な行の作家

さよならドビュッシー中山七里/宝島社


 この著者の名前から「大菩薩峠」を連想しちゃうのは、あたしだけじゃないよなあ?

 って、そんなこたあともかく。宝島社のこのミス大賞受賞作である。この賞の受賞作ってえのは、なんつーか、ある意味「一点突破!」てな感じの作品が多いように見受けられるのだが、これには驚いた。なんてオーソドックスな、なんて手堅い青春ミステリであることか。そしてこれがまた実に“読ませる”のだ。これは今年のミステリ系新人の中でもかなり印象が強いぞ。

 音楽科のある高校への進学を控えたピアニスト志望の遥。遥の従姉妹で、両親を災害でなくし遥の家に引き取られたルシア。ところが祖父の離れに二人が泊まった日、離れが火災に遭う。祖父とルシアは死んだものの、遥は全身に大火傷を負いながらも皮膚移植で助かったことを喜ぶ両親。けれどもう一度ピアノを弾くには、辛いリハビリが必要だった。それでも前向きにピアノに取り組もうとする彼女の周りで、不穏な出来事が相次ぐ──。

 あのね、ぶっちゃけて言えば本格ミステリとしてはツッコミどころ満載なのよ。「不穏な出来事の数々」については、正直なところフェアとは言えない。というか、読者に与えられるデータが少な過ぎるのね。おまけに容疑者が少ないが故に誰が犯人でもさほどの意外性はない。そして最もサプライズを生む筈のある真相が……うーん、これ、本格ビギナーはすごく驚くと思う。でも、ある程度読み込んでる読者は、ものすごく早い段階で(推理ではなく経験から)「これってあのパターンだったりして」と一度は考えると思うのよね。だって状況がホントにお手本のようなパターン分類にはまってるんだもん。

 しかし、それでも、お勧めマークがついてる点に留意願いたい。相次ぐ災厄の中にあって、この少女の描写と音楽の描写が素晴らしいのだ。体が自由に動かない、声も体も以前とはまるで変わってしまった──十代の多感な少女がそんな目にあって、それでもいい指導者といい医者に出会い、足掻きながらも自分の存在をピアノにぶつける。圧倒された。特に、杖無しでは歩けない体になってしまった少女がリハビリに励む、そのディテールはすごい。正直なところ、これはあたしも似たようなリハビリや障碍の例を身近で見ているが故の個人的な感情移入が無いとは言えないが、実体験者の身内が読んでも違和感が無い、むしろ「そうそう、そうなのよ!」と感じてしまうほど描写が正確で、なおかつ迫力がある。

 そしてその圧倒されるような少女の描写が、本格ミステリとしての弱さを覆い隠していると言っていい。伏線の仕込みは決して巧いとは言えないのに、物語の持つ吸引力のせいで読者は伏線探しをする暇がない。これもまた立派なミスディレクションだ。

 じゃあ単なる音楽スポ根青春小説でも良かったかと言えば、そうじゃない。やはりこれはミステリでしか描けない、たとえパターンそのまんまであろうとこのミステリの形でしか描けないテーマがある。そこがいい。お勧め。

悪いことはしていない永井するみ/毎日新聞社


 営業事務のOL、真野穂波が主人公の働く女系ミステリ。「ピスタチオ・グリーン」と「デビル・ブラック」の二部構成で、前者は大手企業での営業事務、後者ではベンチャー企業という二つの舞台に股がっている。

「ピスタチオ・グリーン」
 忙しいながらも充実した仕事ライフを送っていた穂波。ところが同じ会社のOLで親友の亜衣がいきなり失踪してしまう。彼女が最後に書いたブログには、「上司にホテルの部屋に連れ込まれそうになった」と書いてあって……。
 いやあ、これはやられた! 読みながらずっと「亜衣、分かりやす過ぎ!」と思ってたんだが、まったく予想を覆されてしまった。亜衣を探す途中で出てきたモノから「あれ?」と思い、亜衣の口から真相を聞かされたときには……ひええええ、そう来ますか、と。

「デビル・ブラック」
 独立した上司の山野辺についてベンチャー企業に転職した穂波。けれどそこでの日々は想像とは違っていた。加えて、怪しい男につけられたり、植木鉢が落ちてきたりという不穏な事件も相次いで……。
 これを読み終わったときには、本書のタイトルが秀逸なことに嘆息した。悪いことはしていない、でもそれで傷つく人がいるということは知らなくちゃいけない。無知というのは時として罪になる。……このテーマ、昔、同じものを読んだことがある。新井素子の「ブラックキャット」シリーズだ。直情型の刑事が聞き込みの途中で植え込みを壊してしまう。「たかが木」としか認識してなかった刑事は悪い事をしたとはまったく思ってなかったが、実はそれは住人が丹精していた躑躅で、家政婦が責任をとらされてしまう……というエピソードがあった。
 「ブラックキャット」のそのくだりを読んだのはもう20年以上も前だが、すごくはっきり覚えている。なぜなら、あたしはその植え込みを壊したのに罪の重さを認識してない刑事に、本気で腹が立ったから。なのに新井作品の中ではその刑事は、けっこう愛されるキャラクタとして描かれており、それが更に怒りに拍車をかけたものだった。
 話がずれたが、本書もまた、自分の行為が悪いことだと思ってない人物が登場する。実際にその行為は犯罪でもなんでもないし、けっこう日常的に行われているようなことだったりもするが、受け手がどうとらえるかを発信者はまったく理解していないという、「ブラックキャット」と同じ構図。

 ところが「ブラックキャット」で覚えたような怒りは、今回はまったく覚えなかった。まあ、エピソードの背景も人物の描写もぜんぜん違うからなんだけど、しかし何より、四半世紀経って「こういうことって、あるよなあ」と思えるようになったということが大きい。自分の言動が相手にどんな影響を与えるか、自分の物差しだけで判断してしまい、人を傷つける……ああ、あるよなあ。うん。それは悪事ではないけれど、でも、「考え無し」なんだよなあ。想像力の欠如というのは、ときとして犯罪よりたちが悪かったりもするわけで。
 働く女を描かせると永井するみはホントに巧い、というのは今更改めて言うことでもないが、今回はそういう「想像力の欠如が招く罪」というのを鮮やかに、そして身近な例としてみせてくれる。それにしても亜衣と穂波はこれからどうなっていくんだろう。あたしなら早々にうっとうしくなりそうなんだが、なぜ穂波は受け入れてるのかが不思議でしょうがないぞ。