悪いことはしていない永井するみ/毎日新聞社


 営業事務のOL、真野穂波が主人公の働く女系ミステリ。「ピスタチオ・グリーン」と「デビル・ブラック」の二部構成で、前者は大手企業での営業事務、後者ではベンチャー企業という二つの舞台に股がっている。

「ピスタチオ・グリーン」
 忙しいながらも充実した仕事ライフを送っていた穂波。ところが同じ会社のOLで親友の亜衣がいきなり失踪してしまう。彼女が最後に書いたブログには、「上司にホテルの部屋に連れ込まれそうになった」と書いてあって……。
 いやあ、これはやられた! 読みながらずっと「亜衣、分かりやす過ぎ!」と思ってたんだが、まったく予想を覆されてしまった。亜衣を探す途中で出てきたモノから「あれ?」と思い、亜衣の口から真相を聞かされたときには……ひええええ、そう来ますか、と。

「デビル・ブラック」
 独立した上司の山野辺についてベンチャー企業に転職した穂波。けれどそこでの日々は想像とは違っていた。加えて、怪しい男につけられたり、植木鉢が落ちてきたりという不穏な事件も相次いで……。
 これを読み終わったときには、本書のタイトルが秀逸なことに嘆息した。悪いことはしていない、でもそれで傷つく人がいるということは知らなくちゃいけない。無知というのは時として罪になる。……このテーマ、昔、同じものを読んだことがある。新井素子の「ブラックキャット」シリーズだ。直情型の刑事が聞き込みの途中で植え込みを壊してしまう。「たかが木」としか認識してなかった刑事は悪い事をしたとはまったく思ってなかったが、実はそれは住人が丹精していた躑躅で、家政婦が責任をとらされてしまう……というエピソードがあった。
 「ブラックキャット」のそのくだりを読んだのはもう20年以上も前だが、すごくはっきり覚えている。なぜなら、あたしはその植え込みを壊したのに罪の重さを認識してない刑事に、本気で腹が立ったから。なのに新井作品の中ではその刑事は、けっこう愛されるキャラクタとして描かれており、それが更に怒りに拍車をかけたものだった。
 話がずれたが、本書もまた、自分の行為が悪いことだと思ってない人物が登場する。実際にその行為は犯罪でもなんでもないし、けっこう日常的に行われているようなことだったりもするが、受け手がどうとらえるかを発信者はまったく理解していないという、「ブラックキャット」と同じ構図。

 ところが「ブラックキャット」で覚えたような怒りは、今回はまったく覚えなかった。まあ、エピソードの背景も人物の描写もぜんぜん違うからなんだけど、しかし何より、四半世紀経って「こういうことって、あるよなあ」と思えるようになったということが大きい。自分の言動が相手にどんな影響を与えるか、自分の物差しだけで判断してしまい、人を傷つける……ああ、あるよなあ。うん。それは悪事ではないけれど、でも、「考え無し」なんだよなあ。想像力の欠如というのは、ときとして犯罪よりたちが悪かったりもするわけで。
 働く女を描かせると永井するみはホントに巧い、というのは今更改めて言うことでもないが、今回はそういう「想像力の欠如が招く罪」というのを鮮やかに、そして身近な例としてみせてくれる。それにしても亜衣と穂波はこれからどうなっていくんだろう。あたしなら早々にうっとうしくなりそうなんだが、なぜ穂波は受け入れてるのかが不思議でしょうがないぞ。