じる大人もティーンエイジャーの頃は同じだったじゃないかと指摘され赤面する。ジェスのロマンスにどきどきし、物理教師トムや保安官助手ジョージの嫉妬心に苦笑する(いつになったらジョージは年頃の娘は自己宣伝には乗らないということを学ぶのだろう、というくだりに大笑い)。キルトに雪かき、氷祭りに恋の鞘当て。そんな町人たちの様子に引き込まれて行くと、あっと驚く展開が待っているという次第だ。油断出来ないなあ、まったく。さすがサスペンスの女王。
 ただ一カ所、とってももったいないことが。これは翻訳であるが故にレッドへリングが効かないという、ちょっと残念な例だ。「この人も容疑者じゃーん、なんで考慮しないの?」と思っていたが、そうか英語ではそこに引っかけが生まれるのであった。まあ、そんなたいした部分ではないので大きな影響は無いのだが、もったいないねえ。そうそう、翻訳と言えばもう一カ所、アメリカ人の容姿を説明するのに「富士額」って出て来た……。いや、わかるけどさ。どうなのそれ。  (07.9.12)  
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死者と影・ポーラ・ゴズリング(ハヤカワポケットミステリ)

 経営者である叔父に誘われ、マウントビュー病院にやってきた理学療法士のローラ。けれど彼女の真の狙いは、彼女の前任としてこの病院で働き、殺人事件の犠牲となった友人のことを調べることにあった。紹介された病院のスタッフは皆、腹に一物ありそうな人ばかりで……。その頃、ブラックウォーター・ベイの町では、くだんの殺人事件は「シャドーマン」という伝説の殺人鬼の仕業だという噂でもちきりで……。ブラックウォーター・ベイ・シリーズ第4弾。
 おっ、今回はコージー度がちょっと減ってかなりシビアになったね。病院の中の様子(患者のおばあちゃんたちは和むぞー)と町の様子の二本立て。連続殺人が起こって、小さなブラックウォーター・ベイにマスコミが押し寄せ、保安官が「むきーっ」となるあたりは目に浮かぶよ。
 もうひとつ、今回の目玉はひねくれ者の入院患者、トム・ギリアムだ! 元刑事なんだけど、勤務中に大ケガを負って入院、一応治療は出来たもののリハビリをしなくちゃ歩けるようにはならない。でもトムはすっかりヒネちゃって「歩けなくったって別にいいや」とばかりにリハビリ拒否。ものすごく扱いにくい患者になってしまっている。このままだとホントに歩けなくなってしまうと、あの手この手でリハビリをさせようと頑張るローラとの、この二人の関係が読みどころだぞ。
 何よりトムは、このシリーズ一作め
「ブラックウォーター湾の殺人」で主人公を務めた(別シリーズの主人公でもある)ジャック・ストライカーの部下だったのだ。わあ、こういう繋がりって楽しいなあ。それが分かった頃から、「もしやこれはリンカーン・ライム形式になるのか?」とちょっとワクワク。ま、そうなったかどうかは別として。
 主人公がローラで、ブラックウォーター・ベイの町の描写が少ないのは残念だけど、サスペンスとして抜群にエキサイティングだぞ。どっちを向いても均等に怪しい人ばかりで、みんな少しずつ隠し事があって。大きなメインの事件は殺人事件なんだけど、その周辺に小さな謎がたくさんあって、そのそれぞれに色んな人の思惑が絡み合う。絡み合って大きな何か得体の知れないものを作り上げるのだ。巧いなあ。
 作業療法士のテリーが言った「マウントビューの問題は、みんなここだけが全世界だと思い込んで、何かあるとそれをとても重大に感じてしまうってことなの。でもそれは間違ってるのよ。(中略)時々は外に出なくては駄目」(p.91)という言葉が印象的。似たようなセリフは過去のシリーズにも出てきてて、小さな町を舞台にしたシリーズであるが故に「広い目を持って」というのを事あるごとに著者は書いている気がする。  (07.9.18)  《この本の詳細情報&注文画面へ》


すべての石の下に・ポーラ・ゴズリング(ハヤカワポケットミステリ)

 ブラックウォーター・ベイの町で、早朝、郵便配達人が殺された。保安官のマットはすぐに捜査を開始、ある手がかりを見つけて容疑者を逮捕するが、どうにも奇妙な点が多く起訴に踏み切れない。そうこうするうちに次の事件が起こり、なんとマット自身が容疑者になってしまった! おりしも町は保安官選挙を控えており、マット派の町民は黙っていられない。ついに素人探偵団を結成して調査に乗り出した──。ブラックウォーター・ベイ・シリーズ第5弾。
 うわあ、今までのシリーズでベストかも! 二転三転する展開、怪しいようで憎めない容疑者、長年に渡って培われてきた隣人愛、そしてはりきる素人探偵団(ブラックウォーター・ベイ・イレギュラーズだあ!)。つか、自分の見つけた容疑者が犯人じゃなくてガッカリする探偵団って……おかしいのなんのって。登場人物の個性も、クライマックスのドキドキも(タークル家の双子、グッジョブ!)、驚きの真相も、伏線の繋がりも、これはいいぞぉ。ケチをつける場所なし! 今回はロマンスがないが──あ、いや、あるぞ! とびきりのしっとりした滋味溢れるロマンスが!
 探偵団の中には、マットが起訴を迷っていた最初の容疑者こそが真犯人に違いないとする一派と、別に犯人がいるという一派がある。その前者を批評したマットのセリフにドキッとした。曰く「もし彼が犯人でないとしたら、だれか知っている人が犯人かもしれないということになるでしょう。親しい人が、つきあっているだれか……ひょっとすると、親戚の一人か、同じ教会のメンバーかもしれない。もしかしたら近所の人か。そういうことを一般の人は恐れるんです。都合のいい人間に犯人であってもらいたいんですよ」(p.90)──これがコージーの持つ最も怖いところだ。狭いコミュニティを舞台にするが故に、事件が起きたとき、犯人は自分の知り合いということになる。これまで親しく付き合ってきたご近所さんが、実は殺人犯人だったりするわけだ。町の描写が楽しければ楽しいほど、そこに潜む悪意が現れた時のショックは大きい。でも、そこから立ち直って日常の再構築を始める、それこそがコージーの魅力であり、読後感がいい理由でもあるのさ。
 何に笑ったって、一件落着してマットが素人探偵団に「もうこんなことはやめてくださいよ」と言ったのに対し、マーガレットが答えて曰く「そんな約束はしませんよ。もちろん、しませんとも」と一刀両断するくだり。うわあ、次巻以降がすっげえ楽しみなんですけど!   (07.9.19)  
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No.1レディーズ探偵社、本日開業・アレグサンダー・マコール・スミス(ヴィレッジブックス)

 プレシャス・ラモツエはボツワナでただ一人の女探偵。父親が遺してくれた家畜を売って資金を作り、探偵事務所を開業したのだ。彼女のところに持ち込まれる依頼は、夫の行動調査に娘の男関係の調査、日によって能力が変わる医師の謎などなどで──。
 えっ? 何なんだこれ、というのが読んだ第一印象。探偵社といいながら推理らしきものはないのよ。謎解きミステリを期待して読むと肩すかしを食うぞ。事件の解決はほとんど「カン」と「はったり」だし。つか、解かなくちゃならないような謎自体が殆どないし。まあ、ボツワナの風土を取り入れた民族的寓話というのが一番近いかな。なのに「サバンナのミス・マープル」はないだろー。第一、マープルは鰐を撃ったり蛇と格闘したりしないよっ。
 じゃあ駄目駄目かというと、そんなことはないから面白い。ミステリではないというだけで、アフリカという場所の持つおおらかさとシビアさが、物語そのものから立ち上って来るのだ。のんびりと、という意味の「ポレポレ」という言葉を思い出した。自然とともに暮らし、細かいことを気にしないおおらかな生活。けれど同時に、文明の立ち後れが招くさまざまな問題も、もちろんある。特に女性問題については、まるで戦前の日本を見ているようよ。昔ながらの価値観と、アメリカナイズされた現代的価値観が混じり合い始めたボツワナという舞台がなんとも興味をそそるのだ。それらの社会的問題を直接描くのではなく、ラモツエの生活を民族色豊かに描く事でアフリカの空気を伝えてくれるのが、また味わい深い。特に印象的なのは、このくだり。
 マ・ラモツエは考え事を中断した。かぼちゃを鍋から出して食べる時間だ。結局のところ、人生の大問題を解決するのはそれだ。考えつづけたってどこへもたどりつけないこともある。けれど、それでも自分のかぼちゃは食べなければならない。それで、現実の世界に引きもどされる。それが、生きる理由になる。かぼちゃだ。(p.118)
 うわー、深いなー。ときどき見せるこういった深遠な文章やエピソードがとても印象的で味わい深いのは確か。でも世界各国でベストセラーになるほどなのかなこれ。映画にもなるらしいが、あまりにサクサク読め過ぎるぞ。何がそこまでウケているのか(まさかボツワナという舞台の物珍しさだけではあるまい)、続刊も読んでみよう。   (07.9.24)
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キリンの涙・アレグサンダー・マコール・スミス(ヴィレッジブックス)

 ボツワナ唯一の女探偵、プレシャス・ラモツエは、腕のいい整備士、J・L・B・マテコニと婚約中。探偵社の仕事も私生活も順風満帆でとっても幸せ。そんなとき、彼女のもとにアメリカからの依頼人がやってきた。十年前にボツワナで消息を断った息子を探しているという。一方、マテコニ家のメイドはラモツエに敵愾心を燃やし、なんとか結婚を邪魔しようと画策。マテコニはマテコニで、孤児院で二人の子供を引き取るよう頼まれて──。ミス・ラモツエの事件簿第2弾。
 うわっ、やられた。
シリーズ第一作の感想で「世界各国でベストセラーになるほどなのかな」「何がそこまでウケているのか」なんて書いたけども、この第2作はいいっ! もしも第一作だけで見限っちゃった人がいたらば、騙されたと思ってこの2作目を読むがいい。民族的寓話エピソードをランダムに配置した前作に比べると、全体を通してひとつのストーリーがあるので入りやすいぞ。
 ──といっても、ミステリとして云々という意味ではないので念のため。事件とその謎解きは、前作同様「洞察力」と称した「カンとハッタリ」だから。消息不明の青年については、ラモツエはある人物の顔を見ただけで「こいつが怪しい」と思い、その人物と話しただけで「嘘を言っている」と見抜く。それは謎解きミステリではあり得ないこと。ただ、事件や謎解きが物語の中核にあるのではなくて、「何をもって解決とするか」こそがポイントなのだ。真相探しに価値を見出すのではなく、「当事者や周囲の人間は、どうすればいい?」というところを読ませる。そして「どうすれば」の部分に、アフリカ的おおらかさが発揮され、「ああ、いいなあ」と感じさせてくれるのよ。
 印象的なのは、小さいことは気にしない登場人物たちだ。孤児院で、身寄りの無い姉弟を押し付けられたマテコニは、「ま、いっか」と二人を連れ帰る。婚約者のラモツエにそれを知られた瞬間は慌てるものの、ラモツエも「ま、いっか」と受け入れる。一度に家族が出来た、ラッキーてなもんだ。ネガティブな予想をたてて行動を忌避する、ということをしないのね。みんなでいれば何とかなるさ、みんなで幸せになろうよ、といったとても前向きな元気に溢れているのよ。なんて素敵!
 全編に満ちあふれるアフリカ的価値観にドキリとすることも多い。金持ちなのに庭師を雇わない人物について、ラモツエは身勝手だと糾弾する。なぜなら「家事使用人を雇うのは社会的な義務だ。(中略)職業を持つ者が皆メイドを雇えば、メイドやその子供たちの食い扶持になる。誰もが家事や庭仕事を自分でやってしまったら、メイドや庭師は何をすればいいのか」(p.270)という考えの上に立っているから。ワーキングシェアの概念は、つまるところ助け合いなのだ。また「いつだってアフリカの人々はみな、動乱と失望のただなかで、まともな生活をおくろうとしているだけ」(p.268)という箇所にも横っ面を張られたような衝撃を受けた。アフリカ的おおらかさとは、無頓着なのではなく、よその国の誰かに勝手に抑圧された歴史の中で、その日その日を幸せに生きるための知恵なのだなあ。   (07.9.25)《この本の詳細情報&注文画面へ》


No.1レディーズ探偵社、引っ越しす・アレグサンダー・マコール・スミス(ヴィレッジブックス)

 ボツワナでただ一人の女探偵、プレシャス・ラモツエは、J・L・B・マテコニとの結婚を控えて準備に追われていた。住む場所の移動のみならず、探偵社をマテコニの自動車修理工場へ移すのだ。ところがマテコニの様子がおかしい。なんですって、マテコニが鬱病?! そんなときに飛び込んできた仕事。政府のお役人がやってきて、弟の嫁が財産狙いで弟を殺そうとしている、証拠を掴んで欲しいという。いろんな事が同時に起こって、ラモツエは大忙し! ミス・ラモツエの事件簿第3弾。
 いいなあ、巻を追うごとにハマっていくぞマ・ラモツエ! タイムマシンがあったら
シリーズ第一作の感想で「世界各国でベストセラーになるほどなのかな」「何がそこまでウケているのか」なんて書いたときの自分の前に言って、懇々と説教したいよ。
 まずひとつの要素は「ボツワナ版・ツレがウツになりまして」だ。でもラモツエは常に前向き。まず鬱病を知るために本を読み、医者に話を聞く。決してオロオロしたりしないのだ。そして自分の手に負えないと判断したら、すぐ頼りになる他人に頼む。うわははは、いいなあ。でもってマテコニがどうなったかというと……本書の別のエピソードも今後絡んできそうな展開なので、そこは本書を読んでくれ。
 マテコニがそんな状態で、じゃあ自動車整備工場はどうなるの? と思ったらあんた、秘書にして探偵助手のメガネのおばさん・マクチが八面六臂の大活躍! おまけにラモツエが探偵仕事で留守にしてる間、大口の依頼を一件こなしちゃうんだからすごい。マクチやラモツエの探偵術ってのは(日本人の感覚からすると)とてつもなく非論理的なのよ。でも推理とかではなく、人に会って話を聞いて「ああ、この人はこういう人なんだな」と確かめて正解を探す。最もシンプルだけど、最も間違いのない方法。正しい事は正しい、というゆるぎないベースがそこにある。だからミステリを期待しちゃうとそれは違う、と言うしかないが、でも「謎を解く」より「事件を解決する」が優先すると考えればこれが正解なのよ。
 和む。めちゃくちゃ和むよ。そして元気が出るよ。実を言うと最初はね、「都会人が田舎を持ち上げるみたいに、プリミティブな後進文化を珍しがってるだけじゃないのか?」と自問自答してたのよ。でも今回読んでハッキリわかった。違う、違うよ、そんな見下し目線じゃないよ。ラモツエがとびきり魅力的なのよ。先進的なのに保守的で、頑張り屋なのに張り切り過ぎない。情に脆いけど言う時ははっきり言う。何より自分の価値観をしっかり持っている。こんなかっこいいヒロイン、憧れずにはいられないって!    (07.9.27)《この本の詳細情報&注文画面へ》


フィラデルフィアで殺されて・ギリアン・ロバーツ(ハヤカワ文庫)

 アマンダは30歳、独身。職業は教師。結婚をせっつく家族にいらいらしつつ、猫と一緒に気ままな日々を送っていた。ところがある朝、さして親しくもない同僚のライザが訊ねて来た。そのライザが殺され、第一発見者のアマンダが容疑者にされてしまう……。
 前半、とても楽しく読めた。コージーミステリを構成するに必要な要素──やたらと電話をかけてきて結婚をせっつく母親、刑事のマッケンジーとのロマンス、専業主婦で一児の母親でもある姉の存在(特に、アマンダとマッケンジーをなんとかくっつけようとあれこれ工夫するくだりは最高!)、教師という仕事上のあれこれ、個性的に過ぎる隣人たち、そしてフィラデルフィアの小さな町の風土やイベントがふんだんにつまっていて、「ああ、これぞコージーだなあ」とにこにこしながら読めるのよ。
 特にマッケンジーとのロマンスは、その過程が秀逸。刑事と事件関係者として出会い、そのままなんとなくいい感じになるという安易なコージーが多い中で、容疑者扱いされたアマンダがマッケンジーと舌鋒鋭くやりあったりしてるうちに、なんとなく気にかかるようになる──という、その変化がなんとも絶妙なのだ。一緒に食事をしに行って、レバーを注文しても嫌な顔をしない、という点にチェックを入れたりする。なんだその基準は。でもそういうディーテイルが「相手の評価の変化」を知るのにとてもよく生きている。
 ただ。ミステリ部分がなあ……。「どこかに伏線がありましたでしょうか」と著者に訊きたいよ。確かに消去法でいけばこの人が残るし、アリバイはないし動機はあったかもしれんけどさあ、それにしたってこれじゃあカタルシスってもんが……。せめてアマンダが「あれ?」と思った某小道具だけでも、もちょっと前に出しておくとか。
 フェアなパズラーにしろとは言わないけれど、読み終わったあとも「で、なんでこの人が犯人だったんだ?」と思ってしまうようでは戴けない。クライマックスでの犯人との一騎打ちシーンがものすごくサスペンスフルで手に汗握る出来だっただけにもったいない。コージーは人間の心根や隠された本性といったものが事件を起こすケースが多いのだから、せめて動機だけは納得出来る形で見せておいて欲しかったなあ。事前に出せないのなら、あとで説明してくれるんでもいいからさ。欲求不満のまま、パスっと話が終わってしまったわい。   (07.9.29)
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