や・わ行の作家

みんなのふこう若竹七海・ポプラ社

 わぁい、葉崎シリーズだあ!

 あ、葉崎シリーズってのは、若竹さんが葉崎市という架空の市を舞台に書いてるコージーミステリのシリーズ。ただシリーズと言っても、主人公はそのときどきで違うし、物語としてもすべて独立してて、ただぜんぶひとつの町の出来事なんだよという、ゆるい縛りなのね。シリーズキャラクタと呼べるほどの人はいないんだけど、会社だの建物だの店だの行事だのは共通してるわけだ。

 でもって今回は地元のコミュニティFMである葉崎FMに届いたメールから話が始まる。自分の悲惨な体験を語る人気コーナー「みんなのふこう」に、バイト先でしりあった人がすごく不幸というメールが来るのだ。コーナーとしては、不幸つっても他人から見れば笑えるという話ばかりだったのが、このバイト先の人──ココロちゃんは、正真正銘の不幸の星の下に生まれていた。親には捨てられ、犯罪には巻き込まれ、今では電気も通らない物置のようなところに住んでいる。しかし本人は自分が不幸ということにまったく気付いていない。そしてなぜかココロちゃんが行く先々で、いろんな事件が起き、ココロちゃんはその度に住む家をなくしたり大けがをしたりするんだが、それだけじゃない。同時に、ココロちゃんをよからぬことに利用しようとした人には必ず災難が降り掛かるのだ。──これって偶然?

 いやあ、面白い面白い。そして面白い中にも、時々ぞくっとする。若竹七海の真骨頂だなあ。
 コミュニティFMのパーソナリティの軽妙な語り口で始まるので、わははと笑いながらすいすい読んでたんだが、だんだん背筋が伸びてくるぞ。とっつきやすい文体の影に、なんか正体不明の黒い大きなものが見え隠れし始めるのだ。
 全13話、手を変え品を変え、いろんなココロ騒動を読者に提示しながら、ちょっとずつ餌を巻いて行く。ちょっとずつ仕掛けていく。そして当初は予想もしなかったようなところまで連れて行かれる。それは「最後にすべてキレイに繋がりました!」というようなロジカルな本格ミステリ的展開ではなく──敢えていうなら、不幸のわらしべ長者的展開。どこまで行くんだ、と。どれだけ巻き込むんだ、と。

 周囲の騒ぎはどんどん大きくなるんだが、ココロちゃんは最初から最後まで変わらないのがいいなあ。逆に言えば、本書はココロちゃんを描くふりをしながら、その周囲を描いているということになる。事件そのものの顛末のみならず、それに巻き込まれる人の生活や心情など。ぞくっとさせられるのは、そこに仕掛けられたミステリ的な結構によるものだけではない。巻き込まれたときにふと覗かせる、人としての狡さや弱さ。そここそが若竹コージーの読みどころ。

 それにしてもココロちゃんの正体、何なんだろうね。幸せとか不幸とかはものの見方ひとつ──そんなありきたりのテーマを具現化してるだけじゃないぞ。いやあ、もしかしたら、もっととてつもないものなんじゃないかしら。厄病神も神のうちっていうしね。

ふたりの距離の概算米澤穂信/角川書店


 古典部シリーズ最新作。
 校内マラソン大会、そのゴールまでに
奉太郎は古典部のとある問題を解決する必要に迫られていた。春先に古典部に仮入部した大日向友子が、前日、いきなり入部しないと言い出したのだ。別に入らないなら入らないでいいんだが、ちょっと釈然としないことがある。学年別クラス別に時間差スタートをとるマラソン大会で、奉太郎は時間と距離を調整しながら関係者に話を聞く──。

 基本はマラソン大会のスタートからゴールまで。その合間に過去のエピソードが挿入される、いわば
『夜ピク』古典部バージョンとも言える設定。
 回想シーンで展開されるプチ日常の謎(新歓での製菓研究会の謎や、喫茶店の店名などなど)も、「どうだ!」というケレンがまったくなくて、とてもスタイリッシュに展開される。基本的に、あまり熱くならずサラリと躱す感じの推理。これもいつもの通り。

 でもってこのコーコーセーたちがもう、かわゆーてかわゆーて。
 米澤作品の高校生ってのは、どの作品でもそうなんだけど、「本当の自分」「理想の自分」「他人にこう見られたい自分」の3つの中で揺れてる感じが、もう若さならではでタマランものがあるのよ。この感覚、大人になってからも覚えてて、それをこうして青さ満載のキャラクタにできる(しかもその自意識をさらっと実にスマートに表現している)ってのは、すごいなあ。
 でもってその青さ、若さというのが、物語の核であり同時に謎を謎たらしめている要素でもあるわけで。だってさ、新入生が部活に入部するとかしないとか、自分が他人にどう見られているかとかって、まあぶっちゃけ四十路の目からみると、どーでもいいことだったりするんだよね。でも、そんなどーでもいいことが生活のすべてになっちゃうのが高校時代なのだよ。でもって、そんなどーでもいいことを、自分の美意識に合わせた形で解決しようとしちゃうのも高校時代なのだよ。そういうことをいちいち思い出せてくれるもんだから、おばちゃんたまりません。

 なんかぜんぜん内容の説明になってない気もするが、謎そのものが浮上する過程つーか、そのテクニックも著者の魅力のひとつだと思うので、先入観なしに読んで戴いた方が良いかと。若い読者には「自分に近いのに、でも決定的に自分とは違うかっこよさへの憧れ」を、中年以上の読者には「若いって渦中にいるときはわかんないけど、実はけっこう苦いよね」という思いを味わえるシリーズだと思う。

 それはさておき、その喫茶店のネーミングセンスは如何なものかと。

秋季限定栗きんとん事件米澤穂信/創元推理文庫


 個人的には、本書がシリーズ作品の中でベスト。
 復讐好きな小山内さんと名探偵の小鳩君が、互いの性癖を隠して小市民として生きるべく結んでいた互恵関係が、前作「夏期限定トロピカルパフェ事件」で解消。別々の道を歩き始めた小鳩くんと小山内さんは、それぞれ別の異性から告白されるなんてえこともあったりして、別のパートナーを得て小市民の高校生らしい男女交際を始めたりしちゃってる。ビバ青春! ところが小山内さんの彼氏の瓜野君は新聞部員で、近頃市内を騒がせている放火事件に興味津々。どうやら次の放火ターゲットを推理で絞り込んだらしいのだが──てな感じで物語は始まる。

 核は放火事件にある、と見せかけて、実は高校という社会の中での駆け引きだとか自我だとかが描かれるのはこれまで通り。でも放火事件の真相はシンプルであるが故になるほど!と思わされたし(ミッシングリンク好きにとっては思い切り背負い投げを食らうタイプの真相ですよこれは)、ところどころで展開されるプチ日常の謎も相変わらず楽しくて、本格ミステリという観点でのみ見ても充分すぎるほどのお勧め品。でもそれだけじゃない。
 これまで、ミステリ部分のサプライズやカタルシスであるとか、軽妙洒脱な文体の中に隠された刺であるとか、そういった物語の魅力とは別のところで主人公二人の青さと自意識過剰ぶりがどうにも鼻について、鼻につきながらもそれはどこか身に覚えのある痛みで、いったい二人はどう変わるのか、あるいは変わらないのかというところに最も注目してこのシリーズを読んでいた。
 自意識のあり方には目を向けずに、ただ性癖を隠すことだけで解決しようとしていた二人が、その齟齬に気付いた前作。そしてその二人は本書で「再会」を果たす。やはり他の人ではダメなのだと。小鳩君には小山内さんが、小山内さんには小鳩君が必要なのだと。これは見ようによってはとてもステキなラブシーンの筈なんだが、そう見えないあたりが持ち味。おまけに「他の人ではダメ」という理由がまた、それぞれのBF、GFをバカにしてるととられても仕方ないような理由で、いやいや君たちぜんぜん成長してないし、とおばちゃん笑いそうになってしまいましたわよ。

 なのになぜ本作がシリーズベストかといえば。彼らの価値観のシフトに注目されたい。「こんな自分が嫌い、変えたい」という思いでいた二人が、「こんな自分が嫌いなのは変わらないけど、でも変えようとすると辛い」ことに気付き、「変わらないでいられる状況が心地いい」と認識したのが本書なのだ。「こんな自分は嫌だ→変わるよう頑張る→頑張ったら変われたよ、努力って大事だね」というのが青春小説の王道だとするなら、本シリーズの展開は特異に見えるが、実はかなりリアルである。高校生ごときにたった半年で気付かれては大人は立場ないってくらいの話である。俄然興味が増した。果たして彼らの小市民化計画がどう発展するのか、ああもう冬期限定が待ち遠しいよ!