Jul 2010

福家警部補の再訪大倉崇裕/東京創元社


 実に映像的! ドラマになったのも頷ける。コロンボや古畑というヒット作の先例もあり、このパターンの倒叙モノってだけで安定感抜群なんだが、伏線の妙が抜群で、読みながら「そこかあ!」とのけぞること多々あり。ただ、福家警部補のキャラが「一見刑事には見えない」ってことで、毎回毎回プチ水戸黄門的(権威という意味ではなく、まさかそうとは思わなかったという脱力系)展開があるのが、続けて読むとやや面倒くさくも感じるんだが……単発なら気にならないんだけどね。ここらでちょっと違った趣向の展開があってもいいかな、とは思いましてよ。

 今回、「あ、そうか」と膝を打ったのは後書きだ。コロンボ同様、本書では福家の内面描写をしていないという話。これを著者本人に言われるまで気付かなかったあたりが我ながら悔しいのだが、なるほど確かにその効果たるや大きなものがある。たとえば東野圭吾の加賀恭一郎も、倒叙に限ったものではないけれど、内面描写をしないことで成功した例だし。内面を描写しちゃうとシリーズとして同パターンの話を続けられなくなってしまう、というのは考えればわかることで、長く続くシリーズには続かせるだけの工夫があるのだなあと感心した次第。手法といい、本格としてのレベルといい、コロンボや古畑が好きという人には安心して薦められるシリーズだ。

「マックス号事件」
豪華客船の中で起きた殺人事件。マヌケな理由でそこに居合わせた福家が、現場の不自然な状況に気付く。これが面白いのは、福家より先に犯人が自分のミスに気付くところ。

「失われた灯」
人気脚本家が骨董商を殺し、放火。手がかりはすべて燃えてしまったかに見えたが……。ああ、これは小説じゃなくて映像で見たいよ! 映像で見た方が「おお!」と思えるような話。ただしかし逆に映像にしちゃうとあからさまになっちゃうかな?

「相棒」
ベテラン漫才師の片割れが二階のバルコニーから転落死。事故か自殺に見えたものの……。これは謎解きよりも物語としての背景がすごく切なくて印象的。雨という天気は小道具としても必要なのだけど、それ以上に物語全体を彩るひとつの悲しい演出になっている。

「プロジェクトブルー」
おもちゃ会社の社長が恐喝者を殺した。しかしその計画は意外なところから破綻して……。っていうか、福家、趣味広すぎじゃないのか。「相棒」では演芸にめっちゃ詳しいところを見せたかと思えば、こんどは特撮かよ! しかもかなりマニアックだし。こんな変な個性を出しておいて内面描写がないんだから、そりゃやっぱ惹かれるわなあ。

犬の力ドン・ウィンズロー/角川文庫


 正直言って、CIAとかマフィアとか殺し屋とか麻薬カルテルとか、そういったモチーフにはあまりそそられない。なのになぜこれを手に取ったかというと……ドン・ウィンズローという作家にはそそられるからだ。お釣りが来る程。

 舞台は主としてメキシコ。主要人物はDEA(麻薬取締官)のアート、メキシコのマフィアで麻薬を扱うバレーラ一党、ニューヨークの若者で後に殺し屋となるカラン、そして絶世の美女にして後に高級娼婦となるノーラ。物語のメインにあるのはメキシコで作られたコカインが合衆国へと流れ込む、そのルートを断とうとするアートの話なんだが……いやもう、そんなシンプルなストーリーじゃないのよこれが。

 彼らの人生は別のところが出発点であったにも関わらず、1975年から1998年の長きに亘って複雑に交差し、絡み合い、ときにはすれ違い、そしてまた絡み合う。読み始めて間もなく、話がいったいどこに向かっているのかまったく分からなくなり、けれどとてつもない吸引力でページをめくらせる。まるで猛スピードで失踪する行き先不明の車に乗せられているようなもんだ。しかもその車はブレーキが効かないと来る。

 おまけに訳文が素晴らしい。文体には基本的に現在形が用いられているので、まさにリアルタイムでそのシーンが展開されているかのような臨場感を味わわせてくれる。特に一行空きの前の現在時制文の効果と言ったら! 眼前で繰り広げられている映画のワンシーンが一瞬静止し、暗転、そして場面転換……そんなイメージで物語が進むのよ。陰惨で凄惨で救いなんか殆ど無い展開が続くのに、この文体が物語にテンポの良さとクールな印象を与えるために、悲惨な場面も引きずらないで済む。

 読んでいる間、ずっと「因果」という言葉が脳裏に浮かんで離れなかった。いったいどうしてこんなことになってしまうのか、他に道はないのかと歯ぎしりをする思い。でももしかしたら、一番戸惑っているのは登場人物たちかもしれない。
 もともとウィンズローの作品はニール・ケアリー・シリーズが好きで、本書を読んだ今でもやはり好みを問われればニール・ケアリーの方に軍配があがるんだが、それでも本書が年間ベスト級なのは間違いない。

悪いことはしていない永井するみ/毎日新聞社


 営業事務のOL、真野穂波が主人公の働く女系ミステリ。「ピスタチオ・グリーン」と「デビル・ブラック」の二部構成で、前者は大手企業での営業事務、後者ではベンチャー企業という二つの舞台に股がっている。

「ピスタチオ・グリーン」
 忙しいながらも充実した仕事ライフを送っていた穂波。ところが同じ会社のOLで親友の亜衣がいきなり失踪してしまう。彼女が最後に書いたブログには、「上司にホテルの部屋に連れ込まれそうになった」と書いてあって……。
 いやあ、これはやられた! 読みながらずっと「亜衣、分かりやす過ぎ!」と思ってたんだが、まったく予想を覆されてしまった。亜衣を探す途中で出てきたモノから「あれ?」と思い、亜衣の口から真相を聞かされたときには……ひええええ、そう来ますか、と。

「デビル・ブラック」
 独立した上司の山野辺についてベンチャー企業に転職した穂波。けれどそこでの日々は想像とは違っていた。加えて、怪しい男につけられたり、植木鉢が落ちてきたりという不穏な事件も相次いで……。
 これを読み終わったときには、本書のタイトルが秀逸なことに嘆息した。悪いことはしていない、でもそれで傷つく人がいるということは知らなくちゃいけない。無知というのは時として罪になる。……このテーマ、昔、同じものを読んだことがある。新井素子の「ブラックキャット」シリーズだ。直情型の刑事が聞き込みの途中で植え込みを壊してしまう。「たかが木」としか認識してなかった刑事は悪い事をしたとはまったく思ってなかったが、実はそれは住人が丹精していた躑躅で、家政婦が責任をとらされてしまう……というエピソードがあった。
 「ブラックキャット」のそのくだりを読んだのはもう20年以上も前だが、すごくはっきり覚えている。なぜなら、あたしはその植え込みを壊したのに罪の重さを認識してない刑事に、本気で腹が立ったから。なのに新井作品の中ではその刑事は、けっこう愛されるキャラクタとして描かれており、それが更に怒りに拍車をかけたものだった。
 話がずれたが、本書もまた、自分の行為が悪いことだと思ってない人物が登場する。実際にその行為は犯罪でもなんでもないし、けっこう日常的に行われているようなことだったりもするが、受け手がどうとらえるかを発信者はまったく理解していないという、「ブラックキャット」と同じ構図。

 ところが「ブラックキャット」で覚えたような怒りは、今回はまったく覚えなかった。まあ、エピソードの背景も人物の描写もぜんぜん違うからなんだけど、しかし何より、四半世紀経って「こういうことって、あるよなあ」と思えるようになったということが大きい。自分の言動が相手にどんな影響を与えるか、自分の物差しだけで判断してしまい、人を傷つける……ああ、あるよなあ。うん。それは悪事ではないけれど、でも、「考え無し」なんだよなあ。想像力の欠如というのは、ときとして犯罪よりたちが悪かったりもするわけで。
 働く女を描かせると永井するみはホントに巧い、というのは今更改めて言うことでもないが、今回はそういう「想像力の欠如が招く罪」というのを鮮やかに、そして身近な例としてみせてくれる。それにしても亜衣と穂波はこれからどうなっていくんだろう。あたしなら早々にうっとうしくなりそうなんだが、なぜ穂波は受け入れてるのかが不思議でしょうがないぞ。

初恋ソムリエ初野晴/角川書店


  08年の最大の痛恨時が「年末のベスト投票の時期までに「退出ゲーム」を読んでおかなかったこと」だったあたしにとって、本書は是が非でも読まねばならないトッププライオリティの一冊。が、既に「このミス」の〆切はすぎてしまった……学習しろよあたし。その分「本ミス」でプッシュしておきますからね! 「週刊文春」の方は読者層が違う気がするので、本シリーズへの二年越しの情熱はすべて「本ミス」に注ぎ込みますことよ!

 というわけで「退出ゲーム」に続く、高校の吹奏楽部を舞台にした青春ミステリの連作シリーズ第2弾。へなちょこの吹奏楽部が、一作ごとに事件を通じて一人ずつメンバーを増やしていくという趣向だった前作を引き継ぎ、本作でもメンバーが増えます。謎を解く度にメンバーが増えるって、冷静に考えるとすごいな。

 何がいいって、まず語り手のチカちゃんがいいのよー。「ああ、こういう女子高生でいたかった!」と遥か三十年前に思いを馳せる四十路のおばさん読者。明るくてまっすぐで素直で、けっこう鈍かったり抜けてたりもするんだけど、いろんなことを笑い飛ばせる強さがある。なによりユーモラスで、当意即妙のツッコミには何度も笑わせてもらった。

 面白いのはチカちゃんだけじゃない。会話のひとつひとつ、描写のひとつひとつが実によく出来たセンスのいい漫才のような感じで、とにかくテンポがいいのだ。くすくす笑ったりぶはっと吹き出したり、とにかく読んでいて楽しい。その楽しさがイコール彼らの高校生活の楽しさを表しているようで、「いいクラブだなあ」とにこにこしてしまう次第。

 だがしかし。笑っていると背負い投げを食らうのだ。「退出ゲーム」でもそうだった。彼らの漫才に笑っているうちに、事件の真相にかくされた悲しみや傷がいきなりあぶり出され、ぞくりとさせられる。その対比がすばらしい。

 本格ミステリとしても秀逸。4つの収録作すべて「あ、もしかしてこういうことかな?」と読者にいい感じに推理させ、あたらずとも遠からずというところまで行かせておいて、その一歩先を見せてくれることに驚く。まったく予想だにしない意外な真相というわけではなく、いいセン行ってたんだけど肝心なことが分かってなかった、という実に気持ちのいい裏切られ方。これもまた、瑞々しい青春ミステリにふさわしい趣向だ。  とにもかくにもお勧め。「退出ゲーム」とセットでお勧め。今、いちばん次作が待ち遠しいシリーズだ。

矢上教授の午後森谷明子/祥伝社


 大学の老朽校舎、通称オンボロ棟を舞台に、ちょっと浮世離れした教授たちと騒がしい学生達が殺人事件に巻き込まれる長編ミステリ。この著者にしては、こういうタイプの長編は珍しい。でもカバー裏に三橋暁さんによる「歴史と伝統を誇る英国ミステリでいうところの“お茶とケーキ派”を思わせる」などという紹介文があるからには、これは読まねばなりますまい!

 一読してなるほど、と膝を打った。“お茶とケーキ派”というのにも頷ける。  道具立てだけを見れば──突然の豪雨、轟く雷鳴、古い校舎の停電。エレベータは止まり、非常口はなぜか開かず、ネットもケータイも使えず、閉じ込められた人々。そこで見つかる血まみれの死体。うーん、めっちゃおどろおどろしい。血なまぐさい。なのに、それがぜんぜんおどろおどろしくないのよ。ユーモラスで、どこか暢気で。

 それは死体になっているのが既知の人物ではない、という理由がもちろん大きいのだけれど、それだけじゃない。閉じ込め&殺人事件に遭遇した人々の対応がどこかノホホンとしてるのね。パニックになる人がいない。過剰に騒がない。でもって「この場で自分にできることをやりましょう」という感じで協力し合って物事を進めていく。この様子がね、うーん、説明が難しいんだけど、「うるさくなくて、いい」んだよなあ。余計なトラブルがないというか、大人の対応というか。だから気持ちいいの。居心地いいの。つまりはコージーなの。

 おまけに閉じ込められた人たちは皆、殺人事件とは無関係なところで「自分にとって優先しなくてはならない問題」をそれぞれ抱えている。だから皆は自分の事情に対して対応してただけなのに、殺人事件なんつー突発事態のせいでそれが変な風に絡まってワケ分かんなくなっちゃって、でもそれって端から見てると滑稽で実に面白いのよ。一幕物の上質なシチュエーションコメディを見ているかのような面白さ。

 これはまさしく三橋さん言うところの、「古き良き英国ミステリの“お茶とケーキ派”」だ。ただ、登場人物が多くて、かかわり合う要素があまりに多くて、けれど過剰に説明することを避けてテンポ重視にしたが故に、前半はちょっと情報を掴み切れない部分があったあたりは残念だけど。でも死体が見つかってからは一気呵成。これまでの作品から、伏線の張り方が抜群に巧いってのは保証付きだし、そういう点でも堪能できます。何より皆それぞれにバタバタしてる(でもどこか暢気)絵を想像すると実に楽しいのよ。うん、まさに“お茶とケーキ”をお供に、のんびり読書を楽しみたいときにウッテツケだ。

ピザマンの事件簿 デリバリーは命がけL・T・フォークス/ヴィレッジブックス


このタイトルを手打ちするときはカナ変換に気をつけないと「ピザまんの事件簿」という冬のコンビニのレジみたいな話になるので要注意。いや、そんなこたあともかく。なんかイカにもって感じのタイトルなので、最初はあまり期待してなかったのだが、これがアンタ、大当たり!

 主人公は刑務所から出てきたばかりの元大工。財産をすべて別れた妻にとられてしまったので、友人の家に居候しながらピザ店でデリバリーの仕事を始めた。ところがピザ店の同僚が殺されて……というお話。

 大当たりだなどと言っておきながらこんなことを書くのもナンだが、謎解きっていう点では、まぁ別にたいしたことはないのよ。でもね、裸一貫から出直す主人公の明るさと生活力、そして彼の周囲に集まる友人たちがすごくいいの。頼りになる同僚が紹介してくれたトレーラーハウスに友人と同居し、ピザ屋で働きながらも持ち前の大工の腕で友人の家にウッドデッキを造ってあげる。屋外で重機が動き、木材が組み立てられ、差し入れのビールが来て、太陽の下でみんなで小休止。慣れないピザのデリバリーも頑張り、変な客や同僚を軽くいなし、夜はビールを飲んで寝る。いいなあ。なんかすごくいいなあ。ちょっと巧く話が運び過ぎって観もあるにはあるが、それも含めて読んでいて実に心地いい。
 十代の頃、男同士の友達付き合いってのがとてもうらやましく思えた時期があった。女同士にはない、どこかあっけらかんとした、こだわらない付き合いっていうのが出来てる気がして。これを読んでるうちに、そんな気持ちを久しぶりに思い出したよ。

 つまるところ、これはまさに「男コージー」という感じなのだ。ちゃんとコージーの要素は満たしてるのよ。小さなコミュニティの出来事で、個性的な登場人物がそろってて、知り合い同士の中の事件で、でもってしっかり生活感があって、料理も出てきて、ユーモアたっぷりで。これであとは謎解きさえちゃんとしてれば完璧だった(<それは致命的なのでは?)。ここまで男ばっかりの、しかもどっちかってえとガテン系の、ゴツくて豪快で汗臭いコージーがかつてあったろうか! もはやコージーミステリは女だけのものじゃないのだ。本国では3作目まで出てるという。早く訳出してくれい。

カオスの商人ジル・チャーチル/創元推理文庫


 奥さん、ジェーン・ジェフリイ・シリーズの新刊が出ましてよ!

 コージー好きなら知らない人はいないだろう、ジル・チャーチルのこのシリーズ。その魅力と、あたしの思い入れは過去にもウザいほど書いているので繰り返さないが、デフォルメされているようでいて実はかなりリアルな主婦像、「いろいろたいへんなことは多いけど、今日も元気にいきまっしょい!」という主婦像が読んでいて実に楽しく、元気が出るシリーズ。主婦業頑張ろう、と家事の虫が湧くシリーズ。主婦業、捨てたもんじゃないよね楽しよね、と思えるシリーズ。しっかり繰り返しとるがや。

 とまれ、そう感じる読者は多く、「次作の翻訳はまだか」と読者から出版社に催促が入るほどの人気シリーズなわけだが、今回はもうひとつ注目点がある。前作「飛ぶのがフライ」を遺作にして亡くなった浅羽莢子さんの後を継いで、新谷寿美香さんが翻訳を担当されているのだ。これほどの人気シリーズで、しかも浅羽さんの名調子が読者の心にしっかり根付いているんだもん。新谷さんのプレッシャー、察するに余りある。やりにくかったろうなあ。
 翻訳家が変わったことによる違和感は、正直「無かった」と言えば嘘になる。特に読み始めてまもなく気になったのが、ジェーンやシェリイの話し言葉。「~だよ」なんて語尾、使ってたっけ? あたしの脳内では(たとえ現代日本では既に話し言葉として廃れていようとも)「~なのよ」「~だわ」っていう喋り方だと思ったんだがなああの二人は。
 ──と思ってシリーズ前作をぱらぱらめくってみた。ら、おやおや、「なのよ」「だわ」もあるけれど、「だよ」もたくさん使われてたよ。ごめんなさい新谷さん、濡れ衣でした。好きなシリーズだけに、けっこう自分でイメージ作っちゃってた部分があったのかもな。翻訳家が変わったという事実を知っていたから、「何か変わったはずだ」という先入観で読んでしまっていたのかも。シリーズ読者ってのは厄介なもんだね。

 とまれ、誤解だったとは言え最初感じた違和感も読み進むうちにすぐに慣れたし、全体的なテイストはまったく問題無し! 翻訳家が変わることによるイメージの変化については、マクラウドのシャンディ教授シリーズで「田村正和と吉幾三が同じ役を演じている」と感じたくらいかけ離れた訳を読まされケツの穴からエノキが生えそうな気分になったことがあるので、あれを思えば浅羽訳との差などまったく無いと言っていい。これは嬉しいことよ。ありがとう新谷さん。

 ただミステリとしては、シリーズ内でも屈指のグダグダぶりだな今回は。つか、あらすじも何も書いてないことに今気付いた。書影をクリックして書誌データ見て下さい。<そんなテキト~な。

おさがしの本は門井慶喜/光文社


 市立図書館を舞台にした連作ミステリ。主人公はリファレンスコーナー担当の司書・和久山。彼の所に持ち込まれる本探しの依頼がそのまんま謎になるという趣向で、楽しい楽しい。「人形の部屋」で見せたペダントリーも、今回は文学方面に特化した分、更に磨きがかかってるぞ。

 「図書館ではお静かに」はレポートの資料を探しに来た女子大生、「赤い富士山」は五十年前から図書館に置きっぱなしの私物の本を探して返して欲しいという依頼。「図書館滅ぶべし」は“図書館閉鎖論”を持つ新館長からの本探しの挑戦。「ハヤカワの本」は図書館の蔵書を返却しないまま夫が亡くなったというおばあちゃんの話。そして「最後の仕事」は図書館存続をかけて市の公聴会で演説をぶつ一方、市会議員からの思い出の本探しの依頼──という五編を収録。

 いやあ、実は「図書館ではお静かに」を読み始めたとき、最初に感じたのは主人公・和久山に対する「こいつナニ様?」という反発だったんだよね。森鴎外の本名・森林太郎を知らずに「シンリン太郎」と口にした女子大生に対し、「浅学菲才の徒」「十ページ以上ある本を読み通したことがあるだろうか」などと考えるあたりに初手からカチンと来てしまったのだ。書評なんて仕事をしてるあたしが口にするセリフではないかもしれないが、別に本をどれだけ読んでるかなんて、人の価値にはあんまり関係ないだろー。寧ろ読書家であることが何かスペシャルなことであるかのように思う方が歪じゃないか……などと考えていたわけよ。彼女は森林太郎は知らなくても、和久山の知らない「本以外のこと」をたくさん知ってるんじゃないのか?と。

 ところが読み進むにつれて笑いが漏れた。そういう鼻につく和久山の態度が、ちゃんとウッチャリを食らうのだ。ベタではあるが気持ちいい。気持ちいいが故に、第二話以降のペダントリーも、鼻についたりカチンと来たりすることなく、寧ろ和久山の「書物に対する思いと矜持」というふうに受け取れるようになった。巧いなあ。そうやってタクトを一回逆方向に大きく振っているからこそ、その後が映えるんだな。  実際の図書館員がリファレンスコーナーでいかに奮闘しているかというのは、縁あってあたしもその一端を知っているので、本探しの道筋はとても興味深く楽しくエキサイティングだった。本探しってホントに推理なんだよな、という思いを強くする。

 ただちょっと気になったのは、「赤い富士山」なんだよね。私物なら背表紙の図書シールや蔵書印の類が無いはずだから、すぐに見つかると思うんだけどなあ……。それとも五十年のうちに蔵書にされちゃったのかしらん? まあ、たいした問題ではないし、そこらの説明をあたしが読み落としてるだけかもしれませんが。

秋季限定栗きんとん事件米澤穂信/創元推理文庫


 個人的には、本書がシリーズ作品の中でベスト。
 復讐好きな小山内さんと名探偵の小鳩君が、互いの性癖を隠して小市民として生きるべく結んでいた互恵関係が、前作「夏期限定トロピカルパフェ事件」で解消。別々の道を歩き始めた小鳩くんと小山内さんは、それぞれ別の異性から告白されるなんてえこともあったりして、別のパートナーを得て小市民の高校生らしい男女交際を始めたりしちゃってる。ビバ青春! ところが小山内さんの彼氏の瓜野君は新聞部員で、近頃市内を騒がせている放火事件に興味津々。どうやら次の放火ターゲットを推理で絞り込んだらしいのだが──てな感じで物語は始まる。

 核は放火事件にある、と見せかけて、実は高校という社会の中での駆け引きだとか自我だとかが描かれるのはこれまで通り。でも放火事件の真相はシンプルであるが故になるほど!と思わされたし(ミッシングリンク好きにとっては思い切り背負い投げを食らうタイプの真相ですよこれは)、ところどころで展開されるプチ日常の謎も相変わらず楽しくて、本格ミステリという観点でのみ見ても充分すぎるほどのお勧め品。でもそれだけじゃない。
 これまで、ミステリ部分のサプライズやカタルシスであるとか、軽妙洒脱な文体の中に隠された刺であるとか、そういった物語の魅力とは別のところで主人公二人の青さと自意識過剰ぶりがどうにも鼻について、鼻につきながらもそれはどこか身に覚えのある痛みで、いったい二人はどう変わるのか、あるいは変わらないのかというところに最も注目してこのシリーズを読んでいた。
 自意識のあり方には目を向けずに、ただ性癖を隠すことだけで解決しようとしていた二人が、その齟齬に気付いた前作。そしてその二人は本書で「再会」を果たす。やはり他の人ではダメなのだと。小鳩君には小山内さんが、小山内さんには小鳩君が必要なのだと。これは見ようによってはとてもステキなラブシーンの筈なんだが、そう見えないあたりが持ち味。おまけに「他の人ではダメ」という理由がまた、それぞれのBF、GFをバカにしてるととられても仕方ないような理由で、いやいや君たちぜんぜん成長してないし、とおばちゃん笑いそうになってしまいましたわよ。

 なのになぜ本作がシリーズベストかといえば。彼らの価値観のシフトに注目されたい。「こんな自分が嫌い、変えたい」という思いでいた二人が、「こんな自分が嫌いなのは変わらないけど、でも変えようとすると辛い」ことに気付き、「変わらないでいられる状況が心地いい」と認識したのが本書なのだ。「こんな自分は嫌だ→変わるよう頑張る→頑張ったら変われたよ、努力って大事だね」というのが青春小説の王道だとするなら、本シリーズの展開は特異に見えるが、実はかなりリアルである。高校生ごときにたった半年で気付かれては大人は立場ないってくらいの話である。俄然興味が増した。果たして彼らの小市民化計画がどう発展するのか、ああもう冬期限定が待ち遠しいよ!

黒猫ルーイ、名探偵になるキャロル・N・ダグラス/ランダムハウス文庫

 
アメリカではすでに20作を数えるという人気コージーが日本初お目見えってんで、さっそく買って読んでみた。原題は「Catnap」……猫さらい、ですね。
 舞台はラスベガス。コンベンションセンターでブックフェアが行われており、広報のテンプルが主人公。彼女が行方不明のマスコット猫を捜索中に死体を発見してしまい、関係者と目される作家たちや編集者たちはいずれも一癖あるひとばかり──という、まぁ、この手のミステリとしてはお決まりのパターン。

 ただ今回気持ちよく読めたのには、理由がふたつある。ひとつは、(このレーベルにしては珍しく)ロマンス成分が薄いこと! もちろんまったく無いわけじゃなくて、むしろこれから徐々に増えて行きそうな気配は漂ってるんだけど、ごく普通のスパイス程度に留められそう。
 そしてもうひとつは、ヒロインがバカじゃないこと! エレイン・ヴィエッツが言うところの「殺人犯が潜んだ空家に丸腰でフラフラ入っていくような」脳味噌の足りない、自らの危険(しかも男性に助けてもらう)と引き換えにじゃないと犯人を突き止められないようなヒロインではなく、ちゃんと頭脳で推理するところがグゥ。
 ──え、探偵役なら当たり前じゃないかって? いやいや、ことコージーに於いては、特にここ10年くらいのコージーに於いては、「恋人候補の男性が白馬に乗って助けに来てくれるのを前提に危険を冒すヒロイン」が実に多いのよ! しかも作戦としてではなく、ただ単に好奇心だったり独善からだったりで。そういうのには辟易してたので、今回のように、「ちゃんと考えるヒロイン」は嬉しい。

 ミステリ的には、まぁ、可もなく不可もなくってあたりかな。真相解明に重要なあることについては、日本人にはちょっと見当もつかないし。ただ、だからといって面白くないわけではなく、その見当がつかないあたりの情報が実に興味深かった。これって舞台を日本に移して翻案したらどうなるだろうと考えるとかなり楽しかったぞい。日本に無理矢理当てはめるなら字面は同じでも読みが──おおっと、これ以上はやめておこう。いひひ。