じゃじゃ本ならし

2008年8月に読んだ古本雑感文

#08-151 
笑う招き猫・山本幸久
#08-152 マリアの月・三上洸
#08-153 樹の上の忠臣蔵・石黒耀
#08-154 ランボー・クラブ・岸田るり子
#08-155 疫病神・黒川博行
#08-156 国境・黒川博行
#08-157 三幕の殺意・中町信
#08-158 ロジャー・マーカトロイドのしわざ・ギルバート・アデア
#08-159 その死者の名は・エリザベス・フェラーズ
#08-160 大きな枝が折れる時・ジョナサン・ケラーマン

今月の新刊書評に飛ぶ

笑う招き猫・山本幸久(集英社文庫)

 駆け出しの女性漫才コンビ、アカコとヒトミ。150センチの豆タンク・アカコと、180センチのノッポのヒトミは、初ライブでまったく受けずに大撃沈。テレビ出演が決まった同僚のお祝いの席では彼らのセクハラにブチきれてグーパンチ。お金もないし彼氏もいないし、なかなかうまくいかないけど、男と並んで愛誓うより、女と並んで笑いを取る、それが二人のしあわせなのだ!
 あははは、楽しい楽しい。話自体はね、女性漫才コンビっていうのはチョイ珍しいってくらいで、それ以外は極めてよくあるパターンの“貧乏でトホホな青春だけど、あたしら前向きに頑張るぜ!”ってなものなのね。昔は粋筋だったお祖母さんとか、オカマのメイクさんとか、女房に逃げられ小さな子供を抱えてる売れない芸人とかのキャラ造形なんかも、少し古いと感じてしまうくらいの定番で。なのに、いや、だからからもしれないが、くいくい読ませるんだよなー。定番ということは即ち分かりやすいということで、その分かりやすさを武器に話はポンポンとテンポよく進む。お笑い界という仕事の中での序列、巧い人が売れるわけでもないという現実、家族や友達の協力、コンビの二人の環境の違いから生まれるすれ違いなどなど、青春小説に必須な要素がしっかり網羅されてて。
 それだけなら「よくある話」なんだが、何よりやられてしまったのは、二人の歌だ。この二人は即興でよく歌を歌う。いや、歌っつってもさ、もちろん小説だから歌詞しか書かれてなくて、メロディはこっちで勝手に補完するしかないんだけども、たとえば二人の自己紹介なんてこうですよ。「♪野を越え山越え肥えてしまったこのからだ やせて可愛くなるよりも 太って笑いを取りたい♪」アカコと「♪野を越え山越え越えてしまった百八十センチ 猫背でOLやるよりも 胸はって笑いを取りたい♪」と心を決めたヒトミ。うまいよなあ。うん、うまいよ。なんかね、これだけの自己紹介の中に、二人の性格と強さがにじみ出てる気がするのね。
 もうひとついいな、と思ったのは、二人が「漫才」を目指していること。テレビよりも舞台、いつかはカーネギーホールで漫才を、という夢がある。だからここに描かれているのは、「売れっ子芸能人になるために頑張る二人」ではなく「面白い漫才を見せようと頑張る二人」なのね。合宿をしてネタを仕上げていく過程なんか、「へええ、なるほどねえ」と感心しちゃうこともしばしば。二人の造形がしっかり肉付けされてて、目に浮かぶように描かれているので、本当に二人が舞台でこの漫才をやっているように見えてしまって、漫才シーンは小説というより二人の漫才そのものを楽しんでしまったり。こういうストーリーで漫才部分がつまんないと一気にガタガタになるんだが、そこが巧いから納得して読めるのだ。
 仲の良いコンビのはずなのに、言うつもりもなかった一言を感情に任せてつい口走ってしまい絶交状態、というのも極めてよくあるパターンなのに、この二人だとその定番すらハラハラして見守ってしまう。そんな魅力がキャラにある。ラストの二人の歌の、すばらしいことと言ったら! 最後の歌を読むために、この一冊はあるのだ。   (08.8.2)
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マリアの月・三上洸(光文社)

 ある事情で自分の絵が描けなくなった画家・本庄敦史は、知的障碍者更生施設ユーカリ園でアートワークグループの講師をすることになった。そこで生徒の一人、真理亜に、類い稀な絵の才能があることを発見。障碍のため言語を持たない真理亜は、見たものをそのまま正確に記憶出来るカメラアイの持ち主だったのだ。本庄の指導で絵という感情の発露を知った真理亜の絵筆はとどまるところを知らず、次々と絵を書き上げていった。そしてその中に、真理亜が幼い頃に目撃した殺人の現場が描かれていたのである。その殺人に関わっていたある“組織”がそのことを知り、真理亜を狙い始めて──。
 いやあ、すごいな。怒濤だな、これ。分厚い本なのに読み出したら最後まで一気だった。障碍者施設で絵を教える画家と、言葉を持たない女性。彼女が幼い頃に殺人現場を目撃したことは読者には先に知らされているので、彼女がカメラアイの持ち主であり、なおかつ絵の才能があると分かったときには、「なるほど、それがサスペンスの核になるんだな(わくわく)」と期待が膨らんだ。
 でもね、次に感じたのは、実は違和感なのだ。まさか相手がこんな大物組織──国政にも入ってるような極左の前線派だとは。牧歌的なアートワークグループの描写と、劇画的な政治組織(頭にチップを埋め込んだ殺し屋使ったり、札付きの息子が薬で女の子を奴隷にしてたり、台詞回しもいかにも「悪の組織」っぽくしてたり)の描写のバランスが、どうも脳内で巧く釣り合わない。この段階では「普通の市井の殺人事件じゃダメだったのかな。ある程度の権力が必要なら自治体とか病院レベルでとめておいても良さそうなもんだが、敢えてこんな極左にしたのはどうしてなんだろう」と感じてた。そこがチト気になりながらも、怒濤の展開に飲まれたと思いねえ。
 いや、怒濤の展開というよりも。中盤は、本庄と真理亜を襲う様々な障害にいちいち怒ったり悔しがったりしながら読んで、他のことを考える暇がなかったと言った方がいい。“組織”もさあ、それだけの力があるならもっとサクっとスマートに処理しちゃえばいいじゃないかー。それを、善意を装って二人の大事なものを悉く踏みにじるような方法をとるなんて、もう腹が立って腹が立って。芸術家とか障碍者とかってのが、彼らにとっていかに「どうでもいいもの」なのかがビシバシと伝わって来て、本庄と真理亜にすっかり感情移入してるこちら側としてはひたすら腹が立つのである。
 でもそれって、つまりは著者の術中にハマってるってことだよな。真理亜が仲間と一緒にフレスコ画を描くシーンの神々しさに圧倒され、終盤の怒濤のアクションにはすっかり魅せられ、興奮し、そしてなんとも爽やかで暖かなエピローグに胸が震えた。ここまで読んでようやく分かった。これは、男が命を懸けて愛する女を守るハードボイルドなのだ。だからこそ、戦う敵はどこまでも強大で、且つどこまでも悪でなくてはならなかったのだ。それが男の愛の強さを証明することになるのだから。    (08.8.4)
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樹の上の忠臣蔵・石黒耀(講談社)

 大阪在住でチャンバラ小説好きのお父さんが、道楽でツリーハウスを作った。妻にも二人の娘にも好評だったが、ある夜、ツリーハウスで娘たちがコックリさんをして遊んでいると、なんとそこに幽霊が! その幽霊は自分が赤穂藩城代家老・大野九郎兵衛の部下だった荘右衛門であると名乗ったのだ。そして彼の口から、あの赤穂浪士討ち入りの“真実”と、大野九郎兵衛の真の目的、そしてそれが見事後世で実ったという話が語られた──。
 いやびっくりだ。地震だの火山噴火だののクライシスノベルばかりを手掛けてきた石黒耀が忠臣蔵とは。しかも現代の大阪人のところに忠臣蔵関係者の霊がやって来て、掛け合い漫才よろしく話が進むとは。“新境地”なんて大上段の表現が似合わないくらいコミカルで、けれど歴史小説としての話の辻褄は悉く合っていて、しかも視点が新鮮で面白い。いやあ、こりゃやられたなあ。
 あたしは常々、歴史小説というのは「根も葉もある嘘」だと思っている。いろいろな資料や巷間仕えられている史実を繋ぎ合わせ、それらと矛盾させることなく「あり得たかもしれない新しい物語」を作り上げることこそが歴史小説の醍醐味。タガがはずれれば単なるトンデモになってしまうところに、いかに説得力を持たせ「そうかもしれない」と読者に思わせられるか否かが作り手の腕の見せ所だ。そして本書は、その理想にピッタリなのだ。
 赤穂浪士討ち入りが柳沢吉保の陰謀だったという説は今やすっかりメジャーだが、大野九郎兵衛という人気のない(というか寧ろ仇役として描かれることが多い)経済官僚を中心に、あのときの赤穂藩が置かれた財政状況から事件を読み解くってのは実に面白いよ! 当時の経済の仕組みなど、普通に真正面から説明されると地味過ぎて退屈しそうなところを、現代人との掛け合い漫才にして分かりやすく面白く伝える工夫が効果的だ。人の気持ちも、金で動く政府も、現代と何ら変わらないということを国の金庫を預かる大野九郎兵衛を通して語る。見直したよ大野様!
 話はそれだけでも充分面白かったのだが、つまるところこんな無茶な討ち入りを促した上に責任を遺棄した幕府が一番悪い、ということになり、大野様(すっかり様づけ)が倒幕を考えるあたりから話はどんどんエキサイティングになっていく。まさか忠臣蔵が幕末の討幕運動に繋がるなんて、誰が想像したろう。ただ幕末の長州のくだりはやや急ぎ足で漫才色が減ったためトーンダウンした観は否めないのだが、それでもこの「繋がり」は歴史好きとして充分堪能したぞ。「もしや……」と思わせる資料も呈示してくれるし。
 そして何より。政治家が保身と金を大事にするのは今も昔も変わらないんだと散々説いてきたあとで、主人公がラスト近くで「我々は殺し合いをせずに為政者を変える力を与えられている」と考えるくだりが印象深い。お笑い満載のエンターテインメントにひっそりこんな一言を入れてくるあたり、石黒耀、油断できない。    (08.8.7)
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ランボー・クラブ・岸田るり子(東京創元社)

 登校拒否中の中学生・菊巳は、色覚障害を扱ったサイトでランボーの詩を見つけた。フランス語など習ったこともないはずなのに、なぜこの詩が自分に読めたのか? 自分の出生や幼い頃の記憶に疑問を持っていた菊巳は、更にその疑いを強めていく。そしてある日、その詩の一部が書き換えられ、その書き換えられた内容をなぞったかのような殺人事件が起きた──。
 読みながら、楽しみながらも、だんだん心配になっていった。「なんだか話がどんどん拡散して、その割に登場人物は少ないけど、大丈夫か?」と。大きなお世話ですかそうですか。いや、だってさー、過去を消して生きる母子に色覚障害にアイデンティティ探し、ってなあたりで普通は充分一本作れそうなモチーフでしょ。そこにヤクザの恐喝、占い師、物理トリックの密室殺人、犯罪予告めいたウェブサイト、拉致監禁、“21世紀本格”ネタ、お笑い探偵事務所という、毛色の違うものがどんどん重なって来る。新たな要素が出てくれば出てくるほど、物語の色合いってのがどんどん拡散していくのよ。これはいったいどういうジャンルなんだと。いや、ジャンルは本格ミステリなんだけどもさ、中核にあるのは何なんだと。読者はどんなモードで読めばいいのかと。そういうあたりが気になって気になって。もちろん、それらすべてが結びつくからこそ本格ミステリは面白いわけですが。
 その結びつきは(やや弱い部分もあるけど)なるほどと思わせる。「ああ、そうだよ前に確かにそう言ってたよ!」という微妙な伏線の仕込みが上手なのね。探偵事務所の面々のくだりはテンポも良くて読みやすいだけでなく、混線する情報を巧く整理して読者に届けてくれるという大きな効果もあって感心。毛色の違う情報を1本の線にまとめるにはうってつけ。まあそれでも、あの密室トリックはちょっと浮いてた観は否めない……。なんとなくトリック萌えの読者に対するサービスのようにも思えたんだが。
 驚かされたのは家族との関係だ。読者がいろんなことを疑うように仕向けながらそれをひっくり返す技はさすが。ミスディレクションがミスディレクションと思えないほどハッキリとひとつの方向を示しているので、つい騙されちゃったのよね。犯人自体は簡単に見当がつく(あ、背景やトリックまで推理できるという意味ではありませんよ。複数の要素に関係ありそうなのはこいつだけじゃん、というのがハッキリしてるという意味です。やっぱ登場人物少なすぎるよ)んだが、犯人がわかったからと言ってそれ以外の人が潔白かどうかはわからない。犯人が誰かということよりも、主人公の少年が信じるに足るものを探し出せるかどうかに引っ張られ、なんだかんだでハラハラしながらの一気読みだったのは確か。
 それにしても、色覚障害という造形がもうちょっと事件に、というかトリックに絡むんじゃないかと予想してたんだが……それはスレた読者の深読みだったか。    (08.8.10)
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疫病神・黒川博行(新潮文庫)

 二宮の仕事は建設コンサルタント。具体的には、建築現場でのヤクザ絡みのいざこざを、提携している別の暴力団と一緒に捌くという仕事をしている。そんな二宮が産業廃棄物処理場を巡るトラブルに巻き込まれた。最初は普通の仕事だと思ったのに、話がどんどんきな臭くなって来たのだ。複数の暴力団体が入り乱れる中、二宮は縁のある二蝶会の桑原というヤクザとコンビを組むことになった。ところがこの桑原がとんでもない男で、事態はどんどんややこしく──。
 うわはははははは! 産廃処理場とか利権とかっていうからどれだけ固い社会派かと思えば! お笑いだろ、お笑いだろこれ。二宮&桑原の漫才コンビの話だろ。うわははは!
 いや、もちろんね、そこには利権に群がる様々な人間関係とか、彼らの求める真実はどこにあるのかというミステリ的興味もあるのだけれど、ストーリーの中核は二人の関係であり、二人の漫才だよ。会話がいちいち面白くて、もう……。だいたいね、ひとつの事件を追ってるときに逆境に遭ったら、それにどう対処し、どう切り抜けるかってのが小説のひとつの読みどころになるってもんでしょ? ところが、そういうときの二人(特に桑原)の対処は「暴力」か「逃げる」しかないのよ。そのときどきで逆境やトラブルの種類は違うし、重要度も違う。ストーリーを大きく動かす対決もあれば、ただクダまいてるだけのケンカもある。それが桑原はぜんぶ一緒なの! だから読んでるこっちも、この喧嘩が重要なんだか何なんだか分からず、ただひたすら二人のドタバタを楽しんじゃうんだよなあ。いいのかなあ、こんな読み方で。
 いずれにせよ、本書の最大の魅力はこのコンビにあることは論を俟たない。あたしはモトモト非常識で自分勝手な強引キャラっていうのは嫌いで、そういうキャラクタに振り回される主人公っていう構図の小説は好きじゃないのよ。でもって本書は、その典型例なわけだ。ところがこの二人はイヤじゃない。積極的に好きだ。それはなぜかというと、二宮が負けてないから。確かに二宮は渋々桑原についていくし、迷惑ばかり被ってる。だけど二人の会話を読んでると、けっこう二宮も言いたいこと言ってるのよ。殴られ蹴られ殺されそうになって、普通なら桑原を恨むところを、「疫病神だから」「腐れ縁だから」で済ませる。そういう度量の大きさを感じるのだ。何より、本当はこいつら、お互いのことが嫌いじゃないよな、というのが伝わってくるんだもん。
 そう、それが何より不思議なこと。普通、こういうコンビものって、それでも二人の間に絆みたいなものがあるって展開になるもんなんだが、二人にはそれがない。二宮が殺されかけようが、桑原は一人だけとっとと逃げる。二宮はこっそり桑原を出し抜こうとする。どう考えても仲悪い。それなのに読んでいくと「こいつら絶対、お互いのこと好きだよな」と思えてならないのだ。なんとも不思議な魅力だよなあ。    (08.8.12)
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国境・黒川博行(講談社文庫)

 経営コンサルタントの二宮が請け負い、仲介した仕事が実は詐欺だった。相手は金を持って北朝鮮へと高飛び。二宮の顧客はヤクザがらみなのでこのままでは収まらない。二宮は二蝶会の構成員・桑原とともに北朝鮮に入国することに。観光ツアーに紛れ込んだ二人だったが、果たして北朝鮮という国で詐欺師を見つけることができるのか? 「疫病神」に続く、二宮&桑原コンビシリーズ第2弾。
 うわー、これはすごいな。著者は実際に北朝鮮に取材旅行してきたらしいよ。それも「二度の潜入取材」って単行本の帯に書いてある……(どきどき)。そしてもう、その北朝鮮の描写は圧巻! イケイケヤクザの桑原でも、さすがにこの国では実力は発揮出来ない、援助者に従うしかないってあたりがリアルよ。「疫病神」ではすべての障害を「暴力」で乗り切ってきた桑原でも、今回はそれが使えず(だってシャレにならないもん)、「暴力」もしくは「賄賂」という方法をとるようになる。「疫病神」を読んだ人ならわかるだろう、桑原が暴力を振るわず賄賂で場を凌ぐということの意味が。それだけの国なのだ。
 観光ツアーとは言え、見る場所も通るルートもすべて決まっていて勝手な行動は許されない。ホテルは立派でもエレベータは動かない。インフラは整備されてもソフトがない。電力の通ってない地域も多いし、何より驚いたのは人民の階級が生まれながらにして51階層に分かれているということ。下層の人々は一生そこから抜け出せないのだ。今「そこから抜け出せない」と書いたら「底から抜け出せない」と最初に変換されたが、それが変換ミスに思えないくらいの実態。そんな状態になってしまった理由が本書で綴られる。そのひとつひとつに考え込まされる。
 しかしもちろんこれは北朝鮮ガイド本ではない。疫病神コンビの物語なのだから、「たいへんな国ですね」で終るわけがない。制限の多い観光ツアーでは、目当ての詐欺師がどの都市にいるかまでは突き止めたものの、そこへ行けるはずもなく、一旦は帰国する二人。しかし彼らは次に中国に向かう。なんと「北朝鮮に密入国するため」に! うわあ、大丈夫か。中国人行商人のふりをして入国するのだ。しかし入国よりも密出国の方がもっとたいへん。ここらあたり、実際の脱北者の例なども紹介され、なんともずしんと来るのだが、次第に桑原が桑原らしくなっていくのもこのあたり。そして──「えええっ!」と驚くような事態になるのだが、そこはまあ、読んでくれ。桑原と二宮の「相棒としての絆なんかねえだろ、こいつら」という可笑しさが満載だ。
 この北朝鮮の状況を小説に仕立て上げるというだけでもすごいんだが、何よりすごいのは、そこにわざわざこの疫病神コンビを持って来たことだと思う。黒川博行ならノンシリーズでも充分書けたはずなのに、敢えてこのお笑いコンビを持ってきた。日本人には想像も難しいような国のありようを描写しつつ、そこにこの二人の漫才が入ることで読者はほっと一息つける。彼らの会話に救われてどんどん話に入っていける。絶妙のバランスだ。北朝鮮問題を扱いながらもエンターテインメントに仕上げるなんて、ものすごく難しいことだぞ。手に汗握る展開からラストの爽快感に至るまでもう、言うことなし!    (08.8.15)《詳細情報&注文画面へ》 back  back


三幕の殺意・中町信(東京創元社)

 昭和四十年、尾瀬の山小屋に集まった客たちは、ある思惑を持っていた。この山小屋の離れに住んでいる日田原聖太という男にそれぞれ恨みがあったのである。それを知ってか知らずか、夕食の席で客の一人一人を挑発する日田原。そして雪に閉じ込められたその夜、日田原が殺された。客の一人だった津村刑事は警察に連絡するとともに、自ら事情聴取を始めたが──。
 七年ぶりの新作とあるけれど、実際には昭和四十三年に雑誌掲載された中編に加筆したものだそうです。なのでケータイはないし、戦後のどたばたとか書かれてるし、女性の語り口調が「お約束のものをいただきたいわ」「どうなさいますの?」などと時代を感じさせるものだったりで、なんだか古き良き昔の本格推理を読んでるようで(いや、実際にそうなんだけど)なんとも懐かしさ満開。おまけに泊まり客の中には推理作家志望者とか、ミステリマニアとかもいたりして、雪は降るし、おまけに読者への挑戦状までついていて、もう「来たあ!」って感じの道具立てよ。
 中町信と言えば叙述トリックという印象だけれど、本書はむしろアリバイ崩し。山小屋から離れまで行って殺して帰ってこれたのは誰か。事情聴取が進むにつれて、最初は黙っていた客たちが一人また一人と「行きました」「実は私も」と白状し始める。また本書では短い章転換で、それぞれの章ごとに語り手が変わるので、その点では実にフェア。フェアとは言うものの、もちろんそこは中町信だから地の文にだって油断はできないのだけれど。その結果、読者には探偵役の知り得ない情報が与えられることになり、解くべき謎は極めてシンプルではあるものの、ここらあたり、なかなかに考え甲斐があるってもの。
 しかし何と言っても本書の白眉は“動機”だろう。実は伏線がけっこうあからさまで……というかその伏線の箇所に読者が不審を覚えるような書き方をしているので、「あれ? これってもしかしてこういうことか?」と見当がついちゃうのだ。あー、もしそうなら、じゃあ犯人はこの人だなあ、とまで分かってしまう。ところが。その想像自体は決してはずれてはいなかったんだが、最後の最後まで読むと、更に一捻りしてあって「やられた!」と思わされたのよー。一度「見抜いた!」と思っただけに、その上を行かれたときのサプライズは二倍増しよ。この最大の驚きをもたらしてくれたラストの三行は、実は雑誌掲載時の初稿のときは更に続きがあった。その初出時のエピローグも巻末の“解説”の中に掲載されているが、絶対今回のやり方の方がいい! 実に皮肉で、そしてインパクトのあるエンディングだ。    (08.8.19)
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ロジャー・マーガトロイドのしわざ・ギルバート・アデア(早川書房)

 舞台は1935年。ロジャー・フォークス大佐の屋敷を訪れていた友人たちは、吹雪のため閉じ込められてしまう。そしてその中のひとり──皆の秘密を握ってあてこすりばかり言っていたゴシップ記者が密室で死体となって発見された。雪で身動きがとれないため、彼らは近くに住んでいるスコットランドヤードを退官した元警部に助けを求める。屋敷を訪れた警部は、全員一緒に尋問を始めて──。
 この稚気が楽しい! ギルバート・アデアと言えばあの緊迫の独り語りサスペンス
「閉じた本」の印象が強い(どうでもいいけど、ネット書店ではギルバート・アデールになってるところがあるんだよな。検索しにくいったら)んだが、これはまたパロディかと思わせるほど古式床しいクラシカルな本格ミステリ。そして読み進むにつれ、ホントにパロディだってことがわかるよ。登場人物の一人が女性ミステリ作家で、カーだのクリスティだのを意識した発言をばんばんするし、『黄色い部屋の秘密』『ビッグボウの殺人』のネタバレはあるし(未読の人は気をつけて)、そして終盤に近づくにつれクリスティの作品を彷彿とさせるような展開も見せる。クスっと笑ってしまうようなマニアックなジョークも満載。楽しい楽しい。
 真犯人とか物理トリックとかはさほど驚くようなものではない(いや、バカトリックという点では驚くが。クリスティへのオマージュとばかり思ってたが、このトリックは日本の某大家へのオマージュなんじゃないかと本気で疑ったぞ)が、それもクラシカル・ミステリらしさだと言える。けれどそこより感心した点が二つあるのだ。
 ひとつは、被害者のポケットに残されていたメモのある特徴に探偵役が気付くくだり。特徴そのものよりも、気付いたきっかけがとってもキレイなの! これは翻訳物ならではの伏線なので、訳文をさらりと読んでしまうと絶対に読者は気づけないんだが、もっと分かりやすい伏線もちゃんと用意してくれている。品のない言葉を直接口にするのがはばかられるとして、登場人物がその単語のスペルを言う際、途中で言い直すシーンがあるのよ。何気ない会話だと思ってたのに、あとになって「うわっ、これってヒントだったんだああああ」と気付いたときの気持ちよさと言ったら!←なんかネタバレっぽい紹介だけど、大丈夫、たいしたネタは割ってません。いや、多少ネタを割ってでもこのキレイな伏線の存在は皆に知って欲しいのさ。これはもう今年の「原書で読みたいミステリ」第一位だ。
 そしてもうひとつは視点の問題。これはあまり書いちゃうとホントにネタバレになるので伏せるが、実に巧妙。真犯人とか物理トリックとかのシンプルさで本書を判断しちゃいけない。けっこうあちこち凝ってるぞ。作中で探偵役が開陳する推理だけを観るとかなりアンフェア感が残るが、随所に撒かれているヒントに気付けば読者は別のルートでその犯人に到達できるんだから。    (08.8.20)《詳細情報&注文画面へ》 back


その死者の名は・エリザベス・フェラーズ(創元推理文庫)

 深夜、「車で人を轢いてしまった!」と警察署にアンナ・ミルン夫人が駆けこんできた。泥酔して路上に寝ていたらしい男を轢いたというのだ。彼は既に死亡していたが、不思議なことに、泥酔していた割には酒瓶も持っていないし近所のパブに寄った形跡もなかった。おまけに身許が分かる手がかりも皆無。これは本当に事故だったのか? そして死者の正体は? たまたま村を訪れていたトビー・ダイクとジョージのコンビが調査に乗り出した──。
 トビー&ジョージの初登場作品にして、エリザベス・フェラーズのデビュー作。いやあ、古い作品とは言え、フェラーズは読みやすいなあ。あ、もちろんそれは翻訳された中村有希さんのお力なんだけど、それだけじゃなくて、物語の展開や会話のノリがぜんぜん古くないのね。大がかりなトリックや捻りがあるわけじゃなく、コミュニティの人間関係を解きほぐすことによって謎が解けるタイプなので古さが出にくいのかもしれない。探偵役は男二人でやや超越的ではあるんだけど、テイストはコージーだよね、これは。
 デビュー作だというにこの展開はさすが! 伏線の張り方には「あっ」と思うし、人物もひとりひとりが生き生きしていて、部屋の様子やそこで会話している登場人物の絵が浮かんでくるほどだ。ちょっとだけ出て来る使用人たちもみんないい味出してるし。「死んだのは誰?」「殺したのは誰?」という極めてシンプルな二重のフーダニットなのに、(シリーズ後続の作品ほどではないにしろ)ちゃんと驚かせてくれた。ユーモラスでシャレていて、こういうのが1940年に生まれる土壌ってえのは、やはり日本とは違うのだと感心してしまった。日本は仁木悦子まで待たないとこの手のは出て来なかったわけで。
 しかしこれが初登場作品とは。トビーが突っ走って滔々と謎解きをしたあとで、ジョージがその穴をこっそり埋めていくという“ボケとツッコミは実は逆でした”という構図はこの第一作からもう出来上がっていたのだなあ。もちろんまだ未分化の部分も多いし、後発の作品に比べれば荒いんだけど、この飄々として軽妙なコンビはホントに楽しい。本国での出版順に読めば、二人のキャラクタや役割分担が次第にはっきりして行くのがわかるだろう。
 ただ気になったのは、一応途中で被害者の身許は判明するんだけど、その段階で、ミルン夫人は遺族に対して何かしたのか?という点。もちろん、死体の母親とされた人物が頑として自分の息子だとは認めなかったり、死体の父親とは前になんだかんだあったりという事情は理解した上で、普通はさ、加害者と遺族ってもうちょっと違った顔合わせをするんじゃないかと思うんだが……せめて謝るくらいはするんじゃないかと……うーん、これが時代や社会背景を鑑みた上での「らしさ」なのか、ただ単に登場人物がエキセントリックなだけなのかが、イマイチ掴みきれなかったところ。    (08.8.23)
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大きな枝が折れる時・ジョナサン・ケラーマン(扶桑社ミステリー)

 小児専門の臨床心理医だったアレックス・デラウエアは、託児所で行われた集団性的虐待の被害者と家族のケアという大仕事のあと、疲れもあって33歳でリタイアしていた。投資がうまく行っていたため生活の苦労はなく、ロビンという美しい恋人もいて、悠々自適──のはずだった。ところがそこにアレックスの親友である刑事のマイロがやって来る。殺人事件を目撃したと思われる少女が怯えてしまっているので、アレックスの力で彼女を落ち着かせ、証言をとってくれないかというのだ──。
 アレックス・デラウェア医師と刑事マイロによるコンビの記念すべき一作目。十数年ぶりに再読したが、今回ネット書店で調べてみてビックリ。あれほど話題になり、今でもシリーズが出ている(日本での版元は変わったけど)というのに、いくら20年以上前の本だとは言え第一作はもう絶版だなんて! おまけに第一作だけじゃなくて、扶桑社ミステリーと新潮社から出た分はもうまったく流通してないの。これって版元が講談社に移ったのと関係あるのかな? ぶうぶう。
 とまれ、内容。本書のキーは児童虐待。本書が邦訳されたのは1986年だから、日本でも今ほど児童虐待が大きな社会問題にはなってなかった頃か。著者のジョナサン・ケラーマン自身が臨床心理医の資格を持ってるってこともあって、子供(いや、大人もか)と向き合ったときの様子から、精神的・抽象的なアドバイスだけじゃなくて具体的な薬の処方を挙げるのが新鮮だった。傷を負った子供とどう向き合うかで他の精神科医と議論するシーンなど、アメリカという国が精神的な病気に対して、あるいは虐待の対象となる「弱者」に対してどう捉えているかが見えて実に興味深い。
 でもね、ミステリとして読むとけっこう拍子抜けする部分もあるのよ。情報がさしたる苦労もなくどんどんどんどん入って来るからね。意外な展開も、びっくりするような繋がりも、黙って座ってるだけで向こうからやって来る。悪玉と善玉もはっきりしてるしね。そういう点では「推理する楽しみ」にはチト欠ける。ただ、それを補ってあまりあるサスペンスがある。終盤はアクションも多くなるし、ハードボイルド的タフガイのアレックスは相当にカッコいい。けれど本書の最大の魅力は、やはり、児童虐待という行為が如何に唾棄すべきものであるかを誠実に訴えたというところにある。
 人物の造形も巧い。洗練されててお金持ちのお医者さんであるアレックスの相棒が粗野で無骨な刑事ってのもバランスがいいし、のみならずマイロはゲイで、マイノリティとしての苦労も背負っている。とくれば、アレックスとマイロがうふふ♪と想像しがちだが、アレックスにはちゃんと女性の恋人が、そしてマイロにはちゃんと男性の恋人がいるのよ。でもってそれぞれの恋人がそれぞれの身を心配したり妬いたりして。そういう関係が実にステキ。今回は一番大事なときにマイロが出張中だったけど、二人のコンビがもっと読みたいぞ。    (08.8.28) 
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