キケン有川浩/新潮社


 ああ、やられた。これにはやられた。

 キケンとは、成南電気工科大学のサークル、機械制御研究部のこと。即ち、機研。新入生の元山と池谷が二回生の上野から勧誘され、入部を決めたは良かったが、このサークルの上級生はまさに「キケン」だった。もちろんこちらは「危険」の方。

 そこから1年に渡るキケンでの熱い熱い青春が回顧形式で語られる。春は新歓、初夏は恋、秋は学祭、そして冬の終わりにはロボット相撲。ひとつひとつはホントにこの著者らしく、善くも悪くもマンガなのよ。理系大学の実作サークルの、ある一面をデフォルメして面白く仕立てて。登場人物にも個々それぞれに一定の方向付けがなされているという、つまるところ「多面的で不確定な人間」ではなく、あくまでも「役割を持ったキャラクター」。それをわざと──というか、最初からそういうものを書きたくて、確信を持って書いている、という作風。テンポ重視で、軽くて、ボケとツッコミがあって、キャラが立ってて、アクションもあって、トラブルに出会っても必ず最後は解決するのがわかってる安心感もあってという、ホントに爽やかなマンガの王道なのね。

 一昔前までは「マンガみたい」というとそれは悪口だったのだが、今やそんなふうに解釈する人もいないだろう。むしろ上に書いたようなマンガならではの魅力や個性といったものをテキストだけで十全に再現するというのは至難のワザだ。本物のマンガである挿画も一端を担っているとは言え、本書はまさに「読むマンガ」を体現している。映像、音、迫力、疾走感──それらを文字だけで作り上げ読者の五感に響かせている。相当の筆力と構成力がなければできないこと。

 ただ……シンプルでベタなストーリー展開は、楽しいけれどそれだけだよな、と思いながら読んでいた。面白いし笑っちゃうし読み出したら止まらないテンポもあるけど、でも、話としてはよくある種類のもんだよな、と。ところが。そんな斜に構えた上から目線の読み方が、最終章で打ち砕かれた。こう来たか、と。最終章で読者は、元山が見つめたアレを、元山とたっぷり同じだけの時間をかけて見つめることになるだろう(アレの存在は小説技法としてはやや反則な気もするが、圧倒的な効果があるのは事実だ)。

 そして、ことここに至って、読者は知ることになる。本書が回顧形式で書かれた理由を。大学時代のサークルに賭ける、あの熱病のような思い。それをリアルタイムのように見せたあとで、改めて現在から眺める、その理由を。軽い話の筈だったのに、ベタなマンガの筈だったのに、最終章には泣きそうになった。本書は学生のための小説ではなく、学生だったことのある大人たちへの小説なのだ。