ま行の作家

かいぶつのまち水生大海/原書房

 デビュー作「少女たちの羅針盤」の続編と聞いて、「どうやって?」とまず思った。だってアレの続編って、なあ?

 登場人物は──えっと、どこまで書いていいのかな。
「少女たちの羅針盤」を未読の人に先入観を与えちゃうんじゃないかとちょっと心配なんだが、前作に出て来た、高校時代に演劇サークル〈羅針盤〉のメンバーだった3人です。社会人になったあと、その中のひとりが書いた脚本が母校の演劇部で使われることになり、挨拶と陣中見舞いに大会会場へ出かけたところから物語は始まる。あ、ただ前作を未読でも、本書単体でミステリとして楽しむ分には大きな問題はありませんのでご安心を。

 でもって母校の演劇部は、なんかちょっと様子が変。昔からいる顧問がエキセントリックなのは百も承知だが、生徒たちもおかしい。どうやら大会前にトラブルによる主役交代劇があり、部内がぎすぎすしてるっぽいのだ。そんなとき、出演者や関係者が次々に体調を崩すという事態が起きた。そして、彼らの上演するお芝居に見立てたような凶器が届き──。邪魔をするのは誰だ? そしてその目的は?

 本書のミソは、時折挿入される犯人と思しき「かいぶつ」のモノローグ。それはもちろん読者にだけ与えられる手がかりであり情報なので、読者はそのモノローグをヒントにフーダニットに挑むわけだが。ここは推理というよりも次第に消去法である程度絞れてしまうということもあり、その上でかいぶつの主張の内容を考え、ミスディレクションの可能性を考えると(嫌な読者だねえ)、このあたりだろうか──という方向付けが可能と言えば可能。加えて、作中で「かいぶつ」が絞られる過程も極めて順当なため、「かいぶつ」の正体については、あるいはそれほど大きなサプライズがあるわけではない、とも言える。

 けれど何より素晴らしいのは、その後の犯人告発シーン・対決シーンだ。これほどまでにケレン味たっぷりで迫力満点の犯人告発はそうそうあるものじゃない。読んでいる間、脳内でずっと「オペラ座の怪人」のテーマが鳴り響いていた(♪どんちゃ、どんちゃ、だだーらららら、ふぁーなななー)。ぞくぞくした。絵が浮かんで、その浮かんだ絵に圧倒された。この盛りあがり、この迫力は、この舞台設定だからこそのものであり、演劇というものにまつわるシリーズとしてはこれ以上の演出はないだろう。

 内容にも触れておかねば。かつては高校生で演劇を一生懸命やっていたOGと、現役演劇部員たちの交流。それはOGにとってはかつての自分たちの姿を見るに等しい。現役の彼らが何を大事に思い、何を優先させたいと思っているかは、手に取るようにわかる。自分の書いた脚本を後輩の彼らが演じてくれるということで、仲間意識もある。しかしその一方で、自分は明らかに彼らとは違う場所にいて、彼らとは違ってしまった価値観でものを捉え、彼らの中には決して入れないということも痛感する。まあね、会った事も無いOGがいきなりやってきて先輩面されたら、後輩としてはウザいと思うこともあるよ。なあ? だってそこは、今は自分たちの場所なんだから。OGの場所じゃないんだから。

 通り過ぎた思い出の場所や自分が作り上げた作品は、宝物だ。けれどその宝物には現在の所有者がいる。現在の所有者は、過去の所有者の気持ちを慮ったりはしない。けれど現在の所有者なりにその宝物を大事に思い、愛している。世代の違いは超えられないが、ひとつの目的のもとにOGと現役が共同戦線を張る様は、本書のもうひとつの白眉と言っていい。後輩が変えてしまった──変えざるを得なかった脚本。OGは彼らに協力して、その「変更」を修復していくのだ。舞台の上ではなく、現実の生活の中でも。

 離れてしまった者と、そこにいる者。現役高校生たちも、いずれこの場所を去る。その後になって、彼らは初めてOGたちの気持ちを知るのだろう。

屍の命題門前典之/原書房


 うっわああ、すっげえチカラワザ!! 豪腕っつーか無理矢理っつーか、いやあ、よくこんなこと考えたなあ。なんかもう、笑ってしまうほどにチカラワザなんだもん。つか、実際に笑っちゃったもん。<誉めてます。

  亡き大学教授の山荘に集まった6人。もてなす側の教授夫人が参加できなくなったため、6人だけで過ごすことになる。教授の趣味だった昆虫標本を飾った部屋や、屋敷の前に設置されたギロチン台など、どうも気味が悪い。そして雪が積もり、電話は通じず、車のタイヤは切り裂かれ、吹雪の山荘にて次々と人が死に──そして誰もいなくなった……

  これでもかーーーっ!と言うくらいの典型的な吹雪の山荘モノ。足跡の無い雪密室ありぃの、切断された死体ありぃの、伝説が伝わる湖ありぃの、奇妙な館ありぃの、そして誰もいなくなりぃの。「まだ来るか!」と思うほど、畳み掛けるような本格のガジェット。いやもう、お好きな人にはたまらんのではないかしら、これ。

  でもってこのチカラワザぶりには……わははは、だめだ、やっぱ笑いが漏れてしまう。著者の意図はさておいて、これは「ケレンたっぷりの本格ミステリ」でしょうかそれとも「バカミス」でしょうかというアンケートをとったら、五分五分か、もしかしたら「バカミス」の方が多くなるんじゃないかしらん、というくらい微妙なラインなのよね。絵面を想像するとスゴいんだもん。特に、雪のつもった庭で殺されて、周囲に足跡がなかったという一件の真相なんて、その状況をビジュアライズしたらかなりのギャグ映像になるよ。死体移動の真相も……ものすごい状況なんだけど、絵を想像すると「いや、ないって! それはなんぼなんでも無理だって! ちょっと落ち着け!」と探偵役にツッコミを入れてしまった。いやあ、演出によってはとてつもなくホラーなシーンになるところなんだけど、恐怖感を感じる前にツッコミを入れてしまうってのは、やっぱ、バカミス寄りってことかと。あ、サプライズは充分ですよ。ホントに驚いた。いろんな意味で。

 大掛かりなトリックというか、チカラワザというか、豪腕というか──そういうトリックものが好きな人は読み逃しちゃいけません。あと、バカミスが好きな人も。でもね、見た目のケレンを除いて真相の骨格だけ見ると──ものすごく緻密に練られてるんだよ、これ。単なる豪腕バカミスってだけでは、ないようですぜ。

Nのために湊かなえ/東京創元社


 卓越したストーリーテリングでぐいぐい引っ張られた、としか言いようが無い。

 実は読み終わってから落ち着いて考えると、なんか放り出された感はあるし、張りっぱなしで回収されてない伏線はあるし(それとも伏線じゃなかったのかしらん?)、事故だか事件なんだか明確になってない箇所はあるし、なんかこう、落ち着くべきところに落ち着いてない状態で終わってしまったような、そんな釈然としない気持ちは残るのよ。ただ読んでる最中は、展開が気になってどんどんページをめくらされた。途中でやめられなかった。行き着く先を見たい、と強く思わされた。その「行き着く先」が気に入るかどうかは読み手の好みの問題。

 物語は、あるセレブな夫婦の自宅マンションで殺人事件が起きたところから始まる。死んだのはその夫婦。その場にいたのは夫婦の友人であり、そこに招かれていた杉下希美と安藤望、レストランの出張サービス係・成瀬、そして犯行を自供した男、西崎。彼らの事情聴取が第一章だ。

 そして時間はいったん未来に飛んだ後、過去へ戻る。そして読者は驚かされることになる。もともと友人だった安藤と杉下以外は、お互い大きな関わりはないとされた関係者たちの、思わぬ関係が徐々に明らかになるから。どこまでが計画だったのか。その目的は何だったのか。誰が知っていて誰が知らなかったのか──章が変わるごとに提示される新事実には、その都度「わあ」とのけぞり──そして、ワクワクした。「どうだ!」とばかりにこれ見よがしに新事実を明かすのではなく、ごくごく淡々と、当たり前のように時間を遡って「企みの過程」を描写する、そのさりげなさ。さりげないが故に、著者の「にやり」が見えるようで実に楽しい。構成のマジシャンと呼ばせて戴く。

 ただ、彼らの過去は、決して楽しいものではない。この物語に登場する若者たちは皆、ここではないどこかへ行きたいと思っている人たちばかり。逃避という意味ばかりではなく、もっと前向きに、そしてもっと切実に。足掻いている、と言っていい。その足掻きと、テクニカルな構成が実に巧くマッチしている。NのためにのNとは、誰の(あるいは何の)ことなのか、幾通りもの解答を楽しまれたい。

 それにしても──子供時代が決して幸せとは言えなかった彼らが足掻いて足掻いて、感情移入させるだけさせといて、その結末がこれかと思うと……話は冒頭に戻るが、「落ち着くべきところ」に落ち着かせて欲しかったよなあ、やっぱり。

水魑の如き沈むもの三津田信三/原書房


 この「○○の如き●●するもの」シリーズ(なんてそのまんまの命名か)はホントに面白いなあ。元来ホラーが苦手、本格ミステリは大好きだがイカニモ本格の舞台然と拵えられたリアリティの無い設定も苦手、というあたしにとって、まさに鬼門であるようにも思えるシリーズなのに。そんな趣味嗜好にも関わらず本シリーズが面白く感じるのは即ち──ホラーなんだけど怖くない、本格なんだけどイカニモ本格然としていない、ということになる。いや違うな、怖いんだけどそう感じない、イカニモ本格然とした舞台なのにそう感じない、ということだ。あ、これはあくまでも自分基準の印象の話ですからね。

 戦後十年経ったか経たないかってあたりの奈良が舞台。民俗学に造形の深い作家の刀城言耶は編集者の偲とともに、古くから変わった雨乞いの習慣を持つという村へ出向いた。その雨乞いの儀式を見学するためだが、その場で殺人が起きて──という話で、この村に住む少年・正一の生立ちや家族の話を挟みながらの二視点で物語は進む。
 儀式の習慣様式ひとつひとつの裏に潜む真実をくみ上げ、別枠で語られた少年の生立ちがそれときれいに融合し、二転三転どころか七転八倒(?)するような推理の道筋を示す。これらがもう、いちいち面白い。知的刺戟に満ちていて、事件なんか起こらなくていいから、その地名や儀式の講釈をもうちょっと聞かせちゃくれないかね?という気分になる。そしてそういった民族学的情報の数々が、単なる蘊蓄ではなく、ちゃんとミステリとして生きて来るからすごいのよ。

 ホラーなのに恐ろしくはないのも、そしてイカニモ本格ミステリっぽい舞台なのにも関わらず虚構色が薄いのも、まず探偵役のこの学究的な姿勢のせいだろう。虚仮威しに乗らず、事象をひとつひとつ飄々とその場で(これ大事!)解き明かしてくれる。推理の出し惜しみをしない。そこに偲や、今回は村の青年・游魔のポップな掛け合いが混じるので、恐ろしいより楽しくて、彼らの会話をもっと聞いていたくなるのだ。そして面白がっていると──背負い投げを食らうことになる。

 ところで「はじめに」を読むと、本編は著者(刀城)の視点で書かれているが、正一の話は分量が多かったため、分けて正一視点の三人称で記述したと記されている。そして「正一氏と同じ手法で描いた人物が、もうひとりだけ存在するが、こちらは彼よりも生の姿を記せたのではないかと自負している」とある。これは単行本458ページから始まる章のことだろうが……そうか、考えてみればこの章も「刀城言耶」が書いてるんだ! うわははは、そう考えるとめっちゃ笑えるぞ。しかも「生の姿を記せた」って……なんて人の悪い!
 いや、待てよ? 当然編集者チェックは入ってるわけで……となると生の姿ってもしかしたら……などと考えるのもまた楽しい。うん、やっぱぜんぜん怖くないや。

矢上教授の午後森谷明子/祥伝社


 大学の老朽校舎、通称オンボロ棟を舞台に、ちょっと浮世離れした教授たちと騒がしい学生達が殺人事件に巻き込まれる長編ミステリ。この著者にしては、こういうタイプの長編は珍しい。でもカバー裏に三橋暁さんによる「歴史と伝統を誇る英国ミステリでいうところの“お茶とケーキ派”を思わせる」などという紹介文があるからには、これは読まねばなりますまい!

 一読してなるほど、と膝を打った。“お茶とケーキ派”というのにも頷ける。  道具立てだけを見れば──突然の豪雨、轟く雷鳴、古い校舎の停電。エレベータは止まり、非常口はなぜか開かず、ネットもケータイも使えず、閉じ込められた人々。そこで見つかる血まみれの死体。うーん、めっちゃおどろおどろしい。血なまぐさい。なのに、それがぜんぜんおどろおどろしくないのよ。ユーモラスで、どこか暢気で。

 それは死体になっているのが既知の人物ではない、という理由がもちろん大きいのだけれど、それだけじゃない。閉じ込め&殺人事件に遭遇した人々の対応がどこかノホホンとしてるのね。パニックになる人がいない。過剰に騒がない。でもって「この場で自分にできることをやりましょう」という感じで協力し合って物事を進めていく。この様子がね、うーん、説明が難しいんだけど、「うるさくなくて、いい」んだよなあ。余計なトラブルがないというか、大人の対応というか。だから気持ちいいの。居心地いいの。つまりはコージーなの。

 おまけに閉じ込められた人たちは皆、殺人事件とは無関係なところで「自分にとって優先しなくてはならない問題」をそれぞれ抱えている。だから皆は自分の事情に対して対応してただけなのに、殺人事件なんつー突発事態のせいでそれが変な風に絡まってワケ分かんなくなっちゃって、でもそれって端から見てると滑稽で実に面白いのよ。一幕物の上質なシチュエーションコメディを見ているかのような面白さ。

 これはまさしく三橋さん言うところの、「古き良き英国ミステリの“お茶とケーキ派”」だ。ただ、登場人物が多くて、かかわり合う要素があまりに多くて、けれど過剰に説明することを避けてテンポ重視にしたが故に、前半はちょっと情報を掴み切れない部分があったあたりは残念だけど。でも死体が見つかってからは一気呵成。これまでの作品から、伏線の張り方が抜群に巧いってのは保証付きだし、そういう点でも堪能できます。何より皆それぞれにバタバタしてる(でもどこか暢気)絵を想像すると実に楽しいのよ。うん、まさに“お茶とケーキ”をお供に、のんびり読書を楽しみたいときにウッテツケだ。